またあした

またあした

またあした




 何時だっただろう?この言葉の意味を噛み締めたのは。病室でインターネットをしていて、偶然見つけたHPで知った意味。そこに書いてあった事は忘れた。でも、この言葉だけは心に刻まれた。

 本当は意味なんて決まっていないのかもしれない。でもみんな思い思いの場面で使っている。仕事の終わり、波乗りに行く前の日の電話の終わり、飯食いに行った時の終わり、愛する人や仲間との別れ際。
続きはまたあした、じゃぁまたあした、またあした会社で、またあした会いましょう。



 俺は生き残った。車の後方は鉄屑だった。偶然にもトラックが後ろから突っ込んだから死ななかった。偶然?いや違う。ある人は運命と言い、ある人は宿命と言う。俺の言葉だと必然の結果と言える。あの夜の退社時間、食事に立寄った事、あえて選んだ渋滞した道。

 全ては自分で選んだ事、後悔なんて一度もした事が無い。



 入院したら家族が付きっ切りで交代しながら世話してくれた。
沢山の人がお見舞いに来てくれて励まし泣いてくれた。
担当医は、その調子でリハビリ頑張って、最後までそう言ってくれた。
病院のスタッフは何時も明るい笑顔で勇気付けてくれた。
お陰で凹む事もほとんど無かった。むしろ凹む暇が無かった。
ただ弱い所を見せたくなく、元気な振りをしていた。

 自分自身を諦めた事は一度も無い。
でも全介助とドアと天井と窓しか見られない生活は、ゆっくりと心を蝕んでいった。
きっと精気の無い目で作り笑いしていたのだろう。



 希望を見つけた。いや違う、希望を貰った。
ずっと諦めないで希望を掴む為に伸ばしていた手を、優しくそして力強く握り、闇の中から引き上げてくれた。
そして希望の椅子に座らせてくれた。

 初めは心の中でしか言えなかったが、心と体を癒し鍛えてくれたお陰で声に出せるようになった。
「またあした、よろしくおねがいします。」



 事故から一年が過ぎ、振り返ると波乱万丈な日々だった。とは言え今も大海原に手漕ぎ舟だ。でも、目的地は見えている、後は自分の力で漕ぐだけだ。
そんな中で様々な事が有るだろう。これからも多くの人に出会うだろう。

 目的を達成した時にこう言える自分でありたい。

「掴み損ねた物は有っても、大切な物は一つも無くしてない」

そして、

「またあした!(元気なあなたに会える事を願っています。)」




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