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元日本サッカー協会会長、岡野俊一郎さんが亡くなった。
初めて岡野さんを知ったのは、1980年代前半に唯一のサッカー番組だったダイヤモンドサッカーの解説者としてだ。
まだ日本にプロリーグがないころ、世界の一流のプレーが見られる
ということで、毎週楽しみに見ていた。ビデオがまだ無い頃だったので、
見逃したらそれまでであり、土曜日の夕方は忘れずにテレビを見た。
岡野さんの解説で「速いクロスでないと得点に結びつかない」という
コメントを良く覚えている。
当時日本のサッカーでは山なりのセンタリングが普通で、イングランド
リーグで速くて低いボールがサイドから上がるのと全く対照的だったのだ。
当時はサイドからピッチ中央へボールを送ることを「センタリング」と
呼んでいたが、ダイヤモンドサッカーではしばしば「クロス」という
呼び方もしていたと思う(ただし記憶があいまい)。
今の日本では「センタリング」という呼び方自体をしなくなり、全て
「クロス」という名称に統一された。しかし自分にとっては今でも
「クロス」のイメージは低くて速いセンタリングのことだ。
山なりのホワーンとしたボールは日本的な「センタリング」と呼びたくなる
のである。一部のJリーガーは今でも「センタリング」しか上げられない。
岡野さんが40年前から言っているのに。
体育館での講演会では、岡野さんを知らない同級生が「誰こいつ?」
みたいな感じで雑談していたのだが、自分はダイヤモンドサッカーでずっと
あこがれだった岡野さんの話にもう釘付けだった。
その講演ではクラマーさんとのことや、メキシコ五輪の話などしてくれたが
一番覚えているのは、電車内で部活の先輩に「どうぞ」と席を譲る学生の話
だった。実はその彼はお年寄りが来ても席を譲らなかったそうで
と岡野さんは言ったのである。
それまで身近にいる自分の祖父母以外の老人のことなんか考えたことも
なかったけど、「人生の大先輩」かと思うとすべてのお年寄りが
違う存在に思えてきた。
例えば60歳以上の方であれば、当時16歳の自分に比べて、
たくさんのはるかに貴重な経験をしているはずなのだ。
それだけ「人生の大先輩」という言葉は胸に響いた。
またダイヤモンドサッカーの話に戻るが、解説はサッカーに限らず
その海外のチームがある街や国の話も多かった。
どんな歴史があって、どういう人々が暮らして、どのような文化があるのか。
キリスト教の国々はクリスマス休暇があって、日本のお正月みたいな
習慣はないとか、たくさんのことを学んだ気がする。
岡野さん、どうもありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。