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この日記は更新する予定。(16時35分更新)取り急ぎ「イラクで日本人拘束」関係のニュースを転載します。人質の香田さん 家族・知人無事祈る 父母涙で「助けて」 制止聞かず戦地へ(西日本新聞)イラクで拉致された日本人は、福岡県直方市出身の香田証生(しょうせい)さん(24)だった。二十七日、イスラム過激派を名乗る男たちに髪をつかまれた香田さんをテレビ映像で確認した実家の家族。両親は「若い命を奪って、どうなるのか。とにかく助けてもらいたい」と涙を流して訴えた。周囲の人たちもかたずをのんで、早期解決をひたすら祈った。直方市植木にある香田証生さんの実家は二十七日朝、すべての窓のカーテンが閉じられた。実家には、父真澄さん、母節子さん、祖父、妹の五人が暮らしている。実家周辺は直方署員が警備して立ち入りを制限している。正午すぎ、直方市幹部三人が香田さんの実家を訪問。三十分ほど両親と話した後、則松正年・同市企画財政部長が報道陣に対し、状況を説明した。それによると、香田さんは働きながら語学を勉強する目的で、今年一月、ワーキングホリデーでニュージーランドに行った。九月に家族がニュージーランドにパソコンを送ったきり、連絡はない。二、三日前、外務省から実家に「息子さんがイラクに行ったようだ」という連絡があった。両親にはイラク行きの心当たりはない。両親は「息子は犯人の言うような、自衛隊関係者ではない。若い命を奪って、どうなるのか」と、解放を訴えているという。母親の節子さんは泣き崩れているという。直方中央病院(直方市感田)によると、母親の節子さん(50)は同病院勤務の看護師。二十七日は午前零時から同八時四十五分までの深夜勤務を終えて帰宅した。仕事中に「イラクで邦人拉致事件発生」のニュースが流れていることを知人から聞いていたらしい。父親の真澄さんは体調を崩しており、東京やイラクに簡単に行ける状況ではない。直方市は正午、家族との連絡調整のため、総務課内に「対策本部」を設けた。近所の男性は「二十六日に香田さんの母親に電話したところ、『うちの息子は海外に行っている』と話していた」という。また小中学校時代の同級生は「テレビを見て驚いた。無事生きて帰ってきてほしい」と話した。 × ×「旅行が目的バス予約」 直前 法人にイラク行き決定拘束された香田証生さん(24)は、連れなしに一人でイラクに渡ったとみられる。周囲には「イラクを見てみたい」と語っており、契約による取材やボランティアではなく、イラクを見聞しようとの目的で入国した可能性が高い。東京在住の映画監督四ノ宮浩さん(46)は現地時間の二十日夜、人質になった香田さんと、同宿したヨルダンの首都アンマンの「クリフホテル」で会った。四ノ宮さんによると、香田さんは「旅行で行きます。バグダッドへ向かうバスを予約しました」と話したという。四ノ宮さんが「私もビザ申請をしているが、街を出歩けないほど危険な状況だ」と思いとどまるよう諭したが、「大丈夫ですよ。どうしても行きたいんだ」と言って出発したらしい。心配してバス停までタクシーで付き添った四ノ宮さんは、ビザが発給されなかったため日本に帰国。「体を張ってでも止めればよかった。無事を祈るしかない」と話す。四ノ宮さんによると、香田さんは七―八カ月前にニュージーランドで語学を勉強後、二、三カ月前にイスラエルに入国。ヨルダン経由でのイラク行きを決めてクリフホテルに宿泊していたようだ。同ホテル従業員のサーミル・アラハミディさん(30)は、「香田さんは十九日夜、ホテルに来て一泊し、翌日夕方にバスでバグダッドに向かった。『五、六日で戻る。ホテルには泊まらないだろう』と話していた。『危険だ』と止めたが、『何が起きているのかを見たい』と話していた。所持金も多くなく、旅行が目的のように見えた。ホテルに小さなバッグを残していった」と話している。周辺によると、香田さんは地元の中学を卒業。東海大第五高(福岡県宗像市)を二年のときに中退、通信教育で高卒の資格を取得したという。その後はフリーターとして働いていたらしい。 × ×「教え子がまさか…」 母校会見香田証生さんが高校二年生の終わりまで通学していた東海大第五高校(福岡県宗像市田久、松岡哲校長)の当時の担任平田恒敏教諭(54)は二十七日正午ごろ会見し、「まさか自分が担任をしていた生徒だとは思わなかった。名前を聞いて、すぐに彼の顔が浮かんだ。本当にびっくりした」と動揺した表情で語った。平田教諭によると、香田さんはまじめで誠実な人柄だった。生活態度や成績もよく、学校行事にもクラスメートと協調性を持って取り組んでいたという。香田さんは二年生の半ばごろ、平田教諭に「通信制の学校で自分の力を試したい」と相談。一九九七年三月末付で同校を転出し、通信制高校の「NHK学園」に転入したという。平田教諭は「転校してからは会っていないので、なぜ彼がイラクにいたのかは分からないが、願わくば無事に帰ってきてほしい」と話した。また、香田さんの出身校で、福岡県直方市にある植木中学校の石田栄一教頭(53)は、「ニュースを見て驚いた。とにかく無事に釈放されて帰ってきてほしい」と心配そうに話した。(西日本新聞) - 10月27日14時59分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041027-00000075-nnp-kyu2004年10月27日 10:36 「イラクに行っている」と家族 拉致された香田さんイラクで拉致された香田証生さんの福岡県直方市の家族は27日、共同通信の取材に対し「イラクに行っている家族がいる。いま忙しい」と述べた。---------------------------------2004年10月27日 13:24 命を助けてと香田さん両親 福岡の自宅でイラクで人質になった香田証生さん(24)の両親は27日昼すぎ、福岡県直方市の自宅で、市職員に「若い息子の命を奪ってどうなるのか。とにかく助けてもらいたい」と話した。 http://www.373news.com/context.php?id=FN2004102701003283&genre=General語学勉強でNZへ=涙ぐむ香田さんの母、「命を助けてほしい」-邦人人質福岡県直方市植木の香田証生(24)さんの実家には27日午後、直方市役所職員が訪れた。面会した職員によると、両親は「息子は今年1月、語学の勉強のためニュージーランドに行った。イラクにいるのは知らなかった。とにかく命を助けてほしい」などと話した。母親は涙ぐみ、父親は「息子は自衛隊とは関係ない」と話した。ニュージーランドでは働きながら勉強しており、12月に帰国予定だった。7月までは直接連絡があった。9月には、県内の香田さんの兄のところに「パソコンを送ってくれ」という連絡が入り、両親が送ったという。2、3日前、外務省から「息子さんはイラクに行っているのか」と問い合わせがあった。 (時事通信) - 10月27日14時1分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041027-00000448-jij-soci国際テロ専門部隊派遣へ=対策室設置で情報収集-警察庁 イラクの日本人人質事件で、警察庁は27日午前、海外のテロ事件捜査専門部隊「国際テロリズム緊急展開班」(TRT-2)を現地に派遣することを決めた。行き先や時期は未定という。 警察庁は、今年春に日本人3人がイラクで人質になった際も、TRT-2の前身「国際テロ緊急展開チーム」(TRT)を隣国ヨルダンに派遣。解放に向け、現地当局との調整に当たった。今年4月の警察法改正で、捜査援助、人質交渉も可能になっており、同庁は今回の事件に関する情報収集を進め、専門能力を備えたメンバーの人選を進める。 (時事通信) - 10月27日13時1分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041027-00000416-jij-soci武装勢力が邦人拘束、自衛隊撤退を要求…福岡の男性か【カイロ=岡本道郎】イラクで暗躍するヨルダン人テロリスト、アブムサブ・ザルカウィ容疑者の率いる「イラクの聖戦アル・カーイダ組織」と名乗る武装組織は26日、拘束した日本人とみられる男性1人の映像をインターネットで流し、日本政府が48時間以内にイラクに駐留する自衛隊を撤退させなければ男性を殺害するとの声明を出した。 外務省によると、この男性はイラクに滞在中の福岡県出身、香田証生さん(24)とみられる。父親が本人と確認し、同省に連絡した。 香田さんとみられる男性は映像の中で、小泉首相に対し、日本語で、「彼らは自衛隊が撤退しなければ首をはねると言っています。すみませんでした。また日本へ帰りたいです」とところどころ声を詰まらせながら訴えた。イラクでの日本人拉致は、今年4月にフリーライターの郡山総一郎さんら計5人が拉致(いずれも解放)されて以来、6か月ぶり。 (2004/10/27/10:55 読売新聞 無断転載禁止) http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041027it02.htmイラクで日本人男性拉致、福岡出身の香田証生さんか http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200410270086.html「僕の首はねる」と訴え 香田さんが救出懇願【バグダッド27日共同】「僕の首をはねると言っています」「すみませんでした」--。イラクでイスラム武装勢力に拉致された香田証生さん(24)が26日、ウェブサイトで流された映像の中、声を詰まらせ謝罪しながら必死に救出を懇願した。「48時間以内」のイラクからの自衛隊撤退を日本政府に迫る犯人は、うつむく香田さんの背後に立ち、髪をわしづかみにして顔をビデオカメラに向けさせる。恐怖におののく香田さんの顔が大きく写し出された。長髪に白いTシャツ姿の香田さんは、武装した全身黒ずくめの男3人の前に座らされ、「彼らはなぜ日本政府が法を破ってイラクに自衛隊を派遣したのかと尋ねています」と英語で話し出した。(共同通信) - 10月27日12時20分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041027-00000092-kyodo-int自衛隊を撤退しないとの日本政府の決定を支持=駐日米大使[東京 27日 ロイター] 外務省は、ベーカー駐日米大使に対し、イラクでの人質事件への政府の対応について伝えた。これに対して、ベーカー駐日大使は、自衛隊をイラクから撤退する考えはないとの日本政府の決定を支持し、敬意を表すると語ったという。 外務次官からベーカー大使に対して、「イラクで邦人が人質になっているとの報道があるが、この件に関して、対策本部を設置して確認している」と伝えたうえで、自衛隊を撤退させない方針を伝えた。これに対して、ベーカー大使は、「自衛隊をイラクから撤退する考えはないとの日本政府の決定を支持し、敬意を表する。米国側として、できる限りの協力を行うことを保証したい」と語った。(ロイター) - 10月27日12時5分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041027-00000695-reu-int
2004年10月27日
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新生銀行についての“基礎知識”を、HEATなりに少し復習してみようかな、と。新生銀行の前身である日本長期信用銀行は1998年10月に破綻し、政府が一時国有化(特別公的管理)、債務の約9割のカットをしたうえでリップルウッド・ホールディングスへ売却しました。日本政府が18ヶ月間の特別公的管理期間中に投じた公費は約8兆円です。それに対し、リップルウッド・ホールディングスが要した経費は、譲渡された後に資本増強のために注入した1200億円を考えなければ、日本長期信用銀行買収に払った10億円だけです。約8兆円という巨額が投じられた「銀行」を、自己資本10億円と投資家から集めた1200億円のわずか1210億円で買収し、日本長期信用銀行が破綻してから約5年4ヶ月後の2004年2月19日、新生銀行は東京証券取引所に上場、売り出し価格525円の株価は827円で取引を終え、リップルウッドを含めた「オランダ籍」のニュー・LTCB・パートナーズは、2200億円から2500億円もの上場益を得ました。そして今月20日に報じられたように、今回の2次売却で再び約2900億円という巨額を手にします。しかも、日本とオランダが結んだ条約により、オランダに設立した投資ファンドには課税出来ない。つまり、課税権がない。(リップルウッドは他の金融機関などと共に持ち株会社ニュー・LTCB・パートナーズを通じて「新生長銀」を子会社にしましたが、出資する金融機関は、メリルリンチ、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター、ペイン・ウエバー、GEキャピタル、シティートラベラーズグループ、メロンバンク、ABNアムロ、ドイツ銀行、ロスチャイルド銀行など)リップルウッドを「さすが!」と褒めるべきか、日本政府が「バカ」だったと言うか、どちらも「グル」だっと受け取るか、ま、いろんな「評価」があることでしょう。政府が投じたのは約8兆円でしたが、新生銀行が上場した2月19日の終値827円という株価で新生銀行の株式時価総額を計算してみれば、その額は1兆1235億円です。てことは、このときの新生銀行が7つほど買える額が8兆円という巨大な公費だったのですね。それを10億円で売った。ちなみにビル・ゲイツの資産総額が約5兆3千億円です。10億円で長銀を買収した「リップルウッド側」は、なんとファミリー企業に21億円の顧問料を振り込ませていました。これには非難の声があがり、この顧問料は返却されましたが、ニュー・LTCB・パートナーズが相談料という名目で約27億円をしっかり受け取っていたのですね。21億円のことが発覚しなければ、合計約48億円という金額を受け取っていたはずです。もう一度いいますが、「リップルウッド側」は10億円で長銀を買収し、相談料を約27億円受け取っているのです。アホくさ。リップルウッドの日本進出の水先案内人を務めたのが三菱商事。三菱商事がリップルウッド本体に出資し、三菱商事会長の槙原稔(現相談役)氏は、新生銀行の非常勤(社外)取締役に就任しています。長銀破綻・売却のアドバイザー契約を「日本側」と結んでいながら「瑕疵担保特約」を認めたのがゴールドマン・サックス。長銀売却の圧力を日本政府にかけたのが米国財務省だったと言われており、アドバイザーにゴールドマンを推したのがゴールドマン・サックス元会長のルービン前財務長官だったとされる。買い手側として交渉に臨み、現在も新生銀行の社外取締役を務めているJ・クリストファー・フラワーズは、「ゴールドマン・サックスグループ世界的活動の責任者」として平成10年までゴールドマン・サックスにいた(元共同経営者)人物だった。このフラワーズが先ほど書いた「返却した21億円」を振り込ませた1人でもあったのだ。ゴールドマン・サックスが長銀から受取ったアドバイザー料は6億円だったが、長銀の資産を算定した報告書を新生長銀に55億円で買取らせたと言う話まである。ゴールドマン・サックスが買収先として推薦したのがリップルウッド・ホールディングであり、ゴールドマン社で長銀処理を担当したユージン・アトキンソンは、その後リップルウッドの副社長に就任している。さらにゴールドマン・サックスの受け取ったコンサルタント料は200億円とも言われている。そして、長銀を10億円で“身内”に売ったのである。これらは、「出来レース」どころか「むちゃくちゃ」な話ではないか。新生銀行は300を超える企業を倒産させ、それによる損出額は税金で補填しています。さて、長銀から新生銀行へと“変貌”する過程などに登場した“大物”を、何人か以下に並べてみましょう。● デイヴィッド・ロックフェラー(ロックフェラー・グループ元会長)● ポール・ヴォルカー(元FRB議長)● バーノン・E・ジョーダン(ラザード・フレール社長)この3人は、ビルダーバーグとCFRの両方の重要メンバーでもある。● ロバート・ルービン(元ゴールドマン・サックス会長、元財務長官)● マーティン・マックギン(メロン銀行会長)日本人は、● 槙原 稔(三菱商事会長、IBM取締役)● 八城政基(元エッソ石油社長、元シティコープ在日代表)● 樋口廣太郎(アサヒビール名誉会長、経済戦略会議議長)● 今井 敬(新日鉄会長、経団連会長)ま、こんなところでしょうか。で、中心にいたのが、ティモシー・コリンズ(リップルウッドCEO)ということになるでしょう。 新生銀行のサイトでは役員の経歴等が紹介されていますので、何人かの経歴を転載(見やすく配置を少し換えます)してみます。デイヴィッド ロックフェラー 取締役(社外取締役)(大正4年6月12日生)昭和21年1月 チェースナショナル銀行入行昭和30年3月 エグゼクティブヴァイスプレジデント(チェースマンハッタン銀行に名称変更)昭和32年1月 同行副会長昭和36年1月 同行頭取兼エグゼクティブコミッティ会長昭和44年3月 同行会長兼最高経営責任者昭和56年4月 ロックフェラーグループ会長平成8年1月 ロックフェラーセンタープロパティーズトラスト会長平成12年3月 当行取締役(現職)(2004年6月24日現在)ティモシー C. コリンズ 取締役(社外取締役)(昭和31年10月8日生)昭和49年1月 カミンズ・エンジン社入社昭和56年9月 ブーズ・アレン・ハミルトン社入社昭和59年8月 ラザード・フレール社入社平成2年1月 オネックス社入社平成7年10月 リップルウッド・ホールディングス社設立最高経営責任者就任(現職)平成12年3月 当行取締役(現職)(2004年6月24日現在)J. クリストファー フラワーズ 取締役(社外取締役)(昭和32年10月27日生)昭和54年3月 ゴールドマン・サックス社入社昭和61年 同社ファイナンシャル インスティテューショングループM&A責任者昭和63年12月 同社パートナー平成6年 同社ファイナンシャル インスティテューショングループ共同責任者平成8年 同グループ単独責任者平成8年10月 エンスター・グループ社取締役(現職)平成10年 ゴールドマン・サックスグループ世界的活動の責任者平成10年 ゴールドマン・サックス社退社平成10年12月 エンスター・グループ社副会長平成12年3月 当行取締役(現職)平成12年11月 J.C.フラワーズ社会長(現職)(2004年6月24日現在)八城政基 取締役 代表執行役会長兼社長(昭和4年2月14日生)昭和33年6月 スタンダード・ヴァキューム・オイル日本支社(現エクソンモービル有限会社)入社昭和39年2月 エッソ石油株式会社(現エクソンモービル有限会社)取締役昭和45年2月 同社取締役副社長昭和47年9月 スタンダード・オイル・ニュージャージー(現エクソンモービルコーポレーション)取締役会長特別補佐昭和49年6月 エッソ石油株式会社取締役社長昭和54年8月 エッソ・イースタン社取締役筆頭副社長昭和61年2月 エッソ石油株式会社取締役社長平成元年11月 シティバンク・エヌ・エイ在日代表平成4年1月 シティコープ/シティバンク・エヌ・エエグゼクティブ バイス プレジデント兼在日代表平成9年10月 シティコープ ジャパン会長(非常勤)平成11年9月 ニュー・LTCB・パートナーズ・C.V.代表平成12年3月 当行代表取締役会長兼社長執行役員平成16年6月 当行取締役兼代表執行役会長兼社長(現職)(2004年6月24日現在)ティエリー ポルテ 取締役 代表執行役副会長(昭和32年6月28日生)昭和54年9月 モルガン・スタンレー入社平成3年1月 同社マネージング・ディレクター平成7年9月 モルガン・スタンレー・ジャパン社長平成15年11月 当行執行役員副会長平成16年6月 当行取締役兼代表執行役副会長(現職)(2004年12月2日現在)(平成17年1月4日現在)取締役取締役 八城政基取締役 ティエリー ポルテ取締役 青木 昭 (日本証券金融株式会社相談役)取締役 マイケル J. ボスキン(スタンフォード大学教授)取締役 エミリオ ボティン(バンコ・サンタンデール・セントラル・イスパーノ会長)取締役 ティモシー C. コリンズ(リップルウッド・ホールディングス最高経営責任者)取締役 J. クリストファー フラワーズ(J.C.フラワーズ社会長)取締役 今井 敬(新日本製鐵株式会社 相談役名誉会長)取締役 可児 滋(元 日本銀行文書局長)取締役 槙原 稔(三菱商事株式会社相談役)取締役 ドナルド B. マローン (元 UBSペインウェーバー会長)取締役 マーティン G. マックギン(メロン・フィナンシャル・コーポレーション会長兼最高経営責任者)取締役 長島安治(弁護士)取締役 小川信明(弁護士)取締役 デイヴィッド ロックフェラー(元ロックフェラーグループ会長)シニア・アドバイザーポール A. ボルカー(元連邦準備制度理事会議長)バーノン E. ジョーダン(ラザード・フレール・アンド・カンパニー シニアマネージング・ディレクター)ジョン S. リード(元シティグループ会長) 役員の状況※ 参考 新生=日米オールスターズ銀行の行方 日本企業が「不平等契約」で占領されていく(ジャーナリスト有森隆) 日本企業が「不平等契約」で占領されていく(阿修羅メールマガジン) 新生銀行上場 外資系ファンドの実態 新生銀行再上場の苦み 新生日本※ 以下、気になった記事。ある機関投資家が、米国の基軸通貨特権について以下のような話をしている。通貨発行収入とは通貨発行権による利得で、通貨発行者だけが独占的に得ることのできる富のことだ。※ 全文は以下で。 米国のおいしすぎる基軸通貨特権
2005年01月22日
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「イ・アイ・イ」グループを率いた元東京協和信組理事長の高橋治則が18日に死去した。死因は「くも膜下出血」と報じられている。高橋は長銀破綻の黒幕的な存在としてマスコミに叩かれてきた「日本のバブルの申し子」である。日本のバブルを「象徴」する存在だった高橋を語らずにバブルを「総括」することはできない。高橋は95年に逮捕され、その後、1審2審とも実刑判決(平成11年10月に東京地裁にて4年6ヶ月の実刑判決、2年前の東京高裁で3年6ヶ月、上告)、つまり10年を超える争いをしていた重要人物なのである。「長銀=新生銀行」の「闇」を語る上でも、高橋の存在は特に重要であるはずだ。高橋の「イ・アイ・イ」は世界各国に多数のリゾートホテルを所有していた。その資産は3兆円とも言われていたが、これらの物件を調達するための資金は旧長銀がその殆どを提供していたのである。その旧長銀は新生銀行として平成16年2月19日に上場した。上場の少し前、新生銀行の破綻の危機が噂されたことがある。公的資金を8兆円も投入し「再生」した銀行が「破綻の危機」とはどういうことか。これが「イ・アイ・イ・インターナショナル関連訴訟」つまり「和解交渉」だったのである。破綻した「イ・アイ・イ」の資産が不当に安く売却され損害をこうむったとして、メインバンクだった長銀を相手に損害賠償を求めた訴訟がこれにあたる。この訴訟で旧長銀の不法行為が認定されれば、新生銀行が損害賠償を払うことになるのである。さらにこの訴訟は、東京以外でも、「イ・アイ・イ」がリゾート・ホテルを所有していたアメリカの各地でも起こされていた。これらの補償的損害賠償額が場合によっては、アメリカでの懲罰的損害賠償も合わせると、なんと最大で6兆円を超える危険を孕んでいたのである。グアムで起こされていた訴訟のなかで旧長銀の内部資料が大量に押収され、旧長銀が「イ・アイ・イ」から優良物件を騙し取りながら他の金融機関には追加融資をさせ、自分たちだけの延命のために「イ・アイ・イ」やその他の金融機関を詐欺にかけていたことが明らかになってしまったのであった。新生銀行は平成16年3月15日、東京地裁に和解希望の上申書を提出、4月10日には預金保険機構の子会社・整理回収機構(RCC)を仲介役として「イ・アイ・イ」の破産管財人と和解交渉をスタートさせていた。この和解交渉は新生銀行の上場後の出来事であり、主役は高橋治則である。高橋の長銀に対する怨念から新生銀行の上場目前に意図して起こされた訴訟であることは明らかだろう。和解は交渉最終日だった5月10日に成立した。追い詰められていたのはティモシー・コリンズを中心とするリップルウッド、そして外資から“リモコン操作”されている竹中平蔵大臣だったと推定できる。もしも新生銀行が再破綻するようなことがあれば、8兆円もの公的資金を投入した日本政府の金融政策の基盤が大打撃を受けることから、小泉首相にとってもなんとかしなければならない問題だったであろう。同じように、旧長銀を買収したリップルウッドの背後にいたゴールドマン・サックスや米国政府にとっても最悪のシナリオは悪夢だっただろう。それぞれにそれぞれの思惑がある和解交渉だったのである。和解は成立したと書いたが、合意した和解金額がなぜ「たったの」218億円だったのか不思議に思った。「巨額賠償請求」と見られていたのに218億円では安すぎる。この「低額和解」に反対する日米双方の訴訟弁護団を押し切って合意を図ったのが高橋だったと言われている。いくら「銀行の和解金額としては前例のない高額」だったとしても、こんな低額で和解するにはなにか“裏取引”があったと見るべきだろう。ところで、高橋が2審でも有罪判決となり上告中だった「背任罪」であるが、これは東京協和信用組合と安全信用組合に対する背任行為であった。高橋の主張は「本来なら長銀が弁済する責任があった」である。合意した「低額和解」218億円は、2信組に対する「背任額」221億円と同規模なのである。2004年6月16日、新生銀行から管財人の口座に和解金が振り込まれた(管財人が債権者に返済するので高橋の元には1円も入らない)。これらの動きと一致するように、破綻した東京協和信用組合の業務を引き継いだRCCが、高橋に「刑事上の法的責任を求めない」とする文書を差し入れていたのである。6月23日に交わされた合意書では、「以後、民事上および刑事上の法的責任を求めるものではない」とされており、つまりこれは刑事告訴していたRCCが高橋に対する告訴を取り消したことを意味する。さらに、新生銀行、破産管財人、清算人などのすべての関係者が、それぞれの立場から原判決の見直しによる、最高裁判所の再考を要望する事実確認書、並びに上申書を提出したのである。これは「わが国の裁判史上、稀に見る急転直下の動き」だという。さらにさらに、新生銀行はリップルウッドが旧長銀を買収したときの条件(条項)に基づき、和解金のうち174億円を預金保険機構(すなわち日本政府、つまり日本の税金)に支払い請求した。ここまで見てきて感じるように、なにかすっきりしないのである。上のほうでも書いたように、高橋は、1審で4年6ヶ月の実刑判決、2年前の東京高裁では3年6ヶ月と減刑されたが最高裁まで争う姿勢を崩していなかった。つまり、「2信組のカネを流用した背任というのは長銀の情報操作であり、2信組のカネには手をつけていない」と主張し続けそれを証明するために10年以上も裁判闘争をし、その裁判経費が40億円と莫大な金額になってもそれをまかないながら自分の意地を貫いていたわけである。高橋はこう語っている。「もし、自分が2信組の資金を私的に流用などしていたら、とても裁判は戦えないですよ。勝ち目なしですから、もう、『はい、はい』と、罪を認めて刑務所に入り、すぐ帰ってくる道を選びます。そうしていれば、もうとっくに決着していますよ。しかし、それでは私の良心というか正義感がもちません。自分や自分を信じてくれた家族や友人、そしてリゾート開発という戦場でともに闘った仲間の名誉のためにも、陰で積み重ねられてきた長銀の不正行為やリップルウッド、新生銀行のデタラメを許すわけにはいかないのです」このように強い意志を語っていた高橋だったが、「くも膜下出血」で2日前の18日に亡くなってしまった。59歳。産経の記事によると「新宿区の病院で死去」となっているが、そのほかの詳しいことはどこの新聞社もいまのところ報じていない。先日の「本間忠世の“死”に対する“闇”」を見てもわかるように、高橋のような重要人物が死んだ場合、それが病気・事故・自殺など、どのように報じられても、私は“事件”の可能性を疑うことを忘れないようにしている。アメリカで起こした裁判では、高橋が勝訴している。サイパンの裁判では、新生銀行に対する損害賠償請求額は「1兆円を超えるという額」になった。もし新生銀行が負ければ、懲罰的賠償(見せしめの効果を狙って)で請求額の3倍まで賠償させることが可能である。つまり3兆円‥‥「日本のバブルの申し子」が逝ってしまった。日本は「バブル」に踊り、そして「バブル崩壊」という経験をした。「バブルの申し子」は、自分を騙した相手に怨念を持ち、自分の正義感を信じ、名誉のために闘っていた。「バブル崩壊」と「デフレ不況」に苦しむ日本(人)は、“バブルの総括”をしたのだろうか。日本を支配しているのは米国である。「プラザ合意」も「前川レポート」も米国だった。現在すすめられている「郵政民営化」も米国から命令されたものだから政権は従うのである。小泉首相(政権)は2001年6月にブッシュ(政権)と「日米投資イニシアティブ」を設置したが、ここから命令されている「会社法制の現代化」という名の下に進められている「近代的なM&A手法」を受け入れ、それを平成19年(だったと思う)に解禁しようとしていることにも注意を向ける必要があるだろう。最新の「日米投資イニシアティブ報告書」は7月6日に公表されている。日米投資イニシアティブ報告書2005年7月(PDF形式)http://www.meti.go.jp/press/20050706004/050706nitibei2.pdf対外経済政策総合サイトhttp://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/n_america/us/index.html【ハゲタカが嗤った日】リップルウッド=新生銀行「隠された真実」http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200410010000/新生銀行http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200501220000/【週刊ポスト1999年10月15日号】長銀「われらが血税5兆円」を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ!http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/16461401.htmlイ・アイ・イ高橋治則氏死去=旧2信組背任事件で上告中旧2信組乱脈融資事件で背任罪に問われ、上告中だったリゾート開発会社「イ・アイ・イ-インターナショナル」元社長で、元東京協和信用組合理事長高橋治則(たかはし・はるのり)被告が18日午前9時36分、くも膜下出血のため東京都新宿区の病院で死去した。59歳。長崎県平戸市出身。遺族の希望で住所は非公表。葬儀は22日午後0時30分から東京都港区西麻布2の21の34の永平寺別院長谷寺で。喪主は長男一郎(いちろう)氏。1、2審で実刑判決を受け、上告していたが、近く公訴棄却される。 (時事通信) - 7月19日17時0分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050719-00000066-jij-soci※ 6月28日に国際熱核融合実験炉(ITER)の誘致・建設が南フランスのカダラッシュに決まったと正式に発表された。これは核融合(炉)により太陽で起きている現象を地上で再現し、そこからエネルギーを取り出す基礎技術を探る実験炉のことで「磁場核融合」である。核融合にはもうひとつ「慣性核融合(レーザー核融合)」がある。ITERの実験炉本体建設がフランスに決まったと発表された数日後、立花隆が、アメリカの核融合の拠点である「NIF」の全容を中心に、「ITER」の舞台裏など、核融合に関する興味深い記事を書いていた。この記事内容が本当なら、いろんな意味で、やはりアメリカは凄い国である。長文だけど、核融合をよく理解していなかった私にとって、かなり興味深い内容だったので紹介します。日本が「核不拡散条約」なんかを大義名分としてきたプルサーマルとか破綻した高速増殖炉なんてのは、いったいなんだったんだろうか。立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 ・第24回 国際熱核融合炉「ITER」 日本への誘致“失敗”の舞台裏・第25回 1枚の写真が指し示すアメリカ「ITER」撤退の真相・第26回 アメリカの最新核融合拠点 国立点火施設「NIF」の全容http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/28485541.html
2005年07月20日
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本日は、日本の中央銀行である日本銀行についてです。日銀総裁について、ですかね。リチャード・ヴェルナーの「円の支配者」によると、日本は敗戦から2001年までに26人が首相として君臨したが、この国は実はわずか6人に支配されてきた、と。その6人が、新木、一万田、佐々木、前川、三重野、そして福井である、と。過去50年間では5人である、と。さらに1962年から94年までという大事な時期(バブル形成から崩壊)には3人であった、と。これは、佐々木、前川、三重野である、と。こいつらが「円の支配者=日銀のプリンス」であるということです。現在の日銀総裁は福井です。福井もプリンスであると書かれています。ヴェルナーは2001年に書いたこの「円の支配者」の中で、福井が次の日銀総裁になると予言していました。で、その通りになりました。まずは、歴代の日銀総裁を並べてみましょうか。初代・吉原重俊(明治15年10月6日~明治20年12月19日)明治13年に大蔵小輔(次官)となり、在任中の明治15年に日本銀行創立事務委員に任命され、日本銀行設立とともに初代総裁に就任した。第2代・富田鐵之助(明治21年2月21日~明治22年9月3日)幕府の海軍奉行であった勝安房守の推薦により米国に留学、主として経済学を学び、ニューヨーク副領事、在英大使館1等書記官を務めた後帰国し、大蔵大書記官として日本銀行創立の事務に当たった。明治15年より副総裁として、初代吉原総裁とともに日本銀行創業期の中心的役割を担った後、明治21年に総裁に就任した。初代と第2代の両日銀総裁時代の大蔵大臣は松方正義でした。第3代・川田小一郎(明治22年9月3日~明治29年11月7日)第4代・岩崎弥之助(明治29年11月11日~明治31年10月20日)第5代・山本達雄(明治31年10月20日~明治36年10月19日)この第3代から5代の3人は三菱の人間だったようです。岩崎弥之助とは、三菱の創始者・岩崎弥太郎の弟で三菱財閥2代目総帥です。三菱が3代続けて日銀総裁を送り出したわけですね。第6代・松尾臣善(明治36年10月20日~明治44年6月1日)松尾が総裁の時の副総裁は、高橋是清でした。第7代・高橋是清(明治44年6月1日~大正2年2月20日)この人は有名人ですから説明はいらないでしょう。第8代・三島弥太郎(大正2年2月28日~大正8年3月7日)明治30年に31歳で貴族院議員に当選し、明治35年より予算委員として活躍。横浜正金銀行取締役、頭取を経て、大正2年、日銀総裁に就任。第9代・井上凖之助(大正8年3月13日~大正12年9月2日)大正12年9月1日は、関東大震災が起っています。第10代・市来乙彦(大正12年9月5日~昭和2年5月10日)第11代・井上凖之助(昭和2年5月10日~昭和3年6月12日)第9代の井上と同一人物です。井上は、横浜正金銀行頭取、日銀総裁、大蔵大臣を歴任しています。第12代・土方久徴(昭和3年6月12日~昭和10年6月4日)この時の副総裁が深井英五で、この深井が次の総裁に就任します。第13代・深井英五(昭和10年6月4日~昭和12年2月9日)深井は同志社を卒業後、国民新聞社に入社し、その後、大蔵大臣・松方正義の秘書官となり、松方の推薦で日銀に入行しています。第14代・池田成彬(昭和12年2月9日~昭和12年7月27日)池田は三井の人間のようですね。第15代・結城豊太郎(昭和12年7月27日~昭和19年3月18日)東京帝国大学法科を卒業後、日本銀行に入行。大正8年、大阪支店長兼理事に就任。大正10年に一転、安田善次郎亡き後の安田財閥の統帥者として招聘された後、日本興業銀行総裁を経て、日本銀行総裁に就任した。第16代・渋沢敬三(昭和19年3月18日~昭和20年10月9日)ご存知、渋沢栄一の孫。で、渋沢敬三の妻・登喜子は。岩崎弥太郎の孫である。さて、ヴェルナーの「円の支配者」に戻ります。渋沢が1945年10月まで総裁でしたが、後任が同10月から新木栄吉となります。最初に登場した人物です。新木は総裁になる2ヶ月前の8月に副総裁になっています。これはちょうど終戦時ですか。占領軍が選んだ人物なんかな?それで、1946年占領軍の承認を得て、一万田尚登が日銀総裁に任命されました。こいつも最初に登場した一万田です。敗戦後の日銀総裁ですから、こいつも新木と同様、とても重要な人物でしょう。なんせ占領軍の承認を得て就任しているんですから、米国からリモコン操作されている人物だったと考えた方がいいかと思います。しかもこいつは54年まで8年も総裁の座にいました。1954年12月からは、一万田の前の総裁、新木栄吉が再び総裁となります。なるほど、これで新木も米国のリモコンで間違いないですね。2年後の1956年11月からは、山際正道が総裁です。山際が日銀総裁を務めている1957年、58年は、一万田が大蔵大臣でした。…うーむ。1964年12月からは、三菱の宇佐美洵が総裁となり、副総裁が佐々木直です。佐々木は最初に登場した人物です。これで6人の内の3人目ですか。1969年12月、副総裁だった佐々木直が総裁になります。この佐々木は重要な3人の中のひとりでしたね。1974年12月、森永貞一郎が総裁、副総裁には前川春雄となります。前川が登場しました。有名な「前川レポート」の前川です。1979年12月、前川春雄が総裁、副総裁が大蔵省出身の澄田智です。澄田は、私の26日の日記「私物国家」に登場している人物です。1984年12月、澄田智が総裁、副総裁には最初に登場した重要人物である三重野康です。このとき三重野の部下には、現在総裁である福井が営業局長としています。1989年12月、三重野康が総裁となります。三重野はバブル経済崩壊の重要人物です。1994年12月、大蔵省出身の松下康雄が総裁となり、現在の日銀総裁である福井俊彦が副総裁となります。松下も先日の「私物国家」に登場した人物です。1998年4月、速水優が総裁となります。こいつはよく分かりません(笑)日銀にいた人物です。で、現在の福井俊彦総裁です。以上、日本銀行の歴史と言っていいでしょう。ヴェルナーが重要だと言っていた3人、佐々木、前川、三重野、この3人はいずれも副総裁を5年務めたあと、さらに5年、総裁の任にありました。つまり、この3人が副総裁のときの総裁はいずれも大蔵省出身の総裁だったんですね。大蔵省から送りこまれた総裁より日銀生え抜きの副総裁の方が真の支配者であると。で、副総裁を5年務めたあとさらに5年間、総裁となって、実質合計10年、この3人は日銀を支配していたと。ヴェルナーが言うには、この3人が経済不況に向かわせるか、景気を回復させるか、どれほどの人を失業させ、どれほどに職を得させるかを決めてきたのであると。こうヴェルナーは言っています。わたしなりの解釈をすれば、つまり現総裁である福井も含めてこいつらは全員、米国からリモコン操作されているということになります。ですから、日本銀行は日本国民のために存在しているわけじゃないんです。うーん、これはかなりの重症です。日銀は大蔵省の解体後、実質、政府から独立しちゃっています。日銀はこのまま現在の位置を維持するのか、それとも民営化へと動き出すのか、民営化を阻止するために国有化へと動くのか。日銀が民営化されたら、もう終わりです。もし民営化されたら、日本の中央銀行は米国の連邦準備制度(FRB)と同じになってしまいます。まあ、たいして現在と変わらないと言えば変わらないのかもしれませんが…(笑)今日はこんなところで終わります。まだ文字数制限に引っ掛からないようなので、以下にヴェルナーの発言(インタビュー)を転載しときます。-------------------------------------日銀の資金調節で経済は一喜一憂するということですか。 「経済の動きによって株式市場も左右できるなど、全て日銀がコントロールできるわけです。結論をいいますと実は日銀が国民や政治家に『日本のシステムはだめ』という意識を伝えようとしています。理由は、戦後続く日本型経済構造よりも、米国型経済構造を推進しているからです」 --日銀が目指す究極の目的とは。 「そこは色々な理由があるのですが、中央銀行の支配力がより強い米国流の自由主義経済体制へと構造を改革することを目的とし、すでに80年代、中曽根首相主導による民活時代に大幅な自由化路線を主張して構造改革のバイブルとなった『前川レポート』で改革の指標を具体化させています。日本型経済構造では日銀の法律的立場が非常に弱かったわけです。もともと大蔵省の下で、官僚が強く法律的に日銀は弱い立場にあり、そもそも米国型経済導入すれば大蔵省の力がなくなると考えていたわけです。ところが、日本型システムは戦後の経済を成功させてきた優秀な制度なので、誰も自らギブアップしたくない、なんで成功してきたシステムを今さらやめなくてはいけないかということで、この10年、日銀は意図的に不況を作ってきたわけです。日本型システムはもうだめ、規制緩和、自由化などの構造改革しないと景気回復ならないという声が強まってきており、まさに小泉政権の考え方につながってきています」 --失われた10年は日銀によって形成されてきたということですか。 「現在の小泉政権は日銀の計画通りに運んでおり、日銀にとっては構造改革のチャンス到来というわけです。しかし、残念ながら構造改革は景気に良い影響を与えません。小泉政権は日銀が支配している経済構造に日本経済の問題の本質があることに気づいていません。いわば小泉政権は日銀の罠に落ちてしまっていて、「聖域なしに構造改革」を行おうとしているのですけれども、一番の聖域は日銀なのです。そこは攻撃して構造改革をすべきなのですが、全然手をつけていない。日銀改革を断行して、国民のための中央銀行を作る必要があります。そうすれば必ずすぐに景気は良くなります」 --日銀によって日本は動かされている。円の支配者が国をコントロールしているということですか。 「中央銀行が巨大な権力を握って、国民から責任を問われることがないというシステムは国民にとって最悪です。その辺の事情を政治家は勉強すべきです。政治が真実をわかれば法律で日銀の役割を変えることができるのです。今回の量的緩和拡大を仮に日銀が実行しなくともま何らペナルティーはなく、その意味では今回の量的緩和発表はまやかしに近いものがあります」 --日銀は必要ですか。 「いいえ。日銀のような中央銀行は誰も必要とはしていません。逆に、日銀解体が必要です。中央銀行の役割は民間銀行が貸し出しをしないときに企業と政府にお金を貸し出す、お金の量を増やすべきときに増やすということですが、これまで日銀はずっとやってきませんでした。中央銀行の役割を果たしてこなかった点で廃止すべきです。現在の日銀が国民のために働いていないので、中央銀行なしの経済システムがいいと思います。アメリカも、1913年までに中央銀行がなかった国でしたが、高度成長ができて、1900年ごろまでに当時の経済大国であったイギリスを追い越して、ナンバーワンの経済パワーになりました。日銀がなければ、財務省は直接に必要なお金を造れればいいわけです」 株式市場新聞 インタビューリチャード・A・ヴェルナーhttp://www.profitresearch.co.jp/j/press/media_quotes/media_japanese/kabu-shijo.htm
2004年08月28日
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これは下から続いてます。次をクリックしてそちらからお読み下さい。『司六代目「新執行部」の全貌』今回、新しく4人の組長が直参に昇格した。井上邦雄・四代目山健組組長(神戸)、掛野一彦・二代目近藤組組長(岐阜)、江口健治・二代目健心会会長(大阪)、茶谷政雄・茶谷政一家総長(北海道)の4人である。一方で、司六代目が誕生したのを機に、桑田兼吉・三代目山健組組長、近藤慶文・近藤組組長、坂井廣・坂廣組組長、杉秀夫・健心会会長、池内満・二代目松野組組長の5人が引退した。【六代目山口組本家直系若衆】地蔵吉一(地蔵組組長)京都青野哲也(国領屋一力一家七代目)浜松山田照雄(山田組組長)伊丹中島利一(中島組組長)大阪・淀川森田昌夫(森田組組長)大阪・天王寺須藤 潤(須藤組組長)大阪・中央小林 治(二代目難波安組組長)堺北中野雅巳(中野組組長)堺東中村天地朗(二代目大平組組長)尼崎松岡義雄(松岡組組長)大阪・城東白川孝郎(二代目熊本組組長)岡山尾崎勝彦(尾崎組組長)徳島川下 弘(川下組組長)東大阪野崎 圓(野崎組組長)三重盛力健児(盛力会会長)大阪・浪速浜尾将史(浜尾組組長)横浜堀 義春(堀組組長)大阪・西奥浦清司(奥浦組組長)東大阪仲里正秋(二代目真鍋組組長)宝塚山田忠利(二代目矢嶋組組長)愛媛大原宏延(大原組組長)大阪・生野細川幹雄(細川組組長)尼崎浅川桂次(浅川会会長)大阪・吹田根本辰男(二代目川内組組長)福井中村伍男(中村組組長)岐阜正木年男(正木組組長)福井平山桂次(三代目南一家会長)大阪・中央福島末博(勝龍会会長)大阪・北渡辺啓一郎(瀬戸一家九代目総裁)愛知岸上剛史(平井一家十代目総裁)愛知柴田健吾(柴田会会長)加古川大嶋 巽(大嶋組組長)神戸浅井昌弘(浅井組組長)大阪・北池田孝志(池田組組長)岡山井奥文夫(井奥会会長)神戸大西康雄(大西組組長)姫路江口 亨(三代目石井一家総長)大分島村國光(二代目稲葉一家総長)熊本小野守利(六代目奥州会津角定一家総長)福島西畑晴夫(六代目佐々木組組長)和歌山剣 政和(二代目黒誠会会長)大阪・北北島 虎(二代目杉組組長)名古屋三谷省一(伊勢志摩連合会会長)三重金光哲男(金光会会長)福岡水田元久(水心会会長)長崎奈須幸則(三代目大門会会長)熊本亀井惟茂(二代目松山組組長)東大阪川崎昌彦(二代目一心会会長)大阪・中央正田 悟(二代目松山会会長)愛媛玉井武雄(三代目小山組組長)和歌山島田俊正(二代目益田組組長)横浜細見孝夫(二代目佐藤組組長)神戸浅川睦男(二代目淺川一家総長)福岡毛利善長(毛利組組長)大阪・吹田川口和慶(三代目小車誠会本家会長)大阪・西成天野洋志穂(天野組組長)大阪・天王寺小條鎮生(倉心会会長)大阪・大正津田功一(貴広会会長)奈良貝本 健(貝本会会長)愛知船木一治(三代目誠友会会長)札幌光安克明(光生会会長)福岡野村 孝(三代目一会会長)大阪・北篠原重則(二代目若林組組長)香川高木康男(二代目美尾組組長)静岡高木廣美(五代目早野会会長)大阪・浪速原口武己(三代目北岡会会長)熊本布川浩二(二代目中西組組長)大阪・中央岡本久男(二代目松下組組長)神戸佐達秀正(三代目大野一家総長)大阪・港菱田達之(二代目愛桜会会長)三重山本克博(五代目豪友会会長)高知太田守正(太田会会長)大阪・生野田保伸一(二代目昭成会会長)石川井上邦雄(四代目山健組組長)神戸掛野一彦(二代目近藤組組長)岐阜江口健治(二代目健心会会長)大阪・中央茶谷政雄(茶谷政一家総長)札幌※ 新しく直参に昇格した4人を『週刊実話』から簡単に紹介すると、井上邦雄組長は、三代目山健組若頭から跡目を継承。松田組との“大阪戦争”で長期服役した功労者で、渡辺五代目の“秘蔵っ子”といわれ、早くから直参昇格が確実視されていた逸材。掛野一彦組長は、引退した近藤慶文組長の跡目を継承。長年に渡って組長代行を務めてきた実力者として知られている。江口健治会長は、山健組出身の有力組長だった杉秀夫会長の跡目を継承した。“大阪戦争”で長期服役した“戦勲者”の1人。10年以上に渡って健心会の若頭として組織を切り盛りしてきた実力派組長である。茶谷政雄総長は、三代目誠友会(船木一治会長)の最高幹部から直参昇格した。同会の舎弟頭を務めていた実力者で、札幌を本拠に勢力を張っており、道内で3人目の直参となった。以下、関連。中野会が解散(2005年08月08日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200508080000/六代目山口組(2005年07月28日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280000/【五代目山口組】新若頭補佐のプロフィール(2005年06月30日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506300000/山口組若頭とは何か(2005年06月06日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506060000/五代目山口組の若頭が決定した(2005年05月11日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/どうなる五代目山口組若頭(2005年02月01日)http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/
2005年09月04日
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ニュースで事件の発生報道を見て、すぐに犯人(容疑者)逮捕となるんじゃないかと期待して成り行きを見守っていたんだが、どうやら捜査が難航しているようである。小学1年生の被害者が下校途中に自宅に帰宅しないまま殺され遺棄されたことなどから、昨年の「奈良女児誘拐殺人事件」を連想させる事件となった(猟奇性といった視点では、奈良の事件とは性質が違うと現在は判断している)。昨年の奈良の事件は11月17日の発生で、今回の「広島小1女児殺害事件」は11月22日に起こった。どちらも被害者は7歳である。今年の11月17日には大阪で姉妹2人が刺殺され部屋が放火されるといった事件が起こっているが、犯人はまだ逮捕されてない。広島市安芸区で女児が段ボールに入れられた姿で発見されたのは、22日15時ごろと発表されている。消防によると、発見当時、女児には体温が確認されたが、死亡時間は13時から14時の間だと推定されている。身体のどこにどのようなものなのかは発表されてないので想像するしかないのだが、遺体の一部に損傷があり出血していたことも判明したと報じられている。女児を見たという最後の目撃情報から死亡推定時間まで、さらに発見までの時間は極めて短く、女児の通う学校、段ボール放置場所、「同市内の一般家庭で使用されている紙製」で茶色(黒という報道もある)のごみ袋に入れられたランドセルの発見場所は、時間が短いゆえにどれもそれほど離れた距離ではない。発見されたランドセルの中身に変化があったのかは発表されていないが、女児の右足の靴下がなくなっており、靴下はまだ発見されていないと報じられている。事件が計画されたものなのか突発的に起こったものなのかは解らないが、女児と一緒に下校する生徒がたまたまこの日は早退し女児は1人で下校したことなどから、被害者が狙われていた可能性は低いと見られているようだ。逆に、極めて計画的に被害者を狙った犯行だという見方をワイドショーのコメンテーターでは語っている者もいた。犯行(女児の入った段ボールを運ぶなど)には車が必要と考えられるが、車がようやく1台通れる段ボールのあった場所で車の目撃情報があったとの報道はされてない。段ボールと黒いガムテープ(ビニールテープ?)は、事前に用意されたものなのか、突発的に殺してしまったが段ボールとテープはたまたま車内(室内)にあったものなのか、またランドセルを入れた茶色(黒い)のゴミ袋はどうやって調達したのか、などなどの疑問が多くある。考え抜かれた計画的犯行なのか幼稚で咄嗟の犯行だったのか、どちらであっても犯人は犯行を隠そうとしていないと見受けられる。「死体遺棄」場所は必ず発見される場所であるし、ランドセルを捨てた場所や行動は、あまりに雑である。車が犯行に使用されていたならば、遺棄する場所を自由に選べたはずだし、発見を遅らせる方法はいくらでも考えられたはずでもある。しかし犯人はどのような理由からか、段ボールに入れた放置(遺棄)方法と、あの場所を選択した。こういう事件によく登場する「元監察医」の上野正彦によると(本日の14時過ぎの日本テレビ)、女児には抵抗した形跡がないという。また上野正彦は、段ボールに女児の尿反応があったことを示唆する発言をしていた。つまり、この尿反応と一致する尿反応のある場所(車内?室内?)が殺害現場である、と。段ボールが販売された店は、ほぼ特定できたようである。段ボールにはバーコードがあるのでそれを辿れば販売店が特定できるだろうと昨夜のニュースで言っていたので、おそらくその方法で販売店が特定できたのだろう。今後なにか“変わった事件”に発展したら、引き続きこの事件を取り上げようと考えている。木下あいりちゃんが入れられた段ボール箱が見つかった現場付近を調べる広島県警の捜査員(22日午後4時55分、広島市安芸区矢野西4丁目)遺体に数カ所の傷 広島の小1女児殺害事件広島市安芸区で下校途中の市立矢野西小1年木下あいりちゃん(7つ)が殺害された事件で、遺体に数カ所傷があり、出血していたことが24日、海田署捜査本部の調べで分かった。遺体を入れた段ボール箱は、広島県東広島市の量販店で販売したガスこんろの箱だった可能性が高いと判明、捜査本部は同日までに、店に捜査協力を要請した。店は遺体発見場所の北東約20キロ。箱は一時的に空き地へ置き、後で自宅などへ移すつもりだった疑いも浮上し、捜査本部は周辺に土地勘がある人物とみて犯人像の絞り込みを進めている。調べによると、遺体の傷は生前に付けたとみられるが、刃物で切ったりはしていないという。(共同通信) - 11月24日13時26分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051124-00000091-kyodo-soci広島の女児殺害室内で?ランドセルは家庭ごみ袋にhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051124-00000207-yom-soci<広島小1殺害>遺体に傷 ランドセルは紙袋に入れる広島市の木下あいりちゃんの殺害事件で、あいりちゃんの遺体に傷があったことが、県警捜査本部の調べで分かった。また、現場近くで見つかったあいりちゃんのランドセルが茶色の紙袋に入っていたことも判明。捜査本部は、ランドセルは犯人が紙袋に入れて捨てた可能性が高いとみて分析を進めている。調べでは、遺体の傷は刺し傷などではなかったという。一方、ランドセルは22日午後10時ごろ、周辺を捜索していた県警捜査員が発見した。捜査員らが午後6~7時ごろ、同じ茂みを調べた際には見つからなかったという。あえて隠すために置いたかは状況からは判断できないといい、いったん捜査員が周囲を検索した後に捨てられた可能性もあるという。(毎日新聞) - 11月24日15時7分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051124-00000063-mai-soci<広島小1殺害>事件の鍵、半径300m内に事件の鍵は半径約250~300メートル内に――。広島市安芸区の小学1年、木下あいりちゃん(7)の殺人・死体遺棄事件で、あいりちゃんの最後の目撃は、あいりちゃんが入れられていた段ボール箱の発見現場から東に約200メートルの通学路との分かれ道付近だった。そこから延びる1本の小道は入り組んだ細い路地で、登下校の児童もあまり通らない。あいりちゃんはそこを通ったのだろうか。犯人は土地勘のある人物の可能性が高い。段ボール箱とランドセルの発見現場の間は約500メートルで、この分かれ道はほぼ中間点。捜査本部は、分かれ道を中心に半径250~300メートルのエリアを集中捜査している。●最後の目撃「お帰り、お帰り」。顔見知りの女性が児童3人に声をかけた。矢野西小学校から西に約200メートルのところにある矢野西保育園近くの路上。3人は、下校途中の男児2人とあいりちゃんだった。「あの人、いい人だね」。あいりちゃんが男児と言葉を交わした。男児2人がふざけ合ううち、あいりちゃんが先を歩く形になった。分かれ道の手前数十メートルまできて、2人は先を歩いていたはずのあいりちゃんの姿が、そこから先の通学路にないのに気付いた。通学路を通らず、分かれ道を左に曲がった小道は、今回の事件で段ボール箱が置かれた空き地につながっていた。●人通り少なくこの小道の周囲には、石垣のある古い旧家などが並ぶ。車1台がやっと通れる幅で、その先は上り坂になっている。車の通りもほとんどない。道の南側に連なる民家の裏はすぐ山になっている。さらに細い路地に入って山の方に上ると、人目につきにくい墓地もある。この小道は同小の通学路ではなく、あいりちゃんが住む地区の児童にとっては遠回り。あいりちゃんがこの道を選んだとすれば、なぜなのか。県警捜査本部は、段ボール箱が置かれた現場になかった右の靴下や事件につながる遺留品捜しに裏山にも入っている。●狭いエリアで何があいりちゃんがひざを曲げた形で横向きに押し込まれていたガスコンロ用の段ボール箱は、黒いガムテープで何重にも封がされていたが、空き地に無造作に置かれていた。空き地は住宅横の細い路地の脇にあり人目につきにくい。小道から一段下がった形で、通行人からはさらに死角だ。この空き地は分かれ道から西に約200メートル。一方、ランドセルが捨てられていた茂みは東に約300メートルのところ。あいりちゃんの足取りは分かれ道付近で途絶えたまま、行方が分からなくなった。犯人はどの地点であいりちゃんを連れ去ったのか。この狭いエリアに捜査本部は注目している。(毎日新聞) - 11月24日15時11分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051124-00000062-mai-soci※ いままでの記事は以下に集めてある。広島小1女児殺害事件http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/50216713.html広島小1女児殺害事件2http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/50218301.html
2005年11月24日
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ロシアとウクライナの「ガス紛争」は1月4日に両国が価格合意したが、交渉役をやりたいと12月27日に発言していたユリア・ティモシェンコはそのとき「50ドルを超える新たな金額でウクライナが契約をしたら、それは売国行為である(要旨)」と強調していた。その記事は「ロシア対ウクライナ」のコメントに意訳転載してある。1月4日に両国が妥結したガス価格は、ロシアは当初から主張していた230ドル(千立方メートル)で輸出し、ウクライナはこれを95ドルで購入するということになった。230ドルで輸出されるのに95ドルで購入するという不思議な妥結ではあったが、両国(ガスプロムとナフトガス)はこれで5年の契約を結んだ。記者会見でもガスプロムのミレル社長とナフトガスのイフチェンコは、結果に満足していると述べた。この不思議な価格の仕組みはこうなっている。まず、ガスプロム(ガスプロムバンク)が過半数の株式を握る「ロスクレネルゴ社」を設立、ここにジョイントベンチャーとしてオーストリアのライファイセン銀行が加わり、ナフトガスも株主となって参加する。この「ロスクレネルゴ社」にガスプロムが230ドルでガスを売る。「ロスクレネルゴ社」はトルクメニスタン(カザフスタン、ウズベキスタン)などの中央アジアから調達する割安なガスとガスプロムから送られてくるガスを混ぜる。混ぜることで“平均価格”を安くして、そのガスをウクライナに95ドルで売る。こういう仕組みである。つまりウクライナは、ガス通行料(1.6ドル)は受け取るが、ロシアや中央アジア各国から提供されてきた安価なガス提供の恩恵(特典)をほぼ全て失ったと見ることができる。今後ウクライナに天然ガスを供給するのは、ロシア・オーストリアの合弁会社である。ウクライナは2倍ほどになった95ドルの天然ガスを購入することで、年間負担増が15億ドルに上ることになった。契約が終了する5年後には、ロシアが230ドル或いは国際価格への値上げを迫ることも目に見えている。上述したように、ティモシェンコは先日これを“売国行為”だと言っていたのだから、ティモコが沈黙するはずがない。1月5日の「Lentaru Ru」の記事よると、ティモコは今回の決着に不満だとしてナフトガスと担当省庁(エネルギー省?)を刑事告発するよう動いているようだ。訴訟の内容は、「憲法111条の売国罪(反逆罪?)」、「364条の越権行為」、「365条の公務の濫用」。罪名を誤読(誤訳)してたらゴメン。ナフトガスのイフチェンコとエネルギー大臣の辞職(解任)も要求してるようである。ティモコによると、ガス価格について、イフチェンコはロシアと契約(サイン)する権限を持っていなかった。また、議会に今回の「ガス紛争」の調査をするよう要求している。ティモコは、今後ロシア・オーストリアの合弁会社ロスクレネルゴが膨大な債務を抱える事態(つまりその影響を懸念している)になるのではないかとも言っている。詳しくは次の「Lentaru Ru」の記事を読んでちょうだい。「Тимошенко подает в суд на "Нафтогаз"」http://lenta.ru/news/2006/01/05/timoshenko/1月5日のティモコの記者会見姿Yulia Tymoshenko during the press conference concerninggas agreements with Russia写真はティモコの公式サイトよりhttp://ww2.tymoshenko.com.uaルーマニアとブルガリア、天然ガス価格でロシアに抗議【ウィーン=桜庭薫】ルーマニア、ブルガリア両国政府がロシア産天然ガスの自国向け価格について「4日に決着したウクライナ向けと比べて不当に高い」と断定、ロシアに抗議を始めた。両国とも2007年の欧州連合(EU)加盟に向けて準備を加速していることをにらみ、ロシアがかつての「衛星国向け優遇措置」を撤廃していることが背景にある。ルーマニアの対ロシア不信の背景には、昨年11月にルーマニア向けガスをロシアから購入する中間業者が従来契約を破棄し、ロシア側と料金を値上げした新契約を結んだことがある。ドイツ系とスイス系の2業者は2013年まで1000立方メートル当たり250ドルで購入できた契約の代わりに270―285ドルの30年契約を締結。西欧向けの約250ドルと比べても新料金は1割高く設定された。ルーマニアのシェレシュ経済相は4日、「なぜウクライナがルーマニアより大幅に低い(実質95ドルの)価格でロシア産ガスを購入できるのか理由を明らかにする必要がある」と不快感を表明した。 (18:47) http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/ロシア対ウクライナhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200512270000/ロシアとウクライナが価格合意http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200601050000/※ 昨年、フジテレビ(ニッポン放送)とライブドアの買収騒動でライブドアに800億円を資金提供したリーマン・ブラザーズが「ワイエスビジテック」というコンサルタント会社に訴えられているとのこと。今後この訴訟の経過が詳細に報じられれば、あのときの不明だった経緯が明らかになるかもしれない。以下、転載。ライブドア紹介料でリーマンと紹介会社が対立(証券新報)2006年01月06日(金) 08時47分ライブドアのニッポン放送買収劇で、MSCBの引き受け先のリーマンブラザーズにライブドアを紹介し「紹介契約」を締結した、東京都のコンサル会社「ワイエスビジテック」がリーマンブラザースに対して、紹介料として対象取引の発行金額の0.5%・4億円の支払いを求めるために、提訴に踏み切った事が明らかになった。リーマンブラザーズは、「引き合わせてもらっただ」として支払いを拒否している模様。ライブドア紹介の報酬巡り対立 コンサルがリーマン提訴2006年01月06日08時30分ライブドアによる05年2月のニッポン放送株買収に絡み、約800億円を資金提供した米投資銀行のリーマン・ブラザーズと、同社をライブドアに紹介した東京都内のコンサルタント会社の間でトラブルになっている。両社は「紹介契約」を結んでおり、コンサルタント会社は「成功したら4億円の紹介料を支払う約束だ」とするが、リーマンは「単に引き合わせてもらっただけ」などと応じていない。対立は法廷にまで持ち込まれ、ライブドア幹部らは気をもんでいる。買収をめぐりリーマンは一時、「仕掛け人」とうわさされたが、敵対的買収を支援することになった経緯の詳細はこれまで不明だった。裁判資料や関係者の話によると、コンサル会社「ワイエスビジテック」(東京都、山崎譲社長)とリーマンは04年3月、「紹介契約」を結んだ。契約書には、ワイエス社がリーマンに「資金調達を行うことを企図している企業を紹介する」と記載。契約日からの1年間に取引が実現した場合の報酬として、「対象取引の発行金額の0.5%に相当する額を支払う」とされている。山崎社長は翌月、ライブドアの熊谷史人取締役を紹介した。山崎社長と熊谷氏が、かつて勤めていた証券会社で上司と部下の関係だった縁からだという。ライブドアとリーマンは、ともに六本木ヒルズに事務所を構えるが、熊谷氏は「自分の知る限り、紹介されるまで取引は全く無かった」と話す。ライブドアは05年2月にニッポン放送株を買い占める直前、複数の外資系投資銀行に資金調達を打診。結局リーマンの提案を選び、社債の一種である「転換価額修正条項付き転換社債型新株予約権付き社債」(MSCB)を引き受ける形で約800億円を調達した。ワイエス社はその後、リーマンに契約に基づいて調達額の0.5%にあたる4億円の支払いを要求。しかし、リーマンは「単に引き合わせるだけではなく、取引成立に結びつく内容でなければいけない」「紹介時点では、(ニッポン放送株に関する)資金ニーズも社債発行の可能性も存在していなかった」などと拒んだ。山崎社長は「契約書にはそこまで具体的に記載されていない。紹介だけでも0.5%程度の報酬を支払うのが業界の慣習だ」などと反論。リーマン側から一時、「お礼として2000万~3000万円を払う」と提案されたが拒否し、05年6月に東京地裁に紹介手数料支払いを求めて提訴した。既に数回の口頭弁論が開かれ、1月下旬以降、熊谷氏らライブドア関係者を含めた証人尋問もされる見込みだ。熊谷氏は「山崎さんの紹介で初めてリーマンと企業買収の商談を持つようになった」などとする上申書を提出。一方で、「どちらの主張も一部あたっている。とにかく早く終わって欲しい」と話す。リーマンの広報担当者や顧問弁護士は朝日新聞の取材に対し「訴訟の最中なのでコメントできない」としている。http://www.asahi.com/national/update/0106/米証券3社、営業収益が過去最大 M&A活況モルガン・スタンレーなど米証券大手3社の2005年11月期決算が20日、出そろった。世界的な企業の合併・買収(M&A)増加を受けた投資銀行業務の拡大で、3社とも一般企業の売上高に当たる営業収益が過去最高を記録した。モルガンの営業収益は前年比12.9%増の267億7800万ドル。M&Aなどに伴う顧問料収入は、米国の情報技術(IT)バブル崩壊以来、5年ぶりの高水準となった。ゴールドマン・サックスは投資銀行業務が2けたの伸びを示したことに加え、債券・株式や原油など商品先物の売買業務の収益が30%近く伸び、営業収益は20.6%増の大幅増収。リーマン・ブラザーズの収益も投資銀行業務をはじめ全部門で過去最大となり、26.4%増となった。ゴールドマン、リーマンの純利益はそれぞれ23.5%増、37.6%増の大幅増益。モルガンは、新規公開株の取引に法令違反があったとして科せられた制裁金の支払いなど特殊要因で5.0%の減益だった。米国の利上げに伴い資金調達コストが急上昇しており、今後の収益環境は厳しくなるとみられる。(共同)(12/21 09:04)リーマン・ブラザーズhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502210000/榊原英資・元財務官http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200503090000/孫も堀江も“同類”http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200503240000/
2006年01月06日
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浅草の発砲事件警戒中に銃撃 (東京新聞) 「オヤジが撃たれた」「救急車を呼べ!」。六発の銃声に続いて怒声が飛び交った。台東区西浅草三の「浅草ビューホテル」。結婚式の招待客らのにぎわいが一瞬にして破られた。二十四日の発砲事件は、ホテルからの通報を受けた私服警官が警戒中に起きた。 同ホテルによると、事件から約一時間前の午後零時半ごろ、一階のロビーに暴力団員風の男数十人が現れた。このため、ホテルは浅草署に通報、間もなく数人の私服警官らが駆けつけたという。 事件当時、銃撃を受け死亡した指定暴力団山口組貴広会の中川謙一幹部(41)ら同会の約十人が、ホテル内の喫茶店「レ・アール」の奥のテーブル席に座っていた。 逮捕された指定暴力団住吉会系中村会幹部片桐俊容疑者(38)ら二人は、店外の組員らと連絡を取っているのか、店を出入りしながら中川幹部らと話し合いを続けていた。 ホテルでは同日午前から二組の結婚式があり、五百-六百人の来客があったという。 事件直後に通りがかった会社員男性(50)は、警察官と暴力団員が怒鳴り合い、顔を血だらけにした男が担架で救急車に運ばれるのを見たという。「普段からものものしい雰囲気だったので、いつかは事件が起こると思っていた」と話す。 神奈川県横須賀市から来た宿泊客の女性(31)は「二十一階の部屋にいて何が起きたか分からなかったが、恐ろしい」と顔を曇らせた。 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20041025/lcl_____tko_____003.shtml東京・浅草のホテルで発砲、暴力団幹部死亡 24日午後1時40分ごろ、東京都台東区西浅草3丁目の「浅草ビューホテル」内の喫茶店で、山口組系の暴力団幹部ら4人が2人組の男に拳銃で撃たれた。1人が死亡し、3人が重軽傷を負った。客らにけがはなかった。2人組は、警戒中の警視庁の捜査員らに銃刀法違反(発射)容疑で現行犯逮捕され、住吉会系の暴力団幹部と分かった。 死亡したのは山口組系の中川謙一幹部(41)。もう1人の幹部(56)も額を撃たれて意識不明の重体。残り2人も重軽傷を負った。 逮捕されたのは、住吉会系列の片桐俊(37)と加藤勉(39)の両容疑者。片桐容疑者は逮捕時に拳銃を所持しており、発砲を認めているという。 組織犯罪対策4課と浅草署の調べでは、片桐容疑者と中川幹部らが喫茶店内で双方の間のトラブルについて話し合っていたところ、片桐容疑者がいきなり拳銃を6発発射したという。事件当時、店内にはほかに双方の組員ら数人と店員2人、女性客1人がいたが、いずれもけがはなかった。 (10/24 21:11) http://www.asahi.com/national/update/1024/027.html東京・浅草で暴力団抗争、発砲で山口組系幹部1人死亡 24日午後1時40分ごろ、東京都台東区西浅草3、浅草ビューホテル1階の喫茶店「レ・アール」で、指定暴力団山口組系貴広会幹部4人が、店内に入ってきた同住吉会系中村会幹部の男2人に拳銃で撃たれ、1人が死亡、3人が重傷を負った。うち1人は重体。 事件前にホテル側から「多数の暴力団組員がいる」との連絡を受け、近くで警戒していた警視庁浅草署員が、銃撃した2人を殺人未遂と銃刀法違反(発射)の現行犯で逮捕、拳銃1丁を押収した。 店内には当時、店員と女性客1人がいたが、けがはなかった。ホテルの客らにもけがはなかった。 調べによると、2つの組の関係者の間で何らかのトラブルがあり、当時、現場の喫茶店に双方の関係者が10人ほど集まって話し合いをしていたという。その最中に突然、2人が店内に入ってきて拳銃6発を発砲した。 現場は、観光名所の浅草寺から西北に約300メートル離れた繁華街の一角。(読売新聞) - 10月24日19時55分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041024-00000311-yom-sociホテルで発砲、4人死傷 暴力団抗争?2人逮捕 浅草 二十四日午後一時四十分ごろ、東京都台東区西浅草、「浅草ビューホテル」一階の喫茶店「レ・アール」で発砲があり、けが人が出たと一一九番通報があった。暴力団組員四人が撃たれ、一人が死亡、三人が重軽傷を負った。撃ったのは別の暴力団組員らで、二人が殺人未遂などの現行犯で逮捕された。警視庁組対四課と浅草署は、二つの組の間に何らかのトラブルがあったとみて捜査している。 調べでは、逮捕されたのは、指定暴力団住吉会系組幹部、片桐俊容疑者(三七)=荒川区東日暮里=ら二人で、拳銃一丁を所持。撃たれたのは、指定暴力団山口組貴広会の四人で、中川謙一幹部(四一)が死亡、他の三人は胸や手などに重軽傷を負った。双方の組員らが喫茶店で話し合いをしていた際、乱入してきた片桐容疑者らが拳銃五発を撃ったという。 当時、喫茶店には女性従業員と女性客一人が居合わせていた。同ホテルによると、女性従業員は「発砲音を聞いて怖くなり、カウンターにしゃがみこんで収まるのを待った。静かになったので急いで外に飛び出した」と話しているという。女性客にもけがはなかった。 同ホテルは、雷門や仲見世に観光客が多数集まる浅草寺の西約三百メートルにあり、結婚式や宴席などで約六百人の客がいたが、一部の店舗などが閉鎖された以外、混乱はなかったという。(産経新聞) - 10月25日3時0分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041025-00000012-san-soci浅草発砲:組幹部が新たに死亡 東京都台東区西浅草のホテルで24日、4人が死傷した発砲事件で、頭を撃たれて意識不明になっていた暴力団山口組貴広会の末吉民男幹部(56)が25日未明、搬送先の病院で死亡した。この事件で死者は同会の中川謙一幹部(41)に次いで2人目。 警視庁組織犯罪対策4課は、発砲した暴力団住吉会中村会幹部、片桐俊容疑者(38)ら2人を殺人未遂容疑などで現行犯逮捕し、両組の間で何らかのトラブルがあったとみて追及している。毎日新聞 2004年10月25日 12時10分 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20041025k0000e040062000c.html※ 次の記事は2002年の奈良新聞のもので古いのですが、「貴広会」という組織の規模がわかるかと思うので抜粋して転載します。貴広会は、県内暴力団勢力の約7割を占める最大の暴力団組織。県警暴力団対策課によると、貴広会は指定暴力団山口組系倉本組の倉本広文組長の死去(平成10年9月)により、平成11年3月に旧倉本組から分派した組織。奈良市西九条町に組本部を置き、全国の一都一道二府12県に約1000人の構成員がおり、県内にも15組織、約600人がいる。今年1月から5月末まで、県警は貴広会傘下の組員延べ98人を傷害や暴力行為、廃棄物処理法違反容疑などで逮捕している。(2002年06月21日金曜日 奈良新聞) http://homepage1.nifty.com/gokigen/sub080206.html※ 以下は、週刊実話2004年11月4日、秋の挑戦特大号からの転載です。直参体制を見直し 山口組「数より質」で精鋭化! 最盛時の123人から大幅にその数を減らして山口組の直参組長は99人となり、ついに100人を割り込んだ。これは五代目体制発足時以来のことであり、平成元年12月に直参100人体制が確立されてから初めての現象である。山口組は直参組織の精鋭化を進めている――。 10月に入って直系組長3人が引退したことで、五代目山口組の屋台骨を支える直系組長の総数はついに100人を割り込んだ。 しかし、直系組長の激減は執行部の「思惑通り」との見方もある。山口組を取り巻く社会状況が厳しさを増す中での組織防衛策として、執行部では直系組長の数より“質”を重視した精鋭化を図ろうとしている、と言われている。 五代目体制発足後、山口組執行部は勢力拡大路線を方針に、各地の独立組織を吸収するなどして急速に勢力を拡大した。 たびたび直系組長の増員人事が行われたのに加え、独立組織のトップが直参として加入するなど、直系組長の数は増加の一途をたどったのである。三代目南一家(平山桂次会長)など在阪の有力独立組織が相次いで直系として山口組に加入したのが、ちょうどその頃だった。 平成4年3月に暴対法が施行され、山口組の勢力拡大は鈍化するかに見えた。だが、同法施行直前に直参昇格人事を行い、7人もの新直系組長を誕生させた。このほか、翌平成5年11月には直参昇格人事に加え、尼崎の独立組織だった西田組(解散)が直系として加入したことで、直系組長の総数は過去最高の123人を数えたのである。 http://www.nihonjournal.jp/jituwa/jituwa_01.html------------------------------------------------------------ザ・ヤクザ 家元制、宗教団体、企業買収…これが“合法錬金術”のウラ実態だ!~吾妻博勝~ 非合法の金儲け、つまり犯罪行為による金儲けはリスクが大きすぎてやれないが、合法的、あるいはグレーゾーンに近い世界の仕事は、一般の堅気衆でもやろうと思えばできるかもしれない。では、それらの仕事には一体どんなものがあるのか――。 どこの世界でもそうだろうが、ヤクザ世界では「金がないのは首がないのと同じ」と言われるように、シノギ(資金源活動)はヤクザの生存に欠かせない生命線である。 裏社会のシノギは合法・非合法を取り混ぜ多岐にわたるが、非合法のシノギは普通の人には何の参考にもならない。それは犯罪行為であり、ヘタに手を出せば大ヤケドをするからだ。いつ、捕まるか知れないような金儲けは、リスクが大きいぶん儲けも大きいだろうが、一般の堅気がやることではない。 不景気と暴力団対策法でヤクザは資金源の枯渇に見舞われ、その結果として一般人に歩み寄るようになり、また一般人もヤクザの領域に足を踏み入れる傾向があり、双方の境目が見えなくなってきたのは事実だ。だからといって、普通の一般人が、ヤクザを撥ね退けてそのシノギに分け入ることは難しい。 しかし、その一歩手前のグレーゾンまでは近寄れるのではないか? それらのひとつに「デリヘル」がある。これこそヤクザの領分ではないか、と思うかもしれないが、今はこのデリヘルは届出制度であり、少し前みたいな闇の仕事ではなくなっている。デリヘルを経営する30代の男性が言う。「ヤクザとは、正直言って付き合ってますよ。でも、それは気持ちだけの金額でね。月に何万円かですよ」 正確な数字は言わないが、おそらく4~5万円というところだろう。ミカジメを払うというこのやり取りは、一般の人は勘違いしているが、「守って欲しい」という用心棒代よりも「邪魔しないで欲しい」という意味合いのほうが強いという。 http://www.nihonjournal.jp/jituwa/jituwa_03.html※ 山口組に関しては、先日10月14日の日記でも取り上げました。10月14日の日記「最近の山口組の動向」は こちらからどうぞ。
2004年10月25日
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ロシア・ベスラン学校人質事件は、チェチェン以外の場所で起こった事件としては、ここ10年間で最悪の結果になったそうである。死者の数は500人とも700人とも言われている。メディアによって作られたイメージでは、犯人グループは間違いなく「チェチェン独立派」であろう。しかし、これはあくまでもメディアが垂れ流す洪水情報でしかない。だから毎度お馴染みの「アルカイダ」という名前まで出てくる。アルカイダと誰を通してどこでつながっているかを誰も言おうとしない。ただ「関係がある」と言う人ばかりが、あちらこちらにいる。これらは単なる憶測にしか過ぎないのである。そもそも「アルカイダ」なる組織が本当に存在するのかでさえ、わからないのである。「対テロ戦争」とかいうものに「アルカイダ」という名前が利用されているだけかも知れないのだ。また、「アルカイダ」という組織が存在していたとしても、それは「対テロ戦争」に都合のいいように、「CIA」「MI6」「モサド」などが自由に動かすことのできる組織である可能性も高いと考えられるわけである。フィルターのかかった偏った洪水情報しか見せられない中で、ロシアで相次ぐ爆弾事件、これらを全てチェチェン独立派勢力による犯行であると断言することはできない。それにしても、本当に酷い事件だった。この事件もまた、真相がマスコミによって明らかにされることは無いであろう。なぜなら、ロシアの全国3大ネットである「ロシアテレビ(RTR)」「ロシア公共テレビ(ORT)」「独立テレビ(NTV)」は、すべてプーチン政権の実質管理下に置かれているからである。ロシアでは、ジャーナリストが行動を制限されている。Extremists Target Children負傷した女学生を搬出するロシア内務省職員抱えられる女の子解放された少年占拠された体育館号泣する女性号泣する同級生ら病院を訪れた大統領葬儀で母親たちが我が子の死悼む少女の葬儀犠牲者の埋葬 以下の、2004.09.02と2004.09.06の「チェチェンニュース」の一読をお薦めする。 http://chechennews.org/chn/0428.htm http://chechennews.org/chn/0429.htm
2004年09月07日
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六代目山口組若頭補佐の滝沢孝・芳菱会総長の控訴審判決が大阪高裁で24日にあり、1審の無罪判決が支持され検察側の控訴が棄却された。04年3月の大阪地裁につづいて2審も無罪判決となったことになる。つまり、「共謀の事実はなかった」「共謀は成立しない」と、1審につづき2審も“組員との共謀の成立を否定した”ことになる。検察側は上告する見通しとのこと。山口組芳菱会総長瀧澤孝(平成10年1月現在)同種の事件(拳銃所持の共謀)では、司忍・六代目組長と桑田兼吉・山健組(元)組長の両者が有罪確定(前者は懲役6年、後者が懲役7年)となり現在服役中である。両者とも最高裁まで争って有罪が確定してるので、滝沢総長も2審でも無罪だったからといって安心できるわけではない。司六代目の場合は、1審で無罪判決だったが2審の大阪高裁では逆転有罪となり最高裁で有罪が確定した。私は、一連の「銃刀法違反容疑」で起訴された3名(司・桑田・滝沢)について、これをある種の“冤罪”だと認識してるので、今回の無罪判決は当然だと受け止めている。滝沢総長も司組長も同じ山口組幹部会に出席するために宿泊したホテルで配下の組員が拳銃を所持していたことから「拳銃所持の共謀(銃刀法違反)」容疑で起訴された。滝沢総長は、97年11月に指名手配され、01年7月31日に栃木県那須町で逮捕。03年6月に12億円の保釈金を積んで保釈、現在は六代目山口組の最高幹部として若頭補佐を務めている。ちなみに司六代目が保釈されたときの保釈金は10億円(有名な事件を例に出すと、イトマン事件の許永中が6億円。武富士の武井会長は3億円。金丸信も3億円。田中角栄は2億円。リクルート事件の江副も2億円。西武の堤は1億円。最近だとライブドアの宮内が5千万円。高額だったのは末野興産社長が15億円とかハンナンの浅田会長が20億円など……例に挙げた中で許永中は保釈中に逃亡したので保釈金は全額没収された)。五代目山口組では、滝沢総長は現在の六代目山口組の組長である司(弘道会)会長とともに若頭補佐を務めていた。六代目山口組が誕生すると、五代目山口組で司氏とともに若頭補佐を務めていた、英五郎(英組)、古川雅章(古川組)、後藤忠政(後藤組)は、“六代目舎弟”に直ったんだが、滝沢総長だけは「司体制」でも若頭補佐に「抜擢」された。五代目山口組で若頭補佐を務めた当時の最大組織である山健組の桑田組長は実質的に引退して現在は後任の井上組長が「司体制」で若頭補佐に就任している。桑田(元)組長は、“冤罪”で収監され、さらに収監中に司若頭が誕生しその流れで六代目山口組が誕生してしまい、桑田氏は実質的に“獄中引退”させられてしまった。司六代目も滝沢補佐も保釈金を積んで保釈されているが、桑田氏は保釈すらされずそのまま収監されたように思う。五代目山口組で若頭補佐を務めていた6名は、六代目山口組の「司体制」で次のようになった。★ 司忍若頭補佐は、若頭を経て六代目組長に就任。● 滝沢孝若頭補佐は「司体制」で若頭補佐。● 英五郎若頭補佐は「司体制」で舎弟に。● 古川雅章若頭補佐も「司体制」で舎弟に。● 後藤忠政若頭補佐も「司体制」で舎弟に。● 桑田兼吉若頭補佐は、事実上引退(山健組総裁)し、四代目山健組は井上組長体制となり、井上組長は「司体制」で若頭補佐に就任。※ 二代目弘道会の高山会長が「司体制」の若頭に。これを見てわかるように、当時の、司若頭補佐(以下、補佐)、滝沢補佐、桑田補佐の3人が「宅見事件」後に拳銃所持の「共謀」容疑で逮捕起訴され、この3人が現在それぞれ違う立場に身を置いている。で、六代目組長に就任した司六代目は懲役6年が確定し服役中、桑田(元)組長も懲役7年が確定し服役中、そして今回大阪高裁で無罪判決が出た滝沢補佐である。他の補佐3人は、「司体制」で補佐から舎弟に直った。簡単に振り返ってみよう。97年8月、宅見事件 9月、中野会会長絶縁 11月、司若頭補佐、滝澤若頭補佐に逮捕状 12月、桑田若頭補佐逮捕98年5月、司若頭補佐出頭・逮捕99年7月、司若頭補佐が保釈金10億円で保釈00年3月、東京地裁が桑田若頭補佐に懲役7年の実刑判決、控訴01年3月、大阪地裁、司若頭補佐に無罪判決、検察側控訴 7月、滝澤若頭補佐逮捕 10月、東京高裁、桑田若頭補佐の控訴棄却、上告02年7月、後藤組長が若頭補佐に昇格03年5月、最高裁、桑田若頭補佐の上告棄却、懲役7年が確定 6月、滝澤若頭補佐が保釈金12億円で保釈04年2月、大阪高裁、司若頭補佐に懲役6年の逆転有罪判決、上告 3月、大阪地裁、滝澤若頭補佐に無罪判決、検察側控訴 3月、桑田若頭補佐収監 11月、渡辺五代目長期休養宣言、執行部による集団指導体制発表05年5月、司若頭補佐の若頭昇格が発表 7月、司若頭が六代目組長に就任、渡辺五代目が引退 8月、中野会が解散 11月、最高裁、司組長の上告棄却、懲役6年が確定 12月4日、井上邦雄・四代目山健組組長の若頭補佐昇格が決定 12月5日、司組長が出頭し収監(未決拘留を引いて5年3カ月)06年4月、大阪高裁、滝澤若頭補佐に無罪、検察側の控訴棄却五代目体制で補佐を務めた英五郎と古川雅章と後藤忠政の3人は「司体制」誕生で舎弟盃を受け舎弟に直ったので、これは司六代目の「弟」になったことを意味する。若頭補佐に就任した滝沢補佐から見ると(名目的には)舎弟は「叔父」ということになる。ここに「司体制」の特徴をひとつ見ることができるかも。滝沢総長だけが舎弟ではなく補佐に起用された。補佐は文字通り若頭を補佐していく立場。68歳の滝沢総長は補佐に、66歳の桑田(元)組長は実質的な引退、そして64歳の司六代目。舎弟となった英組長は70歳、古川組長も70歳、後藤組長は62歳である。高山若頭は58歳、総本部長の入江補佐は61歳、橋本補佐は59歳、鈴木補佐は65歳、寺岡補佐は57歳、青山補佐は59歳、井上補佐は57歳。司六代目より先に収監されている桑田氏は、司氏よりも先に出てくることになる。桑田氏は自分が不在だったときに五代目体制が終焉し「六代目候補のライバル」だった司氏が六代目に就任してしまったうえに自分は“引退”である(引退は桑田氏の真意ではないと思う)。桑田氏が出所して桑田氏が六代目体制をひっくり返すことはできないと思うしそれを画策することもないと思うが、心中は複雑だろうと、私は勝手に推察している。司・桑田・滝沢は3者ともに“冤罪”なんだし、桑田氏だけが保釈なしだったために五代目体制が終焉を迎える重要な局面で社会不在となってしまった。桑田氏が不在だったからこそ「司体制」が速攻的に誕生したとも言えるかもしれんけどね。ここに当局の意図も見えるような気がするが、どうであろうか。六代目山口組は、司組長の年齢から見ても司組長の突然の不幸や大きな社会的情勢の変化がない限り固い結束の下で長く続くと思われる。そう想えるだけこの組織は強固に見える。2月に発表された警察庁がまとめた全国のヤクザの数(構成員と準構成員)は約8万6300人で、山口組・住吉会・稲川会の3つで全体の73%を占める6万3000人になるという。山口組の構成員は、全構成員に占める比率が50・1%と初めて過半数になったというから、ヤクザの2人に1人は六代目山口組ということになる。国粋会も「司体制」になって山口組に吸収され傘下となった。今回の大阪高裁で無罪判決が出た滝沢若頭補佐は、六代目山口組の「関東ブロック長」を務めている。山口組の関東進出に何かと外交的に大変であろう関東地区の若頭補佐を務めるのが滝沢補佐なのである。今後、六代目山口組の、さらなる関東進出が、関東の組織にとって最大の懸念なんじゃないかと思える。※ 滝沢孝総長は、昭和59年に竹中四代目誕生で直参に昇格しており、若頭補佐の中では唯一の“四代目世代”である。三代目山口組直参だった実兄が引退しその地盤を引き継ぎ、国領屋下垂一家の九代目を継承しての直参昇格だった。平成元年、五代目体制発足と同時にその実績を買われて若頭補佐に登用され、関東ブロックのブロック長に就任。平成3年には渡辺五代目が名付け親となって「芳菱会」と改称した。渡辺芳則五代目が命名した芳菱会は、「菱」という文字と、五代目の名前にある「芳」が使われていることから、渡辺五代目からもそうとう期待されていたことを窺い知ることができる。「組員に拳銃所持させた」山口組幹部に二審も無罪9年前の山口組最高幹部射殺事件の直後に、配下の部下に拳銃を所持させていたとして、銃刀法違反の罪に問われ、一審で無罪判決を受けた山口組幹部に対して、大阪高裁は無罪の判決を言い渡しました。指定暴力団山口組系芳菱会の滝沢孝被告(68)は、1997年9月、大阪市北区のホテルで、ボディーガード役の組員2人と共謀し、拳銃を所持させて身辺を守らせていたとして、起訴されました。一審の大阪地裁が「拳銃所持の共謀を裏づける直接的な証拠はない」として、無罪を言い渡していたため、検察が控訴していました。判決で、大阪高裁は「被告は実名で宿泊するなど、緊迫した襲撃を予期して部下に拳銃を所持させていたとするには不自然」として、一審判決を支持し、滝沢被告に無罪を言い渡しました。一方、検察側は、最高裁の判例に反するとして、上告する方針です。[24日16時22分更新]どうなる五代目山口組若頭http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200502010000/五代目山口組の若頭が決定したhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200505110000/山口組若頭とは何かhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506060000/新若頭補佐のプロフィールhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200506300000/六代目山口組http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200507280000/中野会が解散http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200508080000/司六代目「新執行部」の全貌http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200509030000/国粋会が山口組の傘下にhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200509080000/司組長の実刑確定へhttp://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200512020000/
2006年04月24日
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1997年2月9日の日曜日の夜、世界最強の中央銀行家たちがスイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)の高層ビル最上階のダイニングルームに集まっていた。1930年に設立された“中央銀行の中央銀行”として知られるBISは、中央銀行総裁たちが金融界の重要問題を「議論」するために集まるフォーラムへと変質してきた。合意されているルールでは、参加者はメモを取ることも補佐役を連れてくることも認められていないという。ただし例外がひとつだけある。それは、米連邦準備制度理事会議長アラン・グリーンスパンだけは、ニューヨーク連邦準備銀行総裁ビル・マクドナーを同道することが許されているということである(現在のニューヨーク連銀の総裁はティモシー・ガイトナー)。※ ニューヨーク連銀のガイトナー総裁は2003年11月17日に42歳で9代目ニューヨーク連銀総裁に就任した。ニューヨーク連銀総裁になったと言うことは、FOMC(連邦公開市場委員会)の副議長にもなったと言うことである。ガイトナーはニューヨーク連銀に入る前は、2001年9月からIMFで政策企画審査局長を務めていたが、その前の1998年から2001年までは財務次官(財務長官はロバート・ルービン)である。ガイトナーは1983年にダートマス大学の学士、1985年にジョンズ・ホプキンス大学の修士を取得している。そして日本や中国などアジアに住んだこともあり、日本や中国に精通している人物である。以下は、2003年10月の記事。新総裁にガイトナー元財務次官=11月中旬に就任-NY連銀【ニューヨーク15日時事】ニューヨーク連銀は15日、先に退任したマクドナー総裁の後任として、クリントン前政権下で財務次官を務めたティモシー・ガイトナー氏(国際通貨基金=IMF=政策企画審査局長)を指名したと発表した。同連銀総裁ポストは今年6月以来空席で、スチュワート第1副総裁が暫定総裁を務めていた。同連銀によると、ガイトナー氏は11月中旬に総裁に就任する。同氏は「総裁指名とともに、(ニューヨーク連銀で)働けることを光栄に思う」と述べた。 (時事通信)[10月16日7時4分更新]日本とカナダおよび欧州8カ国の中央銀行総裁は単身であるのに、米連邦準備制度理事会議長だけにはニューヨーク連銀の総裁が同道するのである。これは、米国の「中央銀行」の実質トップが連邦準備制度理事会議長ではなく、ニューヨーク連邦準備銀行の総裁であるということを示唆している出来事だと私は思っている。ニューヨーク連邦準備銀行については、次の「三菱商事フューチャーズ」の説明が参考になるので興味のあるひとはどうぞ。ニューヨーク連邦準備銀行(Federal Reserve Bank of New York)についてhttp://www.mcf.co.jp/kawase/news/mamechishiki/mame_13.htmlこの日は、欧州中央銀行(ECB)の前身である欧州通貨機構(EMI)総裁アレクサンドル・ラムファルシーとBISの総支配人アンドルー・クロケットも招かれていた。これらのバンカーは、合計すると世界全体の流通通貨の95%を支配し、為替市場や株式市場さえも左右することができる中央銀行家たちである。集まった者たち以外の記者なども完全にシャットアウトしているので、ガードを緩めて本心を語ったはずである。当時のBIS総裁であるウィム・ドイセンベルク(BIS総裁職は中央銀行の世界ではもっとも尊敬される職務であるが、ドイセンベルクは任期3年を2回務め歴代最長である)がディナーのホスト役を務め、大きな卵形テーブルの北側の真中に座った。ドイセンベルクの向かい側は、G10議長の席で、ドイツの中央銀行総裁ハンス・ティートマイヤーが座った。グリーンスパンはドイセンベルクの横である。当夜のテーマを発表するのは、イングランド銀行の総裁エディ・ジョージであった。ジョージは咳払いをしたあと、「欧州経済通貨同盟(EMU)に関して議論するよう提案します」と語った。欧州の単一通貨移行に向けての議論のために、この日、世界の中央銀行家が集まったのである。イングランド銀行総裁のジョージは、不参加を決定している国の中央銀行総裁である。ジョージは次のようにも語っている。「失業問題は悪化の一途をたどるだけだ。そのような状況下で単一通貨を導入するのは危険な試みといわざるを得ない」ECBは欧州で最大の権力を誇る機関となる。金利を設定する権限を有し、それに伴ない何兆ドルという資金を動かして景気を加速あるいは減速させる力をもつことになる。FRBを除けば、いかなる機関よりも、世界中の人びとの命運に直接的なインパクトを与える力をもつことになるのである。欧州委員会とは異なり、各国政府の拒否権に遭わずにすむECBは、たんなる操り人形的な機関ではなく、きわめて独立的で、独自に目標を設定し、そして誰に対する説明責任もないのである。まさに超国家機関であり、権力そのものである。ECB政策メンバーが欧州金融界の主役となるはずである。ジョージに続いてディナーのホスト役であるオランダ中央銀行総裁ウィム・ドイセンベルクが発言した。「これについてはまだ誰とも相談していないが、2年間延期するのが賢明だと思っている。どうかな?」他の欧州人は仰天した。ドイセンベルクはECB総裁の最有力候補で、その張本人がプロジェクトに冷水を浴びせようというのだ。さらに悪いことに、米国・日本・カナダ・スイスという“部外者”がこの欧州内部の自信喪失劇を見物しているのである。イタリア銀行のアントニオ・ファッツィオ総裁は延期案に賛意を表明した。欧州随一の影響力をもつ中央銀行家であるドイツ中央銀行総裁ハンス・ティートマイヤーは発言を考えていた(悩んでいた)が、ちょうどそのとき、フランス中央銀行総裁ジャン=クロード・トリシェの激しい反論で解消された。トリシェは延期はとんでもない考えだと言ってEMU擁護論を展開したのである。「延期は条約の精神にも文面にも反する」トリシェは、フランス大蔵省の国庫局長として、ドイツのコール、フランスのミッテラン、イタリアのジウリオ・アンドレオッティが、EMUの期限を2000年以前に設定することに合意したのを目撃していた人物である。そのときから、トリシェはコールとミッテランが共有する「ビジョン」に仕える“聖職者”となっていた。トリシェを支持したのは、ベルギー中央銀行総裁アルフォン・ヴェルプラエと欧州通貨機構(EMI)総裁ラムファルシーという2人のベルギー人であった。ラムファルシーはEMIのトップとして過去4年間にわたり単一通貨の準備に全精力を傾けてきた人物で、「延期はたいへんな信認の失墜になる」と述べた。バーゼルにおけるこの日の議論は、大きな意見の相違が存在することを示しただけで、問題の解決には繋がらなかった。BIS総支配人のクロケットは、EMU計画も終焉段階にあるのかと意気消沈しながら夕食会を後にした。ニューヨーク連銀のマクドナーは、「われわれにできるのは、関心をもちつつも沈黙していることがせいぜいだと感じたよ。あれは欧州内部の議論だったからね」と語った。翌月の3月3日、フランクフルトで授賞式が行なわれた「バンカー・オブ・ザ・イヤー」で、ティートマイヤー、ドイセンベルク、ラムファルシーの3人は、延期に対して公然と強く反対した。これによって問題は解決されたのである。ティートマイヤーは「EMU延期に関する市場の懸念や噂はまったく馬鹿げており、私には理解できない」と語った。ラムファルシーは「延期の噂は根も葉もない」と主張した。ドイセンベルクは「懸念や噂は現実とは何の関係もない。EMUは1999年1月1日に発足する」、「マーストリヒト条約が批准されてから、単一通貨の誕生は確実なものになった。繰り返すが、確実なものになったのである」と語った。この年の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」は、ドイセンベルクが受賞した。1年以上経ってからのインタビューで、ドイセンベルクは1997年2月のバーゼルでの出来事はあまりよく覚えていないと語り、計画延期を提案したことを否定した。ドイセンベルクはECB初代総裁となり、1999年1月に参加国(オーストリア、ベルギー、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、ポルトガル、スペイン)における単一通貨の円滑な導入を指揮した。ドイセンベルクは「中央銀行は外部の影響からは独立性を維持すべし」という信念をもっていたと伝えられている。ドイセンベルクは1935年7月9日、オランダのフリースラント西端にある人口4万人のへーレンヴェンという町で、地元の水道事業を管理する父親の息子として生まれた。10代のときドイセンベルクは夏休みにタバコ工場・コーヒー工場のラインで働いた。ブタの食肉工場で働いたこともあり、自転車工場でも働いた。19歳のときグラマー・スクールを卒業し、フローニンゲン大学で経済学の勉強をはじめた。26歳のとき国際経済関係論専攻で経済学の学位を修得、4年後には博士号を授与される。関係ないが、彼は193センチもの長身である。博士号を取得したあと、ワシントンにあるIMFに応募し、欧州デスクに採用される。彼はIMFで34歳まで4年間勤務した。IMFを去ってからは、アムステルダムにあるオランダ銀行(中央銀行)に採用されて、理事会のアドバイザーとなる。1年の任期終了後、顧問職を去り、アムステルダム大学の教授になり、3年間マクロ経済学を講じた。その後、社会民主党の党員となったドイセンベルクは、わずか3年後に経済学教授から大蔵大臣へと大躍進を遂げるのである。※ 続きます。続きは以下。「ウィム・ドイセンベルク──その2」
2005年09月10日
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また目を覆いたくなるような事件が起こった。愛知県のイトーヨーカドー安城店で起こった事件のことである。事件現場から1.2キロほど離れたところで緊急逮捕された氏家容疑者は手や服に血をつけたまま歩いていたという。この氏家という人物は、先日1月末に豊橋刑務支所(愛知県豊橋市)を出所(空き巣目的の住居侵入と窃盗の罪で服役)したばかりだった。しかも、安城市に来たのは事件の2日前だったらしい。氏家容疑者は「殺すつもりだった。ナイフは店内で盗んだ」などと容疑を認めているというが、「ここ数日、『人を殺せ』『死ね』などというお告げが聞こえていた」と供述していると報じられている。氏家容疑者は被害者家族らと面識は無かったと言っているらしいが、別々の場所にいた青山さんの二男と長女が襲われたのは偶然だったというのだろうか。襲われたのは3人となっているわけだが、この3人とは、死亡した男児(0歳)、男児の姉である女児(3歳)、女児をかばった女性(24歳)である。つまり、狙われた(襲われた)のは青山さんの二男と長女だったということが分かる。別々の場所にいた青山さんの子供2人が“偶然、被害に遭ってしまった”のか、私は現在のところ疑問を持っている。この2人が狙われていた可能性があるんじゃないか、と。ネット上にあるこの事件の各新聞社の記事を読み漁ってみたが、「通り魔」という構図は、現段階ではどうも腑に落ちない。何か気づいたり思ったりしたら、この事件はまた取り上げたいと思う。氏家克直容疑者(34) FNN愛知・安城市のスーパー幼児殺傷事件 氏家克直容疑者「『殺せ』とお告げあった」愛知・安城市のスーパーで、子どもたちが男に果物ナイフで切りつけられ、生後11カ月の男の子が死亡した事件で、逮捕された男は「『人を殺せ』というお告げがあった」と供述していることがわかった。殺人未遂容疑で逮捕されたのは、住所不定・無職の氏家克直容疑者(34)。この事件は4日午前10時45分ごろ、安城市住吉町のスーパー「イトーヨーカドー安城店」の2階の遊具広場に、突然、氏家容疑者が進入し、無言のままベビーカーに乗った青山翔馬ちゃん(生後11カ月)の頭を果物ナイフで刺した。氏家容疑者さらに、姉の瑠菜ちゃん(3)の頭をけり、そのまま逃走した。翔馬ちゃんはおよそ2時間半後に死亡し、瑠菜ちゃんも頭にけがをした。そして1時間半後、警察は現場から1.2km離れた路上で氏家容疑者を緊急逮捕した。氏家容疑者は翔馬ちゃんらとは面識がなく、調べに対し「何日か前からいらいらしていた。『人を殺せ』というお告げがあった」と、落ち着いた様子で話しているという。警察では、容疑を殺人に切り替えて、動機を厳しく追及している。[5日0時48分更新] 愛知のスーパーで乳児ら殺傷 「いらつき刺した」34歳男逮捕 売り場のナイフでまた一つ、幼い命が奪われた。愛知県安城市のイトーヨーカドー安城店で四日、刃物を持った男が生後十一カ月の男児ら三人を襲う事件があり、男児は間もなく死亡した。愛知県警に殺人未遂容疑で逮捕された男は一月に刑務所を出所したばかり。「いらいらが募っていた。殺してやろうと思った」と供述している。男児は今月十日が一歳の誕生日だった。あまりに理不尽な凶行に、住民らはやり場のない怒りと悲しみに言葉を失った。 男は住所不定、無職、氏家克直容疑者(34)。氏家容疑者は事件後、同店から約一キロ離れた同市池浦町の路上で、手や腹に血を付けたまま歩いていたところを、警戒中だった安城署員に発見され、殺人未遂容疑で緊急逮捕された。県警は容疑を殺人に切り替えて動機などを追及している。調べでは、氏家容疑者は同日午前十時の開店直後に同店を訪れ、犯行に使った果物ナイフを「(犯行現場と同じ)二階で盗んだ」と供述。同十時四十分ごろ、二階の子供服売り場前の通路でいきなり、同県岡崎市宇頭町の会社員、青山圭一さん(34)の二男、翔馬ちゃん(生後十一カ月)の頭頂部に無言でナイフを突き刺し、約二時間半後に死亡させた疑い。翔馬ちゃんは店貸し出しのベビーカーに乗っていたが、フードは上げられた状態だった。直後に近くで買い物をしていた母親(34)が気付いて抱きかかえて逃げた。氏家容疑者はその後、数メートル先の「ちびっこ広場」で遊んでいた青山さんの長女(3つ)をけり、たまたま居合わせた女性(24)が覆いかぶさってかばったところをけった。その際に「殺してやる」などとつぶやいていたという。長女はけられた際、顔を切って軽いけが、女性も顔面などに軽い打撲傷を負った。 ◇■「つかまり立ち」10日に1歳/風邪治り久々“お出かけ”が…(略)凶行は母親の美佐さんが子供の靴を選んでいたときに起きた。四日は美佐さんの誕生日。翔馬ちゃんは十日に初めての誕生日を迎えることになっていた。近所の人によると、青山さん一家は会社員の圭一さんと美佐さん、幼稚園に通う長男(5つ)と、長女、翔馬ちゃんの五人家族。数年前に現在の岡崎市内の一戸建てに引っ越してきた。(略)事件のあったスーパーまでは車で約二十分。美佐さんは翔馬ちゃんの出産を機に仕事を辞めて育児に専念しており、早朝、長男を幼稚園に送った後、長女と翔馬ちゃんの三人で買い物などに出かけていた。事件当時、頭に包丁が刺さったままの翔馬ちゃんを美佐さんが抱きかかえ、必死で救急車まで運ぼうとしていたという。青山さんの長男と同級生の子を持つ母親(32)は「昨日、翔馬ちゃんの風邪が治ったとお母さんは喜んでいた。久しぶりの買い物を楽しみたかったはずなのに…」。(略) ◇■「死角」、付近に警備員おらず今回の事件現場となったイトーヨーカドー安城店では、連れ去りや事故を防ぐため、子供が集まるちびっこ広場の巡回を増やすなど重点的な対策を取ってきた。だが常駐の監視員はおらず、当時、現場周辺には店内を巡回する警備員も不在で、警備の死角をつかれた形となった。店側は「まったく想定外。突然の犯行をどこまで防げるのか分からない」と困惑している。会見したイトーヨーカ堂本社の村田紀敏専務取締役らによると、同店では私服と制服を合わせ六人で巡回していた。しかし翔馬ちゃんが刺された直後、付近に警備員も店員もいなかったという。母親が助けを求めて駆け込んだのは約五メートル離れた広場とは逆方向のレジ。同店幹部は「翔馬ちゃんが刺された瞬間を見た店員はいなかった」と話す。 ◇■氏家容疑者、刑務所を出たばかり/責任能力は問題なし氏家克直容疑者は一月下旬、窃盗罪で服役していた名古屋刑務所豊橋刑務支所を出所したばかりだった。名古屋市で仕事を探していたが見つからず、今月二日に安城市に移動。所持金はなく、廃車などに寝泊まりし、暖を取るためショッピングセンターなどに出入りしていたという。犠牲になった翔馬ちゃんの家族らともまったく面識はなく、はっきりとした動機のない犯行だ。調べに対して、氏家容疑者は「何日か前からいらいらしていた。殺すつもりだった。男の子か女の子を殺そうと思った」と明確な殺意を認めた。また、「『自殺しろ。人を殺せ。死ね』というお告げを聞いた」と一部、意味不明の供述をしているが、その他の供述は一貫しており、つじつまもあうことから、愛知県警では刑事責任能力に問題はないとみている。警察庁では、通り魔殺人事件について「人の自由に出入りできる場所で、確たる動機がなく通りすがりに不特定の者に対し、凶器を使用するなどして殺傷などの危害を加える事件」と定義しており、今回の犯行もそれにあたる。同庁によると、平成七年から昨年までの過去十年間に、全国で発生した通り魔殺人事件は六十九件(うち未遂四十六件)。逮捕された容疑者の大半が犯行の動機について「いらいらしていた」「襲うのは誰でもよかった」などと供述。子供やお年寄りなど犯罪弱者が襲われるケースが多く、今回の事件も襲撃対象が一致している。(産経新聞) - 2月5日3時48分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050205-00000019-san-soci<愛知通り魔>男児ら3人死傷、男を緊急逮捕 愛知・安城 4日午前10時40分ごろ、愛知県安城市住吉町3のショッピングセンター「イトーヨーカドー安城店」2階で、小型ナイフを持った男が数人の子どもや大人を襲った。うち、同県岡崎市宇頭町東山1、会社員、青山圭一さん(34)の二男、翔馬(しょうま)ちゃん(11カ月)が頭を刺され病院に運ばれたが、発生から約2時間半後に死亡した。一緒にいた翔馬ちゃんの姉(3)も顔をけられるなどして1週間の軽傷。近くにいた女性(24)も顔を殴られるなどして2週間の軽傷を負った。 男は逃げたが、約1時間半後、県警安城署員が南東に約1.2キロ離れた路上で発見。翔馬ちゃんを刺したことを認めたため、殺人未遂容疑で緊急逮捕された。県警は同署に捜査本部を設置、容疑を殺人などに切り替え追及する。 調べでは、男は、福島県出身で住所不定、無職、氏家克直容疑者(34)。氏家容疑者は窃盗罪で懲役刑を受け、1月末まで名古屋刑務所豊橋刑務支所に服役、出所したばかりだった。2日前から、以前に近くに居住した経験のあることから安城市に来て、放置された乗用車の中で寝泊まりしていたという。 翔馬ちゃんらと面識はなかったといい、捜査本部は衝動的な通り魔事件とみている。調べに対し「イライラが募っていた。殺せとお告げがあった」などと供述しているといい、さらに詳しい動機を調べる。凶器の小型ナイフはこの日、同店の売り場で盗んだものだった。捜査本部によると、氏家容疑者は「当初、数千円を持っていた」と供述しているが、逮捕時には所持金はなく時計とライターしか持っていなかった。 現場の2階フロアには子供服売り場や、子どもたちが遊ぶためのスペース「ちびっこ広場」がある。氏家容疑者は同広場近くの通路で子ども用カートに乗った翔馬ちゃんと母親の美佐さん(34)に襲いかかり、翔馬ちゃんの頭をナイフで刺し、さらに同広場にいた姉にも暴行。近くにいた女性がかばおうとすると、氏家容疑者は女性にも暴行を加えたという。美佐さんはけがはなかった。翔馬ちゃんと姉はこの日、母親と一緒に店に来ていた。 現場は名鉄名古屋本線新安城駅南西の繁華街。近くにある安城市立今池小学校では、屋外での授業を中止、教職員が校門に立って警戒した。【岡崎大輔、乗峯滋人】(毎日新聞) - 2月4日23時20分更新 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050204-00000054-mai-soci幼児殺傷の男は無職の34歳 愛知県安城市 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050204-00000209-kyodo-sociヨーカ堂に刃物男、幼児殺害…刃物刺さったまま搬送 http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005020422.html「誰か!!子供が死んじゃう」ヨーカ堂に刃物男 http://www.zakzak.co.jp/top/2005_02/t2005020423.html2年前に住み土地勘=当初から子供狙う? http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050205-00000158-jij-soci
2005年02月04日
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