歌 と こころ と 心 の さんぽ

歌 と こころ と 心 の さんぽ

2019.01.20
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テーマ: 短歌(1719)
カテゴリ: 心 想い

♪ 過去にのみ居場所のあるを疑わず時の流れに背を向ける人






 鴨長明の方丈記、
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。・・・」のように、すべては時と共に流れ去っていく。

 その流れ去っていった過去に固執するほど無意味なことはない。しかし、その過去に縋って生きている人のいかに多いことか。過去の来し方を褒めてもらうことで、自分の存在意義を見出そうとする。碁会所に通い、碁を差しながら自分は “どこどこの大学を出た” とか “有名企業の部長だった” と自慢しながら、相手と比較しあるいは相手を見下しては満足する。
 ゴルフ場やクラブなど様々な社交の場で、日々同じことが繰り返されている。過去の経歴を捨てられず、過ぎ去っていった思い出の中に生きている人々。

 この様な人々は “生きた屍” 同然であって、脳は活性化されることなく間違いなく呆け老人になってゆく。
 脳の為には、新しいものにチャレンジすることが一番いいわけで、思い出の中に埋没しては脳が死滅し萎縮してゆくばかりだ。
 口先でいくら大ぶろしきを広げて見せても、脳の活性化には繋がらない。好奇心と探求心をもって、例え小さな事でもやった事のない事に挑戦していくことが必要。過去なんか披歴して自己満足したところで、周りの誰も喜ばないし魅力を感じることもない。



 立派な葬儀をするのは(亡くなった人の供養もさることながら)、残された人々の心を静め、癒すためだ。有名人の「お別れの会」にしてもそれは明確なこと。
 「立派な葬儀をしてほしい」と言い残して死んでゆく人は、案外少ない。有るとすれば、残された人たちが肩身の狭い思いをせずに済むための方便に過ぎない。

 一線を退いてからもまだ存在を知らしめ、生きて来た証しを認めてほしいという思いは、一体どこから来るのだろうか。過去に未来はない。当たり前の事なのにそこへ焦点が当てられる。歴史に名を残こそうとする足掻きにも見える。
 現世の水面から、過去という水中に潜って魚を追い、未来という空中に飛び出してゆくという夢。「川鵜的幻想」とでも名付けましょうか。






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最終更新日  2019.01.21 07:49:19
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◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題しました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
◆2017年10月10日より つれずれにつづる「みそひともじ」と心のさんぽに改題しました。
◆2019年6月6日より 「歌とこころと心のさんぽ」に改題しました。
「ジグソーパズル」  自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)

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