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あなたが愛する人を失ったとき抵抗してもしきれない波が押し寄せるとき人生に疲れたとき途方に暮れたとき是非読んでみて。忘れていた何を呼び覚ますことができるかもしれない。『汝の敵を愛せ』 危険な情動 アルフォンソ・リンギス 著 (中村裕子 訳)【楽天市場】本・雑誌・コミック
May 18, 2005
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気持ちのいい気候。澄んだ青空を毎日のようにみることができて ああ幸せ。もう日焼けしてもいいわ。今年は。
May 16, 2005
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思い立って須磨へ海を眺めに行ってきました。大阪とは違い、寒かったです。それにまだ海が灰色がかっていました。大阪はとてもいい天気でしたが、須磨は快晴とは言えなかったのです。本当は、子供達と電車に乗ってのんびり景色を眺めたり、笑ったり、ぼーっとしたりしながら行きたかったんだけどなぁ。もしかしたら帰りに本が読めるかもしれない、なんて皮算用も。結局、車でお出かけしました。年々、家族全員で出かけるのが嫌になってゆく。ない知恵を絞って子供の生活のリズムなどを熟慮した私の意見が通らないからなんですが。といって、ここで不満をぶちまけても何の解決にもならないし、不満をぶちまけた自分に不満が・・。別の角度から見ると、旦那様のリズムなどはあまりにも軽んじられているのでございましょう。はい。子供が3歳と6歳ですからねぇ、あわせてやってもらうには相応のテクニックが・・なんて言っているうちに子供は成長して親とはお出かけしなくなりそ~。本日、海で羽を伸ばして、一番よろこんでいたのは旦那様のようでしたが。
May 14, 2005
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父が他界して、ふた月が過ぎた。 最後の日の朝、病院のベッドの上で、ぼんやりと天井を見上げている父の薄茶色い瞳があった。 ああ、この二つの茶色の瞳はいつだって私を、家族を見つめていてくれたのだった。 私の瞳が薄い茶色なのは、父譲りだったのだと改めて思う。 私が父の側に来たことはわかっているだろうけれど、もう父はその視線を私の方へと向けてはくれないのだった。 だんだん呼吸が荒くなる父。 その父の魂を、私は心の目で凝視していた。もう私などが父の魂の善を祈る必要もないほどに浄化されているように感じられ、清められた魂にあやかりたいとさえ思い、父の魂の前にひれ伏すのだった。 そして握りしめた手から、全身全霊で尊敬と慕情とを送った。 melete thanatu, melete thanatu. 私の意識の中に突然鋭い太陽の光が差し込むように、大きく広がり、じわじわと全身を覆いつくすメレテー・タナトウ(哲学とは死の練習)という言葉よ!愛する人の存在が無へ変化することが、こんなにも厳しくて悲しいもであるとは。それでいて、死は、父を肉体の苦しみから解放することができるのだろう。父と私達にとっての最後の共同作業、それはメレテー・タナトウであった。 時は刻み続ける。 父と私の関係だけが後退していくように感じられていたけれど、後退しているのではない。 そんな風に思える自分が今はいる。 青空を見上げると、「ありがとう」の気持ちでいっぱいになる。
April 23, 2005
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連休は毎日、父の病室へ通いました。電車で片道1時間40分はちと辛いけど、うたた寝するにはまぁいいかな。その間、旦那さんは子供達の面倒を一人で見てくれていて本当にありがたいです。 病室では父、手をにぎってほしいというそぶりを何度もする。それで、手を繋いだまま時間以上も離さない。腰かけていたけれど、体重がかかる方の足がしびれて大変。 次の日は両手を握らないとダメだっていうそぶりをするので両手を握る。って書きながら自分でも気持ちワル~なんだけど、親バカ(67)&子バカ(35)だからお許しを。おまけに「大好きな風鈴!」「大好きなお父さん!」と大声で叫び合うという、当人同士以外はとても直視できないおバカな光景が続くのでした。父の病気は悲しいけれど、なんだか幼い子供に戻ったようでちょっぴりなつかしい幸せを感じたりしています。
February 14, 2005
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先月、実父が緊急入院したので時間があれば病院に通う日々を送っています。私は職場で非常勤スタッフとして働いているのですが、去年の11月以降は非常勤の恩恵をほとんど受けられないような勤務状態で、ほとんど休みがないのがちと辛いです。これがゴールデンウイーク明けまで続くんだろうなぁ。働ける職場があるだけでもありがたいのは言うまでもないのですけれどね。 それに先週は不覚にも風邪をひいてしまい、1週間ずっと苦しかったのですが、ようやく復活。健康であることの素晴らしさを改めて実感している次第であります。父の容態もほんの少し持ち直してますし、うれしい限り。特に父と母が仲の良いのが本当にうれしく、「あれ?こんなに仲良かったんだ~ふぅん♪」ってこっちまで顔がほころぶのでした。
February 11, 2005
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あけましておめでとうございます。 新しい一年を迎えた今日、改めて強く感じることがあります。親は子を思い、子は親を思うものだ、ということをです。義父母宅へお年始に行き、お互いの気持ちが癒され、満足な時間を過ごすことができる間柄に感謝しています。今日も義父母の真心を感じました。「どんな風に生きるか、それは本人の考え方次第」と、普段無口な義父が言います。 「多すぎても少なすぎても善くないわね。中くらいがいい。」と、さりげなく言う義母も大好きです。 こんな義両親に出会えたことに感謝。 自分の両親へもこんな気持ちで接することができればいいんですけれどねぇ。ついつい求める気持ちが顔を出てしまっていけません。
January 1, 2005
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「救い主さまが お生まれになった日」と言っていた長女だけど、いつのまにか「サンタさまが お生まれになった日」になっております。今年もまた子供達にクリスマスプレゼントがどっさり届きました。目をキラキラさせて喜んでます。一番うれしそうな声を出したのは、朝、サンタさんからのプレゼントを見つけた時でした。その直後、窓から空に向って「サンタさん、ありがとう~!!」って叫んでました。昨夜は、サンタさんへのお手紙を途中まで書いて眠ってしまった長女。そのことを少し悔やんでいましたけど、どうやらサンタさんはその書きかけの手紙を読んでくれたらしい、と安堵したようです。「・・・君が心を傾け信頼を寄せているもの、それが実際君の神なのだ。」 ルター
December 25, 2004
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「わが心深き底あり喜も憂の波もとどかじと思ふ」最近覚えた西田幾多郎(氏)のこの歌を、心の中で反芻することがよくあります。私の考えの浅さを戒めるために。そうすると、私の心が深い深い泉となって、そこへ投げ込まれた石がゆっくりゆっくりと沈んで沈み行く間じゅう、いつまでも考えをめぐらせることができるような、そんな気持ちになってくるのです。ニーチェは、人間の心には「深い泉」があると言いました。決して私は「おもしろくて仕方がないような人」ではありませんが、「一緒にいて退屈な人」になりたい、と思うことが時々あります。一見退屈そうにみえる、物事をよく考える人を尊敬するからです。
December 2, 2004
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ここ何ヶ月か、近隣の住居に問題が発生していて(詳しくは書かないでおきますが)、問題解決に向けて、マンションの特に同じ階の住民とこまめにコミュニケーションをとっています。今夜も,新しい出来事があったので、何人かはメールしたり、何件かは戸口まで行って話をしたりしています。問題が発生しているのだけれど、「こんなことがなければ、なかなかお知り合いになれなかったわね」なんていう言葉をよく耳にします。そのうち、なぜか楽しい会話になるんです。ベタベタしたお付き合いは苦手ですが、必要あらば問題解決のために手を取り合える、そんな生活空間になりつつあります。これまでは、仕事をしていることもあって、同い年くらいの子供のいるのママさん以外はほとんど知らなかったのです。
November 29, 2004
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年末の大掃除、去年は適当に済ませたのでした。今年は、年賀状の文面も印刷できたことだし、大掃除も早めに、こまめにすることにしました。家の中や外が、隅々まで清潔だと気持ちいい。朝7時半から玄関まわりを掃除している私、ってなんかいいなぁ。すごく綺麗好きな人は、常にこんな感覚なんだろか。わたしが善く生きることは、善き人々にとっても、善いことでもある。しかし、善き人々から、どう思われるかを気にして、善い行いをするのではなく、善き行為を自ら欲して善き行いに励みたい、と思います。
November 28, 2004
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年齢がバレますが(^^;)、20年以上お付き合いしている、信心深い友人がいます。 布教されることも少なくありません。最近は私も自分の意見をうまく伝えることができるようになったのか、お互いの意見が最終的にはかみ合わなくても自然だと思っています。むしろ、相互の違いを再度伝え合うことができて喜びさえ感じます。 「宗教や民族など、さまざまな違いを超えて理解しあおうとすることが大切だと思う」っていうのが、だいだい、いつもの私の意見です。それに対して、最近、「その考えは(主に宗教の違いを超えて、とか無宗教、の部分が)わからない。」と言われたのが少し悲しかったりするのですが、友人も言葉では「わからない」と言いつつ、長年お互いの意見が延々と平行線を辿っていても、やっぱり友達として歩み寄ろうとしていると思うのです。 それで先月、三日間連続で参加した、京都文化会議~地球化時代の心を求めて~ の資料を送ったところ、とても喜んでくれました。いつも彼女から本や新聞の切り抜きなどを送ってもらうばかりです。彼女を理解しようとするには、彼女の信仰する宗教を少しでも知っておくのはいいことだと、私なりに思っています。まずは私から、彼女を理解しようと(どんな人とでも、完全な相互理解というのはほとんどあり得ないでしょう)したいのです。 毎日、長女とピアノの連弾をするのが楽しいです♪ もちろん、ごくごく簡単な曲です。 次女は、それを見てすぐにチャチャを入れてきますが、そのうち長女と次女が連弾するんだろうか~って楽しみにしてします。あんまり楽しみにしないほうがいいとは思うのだけど。
November 27, 2004
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そういえば、先日のオフに久しぶりに映画を観ました。『みんな誰かの愛しい人』っていうフランス映画。ナンバーワンよりオンリーワンっていうキャッチ・フレーズの映画。敬愛すべき友人、そして同僚でもある☆ちゃんが選んでおいてくれたんだなぁ♪衝撃的な事件とか、夢夢ハッピイ・エンド、みたいなストーリイではありません。それが、いいんです。(この映画に対する、私達2人の意見の一致するところ)誰にでも悩みはあるし、複雑な関係が起こりうる。それを頭ではわかっていてもどうしようもない気持ちになることが人生にはあって、それでもみんな生きていくんであって、なぜ、それでもみんな生きているかっていうと、いろいろな学問的解釈は多々あるけれど、そんな勉強をする機会に恵まれない人だって、才能が開花せず、暗闇を歩いているようにみえる人だって、働いても働いてもお金がないっていう人だって、誰にも愛されてないと思っている人だって悩みながら立派に生きているってことを、不思議だと思わない?みたいな♪わたくし個人の意見なので、的外れでもどうか許してくださいね。ふぉっふぉっふぉ。
November 22, 2004
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図書館で、日本の神話(絵本)を見つけたので借りました。 古事記に出てくるヒルコは完全に削除されていますし、シコメは「女鬼」と表現されていたりします。西洋の神話との類似点を感じたりしながら読むのも楽しいです。ということで、またまた私の楽しみに子供をつき合わせています。 見てはいけないと言わるのに、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)にて禁を破ってしまった伊邪那岐(イザナギ)のことを、長女は、なんだか自分のことみたいだと言っていました。 早々に年賀状の文面も作れました。ただ今、印刷中。 さっさとやっちゃうと、気持ちがいいです。
November 21, 2004
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年賀状を作るので、久しぶりにパソコンに向いました♪少しだけ、書こうと思います。「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が直感であり、将来のものの現在が期待である」と、アウグスティヌスは言いました。将来のものの現在が期待とは、それは、善きものへの祈りという風にも考えられるのではないかしら。まだまだ、勉強中。 この半年以上、とくに育児が楽しいし、勉強も楽しい。先日は、T.H.Irwinの著書を探すのにオフの半日以上を費やしてしまったし。はぁ。 日記を更新する余裕はほとんどないけれど充実しています。eu zen(善く生きる)ことを忘れていません♪倫理学の勉強に励んでいます。
November 20, 2004
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夕食は、カレーとサラダを作ることにしたので、長女にお米を研いでもらい、次女にはじゃがいもや人参を洗うのと、丸のままのレタスの葉っぱをちぎってもらうことにしました。これがとても楽しいらしく30分くらいかけて、もくもくと葉っぱをめくったり、ちぎったり。レタスは芯だけになりました♪ 流し台は次女に占領されていたので、長女はお米の入ったボールを持って、私が野菜を切るのを見ていました。長女は野菜を一人では切ることができないとわかったので、私の切るのを見ていてもらうことになっていたのですが、そんなことはお構いなしに「切りたいっ」「切らせて!」とやかましく騒いでおりました(笑)。 そのうち、手のひらに載せた数粒のお米を眺めていた長女が「砂ってなに?」と聞きました。保育園の砂場で砂に思いを馳せる長女を想像してしまいますσ(^_^;) 。レタスに夢中になっている妹を横目に、長女は母と一緒に辞書をひくことにしました。 母は砂が何であるかを言葉できちんと説明することができないのでありますが、ありがたいことにそんな言明を素直に受け入れてくれる長女です・・・。 辞書に記載された砂の定義を読み上げますが、5歳児にとっては初めての意味のわからない言葉がたくさん使われているのがわかります。それをできるだけ知っていそうな言葉に置き換えて説明しようとする母ですが、それには長女は満足しません。砂に関する学問としての知を獲得したがっているのだろうと思われます。子供らのこういう喜ばしい「芽」を私が砂にしてしまう可能性が限りなく広がっているように思えます。悲しい駄洒落であります・・。 ある事物を知る為のあらゆる事柄に関する知を獲得しようとすることは偉大である。そして、その知が自らの求めるものと、ぴったり当てはまるかどうかを確かめることができるだろうか。 「すべての人は本性的に知を求める」 アリストテレス
July 18, 2004
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毎年、七夕になると子供たちは保育園から笹の小枝をもらって帰ります。 今年も二本、もらって帰りました♪ 後始末のことを考えると正直言って、あんまりうれしくなかったのですが、車の中に笹の枝を入れたとたんに、なんだかとってもいい気分。 暑さと眠さで疲れていた気持ちが、笹の葉っぱのいい香りで、少し引き締まったようです。 帰宅後、子供たちと一緒に短冊などを笹の枝に飾りました。お風呂から出たあとも、子供たちは飾りのついた笹の小枝を離さず、とてもうれしそうです♪ 笹の葉っぱ、そのままではあまり香りがよくわからないのですが、山椒の葉と同じように軽く叩いたり、水で濡らしたりすると一層よく香るようです。
July 7, 2004
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夜中に、洗い物をしながら考え事をすることが多い。気が立っている時は、たいてい田島陽子の言っていたことなどを思い出していたりする。森有正のことも。たまに、洗い物のせいにして泣きたくなる。気持ちが落ち着いているときは、洗うという行為自体を考えていない。洗えば洗うほどに 魂も浄化されればいいのに、とか私が洗えば洗うほどに地球は汚れていくんだ、とか今日はポリエチレン製の容器をたくさんゴミ箱に入れたな、とか。そんな時は、その後でリビングの床をふいたり山のような洗濯物をたたんでいても すべてが 自分の糧になるような持ちにすらなる。
July 4, 2004
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優しくするのに疲れた、と思うとき。優しさが虚しく 跳ね返ってきたとき。それでも そそいでいたい 優しさを。そうして 何も求めない優しさこそ私が求めているものなのだと気がついたりします。いい眠りが いい夢を誘ってくれますように。
June 22, 2004
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あまりに空が青く澄み切っていてどこかへ出かけたくなりました。箕面の滝へ行ってきました梅雨の合間の晴天を「梅雨晴れ」とか「五月晴れ」といいますが、まさに今日は五月晴れでした四方に広がる山々は、昨日までの雨をたっぷりと吸ってみずみずしい緑を放ち、山間には空の青が、遠く優しく広がっていました滝壷から少し離れたところにある澄んだよどみには名も知らぬ小魚たちがいて群れをなして泳いでいるのがよく見えました腹の赤い色をしたのと、オレンジ色のがいましたがどれも同じ種類の魚だったように思います小魚の群れは、水中から突き出た、枯れた小枝のまわりをゆらゆら すいすいと泳いでいましたが突然一匹が、その小枝に向って飛び上がったかと思うと我も我もと順繰りにジャンプして小枝を小さな口で突っついていました滝から帰る途中の山道で托鉢をしているお坊さんに出会いました心ばかりのお金を鉢にいれましたら思いがけずチャリンと大きな音がしました目礼をして立ち去ろうとすると長女が、「今何をしたの?」と私に尋ねました私が説明をするまえに旦那さんから注意を受けました物乞いをする人に、施しをするような高ぶった真似をするもんじゃないという風に悲しい気持ちでいっぱいでしたが私の純粋な気持ちまでが踏みにじられないようにぎゅっと目を閉じました仏教の教えでは、出家して悟りを求める人や教えを説く人は職業を持つことを許されないそうですそれで在家の民に教えを説くかわりに施しをしてもらったり自給自足をして生活をするのだそうです私が鉢に入れる、ほんのわずかなお金が修行者の役に立つなら こんなにうれしいことはないと心から思ったのでした悲しかったとはいえ私の行いに疑問をもった旦那さんが正直にその気持ちを伝えてくれてよかったと思います家路に着くまでには、私がどんな気持ちで鉢にお金を入れたかが理解されたようでしたから
June 13, 2004
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久しぶりの日記。非常に煩雑で、いつ破綻するやも知れぬ毎日ですが、健やかな日々を過ごしています。 久しぶりに、PCを立ち上げて、とあるサイトのエッセイを読みました。いい文章を読むと、何か書きたくなるものですね。そこには、「天職と思えば天職である」と書かれていました。神さまからの calling を待つだけでなく自ら求め、その途上にあるということもまた幸福で、素晴らしいことではないかと思います。月を差す私の指が、本当に月を差しているかどうかは誰にもわかりませんが、後ろを向いていてはその美しさを感じとることもできないと思うのです。
June 9, 2004
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ゆうべは友人とビア・レストランにてお酒を飲みながらの夕食。 無言の強迫観念のようなものが常に背後に迫っているような時間ではなくて、解放的で純粋に幸せなひとときです。 出かける前と後に目に見えるようで見えない強迫がのしかかるような環境にあれば、そこから生まれる憂鬱が楽しさをかき消して台無しにしてしまいます。 そんな環境を誰に対しても与えてはいけないと思うのです。 また、そのような環境にあっても憂鬱を自分自身で生み出さないような思慮を持ちたいものだとも思います。 私達に程近い席で、50~60歳代の一組の夫婦らしきお二人が静かにお酒と食事に興ぜられていました。 私が席をはずしている間、そのお二人の会話が自然に耳に入ってきて友人は心を動かされたと言っていました。 老紳士はご婦人に対して「何が楽しいか、が重要である」ということを熱く語っておられたそうです。 食事の後、近松門左衛門の浄瑠璃『曽根崎心中』で有名な「お初天神」を詣でました。 『曽根崎心中』の中で、遊女のおはつと醤油問屋の手代の徳兵衛が情死するのですが、その舞台となるのがこのお初天神です。 本当の社名は露天神社(つゆてんじんじゃ)といいますが、遊女のお初にちなんで一般に「お初天神」と呼ばれています。 お初天神に行くには、隣同士で歩く人との会話さえかき消されるほどの、喧騒とネオンに彩られた繁華街をぬけるのですが、そのあふれるほどの人波と繁栄は、一面では欲望と不道徳の横行する街というにふさわしいほどです。 その繁華街の一角にあるお初天神の境内は、静かで、人もほとんど見当たらないのでした。 夜の境内を照らすオレンジ色の灯篭の明かりが、背後の街並みとは対照的に、お初と徳兵衛のブロンズ像を優しく映していました。
May 8, 2004
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おとといの夜、家族でゴールデン・ウイークについての軽いブリーフィングをした後、久日ぶりに夫婦で議論しました。 だいたい議論の前半は一人ずつ順に主張しあうことが多いのですが、相互の意見をどうにかして冷静に聞こうと努力するのには自制心とパワーが必要です。(その姿勢が崩れることが以前は多かったのですが。) 度重なる話し合いを長年してきましたが、私は旦那さんの余りに簡潔で短い主張をいつも明確に理解できませんでした。 旦那さんのほうは、私の生き方を理解し難いようでした。 私の生き方とは、親子や夫婦などはすべて人間同士のコミュニケーションとして同等に捉えているので、相手が子供でも大人でも個人を尊重し土足で相手の問題に踏み込まないような生き方です。 しかし 今回の議論は近年まれにみる素晴らしい議論に終わったと思います。 現時点で、お互いの理解度は過去最高と感想を漏らしあうほどです。 結婚して10年目。 人生観も変われば、社会環境も家庭環境も大きく変化しました。 中でも家族が増えたことが最も大きな変化といえます。 そんな連続する変化の中にあって、幸せな家族関係というものが、寝ている間に家宝のようにはやってこないんだなって改めて感じます。(よその家族のことはあまりわからないのに偉そうなことをいいますが)そのような関係は相互の努力の賜物であって、歩み寄りの努力を怠れば素晴らしいと思える関係はたちまち崩れるのだと思います。 少々睡眠時間を削られるのは辛いのですが、我が家にとっては喜びのための時間なのであります。 喜びのための時間を作り続けていくにはどうすればよいか、子供も加われる時間をどうすれば捻出できるか、ということが今後の課題であります。 長女は、「たまごっち」のゆきちゃん(長女命名)を育てています。 たまご形のキーホルダーの画面に赤ちゃんが生まれるのです。 それを「たまごっち」と言いまして、その「たまごっち」を育てるというシミュレーションゲームをしているのです。 ゆきちゃんのお世話をしなかったら、死んじゃって、それでまた新しいたまごっちが生まれるの。と長女が言いました。 「ママは、子供たちが死なないようにお世話しようっと。長女と次女の代りはいないもの。」と言うと、突然長女は「ママが戦争で死んじゃったら嫌だ~~」と泣き出しました。 しばらくして「今はどこかで戦争をしているの?」と長女が尋ねました。ちょうどテレビのニュースでイラクの最新情報が放映されたので、一緒に見ました。長女は、今この瞬間に世界のどこかの国で戦争が行われていることをはっきり知ったようでした。そして「日本は戦争してない?」と聞くのです。 戦争支援と復興支援、この矛盾する現実を説明するのも理解するのも非常に難しいでしょうし、国家レヴェルでの争いというだけでは捉えられなくなっています。最後に「なぜ戦争が起こったの?」とも聞かれました。正しいもの同士の争いについてゆっくり時間をかけて一緒に考えて行こうと思います。正義のためと称する戦いは、いったい誰の正義なのでしょう。 正義は善良な市民から理性を奪ったり、そのきっかけを与えたりするのでしょうか。イラク人捕虜の写真はあまりに悲しすぎます。
May 1, 2004
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先日、ビデオで『失われた文明』(ポニーキャニオン)のシリーズ1~3をみました。 その中に、一瞬映し出されたロゼッタストーンを見て、とっさに上半分がヒエログリフ(*1)で下は古代ギリシャ文字じゃないかって思いました。 思ったとたんに、解説があってうれしかったのですが。 後で調べると、上はヒエログリフ、下がギリシャ文字でした。 そして碑文の真ん中にはデモティック(*2)というヒエログリフを簡単に崩した文字が書かれているのだそうです。 (碑文にはありませんが、ヒエラティックというのもあります) 今朝、公園から戻り、家の中で子供たちと粘土遊びをしました。 日中は紫外線が気になります。 まずは小麦粉粘土(*4)を作るのですが、結構こねるのに力が要ります。 汗をかきました。 3畳用のレジャー・シートの上で無心になって粘土を捏ねる・・結構楽しいものです。 で、調子に乗っているわたくしは、 紀元前3千年からおよそ3000年もの間、古代エジプトで使用され続けた文字を、粘土板に刻んでみることにしました。 下のは古代日本のいずも文字です。 長女は去年まで、「ママがおばあちゃんになったら嫌だ」と言って時々泣くことがありました。 ある朝など、まだ布団の中で眠っている私のそばで「どうやって長女を産んだの?ママのおなかの中にどうやって長女を入れたの?」と。 目を閉じたまま一生懸命に考えているうちに、長女は、ほかの事をはじめてしまって2度と尋ねてはくれないのでした。 最近はこうです。「ママがおばあちゃんになって、その次 天国に行くやろ? それでどうなるの?」 ママにもどうなるのか、わからないんだよね。 天国に行って帰ってきた人を一人も知らない。天国がどんなところなのか、どうすれば行けるのか、本当に天国があるのか・・。 一緒に探したり、考えていくことならできるんだけどなぁ。 (*1) ヒエログリフ ・ 日本語で「正刻文字」ともいわれる ・ ヒエロ=神聖な(ラテン語)、グリフ=刻み込む(ラテン語) ・ 神官文字。 ヒエロ、はヒエラルキー(独:聖職支配階層などの意)の語源。(*2) デモティック ・ ヒエログリフを簡易化した草書体。契約文書などに使用された。 ・ 民衆文字。 デモクラシーなどのデモと同源。(*3) ヒエラティック ・ ヒエログリフを簡易化した行書体。行政文書などに使用された。 ・ 神官文字。(*4) 小麦粉粘土 作り方は下記の材料を混ぜてよ~く捏ねるだけです。 最後にサラダ油大さじ1を加えるとツヤがでるそうです。 材 料 強力粉 : 200グラム お 湯 : 150cc 塩 : 80グラム 食用色粉: 適当参考文献:『失われた文明』シリーズ1~3 インフォシーク 大辞泉 その他テキスト~おまけ~ 『ギルガメッシュ叙情詩』 シュメール語→アッカド語に翻訳
April 29, 2004
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「そう人間というのは何百年何千年たってもどこかでいつもむごい宗教戦争をおこすのです。きりがないのですとめようがありません。」「きりがないって?なぜなんですか?」「それはねえ宗教とか人の信仰ってみんな人間がつくったもの。そしてどれも正しいの。ですから正しいものどうしのあらそいは とめようがないでしょ・・・悪いのは宗教が権力とむすばれた時だけです。権力に使われた宗教は残忍なものですわ・・・人間の権力は人間自身で失くすもの。だから私は見ているだけ」『火の鳥』太陽編〔下〕p.96より ついさっき、思い立ってペンダントを作ってみた。 といってもチェーンにペンダント・トップをつけただけのもの。 ブッダの両手が合わさった形のものと、十字架を一緒にさげてみる。 どの神も素晴らしく正しいものであるのだから、仲良く並べてみたっていいじゃない。産土神さんたちはケンカしない。 山の神さん、風の神さん、スンニー、シーア、アメン・ラー、アトン、上座、大乗、「みんなちがってみんないい」って金子みすずなら言うんだろな。 今度は三日月と星を。
April 27, 2004
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日常の憂いを超えて、どんなときも平穏な心境でありたいと思いませんか。 私? 私は常にそんな風になるにはどうすればよいのかしら?って思っています。 本日、会社にて。 ランチタイムのひととき。 10月を神無月と呼ぶのをご存知の方は大勢いらっしゃるでしょう。 島根県では、10月の神無月のことを神有月(かみありづき)と言うのだそうです。 全国にいらっしゃる八百万の神さまたちが10月、出雲に集まるからなんですって。 同僚いわく、某テレビ番組の再放送による情報だそうで。 そこで、馬好きの先輩、「神様は一人一人の願いを覚えられるか」という話に端を発し、合唱、自覚、仕合わせ、仕合わせ、神通、について話がはずむのでした。 それぞれがみな神(あるいは神の子)なのであるということを、最近実感するよ、それでも何人をも尊敬するのは難しいけど。なんて言いますと、悪を憎んで人を憎まず。という話になりまして。 悪行を為さんとする思惑を持つ人が悪行を為すに至ると思いがちなのだけれど、本人はそれに気がついていことが多い。 他人がそれに気付かせてあげるってことは、なかなかできないのであって、自己を省みて気付くことが真の自覚につながるものなのでございましょう。 そして数々の間違った思惑に気付かない己というのは、ほかでもない私自身のことであると気付かされるのだ、なんてことで話がどんどん弾むわけなのね。 楽しいな。 最近私、話題を選んでいるのですよ。 人の悪口や他人のあげあしばかり拾う人との話は、時には糧になりますが、エネルギーが吸い取られるような気分になるのです。(ああ、未熟もの。である。) というわけで、日常の憂いを超えるべく、「人を選ばず、話題を選ぶ」今日この頃なのです。 楽しいランチ・タイムよ、うぇるかむば~~~っく! なんであります。うるうる。『いつか空に融けること思えば』私は小さいけれど、この身体をかわいそうだなんて一度も思ったことがないよかわいい子供を2人授かってその子らの顔をみることも声を聞くことも話をすることもできるのですいろんな本を読む事だってできるよ車の運転だってできるよ誰かを愛することもできるのだから誰かを憎まないでいられる自分を思い描くこともできるでしょういつか あなたも私もあの空の一部になることを思えば『君よ』君よ 里親になる人を嫌悪する君よ里子の境遇をかわいそうだと涙する君よ体の小さい人を哀れむ君よ若者を圧倒し、目上のものに砂をかける君よ仕事のできない人の欠点を数えあげる君よ仕事のできる人の欠点を数えあげる君よその観察力を 君自身にむけたまえ過去 未来 現在君は わたしの鏡である
April 22, 2004
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その時は、仏教にほとんど興味がなかったというのに。 2~3ヶ月ほど前のことです。 同僚が、般若心経をわかりやすく解説(大阪弁である)した本とともに、般若心経のお手本を貸してくれたのでした。 先週から、ぎょうねんの『八宗綱要』を読んでいるのですが、途中で同僚のMちゃんが貸してくれた、前述の ”薮内佐斗司の般若心経”という本がとても読みたくなって一気に読みました。 以来、時々深夜の写経を楽しんでます。 それにしても「(本を)返すのはいつでもいい」と言われると、大切にしながらも何度も何度も読みかえしてしまうのでいけません。 般若心経は、 空(くう)の心で書き写します。 無という字が何度も出てきます。 空(くう)を心に描きつつ、「舎利子になりたい」と思いながら写経している自分が見えるのであります。 来月、どうしても受講したい講義があったりする。 それも平日の夜に。 旦那さんに子供たちの面倒をお願いできるかどうか尋ねるも、私が最後まで話さないうちに「無理!」との返答である。 仕事だから仕方がないのでしょうね。 「人に迷惑をかけずにやりたいことをやれば?」だそうで。 意味深長。 教訓にしたい。 「人に迷惑をかける」について私たち夫婦の見解にかなりの相違があることに、またしても気がついたではありませぬか! 目的を達成に向けて、相談をもちかけてみることと、その相手に迷惑をかけることとは別なのであります。 そもそも、他人の子供の面倒を見るというわけではないのだ、とおっしゃる向きもあるかもしれません。 いずれにせよ、無理だという意見をストレートに返答されたに過ぎないのです。 つまるところ、言い方の問題なのですにゃ。 言い方ひとつで、そんなつもりはないはずが、そんなつもりの発言に受け取れたりして。 先程の「無理!云々」発言は、父親にとって、子供の世話より残業や職場のコミュニケーションが優先されるのは当然、と受け取られる危険性もあるのですから。 私はもちろん、そんな風に受け止めるつもりはございませぬぞ。 とは言え、ストレートな答えを聞かせてもらって、未熟者の私の気分が良くなるはずもなく。 やはり言い方は大切です。 相手が大切な友人だったら、そんな言い方するのかしら。 もちろん、私の方も相談を持ちかけるタイミングなどについて問題があったでしょうから、どんな聞き方がよかったの?なんて聞いてみるのもいいかもね。 そんな質問、「あほくさっ!」なんだけど、尋ねてみないとわからないことが、世の中にはたくさんあるのでして・・。 私は、義父母のお手伝いも尋ねてからするのです。 冷たいようですが、頼まれたこと以外、ほとんどしません。 頼まれていなくても、情報だけは誠意を込めてお届けすることにしています。 須賀敦子の本を薦めてくれる先輩と、今日は仏教の話を少しした後、宗教学者、中沢新一氏の話を聞きました。 糾弾されて以来、久しぶりにテレビに出ていたそうで。 河合隼雄氏との共著『ブッダの夢』、少し興味あり。 そういえば『人生の親戚』という大江健三郎氏の著書がありますが、その本の解説者が河合隼雄氏だったのを先日みつけました。読みさしだけど。 それに今、先輩に借りて読んでいる本には、ユング心理学のようなくだりがありまして。 同時に読んでいる本が何冊あるのか、時々自分でもわからなくなります。
April 20, 2004
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このところ少しではあるけれど、仏教関連の書物を読んでいます。 宗教全般について無知な私にとって特筆すべきことを、忘れないうちに書いておこうと思います。 3世紀の国際都市アレクサンドリアは、世界の思想の交流の場であった。 この年で活躍した高名な仏教僧、アンモニオ・サッカス(インド人宣教師?)の門下生の中に、聖書解釈者のオリゲネス(*1)や古代ギリシア哲学最後の大哲学者と言われているプロティノス(*2)がいたそうです。 仏教が、人々を帰依させることよりも、思考を導く方法と生活の規範(*3)を示すことに心を砕くとは、「知恵の愛求」に似ていると思います。 すなわち「知恵の愛求」に値する最初の哲学者ソクラテスの生き方に相通ずるものを見出すがゆえに、プロティノスが門下にいたことに、大変興味深く頷いてしまいます。 8日、フランス・マルセイユでサンテグジュペリが乗っていた飛行機が確認されたそうです。─昨年10月に地中海から引き揚げられた航空機でした。墜落原因は不明ということです。「星の王子さま」や「夜間飛行」の著書で有名なサンテグジュベリは、第二次世界大戦時の偵察飛行中に消息を絶ったのでした。 1944年7月31日、44歳でした。 戦争がなければ彼がロッキード社製の戦闘機「ライトニングP─38」に乗ることはなかったでしょう。 同じ時、35歳になったばかりの私の祖父は、日本人捕虜としてシベリアに抑留されていました。 今回のイラクにおける日本人人質事件で犯人グループの要求のひとつとされている、「日本兵のイラクからの撤退」が実行されることを私は願わずにはいられません。 撤退の機会を神様から与えられたという風に考えたくなります。 3人の命を最も危険な状態にさらしたまま、復興支援、人道支援を続ける方が大切とは日本政府も考えていないと思うのですが。 人道支援、復興支援は、自衛隊、すなわち軍隊でなくてはできないことなのでしょうか。 例えば、非常に高価な大型高性能浄水器の取り扱いを、なぜイラクの人々にゆだねないのでしょう。 お金や物資だけでなく、技術や知識を提供することはそんなに難しいのでしょうか。 イラクの人々が求めているのは、お金や物資だけでなく、未来への一歩のための知識、子供たちが正しい思惑を育む環境、よその国に頼らずとも平和に暮らせるための道しるべなのではないでしょうか。 非武装で、それらを支援することがこんなにも難しくなったのはなぜでしょうか。 力による制圧は、究極的には意味がないのです。 むしろ憎悪を招き、人々を貧困に落としいれ、子供たちが安心して育つ環境と教育の場を奪うのです。 そんな中で、どのように生活し、子供たちを育てればよいのですか? 日本政府に今こそ示してほしいと思います。 真の人道支援の規範がどのようなものかを。--------------メモ (大辞泉などから) (*1)オリゲネス(185~254)- 主著『聖書注解』、『ケルソス反駁論』(*2)プロディノス(205~270)- 主著『エンネアデス』(*3)規範 1.行動や判断の基準となるべき模範。手本。 2.〔独.Norm〕哲学で判断、評価行為などの基準となるべき原則 3.〔仏教教義のダルマ(法)〕 ・規範意識〔独.normal Bewusstsein〕ウインデルバントの用語 ・規範学-論理学・倫理学・美学。(真・善・美など)一定の価値目的を実現するための学問⇔経験科学 ・規範法則-カントの定言的命令
April 13, 2004
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近頃、育児に余裕が出てきた反動で今まで手抜きで済ませていた家事をしているらしい。 気がつくと夜中の12時過ぎで、その後コンピュータに触ることもなく自分のための時間を作るので就寝するのは2時ごろになる。 金曜日の朝、2度ねしてしまい、長女に起こされなければ会社に遅刻するところだった。 長女は目覚まし時計のベルで起床するようになった。 ジャン・ボワスリエ著、富樫瓔子訳 『ブッダの生涯』読了。 ブッダの生涯と平行して、仏教美術の絵画や彫刻などの多くの写真が解説とともに記載されていて読みやすい本だった。 仏教と言っても、ゴーダマ・シッダルタの時代から現在にいたるまでに、ほぼアジア全土に広まり、いくつもの宗派に分かれていて、その呼び名も教戒も様々である。 もう少し詳しく知りたい。 以前、手塚治虫の漫画『ブッダ』を読んだ時には若かったせいもあってか、感じることがなかった希求のような感情がこの書を通して生まれている。 手塚治虫の『ブッダ』を読んだ人は多いのではないだろうか。 義母が退院した。 心筋梗塞に陥った際に脳に血液が流れなかった時間があったせいで少し脳に障害が出ている。 その障害は徐々にではあるが、回復する見込みだという。 たしかに不可解な言動が突然現れるが、いったんそれを受け止めた後に別の解釈をするつもりがないかと尋ねると、「それもそうだ」とか「たしかにそうだね、(自分の感覚が)おかしいね」と納得するのである。 義父の方が状況に馴染むのに時間が必要なのかもしれない。 感情をぶつけてくる義母に閉口し、義父は義母の言い分を受け入れることなく否定してしまうことがある。 いきなり否定すると義母はますますむきになる。 義母が自分の病気を受け入れるには“他者に受け入れられている”という実感も必要なのではないかと思う。 その上で、療養のために必要なことを守っていくように促さなければ、自分の行動を常に誰かに支配されているように感じてさぞかし居心地は悪いだろう。 プライドを傷つけてはいけない。 と、側で24時間世話することのない私は考えてしまうのであります。 桜が満開の季節である。
April 11, 2004
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京都へ「仏教思想」の勉強に行った帰り、駅の券売機の前で、米子から来たという老紳士から声をかけられる。 背広にスラックス、帽子といういでたちで、話を聞き始めてすぐに礼儀正しさが感じられる人だった。 老紳士曰く、東山へ行き、見事な桜を見物しているうちにセカンドバッグを取られてしまったという。 「あまりのショックに茫然自失の呈であり、うまく話せないが酒などは飲んでいないのである、困っている」とおっしゃる。 たしかに、かろうじて平常心で話されているという面持ちである。 雑踏の中、一瞬酒の匂いを感じる。 「それでは、まず警察に届けましょうか」と提案するも警察にはすでに届けたそうで、これから芦屋の親戚の家まで行ってお金を借りる心積もりだが、芦屋までの電車賃がないので貸してもらえないかと相談を持ちかけられる。 話を聞きながら私は、この老紳士にごく若い頃の田舎から遊びに来ていた頃の純朴な自分を見、未来の年老いた私自身を重ねずにはいられない。 差し上げるつもりで、芦屋までの切符を券売機で買って手渡すと、「地獄に仏とはこのことです」と頭を垂れて感謝される姿にはっとする。 瞬時に手に提げている鞄の中の、借りてきたばかりの「ブッダの生涯」という本のことを思う。そして、こんな私にも人を助けることができるということを、この老紳士に教わった気がした。 ボーディサットヴァ、すなわち「悟りへ向う者」にこの私がなろうとしてもよいのだ、そしてどんな人にもその素地があるのだと気付かされ、励まされたのだった。
April 7, 2004
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到達できるとは思えないような何かを探求するのが、好きである。 できるならば、ゆっくりと楽しみながら探求し続けられたら、一層幸福なのでは?と思っている。 しかしながら、今までの人生を眠りながら生きてきたような私ゆえ、探求を急いで空回りということも少なくない。 むやみに急いでも無駄であることに気付いているなら、むやみなことはやめようよ、と自分に話すのだが(苦笑)。 いい機会だし、やめよ。 それらを体得するには? それらを実践するには? ・・・・それでも、ともかく楽しんでいる。 私には不可能だろうと思うのに、探し求めているもの。 それが、完全な思考能力、判断力、行動力を持つということかも知れないし、違っているかもしれない。 わからないのだ。 完全どころか、欠点だらけ人間が、少しでも善くなろうとするのだからさぞかし最初の一歩は簡単そうなのだが、そんなことはない。 何が難しいかと言われてもそれも答えることができないのである。 話は変わるが、最近こんなことに気がついてふっと気持ちが軽くなった。 それは「誰かを嫌いになる自分」を受け入れ、自覚し、認めたということ。 私という人間が誰かを嫌うことがあるなんてことを認められない私、だった。 それゆえ今度こそ、いつかは万人をも心のそこから受け入れられる人間に近づきたいと思い、願い、そうなろうとすることはきっとやめられない。 どんな人も、善くも悪くも変化を続けているだろうことは言うまでもないが。 ソポクレス著、藤沢令夫訳『オイディプス王』読了。 王妃イオカステの「できるだけその時々の成り行きにまかせて生きるのが最上の分別と申すもの」(p.76)という言葉が心から離れない。 「成り行きにまかせて生きる」ということを、もっと具体的に知りたいが。 成り行きにまかせるということは、実は非常に難しいことなのではないだろうか。 その時々の成り行きを瞬時に判断し、行動するということが可能だろうか。 にもかかわらず、何らの因果関係なしに良かれと思ってしたことがすべて最悪の事実となるような運命に曹禺することはオイディプスだけでなく、私の人生にも大小の違いはあってもきっとある。 そんなことを知っていなくて良かったと思うのか、知ろうとするのか。 私なら後者を選ぶだろうな。 「オイディプス王」という物語、1度読んだだけではその深淵に足を踏み入れることができない。 長女、ここ2、3日は目覚まし時計のベルで起床。 次女は風邪。 春休みに発熱してくれて感謝する。
April 2, 2004
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しばらく日記をアップできないでいた。 途中まで書いては、別の用事ばかり。 日記をおろそかにする分、体は疲れないのだけれど。 先日の夜のこと。 長女が泣きながら言うには、「大切な日記帳に次女が落書きをしてしまった」のだそう。 見て欲しいと言わんばかりに日記を差し出すので、了解を得た後、ページをめくる。 確かに、えんぴつ書きで渦巻き状の落書きが何箇所もある。 次女に尋ねると、「次女が書いた」と言うので、「ごめんね」をしてもらって後は当人同士の話し合いである。 今年5歳になった長女に日記をプレゼントした。時々書いている様子。 以前見せてもらった時は、パパからもらった自転車と家族の絵が色鉛筆で描かれていて、大きな字で日付と文章が書いてあったように思う。 その日、長女は補助輪なしで自転車に乗れるようになったのだった。 そのページを次女にはさみで切り取られた経験上、日記帳の管理をきちんとしていたようだが、今回はうっかり机の上などに置いていて、次女のいたずらを許してしまったらしい。 2人だけで子供部屋で寝るようになってから今日で8晩目。 今のところ2人とも、毎晩喜んで布団に入って眠りについている。 最近、朝起きるのが遅くなりがちな長女は、(ママの起こし方だと静かで起きられないからとかなんとか)目覚まし時計で起きるのだそう。 保育園のバザーで買った100円のピンク色の目覚まし時計を、枕元にちょこんと置く長女。 6時半にアラームをセットするのはママの役目である。 しかし今日まで一度もアラームで目覚めたことがない。 なぜか鳴る前に起きてくるのである。 置き去りの目覚ましは、スヤスヤ眠る次女の側で、いつまでもピピピ・・・と鳴り続けるのでした。 義母の容態が少し安定。 少しやせたものの、意識ははっきりしている。 一時は精神的危機に陥るところだったが。 義母のケアも大切だけれど、義父がお見舞いなどで疲れていて、「精神状態が若干不安定だ」と本人が言うほどである。 買い物やお見舞いの送迎など、できる範囲で私が貢献できることをさせてもらっている。 普段無口な義父にしては饒舌になっているのは、ストレスからなのかもしれないが、誰かに話せることは喜んでいいのだと思う。
March 28, 2004
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久しぶりに、小さなホームパーティを開く。 水曜日、週末に遊びに来てもいいかと電話がかかってきて、慌しく用意することに。 今は回復した、長女のおたふく風邪のためにほとんど外出せず、こまめに家の掃除ができたし、献立を考えたり一人で食料の買出しに行ったりする時間も取れた。 大人3人、子供5人分のメニューは、 ●ワイン (白 ループフラウミルヒ) ●クレソンとサニーレタスと完熟トマトのサラダ ●ピッツア・マルゲリータ ●パスタ 2種 (なすのトマトソース/たらこ) ●ジャンボウインナーとかぶのポトフ ●ごぼうの炊き込みご飯 ●コーヒー (キリマンジャロ) コーヒーに添えるデザートは、手土産にいただくフルーツか菓子となる。 今日のデザートは、手焼きの「よもぎのケーキ」。 ほのかな甘みともっちりした食感が美味だった。 元来料理が好きである。 最近は手間と隙をかけた料理を作ることから遠ざかっている。 刺身、おひたし、酢の物、赤出汁というような手っ取り早いものか、大鍋で作れて日持ちのする料理が主である。 これで毎週持ちこたえるのであります。 体調が悪くてどうしようも無い時、会社帰りにサンドイッチを買って帰ったことがある。 子供たちはめずらしがって、とても喜んでくれたが、旦那様の夕食のメニューにはならなかった。 サンドイッチでなく、何を献立にしたかといえば、レトルトのカレーだったりするので実のところ旦那の好みがパンよりごはんというだけで、手抜きっぷりは買って帰ったサンドイッチのそれと何ら変わらないのである。 今は社員食堂オンリーだが、新婚当初は旦那様のお昼のお弁当を作っていた時期が3ヶ月ほどあった。 そのとき、フランスパンのサンドイッチ弁当に対して旦那様から品の良いクレームがついたことがある(笑)。 今はどうかと、聞こうと思えば聞けるが、作る必要がないのに尋ねることはない。 子供向けのパーティ・メニューで今まで少々苦労してきたことのひとつは、食欲を満たし、バランスよく、体に優しく、食べ易いもので、なおかつ「子供が親の介助なしに食べられるもの」を工夫して作るということだった。 子供たちが自分で食事ができるようになった今となっては、これも過去の愛すべき心遣いになりつつある。 今後は何が食べたいか事前に聞いておいてリクエストに応えることになるだろう。 パーティ・メニューの苦労におまけをつけるなら、使用する食器をなるべく少なくしたいが、ほとんど成功していない。 「コップ、スープ皿、取り皿、デザート用の器」の4揃(という言い方でよいのかわからないので、知っている人は是非教えてくださいませ)を使うことになる。 お箸やスプーン、フォークは別である。 大人の場合はさらに、ワイングラスだのコーヒーカップ&ソーサーだのを使う。 ああ、消費生活。 されど楽しや友との語らい費やすもてなし。
March 20, 2004
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長女が、おたふく風邪にかかり、保育園も会社も月曜から休み。おたふく風邪といってもほとんど熱も出ず、変わった事といえば両の耳の下が、りすの餌袋のように腫れていることくらい。というわけで、この3日間は久しぶりに長女と2人っきりのデートを楽しんでいます♪午前中は診療所で、長い診察待ちの時間に『ドリトル先生の航海記』を2人で読んだり受診後、マックのドライブスルーでハッピーセットを注文したり。久しぶりに楽しいです♪ 時間に追われない過ごし方。 昨日、義母の意識が戻りましたまだぼんやりしていますが状態はよいようです退院はまだ先ですが、悲観はしていません本を読んだり詩を朗読したりすることが共通の楽しみなればいいなと思っています。「風鈴さん、詩はもういいわ、ホホホ」と言われる可能性もありますが・・長女と一緒に折り紙でひまわりを折りましたあまりうまく撮れていません夜は次女と2人でゆっくりと入浴しました
March 17, 2004
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去年の冬からの毎週のような行事と謝恩会が終わり公私ともに多忙な時期を脱しつつあります去年から、今の時期は花粉症の薬を飲んでいます仕事以外では ただでさえポケっとしているのにますますぼんやりしてしまいまして薬のせいにしてはイケナイと思いつつ「薬を飲むと眠いよね」と言ってしています(笑)福永武彦・リルケ・カロッサ・宮沢賢治病床の義母の傍で朗読するものを探しています意識がはっきりしていないので物語よりも詩がいいのじゃないかと思って。お勧めの詩があったら教えてください。義母は薔薇の花が好きです。特に真っ赤な薔薇が。庭で育てている薔薇の木が毎年、大輪の薔薇の花をいくつも咲かせるのです。福永武彦の詩にも リルケの詩にも薔薇という言葉が出てくるのに気がつきました。義母が倒れる2,3日前。「オイディプス王」が貸し出し中だったので代わりに図書館から借りてきた福永武彦とリルケとカロッサ。深く読むことができずに返却することになりそうだったけど今は、物言わぬ義母の傍らに座して朗読しようと思っています。カロッサのいう「われらはただ福音をもたらす時のみにあえて歌おうとする」この意味を私には計り知ることはできないけれど私が義母なら聞かせてほしいと思い慰めや安らぎや楽しさだけでないものを求めるだろうと思います。「お義母さん、嫁の趣味につき合って下さいね」
March 14, 2004
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カテーテルを挿入する手術の後義母の意識ははっきりしていて「胸の痛みが消えて楽になった」と言うほど元気だったそうですがその翌日、不整脈が出て心臓の血管のバイパス手術をしました今は薬で眠ったままICUにいます昨日お見舞いに行きました話しかけると少し反応があります後でお医者様に伺うと今からお見舞いのたびに話しかけておくと目覚めた時に現状を把握しやすい状態に導くことができるから話しかけてあげて下さいとのことそっと静かに少しずつ話しかけています金曜日は会社帰りに久しぶりにギルドへ行き、本を2冊買いました
March 7, 2004
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20時30分頃、義父から電話があった。義母が心筋梗塞を起こしたという。自宅からかかりつけの病院へ行ったが、処置できないとのことで、そのまま かかりつけの医師が付き添って救急病院に搬送された。 集中治療室で手術中とのことだった。 カテーテルを入れて心臓の内部を広げなければならないそう。 幸い夫が帰宅して夕食を済ませたばかりだったので、病院へ駆けつけてもらう。 私も一緒に行きたかったが、子供たちと留守番をしている。 暖かくなったら、うちに遊びに来ると言っていたので、元気になって遊びに来て欲しい。 そしてもっといろんな話を聞きたい。 結婚以来、義母から嫌な思いをさせられたことがない。 そんな義母の生き方から学ぶことはとても多い。
March 3, 2004
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~追悼~ 藤澤令夫先生2月28日 藤澤令夫先生が永眠されました。享年78歳だったそうです。プラトン研究では世界的に名高く、京都大学名誉教授で在られた藤澤令夫先生。その弟子であり哲学者でもある岸見一郎先生に出会いお顔も知らない藤澤先生の著書を、読む機会に恵まれました。『ギリシア哲学と現代』においては、難しい内容でありながら明快でそれでいて湧き出るような包容力を感じるそんな印象を受けました。「であります」という書き方が好きで私のつたない日記を書くときもこっそり真似をさせてもらっております。そして、藤澤先生の訳された、プラトンの『メノン』本当に大好きな一冊です。私を善く生きようとすることへ導いてくれた大切な一冊です。心よりご冥福をお祈りいたします。
March 1, 2004
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「私はよろこんでいるべきでした。それなのに、日々歓喜がなかったのはどうしたわけでしょうか。そればかりではなくて、おそらく私はまだ自分というものをすてられないでいたからでしょう。宮村の精神の高さまで、自分をたかめることができなかったからでしょう。」 芹沢光治良『巴里に死す』p.248より 対象への憧れを、単なる憧れや、支配欲・独占欲の範囲を超えないもので終わらせるのではなく、そういった次元にいる自分自身を捨て、対象へ純粋に駆け上ろうとするとき、それは実に厳しい世界への第一歩となるのだろう。 しかし、対象へ近づきたいと願う心が本物であれば、その精神活動のすべては喜びへと変化するのかもしれない。 純粋に駆け上ることに喜びを感じないなら、まだ「自分を捨て切れてはいない」ということになるのだろうか。 自分を捨て、喜びを持って駆け上がろうとするときでも、その精神の果てしない高まりの段階の後から後から続くものとして、その高まりと供にある自然なふるまいや行動が身につくまでには、実にさまざまな困難と曹禺するに違いない。 しかしまだ私には「自分を捨てる」という意味が完全には、わからない。 そもそも、こうして一人で考えようとすることが、自分自身への未練なのだろうか。 また、私は偶像崇拝や個人崇拝に対して危険を感じないわけにはいかなので、対象とどのように距離をとるかという、自己探求の方法の難しさを体験し、乗り越えていくことは、熱中しやすい私の今後の課題のひとつであると思っている。 そういう意味では最初から対象を何かひとつに限定することは不可能に近くなると思うが。 先日、元オウム真理教、麻原被告の死刑判決が出た。 被害者の立場を考えるといたたまれない気持ちになる。 それでも、人が人の命を奪うという方法で罪を裁くことには疑問を感じる。 人が人の命を奪うという裁きが正当化されることの延長には、戦争の是認があるのではないか。 それぞれの国と国の法律などを正当化する信条や思想があって、それを脅かしにくる他国や為政者や国民を滅ぼしてもよいという考えのうちに、本質的なことを解決する道があるだろうか。 人が人の命を奪うことによって、罪を償う、あるいは罪を償わせることはできないのだという考えにこそ解決の道が開かれているのではないだろうか。 また疑問を持つことなく法に従い、行動をするのではなく、自分で考え判断する力を養うにはどうすればよいのか。 と、今の段階では思ったりしているが、もっと勉強しなくては、わからないことに今後も変わりはない。 先輩は言う。「思想も進化するから、古い本ばかりでなく、新しい本を読んでみるのもいいよ」。 長い時間を経て、変わり行くものと変わらないものを見つけよ、ということなのだろうか。 昨日の、「ビンラディン氏拘束」の速報は確実ではなかったのか。 情報に振り回されないようにしたいが、仮に氏を拘束した後、どのような処置が行われるかはガラス張りにして報道されるべきだろう。 そのためには、ビンラディン氏が自分の殻に閉じこもってしまい、何も喋らなくなるような環境を作ってしまわないようにしなければ、事実を知ることも難しいだろう。 はぁ~、こういうことを公開日記に書くのは勇気がいる。
February 29, 2004
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昼休み、会社にて。 「今は何を読んでいるの?」と聞かれて、読みさしの『巴里に死す』を鞄から出す。 あまり言葉を交わすことがなかったが、お互いが留学していた頃の話とか、若い頃の勤務先に共通点を見つけて、初対面から何か親しみを感じるような、先輩がいる。 その先輩は、若い頃パリに留学してこともあり、この本に関心を持ったようだ。 思い切って森有正のことを知っているかと尋ねると、「知っているどころか、大好き」なのだそうで、当時、ソルボンヌ大学付近に、わざわざ下宿先を探したのも、森有正を近くに感じたかったからだったし、その近くに、中華料理店があって、友人から「この店は森有正が好んで来ていた店だ」と聞かされて本当にうれしくなったものだと教えてくれた。 どうすれば、あんなに美しい文章が書けるのだろうか、という話から、須賀 敦子や三島由紀夫、オスカー・ワイルドなどの話になった。 そして、先輩の祖父の書斎に、いろいろな宗教に関する本がたくさんあって、キリスト教、天理教、金光教などの本を、幼い頃から読んでいた、と話すのを、私は内心驚きながら聞いていた。 『巴里に死す』が、森有正によりフランス語で翻訳され、パリで刊行されたことを話したけれど、先輩は芹沢光治良のことを知らないようだった。 偶然と必然の間のような出来事。 こんなことがあるから、人生はおもしろい。 眠すぎるので、寝る。
February 26, 2004
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昼食と家事を済ませて、午後から出かけた。 だいたい月に一度、一人でこんな時間を作らせてもらっている。 本を読みたいので、電車に乗る。 行き先は決めていないけど、ぼんやりと播州へ行こうと思っていた。 播州といってもどこなのかわからないので、とりあえず播州赤穂を目指してJRに乗る。 座ったとたんに眠くなってすぐに本を閉じてしまった。 気がつくと神戸だった。 『神の微笑』の続きを読む。 姫路を過ぎて、終着駅の網干で電車を降りる。 ホームに生暖かい風が吹いていた。 横殴りの雨と人ごみに少し気分が悪くなった。 人ごみを避けるために、遠くまできたのに、思いがけず大勢の人がいてローカル線に座れそうもない。 播州赤穂へ行くのはやめて、引き返すことにする。 網干から大阪へ向う電車に座り『神の微笑』第7章を読んでいると、播州のおやさんは、三木市の井田国子さんだと書いてあるではないか。 『人間の運命』にも、「播州のおやさん」という言い方ではなく、「三木市の井田国子」さんという風に書かれていた箇所があったに違いない。 実は、先月も播州赤穂へ行ったのだけれど、そのとき何度も三木市へ行かなければならないような気がしてならなかったが、謎がとけた。 先月は、『人間の運命』を読みながら、東京から播州のおやさんに毎月6日に会いに来ていた次郎の兄と同じ旅程を楽しみたかったのである。 でも三木市のことが気になって、その日の夜、インターネットで朝日神社のことを知った。 姫路で降りて、駅員さんに尋ねると、三木市へ行くには姫路から4駅先の加古川で乗り換えだという。 加古川行きの普通電車に乗り、本を読みかけると、引き込まれてしまった。ふと顔を上げるとすっかり空は晴れて、夕焼け空が見える。 車内も人がまばらにしかいなくて静かだった。 また本に目を落としたとたん、目にゴミが入ってあまりの痛さに本を閉じる。 目をこすっていると「次は加古川」という車内放送があったので、乗り過ごさずに下車する。 ローカル線に乗り、厄神で下車すると、今度は三木鉄道に乗り換えである。 三木鉄道は1車輌だけの小さな電車だった。 バスのように回数券を取って下車する前に賃金を払う。 終点の三木に着いたのは、午後6時過ぎだった。 親切な駅員さんに道を教わって、朝日神社へ向いながら、私は今何をしているのだろう?と不思議な気持ちになってしまった。 「ま、これも私の好奇心の成せる業か」と、思うと楽しくなって風がびゅんびゅん吹いている民家の脇の小道をいそいそと歩いた。 朝日神社と思われる門の前にきたとたん、少し不安になってしまった。 それまで止んでいた雨が勢いよく降ってきて、お社の玄関の前で雨宿りしなければならなくなってしまったのだ。 玄関の鍵は閉まっていたから、しかたなく、断りもせずに張り出した軒下にある茶椅子に腰かけた。 誰もいなかった。 玄関の明かりが煌々としていて、桜の木の固いつぼみが風にゆれていた。 表札を見ると、「朝日神社 井出家」と書かれていた。 放心状態でぼけっとしていると、風のひゅーひゅーという音や、時々どこかの戸がギーギーと軋む音にもっと不安になってきた。 いつまで降るんだろうか、この雨は。 電車の時間まで本の続きを読むことにした。 内容は頭に入ってこず、赤衣の老女のことばかり考えているのに、私は今、播州のおやさんのところに来ているのだ、という思いがしてならなかった。 『教祖様』には播州のおやさんのことは触れられていない。 だんだん落ち着いてきて、お社の玄関の鍵がかかっていてよかったと思えてきた。 井出国子という人に神は降りたが、もうその人がここにいるはずもないのだし、だからこそ神社の閉まっているであろう時間にこっそりと来たのではないか、次郎の兄の旅程を十分に楽しんだではないか、と。 風雨はやまず、びしょ濡れになりながら、駅に戻った。 再び三木鉄道に乗り、本を読み始めた。 167ページを読み終えて顔を上げると、三木鉄道の電車の窓に叩きつける雨が、まるで泣いているかのように流れていた。 「将来、井出国子のことは絶対に口にしないことを、強制的に約束させられた。あの井出国子は天理教の三十年祭の時に、神が表に表れるという予言を実現するために、存命のみきの依頼によって、みきに代って、親神のおもわくを伝え、天理教という宗教団体の改革をはかられたのを、真柱は教団邪魔者として排撃したのだった。」と書かれていた。 『人間の運命』『教祖様』『神の微笑』を通して、神の教えと、教団あるいは教団を司る偉い人たちの間には深くて悲しい溝が、作られてしまうものなのかと考えてしまう。 溝を作ってしまった偉い人たちだって、教団という組織がなかったならば、組織を維持することや色々なことに縛られず、教えに純粋に生きることもできたのではないだろうか。 こんな風に書くのは、私があくまで一読者として感じたことであって、批判とか肯定を意味するものでは一切ない。 それにまだ、最後まで読み終わってはいないのだし、読み終えたときには、今とは違う考えになっているかもしれない。 今日は、播州への読書旅行を満喫した♪
February 22, 2004
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昨日の日記に書いていた予算の件で、話し合いをする前に、飲食代について、一人一人に、全額自己負担をしないことをどう思うか聞いておいた。 はっきりした答えはほとんどもらえなかったが。 話し合いの結果、飲食代は全額、自己負担するという結論が出た。 中には完全にはその結論に納得していない様子の人がいたので、その理由をやんわりと聞いたが、話してもらえなくて残念だった。 慣例だから、というのは本当の理由にならない。 疲れすぎて気持ちが悪い。精神の弱さがこんな風に身体に現れる。トホホ。 と、ここまで書いて家事などをしていたら、納得していないように見えた人からメールが届いた。 話し合いの件には何も触れず、ただ「あなたの役割をサポートするよ、おやすみ」というメッセージだった。 これだけで、疲れが消えてしまった!(単純すぎっ?) 意見の違いはあって当たり前なのだし、私が逆の立場になったときも、こんな風に行動できたら素晴らしいと思う。
February 21, 2004
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今、私が役員を仰せつかっている保育園の謝恩会のことで多忙な日々を送っているのだけど、役員同士で積極的に話し合いをしているので、納得いかないことはほとんどなかった。 それが、ごく最近になって、予算のことで少し嫌な雰囲気になっている。園から割り当てられた金額、X万円は、レクリエーションや先生へのプレゼントなどに当てるのだが(プレゼントの代金を園からもらうのもどうかと思うけど)、保護者の飲食代は、保護者が負担することになっている。 この件については園側からもお達しがあった。 保護者が飲食代を自己負担するのは当然のことだろう。 にもかかわらず、保護者負担を最小限におさえて、割り当てられたX万円の中から足りない分を補てんしようという動きがある。 小額であっても多額であっても、自分たちのものではないお金を勝手に流用する気持ちに、私はならない。 むしろ、今年限りでこの慣例を断ち切りたいと思っている。 余ったお金は子供たちのために使われるべきだと思うが、どうしてこんな簡単な話が通じないのだろうかと悩んでしまう。 思うほど事が簡単ではないのか、あるいは私が杓子定規なのか。 それでも、話し合いに持って行くしかないと考えている。 お昼は、久しぶりに会う友人とランチを食べに行った。 彼女は小さなフランス料理のお店を予約してくれていた。 メインは鯛のムニエル、それにサラダとコーヒーとデザートが付いていて、1000円とは思えない美味しさだった。 会社の昼休みは1時間しかないので、話したいことの半分も話せなかったが、一緒にいるだけで楽しい気分になって、今日は、一日が終わるのが早かった。
February 20, 2004
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久しぶりのオフ。 昨夜からウキウキしてたのに、コテッと寝てしまって・・。コテッと寝てしまう前に、何をしてたかというと、もう、何が何でもど~しても、ぜ~ったいに、、誰にも話しかけられない静かな時間が欲しかったので、リビングのソファにもたれて、その時がくるのをじっと待ってたんです、はい。 なのに、時々子供が「ふぇ~ん、ママァ!」と泣いたりして(寝言なんだけど気になる(^^;))、旦那さんがあれやこれやと出入りするし、テレビを消しても、誰かにず~っと話しかけられているようで、気持ちがざわわ~ざわわ~なんていいもんじゃなくて、イライライライライライライラしてしまって、無理やり☆ニッコニコ☆の笑顔を作って(心はぜんぜん笑ってない!)じ~っとソファに鎮座しておりました。 そしたら、それを旦那さんに見つかってしまい、「わっ、一人で笑ってるよ~(さぶ~)」のコメントをいただいたのでした。「ほんとに笑ってなくても笑顔を作るだけでもストレス解消になるんだって」とあっさり言って無理やりニッチャリ笑うと、旦那も無理やりニッチャリ笑い返すなどして、バカ夫婦まる出しでした・・。 教訓 ニッチャリと、笑う門にも福きたる(お情けで)
February 18, 2004
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「しかし僕に自ら絶望するだけの能力があるだろうか。絶望は偉大なものである。絶望を人は責めるが、絶望できる人がはたして何人いるだろうか。孤独、絶望、死、これらは決して悲壮がった脅し文句ではないのだ。人間の魂のカリテ(質)なのだ。どうしても、そこへ行かなければ、先へ向ってひらけないものがあるのだ。しかも必ず先がひらけるとは決まっていないのだ。それでおしまいになってしまう場合が圧倒的に多いのだ。」 森有正『バビロンの流れのほとりにて(1953年10月)』より 絶望するほどになにかに向う自分を見つけてみたい。しかし、絶望とは私の想像をはるかに超えるもののようで、近づくことすらできない。幼い頭の中で考えるばかりで、体を張って立ち向かっているふりをしているだけの私など、希望にすら縁遠い存在だということに気がつく。 芹沢光治良『教祖様』読了。感想を書く前に、作家のあとがきを引用しておきたい。「一宗派に帰依することよりも、自由人として真理をもとめて、それがかりに滅びの道であっても、それを選びたかった」「私は天理教の信者ではない。このことを、まずはっきりさせておかなければならない。それどころか日本に産まれたこの新しい宗教をずっと批判しつづけて来た.無関心ですごせばいいのだが、それができなかった。」 読みながら、道徳的・倫理的概念とか、宇宙を創造するもととなるもの(あるいは、なぜかふいに、オムニポテントレイネス)といった言葉が私の頭を去来するような。しかし信仰をもたない私に他に言うべき言葉はもちろん見つからない。あとがきにある「赤衣の老女」についての記述は非常に感慨深いものがあるが、これも言葉にならない。 (別の視点から、個人的な感想として)パリを愛した芹沢氏を日本へ呼び戻すものとして、ひとつにはこの本の執筆に対する使命感があったのだと思う。『人間の運命』の中でもそのことが伺える。他の作品をパリで書くことができても、『教祖様』を執筆するには日本に留まらざるを得なかったのではないだろうか。そして日本語で書かれた多くの作品を日本の人々に伝えなければならなかった。「それ(教祖伝)を書き終えて、その先へ進まなければならなかった」と作家自身も書いているように。 この作品の月報の中に、信者ではないが、昭和三十年から天理大学に奉職していた、河合隼雄氏の言葉がこんな風に綴られている。「この作品をつくりあげる上で示された芹沢光治良の宗教に対する考えや態度は、新しい世紀における宗教を考えようとする者に、深い示唆を与えるものと思われる。」 たしかに。私にはあまりに深い示唆だった。
February 16, 2004
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周りのものすべての営み、わたしを生かそう生かそうとするものの計らいであるから、喜んで我が身を風雨にさらそう。勇んで受け入れよう。華やかな場所でなくていい、今、ここで。
February 15, 2004
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役員というのがこんなに疲れるとは知らなかった。 去年の4月、担任の先生に拝むようにして役員を引き受けてもらえないかと相談された時、あの人と一緒なら引き受けてもいい、と思える人がいた。協調性があって、自分の意見が言えて、活動的な人。そんな彼女は私と一緒に役員を引き受けてくれた。実際に何かを始めると本当によくわかる、彼女の良さ。意見を言い合えるから、わだかまりがなくサクサク行動に移せる。今日の役員会では、謝恩会のプログラムの内容をクラス別に発表する日だったのだけれど、実際に発表したのはうちのクラスだけ。何のための期日か、と驚いてしまう。これでは園も大変である。 クラスの代表として物事を取り仕切ったり、みんなの意見をまとめたりすることは、本当に大変。しかし、同じ目的に向って一緒に取り組む人がいるだけで、その大変さも楽しさや喜びに変わる。そんな風に思える。よき友とはこうして出会うのかしらん。 ああ、でも今夜は「今年だけで許してほしいです!」と言いたい気分! 久しぶりに心身ともに疲れて、寝つかれません(^^;)
February 14, 2004
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昼すぎ、子供たちが、私の膝の上に乗ってじゃれていました。大きな声ではしゃぐのを、ただなすがままにしていました。いつまでも笑い声が絶えないのを、黙ってうれしく聞いていました。 人のふりを見て我がふりを直すつもりが、心の中で批判している自分がいる。 もしも、教えを説く人たちが、互いに別々の場所でそれぞれの皮肉を言い合っていれば、私は大いに失望し苦しくなり、同時に自分のことを棚にあげ、内心ではその行為を批判するでしょう。 どんなに思慮深くしようとしていても、私の言葉や態度によって誰かを傷つけていることを棚に上げて! 私は、自分の言葉で誰かを傷つけるのをおそれて「いっそ私の声など出なければいいのに!」と本気で思いました。 その瞬間、次女の頭が私の喉を目掛けて力いっぱいぶつかりました。あまりの痛さに、思わず次女を両手で突き飛ばしました。 激痛と、怒りと、次女を突き飛ばして泣かせてしまった情けなさを同時に感じました。 そして、喉を押さえながら「声が出なくなったらどうしよう?」と思った瞬間、涙が出てきました。 「声が出なければいい」などと不遜な考えを起こした罰が当たったのだと思いました。 本当に情けないことです。 声が出なくても、狭い心のまま他者を理解しようとしなければ、ますます私は人に嫌な思いをさせるでしょう。 寛容な次女はこんな私を許してくれました。 本当にごめん、そしてありがとう。
February 8, 2004
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芹沢光治良(せりざわこうじろう)著、『人間の運命』全14巻及び、その15巻とも位置づけられる『遠ざかった明日』を読了。この大作に、作家自身の人生はもちろん、同じ時代を生きた人々の人生がうつしだされています。世の中では、手本にしたくないような生き方が当時(明治~昭和初期)の日本の社会で通念として認められていたり、逆に現代でも手本にしたいと思える生き方が必ずしも多くの人に理解されなかったり、あるいはひとつの生き方が、一部の集団や組織によって善であったり悪であったりするのです。今日、そういった問題が少しずつでも改善され、新たに同じような問題の発生を防止できる社会になっているかどうか、また現在の日本があらゆる意味で独立した国家であると心から思えるかどうか、安易に答えられません。「理想のための名誉ある戦死」や命を粗末にするような「崇高なる死」などが存在してはいけないし、国家がそれをさせてはならないのです。 主人公「次郎」は沼津の小さな漁村の裕福な家庭の次男として生まれますが、幼い次郎を残して両親が全財産を天理教にささげ、信仰の生活に入ります。残された次郎は貧乏を知らずに生きてきた祖父母によって極貧の中で育てられます。その厳しい生い立ちの深い憂いを超越して生きる次郎の考え方、人との接し方、生への真摯な態度に清々しい何かが感じられ、私は次郎の(この作家の)根底の清らかなせせらぎに引き寄せられて、その見えないものを見たくて、突き動かされるように読んだのでした。 小学校四年生か五年生の頃、私は奈良の天理教本部へ「おじばがえり」なるものに参加したことがあります。幼馴染の家族が天理教を信仰していたので、誘われて行ったように記憶しています。「ようこそおかえりなさい」と書かれたアーチを抜けて玉砂利の向こうに大きな神殿(と言っていいのか呼び方がわからないけれど)を見たとき、その美しさに驚きました。朱と黒に塗られたその日本風の美しい建物の中で「手踊り」をしたことや、参道を清掃したこと、その参道にたくさんの屋台が並び、玩具、駄菓子、ひよこなどが売られているのをうきうきと眺めながら、大勢の人の波に乗って歩いたのを覚えています。一高生だった次郎は、その参道を目の見えない祖母の手を引いて歩いたのでしょうか。今思えば、私はそこで信仰というものに生まれて初めて触れたように思います。頭を垂れて祈りをささげる人々、神妙に畳や太い柱を拭き清める人々の姿に胸を打たれ、「ここには私の求める何かがあって、学校や社会や両親でさえ教えてはくれない、厳しくも美しいものへ私を導いてくれるのではないか」とさえ子供心に思いました。それ故、次郎の実父が、信仰の道を選んだ気持ちが私にはわからないわけではありません。そして、次郎の義父の田部氏が、次郎の生き方によって彼自身の生き方をも美しく変えようとした気持ちにひどく感銘を受けました。その田部氏が長年勤務していた会社の実名などが、たびたび出てくるのを、私は仄かな親しみを込めてうれしく読みました。その子会社で勤務していた頃を思い出したのでした。(今もかもしれませんが)奔放で万能感みたいなものを否定することないような、次郎には顔向けできない生き方をしていたと思います。 明治、大正、昭和を生きた作家、芹沢光治良が後世へ語りたかったことがやさしい言葉で綴られているこの作品を現代の多くの人が読まれることを願いたいです。将来、私の子供たちやその友達が本棚からこの本を取り出して読むことがあれば、本当に幸せなことだと思います。
February 4, 2004
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昨日(31日)は、午前3時まで本を読んでいた。『遠ざかった明日』の第10章の途中まで。 芹沢光治良(せりざわこうじろう)のこの本は『人間の運命』シリーズの最終章と考えられるから、残りの50ページほどを読了後、つたない読後感を日記に書こうと思っている。しかし、全15巻の大作であるから、どんな風に書いてもごくわずかにしか私が受けた感銘や共感、疑問、ちょっとした反発をうまく吐露することはできないだろう。また、そういった才能が私には無い。こんな時はいつだって、自分の文章力を高めたいものだと切に思ったりするんである。 先日など、去年の日記をところどころ読み返したところ、同じことを言葉を変えて繰り返していたりして我ながら情けなかった。また、必要以上に婉曲に書いていたりするので、まわりくどく、それがなんだかいじらしいようで、おもしろくもあった。いつぞやの日記などは、途中からはっきりと「死」について書いているのに、わざわざ「死」とせず「それ」なんて書いている。公開日記であるということを強く意識するのか、書く側の責任あるいは我が身の保身のためにあのような文章になっている。これについては、今後いろいろ考えてたいような心境である。 今日の午前、久しぶりに書道の練習がしたくなって思い切って道具箱を出してみた。細筆でまずは「いろはにほへと・・」の練習を何枚かしていると、近くで遊んでいた長女が興味を示し、「書きたい」というので道具箱の下に敷いている古新聞を引っ張り出していた。2匹(?)のイリオモテ山猫の大きなカラー写真が載せてある新聞に気が付いた長女が見せてほしいというので、広げた新聞を持ち上げて紙芝居を見せるようにして見せた。裏面に書かれている記事を読むと、とても大きな横書きの見出しで「るさ發渙詔大の結終爭戰」とあり、下に続く縦書きの見出しの文字「帝国、四國宣言を受託」に続いて非常に小さな字で「大東亞戰爭は遂にその目的を達しえずして終結するのやむなきにいたつた、云々・・・」とある。さらに、普通の文字より少し大きい字で『詔書』が真ん中にある。そして時の内閣総理大臣、男爵、鈴木貫太郎の内閣告諭があった。私はあわてて日付を見ると、日五十月八年十二和昭とあった。 1995年8月15日の朝日新聞の第一面の紙面いっぱいに、昭和20年の終戦の日の新聞をそのままに載せていたのだった。1995年8月15日、私は友人の故郷の大三島(愛媛県)へ一緒に帰省し、毒ガス島を見学に行ったことや、夜に彼女の父が家の屋上の蚊帳の中で、星空を仰ぐようにして語ってくれた東条英機の話を思い出したりした。暑い夏だった。あの頃、本土と瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶ大橋が(たしか)3つも一度に造られたのでその橋を渡るために、大阪から車で帰省した。帰りは、車をフェリーに載せて大阪まで戻ってきた。そのフェリーには大浴場があって、大きな窓から一面に広がる海原を羨望できる。夕暮れ時だった。まるで海面と湯船の水面とが繋がっているような錯覚を覚える。地平線上に大きく映った沈み行く紅い太陽が身体を浸している湯の中に融けていくようだった。あんな素晴らしい旅をもう一度したい。だけど私たちが乗ったあのフェリーはもう無い。 そんな事を一瞬のうちに回想しながら、長女にせがまれて半紙に書いた文字を2,3度読んだ。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす ん 夕方7時半頃、投票に出かけた。
February 1, 2004
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