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今年も一年色々ありまして、それでもめでたく年の瀬を迎えているはずでしたがこの時期に舅が肺炎疑惑で入院しており、お正月も病院で過ごすことになりました病身の僕、でありたい舅にとって、入院生活はいわば本意にかなうものすっかり病人モードになっていますただ肺炎疑惑でありながら、本人には自覚がなくやっぱり気になるのはお通じのことだったりしていますちょうど年末年始の休業期間であるトド(夫)にも食事介助に行ってもらっていますが今日などは昼食時に手伝いに行ったはずのトドを記憶しておらず(笑)「トドは来なかった」などと舅が言うもので病院に行くといって、何処行ったんだ!(;一_一)とこちらも疑惑の人になるのでございます「病院行かなかったの?裏切り者!」とメールを送ると珍しく速攻で電話がかかり、慌てふためいて「行った!看護婦さんに聞いてくれ!」とのこと(笑)舅は息子を男性看護師だとでも思ったでしょうか?ウトウト状態で食事介助をしたらしいのですが話しかけたりしないのね、息子って(;一_一)今後は自分の存在をアピールするようにトドに申し伝えましたこれまで実父や姑の闘病生活を見るにつけてもできれば介護施設で生活を送りながら終焉の時を迎えるのが理想ながら叶わないなら、急性期病院での入院生活が望ましいかと思える老後舅の場合、意識はしっかりしているので、このまま入院でもいいかもと思ったりもしつつ入院の場合は、介護サービスは受けられないため家族の手が必要でこれまた悩ましい問題ではあります実母はグループホームで生活していますので舅も併設している特養に戻れればあれこれ思いつつの年の瀬です皆様、良いお年おお迎えくださいませ
2014年12月29日
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従姉が昨年10月に亡くなりましたあけまして・・ではなく、寒中お見舞いを申し上げているのはそのためです従姉の病名は若年性アルツハイマー、ということになっていて確かにそうに違いないのだけど、実母の発病期間と比べると、ずいぶん様子は違っていました昨年の夏から、呼吸停止が頻繁におきるようになりその都度、声をかけていただいて復活していたんですがこれもまた、脳からくる・・・とのことで呼吸器などをつけての延命処置は、伯母も従姉の子供達も望んでいなかったので秋といってもまだ温かかった頃亡くなる前日から呼吸の乱れが激しく今回は復活できないまま、亡くなってしまいました8月生まれなので、今年の8月を迎えていたら還暦まだ50代の若さで、この50代を病を抱えて過ごした従姉です姉と思い、姉妹のように育ってきましたただただ、悔しく悲しく、残念でなりませんでも従姉の娘の花水木ちゃんが来月出産予定です新しい命を知って、母体の安定期を待って従姉は娘に命をつないで、旅立ったのだなと、思っています今は、伯母の今後のこと、花水木ちゃんの出産のこと楽しみでもありながら、不安でもあります赤ちゃんは男の子なんだそうで、ママの強い味方になってくれる優しい子に育ってくれるといいなと思っています従姉の息子のお沢庵も、それなりにお仕事をしている様子でさて、どうなることやらな状態は変わらないものの何とかやってるみたいです我が家では昨年後半から、先日も書いたとおり舅と実母が同じ施設の別棟での生活になりトドが舅のところへ行くときは、トドだけ舅のところへ行き、私は実母のところへ行くなど、できるようになって助かっていますこのブログには、母の初期の様子から、父のこと、従姉のことなど私にとっては忘れがたいことを書き込んできています以前のように毎日とはいきませんがまた、書きます御精読ありがとうございました今年もよろしくお願いします(^_-)-☆
2014年02月07日
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この年の二月に花水木ちゃんがめでたく結婚し、その直後にトド(夫)が痛風発症本人もそれまでの暴飲暴食を反省したのはいいんだけど発症直後からほとんど食べなくなって一か月ほどを過ごしたある日お稽古場所へ迎えに行くとふらふらする、とのこと、食べてないからね・・・(^^ゞお医者さんに行きたいとの要望があって時間外の窓口へ行き、点滴をしていただいて急激なダイエットについての危険性を諭していただく全く極端な人だとはいえ、最初の一か月の節食で5キロほど落ちた体重はその後もお野菜中心の食生活と外出先でジュースを飲んでいたのをお茶にしたりお酒も控えていたので三か月ほどで15キロ、という別人みたいなダイエットに成功七月の舞台ではこれまでにはなかったことだけど、舞台あいさつをし「15キロ痩せまして・・・」のくだりで会場がどよめいたりしたのだった私はどうかといえば、普通より少なめに作っても、トドが残したりするものでそれを片付けるために、食事量に変化はなくつまり体系にも変化がないという、当たり前の結果、日々変わらずだんだん、旦那との体重差が無くなっていくのはいかがなものかとおもったりしていたのでございました痛風ダイエットは効果的やなぁ・・・と思っていたら昨年のやはり二月、今度はヘルニア発症最初の一か月は夜も眠れないほど痛みがあってでも三月には舞台のお仕事もあって、痛みを抱えながらなんとかやり遂げたんですがその後も痛みはひかず4月13日(実母の誕生日)にレーザー手術を試しに受けてみたけれど、完治はせず今に至ります一昨年後半には、元の暴飲暴食ほどではないけど、食事はずいぶん普通?になっておりヘルニアで動けないものだから、毎日車での送迎になりつまり・・・リバウンドして、今は元の体型になっているのでありました(笑)やっぱり急激なダイエットはあかん(笑)ま、それはさておき七月から実母のグループホームでの生活が始まりほとんど歩けない状態で、立っていることも難しい状態で移転した母はグループホームでのケアのおかげで、少し手引きで歩けるようになっていましたこれもまた、今はまた、ほとんど歩くことは無理な状態になってしまっているのだけど・・実母がグループホームで生活を始めたころは舅は背中合わせのような位置にある老健に入所していて9月になれば、実母と同じ敷地内にある特養に戻ってくることになっていたので私が通う先はほぼ同一地域だったのだけど8月に入るころに、老健から続けて受け入れられない、という申し出があってあわてて舅の生活場所を右往左往して探した夏でした舅の生活場所になったのは、我が家の最寄り駅から一駅隣の駅前に、春にできたばかりの、高齢者住宅駅から近いというのは、トドが通いやすく、といっても結局は、施設探しや引っ越しなどはすべて私へとへとなのに、痩せないのはいいのか?老健で生活していた舅は、車椅子に座った状態のままで、足を使って自分で移動できるようになっていたのに高齢者住宅に移ったら、それができなくなっちゃった普通・・といってよいかどうか分からないけれど自宅で生活が難しくなってきた高齢の方の住居の推移としては高齢者住宅のようなところから、老健などを経て、特養にというコースに思えるこれは、だんだんとケアも細やかになると考えることができると思うけれど舅は逆のコースをたどったので高齢者住宅に入所してすぐに「ここはあかん」という申し出があったナースコールを押してもすぐ来てくれない言葉遣いが良くない食事がまずいなどなど嗜好に合わないということだけでなく私たち家族が見ていても、介護という点では不備の多いところだったためあっという間に舅の介護度は2~4に上がってしまった舅は、頭はしっかりしているので、相変わらず自分であれこれ悪い方向に考えていてもともと肋骨の骨折で車椅子になったのに手が動かない、お箸が重くて持てないから、スプーンにしてくれ・・・スプーンのほうが重いけど・・・ナースコールの反応は遅いのに、舅の変な要望への対応は早くて食事が取れない(まずいから)という言葉への反応からかエンシュアが毎日出されていたりして私たちと食事に行くと、ステーキを平らげたりする(お箸で)舅がなんでエンシュア?!他にもいろいろとありましてこのままではあっという間に弱って死んじゃう・・それはそれであり?介護の度合いも上がったし、一年近い生活ですっかり弱ってもいる舅のことを特養のケアマネさんに再度相談して、昨年の9月にめでたく特養にロングショートステイという形で、受け入れていただいている今です。というわけで、今は、舅が特養、実母がグループホーム、という同じ敷地内での生活になり私の通う先は一か所になっていますというわけで、本日はこれまでまだまだ続くのであります
2014年02月05日
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新年もあっという間に二月昨年はとうとう一度も書き込まなかった楽天ブログに色々とご報告です一昨年、父の命日に投稿していますがその少し前の春、三月末に舅が自宅で二日続けて転倒、一日目は顔面着地で顔に裂傷、二日目にとうとう肋骨を微骨折しましたそれ以前から、歩行器に体重を預けほとんと45度に傾斜して歩いていた舅でしたので肋骨に痛みがあるととても歩行器が使えず、車椅子使用者になり数日自宅で私が担いでトイレ介助などの介護をしたものの、ギブアップ舅のケアマネさん所属の特養でショートステイを急遽お願いすることになりとりあえず、骨折の痛みがとれるまでの間の予定でのショートステイでしたが一度車椅子の生活になると、舅にはもう一度歩く意欲はなく約一か月の特養でのショートステイの後、老健に移って9月までリハビリをすることになりましたが積極的に歩く意志のない舅を自宅へ連れ帰ることはもう無理というトド(夫)の判断で老健の生活を終えた後、自宅にほど近い高齢者住宅での生活になりました。この間、老健での生活を三カ月過ごした後、特養でショートステイ一か月を挟み、また老健に三か月、という老健と特養を行ったり来たりというパターンをケアマネさんが提案してくださって老健も入所時はその提案を受け入れて下さっていたのだけど結局、舅があれこれ飲んでいるお薬が高価になることから、お薬も丸抱えでの経費になる老健では、舅を継続で受け入れることはできない、という判断になってしまい結局、その時点では特養の入居者になるには介護の度合いが軽いことから老健で紹介していただいた高齢者住宅に入居することにしたのでした。この右往左往の間に、いよいよ舅も施設暮らしになり、実母のところにも回りたい私は今迄に増してうろうろしなくちゃいけないことが予想され舅がショートステイをしていた特養には同じ敷地内にグループホームがあり、実母を移したいことを、ケアマネさんを通じてお願いしてみることにしたのでした姑がお世話になった特養でもあり、姑のところへ通っていた舅のことを覚えて下さっているスタッフも多く居られということは私を覚えて下さっている方も多いわけでだからかどうかわからないけれど実母を7月からグループホームで受け入れて下さることになってめでたく移転しましたこの施設は我が家から車で10分ほど、歩いても30分くらいの場所なので実母を訪ねるのは楽になっていますこの移転に先立つ初夏に実母がトイレで頑張った時に意識喪失頑張ったためか脳に血が通わなくなるという、虚血性貧血なんだそうで救急車で病院に搬送されるという事件がありました倒れたのが金曜日だったので、週末の間様子を見るために入院し月曜日には検査の結果問題ないとのことで施設に帰れたんですが搬送先の病院が、としちゃんの御近所ということもありお見舞いに来ていただいてしまうという嬉しいハプニングもあったりしましたとはいえ、救急搬送の連絡を受けた時はいよいよなのかと、暗澹たる思いにもなり入院時のお医者様からは、治療の方法がないということでまた、同じようなことが起きる可能性は限りなくあり脳の衰退から来ていることなので、いかんともしがたいというお話今の時点でまだ、同じようなことは起きていないので、おかげさまで、実母も健在ではあります私が救急処置室に駆け込んだ時は、意識は戻っていて「あのね、私さらわれてきたの」などのんきなことを言っていた実母に「おばあさんはさらわれないの」などと返事をした私入院中に付き添う必要があって今回ばかりは旦那に何を言われようとも断固付き添ったため実母はご機嫌さんで過ごした入院性生活だったりしたのでしたで、これがすべて2012年のお話実はまだ旦那関連のお話もあるので、近日アップします乞うご期待?((+_+))
2014年02月03日
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父の命日でしたといっても今日ではなく14日のことですあの時と同じ、前日の日曜日が母の日入院中だった父が具合を悪くしていたけれど、当時、両親がお世話になっていた施設で一人、父の帰りを待っている母のところへやっぱり母の日だし・・・と思って出かけて帰りに病院に立ち寄ると、やっぱり父の具合は良くなくて亡くなる可能性も感じながらでも、そのまま病院に居続けることは、父の死を待つようで居たい気持ちと、なにか理由を作って帰りたい気持ちが確かに私の中にありました最終の新幹線で仕事から帰る旦那を迎えに行くというのは迎えに行かなければまた、旦那に不愉快な顔をされるそれが辛いから・・・という言い訳を私に与え父が危ないかもしれないと思いながら私は病院から帰ったのでした弟にも「危ないかも」という電話を入れながらその夜は怖かった翌朝14日の朝、病院から電話がかかった時も、やっぱり駄目だった、と思ったりしたのでしたあれから父は私の中にいつもいてこんなとき、父ならどうするんだろう・・・私の指針の一つになっています一人になった母を今の施設に移して見守って来ましたがさらに私の家に近いところに移転する準備をしています最後まで、母のことを気にかけていた父の代わりにまだまだ頑張らなくちゃです
2012年05月16日
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インフルエンザ以降、母が私を認識するのに時間がかかるようになったけれど食事やトイレの介助、たとえば爪切りなどをすればその時間が短縮されるのは、スキンシップから身内を感じるから?日曜日は、舅のヘルパーさんが来て下さるのは昼食時のみ夜は私たちが一緒に食事をできる時もあるので、日曜日の夜は私の担当、とはいえ、毎回舅の時間に合わせて整えに出向くのではなく温うめなおして食べられるように盛りつけたものをこの時期はテーブルにセットして置いておくことにしているこの前の日曜日は旦那が宴会で晩御飯のいらない日昼御飯が終ったであろう時間に、晩御飯のセットに出向くと舅はトイレに座ってたトイレから「えらいことになってね・・大変なことになったんだ」お通じに関するお薬を全く飲まなくなってほぼ一か月になる舅最初の十日間程は数日置きだったお通じも今はほぼ毎日、起床直後か朝食後には快便の日々たまに朝のお通じがなく、そういう日は昼食後が要注意タイムで足元のおぼつかない舅が、便意を感じてからでは間に合わないこともままある朝出なかったのかな?お舅さん、今朝お通じなかったんですか?と聞いてみた大変なことって、たぶんあれよね、においもしてるし(;一_一)まぁ89歳だし、そんなに機敏に動ける状態でもないし間に合わなかったんだなぁ・・本人はトイレに座っているけれど、下ろした紙パンツ内に一部出たのだというけれど他にも被害が及んでおり、お風呂に入っていただくことにしたとりあえず、始末をしながら始末そのものは、実父・実母・姑と手を添えてきた行為でもあり舅相手ではなくても、喜んでやりたい後始末でもないでもまぁ手慣れた感は否めない今日火曜日の実母の夕食介助時に、そこはかとなく香るものがあり食後にトイレ介助をするとヒットそれは、日曜日の舅の状態と酷似していて実母相手だから嬉しいかというと、やはり嬉しいという表現の対象ではないでも、実母の場合は、トイレ介助が大事なスキンシップの一つとは思える舅の場合は、私はそうは思わないけど、たぶん舅の信頼度みたいなものがそのての手助けをするとアップするのを感じる信頼度がアップすると、甘えてくるという構図になるので親切にした後は、なるべく顔を合わせないように心がけている89歳になって一人ぼっちは寂しいでしょうけどそれをかわいそうだとはやっぱり私は思わないお尻ちゃんときれいにしたんだから、それで十分だと思える実母の場合はそうは思えないけど火曜日はまだお稽古をする日もあるので、一日私が担当舅の所へ今日もお昼ご飯は作りに出向いたのだけど、夕食を丁寧にすると後で尾を引くのでお弁当を購入して、電子レンジで温めてもらうべく言い置いて実母の所へ出掛けた実母の所からの帰り道、運転中に何度も舅から電話がかかったけど出なかった転んだかもしれないけど、怪我をするほどのことなら、私が電話に出なければ、自分で緊急通報を使うこともできる舅息子に電話をするという方法もある昼食をつくっている最中に、デイサービスからの書類にサインと捺印が必要だと言っていたけど書類を見ると本人のサイト捺印なので、ご本人でお願いしますと確認しているし明日のデイサービスの用意と、朝食が心配なのだろうけどそれは明日の朝、私が準備をすればよいのだし折り返し電話をかけることもせず、家にも顔を出さなかったでもかわいそうとは、今もやっぱり思っていない自分がいる今日のようなことを知って、トドが「親父がかわいそう」みたいなことを言うのを待ってるのかなと思うこともあるけどうちの旦那は人間が出来ていないので私に何とかしろと、言いそう・・・そんなときこそ「誰の親なんだ?」って言ってやろう実母のトイレ介助はグッドタイミングでママさんも私のサポートに協力的だったのだけどお部屋に戻ってからは眠たくなってしまって爪を切っている間にうとうと、ベッドに移ってパジャマに着替え、うとうとしている様子を見ているとなんていうか・・・顔のお肉?が減ったなぁって思うこれって・・・亡くなった人の感じに近いようで怖いだから、舅のことを気にする余裕は、私にはないんだ月曜日、弟夫婦の新居のお引っ越し、少し手伝って一応気を使ってくれた旦那の申し出で、夜は四人で食事もした彼らにはお引っ越しのお祝いご飯、彼らからは私のお誕生日ご飯ってことでお互い様だから割り勘でねって弟夫婦を見ていると、母のことは別物なんだなって思ったりするこれまで期待しないで介護してきたし近くなったからといって、不慣れな義妹に頼むつもりもないだから別にどうだっていいんだけどちょっと疲れてるのかなぁ私なにに怒ってるってわけでもないんだけど、なんだかな・・・
2012年03月20日
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先日もちょっと書かせたいただいた義妹の引っ越しが来週月曜になりました移り住むのは義妹だけですが、義妹の住まいが愚弟の自宅ということになります二人して稼いでいるから、結構いいところ買っちゃった(^^)/週末を過ごす愚弟が、落ち着く場所だといいな~と姉は思っていますもともと、家庭大好きだった父母のもとで育った私たちは、基本は家庭でほっこりしたい・・・のよそこんとこ、よろしく↑誰に言ってる(笑)花水木ちゃんは新妻になり、仕事もあるので大わらわの毎日らしいそろそろ一度、旦那さまから花水木ちゃんをお借りしてほっこりする時間を過ごして欲しかったりですインフルエンザを乗り越えた母は、またちょっと弱った感がありながらすこしクリアな日は、帰り際に「お買い物行ってくるわね」という私に「気をつけてね」とか「早く帰っておいで」とか言って認識してることが伺えて、嬉しくもあり、哀しくもあるトドの痛風もやっと治まる気配が見えて、ほっ舅は相変わらず、本来気にすべき点が見えず、気にしなくてよい体調を気にする日々それでも内臓は健康なんだからしかたがない・・私は・・・・更年期かなぁ数年前から変な汗かいたり、逆上せたりという症状はあったけれど最近眩暈がしそうな前兆があってびびってますやばいな~~~~目が回りそうな生活をしていたら、ほんとうに目が回ってきたのかな・・・あわわ・・なんにしても、春近し
2012年03月15日
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従姉の施設では、先月中旬から面会禁止になっておりインフルエンザ対策とのことでしたけど介護施設で面会禁止になる場合、それは感染予防には必要なことだけど認知症状が進行したりという心配の種にもなる。花水木ちゃんの結婚式を土曜日に待ち受けていた木曜日実母の施設から電話があって「お母様、インフルエンザA型に感染されました」とのことやばいっ!高齢者のインフルエンザ感染は命取り実母の施設は面会を禁止にはせず、通わせてくれるのがありがたいところではあるけどその分感染の危険性もあるってわけでともかく、私が感染するのもやばいけどお正月以来、少し調子が良かっただけに実母が何より心配で飛んで行った予防注射は受けているし、肺炎球菌ワクチンの接種も済ませているのでので・・・かどうかわからないけど八度近い発熱でぐったりしていて、お食事もとりにくいので点滴をしていただく普段より夜遅くまで付き添わせてもらって少し熱が下がってきたところで帰ってきた翌日は、結婚式前日なので、やっぱり・・・控えたほうがいいかってことで施設の皆さんにお願いをして・・・結婚式当日も、終わると夜だし、連絡すると落ち着いて寝ているとのことでおかげさまで、二日目から熱も六度台になりとはいっても、実母の平熱からすると微熱状態ではあり眠っている状態が続いていたのだけど実母はなんとか口から食事が取れるので入院せずにすみ入院した方は、ずいぶん様子が変わって退院されてきたのでやはり入院は避けたいと、強く思ったりもしながらとりあえずお医者様からが出るまではお部屋で過ごすことになったのでせっせと通いまして今週の月曜日からはめでたくデイサービスも解禁ただ・・・ちょっとぼんやり度合いが進んじゃいましてやっぱり、おしゃべりに通わなくては!な日々ですこの間、友人の母上(85歳)が肺炎で亡くなり高齢の方の体力を思うと、この季節の過ごし方は大切だと痛感おりしも、風邪ひとつひかず、長年の懸念だった便秘薬をトドに没収された舅Pさんは毎日ではないけれど、快便といえる日々になりもともと便秘ちゃうやろっ心配事が一つなくなると、新たに作りたい体質なので今度はパーキンソンなんだそうだあたし、忙しいから、トドにお医者様に連れて行ってもらってね~と言っていたらトドが痛風発作を起こして足が痛くなっちゃった去年数回足に痛みがでて、整形外科で検査の結果尿酸値高いよってことで通院と投薬を続けるはずが、さぽっていたので発症いわば自業自得だけど、舞台も近く、結局送迎が欠かせなくもなりめんどくさい、けど、Pさんはちょっと静かになったので、これはこれで良かったかも?なんにしても、あわただしい毎日そろそろ実母の夕食介助に行ってきます(^O^)/最近、食べさせてもらうことに馴染、自分で食べなくなってる母であります
2012年02月24日
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以前からのぞいていただいている皆様にはお馴染、トドとはうちの亭主ですこの亭主、やっぱり舅の血をひいているだけあって、不思議なことをやらかします先日、夜になってから郵便局の本局へ不在通知を持って届いた荷物をもらいに行ったんですがトド宛ての荷物ですし、トドに取りに行かせて、私は駐車場で車の中でテレビを見ながら待っていましたと荷物を受け取ったトドが、郵便局の建物から出てくるのが見えたので、視線をテレビに戻していたら目の前の建物から車に戻ってくるには時間がかかりすぎている?と思えて視線を上げると隣の車の助手席のドアを開けて、乗り込もうとしていました。(;一_一)隣の車はうちの車と色こそ一緒ですが、形は全然違っていますお隣の車の方も、ご主人が荷物を受け取りに行かれたようで中には若いお母さんと小さなお子さんが乗っておられ悲鳴を上げられたのであわてて降りて行って、平身低頭、お詫び申し上げトドを引きずって帰りました。なんで間違うかなぁ・・・まぁ普段から車で迎えに行ってもどの車だかわかんない風情で立っていることは多いんですけどね明らかに車高の違う車に乗り込もうとまでするってどういう神経?あ・・・舅の血筋ね・・・と思えばなぜか納得したりしてお先真っ暗な思いです。ちなみにこの話、実母におお受けでその点だけは助かります(-。-)y-゜゜゜
2012年01月31日
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明けましておめでとうございますお尋ねくださいました皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか_?二月になろうとしているこの時期に新年初ブログです今年も無事、実母も年を越し、昨年後半に弱ってきたかな~と思っていた体調も落ち着いて、また笑顔を見せてくれるようになっています。弟夫婦にも移動があり、関西勤務だった弟が昨年夏に中国地方に異動になり、来春には義妹が関西へ移動してきます。関西で暮らすのは初めての義妹、どの程度付き合うべきなのか、悩むところです彼らの別居生活も、それがスタンダードになって10年を越えて相変わらず変な夫婦です実母は、私のことはすぐにわかってくれているみたいですが、たまにしか顔を出さない弟を普段はちいさな子供だと思っているので弟を弟と認識するには時間と私のおしゃべりによるサーポートが必要だったりしますそんな状態ですから、うちの旦那のことや、義妹のことは全く認識していません今の段階の実母の所へ、義妹を連れて出かけることは、無意味実母にあって意味があるのは、実母が認識できる人だけです記憶にない人は、いくら私が言葉を尽くしても、知らない人なんです物事にはタイミングがあって、その時機を逃すと意味がなくなってしまうことってあるなぁなんて思います会うべき人には、会うべきときにあっておかなくてはいけないんだななんて思ったりです今年の前半、最大のイベントは、花水木ちゃんの結婚なんですがこれまた・・・いまどきの結婚は若い人が勝手にやることらしくまぁ好きなようにしなはれ・・・と思って見ていますマリッジブルーでもないと思うけど、なにやらイライラしちゃってこんな状態で結婚生活を楽しく送っていけるのか、こちらの胃が痛む感じです最後になりましたが舅もそれなりに元気ではあり、今年の夏には90の大台に乗ります。めでたいというか、なんというか・・・通販癖は変わらず、ユーキャンのお得意様本当に時間がなくて、なかなか更新できないのですがときどき覗いていただければ
2012年01月23日
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明日は花水木ちゃんの結婚式披露宴会場で、当日のお料理の試食会ですo(^-^)o2月のお式に向かって、いろいろと準備が始まっています私は母親ではないので、実は遠慮していました。幼い頃は仲のよい両親の元で穏やかに育っていた花水木ちゃんですが彼女の人生の半分近くは、両親の不和と父親の負債、母親の病気と親らしい機能を果たさない家族の中で暮らしてきたわけでお相手の彼は、なんでもお母様に話すという仲良し家族とのことで花水木ちゃんにも、新しく家族ができる、それを邪魔しないためにも誰より花水木ちゃんが信頼すべきは彼であり半端に私が理解者面をしない方がよいと控えていたんですがお式のあれこれを決める段階に来ると彼と二人で決めるつもりの花水木ちゃんにたいして彼の側にはお母様やご両親揃って…というスタイルになるらしくご両親は良い方だと思っているけれど打ち合わせから帰ると必ず自分がひとりぼっちに思えて泣ける花水木ちゃんなのです。そんなことが重なって、試食会にお呼びがかかりました。私が…緊張(^_^;)
2011年10月29日
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お久しぶりですm(_ _)m姑が亡くなって来月で一年早く迎えにきてほしい…といいつつ今日は鰻だ豚カツだと食欲充実の舅の家庭医がリウマチの悪化から年内いっぱいで病院を閉めることになり患者より主治医の方が身体悪かったのねドクターショッピング始まりました
2011年10月29日
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ママの施設がゴタゴタしたあとで、介護度の見直しを申し出られて認定調査をうけたママさんは要介護3から4になり半年後の認定調査をうけた今回の結果が要介護5まだ寝たきりではないけれど誰かの手を借りなければ、身動きもままならない…食事はお箸を使い自分で食べられる…とは言うもののこれも傍でお皿の位置を小まめに替えないとだからやっぱり誰かに助けて貰わないと…だからやっぱり5なんだけど5になると、使える介護保険の枠が広がるから良かった…んだけど…姑の入院や他界、舅のあれこれで母には我慢ばかりさせているここへ来て、一気に進み、それは私の怠慢にも起因しているとも思え私は父にも母にも、結局半端な介護しか出来ないんだ。介護ショックで、がらにもなく凹みました(>_<)
2011年07月29日
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オールスター戦明けの初戦、中日戦をとしちゃんと観戦してきました。 女神二人が揃い踏みだから(笑)負けるわけない?って感じながらも 中日もいつもと違い、信じられないエラーの連続(>_<) なんちゅう試合をしてくれる(>_<) と…まぁ勝ったので良かったのですが… 二戦目も『なんだか変だよ中日さん』な試合で おかげさまにてこれはサンタテo(^-^)o と喜んでいたら三戦目、負けました(-.-;) ちょっとピッチャーが良いと、打てないよねぇ(;_;) 私は今期、三観戦三連勝(^o^)/ そのうち二戦はとしちゃんとご一緒 これはヤクルト戦を二人で観戦しなければo(^-^)o ところでヤクルト、なんであんなに強いんやろーっ なにか社内機密の特別なヤクルト飲んでるに違いない!
2011年07月28日
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としちゃんとランチバイキング?です? 来週の火曜日の阪神‐中日戦のチケット手渡しの為もあり としちゃんとお昼ご一緒しました。 それぞれの母親同伴で4人でお散歩したり 回転寿司に出かけたこともありました 今は昔…懐かしい日々です。 ランチバイキングはデザートコーナーでお子ちゃまが停滞したり(笑) 夏休みなんだな~(笑) お昼時なのに案外空いていてスンナリ入店 お味も悪くなかったわ 満足ですo(^-^)o
2011年07月23日
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今日で82歳になりました実母とお花見です去年も同じジャケットで桜をバックに写していますけど、今年はすっかり車椅子利用者。先日介護認定の見直しをしてもらって、要介護4になりました。ゆっくり両手をつないでならまだまだ歩けるけど、左右に(日によって左右が違う)傾くことが多くなっちゃいまして、移動する時は車椅子です。ずいぶんぼんやりが進んでしまいましたが今日はこの笑顔、ありがたいです。
2011年04月13日
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舅は、かねてから自慢の実印を、所持しているいや、所持はしていない、銀行の貸金庫に入っている、と聞いていた介護関連の手続きやらやらの場合、毎度「実印でなくていいのか」とやたら押したがってはいたけれど実は手元にはないものだったことが、今回改めて判明した。銀行の貸金庫には、舅と姑がアクセス権を持っていたけれど、姑から息子のトドにアクセス権を変更し姑の手続きあれこれのために、実印も必要なので、貸金庫から出してきた。実印、としての効力が発生するのは、皆様ご存じだと思うけど印鑑登録をしているハンコだからである。でも・・・その登録のカードが見当たらず、家探しをしていたけど分からず再登録するしかないね、ってことになって窓口へ出向いた。運転免許証もパスポートも持たない舅が舅自身であることを証明するためには住基カードが必要だって事でその手続きをする必要もあったりしたわけだけど窓口で手続きを始めてから、わかったことだけど、印鑑登録してなかったんだよね、舅の実印。つまり、本人が実印だ、と名付けていただけの、ハンコ(;一_一)だったわけね。ま、なんにしても、手続きを進めつつ、それは本来は私の仕事じゃないもんねとも思いつつトドが受け取る遺産を、心置きなく使わせていただく下準備が整ったような今朝でありました。
2011年03月29日
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しばらくブログを書かなかった間に、我が家でもいろいろと変化がありました。ちょっとご報告この間、幸い実母には大きな変化はないものの、症状は進んできていて、おしゃべりが進む日が減って、ぼんやりしている時間が増えてしまった私が実母を訪ねる日も昨年は減っていたことも、影響しているのではないかと思うと忸怩たる思いが残ってるそれは又、別の日に書かせていただくことにして一昨年の秋からリフォームにかかり、私たちは舅の住むマンションの別の階の部屋へ引っ越したとはいうものの実は引っ越し自体は終わっていなく、前の家もまだそのままなんだけど私たちが移り住むのを待っていたかのように、舅の「動脈瘤を手術したい病」が再発し、昨年の年明けから再び手術してくれる病院を探し通院をし年齢から手術をすると寝たきりになるといわれ、諦めデモ諦めきれない舅は、3月後半にもう一度病院を訪ね、再度診察をするという予定になっていたそんな3月3日早朝に、姑に舌根沈下発生で救急搬送のうえ入院そこから病院付添生活がまた始まったのは、昨年書かせていただいたとおり姑の緊急入院で舅の「同百流を手術したい病」は沈静。少しさかのぼるけれど、一昨年の夏から会社を休職していた花水木ちゃんの復職に向けての交渉は結局私に回ってきて、月に一度心療内科の診断書を添えて、会社に出向き障害をいじめるような傾向があったことを認めてもらい、別の部署への復職なども含めてご提案いただき花水木ちゃんの祖母も私も、できうれば別の部署での復職をと望んでいたけれど花水木ちゃんはその会社自体がつらい対象だということで、新たな就職先を探して活動していた2月から一年間は契約社員という形ながら、地元の企業に受け入れて抱けることがかない2月1日から再就職、今度は仕事が与えられないなどというふざけたことはない代わりに残業も出張もあったりで、忙しく今に至る。職場にはお友達もできたり、ムカつく上司もいたりして、ともかく普通の仕事場風景と言える。折にふれて感情的に興奮していることもあるけど見ていると私に対して一番そういう感情を表現しているようで会社ではそれなりに大人な対応ができているのかと思う。そんな感じで夏ごろには私もほっとして・・・花水木ちゃん関連は一丁上がりその夏前から、花水木ちゃんの祖母である伯母が、喉に違和感があるという喉の中にびらびら何かできものが見えるような状態でともかく医者へ悪性リンパ腫ってことで、抗がん治療が必要だって事になった。このことは、花水木ちゃんから知らされ「バーバが死んじゃう、私が心配掛けたから」と大泣きで電話がかかってきたのだった。伯母も年齢とともに性急な性格は先鋭的になっていて、お医者様の話もちゃんと聞いていなかったりするからってことで、結局伯母の通院に付き合うことになり9月から3泊の入院を数週間おきに繰り返す形での抗がん治療が始まった。入院退院時に付き添い、入院中にも病院へ行き、在宅中の通院にも付き合う日々伯母はしっかりしている分不安もあって、週に二度は自宅を訪ねて様子をうかがう生活にもなった花水木ちゃんはせっかく勤め始めた会社で有給休暇を利用して通院に付き合ってくれた日もあるけどあまり無理はさせられなかった二度目の抗がん剤投与辺りから頭髪が抜けてきて、鬘をあつらえたりということもありながら比較的服作用で苦しむということもなく、この一月に最後の抗がん剤治療があっておかげさまで完治と言っていいらしい検査はこの先も続くんだけど、抜けた頭髪が戻るのは秋ごろになるかもしれないけど・・・ま、これも一件落着その間、伯母にとっては娘、花水木ちゃんにとっては母親に当たる私の従姉の特養での日常についても伯母は治療に専念をしてぜひにも復活することを目標に手を引いたので、引き継いだのはわたし・・でもちろん娘である花水木ちゃんがいるから、そこはサポート役なんだけど9月に入って従姉に発熱が続き、診察を受けに行くにも体の姿勢を変えられないので、大型の車いすを施設の車で運んでもらってレントゲン撮影やらの結果胆のう炎を起こしていることがわかった。たびたび起こるなら・・・・手術?という話も出たけれど今の従姉は、もう会話も意思の疎通もかなわない状態なので、手術自体もおぼつかない花水木ちゃんは例によって泣くばかりだし、東京から息子のお沢庵も呼び寄せお医者様の話を聞いて今後も手術はしない方向で・・ってことで様子を見ることにしたおかげさまでそれ以来、胆のう炎を起こしてはいないようなので、今のところはほっと・・・などなど、実家関連で飛び回っている間に、姑はだんだん弱ってきてた。けど、夏から胃ろうになって食事介助の必要もなくなっていたので、週に二度ほど顔を見に出向きタオル類の洗濯物を入れ替える以外に、私が顔を出す必要って・・・って感じではあり週に一度は舅上を連れていくということはありながらも、間遠くなってたそんなとき、ふとしたことからまた、トド(夫)があやしげなものを持っておりほんとに、懲りないって言うか、自分の親のことを全面的に私に依存しているこの時期にまだやるか?って感じでとりあえず、ブツに「見ましたポポ子」のシールを張って黙認していたらその日の夜は、めっちゃ早くにご帰還で、平謝り、謝ってもらってもだからどうなんだって話で、このことがあったために姑を放置することに私は罪の意識を抱かなくてすんだわけだから、よくぞやってくれましたという感謝の気持ち?もあったりするで、姑は亡くなった生前、自分のことばかり優先だった舅は、葬式を豪華にしたく姑が秋口に「年内かも」と医師に宣告をされたことをきっかけに、病院を見舞うより、葬儀社の手配を優先するという、摩訶不思議な行動に出日夜「喪主のあいさつ」を推敲する日々になった。派手なことが苦手で、控え目な人柄が周囲の人に愛された姑とは、およそ真逆な派手な葬儀姑が特に好んだでもないのに、クラシックのアンサンブルのオプションがあると聞けばそれを頼みたい舅とその馬鹿さ加減が我慢ならないトドとの軋轢もあったりで嵐の葬儀もそれなりに終わり、ちなみに推敲を重ねて摩訶不思議な文章になっていた舅の手による喪主のあいさつはトドに一括されて削除のあらしで、あいさつ文例集の文章のようになって、亡くなったのが誰なのかもわからないような定型文になっていたので、結局それも私が五分で書いて・・・しかもお弟子さんたちから絶賛舅もこれは記念だからと、今も仏壇に飾ってあるのです気持ちわる・・・そんな功績?もあるのに不都合なことは私の責任のようになる、けつの穴の小さい親子に、うんざりしながら新年を迎えたんであります。年明け一番に、朗報ありでまず、東京で役者修業をしているお沢庵に大きな舞台が決まり、これで芽が出てくれるとありがたいきっかけそして、花水木ちゃんの結婚が決まった。お相手とは、・・3年になるかな、お付き合いが続いており、二月にはあちらのご両親にもお目にかかってご挨拶をした由これから準備がいろいろあるけど、来年の二月がお式の予定でお話が進み、うれしいかと言われれば、うれしいんだけどやや・・・えらいこっちゃ・・・な感覚もあったりでまだまだ忙しい日々からは解放されそうにありません。冒頭にも書きましたが、実母は穏やかな生活は変わらず、ただ以前より反応が鈍かったり、ぼんやりだったり実母のことを考えると、申し訳なく泣きそうになる自分が、います。さてと、今日もこれからおしゃべりに行ってきます、いっぱい笑ってもらうねん
2011年03月26日
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プロ野球セリーグの開幕が四月に延期された。パリーグは早々と延期して四月開幕を決めていたのに、セリーグはなかなか、往生際が悪かった。選手会は四月開幕を希望していたし、もとよりこの震災の直後と言っていい時期に、計画停電も行われている地域にホーム球場があるチームが三つもあって、特に東京ドームのように電力消費の大きな球場が、野球やっていいのかって問題もあるだろうに、何で三月の開幕にこだわったのか、オーナーたちの真意がよくわからない。選手会会長だったうちの新井も、よく頑張りました。などと思ってふと・・・手元を見ると・・・今シーズン初の甲子園観戦チケットが、開幕日のそれだった。思わぬことで、開幕戦を観戦することになって、不謹慎ですがうれしいっす
2011年03月25日
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今日は舅殿の通院です…がそれを意識していないトドがうっかり休日にしちゃって(笑)しかも私に仕事をさせたく自分が通院に付き合うしかないって状況を自ら作り出してくれましたパチパチ舅殿は通院時に、病院の食堂でコーヒー飲んだり、帰りのお昼会食を楽しみにしてるんやけど今日は…一人息子が介添えと聞いてむっちゃがっかり(笑)それを見て息子はムッツリ(笑)あたし知~らないっ
2011年03月24日
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来週、救援物資の仕分けボランティアに行きます現地には行けないから、地元で出来る事を少し、させていただきます<a href="http://awalker.jp/about_earthshake.php">被災者のために今できること</a>
2011年03月19日
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私にも関西から関東への送電を今夜開始するので電力消費を控えるべき、というメールが来て、出来るだけ多くの方に送るようにとのことでしたが、これは悪質なチェーンメールですので、ご注意ください関西と関東では周波数が違い、簡単に送電出来ないはずですこの悪戯メールのように、送電出来たらどんなに良いかと思いますが今この時、ご不自由な状態を余儀なくされている方々に、こんな風評は失礼この上ないと憤りを感じています。被災地域ではない関西の私達は、冷静に情報を判断し、支援しなければならないと思います。間違った情報を蔓延させることのないようにいたしましょう
2011年03月13日
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有馬温泉 陶泉 御所坊ながながご無沙汰していますm(__)m書かない間に、ブログが消滅していたらどうしよう・・・などと心配しつつ、本当に久しぶりに自分のブログにパソコンからアクセスしています。なんだかんだで、とっぷり介護生活に埋没していて(っていまさら?^^;)パソコンにゆっくり向かう時間もないといった生活ではあります。それはさておき・・・昨日から、相次いで大きな震度の地震が頻発していて、怖いです。揺れを感じた皆様、どうぞこの先もお気をつけてお過ごしください。津波警報が出ている地域の方も、寒い中ご不自由だと思いますがどうぞお気をつけてくださいませ。思えば私の体験した震災は、発生したのが早朝だったためこれから明るくなる時間、であり、家族が一緒に家にいる時間、でもありました。昨日の震災では、家族がそれぞれ、学校やお仕事に出かけている時間帯お互いの無事を確かめあうこともままならず、その焦燥感はいかばかりかと、我が身にも覚えのあることとて胸が痛みます。ご家族に介護や看病が必要な方がいらっしゃる方たちの、ご不自由さとご心配を思うと涙が流れます。あの日も寒い朝でしたが、恐怖で寒さも感じにくい麻痺したような感覚空腹も感じず、疲れているのに気が高ぶって眠れませんでしたいまこのとき、ご自宅以外のところで、過ごしている皆様に心からのお見舞いを申し上げたい。大きな被害があった地域の皆様、神戸もそうでした、生まれ育った地域が、崩れ落ちたのを見たとき、文字通り、足元が崩れる思いがいたしました。喉元を過ぎて忘れた、ということもなく、いまも昨日のように感じているあの震災の被害も時間はかかりますが町は再生していきます。だから、どうぞお体をお大切に、命を大切にと、お祈りしております。皆様ご無事でいらしてください。老婆心ながら、風評に惑わされず、安全な過ごし方をぜひ、ご確認くださいm(__)m
2011年03月11日
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今年の三月、舌根沈下により救急搬送の上、気管切開して介護施設に戻れなくなった義母はゴールインウイーク前に療養病院に移り、夏が過ぎ秋が過ぎ、今に至る。療養病院に移って一月は家政婦さんや私がほぼ毎日付き添ったけれど、一人息子の提案もあり、家政婦さんを断り、私も毎日行かなくて良い、ということになりあっという間にイロウになりました。お盆のあたりから、耐性菌による発熱を繰り返し、お医者様から「徐々に弱っているので覚悟が必要」など最後の時の治療についての打診があった。以来、舅は葬儀会場を決め、戒名の手配をし、通夜に出すお寿司まで決めて喪主の挨拶の下書きに余念がない毎日を過ごしている。今日の昼過ぎに病院から連絡があり「急変したので」というわけで舅を連れて駆け付けているが、一応落ち着いているらしいけど舅は「今までありかとう」ってことで別れの言葉を掛け続けている。普段から面会に来ても一時間と持たない舅なのでそろそろ帰ると言い出すかも?一人息子のトドも仕事先から駆け付けているのでそろそろ着くかな…舅が別れの言葉を掛け続けている病室のベランダに出て、病院周辺の紅葉を愛でている鬼嫁である。危篤って今日じゃねぇのかよなどと思っていることは、オクビにも出さないのであった。
2010年11月27日
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やったど~ニックキ巨人が中日に負けて、我らが阪神タイガースが横浜銀行に勝ちました、ので昨日までの首位読売巨人とのゲーム差の0・5が…ひっひっひっ……(笑っています)今日は二位の巨人との差になるわけよ\(~o~)/なにはともあれ、首位奪還おめでとう
2010年07月28日
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ご無沙汰続きでお詫びを書いたブログから、またご無沙汰しております。目下、生活パターンが多忙を極めており、パソコンを開く時間もままならないというのが現実、自分のブログの更新のみでなく、皆さんのところへお訊ねすることもないまま、になっています。手を出したくないなと思っていても、同じマンション内の別の階に住む舅の身の回りのことなど、やはり放っておくわけにもいかず、係わってしまうのは私がバカなのかと、思うこともしばしです。ちょっと日常生活を書かせていただくと月曜日と水曜日は、10時半から車で5分ほどのところで舅が出稽古をしているので、10時には舅の部屋へ行き、朝食の後かたづけと、洗濯物を干し(舅がたいがい洗濯機を回しているので)、出かける用意を手伝い(忘れ物が多いので)教室まで送ります。そのあと買い物をして帰宅、舅の夕食を作り、お部屋に届けておきます。出稽古から4時過ぎに帰ってくる舅をお弟子さんが自宅まで送り届けてくださるお約束になっており、4時半から6時のお約束でヘルパーさんが来て下さるため、お洗濯物を取り入れてもいただけるし、夕食はヘルパーさんに最後を整えていただくことが出来るため、私は午後には実母のところへ出向きます。両曜日とも月二回、確実にトドが午前様になるので、その日は実母が寝る時間帯まで付き合うこともできます。火曜日は、舅が家にいる日なのでお昼御飯を早めに済ませて、姑のところへ連れて出かけます。2時ごろから姑はリハビリを受けるので、それをきっかけに病院から帰ることにしており二週間に一度、舅の家庭医のところへお薬をもらいに行く必要もあったりで、家の用事をしながら舅の夕食も整えて食べる時間に届けます。火曜日はトドが早めに帰れる日もあるので、舅と一緒に夕食を取ることの多い日でもあります。木曜日、舅はデイサービスに出かけており、朝9時頃の御迎えを見送り、平素はそのままあとはほったらかし・・・昼食はデイサービスで済ませてきますし、夕食はレトルトカレーなど一人で準備して食べられる物を用意しておけば、サラダなどを用意しておけば自分で食べています。・・・時々残ってるけど(笑)二か月に一度通院があり、今日がその日なので、デイサービスに迎えに行って病院へ行き、夕食もお作りしています。金曜日は舅が10時からのお稽古なので送っていきますが、帰りが7時過ぎになるため、夕食は私が準備をして帰ったころに届けることにしています。この木曜日と金曜日のどちらかで(場合によっては両日)姑のところへ昼食時に出かけています。舅を連れていくと、姑の身の回りの用事ことが十分できないため、散髪をしたり清拭をしたり、爪を切ったりということになります。土曜日は舅のところに朝10時半から12時までの予定でヘルパーさんが入ってくださるので、お昼と夜の食事をお願いしています。日曜日は舅のプログラムが何もない日、なので、一日ほぼ放置の日。土日はトドの仕事がらみで私も出掛けることが多いのですが、基本は実母のところへ出かける日にしています。実母のデイサービスは、この春から火曜日と木金になったため、水曜日と土日月の週四日を実母は一日施設で過ごすことになってしまいました。なるべくこの日は相手をしたく、朝からとはいかないまでも、半日は付き合うようにしたいと画策しています。姑のところへは火曜日と、木金のどちらか、に行くことにしており、週二回。舅の食事についてはヘルパーさんに全部お願いするということも考えたのですが、目下のところ私が作るものについては文句を言わないため←言わせない雰囲気?(笑)私が作ったものをヘルパーさんが食べられるようにセッティングしてくださるという形を取っています。ヘルパーさんはお料理も上手にして下さるんですが、舅は目の前で作っているとあれこれ味にも注文をつけ、その結果おいしいものがまずくなるという傾向にあり、それは私に対しても同じなので、私は自分の家で作って出来上がったものをお届けすることにしており、たまにヘルパーさんに一から作っていただくと舅から文句が出ることが数度に及んだため、おいしくなくても私の責任、ということにするほうが、ヘルパーさんの精神衛生上よろしいようで、今のやり方になりました。木曜日はトドを実家近くのお稽古場へ送る日もあり、実家の郵便物を確認したり、伯母のところへ立ち寄ったりして午前中の時間を過ごすこともあります。また、日曜日の午後は実母を連れて伯母のところを月に一度はたずねるようにしており、花水木ちゃんも交えておしゃべりに花が咲きます。河童(弟)も月に一度・・・とはなかなかいかないまでも、実母を連れて伯母のところへ行くというコースで、時には一緒に、時には私の代わりに、実母の相手をしてくれています。とりあえず、こんな感じで日を送るパターンが固まりつつあるかな・・・舅は、毎朝、パジャマや下着、タオルなどを入れて洗濯機を回すのですが、干したり取り入れたりまでは自分でしないため、朝夕それぞれ時間を見て干しに出向き、取り入れる、ということも欠かせません。毎日洗濯しなくてもと思いますが、回しちゃうんだから仕方ない・・という感じです。舅にも姑にも、進んで手を貸したい気持ちは相変わらずありませんが、老いはずるい、です。手を貸さざるを得ない年齢になり、手を貸さざるをえない日常です。今に至っても口だけは「あんたの世話にはならへん」とおっしゃる、すでに十分なっとる!どの面下げてどの口で「世話にならん」と言えるのか、頭かち割って覗きたい気分です。(*^^)v相変わらず姑のところでは声かけは最小限で、食事の介助をし清拭をし、身じまいの手伝いをして帰ってくるだけですが、実母のところでは面白話全開で挑み、実母の「あ~面白っ!」という一言を聞かない日はありません。お陰様で私の実家は明るいとんちな話が多い面子がそろっているため、身内話で一席、といった感があります。今年になってあきらめて(?)着用し始めた私のチュニック姿を見て「私もパジャマに着替えようかな~」などという実母私のチュニックを、パジャマだと思ってるんですね。(苦笑)「そのかっこで買い物に行くの?」ととがめられる時もあり、チュニックを着るについてはある種の勇気も必要だったのにと、苦い思いが胸をよぎることもあったりです。(笑)基本は娘ですが、妹と認識される確率は日増しに増えており、相変わらず亡くなった父は私が尋ねる寸前まで「今までいたのに出かけちゃった」ってことになって、私は父には会えないままです。よく笑い、よく食べ、よく眠り、時々ドカ便・・快食快眠怪便(怪しい便)の実母、動きが緩慢になりぼんやり具合も進んでいますが、お陰様で私には愛らしい母です。7月の頭に催しがあったため、あたふたしていましたが、少し一段落、ネット参入も増やせるといいんですが・・ストレス溜まりまくりです。そんなこんなで、も、私は元気、ったく不死身じゃないって思うんですけどね。(-"-)というわけで、舅の夕食、運びまする。
2010年07月08日
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今日はお沢庵のお誕生日であります。昨年、演劇スクールを卒業し、めでたく役者修業を終えた(?といえるのか)お沢庵、卒業公演では主役をいただき、見に行かせてもらったものの身びいきかもしれないけどルックスだけは良いものの、演技力はどうなんだ?っていう主役で周囲の方々のほうが、いろんな意味で達者な舞台だった。生半可、ルックスが良いのは使いにくいんではないかね、役者として・・・などとおばちゃんとしては心配が募り、案の定、卒業後の所属は一応モデル事務所になった。とはいえ仕事は多くはなく、結婚式場のブライダルフェアでの新郎役が毎月一度定期的にある以外は不定期な仕事ばかりでアルバイトは欠かせない、生活費を祖母に依存している月もあったりで、自立にはほど遠い。昨年末から劇団にも所属しているけれど、名前が通っている大きな劇団ではなく、自主公演をするための同じ演劇スクールの卒業生で作っているグループと言った感じの劇団。先月末に舞台があり、これまた主役をいただいていたので、見せてもらいに出かけた。けど・・・昨年よりはマシだけど、やっぱりルックスから主役?というか、感情表現などが必要な複雑な役はやりにくい素材と素質なのかと感じて主役がうれしくないおばちゃんなのであります。ただ、お沢庵は生き生きとはしており、充実感もある様子とりあえず楽しんで生活しているらしいことはうかがえ、大変だろうけどもう少し頑張ってみるか?役者として大成することは難しいだろうけど・・しっかりと生活の基盤を保てる副業を持つことで、好きな芝居を続けていけるならそれもまた、悪くはない。我が家も役者稼業なら、彼の生き方を否定もできないけど我が家も自主公演では生活はできず、収入にはつながらないけど、そこは伝統芸能なのでお稽古収入が見込めそれが基盤となって生活をしている。お沢庵のような現代劇にはその部分がないため、そこを何で補うのか・・・とりあえず仮面ライダーの主役に応募し続けるように言おう。と思いながらその昔、仮面ライダーが大好きだけど怖く、姉の花水木ちゃんと手をつないで見ていたことを思い出す。日本の映画史上主役の役者には「けん」さんが多い、高倉健、緒方拳、渡辺謙・・・お沢庵も「けん」に改名させようか・・・(笑)姉の花水木ちゃんが出産時の事故で障害が残ったため、従姉はお沢庵を帝王切開で出産した。連休明けの予定で決めた出産日が本日、五月七日。出産のため入院した従姉に代わって、花水木ちゃんと過ごしたその年の五月でありました。おめでとう、お姉ちゃんは君に大きな期待をしていた。その期待の通りにはいかなかった君だけど今、君が毎日刺激的で楽しいなら、それもまた良いのだろうね。夢中になれるものがある生活は悪くない、もう一歩進んで生活が成り立つならなおさら○だ。がんばれお沢庵。お誕生日おめでとう!
2010年05月07日
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この二人、同姓同名コンビです。(笑)ママさんとイングリは、名前の漢字は違うんだけど、ともに嫁いできて同じ名字になったのです。とはいえ、この時期、ママさんがイングリを認知しているかと言えば、すっかり霧の中。年に何回も合わない間柄なら、無理はなく、この連休にママさんの相手をしてくれることになったので、数日前から必死で、イングリ関連の面白話(数少ない)を展開して、イングリを印象付けることに努めた姉娘の私なのであります。おかげさまにてこの笑顔。イングリもあれこれ問題山積ではありますが、さしあたってママさんに対する時に笑顔スタンスでいてくれることは、とりあえずありがたい。それだけでええか、とも思えたりする連休でありました。
2010年05月06日
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この一年ほど、ママとの散歩のとき、私は向かい合って両手をつなぎ、つまり私が後ろ向きに歩く状態で出かけている。それ以前から、言葉による指示だけではママは正確に移動することが難しくなっており、手を取って誘導することは必要になっていた。この連休中、珍しく1日からイングリが関西に来て、5日までの間河童と実家で過ごすことになったため、私が忙しい日にママさんを連れて出かけてほしく、河童と相談の上、車いすを購入することにした。ママさんの場合、車いすがないと歩けないわけではない、脚力そのものはあるのだ。ただ、車の乗り降りだけでなく、人ごみの中を歩く時や道路を横断する時など、状況に合わせたスピードで歩くことなどは難しい。ある程度落ち着ける場所にたどり着くまで、車いすで移動できれば、介助するほうも楽だし、結果危険が少なくなるのではないかと思えたのだ。そんなわけで、母の日には少し早いプレゼントとして、車いすを購入しました。これまでのお出かけでは、周囲の景色を見るよりも足元が気にかかっていたけれど、車いすだとその点は楽々、ママさんも気に入ったみたいで「らくち~ん」などと喜んで、周囲の看板などを読んだりするので、目的は達したかと思ったりする。1日に車いすを買いに行き、2日は河童夫妻に緑の多い公園に連れて行ってもらったママさん、ご機嫌だったらしい。4日は花水木ちゃんや伯母と河童夫妻、ママさんと私で食事に出かけたけど、お店に入る時もスムーズで、楽々。これからも移動には車いすを利用しようと思う、ただし、歩くことも大切なので、たとえば公園までは車いすで移動して、公園内は歩いてみる、そんな風にしてみたいなと、思う次第です。4日、みんなで食事をした後、だんじりにも出かけ、車いすでだんじり見物をしたのでありました。人ごみの中、これまでだったら出かけるのを躊躇した場所にも、出かけられると思えば、良い買い物だったような気がしています。さらに、万が一の非難が必要な災害の場合も、ママさん用の車いすがあれば、移動していただきやすいかと思える。先日も、テレビで高齢者の施設などでの避難について取り上げている番組があったけれど、実際問題、ママさんが火災などでスムーズに避難できるとは思えない。言葉による誘導も難しく、手を引いてゆっくり動くことしかできない状態なのだから、・・・車いすに乗れば、そのまま運んでもらいやすいかとも思えたりする。万が一の災害については・・もう諦めるしかないかと思ってもいるけど、一応災害準備のつもりなのであります。
2010年05月06日
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三月に呼吸困難で入院した姑は、急性期病院での治療を終えて、長男であるトドの「ポポ子がいつまでもお母さんにかかりきりになるのは仕事に支障が出る」という意向の元、転院先を模索し、四月に入ってすぐに老健を併設している病院に転院ののち、日をおかずに老健入所になるはずだったところが五月の連休も過ぎた今になっても、姑はいまだに転院先の病院での入院状態が続き、老健への移動日程も決まっていない。急性期病院に入院中は、当初より認知症のある姑の治療には見守りが必要だと思えたため家政婦さんを頼み、私と交代で付き添ってもらっていた。今の病院でも引き続き来ていただいていたけれど、それは老健に移るまで・・・というお約束で、一週延ばしに延ばして継続しておりしかも病院が不便なところにあり夜間のタクシーを手配することが難しいことがわかり、家政婦さんの帰宅時に私が最寄りの駅まで送る目的で、結局毎回病院に出向くことにもなっていたのでなんのことはない、急性期病院のときより、病院に出向く回数は増えてるじゃん、ってことになってこれにまた、ありがたいことに長男のトドがクレームをつけてくれて「もうポポ子が病院に行くのは週に二回くらいでいい」と言いだしたため、四月いっぱいで家政婦さんも断り、私もこの先週に二回くらいしか訪問しない方針で、この先姑は入院生活を続けることになった。さて、そこで問題なのが、療養病床での入院生活ということ姑は呼吸困難で入院する三月まで、特養で暮していた。食事は周囲にまきちらしながらとはいえ、一応自分で食べていたし、その気になれば少し伝い歩きなどもできるほどの脚力もあり、日中は基本車いすでの生活になっており、トイレの介助の折なども少しの時間たっていることが可能だった。特養の中にはクラブのようなものもあり、姑は園芸クラブのようなものに入れてもらって、月に一度草花に触れるようなこともあったりする生活だった。急性期病院での生活が二週間を過ぎ、病状が落ち着いたあたりから、食事時は車いすに座って取るようにしたり、日中はなるべく座位を保つことを心がけてきたけれど膝が伸びなくなっており、リハビリをお願いして、毎日一時間のマッサージによるリハビリを受けて、それが生活のリズムにもなっていた。でも今の病院に移ってからはリハビリもなくなってしまった。一応転院のときにお願いはしたんだけどね・・・老健に移れば、日中は車いすに座れる人は車いすでの生活になり、座位が保てる。車いすに座れれば、ほかの方たちと一緒に食堂で食事を取ることが可能になり、姑の食事の介助をしていただきやすくもなる。基本的な生活面の介助はお願いできる状態になるので、私が病院へ出向く必要もなくなり、頻度も少なくできる公算だった。だから、車いすに座る能力を温存することは、姑のためでもあり、介護を軽減したい私のためでもある。でもね、なかなか老健に移らないのよしかも、完全看護とは言いながら、ほとんどほったらかしの状態なんだよね、今の病院。私自身は遭遇しなかったけれど、家政婦さんが朝病室に入ると、姑は下の介助の最中にほったらかされていたりしたらしい、つまり、紙パンツを広げた時点で放置されていたとのこと、取り換え作業の途中で何かを取りに行ったとかという風情ではなく、姑の手足は冷え、しばらくの時間その状態であったことがうかがえるという、家政婦さんがナースコールをしてからも、しばらく看護師さんの姿はなく、ほどなく病室を覗いた方が驚いた光景だったという話なんかもあったり実際、夜間の紙パンツは何重にもセットしてあって、取り換え回数も少ないらしいことがうかがえる。病室は個室でテレビは見放題だけど、ほかに刺激もなく一日寝ている、4月に入っても寒かった数日の間、病室のエアコンが作動せず、そのことを申し出ると、暖かくなる時期だから元から切っていると言われ三日にわたって申し出て、初めて室外機が故障していることが分かったものの、修理はしてくれないみたいだ。そんなわけで、ようやく暖かくなったので、姑もしばらくはエアコンのお世話にならずに済むのかもしれないけど、そんな病院にいるわけです。いつになったら老健に移してくれるのか、はたまた移す気がないのか、一度今回の病院の主治医に聞いてみたのだけど、姑を老健に移せないわけを尋ねたものの、はっきりしたお返事はいただけず、曰く、気管切開をしている人は肺炎になりやすいから様子を見なくてはいけない、(肺炎になるのを待っている?)曰く、誤嚥の可能性もあるから・・・(誤嚥してないし)曰く、もう一人?気管切開の人がいるのでその人が落ち着くのを待って老健に・・・とかとか、姑がどうなんだって話にはならず、なんだかわけがわからない。トドは、周辺の病室を見ると、家政婦さんまでつけている方はなく、頻繁に世話をしに訪ねているのはうちだけだろうから、このまま入院させておけば、日中は家族がこまめに世話をして手がかからない入院患者なので、都合がよいのではないかという。つまり、付き添っている状態が老健移転を阻んでいるということ?アホらしくなって付き添うの止めました。今の病院にこのままいると、姑はたぶん、車いすにも座れなくなる、食事も私たちが介助すると100パーセント食べるけど、病院に任せておくと半分くらいしか食べない。体力も落ち、誰が話しかけてくれるでもない生活では、記憶も混沌としてくるだろう。温度管理も適切とはいえない病院では、肺炎になることもあるだろう。急性期病院というのは、何か病状が合ってそれを治療するために患者さんたちは入院しているわけで、だからこそ看護師さんたちはこまめに病室を訪れて、様々な看護をして下さる。でも、療養病床というのは、積極的な治療が必要ではない患者さん、なので、放置しておいても平気、ってことなんだと解釈した。さらに、高齢ともなれば、延命治療を特に依頼しない限り、状態が悪くなってもそのままなのかと思える。2月に友人の父上が自発的に療養病床に入院をし、ほどなく肺炎を起こし、4月の頭に亡くなられた。これも、入院した病院が急性期病院だったら、違う結果になったのではないかと思っている。こういうところなんだ、療養病床って・・・など、改めて思ったりするしだいです。あ、療養病床と言っても様々あって、ご自分で動ける方たちは、リハビリなどを受け、本来の療養期間を終えると退院していかれたり、というケースもあるので、ようするに病院によりけり・・・ってことなんだけど・・・トドは、もう少しましな病院はないのかと言っているけど、私は積極的には動かない。救急車の行き先が決まらず、父がお世話になった病院に手配をしたけれど、それは結局舅にとっては私の父が無くなった縁起でもない病院ということになっていたし、今回の病院も私が積極的に進めたわけではないけど、私が手配した病院のソーシャルワーカーさんが探してくださった病院なので、何かあれこれ言われてるしね。これ以上は嫌でござんす。な状態なわけで、トドが積極的に探せば、なんとかなるかもね~
2010年05月06日
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うっしゃ~!おっしゃ~~~!いやもぉ最高だ!何が最高だって、そりゃあなた、なんたって巨人にホームラン攻勢で勝っちゃって、どうよ。新しい病院と自宅が車で30分かからないため、私は今、火・木・土曜日に姑の昼食時と夕食時、それ以外の日は夕食時だけの付き添いをしている。家政婦さんが来てくれる日曜日と月水金は本来は夕食を済ませるまでお願いをしていたのだけど、今の病院は交通の便が悪く、夕食を済ませてからの時間帯になるとタクシーもなかなか来てくれないということで、夕食時に私が病院に出向き、家政婦さんを最寄りの駅まで送ってから病院に戻り、姑の夕食の介助をすることにしている。今の病院に移ってからのお食事が姑の口には合うらしく、かなり一人で食べるようになってきており、スピードもやや速くなってきて、それでも一時間はかかるけれど、特養にいた時並みに食べられるようになっているので家政婦さんを駅まで送り届ける30分ほどの間に、半分以上一人で食べる日もある。また、今の病院には入院患者と同じメニューで付き添いさん用のお食事を頼むことができるため、昨晩試しに舅用に一食頼み、姑の昼食を終えた後でいったん帰宅して自宅の夕食の用意をしたあと、夕方舅を連れて病院へ出向いたのでありました。例によって耳の遠い舅が用意よく補聴器を装着するでもないため、蚊の鳴くような声の姑の囁きは聞こえず、一緒に食事をするといっても、立位で姑の食事介助をする力は舅にはなく、ただただ同じ部屋にいて共に同じものを食べているということのみの幸せをご用意申し上げた。舅がいても姑はテレビに夢中で食べており、舅はわざわざ出向いたかいもないけれど、それでも「ほらお隣りでお父さんもお食事なさってますでしょ」と注意を向けると「パパおかわりは?」などと声をかける。姑にはここが病院であることも、自分が入院していることも希薄、自宅にいるとでも思っているかのような言動は、舅の喜ぶところでもある。ま、そんなわけで舅の食事の用意もせずに済むし、送り迎えは面倒だけど、時々はこの手もあるかと思ったりです。とはいえ、今の入院スタイルはもうしばらくのはずで長くはなく、この先老健に移ると、一緒に食事をとるという場面もなくなることを思えば、付き添いもそれまでなら舅を連れて出向くのも今後は頻度が少なくなる予定。でもって昨夜も8時過ぎに自宅に戻れたため、夕食を取りながらわが愛する阪神タイガースの試合をテレビ観戦するという至福のひと時が持てたのである。しかも、逆転勝利と言っていい、しかも相手はニックキ巨人なわけだから、これで舞い上がらないとしたら、あたしは病気だってことになる。もとより不死身の私としてはそりゃ盛り上がるってもんで、このところ遊んで帰らないために8時には自宅に戻ってきていたトドの追加注文で焼いていたタラコを焦がしたくらい、どうってことないってもんだ。トドもとりあえずわが愛する阪神タイガースが勝利していると私の機嫌がよいことは経験から熟知しており、最近では調理中に実況してくれることもある。そんな学習はできるんや・・・(笑)さ~て、今日も行ってや~!東京ドームでサンタテ行ってみよ~~~!ちなみに姑は野球が嫌いで、テレビ中継も好まない舅は阪神タイガースファンなのだが、私は共には喜ばないことにしている。
2010年04月14日
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一つ目の転は、姑転院しました、の転今まで入院していたのは、私の実父が長くお世話になっていた病院で、私の自宅からは小一時間かかる距離確かに遠く、付き添っている途中で自宅に戻ることは不可能と思える位置関係だった。その病院でなければならない理由は義理家族にはないので、落ち着いたら自宅に近い病院なり施設なりに移りたく、ソーシャルワーカーさんを通じてあたってもらっていた。姑の転出先の候補としては、療養病院、もしくは療養病床を持っている病院、ということだったけれど、療養専門の病院では姑の特定疾患に対する投薬や、この先起きる可能性のある不測の事態に対応できないと断られ、急性期病院で療養病床を持っているところからは認知症ありきが問題視されて断られ、かといって介護施設は気管切開をしているための医療面でのサポートができないと断られ、行き場がない?という状況で、いよいよ在宅か?!と覚悟を決めつつあったところ、老健を併設している病院から受け入れていただけるというお返事をいただいて、このたびめでたく転院いたしました。今度の病院は、我が家から車で20分、相変わらず家政婦さんに週4日お願いして、残り3日は私が担当だけど、昼食を済ませた後いったん帰宅して、夕食に間に合うようにまた病院へ行く、ということも可能な距離なのでありがたい。最終目標は老健での生活なのだけど、まずは病院に入院して状態を把握したのち、お薬などもいただいたうえで、老健に入所という運びになる予定で受け入れていただいている。数日で移れるのか、数か月に及ぶのかは、新しい主治医のご判断を待たねばならないけれど、ともかくこの病院での入院中に、元気であることをアピールして老健に移してほしく、(老健に移ればお食事の介助などの必要がないので)もうしばらく頑張って通うつもりの今です。んなわけで、これで落ち着く保証はないまでも、今回の病院も併設老健も、いい意味で境界線がルーズ老健に入所していても、医療措置が必要になればすぐに病院に移してもらえるという利点もある。また、老健では毎日午後にリハビリの時間があり、運動以外に手先の作業などの療法もあり、姑にはちょうど良いかとも思える。ひとつ問題なのは、入院患者の大半が重病の方で、その意味では姑もその部類に入るところがあるとはいえ、おそらく舅は、この病院に入った姑を不憫に思うだろう、病院としては悪くないと私は思っているけれど、下見に行ったトドもお願いすることに決めて帰ってきてから「いきなりあそこかなぁ」としばし逡巡していたことを思うと、舅はもっと、ある意味のショックを受けそうな気がして、めんどくさい。でもってもう一つの転は、舅の転倒。舅は現在、三か所の出稽古を月に三回つづ行っており、お稽古場へは朝は私が送っていき、帰りはお弟子さんに送っていただく、ということになっている。頻繁に転倒したため、歩行器を使っての外出に切り替えるまでは、帰りも私が迎えに行っていたけれど、お稽古の終わる時間が一定しないことと、午後は実母のところへも顔を出したく、トドに相談をしてお弟子さんのお手を煩わせることになったものだ。ところが、季節は桜の美しい時期、帰りは一人で気ままに散歩をして帰ると言い募り、先週の月曜日、舅は一人で歩いて帰り(私の足なら10分ほどの距離)案の定きっちりやっぱり転倒をして、(でも骨折はしない)顔と手に擦り傷ができた。我が家は今、姑が入院をしているといういわば非常態勢、この時期に舅に怪我をされると本当に回らなくなる。ということは何度も進言し、舅自身にもよくおわかりのはずなのだけど月曜日の朝、送り届けるときに、周囲の桜を眺めながら「来年も桜が見れるかな」とノタマッタ舅。足が弱ったとはいえ、いまだにフライもの大好きな頑健な食欲をお持ちの舅をみていると、来年どうこうという状況ではとてもなさそうでどちらかといえば私たちのほうがお先に失礼しそうなくらい、お元気だと思える。ま、そんな舅なので、桜は今年限りではないと私たちは思うけれど、ご本人はそうやって末期の桜と思い、感慨にふけるのでありましょう。そしてその感慨深い桜を愛でて、お散歩をしつつお帰りになったところでの転倒。これについてはトドが「何遍言うたらわかるんや!」罵詈雑言、罵るところを押しとどめたのも私なのです。「言うたって聞くようなオヤジ殿やない、って何遍言うたらわかるんや」ってトドに言ったり…(笑)そして、やっぱりね、舅は言いますよ「お母さんが入院してた病院は、ポポ子さんのお父さんが死んだ病院やな」って連呼。(笑)そうです、それがなにか?もう、わかってるつもりだけど、アホらしくって父が最期を過ごした病院は、ただ亡くなっただけの病院ではなく、発病以来共に通い、父との最後の数年を過ごした思い出深い場所でもある。姑の入院中に、これまでお世話になった各課(産婦人科と神経科以外、全てに診察を受けていた)のお医者様や看護師さん、リハビリや理学療法士の先生方、売店や食堂の方たち、通院歴の長いなじみの患者さんたち三年ぶりに通った病院には、まだ私を覚えてくださっている方が多くいて、顔を合わすと「あれ~お父さんまた入院?」とか「最近会わへんかったね~元気?」って病院で元気?(笑)それは懐かしく、実父がお世話になった方々に改めてお礼が言えたり、ということもありながら今はいない父を感じる場所ばかりなので、そこはやはり辛くもあった。姑が入院して気管切開を受けることになったとき、トドは実父の気管切開のことを比較に挙げて話をすることが多く、「あれはいたずらに命を延ばすだけで、苦しみを与えるようなもんやったな」と言いそれが数度に及んだときに、さすがに「パパのことを比較に出されるのも仕方ないかもしれないけど、病歴が違う、私は延命治療を施したとは思っていない、私も主治医も、復活にかけた処置として執り行ったんだ」ということを改めて伝えトドの表現は無神経であること、おそらくそのような反応に鳴ることは予期していたので、本来はこの病院を紹介したくはなかったことを申し出た。トドは自分の不明をわび、以後、言動には気をつけてくれているのだけど今回は舅だ。で、転倒のときは、罵倒しそうになるのを阻止したのだけど、今度はトドに思うさま罵倒してもらいました。(笑)舅には悪気はなく、ただただ無神経なだけ、語彙が少ないだけ、いままでにもよくあったことなのでだから・・・嫌いだ。今、生活全般を私に依存し、愛する妻の生死も私の手の中といっていい状態の中で、言葉には気をつけなっ!と悪態をついて(心の中で)とりあえず、絶交状態三日目です。(笑)明日も送っていくねんけど、一切話はしてやらへんねん、(*^^)vさ~てと、ママさんの所へ行って精神浄化してきます。今日はどこの桜を見に行くかな~・・・
2010年04月11日
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2010年04月04日
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ママさんとご近所のあひる公園(勝手に命名)でプチ花見。 下ばかり見て歩くので、ベンチに腰をかけてはじめて「桜が咲いてるの?」と気付いてくれました。 おしゃべりは相変わらずですが、動きはかなり劣ろえてしまったママさんです。 そろそろお出かけには車椅子も必要かなと思いながら、出来るだけ綺麗な景色を見てもらいたく思います。
2010年04月04日
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脊髄小脳変性症を患っていることが分かってから5年ほどになる姑は、同時に脳血管型認知症も確認されて今に至る。一昨年夏、すでに家の中でも伝い歩きになっている姑のため、義理家の自宅改修をしたところ、工事期間中にショートステイ先の特養で転倒し骨折。手術はうまくいったものの結局歩けるようにはならず、というか認知症があるためリハビリが進まず、一か月余りの入院生活の後、車いすでの生活になってしまった姑は、自宅での生活は不可能になり、姑のために改装した家に帰ってくることはなく、特養の人になった。今回は呼吸困難による救急搬送の上の入院で、前回を超える入院生活になろうとしている。姑は周囲の人だれもが認めるやさしい人、ということになっており、実際確かにやさしい、のだろうと思う。私に対してもやさしい人であったことは認めるけれど、そのやさしさは無意味なものでしかなかった。和服を着用する必要がある夫に嫁いだ私には、嫁いだ当初は和服の知識がなく、教えを請うのは姑以外にないはずだったけれど姑は私にやさしいため?か、はっきりと指示を出してくれることはなく、困惑した私が分からないなりに整えたものを提示するとそのままスルーで認めてくださった。でもそれは、その場にそぐわない取り合わせであることがままあり、それを指摘し恥をかかなくて済むように教えてくださったのは古くからおられるお弟子さんたちであった。お弟子さんたちにも姑の無意味なやさしさは、「ともかくもお優しい」という形で認識されていたのである。やさしい姑はまた、実父の入院のためアルツハイマーの実母の介添えが必要になり、実家に泊まりこむと報告した時には、何より息子の洗濯物の心配をし、食事の心配をしてくださったのである。本当にやさしい人なら、実家の両親のことを一番に、口にして下さったのではないかと、今も私は思っている。そしてやさしい姑は、「私たちは貴女のお世話にならないようにするのに」と決定事項のように将来を語り、その後ほどなく、生活全般を私に頼るようになったのである。また、やさしい姑は「ポポ子さんは嫁いできたんだから御実家のことには口を出さないほうがいい」とお父さんが言っている。「ポポ子さんが子供がほしいというのは、老後の面倒を見てくれる人が必要だからか」とお父さんが言っている。「ポポ子さんが仕事を持つのは夫婦のすれ違いの原因になるからやめたほうがいい」とお父さんが言っている。などなど、様々なことを舅の言葉として私に伝えた。御自分の言葉としてではなく舅の発言、本当にそうおっしゃったかもしれず、違っていたかもしれず、極めつけとして印象深いのは、夫の浮気をも「男の人にはよくあること」とやさしく認め不妊治療で苦慮していた私に「結婚前から占いでポポ子さんには子供が授からないとわかっていたの」とやさしく諭してくださった。さすがにこのとき私は絶句、言葉もなく電話を切ったことを昨日のことのように覚えている。誰もが認めるやさしい人、だけど私にはそのやさしさは無意味。二度目になる今回の入院生活でも、自分から食事を積極的にとらない姑に、一口づつ食べ物をすすめてとらせている私は、事情を知らない周囲の人から「娘さん」として認識されることもある、つまり、大変親身になってやさしく看護をしている。と自分で言うのもなんだけど、実際確かに丁寧に、親身に、やさしくしているわけです。姑は私に対して数々の言動があったことなど、少し前から忘れているようで、自宅で生活していたころから、「どこで誰と暮らしたい?」とケアマネさんに聞かれると「ポポ子さんのところ」であった。今入院している病院は実父がお世話になっていた病院なので、その時からの顔見知りの人たちの中には実母を覚えていてくださる方もあり(院内徘徊の探索などがあったため)間違われることはないのだけど病室に顔を出すと安堵の表情を浮かべる姑を見て「娘さんが来ると表情が違いますね」などと言われ、訂正するのもめんどくさい時はスルーしていたりする。家政婦さんに週に4日、残りの3日を昼食時から夕食を終えて就寝準備をするまで私が担当しているのだけどお世話をしているとふつふつと憎しみが増す。実母は混迷期を経て今は素直な人になり、食事も自分できちんと最後まで食べられ、明るく陽気でありがたいけれど姑は言語も不明瞭で食事も進まず、自分から意思を伝える事をせず、喉のチューブを抜いたり、点滴を抜いたりと、そういうことはできたりする。私はこの場と、ごく親しいリアル友達以外には、姑の愚痴をこぼさないことにしており、それはトド(夫)にも同じ。確かに仕事も忙しく、二月に倒れたこともあるトドに姑の付き添いはきついのだけど、私を信頼して任せているトドに、いつ首を絞めるかわからないような憎しみを抱いている私に看護させている危機感はない。とりとめなくつらつら書いているけれど、要するに、私は姑が嫌いなんである。自分で何も決めず、何の意思もなく舅に従ってきたかのような人生を、私は嫌悪する。若いころは美しい人であったと聞くけれど、私が出会ったときは60に手が届くころだった姑は、絶世とは言い難い美女だった。息子が嫁に見習わせたいと思うような手料理の一つもなく、家事全般見習うことが本当にない人。偉そうなことを書いてるなと、思っている人もおられると思うけど、お姫様然として暮らしてきた人に、呆れることばかり多い年月だったのだ。いずれにしても、そんな大嫌いな姑を看護している自分に、嫌悪しつつ日を送っていると、自分がばらばらになりそうで・・。で、ガス抜きに書いているわけです。姑は、もう今までいた特養に帰れなくなり、療養病床を持っている病院のいくつかから断られ、かといって医療病床に入院しなければならないような状態ではなく、行き場が無くなっている。私の行動範囲内に、実母は絶対預けたくない病院、があるのだけど、最後はそこに決まるかもしれない。もちろん決定するのは息子。選択肢の中には在宅看護もあるのだけど、自分が手を出すつもりはなく、私の手を姑に取られることで仕事に弊害があると考えるトドは、最終病院でも良いとの結論を出そうとしている。この病院では、自分で頻繁に喉のチューブを抜いてしまう姑は、二十四時間抑制されるだろう。危険だからね、いまのように付き添わなくてもよい、と言われているので、私はせいぜい週に一二度、洗濯物を取り替えに行く程度になるだろうしそういう生活だと姑も落ち着かず荒れるだろうから、「そういうお母さんに会っても仕方ない」とおっしゃる舅の訪れも間隔が開くだろう。姑は坂道を転がるように、認知症状が進むに違いなく、おそらく食事も細やかに食べさせてもらえなければ体力も落ち、衰えていくことと思われる。私は姑にやさしく「私はお家にお連れしようと思ったんですけど、トドさんが自宅で引き取れないとおっしゃっているの、御免なさいね」とそろそろ言うつもりだ。(笑)看護も介護も、なんだかんだで十年近くかかわってきた私には、作業には慣れた感覚があり、在宅は大変ではあるけれど、どうせ舅もこれから手がかかることを考えると、二人並べてのやり方もまた可能と思えるもちろん全部私一人でかぶるつもりはなく、介護保険をフルに使い、難病対策として受けられる地域のサービスも駆使し、家政婦さんも動員しての体制での在宅を考えているのだけどそしてこの機会に姑を在宅することによってトドに恩を売り、実母の在宅をも模索したくもある。ま、そんな感じで・・・ちょいと毒吐きでした。今日は家政婦さんに病院をお願いしているので、そろそろ実母のところへ行きます。桜、やっと咲きそろってきたので、お花見ドライブ桜とママさんに癒してもらいに・・・行ってきます
2010年04月04日
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長らくご無沙汰しております。年末に新居に転居するはずが、転居完了いまだせず・・・何かとことの多い毎日に取り紛れ、ブログの更新も失礼しております。え~・・・・どこから話せばよいのやら・・・とりあえず時系列にご報告させていただきますと一月某日、転居(といってもまだ全部引っ越しは済んでいない)先のマンションで親子心中事件がありましてある日出先から帰宅するとマンション内外にお巡りさんがいっぱい(@_@)で、何事!?と驚いておりましたところこの段階では心中というより殺人事件っぽい態勢での警戒で、思わずご遺体の搬送場面を上からのぞいてしまったりで、びっくりでありました。その驚きも冷めない一月の終わり、河童からの知らせで、イングリ(河童の嫁さん)が勤め先でにわかに激しい腹痛に見舞われ、救急車で病院に運ばれ緊急手術になったとか卵巣が破裂したのだそうでございまして、破裂と聞くと「ボンッ」と破裂したのかと思いきや、卵巣の一つに亀裂が入ったとのことでございまして、だからといって簡単かというとけしてそんなことはなく、河童夫婦も別居スタイルであれば、この腹痛が夜間自宅で発症していたら、とても自力で救急車を呼ぶこともかなわず、大変な事態になっていたものと思われ・・・ともかく卵巣を一つ摘出するという手術を受けたのでございました。イングリの勤め先近くには身内もなく、河童が仕事を休んで付き添ってもおりましたが、私も付き添いに通ってみたりしたのでありました。術後の痛みの中でイングリが「何かの天罰かと思う」などというもので、思わず「ほんまやね~」同調しそうになってあわわ・・・「そんなことないよ~」と言いながら、なにかザマミロな感覚がぬぐえないのも日頃の付き合い加減がなせる技(笑)いや、病人相手に笑っちゃいけないんですけどね・・・・昨年親友が似たような手術を受けた時には、心底心配が先に立ち、患者本人よりあわてた自分を思い起こすと、いやはや、義理関係はやはり冷たきものと、我が身を省みる事態でありました。んで、イングリが退院し実家に落ち着いてほっと一息ついたところで、年末から半同居の生活をスタートさせていPさん(舅)の転倒が重なり足などが内出血だらけになってしまったため、お薬をやめたり、杖での歩行にこだわっておられたPさんに介護レンタルで歩行器などを手配したり、しばし歩行器になじむまでついて歩き、安定した歩行を確保して・・・イングリも体調万全とはいえないまでも三月から職場復帰を果たしたのでありました。いよいよ引っ越し完了しないと~と思った三月三日に日付が変わったとたん、姑の施設から電話があって「呼吸困難で救急搬送します」ってことで姑の入院歴のある病院と施設の提携病院には断られてしまったため、救急車を呼んでという騒ぎになりましたんです。ところが、この救急車の行き先が定まらないこと二時間余り、時間はすでに深夜の三時を過ぎようというころになって思い余って実父がお世話になった病院に個人的に頼むことを救急隊と相談し、結局、私たちが第一報を受けた一時過ぎから三時間余りを過ぎた午前四時過ぎに、やっと病院に入った姑でありました。姑の呼吸困難は、舌根沈下という状況と、声帯がふさがった状態で痙攣をおこし固まってしまう、という状態からくるもので、喘鳴を発しておりました。たまたまその日の当直が、ユニットの責任者の方だったことや、同じく当直が看護師長さんだったことが幸いし、事態の緩和を図ってもらえたことが、姑にとってはラッキーだったと言えるでしょう。診察を受けた結果、気管切開をし気管チューブを入れて自発呼吸をする、ということになり、機械にはつながれないまでも、実家の父と同じように気管切開施術を受けたのでありました。姑の場合は切開部分より上の口に近いところに異変があることから、チューブを入れれば呼吸は確保でき呼吸困難には至らない、との御判断で、それは確かにそうなのだけど・・・術後熱などが落ち着き、体力が回復してくると、自分でチューブを抜いてしまうという問題が出てきて今に至ります。また、気管切開をすると痰の吸引などが必要なのですが、之は医療行為ということでヘルパーさんのお仕事の領域外、つまり介護施設では感染症予防の措置がとれないということと、夜間の管理ができないということで、今まで暮らしていた特養に帰れないことになりました。今現在は気管チューブを入れている以外は、入院前の状態に戻りつつあり、ただ入院生活で足が曲がった状態で委縮しつつあり、そのためのリハビリを受ける以外に、入院の必要もない体になっています。今後は療養病床での生活を望んでいますが、難病を持っていることと、認知症があり自己管理できないことがネックになっているのか、すでにあちこち断られています。行く先が決まるまでは今の病院に入院していることができますが、一般の病棟なので家族の付き添いは欠かせず、と言って付き添えるのは私一人なので、今回も入院当初から家政婦さんを頼み、交替で見ております。この間、ママさんのお世話になっている施設もオーナーが代わり、説明会やら契約の取り交わしやら、介護のサービス内容も変わったりであたふたまた、二月から花水木ちゃんが新しい職場に通いだし、今度はお仲間もできて順調、かとおもいきや、三月に入ってから遠慮がちに知らせがあって、パワハラだとか・・・今回は職場の方たちも花水木ちゃんの理解者で仕事自体は面白い、ということもあって、本人と相談したうえで、今回は自分で上司の方に相談の上、今も仕事を続けていますので、とりあえずほっと・・・お沢庵(花水木ちゃんの弟)も舞台のお仕事が決まり主役をいただいたとかで、月末は見に行ってやりたく・・・父の法事もせにゃならんし、甲子園にも行かなあかんし(同列?)んな毎日であります。さすがに自分の両親のことで私に手間をかけている、そのことはトドにも判るらしく偉そうな態度は変わらないまでも実父の看護に通っていた時のような冷たい空気ではない我が家ではあります。そうそう・・・二月に四国のお稽古先で催しを企画し、前日の結婚記念日には旅行気分で観光も予定して出かけたのですが出先でトドが珍しく具合悪くなって、お休みの日に救急病院のお世話なり、結局催しは欠席でホテルで寝てまして、私がお手伝いにお願いしていた先生と一緒に一日切り盛りをした、などということもあったためか私の三月の誕生日は豪華だったことを、申し添えます。でもね、その日はママさんとゆっくり過ごしたい日でもあり、そのあたりの空気、相変わらず読めない奴ではあります。また、姑も受け入れ先が決まらなければ、在宅の可能性も考えなくてはいけないんですけど、トドには全くその意思はなくそれはありがたいながらも、なんというか・・・彼が病人に冷たいのは、私の親だけに限らないのだと思い知ったりしております。さすがに一カ月になると姑の付添にも限界を感じてもおり、合間にママさんを訪ねてはいるものの、そろそろもとのパターンに戻したくもあります。そんなわけで姑は今、実父がお世話になった病院にいるため、顔見知りのお医者様や看護師さん、売店の方、リハビリや理学療法士の先生などに次々お目にかかり、懐かしいやらさみしいやら、そのあたりの複雑な心境とともに、実父入院中に感じた焦燥感などは姑には感じず、淡々と看護しております。ってなわけで、更新、次がいつになることやらですが、とりあえず今年はそんな感じで・・・・いつも覗いてくださって、ありがとうございます。
2010年04月02日
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あけまして・・ずいぶんと日がすぎてしまいました・・・がおめでとうございます。皆様、今年もよろしくお願いいたします。さて、私共、年末より悪夢のPさん混じりの生活に突入しておりましてたださえ忙しいのに、高齢行事に振り回されてこのように新年のご挨拶さえ半月遅れの体たらくいやはやお恥ずかしい限りでございます。年越し蕎麦を我が家にてPさんにふるまったのが悪夢のはじまりでございまして夕刻より紅白の終了時まで、我が家に踏みとどまった舅でありました。そんなこともありつつ、何より父親との食事が罰ゲームなトドの提案で「これからは親父の家で食事して、僕らが引き揚げるようにせな、親父が居座る危険性がある」おっしゃる通りでございますが、この提案がトドから出たというところがミソあたしじゃないもんね~ってなわけで、このあたりの誘導技イッポンといった感じの年明けでございました。つかず離れての介護を心掛け、今年も一年、邁進いたす所存でございます。一日にはそれでもお節料理やお雑煮を義母の施設に運び込み、新年らしい夕食囲んだのでございますが普段使わないお部屋を借りたら寒くって、トドと父上は体温が高いらしく?施設の方が気をつけて姑に着せた下さったコートを食事時にコートは・・・ってことでわざわざ脱がせ、食事を終えるころには姑はくしゃみ連発ながらも、風邪には至っていない模様。二日は実家サイドの新年会ということで、河童夫妻とハナミズキちゃん姉弟と伯母を交えて、ママさんも一緒に過ごしたんであります。写真は伯母の家(ハナミズキちゃんちでもある)でくつろいでいる河童とママさんお部屋が寒いだろうと、ハナミズキちゃんの過剰サービスで布団蒸しになって、最終的に「ふぅ熱い・・・」となったママさんでありました。共に認知症状有の我が家の母二人、一方は寒く、もう一方は熱い、そんなお正月でございました。ママさんへの面会は外せない時間なので、Pさんがらみで時間がなくなると削るのは姑のための時間、ということになります。今年は(も?)パワーアップした鬼嫁と化したお正月でございました。めでたしっ
2010年01月15日
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本日はまだ未完成ながら…タイガースキッチンの一部ご披露させていただきますm(_ _)m 家具や電化製品等をどう配置するか、結局私が決めるんだけど、 トドが一応了承した形にしなくてはいけなく(めんどくさい) また、なかなか工事途中の現場確認に行けなかったトドにも、引き渡し前に見ておいて貰うべく(あとで文句を言われないためにも) 仕事が早く終わる先週のある日の夕方、新居を見に行ったのでした が… その日、折悪しくフローリンクのワックスをかけたばかりで、 ドアを開けると妙に床がピカピカ、 私は「ちょっと待って」とトドが入室するのを止めようとしたんだけど、 トドは勝手にどんどん歩いて行っちゃって… ドデカイ足跡がくっきり…( ̄・・ ̄) さんざん歩き回ってから 「靴下ベトベトや!」って…(-_-;) んなわけでワックス塗り直しになりましたんですよね。 んなこともありつつ、 火曜日に引き渡しになります。 やれやれ… 車の少ない時間なら10分の距離の引っ越しなので(なのに?) 数回に分けて引っ越しすることになりそうです。 とりあえず25日に電話関連とクーラーの設置、冷蔵庫と洗濯機、好きなメーカーのダイニングテーブルと椅子が届くことになり 休業中の花水木ちゃんに手伝って貰うことになりました。 今の家で使っている冷蔵庫と洗濯機は実家にスライド、 実家の冷蔵庫と洗濯機も古いのでそちらを処分することにしました。 この際なので、家具も一部新しくして、古い物は売ります。 といっても… 実は売るのは…私たちが結婚する時に、姑の趣味で整えてくれたものだったりします。(^_^)v いや、すっきり?しちゃうわ(^w^) なんだかんだで、割りと思い通りにしつつあったりする嫁歴20年の年の瀬です。 だんだん逞しくなってるか?(≧∇≦)
2009年12月20日
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ビゴちゃんがストローについて書いておられたので、我が家のストロー話をちょっと。。。ストローは貴重な水分補給の道具だと、思うんです。お体の自由が利きにくくなったとき、飲み物を飲むのにコップを使うことは難しい、だからストローで飲み物が飲めることはとても便利。これは手の動きがままならなかった実父で実証済みだったので、トラママにもストローを使う習慣をつけたいと思っていたんですが実は我が家は父が胃腸が弱いこともあって、あまり冷たいものを飲まない習慣で、子供のころから家庭内での飲み物は基本が温かいものか常温。そうはいっても真夏の一時期には冷やした麦茶を飲んだり、アイスクリームを食べたりはするんだけど・・・父は晩年具合が悪くなってからも常温の飲み物を好んでいたので、飲食を共にするトラママはストローを使って飲み物を飲む習慣がもともとあまりない以上に減っていたのでした。昨年の夏、ママさんの水分補給にとお店に入った時に、そういえば・・ストロー使ったところ、しばらく見てないかも?と思いいたって夏場のお風呂上りの飲み物にストローを添えてもらうようにホームの方にもお願いをしてみました。ビゴママさんもストローを噛んじゃうってことだけど、うちも噛むんですよ。まぁ薬も噛み砕いちゃうし、口に入ったら噛むことになってんのかなと思ったりするんだけど・・・噛んでもつぶれないストローはないのか!先がつぶれちゃって飲み物がすえないもんね・・・トラママの場合は飲み物がうまくすえなくなった時点で「お腹いっぱいになっちゃった」ってことでそれ以上飲まなくなったりするので、本来の水分補給がままならなくて困ってしまうこともあるのです。ってわけで、噛んでもつぶれにくいものを探し小さいお子様用のコップについているストローの中に、厚みと弾力のあるものを見つけたのでそれを、ちまちま麺棒でこまめに熱湯を使って洗ったり、しているのであります。ただ、使い捨てられるもので、トラママの噛む行為に耐えられるものはまだ、見つけてません。ビゴママさんが受け入れて下されば、入院用や幼児用のストローがセットになったコップの中に、意外と使えるものがあるかもしれないな~なんて思います。私はうちの高齢家族が通院しているあちこちの病院の売店で買い求めたり、ドラッグストアの赤ちゃんコーナーなどで探して使っています。この手のコップを愛用してくれることが違和感なく受け入れてもらえれば、それはそれで、今後のためになるかもと、思ったりです。ちなみに姑は手が震えるので、ストローを使って飲ませたいところなんですが姑の場合は物を飲み込むのがもともと下手で、飲み物をいったん口に含むということなく、いきなり喉に吸い込むスタイルと言うべきかな・・・ご飯も口元に持った言った物を吸い取る?ような食事スタイルでもあって、これはこれで、誤嚥のきっかけになると注意を受けており、特にストローはお医者様から使うことを止められています。だから姑は、なめるようにしか飲み物を飲まず、コップ一杯のお茶を飲むことにも十数分の時間がかかり、一日の水分摂取量もなかなか必要分に達することができません。同じような高齢者といえども、抱える病気の状態などで、同じことがお勧めできる場合ばかりではないことも承知していますが食べたり飲んだりすることが比較的普通にできる状態であれば、ストローを使うことも忘れないようにしたいかなと、思ったりします。お読み下さった方の中には異論もおありかと思いますし、高齢者と飲食物との問題としては誤嚥が付いて回りますから、トラママに関してもいつまでストローが有効かはわからないんですけど・・・どなたにでもお勧めと思っているわけではありませんが、ある段階の、ある状態の方には、こんな選択もありかななどと思う次第です。m(__)m
2009年12月16日
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ちょっとアップにはどうなんだ?っていう写真なんですが トラママの右足薬指の爪が剥がれてしまったんであります。 この指は以前からちょっと水虫っぽい… 時々この爪の先が白くなるので、その都度お医者様から頂いたお薬をこまめにつけて、しばらくすると良くなって…という状態を繰り返していたのだった。 10月の終わりごろに、いつもよりひどくなっているらしいことに気づいて、 お薬をこまめにつけて、もらうように頼んでいたけど 爪の内側が固く盛り上がってきて、爪が黒くなって来たので気になっていた。 日曜日の夕食後、お薬をつけるついでに爪を切ろうとしたら、薬指の爪が浮いていて、少し触っただけで剥がれてしまった。 うわっ…えらいこっちゃ? と思ったけどママさんは痛くも痒くもないらしい… 良く見ると…根本から新しく綺麗な爪がはえてる?ようにも思う とりあえずいつものお薬をつけて、月曜日にホームの看護婦さんの見解を仰ぐ事にして、 後を夜勤のヘルパーさんにお願いして帰り 月曜日、朝からママさんの所に出かけた。 看護婦さんの見解では、新しくはえてきた爪が綺麗な事と 黒くなっている下にも爪があるとかで、お薬をつけつつ健康な爪がはえてくるのを待とう、 という事になり とりあえず一安心です。 だんだん衰えてるからさ…いろんな事がおきる…んだよね… 今のところ痛みもないのでやれやれです。 この件で思い出すのは、看護師さんか介護のお仕事の方だったか… お世話をしていた高齢者の爪を剥いだ事が虐待問題であるとして裁判になり 判決は有罪だったように記憶する。 訴えられていた方を追ったドキュメンタリー番組を以前少しみたのだが 虐待ではなくケアの一つと言える行為と番組は捉えており、 私もその様に思いながら見た。 詳しい事情を知りたいと思いながらそのままになって ある時やはりニュースで有罪だったように聞いた。 今回は実親子間の出来事で、もとより私には虐待の意図はなく、誰かに訴えられるでもないけど 私の知らない間に爪が剥がれていたら… 私は激昂するだろうか… 場合によってはするかも知れない 自分で自分の状態を把握出来ない母だから 不調や痛みにはこちらが敏感にならざるをえない。 過敏でなく敏感でいたい、など思うのでありました。 本日の夕食はビーフシチューでありました。 お箸は上手に使えるママさんだけど スプーンは途中で裏返したりするので、エプロンはえらいこっちゃになるのであります。 さんざん食べ散らかした物を私に「はい召し上がって」 ビーフシチュー風ピラフ?みたいな一口を私の口に入れてくれようと? 案の定 私のトレーナーもえらいこっちゃになりかけた。 お食事の介助には介護人にもエプロンは必須だな。
2009年12月14日
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新居のリフォーム工事が来週には終わる。中古マンションなので、床下の配管も換える必要などあり、予想外に傷んでいたりで工事も延長になってたので、やっと終わる、の感がぬぐえない。先日、新しいシステムキッチンが入った。仕様を決めたのは私だけど、基本の色を決めたのはトド。何を思ってか「黄色」を選んでくれたため、それなら部分的な個所の配色は「黒」でしょ。ってことで、タイガースカラーのキッチンになることになって、気が進まない転居が一気に阪神部屋に整えられる期待で胸も膨らむってもんだ。ついでに電話もタイガースバージョンにしてしまった。んなわけで設置されたキッチンは、当然のことながらあからさまな縞柄でもなく、まぁ柔らかいイエローなので、まんまタイガースカラーではないんだけどそれなりに満足です。トドは引っ越しは自分のいる日にと考えているようだけど私はひそかに、奴が泊り仕事で出かけている年末に、と画策しているのであります。引っ越しなどの時、なにより手間のかかるのがトド本人なんだ。落ち着いたら写真掲載しま~す。(^^ゞ
2009年12月11日
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わが愛する阪神タイガースの誰もが認める流星赤星君怪我がもとで引退宣言をして、彼の雄姿を甲子園で応援することが出来なくなってさみしい。昨日の新聞に、赤星が最後の贈り物をする姿が掲載されていた。彼はシーズン中の盗塁数と同じ台数の車椅子を毎年贈呈してきた。それも今年で最後になる。足のご不自由なファンの方々が、彼が爽快に塁を駆け抜ける姿に胸を躍らせておられたと聞く。赤星の潔い引退に、残念な思いがぬぐえないけどこの先も阪神と野球とかかわる人生を送ってくれると信じてお疲れ様でした。ありがとうございました。
2009年12月11日
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幼稚園でお歌の時間に童謡等を歌わせたい先生方をよそに 当時の私たちは「鉄人28号」を大きな声で歌い 「小さなお子様には暴力的でよろしくございません」と各家庭向きにお達しがあったように聞く 懐かしいテーマソングです。 鉄腕アトムと並んで記憶に残る作品で、ストーリーの幾つかを今でも思い出せる。 幸いトドも同年代なので、この手の懐古談では共に盛り上がることもあり 一学年年長な彼は私より細部まで記憶に留めていたりする。 この鉄人が神戸長田に姿を現して久しい。 友人の一人が見に行き、写真を送ってくれた。 原寸大(と言って良いのか?)なので、そびえたっているらしい…(笑) 暖かくなったらママさん連れて出かけてみるかな~ 鉄人が現れたのは、震災被害の大きかった地域 ビルの街というより…復興の街かな… ルミナリエ開催地域よりさらに西、新長田駅周辺になるけれど、JRの車内から後ろ姿が見えるそうです。 ルミナリエとセットでのお出掛けも一興かと…m(_ _)m
2009年12月10日
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寒くなってきたので、トラママの手が冷たい時があって私の頬を触ってもらった。「暖かくて気持ち良いね~」と言ってもらったので、「更年期障害で逆上せてんの」と言ってみた。実際逆上せたり、この寒空に汗かいてたりして、絶不調…そうしたらトラママに大笑いされ「なに言ってんの、子供のくせに(≧∇≦)ノ」ママの子供ではあるけどね。世間一般的には子供の部類には入らない私。(笑)ま、そんな日常です。今日は年齢不詳ながらも娘と思ってくれていますが、最近では「妹」と紹介されることが多く姉でないだけましか?と思ったり…来週末には転居先の工事終わります。引っ越しは…二度に分けて一部年末の予定です。あ…いよいよ…や…
2009年12月09日
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今日、実家でアルバムやら私たちの子供のころのスクラップブックやら、あれこれ眺めていたら、おもしろい発見をした。それは、私が三歳で幼稚園に通いだした年の夏休みの記録。特筆すべきこととして、8月半ばの従姉の誕生日に、父の実家で暮らす従姉の所へお祝いに出かけ、おそらくはお姉ちゃんと遊んで楽しかったのだろう「今日は一人でお泊まりするから、パパとママは帰って良いよ」と言い一人で父の実家に泊まったのだという記述。そのころ父の実家には、祖父母と、従姉と母親である伯母、父の弟が二人暮らしておりにぎやかだった。とはいえ三歳児が一人で泊まるとなると、祖父母にも伯母にもお手数をかけたことだろうと思う。この日は一泊で帰っているのだけど、物足りなかったらしく、8月の終わりに再度二泊で泊まりに出かけており「ネネ子チャン(従姉;仮名)は遊びたくないのに、ポポ子が遊ぼうというので相当疲れ果てた様子で申し訳なかった」という記述まであった。(笑)んなわけで、私の人生初お泊まりは、昭和37年8月13日なのであります。なんかすごいな~こんな日付がわかるとは・・・と自分で思っちゃいました(笑)父と母が残した家族の記録には、私と弟の小さいころのエピソードがちりばめられていて、なかなかに・・整理しきれません。(^^ゞちなみにこの従姉というのが花水木ちゃんとお沢庵の母親です。お姉ちゃんとは五歳違いなので、このとき8歳のお誕生日だったわけですね。三歳児に取りつかれて疲れ果てたとのこと、申し訳ないっす(笑)だってお姉ちゃん大好きだったんだもん。
2009年11月27日
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文字通り箱に入っている私( ̄・・ ̄)母とすまして写っているのは、幼稚園の願書に添付した写真です。
2009年11月27日
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私の通っていた幼稚園は三年保育だったけれど、通園は毎日でなく一年目は週に一度、自宅にいる日は母親が日常生活の様々なポイントで子供の自立を促す、というスタイル。例えば「おべんじょひとりいき」の「おはげみひょう」には、6日分の子供の絵が書いてあり、ちゃんと出来たらその子供に持たせるために好きな色紙で風船を貼る。上手く出来なかった日は黒い風船を貼る。というスタイルで、トイレトレーニングやお着替えなど、細かく実績記録を取るように分かれている。欄外に母親のコメント欄がありこんな記述があった。以下、原文のままいままでまだ便器をつかう折が多かったのですが、夜中以外は皆お便所にゆきました。みだれかごが嬉しくて、パパも入れなさい、かしてあげるからとか、また思わぬ余徳として夜のお着替えもいそいそして出来るようになりました赤ちゃん扱いしてつい今までさせなかったから出来ないので何でもさせないと不可ないものだと感じました。おかげでとても手間がはぶけて助かります。パンツはきのおはげみひょうにはパンツはきは一日のうち何回か機会が有るのですがまだ全部一人でははききれません。毛糸をとって一枚にしましたらほとんど出来るようになりましたがでもまだ裏だったりスカートの上になったりします。おしるしのないパンツははきませんので、全部に「たんぽぽ」をつけました。以上私の3才のころの記録に残る出来るようになっていく様と真逆な今のママさんです。こんな記述が残ってるもんなぁ…(苦笑)ペンキ乾いたらママさんの所に出かけます。
2009年11月27日
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実家マンションの大規模改修工事に伴い、玄関ドアの塗り替えのため ペンキが乾くまで施錠出来ないので、待機しております。 古いアルバムの納めてある書庫の一角に座り込み、父母の子供の頃の写真に見入っておりましたところ ん?2602年? 父の小学校の卒業アルバムが2602年…( ̄・・ ̄) キゲンセツ?ってやつですかね?(笑) タイムスリッパーみたい(笑)
2009年11月27日
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お久しぶりに書かせていただく話題が(^_^;)Pさんの新作。今度は美顔関連です( ̄・・ ̄)最近CMでも良く見る「緑茶石鹸」をこの度メデタクお買い上げ。齢87のPさんによれば、「僕は肌が弱くてね」……面の皮は厚そうですけどね…「日焼けで肌荒れしているし」……蛍光灯で焼けましたか?…「昔から緑茶は美白効果かあるからね。」……そういえば、一時期お茶がらで洗顔しておられましたよね…トドはあきれ果てて反応しないので仕方なく、(-_-)効果があったら教えて下さいね、と言っておいた。何度か書いているけれど、Pさんはなぜか「自分は本来は美白」という意識があり、息子のトドは、物心ついてより半世紀を越える今に至るまで、父親が色白と認識したことは一度たりともないのである。こんなPさんの美白が叶うなら恐るべし「緑茶石鹸」しかし、お酒やタバコは年齢確認商品とされるけど、通販にも年齢制限(高い方)の商品があってもええんちゃう?
2009年11月27日
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負けた…わ野球シーズン終わりました…とえぇねん来年は寅年やし、甲子園球場の工事も完成するし来年、新生甲子園球場で胴上げしたら満足や…だいたい今年の試合運びで優勝したら棚ぼたみたいなもんやからそんな甘えた前例作ったらあかんねんもん。これでえぇねんえぇわけないぞ~とまぁ…言うてもね…脱力
2009年10月09日
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