「さぁて、9番に行きましょう(私)」
「えぇ、でもこのかっこじゃ、着替えないと行けない、いったん小川町に戻りましょう。」
えっ・・わりと道が繋がっている順に効率よく計画をたて、9番を打ったらすぐに県道から武甲山を回り込み、三峰口の方まで、午前中に行く予定だったのですが・・。けど、おめしものの問題とあらばやむを得ず、 お店
のある小川町に行くことに気持ちを切り替えましたけど、「待てよ・・」だったらこの位置から嵐山(らんざん)の 菅谷館
に寄れるではないかということで、ルート変更。
まずは 嵐山史跡のの博物館
に行ったのですよ。ここは前から「 畠山重忠公
」の供養をしなければ何がが収まらないと話し合っていた場所で、前もって 畠山氏
のことも調べていました。で、に行ってみたらびっくりですね、重忠さんのろう人形が半分怒ったように喋りだし、自分の誇りと死ぬときの悔しさみたいなものを語っていたと思います。

「それでどこで騙し討ちに遭ったんだっけ・・えー? 二俣川!
」絶句しました。それ 横浜編
でも書きましたが、どうしても急行を乗り換えなければならなかったのが「二俣川駅」だったのです。「ここで繋がるのかあ、 首塚
とか行っておけばよかったかなぁ」と、その場所のご縁を考えました。「せめてお墓のある菩提寺とかいかなければダメか・・」と思っていましたら、あっ!ありました。でっかい五輪の塔のお墓が館内に。すかさず巡礼師さんは「 三
位一体・開運法
」の祈りを捧げていました。亡くなった方でも穏やかになり霊格が上がるんじゃないでしょうか。あと、城址↓は広いので、時間があれば全部どうぞ。

それから、ここ以外に埼玉県深谷市に 畠山重忠公史跡公園↑
という場所もありますし、 横浜市旭区
もありますので、本当にご縁のある方は三ケ所、行かれた方がいいかと思います、直接のご子孫の方とか・・。
ちなみに 畠山氏
は 秩父氏
の子孫なのですが、私が探究している 千葉氏
とは「本家・分家」の関係になり、何度もコメントしています「 平将門流坂東平氏
」の直接の仲間です。しかし鎌倉時代・北条執権のとき千葉氏は残り、畠山氏は粛清されました。その違いとか区別っていったい何なのでしょう。わたくしもこの嵐山に立ち寄ったことは無縁ではないのでしょう。
さて、小川町の お店
に寄らせていただきましょうか。
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