識れば識るほど、人は無口になってゆく。
識るということは知らない事を識ることでもある。そうなれば安易に物は言えなくなるし、知識をひけらかすことも出来なくなる。
やたらと自分を語り、知っている事の有りっ丈を吹聴しないと気が済まない人がいる。自分を認めてもらいたくてうずうずしている。
難しい言葉を使いながら格言や先人の言葉を引用し、自慢げに知識を披歴しては盛んに同意を求めてくる。
相手の言う事に関心はなく、自分の話を押し通すことにのみ情熱を傾けてくる。誰かが言った、どこかに書いてあったことばかりで、自分の意見、自分の見識というものがない。
そういう人の根底にあるのは劣等感。自信がないがために湧いてくる焦りがそうさせる。
認めてもらいたいと思えば思うほどそれは強くなり、たとえ相手が同調してくれたとしても決して満足はできない。
自分に自信がないという状況はそう簡単に凌駕出来ないので、結局は堂々巡りに陥ってしまう。
大甕に水を流し込めば、満ちるほどに静まり返って行く。そして最後にはほとんど音も立てなくなる。満々と湛えた水は、何も求めず、何も語らず、ただ平らに光を放っているだけ。
明鏡止水の境地にはなかなかなれないものですが・・・・。
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