2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全10件 (10件中 1-10件目)
1
娘が、無事、運転免許を取得した。きっと、運転したくて、仕方ないだろうな・・・そんな娘、今日は「先生」の結婚式に出ている。前日、式に出るためのワンピースを、家内と一緒にデパートに買いに行ったとのことだが、先日、宮崎から帰って来たと思ったら、すぐに静岡に合宿、そして、運転免許の試験を受けて、結婚式に出ている・・・何とも、目が回るような忙しさだ。息子の時と違い、少々、怖さを感じるが、娘の運転するクルマに、いつ同乗出きるのだろか・・・?アーサー・C・クラークの命日に、娘は免許を取得したこととなる。くどいなぁ・・・
Mar 20, 2008
コメント(3)
今朝は、外注のインド人2人が、本社では無く、我社の、別の工場で作業をスタートするので、その工場での「勝手」を彼等に教えるため、本社ではなく、その分工場に朝から出かけた。もう、随分と日本に、また我社に慣れた彼等、その分工場での勝手も、すぐに理解した。分工場の責任者に彼等を紹介し、私は、ほどなく本社に移動。さて、mailチェックしながら、ネットのニュースもチェック。数ヶ月前から、なかなかと、真意を突いた書き込みもある「2ちゃんねる」、その見出しをチェックしていて、ああ・・・ と思った見出し。【訃報】SF作家、アーサー・C・クラーク氏が死去、90歳「2001年宇宙の旅」などで知られるSF界の巨匠そうか・・・ とうとう・・・本物の知識人で、最高の作家、私が一番好きなSF小説家・・・もう、彼の作品は、読めないのか・・・「2ちゃんねる」の書き込みを、ザッと見ると、書き込みをしている人、結構、よく読んでる、よく知ってる、評価してる、さすが、アーサー・C・クラークだなぁ、と感じる。今、ここに書いていて思い出したのは、オヤジと同じ年に亡くなったのだなぁ、と。私が、最も感銘を受けた、彼の小説に出てくる、父が、最愛の娘に贈る言葉、この世で大切なものは、たった2つしかない。それは、愛と知識だ。
Mar 19, 2008
コメント(2)
父の死、やはり母が何と言っても、一番ダメージを受けてることには間違いが無い。葬儀の間、とにかく、喋りまくっていた母。誰それ構わず、しかも、同じようなことを何度も何度も話し続ける母、まるで、泳ぐのを止めたら死んでしまう魚のように、お喋りを止めようとしない母、あれは、きっと、やはり精神にダメージを受けていたのだろう。そんな母のお喋りに、イヤな顔をせず相手をする家内、ともすれば私など、同じ事ばかり言うな、と怒ってしまうのだが、家内は、母の相手を、ニコニコしながらしていてくれる。家内には、感謝の言葉もない。葬儀が終わり、自宅で家族が一服し雑談していると、母が、こう言った。「あの係りの人、パパを(私の事)、見損なった、と言ってたよ。」「な、な、何? 見損なった??」「最後の喪主の挨拶、あれが、とても良かったって。それで、見損なった、って。」これには、家族が大爆笑。「それを言うなら、見直した、だろうに!」すると母は、「そうそう、見損なった、って。」「だから、違うってば! 間違えるにも、ほどがある、全く、逆じゃん!」しばらく、笑いを止めることが出来なかった。
Mar 12, 2008
コメント(1)
葬儀に限らず、形式ばったこと、しきたりとか、あまり肯定的では無い私、父の葬儀は、恥ずかしくないことをしたつもりであるが、私が死んだら、「お別れ会」などのようなものとして、葬儀にお金など使うことは、子供達にさせないつもりだ。我家の葬儀の担当者、私の目から見ても、実に感じの良い人で、気さくな感じで、尚且つ、レスポンス抜群の営業マン。ただ、こういうイベントに対して「斜」に構える私、祭壇から始まり、花、引出物、料理などを順々に取り決める時も、あまり意義など感じず、苦々しく、イヤミしか言わない私。我家の家族は家族で、例えば、営業マンが焼香の方法を説明している時、まるで関係の無い話を勝手に始めて、まるで説明を聞いていない。私が、「おい!聞いてるのか!」と叱ると、「あら、ごめんなさい!(爆笑)」というありさまで、全ての場面で、営業マンは我家に対して、最低でも同じ説明を2回、した。いつも、笑いの絶えない、打ち合わせであったが、営業マンは疲れたと思う。その営業マン、私の居ない時に、家内に、「ご主人は、こういう事、お好きじゃないようですね・・・」と言ったらしいが、最後に、私の「うれし涙」の喪主の挨拶について、「挨拶、良かったですよ、見直しました。」と言われた。この場合、「見直す」という言葉が適切なのかどうか、私は咄嗟に判断しかねて、苦笑いしただけで、そう言われても、嬉しくも、何とも無いが・・・全てを片付け、葬儀屋を出る時、また、その営業マンに、「いつも、笑顔の、楽しいご家族ですね! 実に羨ましいです!」と言われたが、それを我家のモットーにしていきたい。父が生前、言っていた。父と母の部屋まで、私、家内、息子、娘の笑い声が聞こえる時、あれが一番だ、これが、幸せなんだ、そう感じる、と。父の遺志を家訓としたい、そう考えている。
Mar 11, 2008
コメント(1)
葬儀の最期に、喪主の挨拶をしなくてはならない。息子として、それなりの感慨を持って葬儀に臨んでいた私、最期の挨拶、特に何という事も無く済ませる自信があった。しかし、マイクを持ったまま、涙で、しばらく、言葉が出なくなってしまった。故人と最期の別れ、と棺の蓋を開け、それこそ友人から貰ったタバコをはじめ、父の服、帽子、そして花で、父の体が見えなくなりそうになった時、集まってくれた親戚の、叔父の、叔母の涙を見て、目を真っ赤にして泣きじゃくる妹、そして姪達を見て、私は、「うれし泣き」を止めるのに必死だった。ありがとう、父の為に、涙してくれて・・・最後に、もう一度、父の額を触れて、棺に蓋がなされ、喪主から、お礼の言葉を頂戴します、と司会よりマイクが渡された時、アタマの中は、「父の為に・・・ ありがとうございます・・・」この言葉しか浮かばなくなり、涙を止めることが出来なくなった。右手でマイクを強く、強く握り締めて、何とか平常心をと思うが、何十秒も、涙を流しながら、うつむいたまま、何も発することが出来なかった。それでも、何とか、一通りの挨拶を済ませた。葬儀の全てが終わり、親族も帰宅する時、私が叔母に、言い訳がましく、もらい泣きでは無いけど、皆が泣いてるから、伝染した、と言うと、それは逆よ、mikiちゃんの挨拶で、余計に泣けちゃったんだから、と言われた。私の涙、あれは、間違いなく、うれし涙であった。
Mar 7, 2008
コメント(4)
自宅で亡くなる場合は、病院と違い、検死という手続きが必要となる。第三者が不在で、人が死亡するのだから、それは致し方ないし、私は知識として知っていた。が、掛け付けた妹は、自宅に来ていた警察官に、どういう関係の人かと聞かれ、まるで犯人扱い、と若干だが憤っていた。父の最期は、母しか見ていない。いつものように電動ベッドで母が、おかゆを父の口に運んでいたら、2、3口目で、「もう、いい」というような事を言い、少し苦しそうになり、そのまま逝ったとのこと。肺ガンを患い、抗癌剤の不適合で苦しみ、入退院を繰り返した父、その最期は、殆ど苦しむことも無かったようだ。警察官より、もう入ってもいいです、と言われ、既に息の無い父と対面した私、そっと、父の額を触ると、まだ、温かみがあった。葬儀で母が親戚に、父は、ガンに侵されてからも、殆ど、痛い、とか、苦しいとか言わなかった、それが立派だった、と漏らしていたが、さて、もし自分が同じ目に遭ったら、自分に出来るだろうか、そう感じた。最期は、本当に楽に逝けたこと、それが良かったと感じている。ちなみに、検死担当の警察官、確か男性が3、4人、女性が1人来ていた。女性警察官は、我家の間取りまで私に聞き、スケッチしていたが、何のタメなのか、よく分からなかった。その内の1人の男性警察官の携帯電話が鳴った。その呼び出し音が、TV番組の「西部警察」のオープニングテーマ曲であった。妹に言わせると、「いかにも、という呼び出し音・・・ ミーハーだなぁ・・・」「そうそう!」家族一同、大笑いした。
Mar 6, 2008
コメント(3)
父は、私の息子がイタリヤに、娘が宮崎に、それぞれ出発する、まさに、その前日に亡くなった。会社で昼休みにインド人と会話をしていて、席に戻ったトコロ、そこに、家内より電話があった、至急、家に電話を、とメモがあり、それを見た瞬間、私は父の危篤を疑わなかった。そうか・・・ とうとう・・・ という気持ちと同時に、すぐに、息子、娘には、予定通り、旅立たせると決めていた。自宅に着くと、病院で亡くなったのでは無く、自宅での死亡なので、警察が何人も来ていた。警察に依る検死が行われ、父が入院していた病院の院長が来て、改めて検死が行われ、その後、やっと父の顔を見ることが出来た。家内は、息子、娘が旅を終えて、家に居る時に、逝って欲しかった、そう、こぼしたが、私は、旅行途中で無くて、それだけでも良かったじゃないか、息子も、娘も、最期の挨拶が出来るじゃないか、と言うと、家内も納得してくれた。翌日、息子、娘とも、早朝の出発であったが、父に、きちんと挨拶を済ませ、それぞれ旅立って行った。入院中、息子のヨーロッパ行きを伝えた時、自分の孫を見て、「俺に似て、イイ男に成ったなぁ・・・若い時は、どんどんと色々なトコロに行けよ・・・」そう口にしていた父、私の父なのだ、疑いも無く、孫の旅を喜んでいたと思う。
Mar 5, 2008
コメント(1)
通夜に駆けつけてくれた、いつもの友人達、焼香を済ませた一人が、私のトコロに歩み寄り、高校時代から親しくしている、離れた市に住む、とある友人について、「遅れてくる、と伝えてくれとの事だ。」と伝言に来てくれた。「うん、分かった、ありがとう。」その知らせ自体、嬉しいものであったが、更に彼は、私に、「これ。」と言って、何かを手渡す。私の手に握らされた、それは、何と父が好きだった銘柄のタバコ。無論、肺がんを宣告されて以降、禁煙した父、そのタバコを吸ってはいなかったが、学生時代、私の家に、よく集まってくれた友人は、父が好きだったタバコの銘柄を覚えていてくれたのだ。「峰」という、マイナーな銘柄のタバコ、自販機などでは買えないだろう、それを、わざわざ持って来てくれたのだ。自分の手の中のタバコ、「峰」を確認し、視線を友人に戻した私、「おい、これ・・・!?」としか、その場では言えなかった。まさしく、言葉を失った。私と視線を合わせた友人、ほんの少し、はにかんだように見えた。友人が去ったあと、この話を親戚にすると、さすがに、友人の気配りに皆が関心していた。「このタバコ・・・ 色々と探してくれたんだろうね・・・」生涯、忘れることの出来ない、ニクイことをやってくれた友人に、感謝の言葉も見つからない。これは、誰にでも誇れる自慢話だ。
Mar 4, 2008
コメント(2)
父の葬儀、何と言っても、義弟には、感謝しても、しきれない程、色々と世話になった。危篤を知り、いち早く駆けつけてくれた。葬儀の献花などの取り決めも、的確にこなしてくれた。そして、通夜には、私達夫婦に付き合って、葬儀会場に一泊してくれた。線香を絶やさないように、気配りもしてくれた。通夜の夜、普段、あまり呑めない義弟も、私と共にビールを何杯も呑み、深夜まで語り合った。そんな義弟に、私は、かねてより思っていたことを明かした。「義理の弟という関係以前に、俺は、君のこと、親友だと思ってるよ、いつもいつも、本当にありがとう。」それに対して、義弟が、何と答えたのか、眠気と、ビールの酔いで、覚えていないのだが・・・彼が、義理の弟で、本当に良かった、それを再認識した。亡くなった父も、可愛い娘の旦那として、何の心配も無く、安心していただろうと思う。
Mar 3, 2008
コメント(2)
父が他界しました。2月26日、母が昼食を摂らせていたところ、三口目くらいで、「もう、いい。」と一言残して、殆ど苦しむこともなく逝ったとのことです。本人が希望していた、自宅での逝去を迎えることとなりました。父の逝去に際し、父は私に、人の「恩」ということを教えてくれた気がします。ありがとうございました。
Mar 2, 2008
コメント(5)
全10件 (10件中 1-10件目)
1