PR
Category
Comments
一見したら、普通の家族。うまく行っているように見えるふつうの家。
ひとりひとりの都合だけを通し、家族という言葉があっても目に見えないものをきちんと、それぞれが意識しないと、家族という形で機能していないと、どういうことが起こっていくのだろうか?
とある住宅街で小学生の女の子が公園のトイレで死体で発見された。昨日から行方不明になっていた女の子だ。
その女の子の死体を捨てたのは、殺害した中学生の息子の父親だった。そして、死体をどうにかしようと言い出したのは、世間体を考え、自分たちと、息子の将来という対面のみを考えて生きてきたプライドが高い母親だった。
では、なぜ、息子に罪を認めさせず、死体を親が捨てるという行為にでたのか?
そこには、その家族の闇があった。痴呆症になった父親がなくなり、それを必死になって看病していた母親を引き取った。だけど、プライドの高い妻は、そんな母親にあわせようとせず、いてもいないものとして、受け入れることはなかった。そして、母は父と同じようにボケた。
そんな問題から目をそらすように、女に狂った自分。息子がいじめられているという報告を受けても、大したことがない、そして、自分の母親がそんな状態でも、どうにかしようともしようと思わなかった・・・。
そして、そんな環境の中で育ってきた息子は、自分がすべてであり、何かをやっても、誰かがまもってくれるような温室の中で育っているような、一歩外に出れば自分より弱いものを見つけて(それが性的興味にも!?)強がり、かといって、一人で孤独に向き合える強さもなく、そんな自分にした両親の勝手と思っていた。
そんな息子の欲望が、自分よがりが起こした事件。繕っていくように、むりやりそんなときだけ家族でいようとする家族。隠しきれるのか?
ボケた母親が赤い指をしていたのはなぜか?事件の鍵は、どこにあるのか?この家族が家族である意味、問題点は、自分たちで見つけていかなければならないといった加賀恭一郎の一言は?
もしかしたら、一歩間違えれば、どこの家でも陥りかねない問題。そして、もしかしたら、そばにあるもの、いるものとして、忘れてしまっているような重要なこと。そんなことを思い出させてくれる作品。
母親の赤い指は、きっと、悲しみの色、深い愛だったに違いない。問題をえぐってはいないが、切り味するどく、薄くえぐっている気がする。
<アンドロイドからの投稿>
<日記自動掲載>
Keyword Search