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Maegashira#8-Takanosyw Nobuaki
東前頭八枚目
『隆の勝 伸明』
たかのしょう のぶあき
常盤山部屋 千葉県柏市
平成6年11月14日(29歳)
184.0cm 170.0kg
6人兄弟の子沢山家族の4番目に生まれ
隆の勝だけ体格に恵まれた。
小学1年から地元の相撲大会に出場
3年の時に
柏相撲少年団
で本格的に
相撲を始める。厳格な父の指導もあり
最初は嫌がった稽古も積極的に取組む
少年団の厳しい稽古に加え、家でも
四股を30分間ひたすら踏み、それは
柏市立西原中学校
を卒業し
入門するまで続いた。中学校では、
全国中学校相撲選手権に千葉県代表
として団体メンバーで出場。
同じ団体メンバーには 大翔鵬
がいた。
中学卒業と同時に千賀ノ浦部屋に入門。
同期生は、 輝
、 千代ノ皇
がいる。
(最高位)関脇
(2023年5月)西前頭八枚目 7勝8敗
(7月)西前頭九枚目 8勝7敗
(9月)東前頭四枚目 6勝9敗
(11月)西東前頭六枚目 5勝6敗4休
(2024年1月)東前頭十二枚目 10勝5敗
(3月)西前頭三枚目 5勝10敗
(5月)東前頭八枚目
殊勲賞:1回
敢闘賞:1回
金星:2つ
Maegashira#8-Kotosyouhou Yoshinari
西前頭八枚目 『琴勝峰 吉成』
ことしょうほう よしなり
佐渡ヶ嶽部屋 千葉県柏市
平成11年8月26日(24歳)
191.0cm 162.0kg
父は、現役のボディービルダーで
居酒屋を経営している。
幼稚園から
柏市相撲スポーツ少年団
に入り
柏市松葉第二小学校
4年時、
わんぱく相撲全国大会3位。
柏市松葉中学
3年時には、全国都道府県
中学生相撲選手権大会個人無差別級優勝。
埼玉栄高校
(同期:王鵬・塚原)では、
1年から団体戦のレギュラー。2年と3年時
高等学校相撲大会で団体優勝連覇を経験。
高校3年時の在学中に 佐渡ヶ嶽部屋
に入門。
( 琴櫻
が柏市相撲スポーツ湘南団の先輩で
小学生時代から部屋に誘われていたため)
(最高位)前頭三枚目
(2023年5月)西前頭五枚目 2勝10敗3休
(7月)西前頭十三枚目 7勝8敗
(9月)西前頭十四枚目 5勝10敗
(11月)西十両筆頭 12勝3敗(十両優勝)
(2024年1月)東前頭十四枚目 9勝6敗(再入幕)
(3月)西前頭九枚目 8勝7敗
(5月)西前頭八枚目
十両優勝:3回
敢闘賞:1回
Maegashira#9ーTamawashi Ichiro
東前頭九枚目 『玉鷲 一郎』
たまわし いちろう
片男波部屋 モンゴル国・ウランバートル市出身
本名:バトジャルガル・ムンフォリギル
昭和59年11月16日(39歳)
189.0cm 176.0kg
モンゴルでは、相撲経験もほとんどなく、
ホテルマン目指してモンゴル化学技術大学で勉強。
自分の大きな体と腕力を生かして相撲をやってみたいと
2003年秋、東大大学院に留学していた姉を頼って来日
姉と2人で両国を訪れ、たまたま見つけた力士に
ついて行ったら井筒部屋に到着し 鶴竜
と出会い
鶴竜に入門の相談をすると、
旭鷲山の連絡先を教えてもらい
片男波部屋に入門。
2004年1月、初土俵。スポーツ経験が
全く無かったが翌年幕下に昇進し
幕内最高優勝は、2回。
(最高位)関脇
(2023年5月)西前頭七枚目 7勝8敗
(7月)西前頭七枚目 8勝7敗
(9月)西前頭三枚目 2勝13敗
(11月)西前頭十二枚目 9勝6敗
(2024年1月)東前頭十枚目 8勝7敗
(3月)西前頭七枚目 7勝8敗
(5月)東前頭九枚目
幕内優勝:2回
十両優勝:1回
幕下優勝:1回
殊勲賞:2回
敢闘賞:1回
技能賞:1回
金星:7つ
Maegashira#9-Syowdai Naoya
西前頭九枚目 『正代 直也』
しょうだい なおや
時津風部屋 熊本県宇土市出身
本名:正代 直也(しょうだい なおや)
平成3年11月5日(32歳)
184.0cm 169.0kg
小学校1年生の時、公園で相撲を取って
遊んでいる所を 宇土少年相撲クラブ
の
監督に見出され道場に通うようになる。
小学5年でわんぱく相撲の全国大会出場
鶴城中学
2年で交代選手として全中の
団体優勝メンバーとなる。
熊本農業高校
3年では国体相撲少年の部優勝
東京農業大学
国際食料情報学部に進学し
1年の頃は「もう帰りたい」と泣き言を言う
2年からは、弱音は吐かなくなり学生横綱に
大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得
大学卒業を優先し、格付出しタイトルを失効
3年時には、全日本相撲選手権大会の決勝で
遠藤
に負けてアマチュア横綱のタイトルを得ず
4年時も幕下付出しの資格を得られなかった
夏から教育実習に行き2週間で10kgも痩せるほど
苦労し教師に向かないと感じ角界入りを考えた。
3月、東京農大相撲部恒例の時津風部屋との合同
春合宿で力を付けプロの世界を知り、繋がりのある
時津風部屋
に入門し 前相撲
からのスタートとなった。
(最高位)大関
(5月)東小結 6勝9敗
(7月)東前頭二枚目 6勝9敗
(9月)東前頭三枚目 8勝7敗
(11月)東前頭二枚目 6勝9敗
(2024年1月)西前頭四枚目 4勝11敗
(3月)東前頭十枚目 8勝7敗
(5月)西前頭九枚目
幕内優勝:1回
十両優勝:1回
幕下優勝:1回
序の口優勝:1回
殊勲賞:1回
敢闘賞:6回
金星:2つ
Maegashira#10-Shwnannoumi Momotarow
東前頭十枚目
『湘南乃海 桃太郎』
しょうなんのうみ ももたろう
高田川部屋 神奈川県中部大磯町出身
本名:谷松 将人
平成10年4月8日(26歳)
196.0cm 190.0kg
父が野球の指導者というスポーツ一家
小学校2年生からランドセルが背負えなくなり
大きなリュックで学校に通っていた。
小学生から
野球クラブチームに入り高校生に
間違えられるほど大きくて、大活躍した。
大磯中学では怪我で大会に出られないこと
が多く野球には縁がないと感じた。父が、
相撲を勧め「千代の富士物語」を見て昭和の
大横綱に憧れを抱き相撲部屋を見学に行く
高田川部屋は最初に見学に行った部屋で
9代高田川(元関脇・安芸乃島)に
「日本人の強い横綱が必要なので
君がヒーローになれ」の一言ですぐに
入門を決意!2014年3月場所で初土俵。
(最高位)前頭五枚目
(5月)西幕下筆頭 11勝4敗
(7月)西前頭十四枚目 10勝5敗(新入幕)
敢闘賞
(9月)西前頭五枚目 7勝8敗
(11月)東前頭六枚目 7勝8敗
(2024年1月)西前頭六枚目 4勝11敗
(3月)東前頭十二枚目 9勝6敗
(5月)東前頭十枚目
敢闘賞:1回
Maegashira#6-Kinbouzan Haruki
東前頭六枚目
『金峰山 春樹』
きん
ぼ
うざん はるき
木瀬部屋 カザフスタン・アルマティ市出身
本名:バルタグル・イェルシン
平成9年6月24日(26歳)
195.0cm 176.0kg
モンゴルでは 柔道
をしていたが、
朝青龍
の紹介で18歳の時に来日し、
目黒日本大学高校
に編入し相撲を始める。
日本大学
スポーツ科学部に進学後は、
日本大学相撲部に所属した。
2019年(3年生)学生選手権団体優勝
全日本選手権個人準優勝の実績を残す。
2020年(4年生)学生選手権3位
全日本選手権ではベスト16に入った。
大学卒業後は、日大の勧めで木瀬部屋に入門。
しこ名は、師匠の故郷にある金峰山から
春樹は、日大の恩師の名をいただいた。
(最高位)前頭五枚目
(2023年5月)東前頭五枚目 4勝11敗
(7月)東前頭十枚目 7勝8敗
(9月)東前頭十枚目 9勝6敗
(11月)西前頭七枚目 8勝7敗
(2024年1月)東前頭六枚目 7勝8敗
(3月)東前頭七枚目 6勝7敗
(5月)西前頭十枚目
幕下優勝:1回
三段目優勝:1回
敢闘賞:1回
Maegashira#11-Sadanoumi Takashi
西前頭十一枚目 『佐田の海 貴士』
さだのうみ たかし
境川部屋 熊本県熊本市東区出身
本名:松村 要
昭和62年5月11日(37歳)誕生日で
182.0cm 144.0kg
父は、出羽海部屋の元小結:佐田の海
の長男として生まれる。幼稚園の頃から
力士を目指していらしく 「お相撲さんになる」
と将来の夢を書いている。 成績はオール5
。
父が協会を退会し小学校6年〜中学2年まで
愛知県犬山市で育ち、野球に打ち込む。
父は、あえてアマチュア経験は積ませなかった
犬山市立城東中学→熊本市立西原中学校
父から 「男を磨くならこの部屋だ」
と。
中学校卒業と同時に
父の現役時代に憧れて入門決意。
父は、出羽海部屋所属であったが、
父の兄弟子である13代境川(元:両国)の
境川部屋に入門。2004年1月場所から
父親のしこ名と同じ「佐田の海」を名乗る。
親方は負け越しても「佐田の海」の
しこ名は変えないと告げられ
しこ名の重みを感じながら努力を重ね
史上9組目の親子関取となるも
父の小結「佐田の海」あと一歩!
(最高位)前頭筆頭
(2023年5月)東前頭八枚目 7勝8敗
(7月)東前頭八枚目 5勝10敗
(9月)西前頭十二枚目 8勝7敗
(11月)東前頭十一枚目 8勝7敗
(2024年1月)西前頭十枚目 6勝9敗
(3月)西前頭十一枚目 8勝7敗
(5月)東前頭十一枚目
十両優勝:1回
幕下優勝:1回
三段目優勝:1回
敢闘賞:2回
金星:1つ
Maegashira#11-Hokutofuzi Daiki
西前頭十一枚目
『北勝富士 大輝』
ほくとふじ だいき
八角部屋 埼玉県所沢市出身
本名:中村 大輝(なかむら だいき)
平成4年7月15日(31歳)
184.0cm 161.0kg
幼少期よりサッカーや水泳などスポーツ万能
おむつをしている時からやっていたスキーは
3歳の頃には上級者コースで滑っていた。
所沢のわんぱく相撲で小学2年と3年で準優勝
優勝トロフィー欲しさに小学4年から
入間少年相撲クラブ
に通うも弱かったので
親から「やめちゃえ」と言われるたびに
歯を食いしばって稽古した。小学5年から
急激に強くなり埼玉県内では無敵になった。
6年の時にクラブが埼玉県の大会で初めて優勝
所沢南陵中学では柔道部に所属し市大会で優勝
中学2年で
立川錬成館
に移籍。3年時に
全国都道府県中学相撲選手権大会で優勝
埼玉栄高校
の相撲部では高校総体で優勝
高校横綱のタイトルを獲得。相撲を取れるのは
周囲の人のお陰であることを監督から学ぶ。
日本体育大学
体育学部武道学科の2年時に
東日本学生相撲個人体重別選手権大会135kg以上級優勝
個人初タイトルを獲得。全国学生相撲選手権大会個人優勝
大相撲の幕下15枚目格付出資格を獲得。3年時には
国体の相撲競技成年男子の部で優勝。15枚格付を再取得
タイトル獲得から1年間しか行使できない資格であるが
大学での教育課程を続け4年時にタイトルを取れず
15枚格付けを得られず権利を失ったが両親に感謝した
第61代横綱:北勝海の相撲に憧れ八角部屋に入門。
(最高位)小結
(5月)東前頭七枚目 6勝9敗
(7月)西前頭九枚目 12勝3敗
敢闘賞
(9月)東前頭筆頭 8勝7敗
(11月)小結 5勝10敗(再小結)
(2024年1月)西前頭三枚目 4勝5敗6休(途中休場)
(3月)前頭
(5月)
十両優勝:1回
三段目優勝:1回
序二段優勝:1回
敢闘賞:1回
技能賞:2回
金星:7つ
Maegashira#12-Ichiyamamoto Daiki
東前頭十二枚目
『一山本 大生』
いちやまもと だいき
放駒部屋 北海道岩内郡岩内町出身
本名:山本 大生
平成5年10月1日(30歳)
188.0cm 150.0kg
3人きょうだいの末っ子として生まれる。
母の勧めで
岩内東小学校
2年から
相撲を始める。他のスポーツにも
挑戦したが長続きはしなかった。
岩内第一中学
でも相撲を続けたが、
全国中学校相撲選手権大会北海道予選で
矢後
に敗れて燕国大会進出を逃した事で
相撲を続けることを決意した。
大野農業高校
へ進学し
相撲部で
高校総体で32強の成績を残す。
夏の中央大学北海道合宿で勧誘され
中央大学
商学部に進学し4年時に
全国学生相撲選手権大会で個人16強
となったが大相撲入りに自信がなく
卒業後は、北海道福島町役場に就職し
教育委員会に配属され子供の頃からの
憧れの公務員となる。子供たちに相撲の
指導をしながら2016年国体で個人16強と
不本意な成績だったことから角界を目指す
入門23歳未満の年齢制限を23歳2ヶ月で
新弟子検査を受け合格。公務員の地位を捨てる。
(これ以後25歳未満まで受験対象となった)
のちに尊富士もその枠で入門した。
(最高位)前頭七枚目
(2023年5月)東十両十五枚目 4勝11敗
(7月)東十両三枚目 4勝9敗2休
(9月)西十両七枚目 13勝2敗
(
十両優勝)
(11月)
西前頭十四枚目 11勝4敗(再入幕)
(2024年1月)東前頭七枚目 5勝10敗
(3月)東前頭十一枚目 7勝8敗
(5月)東前頭十二枚目
十両優勝:2回
序の口優勝:1回
敢闘賞:1回
Maegashira#12-Nishikifuji Ryusei
西前頭十二枚目 『錦富士 隆聖』
にしきふじ りゅうせい
本名:小笠原 隆聖 (おがさわら りゅうせい)
伊勢ヶ濱部屋 青森県十和田市出身
平成8年7月22日(27歳)
184.0cm 151.0kg
十和田市立三本木小学校3年の時に相撲を始める
6年、わんぱく相撲全国大会ベスト8
十和田中学校3年、
全国中学校相撲選手権大会で8強入り
三本木農業高校
農業機械科に進み
3年、全国高校相撲大会3位
高校の同期は、阿武咲(1年で中退)
近畿大学
経営学部経営学科に進学
2年、レギュラー入りするが、
「大学を卒業した後は形が決まってしまい
直せない」という理由から、大学中退
大学の同期は、欧勝竜と翠富士(2年で中退)
大相撲入りを決意し伊勢ヶ濱部屋に
翠富士とともに入門。
(最高位)前頭三枚目
(5月)西前頭三枚目 5勝10敗
(7月)西前頭八枚目 5勝10敗
(9月)西前頭十三枚目 5勝10敗
(11月)西前頭十六枚目 6勝9敗
(2024年1月)東十両二枚目 10勝5敗
(3月)東前頭十四枚目 8勝7敗
(5月)西前頭十二枚目
十両優勝:1回
幕下優勝:1回
序二段優勝:1回
序の口優勝:1回
敢闘賞:1回
明日【幕内】前頭十三枚目〜番付につづく