しあわせのかたち

しあわせのかたち

2006/07/14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ここのところリアルに私事(サッカーW杯とか広義の女性問題とか)がバタバタしていて、更新どころじゃない日々が続いております。お暑うございますね。体調もグテグテになっているショータです。

 まあ語っとくことはいろいろあるんだけど、最近自分も含めてなんか周囲が面倒なことになってるなあ、という印象が強いわけでね。忙しいと自分のなかで一番大切にしている「ぼーっとする時間」というのが奪われていく気がして、それはちょっとブルー。


 エビバデ落ち着こう。まずぼーっとしよう。

       ※

 身分不相応を承知で買った『美徳なき時代』(アラスデア・マッキンタイア著・篠崎榮訳/みすず書房刊)が意外に面白く読めている。活字が小さくて結構な大著だからちょっとずつしか読めないんだけど、「徳倫理学」という学問が非常に刺激的だということがわかって、満足している。

 どういうことが書いてあるかというと、「正しい、ということってなに?」、「善いこと、っていうのはなに?」ということを考えていて、過去の偉大な思想家たちの論説を丁寧に紹介し、そこにマッキンタイア自身の決断(あえて「考え」ではない)を添えている。

 いまのところ一番刺激的なのは、本書の冒頭にある「我々は考える筋道を失ってしまっていて、ただ結論だけを知っている状態なんだ」という指摘だった。

 例えば私はいま、「明日の朝も太陽は東から昇る」と思っている。
「なぜ昇るのか?」と言われれば、きっと地球の自転公転作用だとかあるいは天文学的観察結果だとかを使って、「ね、だから明日も太陽は東から昇るでしょ」という【推論】を述べるだろう。


 きっとかつては、物理法則と同じように「考える筋道」が用意されていた(「聖書にそう書いてある」とかね)。その筋道に沿って考えれば、「明日はも太陽は東から昇るでしょ」と同程度の、確度の高い【推論】が述べられただろう。
 けれどいまは違う。

 考える筋道は失われてしまった。
 その材料すら残っていない。

 それは例えば「それに至る公式」や観測結果が一切合切失われて、ただただ「E=mc2」とか、あるいは「太陽は東から昇る」と書かれた紙切れが手渡されている状態に等しい。

 我々は「いつ、どこで、どのような契機で」、考える筋道が失われてしまったのかすら知らない。多くの人は「すでにいまは失われてしまっている」ということすら気づいていない。

「私だって本当のところは気づいていない。私の状況設定が正しければ、原理的に気づけないことになる。だからこれは、推論を導くための推論でしかない」

 そういうマッキンタイアの記述から、「徳倫理学」について語り出す。
 正しいってなに? 善きことってなに?
 それを導き出す手段とは?

 いま我々が立っているのは、「物理公式が一切失われた世界で、太陽は東から昇る、ということを推論せよ」というような、大変ムチャな状況である。そのうえで「正しい、善きこと」を決めていく、ということなのだ。


 でもかなり刺激的だ。そして最後まで読める自信がまったくない。
 あうー。

        ※

 それとはまた別に、山口県光市母子殺人事件に関して、一番なるほど! と思える文章に出会った。法哲学の助教授である おおやセンセ の論考である。


 では裁判とは何か。過去の痕跡である証拠と、過去への推測である証言をもとに、どのような出来事の連鎖を想定したらそれらがもっとも矛盾なく理解できるかを双方当事者が提案し、それをもとに裁判官がある特定の展開を「過去の事実」として権威的に確定するようなものである。出来事が因果関係によって結ばれた連鎖のことを、「物語り」(ナラティブ)という。裁判とは、過去を合理的な物語りとして理解し、再編しようという社会的な営みなのである。
<4月23日付け 「引き続き原稿」 より引用終了>

 ここにおいて注目しなければならないのは、「合理」の取り扱いである。
 この場合の合理とは、「近代合理主義に照らす合理」、という意味だ。

 我々はいま、タイムマシンに乗ることはできない。
 過去に遡ってある事件について「あの時はどうだったの?」と見て帰ってくることはできない。

 特に問題になるのは「殺意」だ。
「殺そうと思って殺した」のか、あるいは「殺すつもりはなかったが、殺してしまった」のか、そんなことは 殺人事件を犯した本人ですら わからない。
(まったく同じことが「恋心」、「浮気心」にも言える)

「証言」とはあくまでも、どこまでいっても、「過去への推測」なのだ。

 では「わからない」我々はどうすればいいのか。
 それでも社会生活を営んでいくためにはどうすればいいのか。

「物語る」しかないのだ。
「物語」を書き記し、述べ、主張し、最も納得できる(あるいは最も納得させられる)ことを選び取っていくしかないのである。

 裁判は字義どおりの「真実」を探すものではない。
 否、裁判においての真実とは、「合理で考えて最も納得できる過去の物語」を選び取っていく作業なのである。


 私の探しものはまだ見つかっていないが、大変感銘を受ける記述に出会うと、自分が少しだけ賢くなったような気がして嬉しい。





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Last updated  2006/07/14 03:21:47 PM


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