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彼と別れたことを友達に言ったら、いきなりCDを持ってきてくれた。修士論文の〆切も迫ってて超忙しいのに、わざわざこんな埼玉の奥地まできてくれるなんて・・・まゆちゃん大好き。しかもそのCDには「ゲッツだぜ!ダンディ坂野」と「マツケンサンバ」が繰り返しエンドレスで入ってた。・・・・爆笑。久々に笑って、私はやっぱり幸せだなって思った。そういえばまゆが失恋した時は、私バックのなかに一升瓶突っ込んで、原付きで駆けつけたことあったね。私には彼以外にもいっぱい大事な人がいた。楽しい思い出があった。どうして忘れてしまってたんだろう・・・。どうしてこんなにも身勝手になっていたんだろう。本当に自分が恥ずかしい・・・。まゆ、ホントありがと!!元気になれそうだよ。空を自由に飛べる鳥より、地べたを一歩一歩、歩く鶏のほうが好きって言ってた、不器用だけどいつもまっすぐなキミの生き方は、今日も私を励ましてくれています。まゆの修論と博士課程の入学試験が終わったら、まゆの好きな日本酒飲もうね!!
2005年01月24日
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元彼氏に会うために一時帰国した。用事はすぐ済んでしまい、暇な一日だった。暇はイヤだ。しんどい。何回あなたの名前をつぶやいただろう。まだ全然無理だよ。忘れるのは全然無理。私は苦しむしかないの?今日、精一杯の強がりをあなたにぶつけた。ただのつよがりだよ。平気そうに笑わないで。分かってよ。寂しいよ。苦しいよ。ちっともひかないこの痛み。いつになれば楽になれる。朝のこない夜はない?でも朝が来たらまた夜は来る。この繰り返し。これが生きるということ。だとしたら苦しすぎる。槙原則之の「どんなときも」がラジオから流れた。「昔はよかったねといつも口にしながら生きていくのは本当にイヤだから」朝が来るのを待ってちゃいけない。朝に向かって歩きつづける。そうすれば夜に会わなくて済む?。明るいほうへ明るいほうへ、休むことなく歩きつづければこの痛みを感じなくなるの。そんなわけはない。だって幸せすぎた。温かすぎた。あなたさえ傍にいれば、いつかまたあんな日々が過ごせるって信じてる私がいる。あきらめきれてない。一生懸命、前を向くのに、必死に何もかもを振り切って、目をつぶって、上を向いて走ってるのに・・・どうして?どうしてあっという間に心があの頃にワープしてしまうの?気を抜いたつもりもない、振り返ったつもりもない。でもほんの一瞬何かが起きて、私を甘く優しい時間に引きずり込む。そして、そのあと漆黒の世界に突き落とされる、つぶれそうな痛みとともに。そこで一人もがく、もがきつづけて、気付くと窓の外から乾いた陽が差し込む。もう何日こんな状態かわからない。いつまでつづくのかも・・・。訳わかんないこと書いてる。でもこれが精一杯。なんだかおかしくなりそうです。
2005年01月20日
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今日、彼氏と別れました。もうすぐ付き合って4回目の春が来るはずだった。今はただ涙を流している。それ以外、私を表現する方法がないから。思えば、温かい春のような4年間だった。笑いあい、怒り合い、助け合い、励ましあい、罵り合い、泣き合い、でもきっと一番微笑み合っていた。彼とは人生にそう何度もある出会いじゃないと思えてならない。過ぎ去った日々を思い出すと、胸の真ん中に黒い鉛のようなものが生まれ、それはじわじわと私中に広がって、あっという間に私の感情を支配してしまう。必死に探しているが、この状態を表す言葉が見つからない。今はただ、嗚咽のように声を出し、涙を流すだけだ。彼が好きだった。彼といる時の自分が好きだった。なぜ変わらずに生きていけないのか。彼も私も。「ありがとう」も「ごめんなさい」もまだ言えない。幸せだった思い出達が、私の心を暗くしていく。幸せというのはとても刹那的なものなのかもしれない。同じ幸せは二度はないのかもしれない。新しい幸せを作りつづけていかなければいけない。私と彼はそれができなかった。だから離れた。愛は、新しい幸せを生みつづけることだとすれば、私と彼にはそれができなかった。それがたまらなく悲しい。
2005年01月06日
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人生に幸せのゴールがあって、それが100m競争ならば、日本人に生まれたことは、60m地点からのスタートを許されたようなものだと思う。 友達の中国人は、海外で働くにしても、旅をするにしても、自国の壁を超えるのに大変な努力がいる。それでもめげずに必死に頑張っている。そして、なんの努力もなしにここにいる私。 私は、生まれながらにして、宝くじに当選したようなものだ。 それに気づかず、今の自分の状況を、全て自分の力だと思うのは傲慢であり、愚かなことだ。 私が今楽しく過ごしているのはなぜか。私が楽しいジョークを言えてるからなのか、それとも仲間が楽しい人たちだからなのか。 私が、食べたいものを食べれて、欲しい物を買えて、行きたいところに行けるのは、すべて私の力なのか。もし、親の援助が全くなかったらどうなのか。それでも、今と変わらずにいられるか。 私がこうしていられるのは、どのくらいが本当の私の力なのか。たまにはきちんと考えてみなくちゃいけないと思う。
2004年09月27日
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さっき教育テレビで夜回り先生をやっていた。水谷先生の本は読んだけど、思ってたよりもカチッとした人だったのでちょっと意外だった。もっとふわっとした印象だったから。子供は誰でもきれいな花を咲かせる種を持っている。それが途中で枯れてしまったり、折れてしまうのは、全て大人のせいであって、そんな子供達は大人が作った社会の犠牲者だと水谷先生は言っていた。そして、子供はとても単純で、一つのものを見てそれが全てだと思い込む。だから、生まれて初めて信頼した大人、つまり親に裏切られると、全ての大人を信頼できなくなり、「どうせ無理だ」と思い込んでしまうとも言っていた。世の中にはいい人のほうが多い。だからもう一度大人を信じて欲しい。そしてまた裏切られてしまってもまた信じて欲しい。そうやって行くうちに必ずいい出会いがあって、幸せで明るい世界を知ることができるから。。。いいもんだよ、生きるって。そう語る水谷先生の言葉は、子供だけじゃなく未来に悲観してしまったすべての大人にも生きる勇気をくれたんじゃないかと思う。それにしても、平和ボケしているこの日本で実際にこんなにもむごい事件が毎日起きて子供が死んでいるなんて・・・・。そしてニュースにもならない。佐世保の小学生の殺人事件はあんなに騒いでるのに・・・・。マスコミのこのバランスの悪さはなんなんだろう。ほんとに当惑してしまう。
2004年09月04日
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かなり小さい頃から守りに入っていた私。そうやって、すべてを失うことにおびえながら、少しずつ大切な物を失っていたんだ。だから今、やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいいと心から思う。守りよりも攻めでいかなきゃね。
2004年09月03日
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溶けていく。溶かしていく。言われたとおり。見たとおり。そして、ただ漂う。クラゲのように。心地良いの?悪いの?さぁね。ただ漂うだけ。私は何色だったかしら?私はどんな形だったかしら?さぁね。漂うだけ。私はどこに行きたいのかしら?私は何かしなくてはいけないんでしょう?さぁね。漂うだけ。私は寂しい。私は・・・・さぁね。漂うだけ・・・。
2004年09月02日
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それでも私は、砂粒ほどでもいいから、貴方の力になりたくてこの世に撒き散らされた無数の罠から、貴方を守りたい。だから私は強くなる。貴方がいなくなるまで、世界がこんなにつまらないなんて知らなかったよ・・・。(高校の時に作った詩。懐かしいので引っ張り出してきました。)
2004年08月29日
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私が思うより世界は広く、美しいのかもしれない。私が思うより人間は温かく、優しいのかもしれない。そう、私が思うより何もかも少し素敵なのかもしれない。だから、なにか一つ新しいことする根性出してみてもいい。
2004年08月25日
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ペンションで3週間ほど住み込みで働いた。いろんな人に会い、いろんな自分に会えた、とてもいい時間だった。でも、ちいさなことでも計画とおりに進むことなんてないなあと改めて実感。次々に起きるトラブルに落ち込み、苛立ち・・・。私は、人や物事が自分の思い通りにならないとすぐにイラつくようだ。単に、自分の思い描いているものが浅はかなだけなのに、それを他人のせいにしている。ことごとく甘い自分。でも、前のように自己嫌悪に陥ったりはしない。私は自分の浅はかさ無力さを全てを認める。でも、自分を諦めはしない。もう他人の噂や情報には惑わされない。自分で見たこと、聞いたことか信じない。そうやって自分を一つずつ重ねて生きたいと思う。3週間お世話になったIオーナー、本当にありがとうございました。オーナーの数々の旅の武勇伝には脱帽です。オーナーのように地に足のついている自由人には初めて会いました。今度は遊びに行きますね。
2004年08月23日
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日本人の男性の平均寿命の伸び率が縮まった原因は、自殺らしい。うちの親曰く、自殺は自分勝手で怠け者がすることらしい。生きることは誰だって苦しいから、自殺はただの逃げだと。それも一理あると思うけど。そんな単純なものじゃないとも思う。逃げるまでにあったこの世界での時間は、その人をボロボロに傷つけ、バラバラに打ち砕いたのと思うから。私は、自殺した人には「やっと楽になれたね。そっちの世界では幸せになってね。」と言ってあげたい。自殺しそうな人には「あと一日生きればいいことがあるかもしれない。だから明日まで頑張ろう。」と言ってあげたい。
2004年07月20日
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昨日(17日)大学の友達と奥多摩に釣りに行ってきた。釣りをきちんとやるのは初めて。とにかく釣り糸の絡みやすさに手を焼いた。くもの巣に絡まり、木に絡まり、川底の石に絡まり。そして絡まった釣り糸をほどくのがとても大変。でも、ほどかないと釣れない。ほどかなきゃ先に進めない。ほどかないまま、無理やり前に進んでも、すぐに行き詰まってしまう。ほどくことは、一番めんどくさくて、孤独で、イライラする作業だけれども避けちゃいけない作業なんだね。釣り糸は心に似てる。絡まり易い人、絡まりにくい人がいる。絡まってることに気が付かない振りをして先に進もうとする人もいる。私の心がどれかはわからないけれど、これからも何度も私の釣り糸は絡むだろう。たとえ、一生かけてもほどけないような絡み方をしても、私は諦めずにほどき続けるだろう。
2004年07月18日
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東京に引越しをした。久しぶりの日記。最近日記に書きたいことがなかった。ここしばらく心が動かなかったって感じ。物理的に忙しいと心が止まってしまうみたい。気をつけないと自分のバランスが崩れてしまう。毎日きちんとメンテが必要なんて、ホント面倒な生き物だな、私。考えた結果、しばらくフリーターとしていろんなアルバイトをすることにした。すぐに就職活動をするか、資格をとるために勉強するか、海外留学をするか、いろんな選択があったけどやりたいことが全くわからないので、絞り込まないことにした。中途半端なプライドも捨てられるし、自分の責任で生きていく覚悟もできる。思えば、今まですべてを他人のせいにして、努力しないで逃げてきた。心のどこかで他人に何とかしてもらおうという甘い自分がいた。自分で選んだことに最後まで責任を持って生きたい。その選択がどんな結果でも。
2004年07月15日
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6月16日 AM8時昔の友達(といっても大学時代だから1年前くらい)からひっきりなしにメールや電話がくるが、会いたくないため無視しつづけている。私は変わってしまった。なんでも楽しそうに、はしゃぐ無邪気なお姫様は、私の中には影も形もなくなった。そして、あまりにも無知だったその頃が恥ずかしく、その頃を知っている人たちに会いたくないのだ。私の友人達は、もしかしたら想像以上に利口で、そんな私の気持ちなどお見通しかもしれないが。結局、私は友人を信頼していない。でもそれでいいと思う。本当に信頼するのは自分だけで精一杯だ。自分すら自分を裏切る時があるのだから。「一人ぼっちになるためのスタートライン」今私はそこに立っているわけだ。
2004年06月09日
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「あなた、絶望をしたことがある?」まさに絶望の最中に人から言われた言葉だった。絶望はなるべく早くしたほうがいい。絶望してはじめて、自分のどこが本当に捨てられない部分かがわかる。自分の限界がわかる。そして、本当に楽しいことがわかる。それが、本当の始まりなのだ。23歳。わたしは、よかった。
2004年06月08日
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6月13日 PM11:59今日ショーシャンクの空にを見た。前に一度見たことがあったけれど、図書館で貸し出していたのでなんとなく借りてみた。前に見たときよりもいろんな事を考えてしまった。生きるってなんだろうみたいなこと。刑務所で時を過ごすうちに、最初は出所することを切望している終身刑の囚人達は、しだいにそこの生活に慣れ、いづれは刑務所を出るのが怖くなってしまう。そして、運良く仮釈放をされても、社会の中で孤独感と不安感にさいなまれ自殺してしまう人もいるのだ。でも、会社だって同じ事だと思う。最初は嫌な会社にも年月が経つにつれて慣れてくる。そして辞めることが怖くなって必死に会社にしがみつき、リストラされて自殺する人もいる。結局人間は、自分が思っているほど幸せでも不幸せでもなく、ただ生きる希望があるかないかという違いだけなのかもしれない。どんなに理不尽な目にあっても、消えない希望。それを持っている人間が、この世で最も幸せな人間なのだろうと思う。希望・・・私はまだないな・・・。でも、見つけて生きたい。誰にも奪われない自分だけの「希望」。そして、それを持ち続ける為の強さ。
2004年06月07日
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6月11日 AM5:30今度から日記書く日と時間をメモることにしよ。忘れちゃうから。最近は本の虫。6冊読破。読んだ本は池袋ウエストゲートパークエンジェル愛の餐宴少年計数機アンネの日記 完全版仕事が嫌なヒトのための本小説は最高のエンターテイメントだと思う。映像も音もなしに、白い紙と文字だけで、最後まで客があきないものを作らなくてはいけない。そういう意味で、石田衣良さんの本はすごい。物語のの進め方と、視点が斬新。つまりはアイデアがいいってことなんだけど。アイデアを思いつくには研ぎ澄まされた感性が必要。アイデアを表現するには蓄積された経験と技術が必要。心を磨きながら腕を磨く。心と腕のバランス。自分の中に深く潜る努力と、自分を表現する努力。どちらも必要ということだね。
2004年06月06日
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床を磨けば埃が消える。ガラスを磨けば曇りが消える。磨くという行為は、不要なものを取り除くこと。自分を磨くことは、何かを覚えたり、身につけることじゃない。あるがままの世界を感じるために、自分の心にこびりついてしまった垢を取り除くこと。そのために、大事に抱えているものを、垢だと認めること。
2004年06月05日
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「途中で投げ出したこと、逃げ出したことも挫折になる。」感動しました。挫折は本気で頑張ったけどダメだったこと、だと思っていました。本気で頑張ってない失敗は次につながらないと思っていました。でも、そうじゃなくて、途中で投げ出したこと逃げ出したことを他人や環境のせいにしないで、きちんと自分の弱さを認められれば、それはしっかり次につながる立派な挫折なんですね。途中で逃げ出したことや、何かと理由をつけて困難から避けてきた私は、立派に挫折を繰り返してたんです。あとはそれをきちんと自分のせいにして自分を認めてあげるだけ。17歳の少年からこんなことを考えさせられるとは・・・。年上とか年下とか関係なく、人の話は真剣に聞くものだなあと思いました。
2004年06月04日
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私には変化を恐れる気持ちがある。新しい環境に入るとき、好奇心より恐怖心の方が強いってこと。今まで、いろいろな変化があった。例えば私は卒業式では必ず泣いた。全てが悲しくて、怖くて、このまま時が止まればいいと願ったからだ。こうして、現状維持にしがみついて23年。このままでは淘汰されると直感した。時代は今までにないスピードで動いているようだ。現状維持を努めれば庶民として生きていられる時代は終わっていく気がする。これからは庶民も変化をしつづけなければ生きていけない時代なのかもしれない。あと50年もすれば、今は正しいことが、間違ったこととなる時代がくるかもしれない。変化を恐れる人は生きていけない。まずは自分を捨てることから始めようと思う。ってこんなことばっかり日記に書いてるし。私。人生モラトリアムみたいな感じになってる。これはイカンです。
2004年06月03日
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最近晴れの日が多い。なんだか晴れてれば晴れてるほど落ち込んでしまう。そして、晴れてる日に落ち込んでる自分にまた少し落ち込んでしまったりして。晴れの日にするべきことから逃げてるからかなあ。今日は久しぶりに晴れのにおい、晴れの音を感じに遠くに行こう。
2004年06月02日
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ここ数日、きゅうりの苗に、コガネムシのちっこいやつがくっついてしまい、葉っぱに穴がいくつも空いてしまった。というわけで、私は一日に7回位畑に行き、駆除をしている。もっとも、もう少ししたら、彼らは葉っぱが大きくなり、葉っぱの数も増え、私なんかが面倒をみなくても、ちっこいコガネムシくらいへっちゃらなんだろうが、今は、すでに空いてしまった穴のせいで生きているのもぎりぎりといった感じだ。植物も動物も小さい頃は弱いから、誰かが守ってあげなくちゃいけない。外には危険がいっぱいある。でも、守ることと隠すことはイコールじゃない。外にある危険、すなわち、いずれ自分がさらされる困難を見せた上で守ってやらなきゃいけないんだと思う。外から隠しているだけでは、いつになっても一人で生きていける強さを持てない。そして、私はまだ、見た目は大きいくせに、ちっこいコガネムシにも耐えられないきゅうりの苗だ。穴だらけで痛々しく、でも力強く生きる彼らに、思わず「あーあ、負けちゃったね」とつぶやいた、初夏の昼下がりでした。
2004年06月01日
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しばらく外国人との生活でアップアップしていて日記がおろそかになってました。イカンイカン最近、ふと、本音で生きていきたいと思った。人と付き合って疲れるのはなぜか本音を言えないからだ。本音は、人間関係において薬にもなれば毒にもなる、いわば諸刃の剣だから。では、毒になる本音とはなにかそれは自分の傲慢な心の声だ。例えばお金を払ったのに芝居がつまらない相手はいつも間違ったことを言う相手は気遣いが足りないすべて、自分が相手より上に立っている時の声だ。だから、本音が言いたいときがあったら、その本音が自分の傲慢な声ではないか、冷静になって考えてみる。そして、それが傲慢な声ではなく、素直で謙虚な声だという自信があるならば、言えばいい。その本音は必ず薬になるはずだから。
2004年05月31日
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だんだん英語は聞き取れるようになってきたけど、話せない。日本人はリスニングが苦手だとか言うけど、私はスピーキングが全然ダメだ。今日、日本語を勉強しているフランス人に、日本語は難しいから大変でしょうといったら、好きだから平気だと言っていた。もし私が、日本以外の国に生まれていたら、私は日本語を勉強しようなんて思わなかったと思う。そして今英語を勉強しようとしているのも、英語が好きだからではなく、役に立ちそうな気がするというただそれだけだと言うことに気づいた。自分の気持ちに正直に行こうと決めたのに、早速矛盾・・・・。何かを決定するときに、自分の気持ちではなく、損得を優先するのは私の悪い癖だと、純粋に日本語を勉強しているここの外国人の人たちを見て思った。
2004年05月25日
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外国人ハウス滞在3日目。英語がわからないわからない。自分のボキャブラリーの無さに絶望。中学校の時から数えれば、約10年英語を勉強したことになるというのに何でこんなに通じないし、聞き取れないんだか・・・・。とにかくインプットとアウトプットの繰り返しあるのみと思うので、果敢に挑むぞ。よっしゃめげないぞ。昨日話したイタリア人は、イタリア語の吉本ばななの本を読んで日本に興味を持ったらしく、もう2年もこっちにいるそうだ。吉本ばななの本をどうやって他国の言葉に訳すのか気になった。彼女は日本はきれいで、繊細で、安全で素敵だといっていた。だれもが高い教育を受けているから思いやりと常識を持っているとのこと。自分で捨てたごみを拾ったり、夜遅くに一人で歩いても平気だったりするのは当たり前だと思ってたけど、彼女に言わせれば、有り得ないらしい。外から日本を見ている人の話を聞くと、今まで当たり前だと思っていたことがそうじゃなかったりするので、とても楽しい。もっといろんな国の人の話を聞きたいと思った。
2004年05月24日
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今やっていることが自分の好きなこととは違う!!と思い立ち、旅に出る人がけっこういる。とても素晴らしいことだと思う。でも、好きなことが見つからないといってそこから帰ってこない人が多い。私はそういう人は、自分の外側にばっかり目を向けていて、自分の内側から目をそむけているのではないかと思う。好きなことを続けていれば、嫌なことや面倒くさいことだってある。それを含めても愛していけるかが大事。好きなことは、今と違う場所や仕事にあるわけじゃない。好きなことは自分の心の中にあるんだ。その自分の心を磨く作業を怠ったままで、完璧な仕事に出会えたらその愛が勝手に出てくると思うのは勘違い。いま目の前にある現状から逃避してばかりでは、好きなことはきっと、自分を素通りしていくだけ。だから、好きなことを見つける一番の方法は、いまやっていることがどんなことであっても、まず、それを愛することだと思う。それを愛して、全力でぶつかり、その上で自分とは何かを求めつづければ、なにかに導かれるように好きなことに出会えるはず。好きなことを探すには、居場所や仕事を変えるのではなく、まず、心のあり方を変えなきゃいけない。
2004年05月18日
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「やたらと話題になってるの+日本の昼ドラっぽさ」で敬遠していたのですが・・・・ハマッてしまいました。ユジンの純粋さがとっても心に染み入りました。どんな家に住みたいですかというミニョンの問いに、「自分の住む家は、好きな人の心の中に建っていればいい」というシーンが好きです。どんな家に住みたい?と聞かれたら、私なんか日当たりが良くて、庭があって、キッチンが広くてとか目に見えるものばっかり想像してしまうけど。家っていうのは自分が辛い時にも、いつも変わらず自分を包んでくれる場所。生きる勇気を与えてくれる場所。それが、好きな人の心の中にあれば、何が起きても生きていける気がする。目には見えないけど、最高のmy homeだなと思いました。冬のソナタにはこういう優しいシーンが散りばめられていて、心がじわじわっと温まります。毎週土曜日が楽しみです・・・☆
2004年05月17日
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風の谷のナウシカが好き。今日、宗教学入門みたいな本を読んだ。宗教と関連付けて風の谷のナウシカを読み解くっていうものだった。ちょっと強引なところがあるけど、なかなかおもしろかった。宗教って結構面白い。日本だと宗教って「宗教→オウム→気違い」みたいな感じがある。まあ、確かに日本にある宗教団体のほとんどは、オカルト、詐欺なんだろうけど。純粋な宗教学は、心理学に限りなく近いと思うんだけどな。大体の宗教には修行がつきもので、禁欲がある。それは断食だったり、性欲の禁止だったり、肉体的な鍛錬だったりするけど、そういう過酷な生活を強いられると、人は精神と肉体のバランスをくずして、ちょっとしたことでも過敏になる。そして、自分達のように禁欲をしていないふつうの人は堕落した存在に見えてしまう。そして自分以外の人間がくだらないものに思えて、彼らを罰してやる。それが正しい選択だ。それが慈悲だ。みたいに突き進んでいく・・・。そう考えると、これは宗教だけにあてはまるものじゃないと思う。宗教に限らず、人間が集まって団体になれば少なからずこういう人間の心理が生まれるから。そうすると、現代社会も宗教かな。ある意味。この国はわりと排他的だし。でも、宗教っぽさを認めないから、排他された人は、人間失格感に陥っちゃうのではないでしょうかね。最近、東ヨーロッパに行きたい。そこの人々は、ゲルマン、ラテン、アラブ系の民族、イスラム、ユダヤ、キリスト教の信者が入り混じって暮らしている。しかも歴史的に強国から虐げられて暗い過去をしょっていて。みんな一体どんな価値観で生きてるんだろう・・・・。少なくとも、この島国では考えもつかないような、人生の選択肢を持ってるんじゃないかなと思うんだけど。ありゃりゃ、タイトルと全然関係ない内容になってしまった・・・。まいっか。
2004年05月16日
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ちょっと前までずっと「死にたい」と思ってた私ですが、ひらめいたんです!「死にたい」は「生きたい」だと思うんです。は?って感じですよね。「死にたい」って思う時はどんな時かというと辛いことが立て続けに起きた時。つまり、この先もこのまま辛い事だらけで、今後の人生にいい事なんかひとつもないだって思ったときです。そう、「今後の人生に」って。今後を生きていきたいから、「死にたい」って思うんです。つまり、「死にたい」人は、「生きていたい」けど辛く苦しいことは嫌だから、「死にたい」になると。今後を生きていきたいから今、会社を辞めるわけにはいかない今後を生きていきたいから今、借金を返さなきゃいけない今後をいきていきたいから今、就職しなきゃいけないそんな今が辛い。このままの今後も辛いまま。だから死にたいんですよね。だったらいっそ死んだつもりになって、全部投げ出してしまったらいいんです。時間はかかるかもしれないけど。そしたら、世界が広がります。いままで、教育というの洗脳を受けてきたことに、常識という幻に苦しんでいたことに、そして世界が白黒に見えてたのは自分のせいだったのことに気づきます。そんなわけで、今の私のスローガンは、「生きていけるところまで生きてればいいや」なのでした。わざわざ自分で死ななくても、いづれ死ぬんだからさ。----------------------------------------------------「明日が見えてしまうなら、立ち止まってみるの。足あとだらけの道など歩くのはもうやめて・・・乱した息を元にもどすの・・・Where is fact?」私の大好きな歌の歌詞の一部です。真実はどこか?私の答えは・・・「どこにでもある」です。みなさんはどう思いますか?
2004年05月14日
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うちの猫はチロといいます。今日は畑で草むしりをしていたのですが、チロは横で寝たり、虫と戦ったり。作業を邪魔されたので「コラッ!」と叱ってもグデッと寝てました。ストレスとかないんだろうなあコイツと思いつつ・・・。動物とか植物を見てると、心が落ち着く。彼らはとてもシンプルだから。ただ生きてるだけ。それ以上でもそれ以下でもない。与えられた境遇で、ただ生きて寿命が尽きれば死んでいく。きっと不満なんてないんだろう。不満があればあんなきれいな花は咲かないはずだ。きっと彼らは知っているんだ。太陽と水と土に育てられ、種を残し死んでいくことが彼らに与えられたすべてであり、役割であり、意味なのだということを。私たちは複雑な世界にいるから(自分が複雑にしてるだけかもしれないけど)生きるのと無縁の場所で迷ってしまう。だから、たまには、こうしてシンプルな生命の原点に戻って本当に必要なものを確認する作業が必要なんだろう。そんなことを考える私の横で、今日もチロはミミズと戯れて遊んでいました。
2004年05月07日
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「あんたホントに大学出てるの?何もできないじゃない」「このくらいのパソコン操作もできないの?若いくせに」「女だからって笑ってれば済むと思ってんの」入社して辞めるまでの1年間、毎日聞かされた言葉。私は毎日、無能な自分を責めていた。そして、私のネガティブ度はとめどなく深まった。私はとてもネガティブだ。ポジティブな人になりたくて、人の真似をしたり、本を買いあさって手当たり次第実行したりしたが、結局何も変わらなかったし、むしろポジティブになれない自分に嫌気が差して、自己嫌悪に陥った。この自己嫌悪サイクルから抜け出せずに、自尊心も、プライドも、今まで生きてきた時間全てを否定した。自分のことを心から、無能で、役立たずで、社会に何の貢献もできない、何の価値もない人間だと思った。もう死んでしまおうって思った。でも、そう思ったら、全てがどうでもよくなった。何の価値も能力もないなら、何もしなくていいと思った。今、死んでもいいなら、死ぬのはいつでもできるから、その前に楽しいことだけやっておこう。辛いことや嫌なことはもうやらなくていいや。なんか失敗したって死ねばチャラじゃん。それでどこかで野たれ死んだら、それも運命でしょって。そしたら、周りの視線も評判も、なにも気にならなくなった。ほんとにポジティブになるってことは、ほんとにネガティブになることなんだと思う。あきらめる。捨てる。ってネガティブな言葉に思えるけど、実はとてもポジティブなことだ。ただそのあきらめたり、捨てたりする過程がとてもネガティブで苦しいだけだ。昔、本で「私たちは旅の途中で、人生っていうのは寄り道にしかすぎない。だから死んだらまた旅の続きが始まる」っていうような話を読んだことがある。ほんとかどうかはわからないけど、私は信じてみようと思う。楽しい寄り道にしよう。
2004年05月06日
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ぶっちゃけ、私は今引きこもりです。まあ、軽いほうだと思いますが。原因は就職失敗で、フリーターになり、劣等感で誰にも会いたくなくなったこと。今は、2ヶ月くらい、誰にも会ってない。でも、一人でいても何にも解決しないって事なんだね。結局、この状態を脱するには他人の力が必要って事。人を拒絶して、人から拒絶されて辛くて引きこもるのにそれを救えるのも人だなんて。ホント厄介な病気だ。引きこもるには悪循環のスパイラルがある。でも引きこもりから立ち直るためにはこういう悪循環スパイラルで行くとこまで行くのが必要だ。そして行くところまでいったら、全部捨てること。そう、捨てること。私は、明日からすべて捨てます。自分はなんもない人間だと思ってたけど心の奥でしっかりこだわってたようです。学歴、評判、名声、外見、薄っぺらな友人、薄っぺらな自尊心、他人の価値観すべて、捨てよう。正直、ちょっともったいないけどね。今日から楽しいことだけやって生きていく。辛いことはしない。自分にウソはつかない。形だけの信頼はいらない。だって、引きこもってた時ずっと死にたいと思ってた。今も、いつ死んでもいいと思ってる。そして人生なんて死ぬまでの暇つぶし。だったら、楽しく気ままに。ねえ、そう思わない?
2004年05月03日
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にもかかわらず、今日は一歩も家から出てなかったりして。ダメ人間・・・・0点。さてさて、申しおくれましたが簡単に自己紹介させてくださいね。私はHINAと申します。今23歳、大学を卒業して就職、OLをしましたが今年の3月に退社・・・。現在、自分のについていろいろと考えて、時間を浪費しているところです。ここでは、日記や詩など、自分の思ったことを毎日書いていこうを思っています。とはいっても、詩を作るのも、こういう作文みたいなことするのも小学校ぶりなので、読むに耐えないものになること間違いなし!!超自己満足です。でも、よければ立ち寄ってってくださいね。今日はなんとなく詩にしてみました。会社を辞めたときに考えたことを少し。ではでは。いつも怒られるのが怖かった。だから、誰にも逆らわなかった。なんにも疑わなかった。社会のこと、自分の将来のこと。おかげで、どこでも私は問題なし、ほっておいて大丈夫。いつも誉められたいと思ってた。だから、誰かの前では必ず、優しくして、ちょっととぼけた自分を見事に演じた。おかげで、私は明るく優しい、みんなから憧れの人。そして、私は、ほんとの私は小さく弱いまま成長を止めた。そんな自分を守るための鎧と殻はどんどん大きくなり、長い年月と共に、もはや私の手には負えなくなった。私の鎧工場は、昼夜を問わず働いた。ほんとは小さく、弱く、醜く、汚い私を守るため。それはいつしか、私をも欺き、私は鎧を着た私を本当の私と思わせた。だから気づかなかったのだ。その鎧の弱点に。鎧が壊されるその瞬間まで。鎧はそう、簡単に、他人のたった一言で壊れた。残されたのは、プライドだけ高い、脆弱な私。見たくない、見せたくない。見られたくない。逃げた。逃げた。どこまでも。このまま死んでもかまわないと思った。そして今、出口の見えないトンネル・・・・・。歩く。一歩ずつ。私は、はだかで歩いている。
2004年05月02日
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