
歩き始めて直ぐに足が疲れているなあと感じる。一昨日、尾行ウォークで無理をしたのがまだ残っていたようだ。その時は何も感じていなかったのに、体の方は結構堪えていたらしい。まあ、往路だけでも歩き通さないと様にならないと思い、何とか歩き通した。
初めて歩く道だったが何ら面白い発見もなく、若いころにヒッチハイクをやりながら歩いた事などを思い出していた。ずうっと情けない自分と向き合いながら、こんな道路の端を歩いていたなあと・・・。
若草が朝露に濡れて輝いている
持参した「未本(みほん)」が切っ掛けになり、住職が心酔・私淑している白井晟一という建築家の話になった。白井晟一は、哲学者でもあり書家でもある。本の装丁も手掛けるこの人の自著を装丁するにあたって、有名なルリユール作家に表紙を依頼し、鹿皮の豪華本に仕立てた建築の本を住職が所蔵している。自分の礎になっている本だという。
白井晟一の字は、潔い外連味の無い字だ書道の腕も並々ならぬものが有る。習った字ではない独自に突き詰めた文字には哲学的な要素が漲っている。その作品集である「顧之書」の初版限定品の第弐番というのを持っていて驚いた。何でも、奥さんとの仲を取り持ってくれた人の友人が、白井晟一が終の棲家とした「虚白庵」が解体されるにあたって、所蔵品の行先をあれこれ手伝ったことから譲り受けたものらしい。住職が白井晟一を私淑しているという事が分かり、それならということで預からしてもらっているという。
驚くのはその白井晟一が手本としていた「顔真卿」の原本の写しが貴重な掛け軸になっているものまであったことだ。王羲之と並び称され、王羲之の様な華美さはないがその乱れの無い確固とした字に白井晟一は心酔していたらしく、収蔵品としてあったものを同時に譲り受けたものらしい。
白井晟一は、建築が自分の手をはなれて現場の作業に入るとやることが無くなるのを機に、その現場が肉体的作業を続けている間中、書を書いていたという。
親和銀行コンピューター棟 懐霄館
ただただ一心に書に向かうことでその建築と気の疎通を図っていたのかも知れない。或いは、肉体を書にぶつけることで自分の中に宇宙を築き、その中に身を置くことで建築と精神の一体化を図っていたのかも知れない。この住職は懐が深く人柄もよくて人望も厚い故、色んなご縁が繋がっていくようだ。橋本関雪の宝塚にあった別邸がこのお寺の境内に移築されているのも興味深い。「冬花庵観音堂」として文化交流の場として提供している。
何の話にしても独自の考えを持っている人と話をするのは楽しい。和菓子にお茶、1個300円という苺など頂いて、あっという間の2時間が過ぎた。十分に休憩が出来たと思い、復路も歩いて帰ることにした。一応、何時リタイアしても良いように電車道に近い道路をゆく。この道は何度も通っている道なので、さして面白くもないが仕方がない。ただ只管に歩く。
セントレアに向う飛行機
弱い南風が吹いていて、セントレアに着陸する飛行機が北から下りてくる。この轟音が北側に位置する吾が知多市に響き渡るのだ。常滑の市内では距離も離れているし、真横になるので余り騒音にはならない。煙突の煤煙と同じで、地元ではなく離れた場所に公害をまき散らすのだ。
海を見ながら歩くのは良い気分だ。3時間掛かって漸く家にたどり着いた。歩数42,000歩余り、距離にして36キロほど。腰が痛いのは姿勢が悪いからか、とにかく疲れた。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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