さて、最後の 慈光寺
ってすでに山寺で、「修験の起点」になっているそうです。昔はそこから三峰山を通り富士山まで行って来て、そこからまた 慈光寺
に帰ってくるという修行があったらしいですね。足が悪いあたくしにはゾッとするような話です。ということはその辺から山深いんですが、私が「 将門ブログ
」を調べて縁地に行きたいと思ったのはもっと奥です。「 勝負平
」とか「 九十九神社
」とか、まさに修験ルート。それで私は「とりあえず勝負平の方へ行きましょう、それて手前の大野神社というところにも」と言って向かってくれたのですが、ものすごく山あいが深くなり道がくねくねアップダウン、そこに住んでいる人も何やら閉鎖的な感じ。行ってみたら 県道172号
というのは怪しいです。それが繋がって 西武秩父
に出るのかと思ったら、そんなことではなかったみたい。とにかく巡礼師さんの車がシャーシの下をこすりそうでもっと奥に行くのはヤバいということで「将門系」は断念。
そういうことで「寄居」方面の 鉢形城址
に行先を変更しまして、もしかしてその辺で打ち止め?。「桔梗には会えないのかぁ・・・」と思いつつ、いつしか城址の中心。。。ですが車を停めるところがなくその先のお寺さんへ、どこでしょう? 常光寺
さん。

ここは? 寄居町七福神
の一つで、ご本尊は阿弥陀如来で不動明王もいらっしゃる。そんな感じですが。お寺の裏手の奥の方が荒川になっていて、もしそこで合戦でもあったならば慰霊碑が立っているだろう的な感じの、いかにもな石碑が気になっているらしく、 巡礼師
さんは例のお祈り(気功)。
それで 鉢形城址
なんですが、本陣の所に車を停められない感じで、あんまり説明書きもないようなので、私はちゃんとした「 歴史館
」に行くことを所望しました。で、なにかとてもわかりずらい裏からの入り口があったのですが、行ってみましたら駐車場がやたら広い、大きい。中に入ってみると・・・

やや、なんと「 後北条氏
」の重要拠点。スライド映画なども上映していたのですが、どうやらここが関東を守る要、武田・上杉が進軍してきてもなんとかここで死守するという場所になっていたようです。荒川沿いなので合戦するには大人数同志でやりやすいところなんでしょう。最後には小田原城同様、豊臣秀吉に滅ぼされることになります。ここで出てきましたね、小田原。 坂東霊場五番・勝福寺
がこの寄居という拠点で室町時代当たりの意識が繋がっています。もちろん前述の将門時代のことも複層的にあります。とてつもなく大きな場所で、滅びるときは幾万人も亡くなったことが想像されます。うーん・・・ 「責任取りたくにゃい」

私の感慨はそうでした。そもそも北条氏って西の平家で坂東平氏ではありません。それでもそも周辺にお住いの人、ご先祖様や身内が北条氏に関係ある人、ボランティアで「霊」にも親切にして、斎藤一人さんのおっしゃる 「徳」を積みたい人
はおすすめスポット。あらためまして、小田原城・勝福寺・鉢形城歴史館、この三つのスポットをご紹介して、巡礼記を終わります。
「次」ってあるのかと言いますと、12番の慈恩寺に行けば武蔵ノ国が完結なので行くと思います。たぶんいつか・・・
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