元気力UP!

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2016年07月27日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 「そう、粗忽 だから修業をせんといかないと云うのよ、忙中|自 ら閑 ありと云う成句 はあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。
なあ苦沙弥さん」
「ええ、どうも聞きませんようで」
「ハハハハそうなっちゃあ敵 わない。

久し振りで東京の鰻 でも食っちゃあ。
竹葉 でも奢 りましょう。
これから電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日はこれからすい原 へ行く約束があるから、わしはこれで御免を蒙 ろう」
「ああ杉原 ですか、あの爺
「杉原 ではない、すい原 さ。
御前はよく間違ばかり云って困る。
他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。

「だって杉原 とかいてあるじゃありませんか」
「杉原 と書いてすい原 と読むのさ」
「妙ですね」
「なに妙な事があるものか。
名目読 みと云って昔からある事さ。
蚯蚓 を和名 でみみずと云う。
あれは目見ずの名目よみで。
蝦蟆 の事をかいると云うのと同じ事さ」
「へえ、驚ろいたな」
「蝦蟆を打ち殺すと仰向 きにかえる。
それを名目読みにかいると云う。
透垣 をすい垣 、茎立 をくく立、皆同じ事だ。
杉原 をすぎ原などと云うのは田舎 ものの言葉さ。
少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、その、すい原へこれから行くんですか。
困ったな」
「なに厭 なら御前は行かんでもいい。
わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいてはむずかしい。
車を雇って頂いて、ここから乗って行こう」
主人は畏 まって直ちに御三 を車屋へ走らせる。
老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭 へ山高帽をいただいて帰って行く。
迷亭はあとへ残る。

「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「なるほど」と再び座蒲団 の上に坐ったなり懐手 をして考え込んでいる。

「ハハハ豪傑だろう。
僕もああ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。
どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。
君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりで大 に喜んでいる。

「なにそんなに驚きゃしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力の据 ったもんだ」
「しかしあの伯父さんはなかなかえらいところがあるようだ。
精神の修養を主張するところなぞは大 に敬服していい」
「敬服していいかね。
君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れないぜ。
しっかりしてくれたまえ。
時候おくれの廻り持ちなんか気が利 かないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。
第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃしない。
とうてい満足は得られやしない。
そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味 がある。
心そのものの修業をするのだから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てる。

「えらい事になって来たぜ。
何だか八木独仙 君のような事を云ってるね」
八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。
実はせんだって臥竜窟 を訪問して主人を説服に及んで悠然 と立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪 らしく述べ立てている議論は全くこの八木独仙君の受売なのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪 の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻 を挫 いた訳になる。

「君独仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑 だから念を推 して見る。

「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日 と少しも変りゃしない」
「真理はそう変るものじゃないから、変らないところがたのもしいかも知れない」
「まあそんな贔負 があるから独仙もあれで立ち行くんだね。
第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。
あの髯 が君全く山羊 だからね。
そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好 で生えていたんだ。
名前の独仙なども振 ったものさ。
し僕のところへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。
いつまで立っても同じ事を繰り返してやめないから、僕が君もう寝 ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年07月27日 21時59分40秒
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