明治時代は、麦は欠かすことのできない主食でした。川口村(現在の八王子市川口町)では農地の90パーセント近くが畑で、多くの農家では畑づくりに力を入れていました。
河井宗兵衛は嘉永六年(1853)下川口村堀口の生まれで、農業技術研究に極めて熱心で、特に裸麦の品種改良に精力的に取組み、4年余の歳月を重ねて「宗兵衛裸麦」を生み出しました。
本来温暖な西日本の水田裏作に多く栽培されていた裸麦は、関東の気候には向いていなかったので、冬の低温、乾燥などの悪条件を克服して、良く実を結んだ「宗兵衛裸麦」はその耐寒性と品質、収量など、総合的に優れた品種で、多くの農家の注目を集め、明治末期には農業試験場も他府県との比較調査に取り上げ優良品種とし、最盛期の昭和10年には東京府の裸麦栽培面積の42パーセントを占め、昭和17年には東京の奨励品種に採用されました。
(宗兵衛裸麦より)PR
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