元気力UP!

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2016年09月26日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
 「刑事だって懐手をしないとは限るまい」
「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。
君がお辞儀をする間あいつは始終あのままで立っていたのだぜ」
「刑事だからそのくらいの事はあるかも知れんさ」
「どうも自信家だな。
いくら云っても聞かないね」
「聞かないさ。
君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと云ってるだけで、その泥棒がはいるところを見届けた訳じゃないんだから。
ただそう思って独
迷亭もここにおいてとうてい済度 すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしまった。
主人は久し振りで迷亭を凹 ましたと思って大得意である。
迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなったのである。
世の中にはこんな頓珍漢 な事はままある。
強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥 かに下落してしまう。
不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目 を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑
幸福なものである。
こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。

「ともかくもあした行くつもりかい」
「行くとも、九時までに来いと云うから、八時から出て行く」
「学校はどうする」

学校なんか」と擲 きつけるように云ったのは壮 なものだった。

「えらい勢 だね。
休んでもいいのかい」
「いいとも僕の学校は月給だから、差し引かれる気遣 はない、大丈夫だ」と真直に白状してしまった。
ずるい事もずるいが、単純なことも単純なものだ。

「君、行くのはいいが路を知ってるかい」
「知るものか。
車に乗って行けば訳はないだろう」とぷんぷんしている。

「静岡の伯父に譲らざる東京通なるには恐れ入る」
「いくらでも恐れ入るがいい」
「ハハハ日本堤分署と云うのはね、君ただの所じゃないよ。
吉原 だよ」
「何だ?」
「吉原だよ」
「あの遊廓のある吉原か?」
「そうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。
どうだ、行って見る気かい」と迷亭君またからかいかける。

主人は吉原と聞いて、そいつはと少々|逡巡 の体 であったが、たちまち思い返して「吉原だろうが、遊廓だろうが、いったん行くと云った以上はきっと行く」と入らざるところに力味 で見せた。
愚人は得てこんなところに意地を張るものだ。

迷亭君は「まあ面白かろう、見て来たまえ」と云ったのみである。
一波瀾 を生じた刑事事件はこれで一先 ず落着 を告げた。
迷亭はそれから相変らず駄弁を弄 して日暮れ方、あまり遅くなると伯父に怒 られると云って帰って行った。

迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人は再び拱手 して下 のように考え始めた。

「自分が感服して、大 に見習おうとした八木独仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間のようである。
のみならず彼の唱道するところの説は何だか非常識で、迷亭の云う通り多少|瘋癲的 系統に属してもおりそうだ。
いわんや彼は歴乎 とした二人の気狂 の子分を有している。
はなはだ危険である。
滅多 に近寄ると同系統内に引 き摺 り込まれそうである。
自分が文章の上において驚嘆の余 、これこそ大見識を有している偉人に相違ないと思い込んだ天道公平事 実名 立町老梅 は純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居している。
迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院 中に盛名を擅 ままにして天道の主宰をもって自 ら任ずるは恐らく事実であろう。
こう云う自分もことによると少々ござっているかも知れない。
同気相求め、同類相集まると云うから、気狂の説に感服する以上は――少なくともその文章言辞に同情を表する以上は――自分もまた気狂に縁の近い者であるだろう。
よし同型中に鋳化 せられんでも軒を比 べて狂人と隣り合せに居 を卜 するとすれば、境の壁を一重打ち抜いていつの間 にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。
こいつは大変だ。
なるほど考えて見るとこのほどじゅうから自分の脳の作用は我ながら驚くくらい奇上 に妙 を点じ変傍 に珍 を添えている。
脳漿一勺 の化学的変化はとにかく意志の動いて行為となるところ、発して言辞と化する辺 には不思議にも中庸を失した点が多い。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。






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Last updated  2016年09月26日 22時10分12秒
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