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こんばんは☆久々に戻って来たのに、なかなか時間が取れなくなってしまった実は、水周り(風呂・洗面所・トイレ)のリフォームをすることになり、まだ始まってないのだけどかなり忙しい。リフォームに向けて11月の頭から動き始めたのだけど、ショールーム見学やら大工さんとの打ち合わせやら、何かと忙しい。今日になって、最終見積もりもほぼ終わり、ホッとしたとこだけど、事前にいろいろ片付けなくてはならず、まだまだ忙しい日は続きそう☆さて、前回の続きですが、私の言葉が足りなくて(おかしくて?)余計な心配をさせてしまっているようで、申し訳ないですゴメンナサイ今は(と言うか、緊急入院を告げられた時もなんだけどね)普通に日常生活を送っていますので、ご安心くださいませ。>余命宣告を受けるも、誤診でもなく、克服でもなくなんて分かりにくい表現でしたよね一般的にあまり予後のよろしくない病気ではあるのだけど、急性だったら、日単位で意識がなくなり、週単位で命が危ない。ということだったらしい。 で、私の場合は急性ではなかったと。だけどこの病気、ネットでいろいろ調べても5年生存率が40%以下とかちょっと厳しそう。先生に宣告を受けた日も、私よりも先生がやたらあわてていた。あまり先生が動揺している風なので、>先生、私そんなに悪いんですか?>がんですか?と聞いたくらい。そしたら先生、>がんじゃないよ!がんより悪いよ!!>がんなら、緊急入院なんて言わないよ!!な~んて、ますます脅かしてくれます。私が即入院嫌だと言ったからだと思われる。この病気大きく分けて7種類の型があるのだけどレントゲンやCTで判断するのに、初期の段階が似ている2つの型があってそのどちらかは、さらに詳しい検査をしなければわからないという状態で(こればっかりは、この段階でどんな名医が診てもわからないらしい)で、私のがそのどちらか分からない2つの型のどちらかということだった。(初診時)結局、その後の経過や精密検査の結果、急性じゃないことが分かったのだけど、私の患っている病気の型は、余命だけで言うとあるサイトによれば20年後の生存率がほぼ100%近くあるグラフを後に見つけたので、まぁそれを信じましょう。☆さて、殆ど自覚症状がないのに、何故に医者にかかろうと思ったか…。実はワタクシ今年の5月にスポーツジムに復活いたしまして今までせっせと月謝だけ払い続けた3年半を取り返そうとそれはそれは毎日熱心に通い始めました。その甲斐あって3ヶ月経つ頃には4kg痩せましたのよん!笑スゴイデショ4年前にジムに通っていた時は6ヶ月で10kg痩せたのだけど今回もなかなかいいペースでしょ?ちょっと脱線気味だけどお付き合いくださいませネ今回は、スタート時点で前回よりも4kg減のスタートだったから4kg痩せたってことは、前回到達した最低体重まで後2kgまで迫っていたのですよ!これが8月時点のお話。ますます脱線だけども、入院前の10月はじめ、約6kg減だったのが先生のショッキングな宣告で一晩で1kg痩せ7kg減になり退院してから今まで3kg痩せたので最終的に10kg減、4年前ジム通い前に比べたら14kg減ってことですわよ☆はい、本筋に戻ります順番グチャグチャで申し訳ないけど実は母が6月に救急車で運ばれまして、約1ヶ月入院しておりまして4年前にジムに通い始めた時も、母の入院がきっかけで、ジムを辞めてしまったので、今回は絶対に両立させようと、時間を盗むようにして、通い続けたのでした。(半ば意地!)母は退院後も体調が優れず、とは言え、検査してもどこも悪いところがなく精神的、神経的なものなのだと思われるのだけど私はそれにストレスを感じていたのよねぇ、かなり。母、入院中、眠ってばかりで意識が不鮮明なこともあったりしたのでお医者様から特に「会わせたい人がいたら…」みたいな話があったわけではないのだけどなんとなく不安になって、当時ベルリン在住の長女も呼び寄せたりして…その頃長女はドイツを引き上げてアメリカに引っ越す予定があって、かなりバタバタしていたのだけどなんとしても長女を溺愛している婆ちゃんの一大事ってことで長女を呼ばずにはいられなかったというのもあり。長女は9月半ばからアメリカで働くことになっていたのでもともと8月は日本に長期滞在予定ではいたのだけど少し前倒しをして7月頭に日本に帰って来ることになった。だけど、8月頭にはアメリカでイベントがあって、長女は正式入社前ではあったのだけど、手伝いを頼まれていたので一度アメリカに戻り1週間ほどお手伝いをし、また日本にトンボ帰り、そして9月頭にベルリンに戻り、引越し準備を数日で済ませ、アメリカに渡ったのだった。けど、その日本を去る日(9月頭)の2日?3日?前に、または母救急車で運ばれたのだ最初、総合病院に運ばれたのだけど、専門医の方がいいでしょうと応急処置の後、別の病院に搬送された。その母が転送された病院こそが、今回私が入院した病院。母が転送された時、自覚症状がちょっとあった私は「私が診て貰いたいくらいだよなぁ」と実は思っていた。その日は母入院するには至らず、帰されることとなる。私の自覚症状がちょっとあった、と言うのは、実は日常生活では何も分からなかった。スポーツジムに行った時だけなんとなくおかしいぞと感じ始めていたのだった。それが8月中ごろ、母が救急車で運ばれたのが9月の1日。おそらく、スポーツジム通いを復活させていなかったら今も病気に気付かないままだったと思う。ずーーーーっと行っていなかったスポーツジム通いを復活させたおかげで…そんなラッキーな偶然がいくつも重なって起こったのだった。☆つづく☆
2013.11.27
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またまた長い留守の間に、ちょっと驚きの体験をした。ちょっとではないなぁ…ちょっとどころかこんな体験した人はそう多くはないだろう、多分。10月に余命宣告(ちょっと大げさだけども)を受けた。誰の?って…私でございます。それも、長くても数週間、つまり1ヶ月ないってこと!?そう言われた本人は、食欲もあり(苦笑)至って元気!!ケロッとしてる。だって数日前にはスポーツジムだって行って来た。ぜんぜーん、実感なんて沸かない。自覚症状、普段の生活では殆どなし。先生にもそう訴えたが、それがこの病気の怖いところだとおっしゃる。>入院時はみなピンピンしてる。だけど3日後には>人工呼吸器に繋がれて意識不明なんてことが大いに>ありえる。と言うことで、即刻入院するよう告げられた。そりゃ、無理だ。両親の介護(もどき)もあるし3日前には父のがんセンター通院(定期健診)に付き添ったばかりその時、同じがんセンターで従兄のお嫁さんが、4cmのすい臓がん宣告(何故かその場に立ち会った父と私)何かとお世話になった従兄のお嫁さん、入院前検査や入院に際し、いろいろお手伝いをするつもりでその旨従兄のお嫁さんにも伝えたばかりだ。だけど、今日(私が宣告を受けた日)の話だとすい臓がん宣告をされた従兄のお嫁さんより私の方が>お先に~になりそうだ。なんてこったい!!ま、そんな話をまた少し綴ってみようと思い数ヶ月ぶりにここに来てみたのだけど…とても長いので少しずつ少しずつマイペースで。あ、でもね、心配しないで!今現在、宣告から1ヶ月以上経っても生きてるし3日後に意識不明にもなってないしまるで病院をあげて壮大な「ドッキリ」でも仕掛けられたのかしら???と思ってしまうような出来事ですわよ~~!いやいや、気づいてなかったけど、さらにビックリ!!今日、退院してちょうど1ヶ月でした、あら何という偶ぜ~ん!!それでここに来る気になったのかしら?ま、そんなわけで、nonohana生きてます!!余命宣告が、誤診だったわけでもなくかといって余命幾許もないところを克服してめでたく復活したわけでもなく病気は病気なんだけど(今は投薬治療中)とりあえず、意識不明にもならず生きてます、それも元気にね!つづく☆ちょっと人生観が変わったような(気がする)nonohanaでした☆
2013.11.18
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