カンボジア私記 02





 大雑把な造りに見えるワットは、中に足を踏み入れるとガラッと印象が変わる。壁面には、所狭しと精密な彫刻が施してあった。失敗は許されず、根気のいる作業だったろう。国中の富が集中していたからこそ作ることのできた芸術。
 アンコール・ワットを見終わり、目的のなくなった僕はサラのいる茶屋へ行く。サラは店の中に吊るされたハンモックでニヤニヤしながら僕を見ている。店の女の子が「はにゃふにゃはやひに…???」とカンボジア語で僕に話しかけてくる。狼狽しているとサラがゲラゲラと腹を抱えて笑っている。サラはその女の子に「今日の客はカンボジア人だ」と言っておいたのだそうだ。その女の子は「あなたのこと見て、本当にカンボジア人だと思ったわ」と。そうか、カンボジア人でも通じるんだなぁ。
 サラと店を出て「次はどこに行きたい?」と聞かれるが、ガイドブックをほとんど見てこなかった僕は、もう特にこれが見たいというものがなかった。「アンコールワットだけが見たかったんだ。後は何があるかわからないし、帰ろうかなぁ。サラも帰りたいだろ?」と言うと。「え?もういいの?どこか行きたいところあるだろ?」と困ったような顔をしている。「それじゃ、お勧めの場所に連れてってよ」と、その後はサラが勧める場所を何箇所か回った。アンコール・トム。それにジャングルの中で朽ち果てた寺院。ポルポト派による虐殺の博物館。
 最後の博物館はこたえた…。韓国や東南アジアを回ると日本人によってなされた爪痕をいたるところで見たり聞いたりして、ぐったりとしてしまったんだけど…人が人を理由もなく虐げるのを見るのは、その人の道徳心、倫理感、理性の有無に関係なく辛く、疲れる。こういうものを避けるべきなのか、避けることなく見つめるべきなのか、いつも悩んじゃうんだよなぁ。広島に行ったら原爆ドームを見なくちゃいけないのか?みたいな…
 この博物館でノック・ダウンしたので「もう疲れたよ、帰って眠りたい」とサラに告げた。サラとポルポトについて話をする気力はなかった。


 次の日もシェムリアップに滞在したけど、何をしたか覚えていないし、記憶にもない。たぶん昼過ぎまで寝て、街をブラブラと歩いて、それから日が暮れたんだろう。誰かと話す気力もなく、ボ~っとしていた
 一つだけ記憶に残っているのは、散歩しているときにスコールが突然降ってきて、近くにあったホテルに逃げ込んだ。ホテルの庭に小さなバーがあったので、そこに入り、早目の夕食にすることにした。客は僕だけだったのでカウンター越しに男の店員が話しかけてきた。「どこから来たの?ここはどうだい?」そんな会話だったと思う。そのうち店員の女の子たちが寄ってきて、男の店員が僕との会話を女の子たちに通訳していた。そうしたら女の子の一人が質問してきた。
「ここに来るのは何度目か?ってこの子が聞いてるんだけど」と男が僕に言う。
「はじめてだけど…」と僕が言うのを、男が彼女に伝えると。
「この子が、あなたのことを見たことがあるような気がした、って言ってるよ」
「あぁ…、日本でも外国でもよくそう言われるよ。ぼくの顔はどこにでもある顔だからね。特徴がないんだよ」
 こんなとりとめもない会話がしたかったんだと思う。何の記憶にも残らない、けど、商売っ気のない普通の会話がね、したかった。
 東南アジアを回っていて、地元の人との会話はほとんどが「客と店員」的な会話が多くて、疲れちゃってたんだろうなぁ。このバーで、久しぶりに「ただの人と人」の会話をしたような気がした。




 この頃の日記を読み返すと、シェムリアップには2泊しかしていなかった。
 マレーシアから日本への帰国便が迫っていたから、カンボジアに滞在できる時間が少なかったのだ。
 2日目、僕と同い年くらいの宿の責任者に「あしたプノンペンまで帰らなきゃいけないんだけど、バスかなにかある?」と聞くと、「あぁ、毎朝バスがあるよ」と。道は少々悪いけど、何も危険なことはないし、安い。と言うので予約してもらった。
 3日目の朝、6時20分にバスが来てくれると言うので部屋を出ると、宿の人がフランスパンとバナナ2本をくれた。この2日間、宿の人間や、宿にたむろしていた若いカンボジア人たちとほとんど会話をしていなかったけど、こういう心遣いをされて、すごくうれしくなったのと同時に、もっと話をすればよかったなぁ…と後悔してしまった。もう単純にうれしくなってしまった。
 バスがくるまでの間だけでも話をしようと思って、宿の前に集まっている人たちと話をしていた。何十分、話をしていたんだろう?こんなに話をしていてもバスが来ない…。そのうち宿の人たちも心配顔になってきた。バス会社に電話してくれたのだけど、もうそっちに行っているはずだ、とのこと。バイクタクシーの二人くらいがバスを探しに行ってくれる。戻ってくると「もうすぐここに着くよ。大丈夫だ」とのこと。
 結局バスが来たのは7時をとっくに回った頃だった。バスは、運転手を入れて6人乗りのバンだった。僕が最後の乗客だったようで助手席に座ることになった。足元には荷物が置いてあって、床に足をつけることが出来ない。
 ブンブン走り出すと、車はグワングワン!揺れ、天井に頭をぶつけるほどだっと。左手でドア上の取っ手を掴み、右手で天井を押すような感じの姿勢で揺れに耐えていた。
 乗客にはもう一人の日本人が乗っていた。きれいな女性だった。こんな貧乏旅行しているきれいな日本人を今まで見たことがなかったから、びっくりした(あ!嘘で~す!時々はいる、かも、かな?)。その人は、この激しい揺れのなか、ほとんど爆睡してすごしていたから、かなりのツワモノだと思った。ということで車が走っている最中は、ほとんど会話をすることもなかったけど、最初の休憩時間に車が停まったときに話をした。「いやぁ、ものすごく道が悪いですね。助手席は窮屈で酔っちゃいそう」って言ったら、休憩時間が終わる前に「はやめに車に乗って席とっちゃおうよ!助手席はあいつら(白人)に座らせればいいでしょ」と言って、さっさと席を取って躊躇している僕に「はやくはやく!」とせき立てる。後ろの席に変わると、クッションもいくらか効いていたし、一人分のスペースも取れるようになって、少しだけ楽になった。それでも彼女のようにぐっすりと眠ることは出来なかったけどね。
 車は10時間走って、やっとプノンペンに着いた。彼女も僕もその日の宿を決めていなかったので、彼女の持っていたガイドブックを見て、同じ宿に泊まることにした。バスターミナルで翌日の空港までのシャトルバスを予約し、薄暗くなった道を宿へと向かう。無事に宿のチェックインを済ませ、まずはシャワーを浴びて、それから日本食の食べられる定食屋「フーちゃん食堂」で夕食を摂る。彼女と話をしてみると、彼女は個人旅行はこれがはじめてで、中国からメコン川流域を下って、これからはシルクロードを旅するという。もともとは雑誌の表紙をデザインする会社で働いていたのだけど、あまりにもハードな仕事で、仕事中に倒れて入院したのを機に退職したのだそうだ。こんなきれいな人が一人旅するのは危険だ!と思って、それを言ってみたら「うぅん…怖いときもあるけど、それ以上に楽しい時の方が多いいし、今まで大丈夫だったからね」と。帰国は1年後の予定とのこと。

 朝、ロビーで彼女と待ち合わせをし、店先の蒸篭からモクモクと水蒸気を出している飲茶屋さんで朝食を一緒にする。東南アジアに来てから一ヶ月、ほとんど日本人と、ということは外国人とも、話をしなかった僕が、最後の最後でよく話をした。ご満悦の僕は帰国すればほとんど価値のなくなるカンボジアのお金を彼女に渡してバスターミナルでお別れ。
 空港行きのバスに乗ってはじめて気がついた…「彼女の連絡先、名前すら聞くのを忘れてた…」。…残念。

 朝のプノンペンは活気があって、長い長い内戦が数年前に終わったばかりだなんて思えないほどだった。数日前、最初にプノンペンに来たときの印象とは違って、みんなが笑っているような、そんなふうに見えた。   




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