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2007.04.16
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カテゴリ: 西南戦争
約7カ月以上にも及んだ西南戦争において最大の激戦地はやはり熊本においてでありましょう。そのなかでも “峠” “坂” の名がついた場所は薩摩軍、政府軍の双方が全力で戦い抜いた地のようであります。

薩摩軍に加わった地元・熊本の士族から編成された“熊本隊”は抜群の活躍をみせたのであります。前回も紹介しました 佐々友房さん 率いる “佐々隊” はかなり早い時期より熊本城攻撃に兵力を注入する薩摩軍とは別行動をとったのです。

植木地区での戦闘が開始されたとの報を聞くや政府軍の南下を防ごうとし北上していったのです。この次点で佐々さんはむやみに熊本城攻めに固執するより自分の隊は政府軍を迎え撃たなくてはいけないと判断したのです。

余談になりますが、やはり“血筋”は人間にとって大きな要素となるわけでお孫さんの佐々淳行さんもTVなどで自身の意見を話されている内容を聞きますと「即断即決のお方だなあ」との印象を受けます。

2月24日、  “佐々隊”

この地元民は薩摩軍に勝利の期待を懸けていたことはもちろんですが “佐々隊” に対しても敬意を表していたのですね。

ここにきて勢いを増した薩摩軍の奮闘によって北上する佐々隊に攻撃してくる政府軍は存在しなかったのですが吉次峠では政府軍の攻撃を死力を尽くして防いだのです。

この吉次を守るため、  “佐々隊” “敵がい隊” という決死隊を編成したのです。“敵がい隊”とは何とも勇ましい名前ですが彼らは大刀で楠木を削り、白くして「敵がい隊、この樹下に死す。」と大書したそうです。

この行為は彼らの“命を懸けて吉次峠を守り抜く”との固い決意であり同時に“万が一、守る事が出来なければその時は文字通り死あるのみ”という覚悟を表現したものです。

戦いは、やはり気持ちが全てです。

戦う者が、わずかでも 「油断・弱気・躊躇」 の念を抱いた時点で敗北が待ち構えております。

ビジネス・スポ-ツにおいても同様です。「何が何でも勝つ」との決意を持ち続けた人間は強いです。更に命を捨てた人間はもっと強固です。



もちろん、そのためには 健全な肉体を所有 することが必要不可欠条件ですが・・・・・・。









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Last updated  2008.02.16 19:58:13
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