みんみんのざる碁日記

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2008.03.20
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「皇帝たちの中国」(岡田英弘著)

現在、問題となっているチベット・台湾および日本と関係する論点を紹介したい。

○国家観のずれ(p.8)
1789年にアメリカとフランスで革命が起こり、はじめて国民とか国家という概念が生まれた。stateはそれ以前は「君主の資産(所有権の及ぶ範囲)」という意味だった。
近代以前には、「中国」という「国家」があったわけでもなく、「中国人」という「国民」があったわけでもない。言い換えれば「中国という国家が先にあって、それを治めたのが皇帝だったのではない。先にあったのは皇帝である。

○「天下」と領土の違い(p.8)
皇帝の支配が直接及ぶ範囲を「天下」といった。この「天下」とは、具体的には、皇帝を中心に展開した都市のネットワークをさすものであり、各地にめぐらされた商業都市網の経営が、すなわち皇帝制度の本質なのである。

○皇帝は中国最大の「資本家」である(p.20-22)
皇帝は多くの商業都市のネットワークの支配者である。

秦の始皇帝は天下に36の郡を置いた。 始皇帝 は首都を咸陽に定めた。首都から出た軍隊は、内陸に伸びる交通路に沿って、一定の距離をおいて戦略上の要地を占領して、そこに城壁を築き都市を構えた。これが県であった。
都市で一番重要な場所は中央に位置する県役所と市場である。夜が明けて城門が開くとともに市場も開いて人が集まり、交易は正午で終わった。市場の入場税が商税で、これが皇帝の収入になる。皇帝は高利貸しでもあったし、工場の経営者でもあった。高級な陶磁器や絹織物を作る工場は皇帝の直営だった。また塩や鉄を専売にしていた。
いわば皇帝は、県という商業都市を支店として営利事業を営む、総合商社&投資銀行の社長のごとき存在であり、その営業の及ぶ範囲が「天下」だったのである。

○朝貢の意義(p.24-25)
朝礼では群臣に混じって外国の使節も参列した。外国の使節の手みやげは「貢」という。朝貢は皇帝に対する友好の意思の表現である。朝貢を行う者は、外国人とは限らない。首都に住まず、直接皇帝の支配下にない者が、手みやげを持って上京して皇帝のご機嫌伺いをするのも朝貢であった。
朝貢使節が持参する手みやげは高価なものである必要はなかった。あくまでも友好のしるしだからである。外国の君主にとってみれば、皇帝に朝貢したからといって、皇帝の臣下になったわけではなかった。朝貢は国家と国家の関係ではなく、個人としての君主が個人としての皇帝に対する友好の表明であり、皇帝が朝貢を受け入れるのは、同盟関係の承認にすぎなかった。

○現代の誤解(p.25-26)
現代の中国はそこを曲解し、「外国の朝貢は、中国への臣属の表現」と解釈している。そのため歴代の琉球国王が清朝の皇帝に朝貢を行っていた沖縄は、中国の領土だったということになり、日本が1872年に沖縄を領有したのは、中国に対する侵略だと主張している。
これは国民国家以前の歴史に現代の国際関係の観念をあてはめたこじつけにすぎない。しかも19世紀の当時には、中国は満州人の清朝の植民地であって、中国という国家はまだ存在しなかったから、沖縄が中国領だというのは真っ赤な嘘である。

(以上は、岡田氏が書いた文章を私が抜粋したものです)


中国共産党の原理からすると、日本も足利義満が明の永楽帝に朝貢していますんで、日本そのものも中国の一部にされかねない訳です。






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最終更新日  2008.03.20 13:33:34
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