元気力UP!

元気力UP!

2015年05月29日
XML
カテゴリ: 吾輩は猫である
あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用 がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求 に是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。
主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。
「まあこの容子 じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気 に見受けられる。
「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」
寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。

実は二三日 前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。
すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。
寒月君もこれには少し辟易 の体 であったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。
こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切 れた時、極 りの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。
「先月大磯へ行ったものに両三日 前東京で逢うなどは神秘的でいい。

相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。
ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。
奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯 恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。
随分|軽蔑
「君だって恋煩 いなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。
「そりゃ僕の艶聞 などは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方 の記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。
「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。
ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学 のために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。

「僕のも大分 神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。
その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。
「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談 じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。
「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。
寒月君だけは約束を守って一言 も云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。
「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡 筍谷 を通って、蛸壺峠 へかかって、これからいよいよ会津領 へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。
「だまって聴いていらっしゃいよ。
面白いから」と細君が制する。
「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋を敲 いて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭 を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶると悸 えたがね。
僕はその時から恋と云う曲者 の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。
そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金 の高島田 に髪を結 いましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。
「這入 って見ると八畳の真中に大きな囲炉裏 が切ってあって、その周 りに娘と娘の爺 さんと婆 さんと僕と四人坐ったんですがね。
さぞ御腹 が御減 りでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。
すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯 でも炊 いて上げようと云うんです。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015年05月29日 08時43分07秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: