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2018.08.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昭和二十(1945)年八月(1945)十五日は正午の昭和天皇の終戦の詔勅のラジオ放送は、印象深いですが、翌日から進駐軍が入って来るまでは、気の抜けった日々を送っていました。

十五日晩からは灯火管制のカバーを外し、部屋を明るくして、外に出ると、真っ暗だった近所の家々の灯りが漏れていて、今夜からは、空襲の心配なく、安心して寝られる思いました。

十六日朝、毎日新聞の朝刊、一枚のタブロイド判(今の新聞の半分の大きさ)に、飛来するアメリカ機と大きな写真の説明見て、昨日までは、鬼畜米英とか、敵B29爆撃機とか、書かれていたのが、一日で大転換したのを見て、何も信用できないと思いました。

翌日からも、空襲警報が鳴り渡り、アメリカ機が飛び回っていましたが、人々は平気で歩き回っていました。

工場は全て止まり、見上げる空は、底抜けに透き通り、紫に近い紺碧の空で、この青空は、
四十年前、北アルプス連峰縦走した時でも、紺碧の空は見ましたが、あの時の濃い紫色の紺碧の空は見ることは出来ませんでした。

とにかく、空襲が無くなり、十五日以降は、敵に殺される恐れがなくなり、大日本帝国が崩壊して、占領軍が来るまでの間は、憲兵や特高警察による臨検もなくなり、無政府状態で、
あの時の身も軽くなる自由は、二度と味得ない経験です。





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Last updated  2018.08.16 12:12:18
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