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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー希少な時間を無駄にしないことー 希少な時間を大切に、Fight Music、Oohlala Couple OSTすべての人は、この世に生まれた以上、いずれ病に侵され死んでいきます。しかしこの世に生まれたということは、必ず意味があります。ある人はお金持ちで裕福であり、ある人は地位や名誉に溺れ多くの人を見下し優越感に浸っているかもしれません。あるいは逆に自分は不幸で貧乏で、誰からも愛されず人を妬み、蔑み、憎み、毎日が不満だらけで生きているかもしれません。しかし、今自分が置かれている環境に感謝し生かされていることに感謝し、他人を愛せる自分が好きで、たとえ貧乏で質素な暮らしでも人のためにお役に立てる仕事ができることに喜びを感じ、生きて行けるならどうでしょう。同じ人生の時間でもこのように違うとしたら、自分はどのように選択するでしょうか? 死後、あの世(霊界)に持って行けるものは、お金でもなく地位でもなく、財産でもありません。心しか残らないのです。更に厳しいのは、この世でどのような心境で生きて来たのかその自分の人生の総決算が神仏の評価判定により裁かれ、この先自分の魂がどこへ行くのかまで示されてしまうという現実が待ち受けているのです。今この瞬間、さあ今からでも遅くありません。残りの人生を有意義に幸せに満ちた時間にしていきましょう。自分さえよければそれで良しではなく、誰かのために、それは家族であったり、友人であったり、仕事仲間であったり、そのご縁はさまざまでしょう。祈り方も人それぞれだと思います。でも私の経験からこれだけははっきりと言えます。崇高なる祈りは必ず届いているのです。祈りは届くのです。それが叶うか否か、それは神仏のみぞ知るのです。ですからお任せするしかありません。ポイントは神仏は何を望んでいるかです。神仏が望むような生き方をして死後地獄に落ちることはありません。愛に満ちた生き方をこの世で全うできるなら、そのような心境になれたなら一番の幸せであり、誠に尊いことのような気がします。大宇宙に存在する多くの神々や仏様、あるいは悟りを得た優れた魂の方々、どうかお願いいたします。自分の周りの方の人生が光り輝きますように、幸せな人生が全うできますように、心がいつも平安で、愛に満ちた魂で満たされますように、そして自分が、少しでも誰かのお役に立てるような人生が全うできますように、どうかそのようにお導きください。
2016.05.17
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー不思議な力ー 私は、毎年長野県の分杭峠に行くのですが、ここは、パワースポットであり、神秘な場所としても有名な地です。画像は、私が気に入った波動の良い場所を撮影してきました。本当に素晴らしい場所です。実はこの画像からもかなりのエネルギー波動が出ている画像があります。鳥肌が立つほどのエネルギーが出ています。どの画像か分かりますでしょうか?
2016.03.07
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー功徳の力ー 真に運気を好転させる為には,自分だけの願望,即ち自分良ければそれで良しという考えでは,開くことは出来ません。他が為に,他の方の幸せを願うことを基盤において,言動行動して行かなければなりません。自分の為に,他を犠牲にしたり,利用するのは下策,自分の援助で他が良くなり,幸せな方向に導かれるなら,その功徳は自分に跳ね帰り,自然に運気が好転し始めるのです。『相手には良き物を,自分は残り物で良い』という考えは,一見お人好しの人生に見えることでしょう。ところが,眼には見えない功徳の力は,そこに働いている訳です。この人が幸せになる為には,どのようにアドバイスすれば良いのだろうか,例えばその人が職場からいなくなると困るとしても,その人が新たな新転地で幸せになるのであれば,祝福してあげる,そのような心境,見地で人に接して行かなければなりません。 今の時代は,大変不景気であり,誰もが財布の紐が固くなっています。しかし,大半の方は,結婚をし,家を建てて,優雅に暮らしたい,金持ちになりたい,趣味を生かしたい,地位や名誉を得たいという願望を持っています。そして物欲,名誉欲,情欲などの願望が達成出来れば幸せを掴むことが出来る思っていることでしょう。ところが真理の求める幸せは,それとは違います。確かにこの世の栄華をすべて否定している訳ではありませんが,本当の幸せは,この世の栄華の中にはありません。上手くいえませんが,崇高な精神,悟り,仏意,神意がどこに向いているのかということなのでしょう。険しい道程ではありますが,求めなければ更に苦しくなるということです。生老病死のごとく,人はこの世で永遠に幸せになれる訳ではありません。幸せは他にあるということです。その秘密を解く鍵が精神,心,魂の修行にある訳で,日々の精進が求められている訳です。
2012.11.12
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日の日記(仏意の険しさ)ー 仏意に従う事は、時として勇気がいります。それは、この世的な地位や名誉をも超越し、他が為に行じて行かなければならない時もあるからです。人は誰も他人様より優れたく、上に立ちたく、偉くなりたい気持ちを持っています。そのためには他人様に勝ち、自分1番であるということを周りに認めさせる実力が必要なのです。これすなわち他人様よりも我第一でなければなりません。ところが、み仏様の意思は、前述したこととは全く逆なのです。不思議な事に『他人良ければそれで良し』なのです。自分の力で全てを教え、他が成長し、皆が良くなり、それが万が一、自分の地位を退く結果となったとしても、逆転されたとしても、それで良いという教えなのです。これは、明らかに我が意思(考え)ではありません。仏意であります。自分の事は後回し、相手のことを思い良くなって欲しいという考え方、この我欲を超越した考え方、行動力こそが徳の本質(功徳を積むこと)であり、神仏の願いであると言う事に他なりません。
2011.11.03
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日の日記(不思議な夢2)ー このようなことを記事にするとパワーストーンのお店や愛好家から避難を浴びてしまうことでしょう。しかしながら、今回二度目に見た不意義な夢から感じたもの、それは、石の本質にあるのです。世間一般に言われているパワーストーンには、それぞれの意味と役目が記されています。そしてそれはそれで良いのだと思っていました。しかしながら、特に天然石などは、そうはいきません。何故なら石の本質そのものに問題があるからです。石の中には、プラスの念だけではなく、他人様の怒りや妬み、無念、恨みなどのマイナスの念も吸収してしまう恐い存在に変化していくものもあるのです。その為、浄化が必要になるのです。もし不幸を呼ぶ程に恐い石であるなら、専門家に依頼し、供養しなければならないものも実際あります。すなわち、悪霊や不浄仏霊が宿る石もあるのです。前回夢で見たものには、梵字や般若心経が刻まれた石でありました。しかし私は、それ以外にも何故かルチルの入った天然石をコレクションしています。ところがこのルチルこそ邪気を祓う浄化力があるのです。私は偶然にもそのような石らも好んでコレクションしていたのです。石はご利益信仰の道具ではありません。自分を成長させる為の道しるべであり、お守りなのです。勿論、石によっては金運を導くものもありますが、それは正当な使い方ではないのです。実は、日本の真言密教の開祖である弘法大師空海も石の本質を見抜き、愛用していました。聖なる石として代表的なものを幾つか記しますと水晶、翡翠、ラピス、ルチル、オニキス、オブディシアンなどがあげられます。前回、ご紹介した、夢の再来で見た石は、この浄化された石であったのです。 昨年と今年の2年に渡り、密教修行者や修験者の入る聖なる山、成就社に行って きました。それは、自分の持っている天然石を浄化させる為の聖水(修行者が心と 身を清める為に最初に使用する山の水のこと)を入手する為です。 昨年2010年2月後半の事,この山を訪れ聖水を入手しましたが、この時は、 お堂で不思議な体験を致しました。それは、般若心経を唱えているうちに合掌して いた手が自然に天へ向けて上がり、開花の形を示す印となったのです。正に成就を 示す不思議な体験でした。 近々(本年度中)、私がコレクションしていた天然石や中国仏像をオークション にて出品する予定です。今回、この聖地で頂いたご聖水を僅かの量ですが、オーク ションで落札された方にプレゼントしたいと思います。但し、このご聖水は飲み水 ではありません。浄化の為のご聖水です。 またご聖水は売り物ではありません。あくまでもおまけ(サービス)です。売り物 にすれば神仏への怒りを買う事になります(神仏の罰)ので、くれぐれも誤解のな いようにお願い致します。 ご聖水は、パワーストーンの浄化に最適です。極小量しかプレゼント出来ません が、サービス致します。楽しみにしていて下さい。
2011.09.13
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日の日記(不思議な夢)ー 数年前より夢で見た不思議な寺院から頂いた梵字のような文字が刻まれた光り輝く石に影響されて、パワーストーンに興味を持ち、今まで集めてきたパワーストーンを眺めていた。そしてそのまま深い眠りについてしまった。夢→ここはどこであろうか?誰かが般若心経を唱えている。その真ん中には、般若心経の文字が書かれた水晶玉が置いてあり、その前で黄色の服をまとっていた行僧が般若心経を唱えていた。般若心経の丸玉の周りにも一回り小さい丸玉が置かれていた。そしてその石にも梵字のような刻印がされていた。しばらくすると僧の眉間から一点の光が発せられ、それが中央のパワーストーンに向けられていた。そして一瞬のごとくそのパワーストーンらから炎が舞い上がった。僧はそれを見て涙を流して喜び、両手を高く持ち上げ,開花印を結んだ。そして我が誓願は成就したと叫んだ。その感動に包まれるがごとく目が覚めると自分自身の眼から涙があふれていた。なんとも不思議な夢である。私は般若心経の刻印された丸玉や梵字の丸玉をコレクションしている。数年前に見た夢では、それらの石は手に入ってはいなかった。今思えば不思議な事象なのだ。ただ石は浄化しなくてはならない。しかし私が見た夢は、パワーストーンに梵字や般若心経の文字が刻印されたものを選んでいるのである。即ち、そこに隠された何かがあるのかもしれない。 天然石|パワーストーン|水晶|水晶彫刻★水晶手彫り 八臂観音★価格:2,680,000円(税込、送料込)観音菩薩 銀製打ち出し仏 一点もの価格:3,360,000円(税込、送料込)般若経の護持を誓った十六の夜叉神大般若を転読する時にその掛軸 天台宗・真言宗・禅宗大般若...価格:1,379,700円(税込、送料込)1文字のサイズ、わずか0.9mm!彫銀が誇る超精密微細彫刻をご覧下さい!般若心経リング・K18金ゴ...価格:315,000円(税込、送料別)
2011.08.16
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~心願成就駅 ~ ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日の日記ー 静かに静かに音楽を聴きながらインスピレーションを待つ。今日の読書は、ありがとうという言葉の威力,感謝についてである。『ありがとう』という言葉を繰り返すことで、運気が好転し始めると言う。それも『有り難うございました』といった過去形では駄目である。『有り難うございます』といった進行形でなければならないのだそうだ。さらに呼吸法を取り入れて良い出来事や自己願望をイメージすると成功が早まるとも書いていた。大変興味深い本であるが、前向きで肯定的で期待感もあり悪くはないと思っていた。 ところがしばらくして脳裏に浮かぶ直感力,インスピーレーションは180度違っていたのである。明らかに自分の頭で考えたものではないのだ。なんということであろうか、これほどまでに解釈が違うようになるとは、誠不思議である。その内容がこうです。感謝とは、自己願望(例えば自分の為に利益が満たされたことなど)が成功してあり難いと思うものは含まれない。それは本当の感謝とはいわない。本当の感謝とは、自分が周りに必要とされている、そしてその為に生かされた仕事場がある、他が為に貢献出来る場を与えてもらっている、そのことに感謝しなければならない。それが本当の感謝行なのである。これ即ち徳行なのだ。徳行をつめる自分の環境がどれほど有り難いことか、それを忘れてはならない。肝に命じておくがよい。この心境を認識(体得)した者こそ、真に運気が好転し始めてくるのだ。これこそが運気を好転させていく為の基本中の基本概念である。『感謝は悟りを得る始め』以上がインスピレーションの内容です。 密教、徳行に関する書籍を購入(勉強)したい方、ここをチェック。 言葉に関する書籍を購入(勉強)したい方は、ここをチェック。
2011.06.28
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2011.06.28
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~心願成就駅 ~ ー今日の日記ー 前回は、言葉の調律について述べてみました。しかしあの内容には、自分の頭で考えて記事にしたものが半分と言っても過言ではありません。皆さんの中には、不思議がる方もおられると思いますが、記事の大半は、インスピレーション、すなわち直感やひらめきからきています。従って自分の考えで書いていたことが、まるで180度違った観点から書かれていることが多々ある訳です。まるで自分が勉強させられているような不思議な感覚なのです。最近ではまるで狂ったように読書を好んでいる自分ですが、これもまた不思議なことで何故これほどまでにまるで充電でもしているがごとく読書に時間を取っています。そんな中、ふと私が尊敬している偉人の中の諸葛亮孔明を思い出していました。孔明は、天才と言われ、ありとあらゆる学問の宝庫(賢者)と言われた人物でした。幼少の頃から学問を学び尽くしていたのです。その甲斐あって、実際世の中で必要とされる時期が訪れた時に、彼は、歴史に残る偉業を成し遂げて行きました。孔明が得意としていたもの、その1つには優れた直感力、判断力があったのです。しかし、何故、そのような力が備わっていたのでしょうか?、それは、幼少から築き上げていた学問の力なのです。即ち卓越した脳の活性化が促進されたいたわけです。孔明は、学問の学び(読書と実践)によって、世の中の為に貢献して行く自分作りが必要であることを重視していました。 ********************************* ~学びの原点は、ここにあり~ 【はじめに】『人は貧しくとも志し高く生きよ』これは、今から約1800年前の西暦221年頃(日本は大和時代)、中国の三国(魏・呉・蜀)の時代の蜀という国の劉備玄徳に仕えていた大軍師(政治家)であった諸葛亮孔明の残した言葉です。劉備玄徳と言えば、皆さんご存知の人徳を重んじる君主でした。孔明は、この劉備玄徳の志を最期まで継ぎ、生活は、質素なもので、地位があっても贅沢は好まず、民の為の政治、理想国家の為、全力を注ぎ尽くしたと言われています。その生涯は、享年54歳と若死にですが、その偉業は、今も語り継がれています。孔明は、学びの原点として【誡子書(かいししょ) また 戒子書】を残しています。今回、この孔明が残した戒子書をここに紹介したいと思います。 【戒子書】諸葛亮孔明 優れた人は、静かに身を修め徳を養う。 無欲でなければ志は立たず 穏やかでなければ道は遠い。 学問は静から、才能は学から生まれる。 学ぶ事で才能は開花する。 志し無ければ、学問の完成はない。 貧しくとも学問によって身を立て、世のため人の為に尽くす。 ~偉人から学ぶと言う意味~ 偉人伝記から学ぶという意味には、色々な解釈があるように思われる。また人それぞれ取り方も違う事は、言うまでもない。諸葛亮孔明が語った英知(=叡智)を養うという意味、これ即ち身につけるということである。多くの偉人達から学び取った英知を生かすためには、自分の色々な極面に対し、その知恵を使い熟さなければならない。あの人物であれば、どのように考え行動したであろうか、他の人物であればどうであっただろうか、このように自分の様々な極面に対して、他の卓越した多くの知恵を学び取り、実践へと繋げていく。ここまで出来て始めて英知を養ったと言うことになるのである。 えいち【英知/叡智】 1)すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。 2)哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。 言葉に関する書籍を購入(勉強)したい方は、ここをチェック。
2011.06.19
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ~今日の日記~ 自分を大切に出来ない人は、他人を大切にすることは出来ない。 自分を肯定出来ない人は、他人を認めることができない。 自分を幸せにすることが出来ない人に他人を幸せにすることは出来ない。 自分を愛せない人に他人を愛すること等出来ない。 自分を助けることが出来ない人に他人を助けることは出来ない。 自分を救う理とは、自分自身に他ならない。 自分の外に救いを求め、神仏に助けを求めるは他力本願である。 自分の内を静かに見つめ、自分の内にある仏性を磨くこと、これ修行なり。 成功を収める為の第一は、言葉の調律であり、それこそが基本である。 言葉は、いかなる時においても常に肯定したものを発しなければならない。 もしも自己否定したならば、その5倍の言霊を持って前向きの肯定した言葉を 発しなければならない。 たとえその時、不利なことがあっても逆にあえて肯定した言葉を発する鍛錬が 必要である。マイナス的言葉はすべて抹消せよ。たとえその場が苦難の時でも また成功せず失敗に終わったとしても、それは成功する為の試練である。 幸福の原理の第一は、この言葉の調律なり。 ならば、肯定した前向きな幸せな言葉を発していく習慣を身につけることである。 この真理を第一に捉え、修行していくことが、真理大願の入り口である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 言葉の能力は、実は、私たちが考えている単なる五感(特に聴覚)の一つではありません。この言葉には、隠された秘密があるのです。この言葉を肯定して行く習慣を身につけて行くと、運気が好転して行くという法則があります。皆さんの中にはご存知の方もおられると存じます。マーフィーの法則です。言葉は、潜在意識に入力されていく非常に大切な入力情報なのです。空海阿闍梨が何故に真言を重視するのか?実はこの法則に基ずいています。とりあえず密教の話は、さておき、今回テーマとしたこの言葉の調律こそが運気を好転回させていく為の基本中の基本なのです。 ~インスピレーション~ いかなる時もいかなる場合も言葉は肯定的、前向きに発せよ。もしマイナス的言動(愚痴や不満、劣等感、不運、ついていないなどのマイナス的言動、他人の批判や悪口など)を発したならばその5倍以上の数で前向きな言葉や他人を褒める言葉、幸せにする言葉を発せよ。自己を否定する言葉はすべて抹殺せよ。今日は運が悪かったのではなく、この程度のことで済み幸運であったと前向きに捉えよ。例えば病気になったならば、むしろ自分を見つめる時間が出来、ありがたいと感謝せよ。このようにすべての事象をプラスに捉えてことにあたる実力を身に付けよ。さすれば、開運していく道は近くなるのだ。地道にかつ確実に進んで行けば必ずや道は開かれるであろう。 ~速読の実力を身に付けよ~ (一冊の書籍からなにが重要かを短時間で理解する能力) 読書は、頭の回転が良くなり、思考能力を高めます。また集中力や精神的安定感 を得易いのでお勧めです。 言葉に関する書籍を購入(勉強)したい方は、ここをチェック。
2011.06.13
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~言葉に関する書籍一覧~ 1)【送料無料】言葉と声の磨き方 2)【送料無料】いい言葉は、いい人生をつくる 3)【送料無料】心にズドン!と響く「運命」の言葉 4)【送料無料】続・いい言葉は、いい人生をつくる 5)【送料無料】子どもが育つ魔法の言葉for mother and father 6)【送料無料】本当のあなたに出会える天使の言葉 7)【送料無料】ほめ言葉ハンドブック 8)【送料無料】しあわせ脳にスイッチを入れる魔法の言葉51 9)【送料無料】人生に必要な100の言葉 10)【送料無料】2週間で一生が変わる魔法の言葉 11)【送料無料】愛されてお金持ちになる魔法の言葉 12)【送料無料】こころに響く言葉 13)【送料無料】思いが実現する船井幸雄の60の言葉 14)【送料無料】心を浄化する魔法の言葉 15)【送料無料】空海人生の言葉 16)【送料無料】瞑想と祈りの言葉 17)【送料無料】心が強くなる言葉 18)【送料無料】いま人に聞かせたい神さまの言葉 19)【送料無料】人生を変える言葉「ありがとう」 20)【送料無料】オ-ラが輝く魔法の言葉 21)【送料無料】人生が開ける禅の言葉 22)【送料無料】願いを叶える!3秒の言葉がけ 23)【送料無料】心を動かす言葉の法則(no.2) 24)【送料無料】どんなときもくじけない27の言葉 25)【送料無料】天照大神の御言葉 26)【送料無料】あなたが夢をかなえる言葉 27)【送料無料選択可!】超訳 ブッダの言葉 (単行本・ムック) / 小池龍之介/監訳 28)【送料無料】ほめ言葉の法則 29)【送料無料】「思い」と「言葉」と「身体」は密接につながっている 30)【送料無料】自分のカラを破る力が湧く言葉 31)【送料無料】願いを叶える「言葉」365日 32)【送料無料】一瞬で運をつかむ魔法の言葉
2011.06.12
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日の日記ー 無意識に欲するもの、まるで自分が自分であって自分でない心境、何者かに導かれるがごとく、支援されるがごとく、次から次へとハイスピードで展開していく時間、誠に不思議な体験である。出来る。必ず出来る。ようやく苦難の時間を乗り越え、自分の運気が好転回してきた。時間がない、されど急げばまだ間に合う。よし、やるぞ、必ず勝つ。今置かれている自分の状況はどうも充電時間のようだ。まるで狂ったように読みあさる読書と次から次へと送られてくる強烈なイメージ(瞬間的に強烈に頭の中でひらめく文字や画像)のメモ。おそらくは、この先でこのブログの中で示されてくる内容のものではないだろうか?いずれにせよ、医学の道を本業としている私にとって残りの人生に全勢力を注がなければならないものがなにか、少しずつ見え始めてきたようである。 読者様へのお願いであるが、この先でご紹介する物の中には、決して転写による販売行為をなさらないようにお願いしたいものもあります。それは読経中に両手が勝手に動き、その手が急に真上に上がり開花の形をした印を無意識下で結んでいる時に浮かぶ不思議な紋章などもメモしてあるのです。悪用などすれば神仏の罰が当たる可能性もあるわけで、何卒、その点は、留意しておいて下さい。(その時は転写一切禁止と示します。)
2011.05.26
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ー今日感じた事ー 皆さんの中には、オカルト宗教という言葉を聞いた事がある方もおられると思います。すなわち、救いという心のよりどころを利用して、宗教という理念を基に真実がねじ曲げられてしまい、多くの人を間違った方向に導いてしまうのです。そして、その実体に気がついた時、信じていた者は、深く傷つき、戸惑い,絶望し、その自分の運命さえ呪う者もでてくることでしょう。あるいは、それが間違いだと信じたくないがゆえに、そこにしがみつき、その教えを肯定し、更に深みへと入ってしまう方もいるかも知れません。でも、はっきり言える事は1つであります。それは、本物という意味は、言い替えると『真実』という意味なのです。真実,これ即ち、ありのままの事象であり、その人の体験です。そこには、ウソや偽りはない訳です。どんなに文字や理念を並べてみても実体験しなければ、信じきる事等出来ないでしょう。ましてや他人様に説得などできるはずもありません。 現代は、確かに日進月歩のごとく科学や医療が進歩してきています。しかし、まだまだ解明出来ていない事がたくさんある事も事実です。『普遍の真理は存在している。』なぜこのことが現代においても語り継がれているのでしょうか? それは、古来より、遥か昔より、多くの苦難の時代に命がけで生き抜き、その教えを守りぬき、実際の体験を通して、語り継いできた人々のおかげなのです。いわば先覚者達の遺産なのです。根本宗教である仏教やキリスト教は、単なる過去の歴史の化石ではありません。そこに本物の光が射しているようにも思えるのです。ただ誤解して欲しくはないのですが、新しい宗教を否定している訳ではありません。ただ歴史の遺産(教え)は過去のもので、現代においては時代遅れのものであるという概念は、間違っていると思うのです。
2011.03.08
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ~徳島県(発心の道場)~ バーチャル ウオーキングによる構築状況 1番ー2番ーーー3番ーーーーーー4番ーーー5番ーーーーー6番ー7番 ーーーー8番ーーー9番ーーーー10番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーー12番ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー13番ー ーー14番ー15番ーー16番ーーーー17番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーー18番ーーーーー19番ーーーーーーーーーーーーーーーー20番ーーーー ーーー21番ーーーーーーーーーーーーー22番ーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーー23番 (ー は、約1km) 7/4~7/7、歩数状況(21000歩)達成。 *ブログ内での参拝場所は、赤は構築中。青は完成です。私の場合で恐縮ですが、私は常日頃、だいたい7000歩/一日、歩きますので、それを下記の各札所に記す歩数に照合し、その札所に到達した次点で、その番号の札所をブログ内で構築して行きます。各番号の札所が、それぞれ青字となり完成すれば,その札所の参拝がブログ内で出来るようにしていきます。その時は、上の番号をクリックすれば、そのブログの所へ移動出来るようにリンクもしておきます。 出発地点 第1番、霊山寺(りょうぜんじ) 1.1km(♂1700歩、♀1850歩) 第2番、極楽寺(ごくらくじ) 3.8km(♂5890歩、♀6380歩) 第3番、金泉寺(こんせんじ) 10.2km(♂15810歩、♀17130歩)第4番、大日寺(だいにちじ) 12.7km(♂19680歩、♀21330歩) 第5番、地蔵寺(じぞうじ) 17.7km(♂27430歩、♀29730歩) 第6番、安楽寺(あんらくじ) 18.8km(♂29140歩、♀31580歩) 第7番、十楽寺(じゅうらくじ) 22.6km(♂35030歩、♀37970歩) 第8番、熊谷寺(くまだにじ) 25.3km(♂39210歩、♀42500歩) 第9番、法輪寺(ほうりんじ) 29.6km(♂45880歩、♀49730歩) 第10番、切幡寺(きりはたじ) 41.6km(♂64480歩、♀69890歩)第11番、藤井寺(ふじいでら) 81.9km(♂126940歩、♀137590歩)第12番、焼山寺(しょうざんじ) 109.9km(♂170340歩、♀184630歩)第13番、大日寺(だいにちじ) 113.2km(♂175460歩、♀190170歩) 第14番、常楽寺(じょうらくじ) 113.9km(♂176540歩、♀191350歩) 第15番、国分寺(こくぶんじ) 116.1km(♂179950歩、♀195050歩) 第16番、観音寺(かんおんじ) 119.9km(♂185840歩、♀201430歩) 第17番、井戸寺(いどじ) 137.3km(♂212810歩、♀230660歩)第18番、恩山寺(おんざんじ) 141.9km(♂219940歩、♀238390歩) 第19番、立江寺(たつえじ) 157.4km(♂243970歩、♀264430歩) 第20番、鶴林寺(かくりんじ) 163.9km(♂254040歩、♀275350歩) 第21番、太龍寺(たいりゅうじ) 176.6km(♂273730歩、♀296690歩) 第22番、平等寺(びょうどうじ) 199.1km(♂308600歩、♀334490歩) 第23番、薬王寺(やくおうじ) *尚,上記歩数は,我が国の男性、女性それぞれの平均身長から歩数と距離を 割り出したものである。
2010.07.08
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) 弘法大師 空海 ~四国八十八ヶ所の参拝の心得~ 十善戒 (じゅうぜんかい) 1)不殺生(ふせっしょう)殺生しない。 2)不偸盗(ふちゅうとう)盗まない。 3)不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない。 4)不妄語(ふもうご)嘘をつかない。 5)不綺語(ふきご)不必要に飾った言葉を使わない。 6)不悪口(ふあっく)悪口を言わない。 7)不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない。 8)不慳貪(ふけんどん)欲張らない。 9)不瞋恚(ふしんに)怒らない。 10)不邪見(ふじゃけん)よくない考えを起こさない。 ~四国八十八ヶ所の参拝方法~ 参拝の順序(PC内) 1)手と口を水で洗いすすぎます。 2)合掌礼拝、山門の画像に向かって一礼をします。 3)本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 4)続いて大師堂でも同じように読経します。 *完了後、納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ)を喝采します。 5)合掌礼拝(1~5通過すれば、構築完了) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 奈良時代、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が建てたお寺です。その後、 弘法大師(空海阿闍梨)が四国をまわられた時、黄金の泉が湧き出たと ころから、金の泉の寺、金泉寺と名づけられた。 【1】手と口を水で洗いすすぎます(重要)。 【2】合掌礼拝、仁王門の画像に向かって一礼をします。 (金泉寺の仁王門) 【3】本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (金泉寺の本堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)開経渇(かいぎょうげ) これは「仏様の教えに今ここで会うことができました」という意味。 無 上 甚 深 微 妙 法(むー じょー じん じん みー みょう ほう) 百 千 万 劫 難 遭 遇(ひゃく せん まん ごう なん そう ぐう) 我 今 見 聞 得 受 持(がー こん けん もん とく じゅー じー) 願 解 如 来 真 実 義(がん げー にょー らい しん じつ ぎー) 3)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 4)釈迦如来の真言を三返唱える。ノウマク サマンダ ポダナン バク 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん 【4】大師堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (金泉寺の大師堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 3)光明真言(三返) オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 4)南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう、三返) 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー *金泉寺の納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ) ~信仰障害の恐さについて~ ご利益を求めて、神仏に頼る願望の代表的なものとしては、商売繁盛、合格祈願、良縁願望などが挙げられます。ところが多くの人は、その時に与えてもらった恩は、忘れてしまい、又更なる欲望を抱き、その願いが叶わなければ,まるで手の平を返すがごとく、他人のせいにしたり、最悪の場合、今まで願をかけていた神仏に対してさえ、敬意を表する事を忘れ、また成功を願っては他の所へ願をかけに行くといった風見鳥信仰(自分に対して都合のよい信仰)を平気で行ってしまう方もいます。しかし、運気を好転させる為には,実は徳積みをしなければならない訳で、何の努力もせず、己のご利益のみを願う信心は、仮にその願いが叶ったとしても、結局、霊的には徳を減らし、マイナスにしていくことで、更には借金を重ねる結果となるのです。勿論、その負債は自分が追わなければならなくなります。そして最も厄介なのは、神仏に願をかけておいて、用が済めば乗換える、しかも感謝の気持ちがそこになければ、大変な報いを受ける可能性が大であります。それは、例えば、正しい信仰に目覚め、その道に精進しようとしても、それまでの経緯で、神仏に対して蔑(ないがし)ろにしたことが尾を引き、邪魔(神仏の障り)が入ってしまい,運気が好転しなくなるのです。これを『信仰障害』と言います。 仏法においても、心の法則に従い徳を積む理念とは、『他の方に与えてもらった恩は、いつまでも忘れず感謝の心を持ち、逆に他の方の為にしてあげたことは、さらっと流して忘れてしまう事』これ即ち、『無欲で他が為に行じていく』これが真に徳を積む方法であると説かれているのです。 徳の本質とは何か
2010.07.07
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(金泉寺の本堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (金泉寺の大師堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 般若心経 (はんにゃしんきょう)の読み方。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経(ぶっ せつ ま か はん にゃ は ら み た しん ぎょう) 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空(かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ しょう けん ご うん かい くう) 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空(ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう) 空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相(くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう) 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中(ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こく う ちゅう) 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法(む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう) 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽(む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん) 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ) 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想(しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう) 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ) 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多(とく あ の く た ら さん みゃく さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た) 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪(ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう しゅ) 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ) 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦(そく せつ しゅ わっ ぎゃ てい ぎゃ てい は ら ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい) 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経(ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう)
2010.07.07
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) 弘法大師 空海 ~四国八十八ヶ所の参拝の心得~ 十善戒 (じゅうぜんかい) 1)不殺生(ふせっしょう)殺生しない。 2)不偸盗(ふちゅうとう)盗まない。 3)不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない。 4)不妄語(ふもうご)嘘をつかない。 5)不綺語(ふきご)不必要に飾った言葉を使わない。 6)不悪口(ふあっく)悪口を言わない。 7)不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない。 8)不慳貪(ふけんどん)欲張らない。 9)不瞋恚(ふしんに)怒らない。 10)不邪見(ふじゃけん)よくない考えを起こさない。 ~四国八十八ヶ所の参拝方法~ 参拝の順序(PC内) 1)手と口を水で洗いすすぎます。 2)合掌礼拝、山門の画像に向かって一礼をします。 3)本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 4)続いて大師堂でも同じように読経します。 *完了後、納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ)を喝采します。 5)合掌礼拝(1~5通過すれば、構築完了) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 弘法大師が四国巡錫の途中、こちらで21日間、阿弥陀経を唱えて修業された ところ、満願の日に阿弥陀如来があらわれたので、ご本尊として阿弥陀様が 刻まれました。そのお顔は穏やかで、慈悲の光はさんさんと輝き、海辺にま で及びました。その為、漁師は、そのまぶしさに仕事ができませんでした。 そこで光を遮るため本尊の前に小さな丘を築いたところから、山号を日照山 と呼ぶようになったそうです。 【1】手と口を水で洗いすすぎます(重要)。 【2】合掌礼拝、山門の画像に向かって一礼をします。 (極楽寺の山門) 【3】本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (極楽寺の本堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)開経渇(かいぎょうげ) これは「仏様の教えに今ここで会うことができました」という意味。 無 上 甚 深 微 妙 法(むー じょー じん じん みー みょう ほう) 百 千 万 劫 難 遭 遇(ひゃく せん まん ごう なん そう ぐう) 我 今 見 聞 得 受 持(がー こん けん もん とく じゅー じー) 願 解 如 来 真 実 義(がん げー にょー らい しん じつ ぎー) 3)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 4)阿弥陀如来の真言を三返唱える。オン アミリタ テイセイ カラ ウン 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん 【4】大師堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (極楽寺の大師堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 3)光明真言(三返) オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 4)南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう、三返) 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー *極楽寺の納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ) ~ご法話(ご利益信仰の意味)~ 世間では普通,神社仏閣にお参りすると神仏に自分の願いが叶うようにお願いするのが一般的であり、ご利益を祈る事が信仰だと思われているようです。しかし、それは結局、自分の欲望を満たす事が目的であり、その為に神仏の力を使って願おうとするご利益信仰そのものなのです。本来,信仰とは,神仏に仕えて心を高め,悪因縁を断ち切り、多くの人々を真の幸福に導いていくものでなければなりません。お釈迦様は、『大乗の為にし、二乗の為になすなかれ』と説いていますが、これは即ち、我が身のご利益的考え(=二乗)を超越し、他を利する心となる(=徳の本質を知り、徳積みを地道に重ねていく)事が大切である。それは,やがて大きな功徳となって我が身に現れ、偉大な救いの力に浴して行く事が出来、自らが救われていくという道理を明かしています。 徳の本質とは何か
2010.07.05
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(極楽寺の本堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (極楽寺の大師堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 般若心経 (はんにゃしんきょう)の読み方。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経(ぶっ せつ ま か はん にゃ は ら み た しん ぎょう) 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空(かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ しょう けん ご うん かい くう) 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空(ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう) 空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相(くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう) 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中(ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こく う ちゅう) 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法(む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう) 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽(む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん) 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ) 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想(しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう) 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ) 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多(とく あ の く た ら さん みゃく さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た) 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪(ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう しゅ) 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ) 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦(そく せつ しゅ わっ ぎゃ てい ぎゃ てい は ら ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい) 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経(ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう)
2010.07.05
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ~徳島県(発心の道場)~ バーチャル ウオーキングによる構築状況 1番ー2番ーーー3番ーーーーーー4番ーーー5番ーーーーー6番ー7番 ーーーー8番ーーー9番ーーーー10番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーー12番ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー13番ー ーー14番ー15番ーー16番ーーーー17番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーー18番ーーーーー19番ーーーーーーーーーーーーーーーー20番ーーーー ーーー21番ーーーーーーーーーーーーー22番ーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーー23番 (ー は、約1km) 7/4、歩数状況(7000歩)達成。 *ブログ内での参拝場所は、赤は構築中。青は完成です。私の場合で恐縮ですが、私は常日頃、だいたい7000歩/一日、歩きますので、それを下記の各札所に記す歩数に照合し、その札所に到達した次点で、その番号の札所をブログ内で構築して行きます。各番号の札所が、それぞれ青字となり完成すれば,その札所の参拝がブログ内で出来るようにしていきます。その時は、上の番号をクリックすれば、そのブログの所へ移動出来るようにリンクもしておきます。 出発地点 第1番、霊山寺(りょうぜんじ) 1.1km(♂1700歩、♀1850歩) 第2番、極楽寺(ごくらくじ) 3.8km(♂5890歩、♀6380歩) 第3番、金泉寺(こんせんじ) 10.2km(♂15810歩、♀17130歩)第4番、大日寺(だいにちじ) 12.7km(♂19680歩、♀21330歩) 第5番、地蔵寺(じぞうじ) 17.7km(♂27430歩、♀29730歩) 第6番、安楽寺(あんらくじ) 18.8km(♂29140歩、♀31580歩) 第7番、十楽寺(じゅうらくじ) 22.6km(♂35030歩、♀37970歩) 第8番、熊谷寺(くまだにじ) 25.3km(♂39210歩、♀42500歩) 第9番、法輪寺(ほうりんじ) 29.6km(♂45880歩、♀49730歩) 第10番、切幡寺(きりはたじ) 41.6km(♂64480歩、♀69890歩)第11番、藤井寺(ふじいでら) 81.9km(♂126940歩、♀137590歩)第12番、焼山寺(しょうざんじ) 109.9km(♂170340歩、♀184630歩)第13番、大日寺(だいにちじ) 113.2km(♂175460歩、♀190170歩) 第14番、常楽寺(じょうらくじ) 113.9km(♂176540歩、♀191350歩) 第15番、国分寺(こくぶんじ) 116.1km(♂179950歩、♀195050歩) 第16番、観音寺(かんおんじ) 119.9km(♂185840歩、♀201430歩) 第17番、井戸寺(いどじ) 137.3km(♂212810歩、♀230660歩)第18番、恩山寺(おんざんじ) 141.9km(♂219940歩、♀238390歩) 第19番、立江寺(たつえじ) 157.4km(♂243970歩、♀264430歩) 第20番、鶴林寺(かくりんじ) 163.9km(♂254040歩、♀275350歩) 第21番、太龍寺(たいりゅうじ) 176.6km(♂273730歩、♀296690歩) 第22番、平等寺(びょうどうじ) 199.1km(♂308600歩、♀334490歩) 第23番、薬王寺(やくおうじ) *尚,上記歩数は,我が国の男性、女性それぞれの平均身長から歩数と距離を 割り出したものである。
2010.07.05
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 霊山寺境内(1番札所) ~四国八十八ヶ所の参拝の心得~ 十善戒 (じゅうぜんかい) 1)不殺生(ふせっしょう)殺生しない。 2)不偸盗(ふちゅうとう)盗まない。 3)不邪淫(ふじゃいん)邪淫しない。 4)不妄語(ふもうご)嘘をつかない。 5)不綺語(ふきご)不必要に飾った言葉を使わない。 6)不悪口(ふあっく)悪口を言わない。 7)不両舌(ふりょうぜつ)二枚舌を使わない。 8)不慳貪(ふけんどん)欲張らない。 9)不瞋恚(ふしんに)怒らない。 10)不邪見(ふじゃけん)よくない考えを起こさない。 ~四国八十八ヶ所の参拝方法~ 参拝の順序(PC内) 1)手と口を水で洗いすすぎます。 2)合掌礼拝、山門の画像に向かって一礼をします。 3)本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 4)続いて大師堂でも同じように読経します。 *完了後、納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ)を喝采します。 5)合掌礼拝(1~5通過すれば、構築完了) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 弘法大師が四国巡錫の時、この霊山寺で21日間修業された際、天人が現れ、 「人々を救うため88ヶ所を開かんと願うならば、ここを第一番と定むべし」と いうお告げを受けました。そこで、釈迦如来を刻み、天竺(インドの霊山) を日本に移すというところから竺和山霊山寺と号し、四国第一番の札所とさ れました。 【1】手と口を水で洗いすすぎます(重要)。 【2】合掌礼拝、山門の画像に向かって一礼をします。 (霊山寺の山門) 【3】本堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (霊山寺の本堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)開経渇(かいぎょうげ) これは「仏様の教えに今ここで会うことができました」という意味。 無 上 甚 深 微 妙 法(むー じょー じん じん みー みょう ほう) 百 千 万 劫 難 遭 遇(ひゃく せん まん ごう なん そう ぐう) 我 今 見 聞 得 受 持(がー こん けん もん とく じゅー じー) 願 解 如 来 真 実 義(がん げー にょー らい しん じつ ぎー) 3)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 4)釈迦如来の真言を三返唱える。ノウマク サマンダ ポダナン バク 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん 【4】大師堂の画像に向かって、合掌し、読経を始めます。 (霊山寺の大師堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)般若心経(一返)読経は、ここをクリック して下さい。 3)光明真言(三返) オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 4)南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう、三返) 5)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普( あまね) く一切 (いっさい) に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道 (ぶつどう) を成 (じょう) ぜん ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー *霊山寺の納経及び朱印とその札所の御影札(おみえふだ) ~誓願(祈り)~ 本日只今より,私のブログ内にて、空海阿闍梨様が創設した四国八十八ヶ所を土台として、魂の道場を築いてまいりたいと思います。それもバーチャルウォーキングを用いて、四国八十八ヵ所に要する実際の歩行距離(歩数)を、常日頃の散歩の距離(歩数)で歩きぬき,各札所に到達する度に、順打ち方式(札所を番号順に)で開設して行きたいと思います。 空海阿闍梨様、どうかこの私の誓願(目的)を無事に貫遂(=つらぬく)できますよう、お導き下さい。宜しくお願い致します。 合掌礼拝。
2010.07.03
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(霊山寺の本堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (霊山寺の大師堂の画像を見ながら読経) 合掌。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 前のページに戻る。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 般若心経 (はんにゃしんきょう)の読み方。 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経(ぶっ せつ ま か はん にゃ は ら み た しん ぎょう) 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空(かん じ ざい ぼ さつ ぎょう じん はん にゃ は ら みっ た じ しょう けん ご うん かい くう) 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空(ど いっ さい く やく しゃ り し しき ふ い くう くう ふ い しき しき そく ぜ くう) 空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相(くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ しゃ り し ぜ しょ ほう くう そう) 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中(ふ しょう ふ めつ ふ く ふ じょう ふ ぞう ふ げん ぜ こく う ちゅう) 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法(む しき む じゅ そう ぎょう しき む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう) 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽(む げん かい ない し む い しき かい む む みょう やく む む みょう じん) 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ) 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想(しん む けい げ む けい げ こ む う く ふ おん り いっ さい てん どう む そう) 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故(くう ぎょう ね はん さん ぜ しょ ぶつ え はん にゃ は ら みっ た こ) 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多(とく あ の く た ら さん みゃく さん ぼ だい こ ち はん にゃ は ら みっ た) 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪(ぜ だい じん しゅ ぜ だい みょう しゅ ぜ む じょう しゅ ぜ む とう どう しゅ) 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪(のう じょ いっ さい く しん じつ ふ こ こ せつ はん にゃ は ら みっ た しゅ) 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦(そく せつ しゅ わっ ぎゃ てい ぎゃ てい は ら ぎゃ てい は ら そう ぎゃ てい) 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経(ぼ じ そ わ か はん にゃ しん ぎょう)
2010.07.03
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 ~弘法大師、空海阿闍梨の修行の旅~ 真理は、言葉で表すことができない。 論理ではない。文字で学ぶものでもない。 修行の秘密は、いや解く鍵はそこにある。 論理でもなく、文字でもない、ありのままに感じる何かである。 言葉では言い表すことができない。自分の中にある内面である。 それは、他人ではない、外に求めるものでもない。 内なる自分自身、奥の深い自分の内面に求めていくものである。 (弘法大師、空海) ----------------------------------------------------------------------------------------------------------- ~徳島県(発心の道場)~ バーチャル ウオーキングによる構築状況 1番ー2番ーーー3番ーーーーーー4番ーーー5番ーーーーー6番ー7番 ーーーー8番ーーー9番ーーーー10番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーー12番ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー13番ー ーー14番ー15番ーー16番ーーーー17番ーーーーーーーーーーーーーーーー ーー18番ーーーーー19番ーーーーーーーーーーーーーーーー20番ーーーー ーーー21番ーーーーーーーーーーーーー22番ーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーー23番 (ー は、約1km) *ブログ内での参拝場所は、赤は構築中。青は完成です。私の場合で恐縮ですが、私は常日頃、だいたい7000歩/一日、歩きますので、それを下記の各札所に記す歩数に照合し、その札所に到達した次点で、その番号の札所をブログ内で構築して行きます。各番号の札所が、それぞれ青字となり完成すれば,その札所の参拝がブログ内で出来るようにしていきます。その時は、上の番号をクリックすれば、そのブログの所へ移動出来るようにリンクもしておきます。 出発地点 第1番、霊山寺(りょうぜんじ) 1.1km(♂1700歩、♀1850歩) 第2番、極楽寺(ごくらくじ) 3.8km(♂5890歩、♀6380歩) 第3番、金泉寺(こんせんじ) 10.2km(♂15810歩、♀17130歩)第4番、大日寺(だいにちじ) 12.7km(♂19680歩、♀21330歩) 第5番、地蔵寺(じぞうじ) 17.7km(♂27430歩、♀29730歩) 第6番、安楽寺(あんらくじ) 18.8km(♂29140歩、♀31580歩) 第7番、十楽寺(じゅうらくじ) 22.6km(♂35030歩、♀37970歩) 第8番、熊谷寺(くまだにじ) 25.3km(♂39210歩、♀42500歩) 第9番、法輪寺(ほうりんじ) 29.6km(♂45880歩、♀49730歩) 第10番、切幡寺(きりはたじ) 41.6km(♂64480歩、♀69890歩)第11番、藤井寺(ふじいでら) 81.9km(♂126940歩、♀137590歩)第12番、焼山寺(しょうざんじ) 109.9km(♂170340歩、♀184630歩)第13番、大日寺(だいにちじ) 113.2km(♂175460歩、♀190170歩) 第14番、常楽寺(じょうらくじ) 113.9km(♂176540歩、♀191350歩) 第15番、国分寺(こくぶんじ) 116.1km(♂179950歩、♀195050歩) 第16番、観音寺(かんおんじ) 119.9km(♂185840歩、♀201430歩) 第17番、井戸寺(いどじ) 137.3km(♂212810歩、♀230660歩)第18番、恩山寺(おんざんじ) 141.9km(♂219940歩、♀238390歩) 第19番、立江寺(たつえじ) 157.4km(♂243970歩、♀264430歩) 第20番、鶴林寺(かくりんじ) 163.9km(♂254040歩、♀275350歩) 第21番、太龍寺(たいりゅうじ) 176.6km(♂273730歩、♀296690歩) 第22番、平等寺(びょうどうじ) 199.1km(♂308600歩、♀334490歩) 第23番、薬王寺(やくおうじ) *尚,上記歩数は,我が国の男性、女性それぞれの平均身長から歩数と距離を 割り出したものである。
2010.06.29
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 高野山(奥の院) ~森羅万象の法則を体感した修業時代の空海~ (天地宇宙の秘密を悟った空海) 【富士山修行中の富士山噴火の出来事】 若き日の空海(真魚=まお)は、富士山にて山岳修行中、山がはじける(富士山の噴火)出来事に遭遇します。その光景を見て『大地は生きている、大地も人も生きている(地球そのものが生きている)』事を悟るのです。 【遣唐使船の嵐の出来事】 空海と名を改め僧侶となった真魚は、その後、遣唐使船を志願し、唐の都へ密教を学び取る旅に出ます。その航海中に激しい嵐に遭います。この時、船の中での空海阿闍梨が、どうであったのか、記録は定かではありませんが、おそらく空海は泰然自若としていたであろうと言われています。それは、空海には山林修行で鍛えた自然の猛威や飢餓状態に耐える強靭な体力と精神力が既に培われていた為で、嵐の最中でも求聞持法を厳修し、不順に転じた宇宙の「五大」(=宇宙(あらゆる世界)を構成しているとする地・水・火・風・空の五つの要素)を順調に向わせ、風を鎮め波を治める為に虚空蔵菩薩に祈ったのではないかと考えられています。 『そんな事で天が動いてくれるものか、この風も、この波も、 この雨も一体なんだと思う? 天の息だ。天の激しい息使いだ。 胸の鼓動だ。涙だ。この大宇宙は生きている、風も,雨も,波も、 その生きている証だ。この風を納めようと思うな、己が風になれ、 この雨を止めようと思うな,己が雨になれ』 『この天地宇宙が生きている力と、この体に生きる力とは同じなのだ。 さあ、生きる力を呼び起こし、生きる力に触れるのだ。 心の中に風を呼び起こし、光を放て』(弘法大師空海) 光明真言 『おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや うん』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~遠くも近くもないご霊界の法則~ 私の親族に当たる方に、日本神道系の信仰をされていた方がおりました。神通霊能力を持っていた方でありました。私の叔母に当たる方でしたが、その叔母がよく言われていた事を最近、思い出したので、ここにご紹介したいと思います。実は、ご霊界の祈りは、その場に祀(まつ)られている神仏の前でなければ、届かない訳ではないのです。つまり『遠くも近くもない、距離は関係ありません』叔母がよく言われていたのですが、たとえ遠くの出張先でも、祀られている場所の方向に向かって合掌し、祈りを深めれば、その意は、神仏に通じているというのです。勿論、尊いのは、その場所に行き、参拝する事が最良でありましょう。しかし、現代人の大半は、ハードな仕事に追われ、時間的にも制約され、精神的ストレスを抱えたまま、自分自信を見つめ直すゆとりさえなくなっています。そして大切な事を忘れてしまっている方が増えて来ているように思われるのです。 そこで今回,私は、この『遠くも近くもないご霊界の法則』にのっとり、このブログ内において、誰もが参拝できる四国八十八ヵ所をモデルにした魂の修行道場を開設してみようと思います。そのようなことをしても無駄なことかも知れませんが、頭で考えるのではなく、理論を述べるのでもない。やってみなければわからない。まずは行動です。それが万が一駄目元であったとしても、それはそれでよいのです。『我事に当たりて後悔せず』。 方法は,至って簡単です。バーチャル歩行と同じです。八十八ヵ所の各札所の歩数を提示します。そして常日頃、歩いている散歩の歩数からその距離に到達したら、ブログ内に喝采しているその札所の本堂と太子堂に向かって読経し、それを繰り返していく訳です。即ち、PCの映像内で各札所を仮に歩き、参拝する方法です。(目的は,心身ともに鍛えて行くということ)用意するものは,万歩計です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 一般的な読経方法(本堂と大師堂) 1)合掌礼拝、合掌、三礼 「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」。 2)開経渇(かいぎょうげ) これは「仏様の教えに今ここで会うことができました」という意味。 無 上 甚 深 微 妙 法(むー じょー じん じん みー みょう ほう) 百 千 万 劫 難 遭 遇(ひゃく せん まん ごう なん そう ぐう) 我 今 見 聞 得 受 持(がー こん けん もん とく じゅー じー) 願 解 如 来 真 実 義(がん げー にょー らい しん じつ ぎー) 3)般若心経 仏 説 摩 訶 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 観 自 在 菩 薩 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 時 照 見 五 蘊 皆 空 度 一 切 苦 厄 舎 利 子 色 不 異 空 空 不 異 色 色 即 是 空空 即 是 色 受 想 行 識 亦 復 如 是 舎 利 子 是 諸 法 空 相 不 生 不 滅 不 垢 不 浄 不 増 不 減 是 故 空 中 無 色 無 受 想 行 識 無 眼 耳 鼻 舌 身 意 無 色 声 香 味 触 法 無 眼 界 乃 至 無 意 識 界 無 無 明 亦 無 無 明 尽 以 無 所 得 故 菩 提 薩 垂 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 心 無 圭 礙 無 圭 礙 故 無 有 恐 怖 遠 離 一 切 顛 倒 夢 想 究 竟 涅 槃 三 世 諸 仏 依 般 若 波 羅 蜜 多 故 得 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 故 知 般 若 波 羅 蜜 多 是 大 神 呪 是 大 明 呪 是 無 上 呪 是 無 等 等 呪 能 除 一 切 苦 真 実 不 虚 故 説 般 若 波 羅 蜜 多 呪 即 説 呪 日 羯 諦 羯 諦 波 羅 羯 諦 波 羅 僧 羯 諦 菩 提 薩 婆 訶 般 若 心 経 4)各札所のご本尊の真言を三返唱える。(本堂のみ) ・不動明王 ノウマク サンマンダ バサラダン センダ マカロシヤダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン(札所番号 … 36・37・45・54) ・釈迦如来 ノウマク サマンダ ポダナン バク(札所番号 … 1・3・9・49・73) ・文殊菩薩 オン アラハシャノウ(札所番号 … 31) ・地蔵菩薩 オン カカカビ サンマエイ ソワカ(札所番号 … 5・19・20・25・37・56) ・弥勒菩薩 オン マイタレイヤ・ソワカ(札所番号 … 14) ・薬師如来 オン コロコロ センダリマトウギ ソワカ (札所番号 … 6・11・15・17・18・22・23・26・33・34・35・37・39・40・ 46・50・51・59・67・74・75・76・77・88) ・千手観世音菩薩 オン バサラタラマキリク ソワカ (札所番号 … 8・10・16・29・38・43・58・66・71・80・81・82・84) ・十一面観世音菩薩 オン マカキャロニキャ ソワカ (札所番号 … 13・27・32・41・44・48・52・62・65・79・86) ・観世音菩薩 オン アロリキャ ソワカ(札所番号 … 37・69・83・85・87) ・馬頭観世音菩薩 オン アミリトウドハンバウンバッタ ソワカ(札所番号 … 70) ・阿弥陀如来 オン アミリタ テイセイ カラ ウン (札所番号 … 2・7・30・37・47・53・57・64・68・78) ・大日如来 オン アビラウンケン バサラ ダトバン(札所番号 … 4・28・42・60・61・72) ・観世音菩薩 オン アロリキャ ソワカ(札所番号 … 37・69・83・85・87) ・虚空蔵菩薩 ノウポウ アキャシャ キャラバヤ オン アリキャ マリボリ ソワカ (札所番号 … 12・21・24) ・大通智勝如来 ナムダイツウチショウプツ(札所番号 … 55) ・毘沙門天 オン ペイシラマンダヤ ソワカ(札所番号 … 63) 5)光明真言(三返) オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン 6)弘法大師の名前である御宝号(三返) 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう) 7)回向文を一返唱えます。 願わくは この功徳をもって 普く一切に及ぼし (ねがわくは このくどくをもって あまねくいっさいにおよぼし) 我らと衆生と 皆ともに仏道を成ぜん (われらとしゅじょうと みなとともにぶつどうをじょうぜん) 合掌一礼。
2010.06.27
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 88番札所(大窪寺) ~四国八十八ヶ所巡りの誕生とそのルーツ~ 今や空前のお遍路ブーム、お遍路人口は定かではありませんが、年間30万人(うち歩き遍路が5000人)ともいわれています。四国八十八ヶ所(霊場)は、弘法大師が42歳のとき修行の場として創設され、その霊場を大師の弟子たちが巡回し始めたことから、霊場めぐりが始まりました。 そして室町時代までは、仏道修行の特別な場として、多くの僧侶が、その霊場において、厳しい修行に励んでいました。人間の煩悩は八十八個あると言われており、それがこの八十八ヶ所を巡礼することで消えてなくなると考えられたのです。 江戸時代に入ると「四国遍路」という言葉が成立し、僧侶だけではなく一般の人々も巡礼を始めるようになりました。特にハンセン病で故郷を追われた人たちや、罪を犯して故郷から逃げてきた人たちが救い(病気の回復や贖罪)を求め、巡礼を行っていたようです。 現代に入り、四国八十八ヶ所霊場巡りには、観光という新たな側面が誕生しました。以前は険しかった道も整備され、車が通れるほど広くなりました。そのため現在では、バスやタクシー等のお遍路ツアーの企画を始め、自らの車遍路で巡礼をする人が急激に増えてきました。めまぐるしく時間が過ぎ、複雑な人間関係を呈する現代においては、四国八十八ヶ所霊場巡りの中に、自分探しや癒(いや)しといったものを求める人も多くなって来ているようです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~四国八十八ヶ所の札所巡りの方法~ 札所を巡礼することを打つと云う。これは、昔の巡拝者が、自分の名前を書いた 木札をお寺に『打ちつけていた』ことが由来(今では納札にかわっている) 1)順打ち、一番札所より始め、八十八番まで番号順に巡る。 2)逆打ち、逆に八十八番から一番へ、反対に巡礼する。 (『逆打ち』一回は『順打ち』三回のご利益、功徳があると言われている) 『逆打ち』の始まりは、伊予国の衛門三郎が弘法大師に会いたい一心で、霊場を 逆から廻ったのが始まりとされている。 3)通し打ち、全ての霊場を一遍に打ち上げる。 4)区切り打ち、適当に区間を区切って打つ。 (一番札所から始める必要はなく、また一度に全ての寺をまわることもない) 5)一国参りといって、1つの県を一国とし、まわることもある。 ~お四国参りの距離と日数~ (順打ちの場合) 八十八ヶ所霊場巡りの道のりは長く、全行程は1450km。 車なら約8日~9日、徒歩だと40~60日かかる距離です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~お四国巡り、四つの道場とその目的~ 1)阿波(徳島) 発心の道場 23ヵ寺(1番~23番札所) 発心とは、私達が仏教に帰依しようとする心を起こすことを言う。 何かのきっかけにより、仏心が呼び起こされ、遍路の旅に出る決心をする。 2)土佐(高知) 修行の道場 16ヵ寺(24番~40番札所) 四国の中で、距離が最も長く、寺の数が少ない道場であるが難行苦行を 主体とするものではなく、心身共に仏道を身に付けて善行を積むといった、 精神的な面の多い修行を強調している。 3)伊予(愛媛) 菩提の道場 26ヵ寺(41番~66番札所) 菩提と言うのは道であり、知であり、覚である。あらゆる煩悩を断ち切り、 不生、不滅の理を悟って、初めて得る仏果。発心の道場、修業の道場を経て、 ようやくここにたどり着く。 4)讃岐(香川) 涅槃の道場 23ヵ寺(67番~88番札所) 香川県下には、弘法大師にゆかりの深いお寺が多い。様々な苦を絶ち、一切 の煩悩を滅ぼし、不生不滅、解脱の境地を目指す。涅槃とはそういう意味で、 讃岐を無事に巡ると、四国八十八ヶ所遍路は結願となる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「同行二人」の意味 四国のお遍路さんがかぶっている笠には、「同行二人」という文字が書かれています。 一人はお遍路さん自身で、もう一人は弘法大師空海です。 四国遍路とは、かつて弘法大師が修業した聖跡を巡る旅であり、その旅には常に弘法大師が同行しているという意味で「同行二人」という文字が書かれている。(実際に霊験を体験した方もいる) ~金剛杖の意味~ お遍路さんは常に金剛杖(魔を祓う鈴も付いている)という杖を持っています。 これは弘法大師の分身と考えられ、大師の霊力が備わっていると信じられている。そのためお遍路さんは宿に着くと杖をきれいに拭いて部屋の上座に据え、合掌して一日の無事を感謝し、明日も無事に旅ができるように祈る。(般若心経入りの金剛杖もあります) 「お接待」はお遍路さんへのもてなし 四国遍路では、昔から「お接待」と称して土地の人がお遍路さんを手厚くもてなす独特の習慣がある。人々が率先してこのようなお接待をするのは、生きた弘法大師と共に旅をするお遍路さんに対する尊敬の念からだといわれている。 (巡礼者の話では、通常、急ぎ旅でない限りは、礼儀としてお接待を受けているようです) ~高野山参りは、八十八ヵ所の満願成就~ このようにお遍路さんやお接待をする土地の人が同行二人を信じて疑わないのは、弘法大師が今も生き続けて人々を救ってくれるという入定信仰によるものです。そして無事に遍路の旅を終えた人が最後に「お礼参り」として参詣するのが、高野山奥の院です。杉の老木に囲まれた廟の中には、今も弘法大師が瞑想しながら人々を見守ってくれています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ~お四国参りの心構えとは~ ちなみに四国遍路では、4年に一回のうるう年(2月29日の年)に八十八番から逆に巡ると弘法大師に会えると信じられており、その功徳は、通常参りの3倍以上ともいわれている。四国遍路の弘法大師は伝説から抜け出した身近な存在でもある。弘法大師と共に行く四国遍路の旅とは、単なる旅ではありません。観光でもありません。真剣白刃(命がけで廻るくらいの気迫)のごとく、心して廻らなければならない、正に修行の道場なのです。一歩一歩、功徳を積んでいく旅なのです。功徳とは、自分の為だけの願望では、けっして積まれる事はありません。大乗利他のごとく、自分の願望が他が為になる、お役に立てるという徳の本質を知り、誓願を立ててこそ、巡礼する事に大いなる意義があるように思うのです。
2010.06.25
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 高野山(奥の院) ~弘法大師、空海阿闍梨の説法~ 弟子達よ。よく聞くがよい。人は生きながらどのようにして成仏するのか。低きから高きへ、浅きから深きへと心は様々な模様を描いて変化(へんげ)して行くのだ。この変化の様は、そのまま我が心であり、皆の心でもある。第一の心は、異生羝羊心 (いしょうていようしん) 、獣のように自らの食欲、性欲のおもむくままに生きる心、人は皆、生き物として生まれた以上、誰もが免れ得ない心の模様である。これに目を閉じるものは、色なき景色、体無き人として生きると同じじゃ。生き物はやがて、人の道に目覚め、そして仏の教えに出会う。愛欲もまた菩薩の位となる。低きから高きへ、浅きから深きへ、遂には菩薩の位に達する。人は仏の教えに導かれて己(おのれ)が救われんと欲し、更には、己も人も救い救われん事を願い、遂には,最高の位である秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん) に達し、生きながらの身で仏となるのだ。 ~空海阿闍梨、即身成仏~ 『弟子達よ、別れの時が来た。この命,元々宇宙の根源、大日如来より頂いたもの、これより大日如来の元に返る。私に会いたくば、遍昭金剛と呼ぶがよい。必ずその人と共にあり,その人と共に生きよう。さあ、声明の響きの中で私を送ってくれ、さあ,私は旅をするのだ。』 承和二年(835年)3月21日、寅の刻、午前4時頃、空海阿闍梨は、最後に『生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く. 死に死に死に死んで死の終わりに冥し』という名言を残して入滅。(享年62歳) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 四国お遍路、巡礼の不思議な旅日記 ~魂の道場を求めて~(実話) H22年5月2日、高野山参拝を無事に終え、翌日の3日の晩に帰宅した。ところが、その翌朝、5月4日早朝、錫杖(しゃくじょう)が激しく振られ,その音に目が覚めるという不思議な夢の体験をした。午前5時前であった。今の音は何であろうか、誰もいるはずのない部屋で、明らかに錫杖の音がはっきり聞こえたのである。最初は、鐘の音が美しく鳴り響き,その後、まるで祝福を受けるがごとく錫杖が激しく鳴ったので,その迫力に目が覚めたのである。私はこの霊験を体験した事から大師信仰が今も尚、生きておられる事を確信した。この実話の意味を詳細に日記にしておりますので、興味のある方は、下記をクリックして一読してみてください。 第一話、不思議な体験~発心の道場 第二話、空海阿闍梨、悟りの洞窟 第三話、試された信仰 第四話、無欲無心 第五話、開き直り 第六話、偉人空海の足跡 第七話、不思議な体験のはじまり 第八話、誓願 最終話、高野山参拝(同行二人) *この後、四国八十八ヶ所を土台とした魂の修行道場を構築して行く予定です。
2010.06.21
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【はじめに】 最近流行のバーチャル ウォーキングですが、これは、常日頃から散歩している歩数を距離に換算し、その合計の距離で、中山道69次や、東海道53次、四国一周八十八札所巡りなどをネット上で旅しましょうという方法です。厚生労働省の方でも生活習慣病などの予防や対策のための手軽な運動としてウォーキングは推奨しています。そこに目的性を持ったウォーキング方法、これがバーチャル ウォーキングなのです。必要なものは、万歩計とウォーキングシューズ(長距離を歩くので大切です=不可欠)です。【目的】四国八十八ヶ所に要する実際の距離(1200km) バーチャル ウオーキング方式を利用して、四国八十八ヶ所を歩いてみましょう。【我が国の平均身長】 1)男性 172.1cm(1歩=60.2cm~68.9cm) 0.1km=約166~145歩(平均155歩)、1660~1450歩=1km 2)女性 158.8cm(1歩=55.6cm~63.5cm) 0.1km=約180~157歩(平均168歩)、1800~1570歩=1km【私の場合の万歩計の計測方法】 本日の歩数 × 自分の歩幅で距離を計算します。(1歩=身長 × 0.35~0.4cm) 私の場合、170cm×0.4=68cm(少し厳しく65cmを1歩として計算しました) 1歩=0.65m、0.1km=約150歩、1500歩=975m(約1km) 通常散歩コース(約50分、速度90m/min) 7300歩=4.7km/日 歩行消費カロリー 342kcal(一日に必要な消費カロリーは、1494kcal) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【その他、参考】 年齢別基礎代謝基準値 18~29歳……24.0、 30~49歳……22.3、 50~69歳……21.5 基礎代謝の計算方法 あなたの体重 × 上記の基礎代謝基準値=1日あたりの基礎代謝量(kcal) 例:年齢40歳の男性、体重70kgの場合は、1561kcalとなります。 70(kg)×22.3(基礎代謝基準値)=1561kcal メタボ予防は、体重のコントロールが重要です。 計算方法は身長から110を引いた数が理想体重(kg) BMI(体格指数)と肥満度チェック ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 運動消費カロリーは,下記のいずれかをクリックして計算下さい。 運動消費カロリーを計算(kcal) ダイエット運動消費カロリー計算(男性) ダイエット運動消費カロリー計算(女性) 健康計算機(kcal) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 参考までにウォーキングシューズのリンクです。(軽量、耐久性は大事) shoeEVER JK MART クツなび マイラボ つまずき安心ウォーキングシューズ カタログ・TV通販の saQwa<サクワ>価格:5,145円(税込、送料別)
2010.06.21
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 高野山(世界遺産) ~高野山参拝~ 5月2日の深夜より出発、高速道路経由で早朝6時、ようやく高野山大門に到着した。さすがに大門は大きく。また仁王像も迫力があった。 高野山(大門) 大迫力の仁王像 奥の院に参る道中で高野山風景を撮影した。重要文化財となってる大塔や鐘楼堂等が早朝の光を浴びて輝いている光景に、よりいっそう深い感銘を受けた。 高野山風景 大塔 鐘楼堂 更に高野山の総本山である金剛峯寺へと足を運ばせた。そこは正に歴史の重厚感(伝統)と風格(格式)を持つお寺であった。 金剛峯寺(正門) 金剛峯寺(本堂) いよいよ、最終の目的地である奥の院に参拝、奥の院の中は、撮影禁止の為、写せませんでしたが、そこで最終の読経(般若心経)を済ませ、『南無大師遍昭金剛、空海阿闍梨様、本日、無事にここまで参拝出来ました。有り難うございました。もし願わくば、我が誓願を成就させたまえ。』合掌、礼拝。 奥の院参道口 空海阿闍梨が眠っている奥の院 高野山奥の院(納経所) 最後に納経所で四国八十八ヵ所と別格二十ヵ所の2つの納経帳を差し出した。納経を済ませ、手渡しを受ける前に、尼僧の方から『このあなたの納経帳の中には、お大師様がちゃんと入っておられますよ』『大切にしてください』と言われ,その納経帳に礼拝された。私は、高野山の僧侶の方は、納経に来られるすべての方にそのように言われて、手渡されるものとばかりに思っていたので、その時は、その事をあまり気にしなかったのである。 参拝を終えたのが午前11時頃でした。それから、徳島方面に再度出向き、一泊、5月3日の早朝、五百羅漢堂と八祖大師堂に立ち寄り参拝。その日の晩に無事帰宅しました。そして、その翌朝の5月4日早朝、午前5時前、美しい鈴の音が聞こえた後に、激しく錫杖(しゃくじょう)の音が聞こえ、その迫力に目が覚めるといった不思議な夢の体験をしてしまったのです。この体験から午前5時(または午前5時前)に何か意味があるのかもしれないと思い,調べてみました。するとそれは、空海阿闍梨が入滅(即身成仏)を完了した寅の時刻であったのです。更に、驚いたのは、私が四国八十八ヶ所を廻り始めた日が3月21日ですから、その日は、偶然にも、正に空海阿闍梨が入滅した彼岸の日(悟りを完了した日)であったのです。私は、その事さえ知らずに廻っていたのですから、おめでたいとしか言いようがありません。そして最後に錫杖(しゃくじょう=空海阿闍梨の象徴)が鳴り響く、これは,明らかにお大師様を示しているのです。同行二人の意味がはっきりここで分かりました。私は,恐れ多くもお大師様に見守られていた為、無事に八十八ヵ所を廻る事ができたのだと思うのです。そして祝福を受けるがごとく錫杖が鳴り響いたという事は、私の立てた誓願をもったいなくも受けて頂けたのかもしれません。 これより後、魂の修行道場をブログの中に構築して行きたいと思います。四国八十八ヶ所を実際に歩けば、その歩行距離は約1,450kmです。最近流行のバーチャルウォーキングがありますが、約1,200kmの距離を常日頃の散歩コースで、実際に歩いて廻ってみようと思います。方法としては、万歩計を使用して一日の散歩による歩行距離を計算し、その距離が、目的の札所に辿り着けば、そこで,その札所(本堂と大師堂)をブログ中で紹介し参拝、これを繰り返しながら、四国八十八ヵ所を土台とした道場の札所を順に構築して行きたいと思います。それでは宜しくお願い致します。
2010.06.19
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 別格6番札所の龍光院 ~誓願~ 四国八十八ヶ所を廻り終えた私は、前回のブログでご紹介したように、不思議な体験をきっかけに、更に空海ゆかりのお寺とされる番外(別格二十ヵ所)を廻る決意をした。別格1番札所から4番札所までは、徳島県にあり、これらは、最終88番札所の大窪寺を参拝した後、その日に同時に廻った(4月19日)。『しかし不思議だ、どうしたのだろうか?、心にゆとりさえ生まれて来ているのは何故??? 別に特別に何かを得た訳ではないのであるが、自然と心境に変化が起きている自分を肌でフツフツと感じていたのである。 別格1番札所(大山寺) 別格2番札所(童学寺) 別格3番札所(慈眼寺) 別格4番札所(鯖大師本坊) 4月25日、高知県にある別格5番札所(大善寺)から参拝を開始した。午前7時前である。次いで愛媛県の宇和島市にある別格6番札所(龍光院)を廻った。納経を済まし、階段を下りようとした矢先、何故か不思議にお大師様の像が気になり立ち止まった。そこには、足踏み場が設けられており、この上に乗り、ご真言を唱え、願いをかければ必ずや通じるものなりと記されていた。私は本当に本当に、偶然にも導かれるように、引き寄せられ、そこで誓願(祈り)をかけてしまったのである。その内容はこうです。 『空海阿闍梨様、私は大した人間でもなく、有名でもなく、また超人的な能力がある訳でもなく、ごくごく平凡な人間です。しかしながら今までの不思議な体験から予想もしない展開となり、恐れ多くも、こうしてお大師様の参拝をする機会を得、大変貴重な体験をさせて頂きました。もし願わくば、この体験を生かして、ほんの少しでも多くの方の心のよりどころとなるような、心に響くような内容(=テーマ)のものを築き、私のブログに繁栄させたくと存じます。どうかこの願い(目的)を無事に貫通させてください。そしてさらに、この先の現職においても、願わくば、少しでも多くの方のお役に立てるような人生を全う出来ますようお導き下さい。』 別格5番札所(大善寺) 別格6番札所(龍光院) 別格7番札所(出石寺) 別格8番札所(十夜ヶ橋) 別格7番札所(出石寺)は、大洲の山奥にあり、しかも、くねくね道の連続であった為、車でもかなり時間が掛かったが、境内は広く、迫力もあり、正にパワースポットという印象を受けた。 別格9番札所(文殊院) 別格10番札所(西山興隆寺) 別格11番札所(生木地蔵) 別格12番札所(延命寺) 4月25日の参拝は、ここで終了、残りの札所も翌日の4月26日には廻り終える事が出来、やっと四国八十八ヶ所と別格二十ヵ所の合計、百八ヵ所をすべて参拝し終えたのである。後は高野山参拝を完了すれば満願となる。車遍路ではあったが、かなり長い時間が経ったように思えた。 別格13番札所(仙龍寺) 別格14番札所(椿堂) 別格15番札所(箸蔵寺) 別格16番札所(萩原寺) 別格17番札所(神野寺) 別格18番札所(海岸寺) 別格19番札所(香西寺) 別格20番札所(大滝寺) 四国八十八ヵ所では、不思議な実話がいくつもあります。今回、私が聞かされた有名な話を1つご紹介したいと思います。それは,数十年前、室戸の方で車遍路をしていた方が、雨がひどくなって来たので、その近場で車野宿をしていた時の話です。夢うつつになっていたその人は、突然、車の窓をたたく音がして,その影を見るとお大師様の姿が見え、『ここからすぐに離れなさい』というお告げの夢に、びっくりして目が覚めたのだそうです。あまりにも気味の悪いお告げに、異様な胸騒ぎがしたため、すぐに車を動かし、その場から離れたのだそうです。数時間後、そこは豪雨で水浸しとなり,通行止めになったという実話です。 実は,私も不思議と思う事が幾つかありました。その1つは、参拝を開始する前には、目覚ましが無くても午前5時には目が覚めていた事です。時には,夢から聞こえて来た鈴の音に目が覚めたら、やはり午前5時という時もありました。もう一つは、何かこの通りは嫌な道だと感じていても、あるいは、邪気のようなものを近くに感じる時もあったのですが、その気は,一切、私に寄ってくる事が出来なかったようです。まるで何か強力な者にでも守られているとしか思えないような体験(感覚)だったのです。しかし,この時でも、私は同行二人という意味の本質を、本当には信じていなかった大バカ者であったのです。そしてそれは、高野山で明らかとなったのです。 ~次回は、高野山参拝です。~
2010.06.17
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 別格20番札所の大瀧寺 ~不思議な体験のはじまり~ 4月18日、明日は最後の札所である88番目の大窪寺に参拝、『ようやく八十八カ所参りも終わるな』と『ほっ』としていた。屋島の健康ランドで温泉に入り、疲れを癒した。その後、レストルームで四国八十八ヶ所を見ていたところ、88番札所に近い山奥に、大瀧寺という別格の20番札所(四国八十八ヶ所以外に空海が修行したとされるゆかりのお寺が別に20カ所あり、これらのお寺を回りきれば合計108ヵ所となり百八つの煩悩が清められるという)がある事に気がついた。『これは丁度良い、ついでに、この別格20番札所の大瀧寺も参拝しよう。』そう決めた私は、4月19日早朝からその大滝寺に向けて車を走らせたのである。 ところがどうした事であろうか、カーナビが突如、誤作動を起こし、道を間違えるといった現象が起きてしまい、山奥の細い道(車がギリギリで走れる幅の道で運転が恐かった)に迷い込んでしまったのだ。幾つもの分岐道が続き、どこをどのように走ってよいか分からず、しばらく走り続けた。ようやく山の段々畑の道に抜け、民家に辿り着いた。そこでその民家の方に道に迷ってしまった事を告げ、大瀧寺には、どのように行けばよいのか尋ねたところ、目的地から大きく外れていた事が分かり、驚いてしまった。結局、大きな道路にどうにか無事、抜ける事が出来、いったん下山。再度、大瀧寺の方へと車を運ばせた。早朝7時に着く予定であったが、大幅に遅れ、午前8時過ぎに到着した。 別格20番札所(大瀧寺本堂) (大瀧寺大師堂) そこは誰もいない寺、強い山風も吹き、何故か異様な雰囲気を感じていた。最初に大師堂に立ち、ご真言を唱え、礼拝、更に本堂にも行き、参拝した。折り返し大師堂に戻った。実は、その時、私は何故か不思議な気配を感じていた。誰かが極近くで見ているような気がしたのである。予定時刻を大幅に遅らせたため、ご真言だけ唱え、般若心経は唱えず、先を急ごうとして、納経をして頂こうとブザーを鳴らし、住職様を呼んだ。しばらくして住職様が来られた。私は、納経帳を差し出した。しかし、その時、住職様が私に向かって奇妙なことを言われたのである。それは、『きみは大師堂で参拝していた時、何かを感じなかったか』と言われたのです。私はしばらく答える事ができません。さらにこう言われました。『何かきずかなかったか』と言われたのです。正直言って私は、これと言ってはっきりと感じるような霊験はなかったため、『済みません。わかりません。』と赤ら顔で答えてしまったのです。唖然(あぜん)としていた住職様を見た私は、たまらなくなり、さすがに言い訳を考えていました。そして思わず違うことを言ってしまったのです。『実は、道に迷ってしまい、すんなりとは来れなかった』と言ったのです。すると住職様は、『大師堂で般若心経をきちんと読んだか』と問われました。更に納経帳を見て、『最初から廻って来ていないのか? 別格のお寺でも1番からきちんと廻らないと駄目だよ、お大師様に失礼(ご無礼)にあたるよ。』とお叱りを受けたのである。 88番札所(大窪寺仁王門) (大窪寺境内) (大窪寺の結願修行大師) (大窪寺大師堂) 本来は、八十八ヵ所で参拝を終了して、高野山へ行くつもりでありました。しかし急きょ予定を変更し、別格の最終札所(20番)である大瀧寺を廻ったばっかりに、このような奇妙な事を告げられてしまい(体験してしまい)内心戸惑っていました。そしてその事が気になり、何故かすっきりしなかった私は、これを機に、88番札所の大窪寺を参拝した後も更に継続して、番外の別格二十ヵ所のお寺も廻る方針を追加、徳島県の別格1番札所から順に参拝することを決心したのです。しかし今思えば、もしこの出来事がなければ、私はブログで魂の道場を求めた日記を書く事は、おそらくなかったと思います。つまり、四国八十八ヶ所を廻り、更に別格二十ヵ所の合計百八ヵ所を廻り終えていなければ、この先、高野山の参拝時と参拝後に起きた不思議な体験(み仏様の霊験)を感じる事はできなかったように思うのです。何故ならば、四国八十八ヶ所では、様々な光景から迷い(不安と不信)が生じ、その苦悩や疑問から脱却する事が出来なかった。その為、心境的には一切、願をかけられず、無欲無心で、ただひたすらに廻り、参拝する事がやっとであったのです。ところが、別格二十ヵ所の参拝を開始して後は、不思議な事に、雑念に迷う事なく、不安や不信が消え去り、ある札所からは、まるで導かれていくように誓願を立てて廻ることが出来るようになっていったのです。そしてそれが何故だったのか、この先、はっきりと気ずかされることになるのです。(=同行二人は本当にあるという事) ~続く~
2010.06.14
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 66番札所の雲辺寺駅 ~偉人空海の足跡~ いよいよ最終の札所である香川県に入った。その一番最初の札所は、66番札所の雲辺寺である。雲辺寺ロープウェイに乗り込み、山の渓谷(香川県と徳島県の県境)を超えての雄大な札所である。この札所は、観光的な雰囲気を持つ見せ場の多い札所でもある。一度参拝してみてはどうであろうかと思わせる程、神秘的なパワースポットである。 雲辺寺(釈迦涅槃像) 雲辺寺(大師堂) 次に挙げる代表的な札所は、71番札所の弥谷寺である。空海は、幼少の頃(幼名を真魚=まお7歳)ここで修行し、学んだ場所であり、空海修行の場とされる岩窟「獅子の岩屋」(奥の院=弥谷寺大師堂内にある)は有名である。 弥谷寺(大師堂内) 弥谷寺(大師堂空海) 更に73番 出釈迦寺の奥の院である捨身ヶ嶽禅定は、足を踏み入れておきたい究極の場所です。幼少の空海(幼名まお)が修行中の頃、倭斯濃山(481m)の崖から飛び降りたという伝説がある。空海は、その時、「自分が仏道に入り、多くの人々を救うことができるのであれば、霊験を示したまえ。さもなくば、この身は仏に捧げる。」という強い願いを念じ、身を投じた。すると、釈迦如来が姿を現して、その空海の身を助け、空海に「一生成仏」の宣を下されたというのである。 出釈迦寺 出釈迦寺(大師堂) 出釈迦寺(奥の院)空海7歳(=真魚)の時、身を投げたとされる捨身ヶ嶽禅定。 75番札所である善通寺は、空海阿闍梨生誕の地です。写真は1枚ですが、実際は、非常に大きな境内で参拝者も多く、お寺も迫力がありました。他、印象に残った代表的お寺として84番札所の屋島寺があります。この地は、源平の戦いで敗北した平家の御霊を祭る場所でもあり、観光地としても有名な場所です。85番札所の八栗寺は、唯一ロープウェイの代わりにケーブルが走っており、この地も観光客が絶えません。 75番札所(善通寺) 81番札所(白峯寺) 84番札所(屋島寺) 85番札所(八栗寺) 空海伝説には色々なエピソードがありますが、その中の1つに民に真理を説く場面があります。帝(嵯峨天皇)より重用されていた空海は、お弟子さん達を連れて、衆生救済の活動の旅に出るようになります。その道中のある村で、村人達が、疫病にかかった者達を隔離し、閉じ込め、そこに火をつけて殺そうとしている場面に遭遇します。空海阿闍梨は、すかさず焼き殺されそうになった疫病者達を救出し、薬と食事を与えます。ある一人の重傷疫病者が『私はもう駄目です。この世に生きていても苦しい事ばかりです。楽にさせてください。死なせてください。』と空海阿闍梨に申し出ました。空海は、こう答えました。『この世で幸せになれずして、なんであの世で幸せになど成れようか、苦しみや絶望から逃げるように死んでしまったら、あの世でも救われる事が出来ないのだ。この世で救われてこそ、あの世でも救われるのだ。この世で生きながら仏となるのだ。成仏するのだ。これこそが真理なのだ。』と説きます。『生きながら成仏等できるのでしょうか?』と疫病者が質問します。空海はこう返答します。『この天地宇宙が生きている力と、この体に生きる力とは同じなのだ』『さあ、生きる力を呼び起こし、生きる力に触れるのだ。心の中に風を呼び起こし、光を放て』そして手を合わせ、光明真言を教え、唱えさせます。 光明真言 『おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや うん』 次回は、いよいよ最終の88番札所である大窪寺をご紹介致しますが、実は、その前に訪れた番外の札所(別格の札所)で、私は不思議な体験をしてしまうのです。 ~続く~
2010.06.12
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 46番札所 浄瑠璃寺 ~開き直り~ 愛媛県に入ると少し安心した気分で札所周りが出来た。しかし心の動揺は消えた訳ではなかった。つまり『開き直ったのである』。いつまで悩んでも仕方がない。疑問を持って廻っても堂々巡りで結論が出ない。かといって、ここで止めてしまうのもしゃく(=自分に負けた気がして腹が立つこと)であったのだ。どうせ悩むのなら、とことん悩んでもよい。結果を求めても無駄なのかもしれない。それでもとにかく一度決めた事は、貫遂すべきだ。そのように考え、気分を一転し、再度、46番札所の浄瑠璃寺から札所廻りを決行した訳です。 47番札所(八坂寺) 48番札所(西林寺) 49番札所(浄土寺) 50番札所(繁多寺) 51番札所(石手寺) 52番札所(太山寺)
2010.06.08
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 岩本寺(仁王門) ~無欲無心~ 車遍路4日目の早朝7時前、37番札所の岩本寺を参拝し、納経を済ませ次の札所へと急いだ。心境は、依然として気乗りしていない状況であった。途中、幾つかの海岸線沿いで車を止めた。気分転換に海岸公園の撮影を行った。綺麗で壮大な海を見ていると徐々に気分が落ち着いて来た。 岩本寺(本堂) 岩本寺(大師堂) 帷子崎(かたびらざき) 大岐海水浴場(土佐清水) 午前10時過ぎ、38番札所の金剛福寺に着く。足摺公園の先にある場所であるが、さすがに豪華で雄大な寺でした。いつの間にか雑念が消えていたのは、大自然のど真ん中にいたせいかも知れません。 足摺公園 お迎え大師 金剛福寺(境内風景1) 金剛福寺(境内風景2) 金剛福寺(本堂) 金剛福寺(大師堂) 更に次の札所へと足を急がせた。結局、その日の最終札所は、愛媛県の45番札所である岩屋寺であった。この札所は、四国八十八カ所の中でも難所中の難所といわれており、本堂までの坂道や階段の距離が半端ではなかった。(別名心臓破りのお寺とも言われている寺) 岩屋寺 参道 岩屋寺(本堂) 皆さんは不思議と思われるかも知れませんが、実は、私は一度も札所で願をかけていませんでした。何も思わず、考えず、ただ無欲無心で真言を読み、合掌し、礼拝し、ただそれだけで廻っていたのです。しかしながら、『信仰とは、なんであろうか?』『自分は、ここで何を学ぼうとしているのか?』札所を廻るに連れて『魂の叫び』なるものが、更に深く深く心に響いて来ているのを感じずにはいられなかったのです。 ~続く~
2010.06.02
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 最御崎寺(ホツミサキジ) ~試された信仰~ 24番札所の最御崎寺から25番 津照寺、26番 金剛頂寺、27番 神峯寺へと順に廻るにつれて徐々に目につき始めたもの,それは私にとっては,あまりにも非情な光景でした。その第一に目にしたものは無縁仏のお墓でした。即ちお遍路の道中で亡くなられた方のお墓でした。 従来、お遍路さんの大半は、人生の苦悩にさいなまれ、それがきっかけとなり、神仏を尊び、救いの道を求めんとしてお四国周りを始める人が多いわけです。しかしその中には、不治の病にかかった方や、世間から見放された犯罪者、あるいは、どうする事も出来ない身の不幸や境涯からどうにかして脱却したい、救われたい一心の思いで願をかけて廻る人、また純粋に悟りを求めて、修行の為に廻る方等様々ですが、その道中において、行き倒れとなり亡くなられた方もいる訳です。私は、お寺境内の無縁仏の墓を見て、強烈なものを感じていました。それはまさに魂の叫びのようなものでした。その中には志(こころざし)半ばで亡くなられた方もいたのかも知れませんが、何とも言えない異様な雰囲気を感じていたのです。そして更に目にしたもの、それはお寺に行く途中の遍路道(四国の道)でみた地蔵(道の途中で亡くなられた遍路者のお墓)でした。その中には交通事故や落石等の不慮の事故で亡くなられた方もいるのです。『参拝に来ていて交通事故や不慮の事故でなくなる、これは、どういう事であろうか? これでは,何の為にお参りしているのか分からないではないか? 人生のはかなさ、無力感、信仰していても災難を逃れる事が出来ないのか』、私はいつの間にか、憤り(いきどおり)を強く感じ始めていました。そして『何故、自分は、このような事をしているのであろうか、これは無駄ではないのか、意味があるのか?』、このような心境に教われたのです。言わば信仰が試された訳です。 36番札所、青龍寺(本堂) 青龍寺(大師堂) 1日目は、36番 青龍寺までで終了した。しかしあまりにも衝撃を受けていた私の心中は、穏やかではなかった。その日の夜は、岩本寺の近くの駐車場に車を止め、車内で寝泊まりした。そこで一晩考えていたこと、それは、以下の内容のものであった。この先、八十八カ所をいい加減な気持ちで廻ったなら間違いなく自分は潰(つぶ)されるであろう。心して廻らなければならない。真剣白刃のごとく廻らなければならない。しかし、自分の中では、まだ回答が出ていない。自分は一体ここで何を求めようとしているのであろうか? 突如襲った心の動揺が、今も尚、ふつふつと沸き起こる。不安と不信という雑念を消す事が出来ず、いつの間にか車内の中で眠りについていた。
2010.05.31
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 青年大師像 ~空海阿闍梨、悟りの洞窟~ 前回のブログで紹介した徳島県の札所(1番札所の霊山寺から23番札所の薬王寺まで)は3月21日~22日の2日間で廻ったわけであるが、今回ご紹介する高知県の札所(24番札所の最御崎寺から39番札所の延光寺まで)は3月28日と29日の2日間で廻った。高知県の最初の札所である最御崎寺を廻るその前に、空海阿闍梨が室戸岬の洞窟で悟りを開いたとされる有名な場所である御厨人窟(みくろど)に立ち寄った。早朝7時である。洞窟の中は寒く、ぞくっとする場所ではあったが,霊的に何かあるような因縁の場所ではなく、寧ろ神聖な場所のように感じた。更にすぐ近くの巨大な青年大師も観に行ったが、さすがに大迫力の空海像に圧巻した。 空海阿闍梨が悟りを開いた御厨人窟 空海阿闍梨がこの洞窟で修行中に明けの 明星が現れ、それが大きな光の玉となり 大師の身体に飛び込んだという。 巨大な青年大師像 室戸岬を見ている空海 しかし,感銘を受けたのは,ここまでであった。この後、24番札所から順に廻るにつれて目にしたもの,それは私にとっては,あまりにも非情な光景だったのです。 ~続く~
2010.05.27
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 弘法大師 空海 空海 結界の間 ~不思議な体験~ H22年、5月2日早朝7時、弘法大師=空海阿闍梨の眠っている高野山にて納経を済まし、満願を得て、翌日の3日にようやく帰宅した。魂の道場をブログを通じて紹介する為の土台となるものをやっとの思いで得ることができ,喜びが湧き起こった。ところが、その翌朝早朝、錫杖(しゃくじょう)が激しく振られ,その音に目が覚めるという不思議な体験をした。午前5時であった。今の音は何であろうか、誰もいるはずのない部屋で、明らかに錫杖の音がはっきり聞こえたのである。このような形の体験は、私としては始めてであった。最初は、鐘の音が美しく鳴り響き,その後、まるで祝福を受けるがごとく錫杖が激しく鳴ったので,その迫力に目が覚めたのである。私はこの霊験を体験した事から大師信仰が今も尚、生きておられる事を確信した。 しかし実はこの話には、その前に経緯があったのです。 H22年、3月20日前夜、四国八十八ヶ所を廻るべく瀬戸大橋の与島で休憩していたが、そのまま車の中で、しばらく眠りについてしまった。3月21日の早朝5時、もう出なければ徳島からの一番札所から廻るのに時間が無くなる。ところが、丁度その時、タイミングが悪く、春の嵐(強風)に遭い、通行止め、与島のICで閉じ込められてしまった。結局、午前9時頃、ようやく解除された。その為『予定の時間が大幅に遅れたので、あきらめようと思った。しかし、心の奥に潜むもう一人の自分が、決めた事は貫くべしと、お四国参りを強く願ったように感じた』強烈なインスピレーションを受けた私は、その後、徳島方面へと車を運ばせたのである。到着したのが午後13時、予定より5時間も遅れ1番札所の霊山寺から参拝開始した。しかし,ハードな仕事を持つ私にとっては、この車遍路は時間との戦いでした。 徳島県、1番札所の霊山寺から参拝開始。 弘法大師堂。 四国八十八ヶ所を廻り参拝した体験は,今回始めてでした。徳島の一番札所の霊山寺から十一番札所の藤井寺までは、階段や坂道の多い寺が続いていて、大変ではありましたが、あっという間に廻る事が出来、『これは予定より早く廻れるな』と思っていました。ところが、その次の12番札所である焼山寺は、さすがに結構山奥にあり、時間が掛かってしまい、車でもその日では廻れませんでした。それだけではありません。山奥で何もない場所だった為、その日は車内で野宿してしまったのです。誰もいない場所だったので、さすがに気味が悪く、毛布をかぶりましたが、しばらくは眠れませんでした。早朝6時、焼山寺へと車を動かし,午前7時前より参拝を開始しました。今朝は清々しい日本晴れ、さらにお寺も山奥にあったせいか、まるで別世界にでもいるような感覚であり、深い感動を覚えていました。間もなく下山、そこから更に十三番札所へと続いていきます。 焼山寺 山奥 12番札所 焼山寺 布袋和尚 焼山寺 仁王門 焼山寺 弘法大師堂 特に印象に残った札所は、21番札所の太龍寺でした。ロープウェイで登りましたが、それがまた大迫力でした。いまではそのロープウェイの過程でしか見られない南舎心ケ嶽の弘法大師像(悟りを得た坐像)は、大変価値がある物だそうで、思わずデジカメで何度も撮影してしまいました。その日の最終は、二十三番札所の薬王寺、午後3時に参拝を終え、帰宅しました。徳島県の札所周りは、始めての経験であったのかも知れませんが,物珍しく、いつの間にか観光的な気分に浸っていたのです。しかし,それは、つかの間でした。高知県の札所周りで、目にしたもの、それは私の心境を180度覆(くつがえ)すほどショッキングなものだったのです。しかも、八十八カ所周りを中断してしまおうと思わせるくらい非情な光景だったのです。 太龍寺ロープウェイ 23番札所の薬王寺 南舎心ケ嶽で悟りを開いた空海(中央の空海坐像) ~続く~
2010.05.24
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) *********************************** ~ガリラヤ山での説法~ イエスキリスト ガリラヤ山での説法 貧しいものは幸いである。 神の国はその人達のものだ。 柔和な者は地を受け継ぐであろう。 義に飢え渇いている者は飽き足りるようになる。 憐れみ深い者は憐れみを受け悲しんでいる者は慰められるであろう。 心清い者は幸いである。神を見れるからだ。 平和を作り出す者は神の子と呼ばれよう。義の為に迫害される者は幸いである。 天国は彼らの者だ。 (証拠を見せて下さい。) 私の為に人々に憎まれ罵られ、排斥され汚名を着せられる者は幸いである。 (神の国はいつ来ますか) 見える形では来ない。誰の目にも見えぬだろう。 神の国はそなたたちの中にあるからだ。 (先生、永遠の生命とは?) 律法にある。 主なる神を愛せ 全身全霊を捧げて主なる神を愛し、 隣人と自分とを愛すれば永遠の生命を得る。 (私は御者で隣人はいません) 憐れみと同情をかけられる者は隣人だ。 (あなたは救い主ですか) 私は良き羊飼いだ。羊を守る為に命を賭ける。 (予言はそうなります?) 私は律法や予言を成就する為に来た。敵を愛し自分を呪う者を祝福せよ。 憎む者 迫害する者の為に祈れ。自分を愛する者を愛して何の報いがあろう。 (神の子が何故取税人や罪人と会食なさる?) 丈夫な者に医者は入らぬ。私は罪人を招く為に来た。 (私ども取税人は,信仰が厚くても蔑まれます。何故でしょう?) 誰も二人の主人に仕えることはできない。神と富に仕えてはならないのだ。 言っておく。命のために食事のことで思い煩うな。 体の為に着物を案ずるな。命は食物にまさり体は着物に勝る。 空の鳥を見よ。播かず刈らず収穫もしないが神に養われている。 まして人間はだ 野の百合は何で育つか? 耕しも紡ぎもしない。 思い煩ったとて寿命を延ばすことはできぬ。 (私たちは貧しくて差し上げる物がありません。でも信じます) それでよい。苦しみ悩む者は皆そばに寄りなさい。力を授けよう。 (先生を救い主と信じます。お仕えさせて下さい) 人の子は仕える為に来た。優れた者は人に仕えなければならぬ。 第一の者は皆の奴隷となるべきだ。 (偽りの救い主が何人か出た。悪魔の使いと違うか?) 国が割れて相争ったら立ち行くまい。悪魔の国とても同じことであろう。 私は悪魔の敵だ。 (血と肉の人と見た ただの人間が神の子といえるのか?) 私の行いを見るがよい。私が神の子らしい働きをしているかどうかだ。 (神の軍勢にローマ軍を滅ぼすよう頼んでくれ) 神を試してはならぬ。征服者を倒すも同じ暴虐であろう。 (信仰とは何ですか?) からし種ほどの信仰を持つ者なら山に向かって動けと命ずれば山は動くであろう。 不可能なことはない。 (裁き方は?) 人を裁くな,裁けば同じ方法で裁かれる。 何故兄弟の目にある塵を見て自分の目にある粱を見ぬか。 偽善者よまず自分の粱を除いて良く見えるようにするがよい。 聖なるものを犬にやるな。豚に真珠を投げれば踏みつけた上に 向かってくるであろう。 欲しいものは求めよ。見つけたいものは探せ。 入りたければ門を叩け。すべて求める者は得、 捜すものは見いだし、門を叩くものには開かれる。 子がパンを求めるのに石を与え魚を求めるのに蛇を与える親があろうか? 悪人でも自分の子には、良いものを与えるのだ。 天にいます父なら なおさらではないか。だから他人にも自分と同じようにせよ。 それが予言者の律法である。 (祈り方は?) 『天にまします我らの父よ 御名の栄えんことを 御国の来らんことを 御心の天地に行わんことを 日々の糧を与えたまえ 我らが人を許すごとく 我々の罪を許し給え 我々を誘惑より守り 悪より救いたまえ 御国こそ真実の国 力と栄光の永遠なる国なれば アーメン』 (人助けの報酬は何ですか?) 報酬は感謝である。金銀も銅貨も受け取ってはならない。品物もだ。 危険な目に遭います。蛇のように賢く、鳩のように温和であれ。【私見考察】 キリストの基本的概念を辿ってみました。イエス様が説いていた教えには、やはり魂修行の意味が含まれているように思われます。キリストは,愛の大切さを哲学的に教えているのではなく、例えとして教えているようです。例えば主なる神や神の国は、あなた達の心の中に存在するという教えです。これは、魂の構造理論のことを分かり易く説明しているような感じです。心(=魂)の構造は、タマネギに例えると一番表皮の部分が頭で考える自分の存在ですが、実は、更に奥に潜む潜在意識(タマネギの中心)があります。この意識は、自分であって自分でない、非常に難解な言い方ですが、頭で考える自分ではない本当の意識を持つ自分が存在していると言われています。(それを真我=真如ともいう)そして更に潜在意識の奥には、次元があり、より高い次元になる程、神近き意識となる本当の自分がいるというわけです。しかし,その魂のレベルに達するには、魂修行が必要であり,すべての魂がそこに到達している訳ではありません。(人間は死後,生前の行いによって行くべき所が決まっており、そのレベルは人様々であるということ。次元とは,4次元が幽界、5次元が善人界、6次元が神界、7次元が菩薩界、8次元が如来界など段階的な次元があり、高次元ほど、神近い意識=次元となるということ)徳を積まなければならないというのです。この徳の本質を本当に理解して行う為には、奉仕の精神が必要なのです。即ち、他が為にしてあげているのではなく,『させて頂いている』という概念なのです。この『させて頂いているのだ』そして、『そのような機会や場を与えられているのだ』という、即ち自分が徳積みをさせてもらえていることに感謝する、この事を肝に銘じて実践して行かなければならないのです。この心構えが、徳積みをしていく為の基本的な心構えであります。この心境で事を実践して始めて、オーラの光(仏教で言う後光)が強まり、更なる高い次元へと自分を導いて行く事が出来るようになる訳です。イエスキリストは,その方法論を例え(比喩)を使い,誰もが理解出来る説法という形で多くの人達に伝導しようとしたのだと思います。そして、実際、その真実が本物であるということを示す為に病気で苦しむ人や悪霊に取り憑かれて苦しんでいる人達を神の奇跡という行為で治してみせたのではないでしょうか? 『与えた愛は,与えた人のものになる』という心の法則、これがすべての基本であります。これは釈迦仏教においても同様なのです。いくら本当の自分を捜す事に追求できたとしても、そこには、前述した徳の本質と実践がなければ誠の成就は出来ないのです。この理こそが根本宗教の教えの入り口となっている訳です。間違う事なかれという意味は,この事だったのです。私自身が取り違いをするところでした。感謝、感謝(合掌です)与えていると思うのではなく,させて頂いている、即ち『多くの方に愛を与える機会を得させてもらえた事に感謝出来る人でなければ、本当には徳を積む事が出来ない』これが心の法則の基本であり、魂修行の根本の教えであるということです。してあげているのではなく、させてもらえているのです。(この心境こそが奉仕の精神なり)
2010.04.11
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************** ガリラヤ湖での宣教 聖母マリヤ ヨルダン川で洗礼を受け、もはや精霊を宿したイエスは、更に荒野で悪魔の誘惑に勝ち、ようやくキリスト教伝導の時期を迎える。イエスは荒野を出て、ガリラヤ地方で人々に会われた。最初に2人の弟子が選ばれた。ヨハネとアンデレがイエスに従う。ガリラヤの湖で第3の弟子が招かれた。漁師をしていたシモン(=ペテロ)である。イエスは、シモンに対してこう言われた。『シモンよ、ペテロ(岩)と名乗れ、その上に私が教えを建てる』シモンは返答する。『私はただの漁師にしか過ぎません。』再度イエスは言う。『そなたは人間を取る漁師になるのだ』それからイエス達は、ガリラヤからサマリヤ、ユダヤというように南方に布教した後、北部のフェニキア地方にも足を伸ばして神の教えを説いて廻った。評判は、たちまち広まっていき、その間にも弟子は、更にヤコブ・ピリポ・パルトロマイ・トマス・マタイ・アルバヨの子ヤコブ・タダイ・熱心党のシモン・イスカリオテのユダの8人が加わり合計12人となる。またその他、在家の身でイエスの宗教に帰依し支援する信者も大勢いたという。 ~多くの人々を悩みから救うキリストの奇跡~ イエスは病気や悪霊から悩む人々を清められ、奇跡の力で治されたのである。1)寝たきりで歩くことすらできなかった者が歩けるようになる。2)失明していた者に対し、イエスが手をかざす。その者の目が見えるようになる。3)悪霊に取り憑かれて荒れ狂い暴力を振るっていた者を静める。4)宣教の旅の航路で嵐に遭うが、イエスの神への祈りによって嵐が静められる。5)イエスが水の上を歩く。 ~人を愛し、人を生かし、人を許したイエスの教え~ 弟子達に教えを説いていたある時、石を持った人達が集団で、ある女性を追いかけ、追いつめる。イエスはそれに遭遇すると『何事かと問う』集団の中にいた一人の男が『この者は、安息日に姦淫をした,掟どおり石で打ち殺す。』と言った。それに対しイエスは返答した。『罪のない者がいたら,まず石を投げよ』すると石を投げる者は誰一人おらず,その場を立ち去った。イエスはその者(安息日に姦淫をした女性)にこう言われた。『そなたを罰する者はおらぬ、行きなさい。再び罪を犯すな』 イエスに助けられた彼女は、その後、イエスの母であるマリヤの家を訪れる。そしてドアを開けるとマリヤが夕食の準備をしていたのを見て、こう尋ねた。『御母堂様』『はい』『お宅を拝見しにきました』『お入りなさい。一緒に食事をしましょう』『私は罪ある女です』『構いません』『汚れています』『神様には善と悪も光と闇のようなものですよ、悪があるから改心もできるのです』『お伝え下さいませ』『遠慮なく』『息子(=イエス)が言ったでしょう。100頭の羊を持つ人も1頭を見失えば99頭を荒野に残してその1頭を捜します。見つければ喜んでそれを肩に乗せますわ。そして家に隣人や友達を招いて言うでしょう。迷い子の羊がみつかった皆で一緒に祝ってくれ。あなたは神がこの家に遣わされたのです。ここに来て座りなさい。』このとき始めて、イエスキリストの女性信者が誕生する。後にイエスが十字架に掛けられ、死を迎えるが、その後、復活を遂げたのを一番最初に見た者となる。 ~イエスの教えは、心の法則に基ずいていた~ イエスは、この教えを伝道させていく為に、弟子達に潜在意識活用の門を開かせようとしていました。それを強調している一説の文がこれです。『全世界を得ても自らの魂を失ったら何になろう。よい種を播くものは人の子である。畑は世界だ』これは、潜在意識の法則に基ずいて説かれています。畑とは、自分の心の奥にある潜在意識です。潜在意識には感情がありません。ところが、自分の意識が強烈な念を継続的に描くとそれが心の奥にある潜在意識に投影され、その通りの人生が繰り広げられていくといった願望実現の法則があるのです。ですから常日頃から良き言葉、良きイメージを持つ(=よい種を心に播く)習慣のある方は、不思議と運気が好転してくる訳です。しかし、何千年も前からマーフィーの法則が知られていた訳ですからイエスの信仰の偉大さが伺われます。更にイエスは、すべての人に神の王国があると告げています。これは、どんな人にも神性、仏性があるのだ。即ち真我(頭で考えて自己を評価、認識している自分ではなく、個性的な魂(色)を持った本当の素晴らき自分)が存在していると説いています。イエスが弟子達に信仰の奇跡を見せたのは、普遍の真理を確証させるためであったことは間違いないでしょう。それを決定ずけたのは、イエスの再臨(イエスは十字架に掛けられた死後、霊身となり復活を証明するために霊能力を備えた弟子達の前に現れる)です。すなわち魂の存在はもとより、ご霊界(天上界=天国=5次元以降の世界)が実在することを証明したのではないでしょうか。 ~12使徒(イエスの弟子達)の行方~ 教祖のイエスは、西暦29年に、ゴルゴダの丘で十字架上の磔刑による死を迎えてしまうが、各地に四散した弟子達は、イエス・キリストの復活体験者である使徒ペテロを中心に原始共産主義的な体制を取る原始キリスト教団を結成する。イエスを告発した裏切り者のイスカリオテのユダは、磔刑後に自殺するがその後継にマッテアがついた。12使徒率いる原始キリスト教は、ステパノなどの実務従事者と共に原始キリスト教団を盛り立てていき、ユダヤ教からの迫害をはねのけながらパレスチナ地域で勢力を拡大していく。しかし12使徒の中で、ヨハネ(唯一天寿をまっとうした聖人)以外は皆、迫害を受け、ある者は矢場で処刑、あるいは喉をかっ切られ、また十字架に掛けられ殉教するといった壮絶な人生を遂げる。(命がけの伝導を貫いていくのである。) ~ローマ市民を驚愕させたパウロの信仰~ イエスの死後、イエスの弟子の12使徒以外に、パウロという人物がいました。彼は、当時パリサイ派であり、キリスト教を徹底的に弾圧し迫害していました。ところが、ある日、捕虜にしたキリスト教徒を護送中に突然、目が見えなくなり、馬から落ちます。そして神の声を聴きます。その声はイエスであったと記されています。『パウロよ、何故私の愛する信徒を迫害するのか』『それはあなたの本来の使命ではない。目覚めよ、そして主なる神に従い、信仰を成就せよ』それ以後、パウロは熱烈なキリスト信徒に生まれ変わり、ペテロと並び宣教活動の主軸となっていきます。歴史上有名な『パウロの回心(パウロのキリスト教への転向)』です。パウロは、死より復活したイエスと対面して神の贖罪と赦しを授かったといいます。キリスト教信者へと転身したパウロは、現在のトルコに当たる小アジア地域を熱心に布教して回り、マケドニアからギリシアまでの遠路を3回も伝道して回った。パウロの宣教師としての功績は、12使徒の中でも他の追随を許さない大きなものであり、鉄の意志と不退転の決意を持って望むパウロの信仰は凄愴なものであったという。キリスト教に回心してからは自らがユダヤ人やローマ帝国の官吏から弾圧される側に回った。しかし、どんなに苛烈な攻撃もどんな艱難辛苦も、彼の信仰を曲げることが出来なかった。最後にローマに行き、キリストの信仰を伝導したが、反逆者の汚名を受け、処刑される。死をも恐れぬその信仰心にローマ市民の多くは、驚愕したと記されている。
2010.03.25
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************** ~H22年3月24日の日記~ このブログを開設して後、不思議なことが続いています。その典型として、まずあげられることは、このブログのタイトルでした。最初のブログ名は、夢想転生と名付けていました。北斗の拳が好きだからです。またパワーストーンにも興味があり、運気好転と称して、その方面に関するアフェリエイトもしようと考えていました。ところがある日、突然急変したのです。どのように自分の頭で考えてブログを書こうとしても、その度に、まるで自分の心が空洞のようになって、満たされなくなり、書けなくなっていました。更にこの路線は間違いであるという強烈なインスピレーションが働き始めたのです。上手く言えませんが頭で考えている、意識している自分ではなくて、別の自分とでも言いましょうか?頭では考えない瞬間的ひらめきを発するもう一人の自分がいて、その者に従うかのようにブログが進行し始めたのです。タイトルが現在、心願成就駅に変わりましたが、このこと自体も予想もしていない不可思議な出来事だったのです。この先大幅にブログの内容が変わっていきます。既に水面下で予想もしなかった行動(行)を起こしている自分、しかし、あるがままの自分のブログ、頭で考えていない、意識していない、無欲無心の自分自身のブログを作るのも面白いと思い、開き直っています。この不思議な体験は、自分にとっては宝物となるかも知れません。このブログにいずれ魂の道場(=心洗道場)を開設します。本当に不思議なのですが既にその構想が出来ています。それを完成させていくには、まだまだ時間が掛かりますが、あせらず前向きで取り組んでいきたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。
2010.03.24
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************** ~悪魔(己心の魔)との戦い~ ヨルダン川にて洗礼を受けたイエスは、荒野へと向かいます。 今や聖霊を宿した彼に神の声が聞こえた。そなたは我が愛しの子、 我が喜び、荒野の昼は焼けるように熱く夜は寒く寂しい。イエス は、神と交信し来るべき日に備えた。断食し空腹であったが魂を 明るみに出し40日の試練に耐えられた。 (悪魔のささやきとイエスの言葉) 悪魔の誘惑である。見よ,私はここにいる。来るがよい。 そなたの心を試そう。神の子なら石にパンとなれと命じよ。 人はパンのみでは生きぬ。 神の御言葉によって生きる。 この世のすべての国々を目の前に見せよう。 ひれ伏して私を拝むならすべての栄華を与えるぞ。 この高みに登るがよい。そなたが神の子ならここから身を投げよ。 神の御使たちが受け止めてくれよう。来るがよい。 去れ、私は主なる神のみを拝し神のみに仕える。 思うようにするがよい。私は主の助けは呼ばぬ。 神を試みてはならぬのだ。悪魔は誘惑に失敗して去る。 キリスト教の神話の始まりである。
2010.03.15
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************** ヨハネの洗礼を受けるイエス 聖母マリア ~イエスの洗礼~ イエスが実在していた時代、イエスキリストの再来を待っていたのは、親戚に当たるヨハネでした。人々はこの人が死からよみがえった預言者ではないか、それともこの人こそが約束の救い主ではと期待していた。しかし、ヨハネはきっぱり否定する。「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である。」「わたしは水でバプテスマ(=洗礼のこと)を授けている。しかし、もうすぐわたしよりも権威あるお方がおいでになる。わたしには、その方の靴ひもを解く値打ちもない。その方は火と聖霊によってバプテスマをお授けになるだろう。」 ヨハネがバプテスマを授けているところへ、イエスが現れる。その存在感は、他の人にはない神聖で恐れ多いものを感じた。この方が救い主であることをヨハネは悟ったのだろう。イエスの申し出を断る。とんでもない、罪人のわたしが、罪のないお方にバプテスマを施すことはできない。しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである。」そこでヨハネはイエスの言われるようにした。 そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊が鳩のように自分に(イエス)下って来るのを、ごらんになった。すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」この声は天の父なる神の声であった。ヨハネは深く感動して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」と叫んだ。 イエスは罪のないお方であったから、悔い改めのバプテスマを受ける必要はなかった。イエスは神としてではなく人間として、我々のとるべき手段をとられ、我々に模範を示された。また、イエスのバプテスマは、天の父なる神の御意思を受け、救い主としての活動を宣言するものであった。人類の罪を背負っていたことも暗示している。 ~イエス キリスト当時のユダヤ教~ 今でこそメシヤとして世界中のキリスト教徒によって信奉されているイエス キリストですが、その当時はどうであったのでしょうか。聖書の記述によると、ユダヤ教の指導層からは煙たがられる存在であったようです。特に次に挙げるパリサイ派から迫害を受けたようです。イエスの時代、ユダヤ教はいくつかのグループに分かれていました。主なものはサドカイ派、パリサイ派、エッセネ派の3つでした。 1)サドカイ派 モーセを始めとする過去の預言者たちの残した教典のみを重視しました。学問として教えを捕らえていた学者たちが主でした。 2)パリサイ派 タルムードを重視し、ラビの言葉を重視しました。タルムードはユダヤ人のバビロン捕囚と同時代に生まれたユダヤ教典のうちの一つであり、口伝律法の集成です。タルムードは他民族によって迫害され続けた反動でユダヤ人選民思想的な側面が強調されています。イエスの時代、ユダヤの地はローマの支配下にありました。ローマ人総督の下、王と議会が存在しました。この議会を「サンヘドリン」と呼びました。王もこの会議の決定には逆らえませんでした。パリサイ派はサンヘドリンに大きな影響力を持っていました。 3)エッセネ派 律法を特殊共同体的環境の中で遵守しようとしたグループです。その中核部分がクムランに隠遁したクムラン教団であったようです。クムラン教団とは紀元前二世紀中頃成立した、祭司的要素を基とした特殊共同体で、死海のほとりのクムランの隠遁所で律法を徹底的に守りながら、近い終末に備えようとしていたとされます。エッセネ派の倫理規範は共同体倫理と愛に基づいていました。イエス キリストのようにしばしば譬えや比喩を用いて語ったようです。星を読み、未来を予測し、治療を行ったともされます。また紀元前250年にインド皇帝アショカ王が派遣した宣教師によって伝えられた仏教の思想を採用したと言われています。イエス キリストの親戚洗礼ヨハネはエッセネ派に属していたようです。 「ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。ヨハネはらくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。」このような川で洗礼を授けたり、修道生活を送るというのはインドの影響を受けていた証拠と考えられます。 洗礼ヨハネの誕生前にザカリヤに現れた天使は洗礼ヨハネの将来を以下のように予言していました。「エリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。」 新約聖書によると、イエス キリストは本格的な活動を始める前に洗礼ヨハネを訪ね、ヨルダン川で洗礼を受けたとあります。洗礼ヨハネは、かねてより自分は水で洗礼を授けるが、自分のあとから来る人は、火と聖霊とによって洗礼を授ける方であり、自分は彼の靴を脱がせてあげる値打ちもないと証言していました。「そしてイエス キリストが訪ねて来たとき、神の予言どおり、御霊がイエス キリストに下ってとどまるのを見て、神の子であるとあかしをした。」 実際はイエス キリストはユダヤ教指導者から迫害を受け、最後には十字架にかけられ、ユダヤ教とイエス キリストを信じる集団が袂を分かち、最終的にユダヤ教とキリスト教という別の宗教に別れていきました。
2010.03.14
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 私はキリスト信者ではありません。何故か分かりませんが、今回はイエス キリストの生涯伝記を記事にしてみたいと思います。 (間違うなかれ、根本の中に真実がありというインスピレーション) *********************************** ~イエス キリストの誕生~ 聖 書 聖母マリアと天使 【はじめに】 イエスキリストは今から2000年前イスラエルのベツレヘムで誕生したとされます。イスラエル民族のメシヤの到来への期待を背にした誕生でした。聖書は、キリストが生まれる前の旧約聖書と生まれてからの新約聖書とに分かれている。新約聖書は27あり、マタイによる福音書から始まる。新約聖書の初めから4つは(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)福音書と呼ばれ、イエス・キリストの生涯と教えが書かれています。【約束された救い主】 キリストがお生まれになる頃、パレスチナはローマの支配化にあり、内部の争いが絶えず、ローマ人からの重い税にも苦しめられていた。彼らは、ローマ人の支配から救われることを願っていた。与えられたメシアの預言を、罪からのあがない主ではなく、外国人の支配から救い出し、すべての国々を征服するメシアだと思い込み待望していた。 マリヤが天使長ガブリエルからお告げを聞いたのは突然の出来事であった。「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者、聖なる者、神の子となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座(七星陣はダビデの紋章)をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう。」 十字架(キリストの紋章) イエスの誕生 【イエスキリストの誕生】 ヨセフは、マリヤのお産が近ずいた為、その晩休むところを求めて、宿屋を一軒一軒探し回ったが、どこも満室だった。やっと見つけたのは、家畜小屋だった。マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。 ベツレヘムに近い野原では、羊飼いたちが羊の番をしていた。羊の大敵は主に狼で、羊飼いたちは夜を徹して、羊を守った。羊飼いたちは静かな夜、約束の救い主について語り合い、早くおいでになることを願っていた。すると突然、大空にまぶしい光が輝きわたった。その光に、羊飼いたちは非常に恐れた。 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。この方こそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。」羊飼いたちは、夢をみているのかもしれないと思った。しかし、みんながみんな同じ夢をみるはずがない。間違いない、あれは天使だ、神様のお告げだ、約束されていた救主の誕生だ!そう確信すると、「さあ、ベツレヘムに行って、主がお知らせ下さったその出来事をみてこようではないか」と、互に語り合った。羊飼いにとって、羊は大切なものだった。重要な仕事、生きる糧だった。羊は、視野が狭く、臆病で、方向音痴である。守らなければならない存在だった。その大切な仕事をほっといてまでも、神のお告げを信じ、ベツレヘムに急いだのである。 一方、救主誕生の場面にあずかった者たちがいた。東の国の占星術者たちであった。この博士たちは、今でいう、星占い師、天文学者とは異なる。星の現れた正確な時刻が分かるというだけでなく、その星の意味が分かり、将来を予見できる人たちであった。その予見の正確さは確かなものであったので、その存在は王にも信用され認められていた。ベツレヘムに神の栄光の星が輝きあふれた夜、この博士たちもこの神秘的な星を見た。この星は恒星でも、遊星でもない不思議な星だった。博士たちがこの星について調べていると、聖書の中に「ヤコブから一つの星が出、イスラエルから一本のつえが起り」と記してある。博士たちは、約束された救主誕生のしるしの星だと確信した。東から来た博士たちは(バビロニアかペルシャだと言われている)は行く先も知らないで、最高の贈り物を携え、お生まれになった救主を探しに出掛けていった。 道中、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで導いた。その星がぴたっとエルサレムのお宮で止まったので、博士たちはてっきりヘロデ王の屋敷にいるのだろうと意気揚々入っていき、こう尋ねた。「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。」イエス誕生の知らせを聞いたヘロデ王(ユダヤの地の統治者)は、ひどく動揺し、救主が生まれたという噂はたちまちエルサレム中に広まった。王は祭司や律法学者を集めて、キリストはどこに生まれたのだ?と尋ねた。彼らは、ユダヤのベツレヘムに偉大な支配者が出てエルサレムを治めるようになると預言者ミカが聖書に書いておりますと答えた。ますますヘロデ王はうろたえた。聖書の預言は確実であることは知っていたし、占星術者の予見も確かなものだと信じていたからである。自分の立場が危ない、なんとかしてこの救主を滅ぼさなければ、ヘロデ王は殺意を抱いた。王は救主誕生を喜ぶようなふりをして、居場所を突き止めようと言った。「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから。」 博士たちはお宮を出て行くと、再びあの星が現れ非常に喜び、ベツレヘムに導かれて行った。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。博士たちは、誕生した救主がこんな粗末な馬小屋にいるとは、想像もしなかったことだろう。この赤ん坊が今まで捜していた救主だろうか。しかし、彼らはその赤ん坊にしっかりと神の臨在を感じたのだろう。赤ん坊にひれ伏して拝み、贈り物を捧げるのである。なんとりっぱな信仰だろう。 また、この三つの贈り物は大変高価な物である。金は王室にささげる最高のものであったし、乳香は香料の一種で、祭司(神と人とをつなぐ役割をする、宗教のリーダー)に捧げられるものであった。没薬は、天然ゴムの樹脂で、古代の貴重な防腐剤で、死体を腐らないように用いられたものだった。いくら高価なものとはいえ、生まれたての赤ん坊に死体の防腐剤をささげるとは。キリストの死、われわれのために死ぬことを予表していたのだろう。 一方、ヘロデ王は、イエスが誕生したその居場所を知リたいが為に、博士達の帰りをずっと待っていた。しかし、博士達はいつまでたっても帰ってこなかった為、ヘロデ王は怒り、自分の地位を脅かすものは、根絶やしにしなければならないと思い、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺すよう命じました。これはエレミヤ書に預言されていた。(後にヘロデ王は、多くの赤子の命を奪った罪で、心臓発作を起こし、息ができなくなり苦しみもがきながらながら息を引き取る)ヨセフもまた、夢で「ヘロデ王が幼な子を殺そうとしているから、すぐにエジプトに逃げなさい。」というお告げを天使より受けた。しばらくエジプトに住んでいたが、また夢でお告げを受け、故郷ナザレに戻り三十年間過ごされた。血なまぐさい騒乱の中で、キリストは誕生された。粗末な家畜小屋のなかで、誕生の喜びを共にし、赤ちゃんイエス様にお会いしたのは、羊飼いたちや博士たちだった。彼らは神を信じ、神様に純粋に従った人たちであった。最高の知性を持った博士たちも、名もない無学な羊飼いたちもイエスを拝して喜びに満たされたことは、イエスの降誕がすべての人々に与えられる喜びでの訪れであった。
2010.03.14
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************** 貧者の一灯 釈迦物語の中に貧者の一灯について書かれたものがあります。これは、仏陀 (釈迦) が法話して頂けるということで、多くの人々が続々と集結していた最中の出来事でした。お金も地位も無い老婆が仏陀の教えを聞きたい一心で、どうにかしてその法話に捧げる為の火を起こす油を手に入れようとしていました。そして油売りの業者に出会いました。老婆は、わずかなお金で油を下さいと言いました。業者は、こんな少ないお金では、油は譲れないと言い返します。困った老婆は、いきなりハサミを貸して欲しいと言い、そして借りたハサミで自分の長い髪をばっさりと切り、その髪で油を買いたいと再度業者に言いました。さすがの業者も、老婆の髪は役に立たないことが分かっていたにも拘らず、その老婆の心意気を買い、油を少し譲りました。 仏陀の教えを聞く為のご法話の場所では、多くの人達が集結していました。周りが明るい程のそして多くの火が灯されていました。そこに老婆がやってきました。そしてとても小さく少しの油しかないみずぼらしい器に火を灯しました。そしてこう祈りました。『私は老い先短い年寄りですが、こうしてお釈迦様の有り難い法話を聞くことができ、本当に感謝しております。生きていて良かった』と合掌し、感激のあまり涙を流していました。 仏陀の法話が始まりました。その最中、ブッタの教団を面白く思わないダイバダッタ (神通力者)は、その法話をぶち壊し、釈迦王子に恥をかかせてやろうと企みます。そして神通力によって風を起こし、火を消しにかかりました。火は全て消え、辺りが真っ暗になりました。周りがどよめきます。ところが不思議なことに全て消したと思った火が一つだけ消えていなかったのです。釈迦は、その間も動じることなく法話を続けます。雰囲気がもとに戻るや否や怒ったダイバダッタは、再び風を起こしその火を消しにかかります。2度、3度、それでも火は消えませんでした。他の多くの油の十分入った器の火はすべて消えてしまったのに、僅かな油しか入っていなかった、たった一つの小さなみすぼらしい器の火は消えなかったのです。 【私見考察】 根本の仏教の教えの中の価値観は、お金ではありません。それは、純粋な思い、清らかな思い、感謝、真心、これに勝るものはないということを教えています。何もない貧者であった老婆が、自分の髪を切ってさえも法話を聞きたい純粋な念い、その髪は、もう役には立ちません。いわば物質的には、価値がない訳ですね。ところが、ダイバダッタが、最後に残った火を何度も何度も悪念力で消そうとしましたが、その老婆の灯した火だけは消すことができなかったわけです。これは、相手をたたき潰(つぶ)してやろうと思って出した悪念の波動も、純粋で素直な心をもつ老婆だけには、跳ね返されてしまった(=善念には勝てなかった)ことを意味しています。このように根本の教えの中には、何が大切であるのかを伝えています。お金だけが全てではないのです。お金で買えないものも世の中にはたくさんある訳です。第一は心構え、お金は二の次ということです。死んでお金は持っていけないけれど、純粋な魂 (清められた心) は残っているということですね。 パワーストーンの扱い方もこれと同じであります。鉱石は、その人の持つ念のエネルギーをすべて吸収してしまう鏡のような物(一種の心の波動の受容器)でもある訳です。石は良き波動にも悪い波動にも敏感に反応し、染まっていきます。その為に第一に浄化が必要となってくる訳です。その人の心の浄化が進めば、その方が保持しているパワーストーンの浄化力も強まっていきます。即ち、パワーストーンの効力を生かすも殺すもその人の心次第という訳です。どんなに高級なダイヤモンドを保持していても悪しき心を持てば、道は開かず、運気は低迷の方向へと導かれてしまいます。逆に加工もしていない天然石でも良き心を持ち、徳の本質を認識し、正しき夢や願望(神仏の理法に叶った願望)に向かって日々精進、邁進していく姿勢を持つあなたであれば、道は必ずや開かれ、運気は好転していく方向へと導かれていく訳です。パワーストーンは、それを増幅してくれる、即ち心の浄化を助けてくれる護符のようなもので、石そのものが直接的に願望を実現してくれる訳ではないのです。古来、真言密教で扱われた天珠は、物によっては、水晶の100倍以上の浄化力を持つ(強力なお守り)と記されていますが、要するに熟練した修行僧の念がその天珠に宿っている訳です。(=仏像に崇高な魂を入れるのと同じ)パワーストーンも天珠と同じく、ヒーリングに敏感な特質を持っていると言う訳です。 ************************************************************** *インスピレーションから来たものを下記に公開してみました。 中々難解な表現ですが、受けた感じがこのような内容です。 結語 パワーストーンを聖なる石にするか否かは、自分の心次第である。 常日頃から自分の心の浄化を行い、それをパワーストーンに投影 させることで、更なる浄化力が増す。心の浄化力が増せば、願望 成就を早める結果となる。しかし、その為には、潜在意識活用の 門を開かなければならない。(=ヒーリング方法の習得と工夫) 運気好転の原理は、徳の本質を外して成立することはできない。 従ってパワーストーン(=仏教七宝)は、前述のことを踏まえて 扱わなければならない。(ご利益信仰の道具ではないということ) パワーストーンを神仏の理法と融和させるということは、お互いが 独立しているのではなく、あくまでも土台となる正しき理念に従い その中で共感させていくということである。即ち、両者(自分の心 とパワーストーンの関係)は、相互いに正しく共鳴し合って始めて 効力を発揮するのである。(=願望実現への促進)
2010.03.10
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 今日の日記です。尚この日記は、次に記事が完成次第、削除します。パワーストーンの意味についてですが、私も大変興味があり、インターネットで色々と調べました。ところが、その内容には、落とし穴があると指摘される訳です。不思議なことに自分が調べて記事にしているものなのに間違いである(訂正せよ)という強くクリアーな直感(インスピレーション)が働く訳です。ただこれを記事にするとなると色々な障害が起きてきます。それは、結局中傷批判という事になってしまいます。吟味するとは、ここにある訳です。 それではそのインスピレーションから来た内容のほんの一部を公開してみましょう。パワーストーンをご利益信仰として扱ってはならない。例えば金運をもたらすということがその典型例である。もし仮に、それを持つことで金運をもたらしたとしても、それを自己の為に使えば、今までに積み上げた徳が確実に失われるであろう。(要するに金運が持たさせれるのは、その人に既に徳がある訳で、それが引き出されたに過ぎない。)逆に他が為に使うとするならば、更に徳が積まれよう。徳の本質を知らずして本当の願望成就や志は完成されない。パワーストーンの本質は、浄化にある。浄化によってパワーが生まれ、更なる浄化力を頂く。神仏の理法と仏教七宝(水晶やラピスを含む)は、融和されなければならない。ここを間違うと運気は好転しなくなるのである。 これは、ほんの一部ですが、たったこれだけの内容でさえも、今まで調べて書いた記事の内容を変更しなければならなくなります。今後、このブログの内容が更に変わっていきますが、その一部の内容だけを見て判断せず、広く捉えて頂ければ幸い(木だけを見ず、山全体を見ること)です。宜しくお願い致します。
2010.03.06
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 ブログの方針を決めて進めようとしているのですが、中々できません。不思議ではあるのですが、自分の観念で書こうとしたものがすべて没になる訳です。STOPがかかるのです。お笑いになる方もおられると思いますが、要するに、自然に出せなくなるのです。場合によっては、自分が全く予期せぬ内容のものまで瞬間的に出てきます。しかし、本当にこれを記事にして良いものか否か、吟味しなければならないものまでありますので、もうしばらくかかると思います。その間、違う内容の記事を出すかも知れません。ただし鋭いインスピレーションから来る内容のものは、これがその内容のものですと明確に提示致します。まだしばらくは時間が掛かると思いますが、長い目で見て頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。
2010.03.04
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 ********************************* 2010年 2月27日 ~心願成就駅の四本柱~ 1)やはり普遍の真理は存在した。 このセクションでは、実際にあった本当の不思議な体験から確証した 驚くべき内容(真実)のものを記事にして書いています。必見です。 2)ヒーリング(願望実現法)に必要な基本的知識。 真に運気を好転させる為には、普遍の真理、即ち神仏の願いに叶った 成功理念の基礎を学んでおく必要があります。特に着目しておきたい 内容のものを神理学や偉人伝記の書籍から抜粋、編集。お勧め必見。 3)仏教 & Power Stone アート コレクション。 このブログは、ある不思議な夢から来たインスピレーションを発端に に始めました。仏教とパワーストーンや風水、これらを七星陣を土台 にして融合し、新しいヒーリングパワーアイテムをアート感覚で試作 してみました。興味のある方は,一度覗いてみて下さい。 尚2)と3)は、新記事を追加していく予定です。 *詳細のブログは、下記の画像をクリックしてご覧下さい。 1. 普遍の真理の確証 2. 願望実現(基礎知識) 3. ヒーリングアイテム 4)願望実現への実践方法。(現在,構築中) 常日頃の心を制御していく、すなわち良き思念を持続し、運気を好転 させていく為には、基本的には第一に、心の浄化が必要となります。 このセクションでは、前述した事を根底にヒーリングの間(癒しの間) をブログの中で作成し、紹介していきたいと思います。
2010.02.27
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~心願成就駅~ (Praying accomplishment Station) ~ 夢伝心眼、心中閃光、無欲空心、誠願成就~ (夢より授かりし心眼の力で、心中にきらめく光明を 無欲無心で掴み取り、誠願を持って貫き、完成させよ) 心眼=物事の真実の姿を見抜く、鋭い心の働き。心の目。 成就(じょうじゅ)=物事を成し遂げること。 閃光(せんこう)=すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。 =直感的な鋭いインスピレーション。=光明。 *********************************
2010.02.27
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~心願成就駅 ~ (人気ブログランキング参加中です) ********************************* ~徳の本質とは何か~ 一般的な宗教哲学の中にも唱われている『徳の本質』とは何でしょうか? それを解く鍵は,偉人伝記の中にもあります。マザーテレサにしても伊深八重にしても、その人生観を見ていると不思議な事に他が為に尽くす生き方なのです。自分の事を省みず、ひたすら他が為にを本質とした生き様です。そしてその生き方に結論も残しています。それは、感謝という言葉です。つまり、自分がそのような生き方(多くの他の方のお役に立ちたい仕事)のできる場所を与えて頂いた事に、恵みに感謝している訳です。そこには、何のためらいもありません。見返りを求めている訳でもなく,地位を求めている訳でもなく、その人生観そのものに感謝しており,それを恵みとして捉え感謝しています。イエスも弟子達に真理を伝導したお礼(報酬)は感謝のみで、物やお金での報酬を受け取ってはならないと教えています。要するに無料で良い(見返りはいらない)と言っている訳です。 仏教の開祖であるお釈迦様も弟子達にお布施の功徳を説いています。これは、修行僧が托鉢姿となり一般庶民から布施(お米等)を頂く訳ですが、これも実は,功徳を積む実践業の一つなのです。功徳を積まれる方は一般庶民であり、その機会を与える側が修行僧という事になります。ここでも,与える行為がどれほど清々しいものか、それによってどれほど尊く嬉しい気持ちになるか、その機会を与えている、大いなる悟りの縁を導いている偉大な悟りへの行であると教えています。即ち与える愛の見返りは,与えた人のものになるがごとく、布施の功徳も布施をした人のものになる訳です。但し,お布施を見返りを求める為の行(ご利益信仰)のような考えで行ったなら意味がありません。せっかくのお布施の功徳も消えてしまう訳です。 しかし、私たちは現代社会において,大変複雑な人間関係の中で生きています。そして、資本主義である以上、競争の世界で立ち向かっていかなければ生活出来ない環境にいる事も確かです。なんでもかんでも他の人に教えて徳を積んだと言えるか否かです。例えば仕事をしていく上で機密となる事項、自分が大変な努力によって築いてきたものをそう易々と何の努力もしていない方に教える事等出来ませんよね。他の人の為にプレゼントするのなら『ただで差し上げるくらいのつもりでなければなりません。』要するに見返りを求めるくらいなら、最初から他の方にあげない事です。無償の気持ちでなければ徳は積まれない、これが心の法則でもある訳です。ですから,その内容を吟味し、ただであげても良い物を検討する必要はあると思われます。心の法則に従い徳を積む理念とは、『他の方に与えてもらった恩は、いつまでも忘れず感謝の心を持ち、逆に他の方の為にしてあげたことは、さらっと流して忘れてしまう事』、この生き方が徳を生む最良の方法(理念)だということです。 さらに、徳の法則には,陽徳と陰徳があります。陽徳は、他の多くの方から賞賛される、尊敬される、認められるといった、その方の眼に見える貢献度を讃えた徳の事を言います。ところが、陰徳は,誰も気がつかず、多くの方のお役に立っている、言わば縁の下の力持ち的存在、眼には見えない徳のことを言います。即ち、陽徳は、世間の評価によって成り立つ徳ですが、陰徳は,神仏にしか分からない徳という事になる訳です。そして驚くべき事にお釈迦様は、この陰徳の行を重んじていたのです。弟子達に教えていたのは、他の人からの賞賛や評価にとらわれず、それが人のお役に立つ行為であるならば、進んで行じるということを教えていました。即ち、『無欲で他が為に行じていく』これが真に徳を積む方法であると説いていたのです。 結語、無欲で徳を積む=その人のオーラの気が輝く(=後光=霊性の向上) ********************************* ~ヒーリング(願望実現)の為に必要な基礎知識~ 真に運気を好転させる為には、普遍の真理、即ち神仏の意に添った 成功理念の基礎を学ばなくてはなりません。このセクションでは、 ヒーリングの為に必要な基礎的知識について、特に着目して置きた い内容のものを神理学や偉人伝記の書籍から抜粋、編集しています。 興味のある方は、覗いてみて下さい。おすすめ必見です。 画像をクリックしてご覧下さい。 ********************************* やはり普遍の真理は存在していた。 このセクションでは、本当にあった霊的体験をありのまま真実そのもの を記事にしています。これを全て読み終えたとき、魂の存在はもとより、 普遍の真理が存在していることに気が付かれることでしょう。少し怖い 内容の記事もありますが、必見です。勇気を出して一読してみて下さい。 画像をクリックしてご覧下さい。 ********************************* 仏教 & Power Stone アート コレクション (The art collection that combined Buddhism with power Stone) このブログは、ある不思議な夢から来たインスピレーションをきっかけ に始めました。仏教(仏像)とパワーストーンや風水、これらを七星陣 を土台にして融合し、新しいヒーリングパワーアイテムを試作してみま した。興味のある方は,一度覗いてみて下さい。 画像をクリックしてご覧下さい。 (七星大車 如意法輪)
2010.02.24
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~心願成就駅 ~ (人気ブログランキング参加中です) *********************************** ~ヒーリング(願望実現)の為に必要な基礎知識~ 真に運気を好転させる為には、普遍の真理、すなわち神仏の理法に かなった願望,誓願を立てることが最高最短の方法だと思います。 しかし、その為には、神仏の意に添った成功理念の基礎を学ばなく てはなりません。知らなければならない訳です。このセクションで は、ヒーリングの為に必要な基礎的知識について、色々な神理学や 偉人伝記の書籍から抜粋、編集したものをブログにしていますので、 興味のある方は、下記のブログのタイトルをリンクして覗いてみて 下さい。おすすめ必見です。宜しくお願い致します。 人間の思考(心)の傾向性とは何か 光明理論で運気好転の土台を築く 潜在意識(マーフィー)活用の法則について マイナス思考の原因と解決方法 心の軌道修正法の基本(八正道) 浄化力抜群の般若心経とは、どのような教典? 般若心経のもたらす意味、その真髄とは何か、 般若心経は、最強パワーの真言を持つ教典であった。 (仏説)摩訶般若波羅蜜多心経 觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味触法 無限界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無知亦無得 以無所得故 菩提薩多 依般若波羅蜜多故 心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究境涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経 ************************************* *偉人伝記 ~学びの原点は、ここにあり~ (諸葛亮孔明、戒子書) *画像をクリックしてご覧下さい。 ~マザーテレサの生涯~ (絶対おすすめ、感動します。) マザーテレサ(前編) マザーテレサ(後編) *マザーテレサの生涯は、画像をクリックしてご覧下さい。 運気好転の原理。与えた愛は、与えた人のものになる。 ~井深八重の生涯~ 医療従事者必見。 神仏の理法に添って、医療に生涯を捧げた日本のマザーテレサと呼ばれた 人物が昭和の初期の時代に存在しました。その方は、ナイチンゲール記章 を受賞した人物です。井深八重の生涯、この方の生き方にも、誠の医療の 真髄、普遍の真理にかなった人生観を持っていた偉人であったように思わ れます。 井深八重(前編) 井深八重(後編) *井深八重の生涯は、画像をクリックしてご覧下さい。
2010.02.21
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~心願成就駅 ~ (人気ブログランキング参加中です) 釈迦涅槃像 ********************************* ~やはり普遍の真理は存在した。~ このセクションでは、本当にあった霊的体験をありのまま真実そのもの を記事にしています。これを全て読み終えたとき、魂の存在はもとより、 神仏の世界とその法則を学ばざるをえなくなることでしょう。少し怖い 内容の記事もありますが、必見です。勇気を出して一読してみて下さい。 それでは宜しくお願い致します。 *普遍の真理を確証する驚愕の体験集 ~第一部~ ~序章~ 言葉で表現できない真理 第一章 魂 (霊) は、存在するのか? 第二章 前世は、存在するのか? 第三章 魂の存在の確証 驚愕の体験 その1(兄の死を知らせた霊的現象) 驚愕の体験 その2(ポルダーガイスト現象 ? ) 驚愕の体験 その3(ポルダーガイスト現象 ?) 驚愕の体験 その4(決して入ってはならぬ霊場) ********************************* *普遍の真理を確証する驚愕の体験集 ~第二部~ 第四章 普遍の真理(叔母の不思議な神通力) 第五章 根本宗教が残した普遍の真理 第六章 一日一生の意味とは何か 第七章 ご利益信仰と徳行信仰の違い 第八章 仏の威神力がもたらす信仰の奇跡 第九章 恨みの心を恨みで返しては行けない ********************************* *普遍の真理を確証する驚愕の体験集 ~第三部~ 第十章 生霊の怖さを知れ(思念波動の法則) 第十一章 立ち向かう他人の心は鏡なり。 第十二章 生前、叔母の残した真理とは何か 第十三章 新興宗教の怖さと見極め。 第十四章 同通波長の心の法則とは何か 第十五章 五感を超える不思議な第六感の存在。 ********************************* ~第十六章 夢とは、どのような事象?~ ~第十七章 このブログは、ある不思議な夢から始まった~ (*画像をクリックして、ご覧下さい。) ~前 編~ ~後 編~ (不思議な夢画像) (八体仏の七星陣 配置図) ~最終章、不思議な夢のコラムが教えてくれたこと~ (夢診断で得たもの) *必見です。画像をクリックして、ご覧下さい。 (七星大車 如意法輪)
2010.02.21
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~心願成就駅 ~ (人気ブログランキング参加中です) ********************************* 聖母マリア 十字架(ロザリオ) ~井深八重の生涯(後編)~【6】選択と決断 私が決断しさえすれば、またあの世界に帰っていける。しかし、このためらいは、何だろう? 確かにここでの暮らしは、希望や生き甲斐とは、無縁に思えました。でも、自分はその中で見てしまったのだ。苦悩の中に喜びを見いだす人々を、祖国さえ捨て自分を捨ててまで人に尽くす人を。その瞬間、八重は、真剣に考えていたその答えを出したのです。八重は神父に、こう申し出ました。『自分は何もできないけれども患者さんの為にもお役に立つよう働きたい。』八重は、ここで患者の看護に尽くそうという決断が何を意味するか、よくわかっていました。やっと解放された病の恐怖に今度は、自分から飛び込んでいくのです。『私は手を差し伸べずにはいられないのだ。自分も病に苦しみながら、それでも尚、人を励ます患者達の心に応えずにはいられないのだ。』【7】マザーテレサもハンセン病患者の救済活動に取り組んでいた。 伊深八重が看護士としてハンセン病克服に新たな人生をスタートさせた30年後の1959年、インドでもマザーテレサが、ハンセン病患者の為に平和の村を開設し、その救済活動に乗り出していました。患者達に接するシスター達に、マザーは、言います。『患者達に触れなさい。愛を持って触れるのです。あなたが触れているのは、病の中にいる神様そのものなのです。』ここでは、病を呪い、周囲を呪ってきた患者達に再び生きる喜びを取り戻そうしています。施設には、織物工場などが造られ、働くことで社会の一員として役立っていることを患者達に伝えようとしています。彼らにマザーはこう囁きます。『あなたはかけがえのない素晴らしい一人の人間なのです。』【8】新たなる出発と試練 大正13年(1924年)27歳の八重は、看護士の免許を取得し、再びレゼー神父のいる病院へ戻ってきます。しかし、八重が日本のハンセン病克服へ辿っていく道のりは、偏見との戦いに満ちた困難で険しいものでした。八重は言います。『どんな苦しみにあっても静かに、この苦しみに甘んじたいと思って』病院で当時ただ一人の看護婦として、それからの八重の歳月は、振り返る間もなく流れていきました。患者の化膿した傷口を洗い、交換した包帯を川の水を汲んでは、大釜に沸かし消毒し、更には炊事から農作業まで手伝い、人目には苦行のように見えるであろうこの道のりも、最も魂が満たされる喜びの道でもありました。患者達の痛ましい看護をさすりながら八重は、しみじみ思いました。この傷口こそ、私に本当の人生を教えてくれた宝なのだ。この間、昭和5年(1930 年)には、レゼー神父が81歳で、この世を去りました。病み衰えた顔に浮かべた微笑みを八重は一生忘れることはありません。そして、忌わしい、昭和16年(1941年)あの太平洋戦争勃発。戦時下のキリスト教迫害と食糧難のため、どれほど多くの患者達を見送らなければならなかったことでしょう。八重は、その当時のことをこう語っています。『最後まで看取って本当に色々な人生の生き方ってものがあるものだと、口には言えないようないろんな教訓を与えられました。素晴らしいものだと思いました。』私こそ、彼らに学び、魂の成せるわざを教えられ、そして救われてきた。なればこそ、外で石をぶつけられながらも、ここまで来られたのだ。【9】ナイチンゲール記章受賞 戦後になって、ハンセン病の特効薬プロミンが登場し、治療に新時代をもたらしたのは、昭和20年代末、社会の偏見は相変わらずでしたが昭和31年、国際会議は、世界に向けて、ハンセン病は、治療すれば必ず治ると宣言、そのため、差別待遇的な法律は撤退すべき。患者達の社会復帰に少しでも道が開けたことは、八重にとっても大きな光明でした。母にも勝る母と慕われた八重に、昭和36年(1961年)国際赤十字から看護婦の最高栄誉、ナイチンゲール記章が受賞されました。しかし、八重は、どこまでも控えめで自分を語ることはありませんでした。【10】伊深八重が残した最後のメッセージとは その後、神山復生病院は、後遺症をよりどころとして見違える程、明るくなりました。その中で、患者達を見守り続けた八重の表情は、実に穏やかで優しくてニコニコ微笑みを讃えている。自分がここに居るということは恵みである。神様から自分はここの場を与えられた、その恵みに心から感謝する。だから自分には、全く不満が無いどころか心満たされている。多くを語らなかった八重ですが、晩年周囲にこうもらしています。患者達の極限の生き方に教えられたこと。肉体は朽ちても魂のゆえに人間の尊厳があるということです。60年以上ハンセン病患者と共に歩んできた伊深八重は、平成元年、皆に見守られながら、享年92才の生涯を終えました。患者達の墓標に寄り添うように八重は眠っています。墓碑に刻まれた一粒の麦。その意味は、こうでした。たった一粒の麦も地に落ちて初めて多くの実を結ぶ。伊深八重そしてマザーテレサ、一粒の麦は、確かに多くの実を結んでいます。人々の心の中に・・・
2010.02.20
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