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Innerview-インナービュー 内側から見た世界
Noを言う自由
(質問)ただ在るというのがどんなものかの一瞥がありました。けれど何もしないでいることに大変な恐怖がわきおこってきて、身動きが取れない感じがあります。この恐怖は何なのでしょう。
デヴァ・タルシータ。自らの存在(being)の最初の一瞥はどうしても信じがたいものとなる。まず第一に、前はそれを知らなかったのでそれが何なのかわからない。それは広大だ。あなたが自分だと思っていたものはまるで大洋(ocean)に触れた雫のようだ。
恐怖は必然だ。雫には大洋に落ちることは死ぬこととしか思えない。それは本当ではないのだが、雫にも慈悲深くなくてはならない。それはその理解を超えている。大洋はそんなにも広大だ。―「私は消えてなくなってしまう」と考えるのはほとんど避けられない。
当然人は途方もなく恐ろしくなる。ひとつのことだけができる。それは勇気を出してジャンプすることだ。それがマスター(師)の基本的な働きだ。それは「私もかつては雫だった。私も大洋に近づいたときには怖かった。私もあなたと同じくらい激しくおののいた。だが戻る道はない。何百万生も雫でいることを知っているが、それは惨めさと暗闇、苦悩以外の何ものでもなかった。いちかばちかやってみなさい。」とあなたに言うことだ。
それは危険を伴う。雫が大洋にただ消えうせたらどうなるかわかったものではない。だが私はあなたにこう言える。「雫は大洋に消え去るのではない。その逆に大洋が雫に消え去るのだ。雫が大洋全体になるのだ。それはあなたが恐れなければならないような死ではない。それはあなたが求めつづけてきた永遠の生なのだ。」と。
私はあなたにタルシータという名前を与えた。タルシータとは渇望する者という意味だ。今やあなたはただ在ることがどういうことなのかへの一瞥にとても近づいたのだから、後戻りしてはならない。後戻りは臆病者のすることだ。これはもっとも大切なときだ。それを起こらせなさい。
歴史全体が証人となっている。自らを存在の広大さに消え去るのを許した者たちは、本当に消えてなくなったのではない。その逆に、彼らは初めて自分自身を見出したのだ。―あまりにも巨大で、どんな制限も、境界も、束縛もない。これが大洋のようにある自由だ。雫であるというのは、小さな束縛に囚われていることだ。
あなたの自己はただの雫にすぎない。大洋は無自己だ。
ゴータマ・ブッダにはそれにぴったりな言葉がある。彼が使った言語は当時の民衆が使った言葉、パーリ語だ。パーリ語でいう自己(self)は、英語よりももっと多くの意味がある。パーリ語では自己(self)のことをattaという。その言葉自体がselfとだけ同義ではなく、エゴ、傲慢という意味もある。attaが大洋のような存在に消え去ることをanattaと言う。エゴは失われ、傲慢は失われ、苦悩は失われ、死は消え去る。そして初めてあなたは本当に、全面的に、コズミックな意味で生き生きとする。初めてあなたは永遠に触れる。
この恐怖には誰もがとらえられる。川が山や谷や平野から何百マイルも旅して大洋へとやってくる。山や木の言葉さえ理解できる人には、繊細な者には感じられる。―光明を得た多くの者たちがそう言っている。一瞬川はおののく。たいへんな不安にとらえられる。決断のときだ。途方もなく重要な決断だ。―後戻りするかどうか。
だが後戻りする方法はない。時間をさかのぼって戻ることはできない。ひとつの可能性しかない。それは進むことだ。川は遡れなければ、少なくとも後ろを振り返る。下ってきた山々を、通り過ぎてきた美しい原生林を、美しい人たちを。あらゆる思い出を…ほんのしばらく振り返るが、長くとどまってはいられない。海に飛び込まなければならない。「これが自分の死になる」ことを完全に知りながら。
だがそれは死ではない。川そのものが大洋になるのだ。それはあなたの意識の、存在(being)の拡大だ。あなたは宇宙と同義になる。
あなたは恐怖をわきにおかなくてはならない。
恐怖をわきにおかずにしがみつくなら、それは危険なことだ。というのも、ちっぽけな自己にいったん執着しはじめたら、ジャンプするように説得する方法はないからだ。
だからこそ、説得することがマスターの基本的な働きだと言うのだ。―私もジャンプしたけれど、かつてなかったほどに生き生きとしていることを見せることだ。私は何も失わなかった。私は全存在を獲得した。ゆえにマスターはあなたにこう言えるのだ。「私についてきなさい」と。
ここが物事の複雑なところだ。マスターへの深い愛と絶対的な信頼がなければ、この恐怖の瞬間にあって、彼は何の役にも立たないだろう。あなたの信頼と愛はマスターに何も与えない。覚えておきなさい。それはただあなたに勇気を出す機会を与えるだけだ。
ちょうど先日、あるサンニヤシン(弟子)が質問してきた。「もしYesしか言えず、Noを言えないのなら、これはどういう自由なのですか?」あなたはNoを言える。だが覚えておきなさい。このNoを言う自由は、大洋にNoを言うちっぽけな雫の自由だ。
サニヤシンになる前、自由はあなたのものだった。あなたはNoを言えたかもしれないし、Yesを言えたかもしれない。いったんYesを言ったのなら、あなたのYesは全面的でなければならない。どんなNoへのスペースもあってはならない。でなければ、Yesをもっと必要とするときに、あなたの中にNoが湧き起こるだろう。それはあなたの恐怖を、エゴを、自己を援助するだろう。
私に異論はない。というのも私は何も失いはしないからだ。あなたは好きなだけ大声でNoを言える。だが覚えておきなさい。あなたは変容するためにここへやって来たのだ。そして変容のあとでのみ、本物の自由の味わいを知る。YesやNoを言うだけで、どんな自由を持てるというのだ?あなたのYesはあなたのNoと同じくらい愚かだ。あなたは愚かなのだ。
あなたたちがそうしたことを言って、このような質問をするとき、私は驚く。そもそもどうしてサニヤシンになったのだ?―サニヤスとは関与(commitment)だ。それは献身だ。それは愛の、信頼の宣言だ。それは「いま私は私の存在(being)からNoを落とす。それは私を充分に苦しめてきた。それは病だった。私はYesの世界に、生肯定へと向かって行く。」という空への宣言だ。
そしてマスターへのYesはマスターだけへのものではない。というのもマスターは宇宙への扉にすぎないからだ。あなたは宇宙へYesを言っているのだ。そのYesに在ってのみ、あなたは途方もない自由を広げ、知ることになる。あなたのYesやNoはマインドの愚かなゲームに過ぎない。
しかし、まだNoを言うのを楽しく感じるなら、楽しむがいい。―だがサニヤスはあなた向きではない。おそらくあと何生かして、私のような者にまた出会えれば、それは必須ではない…(中略)
イニシエーションに条件はつけられない。あなたはサニヤシンだ。あなたはYesの道を進んで行くことになるのだと前もって考えておくべきだった。そしてこのYesの道は自由で終わる。あなたにはNoもまた必要だと思うなら、全世界が自由だ。―誰にでもNoがあるし、Yesもある。誰にでも自分のマインドがある。
サニヤスの道の努力とはマインドを落とすことだ。そしてNoを落としたときにのみマインドは落ちる。別の言い方をしよう。
Noがマインドで、Yesは魂(soul)だ。
あなたは選ぶことができる。今からでもかまわない。
だがサニヤシンでいるのなら、Noを持ちつづけていくことはできない。自由はやってくる。だがそれはYesの扉を通してやってくる。そしてそれが本物の自由だ。
だが多くのサニヤシンが、驚くほどに奇妙な質問を書きつづけてくる。つい先日新聞の中で、あるサニヤシンがインタビューを受けていた。インタビューの中で彼は「OSHOがアメリカの拘置所に入れられたとき、あなたは動揺しましたか?」と尋ねられた。
彼は言った。「いつかOSHOも肉体を離れる。彼も永遠に肉体にいられるわけじゃない。だから私たちはそれも受け容れなければならない。それは彼の不在を受け容れるよい機会になりました。」
表面的には答えはまったく正しいように見える。それは真実だ。私は永遠に肉体にいるわけではない。けれど、あなたは永遠に肉体にいるつもりなのか?―そのサニヤシンはそのことを完全に忘れている。私より先にあなたがぽっくり死んでしまうあらゆる可能性がある。あなたは私の不在に慣れきってしまっている。サニヤスとは私の臨在に慣れ親しむことを意味している。心の底で、目に見えない文字でNoと言っている。「私は私で充分だ」と。
けれど覚えておいてほしい。私は肉体を離れてもなお、あなたを離れるつもりはない。私はあなたの夢に出没するだろう。できる限り嫌がらせをするつもりだ。そして覚えておきなさい。肉体にいるうちは嫌がらせはたいしたことはない。肉体がなくなれば、私が触れただけで、あなたがたはフリーク・アウトするだろう!
だからできるだけ私が肉体にいるように祈るがいい。あなたがたのためだ。そして私の臨在に慣れたら、とても深く慣れ親しんだら…私の生の源は永遠だ。ちょうどあなたの生の源がそうであるように。肉体があろうがなかろうが、私はここにいるし、私はいつもここにいた。
私に開いている者は―開いているというのは、それでも私にYesを言う準備ができている者たちのことだ。―肉体を持たない私の臨在の沈黙の中で、彼らははるかに祝福されるだろう。だったら彼らは私が肉体にいるあいだも恩恵を受ける。けれど私の不在に慣れるのによい機会だったと言うのは、どこか深いところにNoが漂っているということだ。
マスターと弟子の関係というのは普通の関係ではない。比べられるような関係はほかにない。愛でさえも、それよりずっと落ちる。―愛の中でさえ、あなた方は二人のままだ。いがみ合い、格闘し、互いを支配しようとしている。マスターと弟子の関係でのみ、もう二人ではない。そこに闘いも葛藤もない。
マスターはすでに完全なYesだ。ゆっくりゆっくりとあなたも完全なYesになっていく。そうして初めて出会いが、融合が起こる。雫が大洋へと滑り落ちる。
タルシータ。あなたがあまりにも恐れ、行き詰まっているなら、ずっと渇いたままでいる可能性がある。というのも、水のそばにくるとあなたは怖くなるからだ。水のほうからは近づいてはこない…
老いた農夫が初めてサーカスに行った。大テントに入るところで、檻に入ったラクダを見た。彼は驚いてじっくり見ようと立ち止まった。今までそんな不恰好な脚、とろんとした目、垂れ下がった唇、そしてそんな巨大なこぶを見たことがなかった。間もなくみんなテントに入ると、サーカスがはじまった。それでも老人は不信そうにラクダを見つめていた。ついに30分ほどたって、いまいましそうにきびすを返すと、叫んだ。「ちくしょうっ!そんな動物いるわけねぇ。」
彼は一生懸命理解しようとした。どうしたらそんな動物がありえるのか?いまや唯一の方法は否定して、重荷を下ろすことだ。でなければ、ラクダがあなたを悩ませつづける。
もし大洋を、生のまさに如性(isness)を恐れるようになったら、それから離れる唯一の方法は「それは幻覚、夢、幻に違いない。それは現実ではなかった」と言うことだ。自分のちっぽけなエゴを守れるが、それはあなたのあらゆる困難の原因だ。
自分のエゴにとても注意深くなくてはならない。なぜならエゴの言葉はNoだからだ。あなたの存在(being)の言葉はYesだ。エゴの言葉は疑いだ。存在(being)の言葉は信頼だ。そして信頼からのみ、サティヤム・シヴァム・スンダラム(真善美)―究極の真理へ、究極の神性へ、究極の美へと成長していくことができる。
Noはあなたをますますつまらなく醜くする。見つめたことがあるだろうか?―Noを言うといつも、あなたの中の何かが縮む。Yesを言うといつも、あなたの中の何かが広がる。Yesを言うといつも、あなたは宇宙と同調する。Noを言うといつも、あなたのエゴが生から、存在(existence)から分かたれていると宣言する。
それはあなた次第だ。愛の中で、あなたは自分がYesに包まれているのを発見する。憎しみの中で、あなたはNoに包まれているのを発見する。至福の中にあってNoへのスペースはまったくない。惨めさの中には、No以外にはない。
だからあなたが思うほど単純ではない。YesとNoという単純な言葉が、生の違う次元に属している。Noは最低の、そしてYesは最高の次元のものだ。
Satyam Shivam Sunderam #17より
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