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宿舎の二階で3Dスキャナーの性能実験です。主に遺跡を測量するものですが、遺物についてどの程度の精度でスキャンできるか試すところです。シャレコウベやスプーンなどいろいろおいてみました。
2013年01月28日
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今年もエジプトに行ってました。7月から8月にかけて二週間ほどです。やはりラマダンにかぶってしまいました。ラマダン中は発掘を行わないので、日々遺物の実測をしていました。たくさん残ったので来年はかなり頑張らないと終わりません。 なんと今年は8年目にして初のルクソール視察に行きました。写真はカルナック大神殿の多柱室です。いやーりっぱ、すごい、たいしたもんだ。というのが率直な感想です。今エジプトは観光客が少なくて観光しやすいです。多少のリスクはあるかもないかも分かりませんが。
2012年09月19日
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鎌倉巡りで、荏柄天神社にいきましたが、午後4時30分で閉じてしまうので、残念ながらギリギリで見られませんでした。扉の穴から向こうを何とか撮影しただけです。 日本三天神の一つと称していますが、これには異説があるようです。太宰府、北野は、固定として、防府天満宮、大阪天満宮、小平潟天満宮などが、入る場合もあるようです。もし、この荏柄天神社を三天神の一つとして数えれば、私はすでに思いもよらず、日本三天神を制覇したことになります。ブログを書きながら気づきました。やったー!
2012年05月12日
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アコリス遺跡のあるテヘネ村の外れです。近くに神殿があるので入ってみました。周辺は村のゴミが集積されています。臭いです。しかも燃料として使う牛糞がそこら中に干してあるので更に匂います。 おのゴミ山で子供たちは何をしているのでしょう。何か使えるものでも集めているのでしょうかね。別にこういった写真で、エジプトの子供たちは恵まれていないなどというメッセージを発したいわけでもありません。とても楽しそうですよ。
2012年05月10日
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2011年の調査時に撮影しました。出土は2010年です。倉庫に1年間眠っていました。小さい子供のミイラが出土しました。状態が良いのですごく生生しいです。子どもの死体をネットにアップして良いものでしょうかね。 近代までは、医療も未熟で、特に乳幼児の死亡率が非常に高かったようです。遺跡からも子どものミイラは結構出土します。たくさん産んだうちのほんの一握りの子どもが生き残るという時代にあっては、子どもの死に対する周囲の受け止め方は現代と違っていても不思議ではないのではと、考える今日この頃です。
2011年11月22日
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2011年の調査からです。不安定なエジプト情勢もあり、今年のカイロでの到着当日の宿は少し高級なホテルにしました。いつもの安宿(数百円で泊まれる)は、ちょっと危ないかもということで。大使館や高級ホテルもある高級住宅街にあるため、治安はいいようです。あまり気にはしないのですが、一応です。 広くて立派なバスルームの写真ですが、建物はとても古いです。調査隊長の定宿です。一泊50USドルくらいです。超円高なので大したことないです。 帰国前にもカイロに泊まったのですが、いつもの安宿にしました。ポリスはたくさんいましたが、特に危険なことはありませんでした。ポリスにタバコをねだられたくらいです。
2011年11月21日
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今年は、いつものホテルとは違うところに宿泊しました。いつもはデモの起きていたタフリール広場に面したホテルでしたが、今年は安全策で、大使館なども多い高級住宅街のホテルに泊まりました。数倍の価格ですが、実際はボロです。ただし、浴室とエアコンが付いているので快適です。 早速、危険を顧みず、カメラを持って周辺を散策に行きました。写真はナイル川とその向こうのモスクです。こうして見ると大変狭い川幅ですが、中洲から写真を撮っているので、反対側にも流路があるわけです。網で魚を取っている漁師さんらしき人もいましたが、あまりきれいではない川なので食べる気はしません。
2011年09月16日
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今年もエジプトへ行ってきました。動乱のエジプト情勢ですが、実際は平和でした。先月末に帰ってきました。約2週間の滞在です。今年は、治安維持が困難ということで、発掘調査が取りやめとなり、これまでの出土遺物の実測、写真撮影が主な作業内容でした。 昨年と同じく今年もアラブ首長国連邦のアブダビのエティハド航空で渡航しました。しかも、エコノミークラスを予約したのに、満席だということで、ビジネスクラスに変更となってしまいました。なんと素晴らしいことでしょう。実は昨年の帰国便も同じ理由でビジネスクラスでした。ビジネスクラスは大変良いです。席は広いし、しっかり横になって寝れますし、機内食も弁当ではなく、きちんと皿に載ってきます。まずはシャンパンでということで頂きました。
2011年09月08日
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ムバラク政権が崩壊してからしばらく経ちますが、未だにここタフリール広場での若者のデモは続いているそうです。テレビが映らなくなったので詳しくは分かりませんが、いろいろな不満があるとのことです。 写真は昨年のものなので平和そのものです。奥に見える赤い建物がエジプト随一、カイロ博物館です。王家のミイラがロイヤルマミールームにずらりとあります。ツタンカーメンもあります。 いつもここの側のホテルに泊まるのですが、今年は遠慮して別のところに行くことにしました。高いですが、安全第一ですので。
2011年08月02日
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後醍醐天皇の皇子である護良親王を祀る鎌倉宮です。鎌倉市にあります。鎌倉幕府倒幕のため大きな働きをしましたが、後に足利尊氏と対立し捕らえられました。土牢に閉じ込められた後に殺害されました。死して怨霊と化したと太平記には記述されています。 写真は厄除け病気平癒の身代わり人形です。護良親王の忠臣村上義光が親王の身代わりとなって命を落としたことが由来のようです。 たくさんありますが、かなり深刻な願いもあるようです。
2011年07月28日
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日本三大八幡のひとつに数えられたり外されたりする、鶴岡八幡宮です。鎌倉にあります。祭神は当然応神天皇です。三大八幡は確定の二つと未確定の二つのうちの一つとの組み合わせになっていますが、とりあえず全部お参りしました。 源頼義が前九年の役の平定後、この地に八幡神を勧請したのが始まりとのこと。その後、源頼朝はじめ北条、足利、徳川にも武家の守護神として厚い崇敬を受けました。私の実家も八幡神社の氏子ですので感慨深いものがありました。小学生の頃は毎年神輿を担ぎました。
2011年06月29日
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久々の更新です。エジプトの研究会の準備で忙しくしていましたが、無事終えました。 写真はさいたま市にある中山神社です。かつては中氷川神社とよばれ、氷川神社、氷川女體神社とあわせて三室と言われます。創建は十代崇神天皇の御代二年と言われる古社です。何故か摂社、末社が多数鎮座している境内です。ほかにも室町末期建造の旧社殿が保存されています。名称は変わってもさすが氷川神社といったところでしょうか。今頃は茅の輪くぐり神事が行われているでしょうかね。スサノヲノミコトが祭神ですから。
2011年06月29日
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2009年に発掘されたものですが、破片をつなぎあわせて復元されていました。2010年に撮影しました。 フェニキアから運ばれたものです。中身はおそらくワインではないでしょうか。容器ですので、中身を運ぶときの副産物として遺跡に残されたものでしょう。フェニキアは紀元前15世紀から紀元前2世紀までの都市国家、現在のシリアからレバノンあたりに位置しました。 地中海東岸の美味しいワインが運ばれてきたのでしょう。アコリス遺跡の住人も珍しいフェニキア産のワインを楽しんだのでしょう。
2011年05月15日
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僕の周辺では地震被害はだいぶ落ち着きました。なので久々の更新です。 エジプトもムバラク政権崩壊で大騒ぎのようですが、どうなったのでしょうね。地震、リビアに隠れて情報が目立たなくなりました。今年も無事調査ができることを祈るばかりです。 写真は宿舎の中から見た青空です。実際はこんなに青くないですが、こういうのはカメラやレンズによって写りが変わるものです。オリンパスのカメラだともっと深い青になります。左側に階段があります。薄くてとても心細いです。でも今のところ壊れずに使えます。でも恐いのでそろそろとのぼりおりします。
2011年04月09日
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写真には私がうどんを打っている様子が写っています。そうです。エジプトで現地調達した小麦粉、水、塩を使ってうどんを打ったのです。2010年の調査の時です。調査隊のみなが日本食に飢えているのは知っているので、なんとか美味しい日本食を食べて喜んでもらおうと思い、数ヶ月前から練習していました。 味はいまいちでした。一応うどん的な食物にはなりましたが、つるつるもしないし、シコシコもしない。もちもちはしています。まだまだ修行が足りないです。最近はそば打ちを練習していますが、今年の調査に向けて、再びうどん打ちの練習を再開するつもりです。 なお、伸ばし棒はなかったので、測量用のポールを使いました。
2011年03月09日
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久々の更新、エジプトの写真です。近頃話題のエジプトですが、来年の調査は無事行われるでしょうか?観光が重要な産業ですから、わりと早く落ち着くのではないかと思っています。あまり、とことんやるような国民性でもない印象です。 2010年の現場は、反対側の岩山まで広げはじめました。まだまだ掘る所はつきません。
2011年03月04日
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武蔵国一宮は実はもう一つあります。氷川女体神社です。額にも写真のとおりです。祭神は奇稲田姫(クシイナダヒメ)です。スサノオノミコトの妻ですね。●引用「高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦に出会い、クシナダヒメを妻として貰い受けることでヤマタノオロチの退治を請け負った。ヤマタノオロチから姿を隠す為にクシナダヒメは櫛の形に変えられ、スサノオの髪に挿された。スサノオはヤマタノオロチを退治した後、クシナダヒメを元の姿に戻し、共に住む場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。」(ウィキペディアより) 氷川神社は男体社とも言われ、氷川女体神社と対応関係があります。次はもうひとつの氷川神社を紹介します。
2011年01月11日
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前にも一度紹介したかもしれないですが、埼玉県大宮市にある、武蔵国一宮である氷川神社です。だから大宮市なのですね。 祭神は当然、スサノオノミコトです。東征のおりにこの地に滞在したとか。都会のど真ん中にある、とても広くて立派な神社です。駅からすぐですので、お近くに起の際には是非訪れてみてください。
2011年01月10日
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ぶらりと神社を見かけたので当然ながら入りました。八幡神社にありがちな源義家ゆかりの神社です。掻い摘んで言うと、銀杏の枝を拾って岡の上に立て、奥州討伐を誓ったのだそうです。討伐を成功し、帰路によったら、大きな銀杏の木になっていたので、太刀を捧げて八幡神を勧請したとのこと。 ちなみに今日は12月25日なのでキリストの降誕祭です。キリストの誕生日は今のところ分かっていません。諸学説によれば12月25日はではないことは間違いないようです。一部の正教会は暦が違うので1月7日になります。出遅れた方、もう一度チャンスがありますよ。 古代ローマでもともと信仰されていたミトラ教の祭日をキリスト教の祭日に取り入れたのがクリスマスの始まりとのこと。ミトラ教は太陽を崇拝する宗教です。ちょうどクリスマスに近い冬至の頃に大きな祭が行われたためですね。やはり拡大する宗教は在来の要素をどんどん取り入れて、信徒ごと取り入れて育つようですね。
2010年12月24日
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やはり東京出張の折によった神社です。なかなかよさそうな神社なので寄りました。鳥越神社、鳥と名がつけば、当然ながら祭神は日本武尊かな、と思いつつ行ってみたところ、当たりでした。しかも鳥居の前には白鳥橋と刻んであるではないですか。白鳥神社、大鳥神社、古峰神社は日本武尊を祭ると決まっています。 遠征中に亡くなった日本武尊が、白鳥となって大和へ向かって飛んでいったとされているからです。 なお、神社名の石碑は鳩山由紀夫の祖父の鳩山一郎の筆でした。東京のど真ん中でしたが、静かでくつろげる神社でした。都会の喧騒をかわすには神社が一番です。
2010年12月14日
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東京出張の折によった神社です。宿が浅草だったので、あちこち神社によりました。須賀神社ですので、当然ながら、祭神はスサノオノミコトとなります。なぜかといえば、出雲の須賀の地に宮を建てて住んだからです。単純ですが、このような法則性は神社においては厳しく守られます。神道に限らず宗教はやはり形式を重んじますから。
2010年12月12日
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札幌の伊夜日子神社です。実際はかの有名な弥彦神社です。弥彦神社は越後国一宮で、そこから札幌へ分霊を勧請したとのことです。明治時代のことのようです。越後ゆかりの人がこの辺に多かったのかも知れません。 北海道にはいったものの、当然由緒のある古い神社はありません。なので、何とか良さそうな神社をネットで探してたどり着きました。
2010年12月11日
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写真にはキャッチボールをしている若者二人と奥に廃墟が見えます。アコリス遺跡のど真ん中に広場がありまして、しばしば子供たちが遊んでいる場所です。サッカーをしていることが多いようです。 このたび調査の合間に、心身のリフレッシュを目的としてアコリスキャッチボールクラブが発足しました。なので日本からボールとグローブを持参しました。野球はあまり得意ではないので、投げ方から教えてもらいながら楽しみました。グローブは来年のために宿舎においてきました。 少々離れたところで子どもたちがサッカーをしていました。私も来年は参加したいと思います。サッカーは27年のキャリアをもつベテランなので子どもに負けるわけにはいきません。
2010年11月20日
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青森から飛行機で北海道へと飛びました。あっという間でした。そして札幌護国神社へと行きました。北海道には古い神社はないので、とりあえず大きそうなところへいきました。一宮、式内社を目指しつつも、見かければ護国神社にも当然参拝します。 東京は靖国神社、他地域は護国神社となり、いずれも招魂社から改名したものです。明治維新前後から国のために殉死した人を祀っています。 写真のデータを見たら2008年3月6日でした。僕の誕生日だったのです。良い神社に参ることができて良い誕生日となりました。 雪深い北海道、寒い一日でした。出張なの翌日は仕事です。
2010年11月13日
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青森に出張に行ったときに寄りました青森市の善知鳥神社です。市街地にひっそりとたたずんでいます。聞きなれない名前の神社ですが、允恭天皇の代に善知鳥中納言安方という者によって創建されたと伝えられるようです。そこから取られた名前ですが、謎は残ります。 祭神は多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、多岐都比賣命ですので、言わずと知れた宗像三女神です。宗像大社や厳島神社などの祭神と同じとなります。海の神、航海の神として崇敬を集める神なので、海に面した青森市にはぴったりの神です。 ところが、いざ本殿をのぞいてみるとなんとそれはコンプリート製の神明造となていました。神明造であれば、その多くは天照大御神を祭っています。実際は天照大御神は善知鳥神社に合祀されているにすぎない扱いなのですが。 一方、本殿手前の池には写真にあるように小島が設けられて小さい祠が祀られています。池の小島に神社を設けるのは厳島神社、弁財天にほぼ限られているといえます。つまりここに本来の祭神である宗像三女神が祀られていることとなります。 善知鳥神社のメインの祭神は、本殿脇の池内小島の小祠に祀られ、サブで合祀された天照大御神が本殿に祀られるという逆転現象が起きているのです。格としては当然ながら天照大御神が上ですから、建物を更新するときにこんなことになってしまったのでしょうか。 実はこのような現象は、ほかの神社でもたまに見られます。いずれご紹介します。理由はおおよそ検討ついてますが、現在検証中です。
2010年10月29日
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2010年の調査で出土した土器棺です。つまり遺体を入れた大きな壺です。大きいといっても中の遺体は幼児程度です。土器の中に見えるのは、つまり幼児の頭蓋骨です。布にくるまれていました。 この日は、この土器を深夜までかかって図面に取りました。ちょっと恐かったので、京都の晴明神社で買ってきた厄除・魔除のボールペンと、般若心経の書いてある扇子を隣に並べて実測しました。
2010年10月11日
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写真にはバイクが写っていますが、なんとマクドナルドの宅配用バイクです。エジプトはカイロのタフリールというところにあるマクドナルドにて撮影です。エジプト料理があまり好きでない私にとっては、カイロで最も頻繁に通う店です。ハンバーガーはとても大きく、ドリンクも大きく、ポテトも多いです。お腹いっぱいになります。店内は恐ろしいほどの冷房のききよう。上着が必要です。 エジプトではマクドナルドも宅配するようですね。
2010年09月26日
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今年の調査では子供のお墓がたくさん見つかりました。その一つです。布にくるまれて棺桶に入っていますが、土器に入ったミイラもあります。人夫の足のほうに頭蓋骨が見えます。この一帯が、子供用のの墓地だったのでしょう。
2010年09月12日
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今年もエジプトに発掘に行ってきました。やはりアコリス遺跡です。現場は残り二日で終了ということで、図面の作成をしている状況でした。写真では、平板実測をしています。光波測距儀という機械を使用するはずでしたが、残念ながら電池が寿命を迎えており、動かない状況のようでした。 今年は墓が17基見つかっていました。中には幼児の遺体などが入っていました。後日写真をアップします。夜な夜な遺体の入ったままの土器を、ころころ転がしながら実測をしていました。正しく深夜の実測でした。
2010年08月22日
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冬の八戸市、櫛引八幡宮です。ホームページによれば、「櫛引八幡宮は、鎌倉時代より南部藩(青森県南部・岩手県北部)の総鎮守として、多くの人々に尊崇されてきました。また、所蔵の国宝・赤糸威鎧をはじめとした宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となっております。」とのこと。 確かに資料館に展示している鎧などは大変見事でした。鎌倉時代のものだそうで、そんな昔にも立派な鎧があったのだなあと感心しました。遺跡からは出土しないのでわからないものです。 冬の八戸市はとても寒かったですが、海の幸は最高でした。回転寿司を食べましたが、いずれも新鮮で美味しかったです。一番良かったのは、地元産のメカブ汁でした。
2010年07月24日
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2009年の調査からです。今年もエジプトの調査に参加するつもりで、航空券を予約しました。エディハド航空という聞きなれない航空会社です。アブダビ共和国にあるようです。ドバイのエミレーツ航空と同じでアラブ首長国連邦に属しますね。今年から日本に就航したみたいです。初めて乗るので楽しみですが、代金がずいぶん安かったので少々心配なところもあります。 写真には大きなものさしと土器と土レンガが写っています。レンガで囲まれた部屋からたくさん出土した土器などの遺物の出土状況を図面に書いている状況です。縦と横に測量用のスタッフという大きなものさしを置いて測りました。住居の床に近いところから遺物が多く出土すると、このようにして図面を取ります。結構大変そうですが、慣れているので大した手間ではありません。 このようにまとまって出土する土器は、おおよそ同時期に使われた土器と考えられます。遺跡から出土する無数の土器のうち、どれとどれが同じ時代のものか鑑定するのに非常に役立つのです。
2010年07月11日
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八戸市にある櫛引八幡宮に良く途中にふらっと寄った神社です。白山神社なので祭神は菊理媛神(白山ひめ神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三柱となることが多いのですが、伊佐那美尊となっています。メインの白山ひめ神を差し置いています。 写真に写っているのは本殿です。鰹木が偶数で女性神であることを示します。独立棟持柱をもっている神明造ですし、鳥居も神明鳥居です。これらの状況から本来は、天照大御神を祭る神社か、伊佐那岐・伊佐那美を祭る神社であることが伺えます。 祭神も本殿形式も鳥居も、白山神社とは言い難い状況です。本来白山神社であったのが、後に祭神がより有名な伊佐那美尊に変えられたのか?その時に本殿形式なども変わったのか?あるいは、もともと伊佐那岐・伊佐那美尊を祭る神社であったのが、名を白山神社へ変えたのか?その時本殿形式などは変更を受けなかったのか。 いろいろと疑問の残る神社でした。ひたすら首をかしげながら神社を見て回りました。いずれにせよ、合理的な理由があったはずです。宗教は形を重要視し、決してないがしろにしません。重要な検討課題です。
2010年07月09日
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新一宮である岩手県奥州市にある駒形神社です。その奥宮が駒ケ岳の山頂にあります。奥宮が古くなったので、新築することになり、資材運搬のボランティアを募集していました。当然申込みました。平成22年6月6日に参加しました。 お祭りしているのは、御祭神六神で駒形大神(こまがたのおおかみ)としている。六神は、天照大御神、天之常立尊、国之狭槌尊、吾勝尊、置瀬尊、彦火火出見尊です。古代において朝廷の東北支配の拠点の一つとなったのですね。東北生まれの身としては幾分フクザツな心境ですが、これによって厚い崇敬を受けてきました。 ともあれ、資材運搬、道なき道の登山、約2時間、数十キロの板材を背負っての道中、疲労困憊、なれども山頂の景色にすべてが報われた一瞬でした。 写真の真ん中に造営中の奥宮があります。神社巡りもいよいよ、単に見るだけでなく造営に関わってしまいました。感動モノです。奥宮の中には、造営に参加したボランティアの名前が永久に記されるそうです。 大変でしたけど、とても記念になる、歴史に残る、いい経験となりました。ほかの神社でもやらないかと思っているのですが・・・。
2010年06月19日
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2005年の調査時に実測した土器です。プトレマイオス朝の土器ですので、これまで紹介した土器の中では新しい方になります。おおよそ2000年ちょっと前のできでしょう。プトレマイオス朝最後の女王がかの有名なクレオパトラ(七世)です。 口の部分が内側にくるんと丸まります。味噌汁は飲みにくそうです。小さめの丼程度の大きさです。ロクロを使って作っているので、実測図の作成はほとんど須恵器と一緒ですので簡単です。いったい何をいれて食べたのでしょうか。ビールか?ワインか?ワインか?ビールか?
2010年06月11日
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淡路島一宮町多賀にある、伊弉諾神宮です。祭神は伊弉諾命と伊弉冉命、社格は延喜式名神大社、淡路国一の宮、元官幣大社です。イザナギが国生みを終え、淡路の多賀に幽宮を構えて余生を過ごしたといわれます。その場所に立つ日本最古の神社らしいです。日本最古を名乗る神社は、ほかにもありますが、ともかく、立派な神社でした。さすが神宮です。 とても天気の良い日で、レンタカーを借り、明石大橋を渡って淡路島へと来ました。淡路島は玉ねぎの産地なんですね。おみやげに買った玉ねぎスープ、大変美味しかったです。
2010年05月11日
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淡路島にある伊弉諾命と伊弉冉命と菊理媛命をお祀りしている縁結びで有名な神社です。ここをお参りした、とある芸能人がまもなく電撃結婚したと報道され、若い娘さんが多数押し寄せることとなりました。確かに若い女性の参拝者が続々と訪れていました。ちなみにその芸能人はまもなく離婚してしまいましたが。 イザナギとイザナミが大八洲を生んだ時に最初に生まれたのが淡路島です。これら国生みを行ったのがおのころ島です。
2010年05月03日
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2009年の調査からです。真ん中の女性が測量をするために、水準儀(レベル)という測量機械をのぞいてこちら側を見ています。右手のエジプトの作業員は面白そうにのぞき込んでいます。左手の女性はそんな様子を面白がってカメラを向けています。さらにそんな三人を面白がって写真に撮った僕がいます。そんな僕をどこからか写真に撮った人がいるかどうかは分かりません。そんなのんびりとした一時もたまにはある発掘現場です。とっても暑い日ばかりですが、基本的に仕事は頑張って真面目にしてます。念のため。
2010年05月02日
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多賀大社に続き、建部大社へ参りました。近江国一宮です!!。祭神は、なんと!日本武尊さらに天明玉命そして大己貴命(大国主命)です。これだけでいい神社って感じがします。大分日もくれてきました。いい感じです。境内には摂社、末社もたくさん祀られていて得した感じです。 参拝者は少なく、静かなたたずまいの神社です。帰りは、瀬田の唐橋を渡って帰りました。日本三古橋の一つだそうです。古代から架けられていたとは聞きますが。 話は変わりますが、岩手県奥州市に陸中国一宮駒形神社という神社があります。今年度、奥宮を建て替えます。その際に山の頂上まで部材を運ぶボランティアを募集していました。もちろんというか、当然、応募しました。新一宮ということであまり一宮としての歴史は古くないのですが、そんなことは問題ではありません。ついに私も神社の造営にたずさわれる!そんな感動でいっぱいです。5月から6月に行いますので行っていきます。その時の様子はいずれアップします。そのためにも軽量で性能のよいデジカメを物色中です。またか?
2010年04月29日
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2007年の発掘調査で出土しました。一見壺の形をしていますが、外側にはススが付いていることの多い土器ですので、火にかけて使っていたようです。お湯でも沸かしたのでしょうか。この土器が出土した部屋からはほかにもたくさんの土器が出土しました。 いかにも発掘調査らしく、刷毛できれいに掃除していますが、見つかるまでは、結構大変です。エジプトは乾燥しているので、土を掘り返すとホコリがたくさん舞い上がります。慣れない人が掘るのはとても大変なので、僕は掘り上がった頃に写真を撮りに来ます。慣れた人に任せるのが一番です。それまで僕は、よそで土器をナデ回しながら待っています。
2010年04月27日
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再び神社めぐりです。写真は滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座いたします多賀大社です。祭神は当然、伊佐那岐命と伊佐那美命です。国生みに関わる重要な神社です。バスで向かったのですが、大変な雪模様でした。滋賀県でも結構降るんだなと思いました。 こんな天気なので、参拝者も少なかったですが、伊勢神宮と並び称されるだけあって立派な神社でした。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」、「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などといわれています。
2010年04月17日
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写真は豚の頭蓋骨です。上あごと下あごとばらばらですが、アコリス遺跡から出土しました。日本では腐って残らない骨などもこのようにきちんと残ります。もちろん三元豚ではありません。日本での発掘調査の場合、腐って残らない物を想定しながら古代の暮らしを考えますが、エジプトの場合はちょっと違うかもしれません。当時の物がすべて残っているとは思いませんが、一度、残っているものだけから古代の暮らしを考えてみる必要もあるのかもしれません。 イスラム教徒の多いエジプトでは、豚肉を食べることはほとんどないとおもいますが、この骨がはイスラム教が生まれるより1700年くらい前のものですので問題はないでしょう。宗教上のタブーにはなりません。とても美味しいのですけどね。ちなみに僕は、特にトンカツが好きです。
2010年04月11日
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引き続きエジプトの土器を紹介します。これも2009年に出土したものです。土器の破片をセメダインで接着し上半分まで復元しました。残念ながら下半分は見つかりませんでした。発掘現場からはよく出るタイプのもので、口が大きくて、把手のついた大きな甕(カメ)です。下半分はこのまま卵型にすぼまっていくと思います。そこは平らにならず、丸くなります。専用の器台に置いて固定します。台に置いた様子は、壁画などに残っています。普段使う水などを貯めておいたのでしょうかね。たっぷり入りそうです。表面にはうわ薬が塗ってあります。水が漏れないようにするためでしょうか?土の特徴から、生産地はエジプトのどこか、遺跡からそれほど遠いところではないと思いますが、今のところ不明です。王朝時代も終に近づいた頃の、エジプトの田舎の、名もない庶民が使った、とてもとても地味な土器ですが、口のあたりの微妙な丸みが私にとっては愛しくてたまりせん?
2010年03月27日
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先日、天童市の西沼田遺跡公園でアコリス遺跡の発表をさせていただきました。聴きに来てくださった方々、ありがとうございました。準備不足でおぼつかない話だったかもしれませんが、次の機会があれば是非またお越しください。いくらかでも楽しくなるよう準備していきたいと思います。 さて、早速、エジプトの土器が知りたいという方の書き込みがありましたので、ご紹介します。写真の土器は2009年にアコリス遺跡から出土した土器です。実測も僕がやりました。深夜にはおよびませんでしたが。エジプトのアコリス遺跡から出土した土器ですが、エジプトで作られたものではないと考えられます。土も器形も文様もエジプトのものではないようです。表面を綺麗に磨いて、土器をぐるぐる巻くような文様が描かれています。表面の磨き方、文様のつけ方から、地中海周辺のどこかで作られた土器のようです。文様的にはギリシャ方面に祖形がたどれるような気がしますが、影響を受けた各地で似たような土器を作るようになるので、実際どこで作ったのかは、今後詳しく調べていくつもりです。高さは14センチです。ほかの形の土器も順次紹介していきます。
2010年03月23日
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奈良県橋原市にある橿原神宮です。祭神は神武天皇、姫蹈鞴五十鈴媛命です。明治23年に建てられました。すぐ近くには神武天皇陵もあります。でも古墳ではないようで、実際は明日香時代の古代寺院跡のようです。大久保廃寺という説もあります。でも天皇陵として宮内庁管轄になって柵がめぐらされています。 隣駅の畝傍御陵駅の側のアパートに3年ほど訳あって住んでいました。久々に訪れた橿原神宮ですが、最近の神社巡りまくりの甲斐あってか、いろいろ見どころがありました。どんどん神社が楽しくなる毎日です。
2010年01月29日
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坂上田村麻呂が宇佐八幡宮から勧請し、岩手県奥州市へ鎮守府八幡宮を創建。その後室町時代に奥州探題大崎氏が大崎市へ遷し、大崎八幡宮となりました。現在地へは仙台藩祖伊達政宗が遷し、仙台藩総鎮守としました。当代随一の名工が集められ建てられた桃山建築の社殿が見事です。 学会の帰りによりました。神社に興味のない同僚と一緒にいきましたが、帰る頃には、神社もなかなかよいな、などとつぶやいていました。
2010年01月02日
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脳味噌が入っていた頭蓋骨ですが、なんと穴があいていました。穴には治癒した様子もないので死亡してから開けられたものでしょう。おそらくミイラにするために脳味噌を取り除く必要があったのでしょう。それでも脳は残っていたのですが。生生しい傷跡です。
2009年11月22日
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前回アップした人骨の頭部から出てきた脳味噌です。カラカラと音がし、コロンと出てきました。一部が残っただけでしょうが、驚きです。約2500年前の脳ですので貴重な発見だと思います。本来はミイラにする前に抜き取るはずなのですが、取りきれなかったようですね。
2009年10月23日
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前回アップした棺桶の全貌です。すっかり掘りあがり人骨丸見えです。これといった副葬品はなかったように記憶しています。本来はミイラだったのでしょうが、お肉はすっかりなくなっていますね。遺体に巻いた布がところどころに残っています。使われなくなった住居の中に埋葬されています。なので棺桶の左にパン焼き窯が見えています。
2009年09月26日
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2006年の調査からです。棺から現れた人骨です。棺にはご覧のとおりに彩色が施されています。赤や青の鮮やかな色彩です。そのような立派な棺に遺体は納められていました。ある程度地位の高い人のものかもしれません。 遺体は大分傷んでおり、肉などは残っていませんでした。おそらくある程度のミイラ化の処理は施されていたのでしょうが。作業員が筆で丁寧に砂をどけています。いかがでしょう、アコリス遺跡なかなかです。
2009年09月11日
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最近エジプトネタが多かったので、神社に一旦戻ります。でもアクセス数はエジプトネタのほうがはるかに伸びるんです。行ったり来たりします。 昨年の初詣に行った、谷地八幡宮です。山形県河北町にある、地元では結構有名だけと、普通に地味な神社です。寛治5年(1091)後三年の役で源義家が戦勝の神として八幡神を勧請したのが創祀といいます。 9月14・15日の例大祭「谷地どんが祭り」には境内石舞台において林家舞楽奉納があります。宮中舞楽、四天王寺舞楽、南都楽所舞楽と並ぶ四大舞楽の一つで、林家は大阪四天寺の楽家の一族だったといわれてるそうです。受け売りですがこのとおりです。 人出が多く、参拝するために長い間並びました。出店も多くいいにおいがしましたが、食べませんでした。よそでもっとおいしいものを食べたとさ。
2009年09月08日
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