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2006年05月23日
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テーマ: 本日の1冊(3748)
カテゴリ: 大好きな人たち
ただいま♪
長野から無事、帰ってきました

いやぁ~~、

長野は遠かった


行きが4時間、帰りは5時間、往復9時間の運転でした。 今日は朝から腰痛、頭痛、肩のコリで、ついに接骨院へ・・・
そうそう、去年ギックリ腰をしていたことを忘れていました。

そんなに遠いなんて知らなかったんだもん!

というわけで、今日は 長野での長岡秀貴氏の講演会の報告 を書きたいと思います。


3時間もあれば着くだろう・・・ と思いながら車のナビで検索したところ、 到着予定時間は13時45分! まさか!? 講演開始は13時30分。 間に合わない!?
幸いNちゃんの実家が山梨だったので、ナビの出したルートではなく、御殿場経由で行くことに。

途中、諏訪湖のSAで休憩したときに、景色の美しさにウットリ・・・
私の住んでいるところも丹沢の山に囲まれ、のどかな街ですが、同じ山でもまた違うんですね。
ちょっと険しい感じでもあり、荘厳な印象もあります。


せっかくの講演会だから、遅れずに到着したい!

私たちはドライブ気分もそこそこに、お昼も車の中でおにぎりをかじりながら、会場を目指しました。そして、 13時32分に無事到着!

ホールの受付けに走り込むと、チケットを送ってくれたココメ姉さんが一瞬キョトンとした表情で、次にはガシッ!とハグして、号泣!

「こんな遠くまでよく来たね~~♪今日はもう無理だと思ってたよ!
ウソ!?無理っていう選択肢もあったの?笑

慌ててホールに入ると、ちょうど誰かの挨拶が終わり、長岡先生が紹介されるところでした。
やった!間に合った♪ 私たちは、せっかく遠くから来たのだから・・・と、ずんずん前へ進み、 前から4列目のど真ん中 に座りました。

長岡先生の今回の講演会のタイトルは 「あきらめないで 夢はかならず叶うから」

講演の主な内容は以下の通りでした。(あくまでも私の感想です)

長岡先生は1973年生まれの33歳。
私よりずっと若いです。
世間の人から見ると、「先生」という肩書きに 「型破りの」 とか 「異色の」 とかいう形容詞がいくつもくっついてしまうような履歴の持ち主です。

長野の上田でやんちゃくれだった、という長岡先生。
入った高校は、いわゆる受験に失敗した人たちだらけの(ヤンキーだらけの?)学校。
仲間の一人は近所の目を気にする親に制服を隠すように上着を着せられていた、と言います。
入学してすぐに思ったことは、みんなの目が死んでいる。
そこに何の夢も希望も見えなかった。


それでも自分の母校となる以上、胸を張って卒業したい。そこで長岡少年は恥ずかしくない母校に変えよう!と、生徒会長になり、母校改革に取り組みました。

野球少年で甲子園を目指していた長岡少年は、その高校時代に突然病魔に襲われます。
進行性の脳の病気で、ある日突然左半身がまったく動かなくなり、病院のICUに・・・。
そのICUにいるうちに、7人の人が次から次へと亡くなるのを見ながら、( 次はオレの番だ )と、生まれて初めて死の恐怖に襲われたそうです。( 死にたくない!死にたくない!


運良く生命の危機から脱したものの、医師からは車イス生活を宣告され、絶望の淵に突き落とされます。あるとき、トイレに行こうと病室を出たところ、どうしてもスロープを上がることができず困っていると、一人のお婆さんが助けてくれた。窓に、自分の乗っている車イスをお婆さんが懸命に押してくれる姿がうつる。
(自分が手を貸してあげなければいけないようなお婆さん。そんなお婆さんに助けられないと生きていけない自分・・・)
このとき、彼は生まれて初めて( 死にたい! )と思った。


命の危険はとりあえずない。
命はあるのに、生きる希望が見えず、生きられない。


そんな少年を頻繁に見舞ってくれたのが、担任の先生。その若い男性教師は、遠い未来の話などしなかったし、「頑張れ」とも言わなかった。
いつも彼にごく近い未来の具体的な話をしたそうです。


「来週、○○があるんだけど、お前どう思う?一緒に考えてくれないか?」

その先生のおかげで、自分でも役に立てる、頼りにされている、という気持ちが芽生え、夢中でリハビリし、車イスなしで退院。それは奇跡だと医師に言われたそうです。

長岡少年は生徒会長としても全力投球。いつしか学校の雰囲気も変わっていったとき、「やればできるんだ!」を実感。
そして、水谷豊が主演だったドラマの影響で小学校教師を目指し、猛勉強して大学受験。
くる日もくる日も不合格の通知が届く中、ついに静岡の大学に合格!!
(ここらへんは爆笑エピソードがいっぱいでした)

大学のサークルでテニスをしていたとき、一人の後輩の女の子が自殺をしてしまった。自ら飛び降りたのにもかかわらず、病院へ運ばれるとき担架の上で「死にたくない。死にたくない・・・」と言い続けていた、そしてそのまま帰らぬ人となってしまった彼女。

一方、高校時代の恩師からは「お前は小学校じゃなく、高校教師に向いているよ」と言われ続けていた長岡少年は、やがて「あの先生と一緒に教壇に立ちたい」という夢を胸に、高校教師の資格も取ろうと決意したが、それをその先生に報告する前に、今度は32歳という若さで恩師が急逝。


・・・こうして自身の闘病、仲間と恩師の死という経験から 「どうせ拾った命なら、少しでも人の役に立ちたい。自分の周りで、もう二度と自殺する人を作りたくない!」 と考えるようになったそうです。

大学卒業後、長岡氏は、母校(高校)へ教師として帰郷。昔の仲間たちは、自分たちの中から先生が誕生したことを心から喜んでくれ、両親も安堵。

ところが、傷つき、心を病む生徒たちの何と多いことか!
長岡先生は校内に相談室を自ら作り、その担当になった。
「死にたい!」「どうやったら死ねるのか教えて欲しい!」と訴えてくる生徒たち。

20歳の頃夢に胸に抱いた「自分の学校を創りたい!」という夢が再び甦り、ついに5年間の教員生活にピリオドを打つ。


周囲はみんな猛反対、両親には泣かれたそうです。
そりゃそうです。ようやく教員として安定した生活や生き甲斐が確保できたのに、なぜ?・・・親ならそう思うのもわかります。


でも、長岡先生にはやっぱり捨てられない夢だったのです。
いざ学校を辞めたものの、新しい学校を創るなんて、そう簡単にできることではありません。

いろいろ考えた挙句、資金作りのために次に先生が始めたのは “ショット・バーの経営 ”でした。
何ともユニークな人です。
教師から一転、バーテンダーになったのです。

開店のお祝いに来た教師仲間の一人に、

「お前の夢はこれか?こんなことをさせるために、お前を送り出したんじゃないぞ!」

と、言われたときのショック。

そして次に考えたのが「本を出す」ということでした。
自分の想いを一人でも多くの人に伝えたい!一緒に学校を創ってくれる人が欲しい! ・・・魂を込めて書き上げた「ダッセン」(HIDBOOKS)を手に、仲間とともに書店を歩き回る日々。
その本がベストセラーになり、多くの人たちの賛同を得て、ついに夢が叶ったのです。


「侍学園スクオーラ・今人」

スクオーラという言葉の語源は「余暇」だそうです。
学校はもともと「余暇」だった。
その昔、人々には余暇などなく、狩猟や農耕に追われていた。やがて、ほんの少し余暇ができたとき、人々は集い、そこで互いに情報を交換した。それが「学校」の始まりだったようです。
つまり、学校というのは「互いに学び、ともに成長する場」である。
そんな学校にしたい、という想いが込められています。


講演の最後に、とても印象的な話がありました。

「コミュニケーション力というと、自分の考えをきちんと相手に伝えられる力、と思われがちだが、本当は“理解できないこと、わけのわからないことを受け入れる力”なんだと思います。」

「夢を持つことは比較的やさしい。難しいのは、その夢を持ち続けること。忘れないこと。途中で転んでもいい、休んでもいい、でも消してしまってはいけない」

「生徒によく“どうして死んじゃいけないの?”と、聞かれます。僕は必ずこう答えます。死んではいけないから。ダメなものはダメ。”理屈の中で育つ子どもたちは、どんなときにも理屈を求めます。でも、理屈ぬきでダメだということもあっていいと思います。
“人を殺してはいけません”
“自分で死んではいけません”

僕は少なくともこの2つに関しては、何度でも何度でも繰り返して言っていいと思っています。」

著書「ダッセン」を読んだとき、電車の中で号泣してしまった私ですが、長岡先生はその印象どおりの熱くて、まっすぐな人でした。

無理やり起こして車に乗せたサキ(小6)は、睡眠不足から講演の途中、大きなイビキをかいてしまい、何度か鼻をつまんで起こしたし、ヒデキ(小2)はみんなが笑うと一緒にバカ笑いするので恥ずかしい思いもしましたが、それでも一緒に連れて行ったのは、私は子どもたちに、この長岡先生と直接出会って欲しかったから。

そして、最初は「ダッセン」を読んで欲しい、と送ってくれ、今度はチケットを送ってくれたココメ姉さんのおかげで、長岡先生という人の存在を知ることができたのですから、ココメ姉さんにも感謝です☆人と人とのつながり、というのは本当に素敵ですね。ありがとう♪

思春期のお子さんをお持ちのお父さん、お母さんにはぜひ親子で、人間らしい人間、心が揺さぶられるような感動を求めている人もぜひ「ダッセン」を読んでみてください! ガツン! とくる一冊です。

ひなたまさみ







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最終更新日  2006年05月23日 23時06分43秒
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