性善説・性悪説が話題になりますが、本来はニュートラルのどちらでもない存在。
全ては相対的な関係で決まります。
ある決め事が有ったとする。
それを守っている側は正しい人で、そうでない人は悪い人です。
一般社会では数が多い方が、正しいとされているに過ぎない。
本当に正しいか否かは別の問題。
初めは「悪」という言葉も無かったはずです。
全体の秩序を乱す者が現れた時に、「悪」の概念が生まれる。
それに付随して「悪」に対応する形で、「善」という言葉が生まれる。
不味いものがあるから、美味いものの価値がある。
ブスがいるから、美人が際立つ。
日向があるから、日陰が出来る。
強者がいるから、弱者が生まれる。
資本主義に対抗して共産主義が生まれる。
高いところがあって、低いところがある。
熱いのがあれば冷たいという比較が生まれる。
「しあわせ」も同じこと。
苦しい、辛い、悲しい、体験をした事がない人には、
「しあわせ」の意味がわからない。
生まれたときから全てが揃っていて、一見何不自由の無い環境。
そこから幸せを感じる事はかなり難しい。
その置かれた状況が基準となり、それ以下が不幸で、それ以上が幸せ。
欲望にはキリが無く、それ以上のものを際限なく追い求める。
基準が高いほど、欲望も大きくなる。
「足るを知る」ことから益々遠ざかっていく。
発展途上国では、鉛筆をたった一本手に入れただけでも、喜びはものすごく大きい。
絶対的な幸せなんていうものは存在しない。
不幸の反対側に幸せがあるんだから。
今幸せな人は、その幸せの意味をじっくり考えるといい。
◆☆ ユーモアと自己マネージメント 2025.04.07
★☆ 歩くだけでたくさんの効果が・・ 2024.11.15
〇 これから何を目指して生きてゆく? 2020.06.03
PR
カレンダー
キーワードサーチ
サイド自由欄
コメント新着