カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.01.20
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カテゴリ: ヒラカワの日常
ジョエル・ベイカンの『ザ・コーポレーション』によると、
株式会社が生まれたのは、十七世紀後半のイギリスである。
当時は、起業家たちが元手を出し合って事業をおこなうパートナーシップ制が
一般的な事業形態であった。
そこに資本と経営が分離した株式会社というシステムが生まれる。
株取引の中心であったロンドンの仲買人たちは、
そこに一攫千金の夢を見たのである。
インチキ企業の株を売りつける投資家を探してその金を巻き上げるのである。
当初は、株式会社は、このような投機的な舞台に利用され、

株式会社は禁止されることになる。
株式会社はその後、復活するのだが、この発生当時のあやうさは、
現代においても消滅してはいないように思える。

最近の不二家の事件や、雪印乳業、三菱自動車工業などの
不祥事に関する報道を見ていると、
概ね経営陣の倫理観の欠如ということが指弾の対象となっているようだ。
私は少し違う見方をしている。
かれらは、日常の生活においてはおそらくは立派な紳士であり、
家庭においても優しく、頼りがいのある父親であるだろう。
かれらに、倫理観が欠如しているとすれば、同じ程度に、
かれらを指弾するマスコミも評論家も倫理観は欠如していると


これらの企業の不祥事は、経営者の個性には還元できないものが
含まれていると考えなければ、私たちはこれを克服することは永遠に
できないように思える。

では、どこにその原因を求めたらよいのか。
もちろん、世の中には怠慢な経営者もいれば、日々研鑽を重ねている思慮深い立派な経営者もいる。だから、経営者に問題がないとはいえない。

という考え方を導入しないと、この種の不祥事は解明することができないと考えている。
かれら経営者は、会社を存続、発展させるために、
出来得る限りの手段と方法を駆使して、
日々努力に努力を重ねていたはずである。
その結果として、かれらが選んだひとつの方法が、
原材料費のコストダウンであり、期限切れ在庫の償却であり、
下請け企業への外注費カットであった。
結果として、商品に欠陥が出るリスクはあるが、
そのリスクを犯しても、かれらにはこの方法を選ばせる理由があったのである。
もし、倫理観というものを、禁欲的に仕事を遂行するというところに
求めるならば、私情を排して、ミッションに忠実であった
かれらは十分に倫理的であったとさえ言える。

世の中の経営者すべてが、法を犯してまでのコストカットをするかどうかは
別にして、必ずぎりぎりまでコストを抑えようと努力をしているに違いない。
その理由はもちろん、利益を確保しなければならないという
企業にとっての至上命令があるからである。

では、その命令を出しているのは誰か。
ここに、経営と資本を分離することで誕生した、株式会社というシステムの
強さも危うさもあるのである。利益確保の至上命令を出しているのは、
原理的には株式会社の所有者である株主である。
では、株主とは何か。
もちろん、個々を見れば様々な人間模様が見えてくるだろうが、
原理的に言えば純粋に株価が上がることだけを期待している人間である。
株主は、本来的には製品の質とか、企業文化には興味がない。
銘柄とは、賭け金が上がるか、下がるかだけの記号的な対象でしかないのである。
そして、かれらに雇われているのが経営者である。

経営者の倫理観とは、会社の倫理であり、それはとりもなおさず、
株主利益を最大化するという命令を忠実に実行するということである。
所有と経営が分離された株式会社というシステムにおいては、
株主は企業が倫理的であるかどうかについては、本来的には興味がなく、
経営者も従業員も、自己の倫理とは別に、株主の利益に忠実であるという
経済合理的な行動をいつも余儀なくされているように見える。

つまり、株式会社というものを、株主主権という形で捉えている限りは、
所有と経営が分離した瞬間に、倫理観もまた分断されるのである。

ここまでのロジックには、しかし重要な瑕疵が含まれている。
それは、会社というものが存続し得なければ、株主利益というものもまた
存在しないということである。
このあたりまえの事実を見逃すのは、現在の社会が
時間の効果というものをほとんどないがしろにしてきたからだと
俺は思っている。
将来の倒産という事態と、現在の株価利益を計りにかけたとき、
時間の概念がなければ、だれでも現在の利益を優先させることになる。

アメリカン・グローバリズムの顕著な特徴のひとつは、
会社の価値というものを、ネット・プレゼント・バリューという物差しで
計ることである。ネット・プレゼント・バリューとは、会社の現在価値であり、
その中には、会社の信用、社員のロイヤリティー、組織の団結力といった
見えない資産は含まれていない。
ただ、現在の資産価値と、将来生み出すであろうキャッシュフローを現在に割り引いて
合計した数値だけで、会社の価値というものを判断する。
それは、株価や、会社を売り買いする投資サイドが便宜的に考え出したシステムに
過ぎない。
将来生み出すお金といえば、一見時間の概念が含まれているように見えるが
実は、そこにあるのは現在のビジネスを飴のように引き伸ばしただけの
時間でしかない。

本当の時間の意味は、見えない資産の効果というものは、
時間を経なければ確認することができないということを知ることだろうと俺は思う。
そして、この見えない資産の効果を将来に向けてつなぎ合わせてゆくことが、
会社経営のもうひとつのあり方であるはずである。
倫理というものが分断されているとすれば、これをつなぎ合わせる作業を
誰かがやらなければならない。
それをすべて、経営者におしつけて事足りるという話ではないのである。










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最終更新日  2007.01.20 22:02:46
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