赤岩 茂 『一日一話』

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2006.03.27
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カテゴリ: 人生
 論語の中に、「学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆うし。」という言葉がある。知識をたくさん得ても、それを自分の中で思考しなければ活かし方がわからない。逆に思考するばかりでは独善的になってしまうということである。
 在学中に公認会計士二次試験に合格し、「大学院に進んだら」という話もあった。しかし、私は不遜にも(ほんの一時期であるが)「もう学ぶべきものはない!」という気になったのである。ところがそのカラ元気はすぐに破られることになる。今にして思えばありがたいことである。そのためか、私は実務家でありながら、結構理論的な本も読むようになったのである。それが今の原稿執筆や講演に役立っていることは言うまでもない。
 とかく、実務家は理論を軽視するきらいがある。役に立たないという。しかし、役に立たせようとしないから役に立たないのではないか。迷ったとき先人達の教えは結構その打開策のヒントになる。
 我々の日常業務も数年経てばある一定の水準の仕事はこなせるようになる。問題は、その後である。その水準になって自らの勉学を怠る人は残念ながらそれがピークでそれ以上の成長はありえない。その時点で「思いて学ばざれば」になってしまうのである。もったいないことである。そういう人を見るにつけ、私は論語のこの一節を思い出すのである。
 人間は一生勉強なのだ。これなくして、限りない成長はありえない。そして、勉強とは、自己と他者との対話なのだ。

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Last updated  2006.03.27 06:36:49
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