元気力UP!

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2016年07月24日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 皆この甲割 りへ目を着けるので」
「その鉄扇は大分 重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。
なかなか重いよ。
伯父さん持たして御覧なさい」
老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。
京都の黒谷 が蓮生坊 の太刀 を戴 くようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。

「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割 と称 えて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃 ちとったものでがす。
楠正成
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからん。
しかし時代は古い。
建武時代 の作かも知れない」

苦沙弥君、今日帰りにちょうどいい機会だから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったところがね。
この甲割が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんなはずはない。
これは建武時代の鉄で、性 のいい鉄だから決してそんな虞 れはない」
「いくら性のいい鉄だってそうはいきませんよ。
現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラス球 を磨 っている男かい。
今の若さに気の毒な事だ。
もう少し何かやる事がありそうなものだ」
「可愛想 に、あれだって研究でさあ。
あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨 りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。
わしにでも出来る。
ビードロやの主人にでも出来る。
ああ云う事をする者を漢土 では玉人 と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。

「なるほど」と主人はかしこまっている。

「すべて今の世の学問は皆|形而下 の学でちょっと結構なようだが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。
昔はそれと違って侍 は皆|命懸 けの商買 だから、いざと云う時に狼狽 せぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金を綯 ったりするような容易 いものではなかったのでがすよ」
「なるほど」とやはりかしこまっている。

「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手 をして坐り込んでるんでしょう」
「それだから困る。
決してそんな造作 のないものではない。
孟子 は求放心 と云われたくらいだ。
邵康節 は心要放 と説いた事もある。
また仏家 では中峯和尚 と云うのが具不退転 と云う事を教えている。
なかなか容易には分らん」
「とうてい分りっこありませんね。
全体どうすればいいんです」
「御前は沢菴禅師 の不動智神妙録 というものを読んだ事があるかい」
「いいえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置こうぞ。
敵の身の働 に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。
敵の太刀 に心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。
敵を切らんと思うところに心を置けば、敵を切らんと思うところに心を取らるるなり。
わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。
われ切られじと思うところに心を置けば、切られじと思うところに心を取らるるなり。
人の構 に心を置けば、人の構に心を取らるるなり。
とかく心の置きどころはないとある」
「よく忘れずに暗誦 したものですね。
伯父さんもなかなか記憶がいい。
長いじゃありませんか。
苦沙弥君分ったかい」
「なるほど」と今度もなるほどですましてしまった。

「なあ、あなた、そうでござりましょう。
心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。
敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙弥君はそんな事は、よく心得ているんですよ。
近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしているんですから。
客があっても取次に出ないくらい心を置き去りにしているんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特 な事で――御前などもちとごいっしょにやったらよかろう」
「へへへそんな暇はありませんよ。
伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「ところが閑中 から忙 ありでね」


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年07月24日 18時05分25秒
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