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2006年01月29日
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カテゴリ: 教会
空襲にあったのは3月10日か4月13日か?61年前の事実は判断が難しい。文字で書いてあるのが4月13日。生き証人が主張するのが3月10日。「あの日のこと忘れるはずがないでしょ。」という言葉に記憶違いではなんて言えない。これから公式な史料に当たってみようと思う。

以下聞き書き
<1945(昭和20)年3月9日に家に戻るため、長野を出発したAさんは、上野駅までの切符を買って持っていたが、10日の夜高崎駅で東京の空が真っ赤で、「東京がやられている。やられている。」という声を聞く。電車は止まってしまって、上野には行かれないとわかった。

東武東上線は動いていたので小川町の兄嫁の実家の大きな農家に立ち寄った。そこで一息ついて、せりなどの野菜をいただいて(お米を持っていると取り上げられることがあるので)、また東上線で池袋向かった。

電車は動いていなかったので、池袋からは線路の近くをとぼとぼ歩き、田端からは日暮里までは道を知っていたので、なんとか日暮里までたどり着いた。もう夕方近くになっていたと思う。

日暮里付近は屋根が落ちて壁だけになった教会の建物、同潤会アパート、第二小学校の校舎しか残っていなかった。まわりは焼けた燃えカスだらけで、道もはっきりしなかった。防火用水に名前が書いてあったのを頼りに、家を探した。すっかり焼けてなくなっていた。



この日3月10日のことは生き証人として伝えてゆきたい。教会の屋根にも焼夷弾が落ちて、強制疎開のためまわりの家は壊されて、材木が積んである状態だったので、まわりの家はすっかり燃えてしまった。>

1920(大正9)年生まれのしっかりとした記憶の方のお話である。なんとか解明したい。3月10日は風の強い日だったと別の方からうかがった。書物には4月13日と書いてあるものがほとんどだ。地域によって微妙に残っていたりもするし、日にちの結論はでなくても、焼け野が原になったこと、またその場所に新しい街を作って行った人々がいたことは事実。お話しを聞きながら、逞しさ、地道な努力にに頭が下がった。





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最終更新日  2006年01月30日 23時48分26秒
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