全402件 (402件中 1-50件目)
月刊『地平』創刊します!出版社・地平社は6月、総合月刊誌『地平』を創刊します。雑誌名の『地平』には、・いま多くの市民が感じている“危機”——「地」球と「平」和の課題に向き合うこと。・読者とともに、独立した立場から新しい言論の「地平」を切りひらいていくこと。という私たちの想いが込められています。『地平』が扱うのは、政治・経済、国際、社会、環境、動物、教育、生活、科学、医療・健康など、私たちが生きる社会でいま起きている事柄です。世界で起きている社会問題を批判的に検証し、いのちの営みを尊重し、さまざまな社会問題を交差的に考えることで、あらゆる生命が共に生きるられる「地球」の「平和」を模索していきたいと思います。---岩波書店「世界」前編集長である熊谷伸一郎さんが興した出版社「地平社」、4月に刊行されて本を購入して読んでいるところです。経済安保が社会を壊すまだ読了していませんが、新刊本の刊行が始まったと思ったら、今度は月刊誌の創刊だそうです。早速定期購読を申し込みました。ただ、Facebookで近況を見ると、早くも連日会社に泊まり込みをしているとのこと。今でもその状態で、月刊誌が創刊したらどうなってしまうのか、やや気になるところではあります。ともかくも、大いに期待しています。
2024.05.10
コメント(2)
朝日新聞が北海道で夕刊廃止 背景にある新聞社の事情と元読売新聞記者のため息「優秀な記者が育たない」最盛期だった1998年には837万部の発行部数を誇った朝日新聞も近年は部数が激減。2023年に公表された発行部数は364万部と、最盛期の半分以下にまで発行部数が落ち込んでいる。「23年5月1日には愛知、三重、岐阜の3県で夕刊を休止。北海道でも24年4月を持って夕刊の発行がストップすることが、2月7日の朝日新聞朝刊で伝えられました」「中部地方では、ライバル紙である中日新聞が東海3県を中心に200万部超えと、根強い支持を得ています。北海道でも同様に、北海道新聞がおよそ80万部と強い。地方紙が強い地域で、朝日は購読者をつかめずに沈んだ、ということです」配送地域が広い北海道で、朝日新聞の夕刊発行部数はわずか1万3000部。夕刊は朝刊を印刷に回したあとの深夜1時から午前10時~11時の間に起きたニュースで構成するため、その間に記者が取材や執筆をする必要がある。人件費や取材のための移動費など、金銭的な負担も発生する。~奇しくも朝日新聞が北海道からの夕刊撤退を発表した前日の2月6日には、盛山正仁文部科学大臣の旧統一教会との関係が1面を飾ったばかり。「言わずもがな、盛山大臣への給料や文書交際費は国民の血税から捻出されています。優秀な新聞記者がいなくなれば、こうした調査報道はできなくなる。」「日本よりもローカルペーパー(地方紙)の数が多いアメリカでは、スマホの普及によりローカルペーパーの廃刊が相次ぎました。ローカルペーパーがない地域では、政治家の汚職などを取材できなくなります。アメリカでは新聞文化が廃れたことで、地方議員による不正が蔓延しているともいわれている。このままでは、日本でも同じことが起きかねません」「ウェブニュースでは、サッカーが好きな人にはサッカーのニュース、野球が好きな人は野球のニュースといった形で、読者の嗜好にあったニュースが提示されます。一方で新聞は社会面から政治面、文化面まで様々な情報が掲載されている。社会を総合的に知り、様々な知見を得るという観点からは新聞は有用なメディアだと思います」---我が家はずっと毎日新聞を購読していますが、実は別の大手新聞と同じ販売店から宅配されています。だから、毎日新聞を取っている我が家と、別の新聞を取っている隣人で、配達は同時にされています。調べると、都内でもそういう販売店は非常に多いようです。中には、新聞社同士の論調は水と油である朝日と産経が同じ販売店、という例も少なからずあるようです。新聞の全盛期には、東京などの大都市ではそういうことはまずなかったのではないかと思いますが、今や宅配制度もいつまで維持され続けるか分からない状況です。今後3年5年はさすがに大丈夫でしょうが、20年後は果たしてどうでしょうか。そういう現状を考えれば、夕刊の廃止自体は仕方のないところかもしれません。産経新聞などは、とうの昔に関西圏以外の夕刊発行をやめています。わたしも相棒も、新聞は必要と思っており、多分死ぬまで新聞の購読をやめることはないでしょう。しかし、うちの子は、大学を卒業したら一人暮らしをすると今から宣言しているのですが、新聞を購読することにはまったく興味を示しません。一度聞いてみたことがあるのですが、新聞はとらない、と言っていました。ついでに、固定電話もひかないと言っています(ネットの固定回線は欲しいそうですが)。しかし、社会の中で今何が起こっているか、それを総合的に報道するのが新聞というものです。テレビ(もまた、今日では衰退傾向ですが)のニュースにくらべて、速報性ではまったく劣りますが、情報量ははるかに勝っています。朝刊はおろか、薄っぺらい夕刊の文字情報と比べても、1時間のニュース番組で報じられる文字数はずっと少ないはずです。ただ、とりあえず新聞とテレビのニュース(独立したネットメディアも)は対立的なものとは考えず、それらを総合して「報道」と総称することにします。引用記事にあるように、政治家の不祥事なども、自分自身で自爆する類のあからさまなもの以外は、報道が衰退してしまったら明らかにはならなくなります。また、それ以外の様々な分野も含め、報道が存在しなくなると、役所(警察や消防も含む)と企業の公式発表だけがニュースあるいはニュースソースとなった、雑然とした情報の集まりしか存在しなくなってしまいます。私などは、産経新聞の論調が非常に嫌いではありますが(逆にネトウヨにとっては朝日や毎日の論調が大嫌いでしょうけど)、個人的好き嫌いは度外視して、一つの統一的な編集方針に基づいて、政治、経済から事件事故、災害、外交国際問題、文化、スポーツまでをまとめて報道する存在というものは必要です。まあ、産経新聞の論調だけが跋扈する社会は願い下げですけど。ただ、新聞は社会にとって必要なものだという私の考えとは裏腹に、新聞の衰退は止まらないだろうなという諦観めいたものはあります。新聞なんてオワコンだ、という言い方をする人もいます。現在の状況から考えれば、残念ながら全面否定はできないところです。ただし、その言い方をするなら、世の中のいろいろなものが「オワコン」化しています。もっと言ってしまえば日本という国自体が「オワコン」とも言えます。
2024.02.13
コメント(4)
ホリエモン 京アニ事件で死刑判決の青葉被告に「治療は不要だった」派への持論が「ご指摘の通り」と賛同の声36人が犠牲になり、32人が重軽傷を負った同事件。1月25日には、青葉真司被告に死刑判決が言い渡された。~判決については妥当だとの認識を示した。一方で、今回の事件について思うところがあるという。青葉被告は犯行によって、全身の9割超にやけどを負っていた。当初の死亡率は95%超だったというが、医師の治療によって話せるまでに回復した。しかし、犯行の重大さや、治療への労力の大きさから一部で、“どうせ死刑になるのだから治療をする必要はなかったのでは?”と疑問を呈す意見も多かった。このような意見について堀江氏は「放火で9割以上やけどを負って死にそうになってたみたいですけれども、“どうせ死刑になるんだからそれを治療したのは意味がねえんじゃねえか“みたいなこと言ってる馬鹿がいますけれども」と苦言。日本は法治国家だとして、「死刑判決が出て、執行されるまではですね、未決なので、最低限の人権、基本的人権というのはありますので、当然、治療を受ける権利があると。これが法治国家というものなので、それを無視した暴論を吐くのはいかがなものかと」と述べた。---堀江の主張には、たいていの場合全面的に反対なのですが、たまには同意できることをいう場合もあるようです。今回のこの件は、まさにそのとおりです。ただし、相変わらず罵倒暴言のあらしで、「馬鹿がいますけれども」みたいな言い方はどうなんだよ、とは思いますが。正直に言えば、感情面だけで言うと、私も、どうせ死刑になる犯人を治療しても、という思いが皆無であったというとウソになります。そう思う部分も、当初はありました。でも、冷静に考えると、そしてその後起こった類似の事件の顛末を考えると、やはりそれは違う、と考えざるを得ないのです。死刑判決が出て、執行されるまでは最低限の人権、基本的人権があり、治療を受ける権利があります(そのセリフが堀江から飛び出すとは予想だにしませんでしたが、これはまったくそのとおりです)。さらに言えば、患者の症状、病状ではなく属性によって治療をするかしないかを決める、というのは、その先更に恐ろしい選別につながりかねません。「どうせ死刑」で治療しないことを公認したら、「どうせ刑務所に」とか「どうせ遠からず死ぬから」に拡大されない保証はありません。そして、その後起こった大阪・北新地の精神科での放火事件では、犯人も亡くなりました。もちろん、京アニの犯人が生き残って導き出された犯行理由は、お粗末でお話にもならないものです。とうてい情状酌量の余地などあろうはずもありません。そんな話を明らかにするために治療したのか、という気持ちになる人もいるかもしれません。それでも、本人が生きて、取り調べや裁判で供述をするということは、犯してしまった罪の「後始末」として実は重要なことなんだなということを、北新地の放火事件で感じました。こっちの犯人は、自らの犯罪の罪を償うことなく、さっさとあの世に逃亡してしまったわけです。これ以前にも、その種の事件はありました。ストーカー殺人で、被害者を殺すと同時に自らも自殺、という事例は過去に複数あったように思います。その際も、ものすごく後味の悪さを感じましたが、北新地の放火事件は、犠牲者が一人ではなく桁外れに多かっただけに、後味の悪さ、理不尽な感覚は強かったです。「やっぱり、たとえ死刑になる犯人でもいのは救わなくてはならないのだ」ということが、感情面で「腑に落ちた」のはあの時だったかもしれません。もちろん、犯罪の拡大は防がなければなりませんから、現在進行形で殺人を犯そうとしている犯人を殺害するのは(例えば三菱銀行人質事件)不可抗力でやむを得ないところはありますが、少なくとも身柄を抑えた後の犯人に対して、命を落とさないための必要な措置は、絶対に怠ってはならない、と思うのです。ただ、そのことは別にして、この犯人は犯行当時、生活保護受給中と報じられていました。保護受給者は逮捕されて保護停止、起訴されて廃止です。しかし、この犯人は治療中の長期間にわたって、逮捕は見送られていました。ということは、この間の治療費はすべて生活保護の医療扶助で出ていたはずです。保護廃止なんてことをしたら、医療機関とその所在する自治体の福祉事務所が確実に怒り狂いますから、そんなことは絶対にできません。しかし、その一方で、上記のように「こんな奴治療するな」という声は残念ながら確実に存在しますから、その福祉事務所(当時、あのNHKすらも、××県△△市確か〇〇区だったと思いますが、どこの福祉事務所で保護受給中と報じていた記憶があります)には、クレームが殺到したことでしょう。入院中の病院にも同様だったかもしれません。その点は、それぞれの関係者の心労は大変だっただろうと、大いに同情します。
2024.01.26
コメント(2)
ケーキ監修「レ・サンス」シェフ「期待裏切り、眠れない」 高島屋に「幕引きせず原因特定を」高島屋がオンライン販売したクリスマスケーキの一部が破損して届いた問題を巡り、対象のケーキを監修した横浜市のフランス料理店「レ・サンス」の渡辺健善オーナーシェフが産経新聞の取材に応じた。渡辺さんは「お客さまの期待を裏切った形になってしまい、悲しいし申し訳ない」と述べた上で、高島屋に対しては「幕引きせずに原因を特定してほしい」と訴えた。レ・サンスが監修する「<レ・サンス>ストロベリーフリルショートケーキ」(5400円)について高島屋は約5年前から埼玉県の菓子メーカー「ウィンズ・アーク」に製造を委託、ヤマト運輸に配送を委託している。渡辺さんによれば、過去に「(ケーキに添える)ヒイラギが落ちていた」といった苦情はあるが、ケーキが崩れるといった事態は初めてだという。(以下略)---5400円もするケーキが潰れて届いたら、それも何百人という単位でそんな被害が生じたら、そりゃとんでもないとは思います。もちろん高島屋は返金するのでしょうし、製造、輸送に携わった各業者も含めて再発防止に努めてもらわなければなりません。というのは当然のことなのですが、それ以上の話ではありません。個人的に言えば、デコレーションケーキのような超のつく壊れ物を宅配で購入したいとは思いません。当然こういうリスクを考えるので。現物を見て購入して、手で持って帰ります。もちろん、贈答品などでそういうわけにいかない場合もありますが。これは、不良品は不良品でも、命に係わるような話ではありません。せっかくの記念日を台無しにされる悔しさはあるでしょうけど、極論すれば、いざとなれば代わりのクリスマスケーキを買いに走ることだって、そのときの状況次第ではそう困難ではありません。かつて、成人式の着物のレンタル業者が、金だけとって予約を受けて、倒産して当日バックレ、という騒動を起こしたことがあり、後に社長が逮捕されたと記憶していますが、成人式の当日になって着物のレンタル(もちろん購入もですが)なんてまったく不可能ですが、クリスマスケーキなら(どの程度のこだわりかにもよりますが)どうとでもなる話です。まあそれが、新聞の三面記事の片隅にちょこっと載るくらいはあっても、こうも全国紙からテレビニュースまで、引用記事は産経ですが、朝日、読売、日テレ、テレ朝、TBS・・・・・のきなみ大々的に報じるってのはどういうことだろうかと思います。同じ不良品ても、例えば燃料ポンプ不具合による自動車の不具合などは、死亡事故につながったケースもあり、対象も1500万台とも報じられています。規模と深刻度で言えば、ケーキが潰れて配送されることの何万倍か重大な案件です。もちろん各マスコミとも報じてはいますけど、どうもアンバランスさは感じてしまいます。
2023.12.27
コメント(4)
捜査関係者「絶対に逮捕してはいけない事件だった」大川原化工機の”えん罪事件”はなぜ起きたのか?警視庁公安部と経産省のやり取りも明らかに軍事転用可能な機材を輸出したとの疑いをかけられ、機械メーカーの社長らが逮捕された「えん罪事件」。社長や遺族らが国などに対し損害賠償を求めている裁判は、来週、判決が言い渡されますが、判決を前に、捜査関係者の一人は、私たちの取材に「絶対に逮捕してはいけない事件だった」と話しました。横浜市に本社のある大川原化工機の大川原正明社長。大川原社長は、生物化学兵器に転用可能な噴霧乾燥機を不正輸出したとして、当時の部下2人と、2020年3月、警視庁公安部に逮捕されました。大川原化工機 大川原正明 社長「逮捕されたときには、はっきり言ってびっくりしました」社長はその後、11か月にわたる勾留を経て釈放されました。そして、裁判が目前に迫った2021年7月、事件は急展開します。東京地検が、「軍事転用が可能だという点について疑義が生じた」として、起訴を取り消したのです。しかし、一緒に逮捕された部下の相嶋静夫さんは、この知らせを聞くことはありませんでした。勾留中に見つかった胃がんが原因で既に亡くなっていたのです。保釈申請を7回出しながら、全て却下されていた相嶋さん。相嶋さんの長男は「逮捕がなければ、がんを早期に発見できたはずだ」と悔しさをにじませます。「逮捕されるべきでない人が、逮捕されちゃったわけなんで。憤り以外の何物でもないというか」大川原社長らは、国と都を相手取り、約5億7000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。2023年6月、事件を担当していた男性警部補が裁判に出廷し、衝撃的な証言をしました。男性警部補「(事件は)まあ、捏造ですね」捜査員が、「事件はゆがめられた証拠による捏造だった」という主張を展開したのです。捜査関係者の1人は事件について、news23の取材にこう答えました。捜査関係者「絶対に逮捕してはいけない事件だった」さらに、JNNの捜査関係者への取材で、強制捜査に至るきっかけの1つになった、公安部と経済産業省の会議のやりとりが判明。大川原化工機への家宅捜索を行いたい警視庁公安部に対し、経産省は軍事転用の可能性について疑念を呈していたのです。経産省担当者(逮捕2年前のやりとり)「省内には『大川原の製品で本当に生物化学兵器を製造できるのか?』という疑問の声や、『過剰規制なのではないか』という意見もある」しかし、最終的に家宅捜索にゴーサインを出した経産省。理由について、会議に参加していた警察官は法廷でこう証言しました。男性警部補「公安部長が経産省に働きかけ、経産省の解釈が変わった」来週の判決を前に、遺族の男性は真実が知りたいと訴えます。(以下略)---警察官は基本的に組織に対して忠実であり、組織に反旗を翻す、なんてことはありません。その中でも特にガードが堅い公安警察からこのような内部告発がまずありません。その公安警察の担当者が「捏造ですね」「絶対に逮捕してはいけない事件だった」とまで言っているというのは、それだけ弁護の使用のないひどい冤罪だということです。日本の刑事裁判は、有罪率が99.9%を超えます。起訴されたらほぼ確実に有罪です。が、その代わり、逮捕されても起訴されない事例が少なからずあります。微罪なら逮捕されても送検されないし、送検されても、検察が「絶対に有罪にできる」と確信がなければ起訴しません。起訴して無罪になると検事の人事評価につながることが原因と言われています。そのため、制度上は被告の有罪無罪を決めるのは裁判所のはずですが、事実上検事が有罪無罪を決めているとも言えます。というわけで、検察は基本的には絶対に有罪にできる案件しか起訴はしないのですが、それでも神ならぬ人間のやることですから、冤罪が皆無ではありません。だから袴田事件をはじめとした冤罪事件が後を絶たないわけです。おそらく、よほどの凶悪犯罪など世間的に注目の高い事件では、犯人を最終的に取り逃がしてしまうことへの社会的プレッシャーが高く、無名の多数の小さな事件より、「絶対に有罪にできる」確信の敷居が下がるのではないでしょうか。しかし、大川原化工機事件は、殺人などの凶悪犯罪ではなく、というより、そもそも犯行自体は存在して、その犯人を取り逃がしたというものではなく、それが犯罪に当たるのか、という入り口の時点が最初から間違えていたわけです。犯人を取り逃がすことへの社会的なプレッシャーなどというものは存在していません。にもかかわらず存在しない犯罪を存在したとでっち上げてまで冤罪を引き起こした原因はどこにあったのでしょうか。Wikipediaの「大河原化工機事件」の項目には警視庁公安部の「暴走」の背景には、公安警察暴走の背景には「第2次安倍政権における警察官僚の重用、それに伴う警察官僚と政治権力中枢の関係強化、公安警察の外事部門の存在意義のアピールなどがあったと指摘されている。」という朝日新聞2021年11月4日の記事が引用されています。公安警察の暴走はそれが理由でも、検察までそれに引きずられた理由は定かではありませんが、いずれにしても世間一般に対する「社会的プレッシャー」ではなく政権の方針との関係による「政治的プレッシャー」があったことは間違いなさそうです。公安警察も検察も、無理筋であることを内部的には認識しながら、逮捕して11か月も拘留し、起訴までしたところで、とうとう「さすがにこれで有罪にすることは不可能」と判断して起訴取り消しという事態に至ったわけですが、その時には相嶋さんはがんが手遅れとなって死去していました。そのこと自体もとんでもないことですが、11か月も拘留されていた間に、何度も保釈請求が却下され続けています。亡くなった相嶋さんは拘置所内で体調を崩して輸血を受ける事態となってもなお、保釈請求が認められず、胃がんの診断が出て初めて拘留停止が認められています。保釈を決定するのは裁判所です。しかし、これほどひどい冤罪でも裁判所は検察の言うがままに保釈を認めませんでした。前述のとおり、検察は、通常であれば絶対に有罪にできる確信(もちろん証拠も)がなければ起訴はしませんが、逆に言うと、その検察が間違ったら、裁判所はそれを正すことができないということです。刑事裁判では、検察が事実上の裁判所と化して、裁判所はその追認機関に成り下がっているのではないか、という疑念を抱かざるを得ません。
2023.12.23
コメント(2)
部下の大半が一斉退職…「振り向いたら誰もいなかった」 “毒上司→いい上司”になるためには? 夏野剛氏「気づきを与えることが大事」今月発表された新卒社員に関する調査で、直近5年間に新卒で社会人になった4人に1人が退職していることがわかった。そのきっかけで1位となったのが「上司・先輩の発言」。6割以上の新卒が上司との関係に悩んでいる。40代の管理職・すけ部長さんは、7人の部下のうち5人が一気に退職した経験がある。当時の状況について、「立て直しを命じられて異動した部署で、まだ27、28歳と若かったこともあり、人一倍ガツガツやっていたが、周りが冷めている感じだった。“お前らが当事者だろう”と感情的に叱ることもあり、だんだん部下から反発を食らうようになった。俺の背中を見ろというよりは、一人で勝手に突っ走って、振り向いたら誰もいなかった」と話す。プレーヤーと管理職の仕事は想像と違っていたという。「そんなに大きい会社ではなかったので、数字を上げた人間が自然と管理職になっていく流れだった。私に命じられたミッションがV字回復で、部下育成は命じられていない。その状態でアサインされて(任されて)、後から“部下が育成できてないじゃないか”と詰められて、しんどい思いをした」と振り返る。部下の5人が退職したときは「自己否定された感じで、誰も信じられない心境になった」と傷ついたそうだが、部下のことは好きだったという。「好きだったからこそ厳しくなった。恋愛じゃないけど、好きな人に辛く当たり“なんで振り向いてくれないんだ”みたいな。そういう体質が僕にあるのかもしれない」。(以下略)---以前にも書いたことがありますが、最近うちの職場でも途中退職が激増しています。「人もうらやむ」正規職公務員が、転職のため退職なんて、ひとむかし前には極めて稀でしたが、近年は急激に増加しています。が、それに次ぐのがメンタルを病んでの退職でしょうか。これは、転職とは違って急増はしていません。以前からある、今もある、急増はしていないけれどまったく減らない、という感じです。そして、その「メンタルを病む」の原因にはいろいろありますが、上司のパワハラというのが結構な割合でいます。私自身、パッと思い浮かぶだけでもパワハラ体質の管理職がすぐに複数思い当たるし、その部下が今までに何人も退職に追い込まれています。もう相当昔のことになりますが、連日静かな昼休みに、上司の怒声が鳴り響き続けたことがあって、標的が私だったわけではないのですが、毎日生きた心地がしませんでした。だって、いつ標的が変わるか分かったものではないし(実際、私も危ういことがありました)。被害者が内部的な相談窓口に訴え出ても、とりあえず加害者と被害者を人事異動で引き離すという応急処置だけです。もちろん、それで訴え出た被害者はパワハラ上司からは逃げられますが、代わりに別の人が人身御供になるわけです。多分完全に表沙汰にすれば、つまり裁判に訴えて勝訴すれば処分されるでしょうが、残念ながらそこまでやった人は見たことがないのが現実です。だってメンタルを病むくらい追い込まれている人が、裁判を戦い抜くのは容易なことではありませんから。おそらく、どこの職場にも、民間公務員問わず、この種の毒上司はいるのではないでしょうか。多分、パワハラ体質の人って、自分がパワハラをしているという自覚はありません。ひたすら他罰的思考で、部下が悪いと思っている。だからタチが悪い。逆に自分が悪いと知りながらパワハラしているとしたら、それは最悪かもしれませんが、自分が悪いと自覚しながら悪いことを続けられる人は、そう多くはないでしょう。自分が悪いと思っていないから、相手が悪いと思っているから平気でパワハラが続けられるわけで。「好きだったからこそ厳しくなった。恋愛じゃないけど、好きな人に辛く当たり“なんで振り向いてくれないんだ”みたいな。」と引用記事にありますが、これこそ、もし恋愛に置き換えればストーカー、あるいはドメスティックバイオレンスの心理そのものでしょう。主観でどれほど「好き」だろうが、相手にとってはそんなのは知ったことではないわけで、そんな理由で辛く当たられたのではたまったものではありません。この種のパワハラ上司を簡単に退職や降格に追い込める手段があればよいのですが、逆にそのような手段がパワハラ上司が気に入らない部下を簡単に退職や降格に追い込むことに悪用されかねない、という側面もあります。なかなか一筋縄ではいかない、難しい問題です。
2023.12.05
コメント(8)
ジャニーズ事務所会見 会場に質問指名の「NGリスト」ジャニー喜多川氏の性加害の問題をめぐりジャニーズ事務所が2日に記者会見を開いた際、事務所から会見の運営を任されていた会社側が、複数の記者やフリージャーナリストの名前や写真を載せて質問の指名をしないようにする「NGリスト」を会場に持参していたことが関係者への取材でわかりました。リストには実際に会見で挙手し続けながら指名されなかった記者らが掲載されていて、企業の危機管理に詳しい専門家は「真摯に説明すると言いながら、実際の行動が異なっているという印象で、広報対応のやり方として不適切だと思う」と指摘しています。~関係者によりますとリストには質疑応答の際に手を挙げても指名しないようにする新聞社の記者やフリージャーナリストなどが掲載され、座席の位置なども確認していたということです。NHKが会見場で撮影した映像にも、スタッフが少なくともあわせて6人の名前と顔写真が掲載されたリストを持っているのが写っていました。---NHKのニュース映像を確認しました。ひとことで言って、頭隠して尻隠さずという印象です。あるいは近視眼的というか、目の前の「うるさい記者」を除け者にすることしか考えず、そのあとそれが発覚しないで済むかどうか、発覚したらどうなるか、まで頭が回らなかったのでしょうか。あんなNGリストを小脇に抱えてスタッフが歩き回っていれば、バレるに決まっています。案の定NHKにバッチリ撮られて立往生しているわけですが、それ以前に、スタッフがあんなものを持って堂々と歩きまわっていれば、他にも気が付いた人はかなり大勢いたに違いありません。---ところでも話は違いますが、私の相棒が、ある日曜紙を定期購読しているのですが(あえて名前は書きません。某日曜版)、先週号を見て私はちょっと驚きました。よりによって稲垣吾郎のインタビュー記事です。退所したとはいえ、元はジャニーズの看板たるSMAPのメンバーです。いや、出すことがいかん、とは言いません。でも、インタビュー中に、あるいは他の記事にも、一言もこの問題への言及はありません。まあ、当然そこへの言及はNG質問だったんでしょうけど。これだけジャニーズのやってきたことが問題になっていて、しかもその問題を薄々は知りながら、見て見ぬふりをしてタレントを起用してきたマスコミ各社が批判を受けているときです。その問題に切り込むインタビューだったら、「素晴らしい」と思うところですが、その視点抜きで、今この人のインタビュー記事を載せてしまうことには、ちょっと私はびっくりしました。「悪い」とまでは断定しませんが、いささか残念な気分ではあります。
2023.10.05
コメント(2)
スタジオジブリ、日本テレビの子会社に 宮崎駿氏の後継者見つからず「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」など世界的に愛される映画を生み出したアニメーション制作会社、スタジオジブリが日本テレビの子会社になることが分かった。スタジオジブリは共同設立者である宮崎駿監督の後継者を見つけることができなかった。共同声明によると、両社の取締役が21日に会談し、日本テレビがスタジオジブリの株式を取得して子会社化するとの決議を承認したという。取得額は開示されていない。声明では「監督宮﨑駿は82才、プロデューサーの鈴木敏夫も75才となり、長らく悩んできたのが後継者問題だ」と説明。日本テレビなら「スタジオジブリの『もの作り』やブランド価値を永続的に守る」ことができると指摘した。日本テレビは「スタジオジブリの自主性を尊重」し、「映画づくりに集中」できるようにする意向だという。また、宮﨑氏の長男であり、自らもアニメーション映画監督である宮崎吾朗氏の名前が何度か候補に上がってきたが、吾郎氏は「『一人でジブリを背負うことは難しい、会社の将来については他に任せた方が良い』との考えから、それを固辞してきた」とも明らかにした。スタジオジブリの将来は長年懸案になってきた。2013年には宮崎氏が引退を発表し、共同設立者の鈴木氏は当時、会社の変革が必要との見方を示していた。宮崎氏を巡っては、世界で最も偉大なアニメ制作者の一人であり、日本のポップカルチャーを象徴する人物との見方が多い。宮崎氏の映画はアニメ産業を形成し、世界で高く評価された。宮崎氏は最新作「君たちはどう生きるか」を手掛けるため最近復帰した。この作品は今年公開されている。---ついにそうなってしまったか、というところです。最新作「君たちはどう生きるか」は賛否両論の中、現時点で興行収入は82億円を超えたと報じられています。宮崎監督は次回作にも積極的と報じられていますが、今作品も制作に7年かかっていいることを考えれば、年齢的にこれで終わりとなる可能性は高いでしょう。あまりに巨大すぎる才能故に、跡を継げる人材がいない、ということは以前から言われていました。アニメーターとしての才能で、おそらくもっとも宮崎の後継者足りうる能力を持っていたのは、「耳をすませば」の近藤喜文監督ですが、残念ながら1998年に亡くなっています。生きていたとしても、今年73歳、宮崎よりは9歳若いとは言え、やはり遠からず後継者問題は生じることになったでしょう。あとは、多くのジブリ作品で作画監督等を務めたいくつかの小作品で監督もした高坂希太郎氏。バリバリの現役で、「君たちはどう生きるか」にも参加していますが、現在は別のスタジオに所属しています。おそらく、ジブリの後継者になる気はないのでしょう。おなじく「借りぐらしのアリエッティ」と「思い出のマーニー」の監督をした米林宏昌氏も、自分の作品を作るためのスタジオに所属しています。息子の宮崎吾郎氏は、処女作の「ゲド戦記」は酷評されましたが、二作目の「コクリコ坂から」は総じて高い評価を得ました。ただ、興行成績は苦戦しました。コクリコ坂の興行収入44億円は、一般的には大ヒットなのですが、ジブリ作品は制作費が大きいため、興行収入44億円ではペイしないのです。吾郎監督だけでなく、ジブリは大ヒットを連発した印象がありますが、それは宮崎駿監督作品だけで、宮崎の師匠でもあり、屈指の名作を連発した高畑勲監督ですら、興行成績は大苦戦でした。結局、誰が後継者になっても、作品の出来はまだしも、興行成績的に宮崎駿本人に匹敵する成績を残せないのが現実です。ジブリのアニメ制作部門は、「思い出のマーニー」を最後に実質的には解体状態であり、今回の「君たちはどう生きるか」で復活したとは言え、今後もそれを永続させられるかどうかは分かりません。宮崎アニメ、ジブリ作品は超が付くくらい大ファンなだけに、今後も新しい作品を期待したいのですが、現実にはなかなか厳しそうです。
2023.09.27
コメント(2)
先日、色々話題の映画を見てきました。映画の最終結末は書きませんが、断片的なネタバレは多少含みますのでご了承ください。主要キャラのひとり(一羽)がこいつでした。アオサギ。物語に登場するのは、その形をした妖怪の類ですが。賛否両論とか、難解という評を聞いてはいました。突き詰めて裏の裏まで理解しようとすればそうなのでしょう。でも、物語の表層だけをても、充分に面白い作品だと私は思いました。作者(宮崎駿)が本当は何を伝えたいとか、どんな裏の真意が、などと、とりあえずは深く考えなくてよい、考えない方が楽しめるのではないかと思いました。というわけで、とっても浅い浅い理解(笑)ですが、ちょっとだけ考察したいと思います。まず、氏のおそらく最後となるであろう作品の舞台は、やっぱり太平洋戦争中なのです。それだけ、戦争というものが氏の幼児体験、その後の人格形成に大きな影響を及ぼした、ということでしょう。主人公の眞人は、おそらくかなりの部分は宮崎自身の投影です。主人公は戦争末期(1945年でしょう)の舞台で国民学校(小学校)の5年か6年生なので、敗戦時4歳の宮崎より7~8歳年長に設定されていますが、父親が飛行機の部品工場の経営者の裕福な暮らし、というあたりが明らかにそれを感じさせます。ということは、舞台となった疎開先(経営する工場のすぐ近く)は、実際に宮崎が疎開していた宇都宮か、その近辺をイメージしているのでしょう。そして、冒頭で3月10日の東京空襲(もちろん、他の日の空襲だったかもしれませんが)に遭遇し、母の入院中の病院も燃えて母を失うあたりの描写は、宮崎の脳裏に深く刻みつけられた、戦争への恐怖なのだと思います。実際の宮崎は、東京ではなく、疎開先の宇都宮で空襲に遭遇したそうですが。4歳の、物心がつくギリギリの年の幼児であっても、それだけ強烈に記憶に残る体験だった、ということなのだと思います。ただ、疎開先で父の後妻、つまり眞人の義母となる夏子(亡くなった母の妹)が既に妊娠しているのは、なかなかすごい設定だと思いましたけどね。空襲から2~3か月後に疎開したとして、このお父ちゃん、奥さんが生きているうちにその妹と・・・・・・いや、そこは深く追求してはいけないか(笑)この作品では、過去の自身の作品や他人のいろいろな作品の影響がかなり強く見て取れます。暴投の空襲の場面は高畑勲が監督した「火垂るの墓」の影響は明らかですし、疎開先の塔から入り込んだ異世界の情景は、息子である宮崎吾郎監督の「ゲド戦記」の類似性を感じます。その他、全体の雰囲気は「ハウルの動く城」に通じるし、異世界に紛れ込んでしまう展開は「千と千尋の神隠し」に類似します。細かいことを言い出せば、「ワラワラ」は「もののけ姫」の木霊(こだま)を彷彿とさせるし、「大叔父」の服装と襟飾りは「風の谷のナウシカ」の大ババ様と同じだな、とか。それを悪く言えば「二番煎じ」かもしれませんが、私自身は悪い方向の印象は抱かなかったです。ちなみに、タイトルの「君たちはどう生きるか」は、ストーリー的にはまったく無関係です。ただ、作品中で、亡くなった母が自分のために残してくれたこの本を読む場面がある、というだけです。映画を見終わって、「君たち」(映画を見た私たち)がどう生きるべきか、そのメッセージが分かりやすく伝わっては来なかったのは確かです。でも、分かりやすいメッセージは、簡単に伝わりはするかもしれないけれど、簡単に伝わるメッセージで簡単に人の心は動かせない、と思ったのかもしれません。でも、あえて大胆に推測すれば、塔の中から入って行った異世界はある種21世紀の現代の反映かもしれません。いつバランスを崩すかもわからない、危うい積木細工が1日崩れなければ、その日1日この世界は崩れない、という描写からは、そんな気がしました。そして、たとえ運命に抗えなくても、いつ崩壊するか分からない不安定な世界の中でも、能動的に生きていこう、というようなことなのかな、と思います。まあ、その解釈が正しい保証は一切ありませんが。一切宣伝をしないスタイルも注目されましたが、封切1周目は観客動員第1位で、興行収入は現時点で74億円(半分が配給収入として37億円)のヒットだそうです。私が見た時は平日日中(お盆休みはすでに終わっていた)だったので空いていましたが。宮崎作品中の最高傑作、とは言いませんけど、入場料の価値は充分ある作品と私は思いました。
2023.08.28
コメント(0)
【速報】男性の育休取得率 10年連続で増加 過去最高も政府目標にはほど遠く… 女性の取得率はダウン なぜ? 2022年度 厚労省調査2022年度の男性の育児休業の取得率が17.13%と過去最高になったことがわかりました。10年連続の増加ですが、政府の「2025年度に50%」という目標にはほど遠い状況です。厚労省の2022年度の雇用均等基本調査によりますと、女性の育休業の取得率は前の年度から4.9ポイント下がり80.2%、男性は3.16ポイント上がり17.13%でした。男性の取得率は過去最高で、10年連続で増加していますが、岸田総理が掲げる「男性の育休取得率を2025年度に50%に引き上げる」とする政府目標と比べると、低い水準にとどまっています。厚労省の担当者は「機運の醸成や男性の育休取得を支援する企業に助成金を支給する取り組みなどが一定の効果をもたらした」と評価するとともに「あらゆる政策で希望通りに育休を取得できる環境整備を強力に進めていく」としています。また、女性の育休取得率が下がった理由としては、「コロナ禍で小規模な企業ほど人手不足の影響が強く出るなど状況が厳しく、育休が取得しづらい状況にあったのではないか」と分析しています。---私の職場では、最近は育休を取る男性職員はぽつぽつといます。17%、そんなものか、もう少し多いかもしれませんが、50%にはおそらく届いていないでしょう。それに加えて、女性は基本的にまる1年(次の年の3月31日まで)育休を取る例が大半ですが、男性の場合は1か月とか2か月が大半で、長くても半年までで、1年育休を取る人はほとんどいません。育休取得中は給料やボーナスの代わりに育児休業手当が出ますが、その額は給料より安い、というところもネックになります。それでも、時代は変わったと思います。私の子どもが生まれた時、制度としては育児休業は男性にもありました。それ以前に男性で育休取得した実例もあるにはあったのですが、当時、私にその発想はなかったです。思い返してみると、生後1か月の時に相棒の入院、手術という騒動があり、2週間弱の父子家庭騒動がありました。何しろ生後1か月なんて子どもを預かってくれる公的機関はありません。今だったら育休を取る以外の選択肢はないと思うのですが、それは思い浮かばなかったんですね。3人しかいない部署で、私が抜けると他の職員にかなりの迷惑がかかる、ということも影響しました。幸いにして、私の両親が、私が結婚したことで安心したのか、その前年に会社を畳んで無職になっていたので、日中は両親に子どもを預けて仕事に行き、時間休で毎日早退していましたけど(子ども゛けでなく、相棒の入院中の病院にもいかなくてはならなかったし)。それにしても、母親のおっぱいというのは、赤ん坊にとって美味しく、粉ミルクってのは不味いものなんだな、ということをその時に知りました。入院当初は、相棒が絞った母乳を哺乳瓶に入れて持って帰って飲ませていたのですが、手術の前日から「強い薬を使うので母乳は赤ん坊には飲ませられなくなります」と言われ、粉ミルクに切り替えたら、顔いっぱいに「不味いっっっっっっっ」って表情をするわけです。でも、他に飲ませるものもないから、哺乳瓶を押し付けると「仕方ないね、他に飲むものないの?じゃあ仕方がないから飲んであげる」って表情で一気にすごい勢いで飲み始めるのです。毎回毎回その繰り返し。夜中は0時に泣き、3時に泣き、6時に泣く。3時に泣かず0時から6時までぶっ通しで寝てくれることもありましたが、そうするとおむつを貫通して外まで尿で濡れていたり(笑)夜は父一人子一人でしたから、かなり大変でした。それが2週間に満たない期間で終わったから、たいしたことではなかったけれど、あれを1年2年続ける世の母親は大変だと思いましたよ。神殿も虐待に走る親の気持ちも、ちょっとだけ分かったような気がします。まあ、その時からすでにおおよそ20年の歳月が流れ、今じゃ大学生ですけど、あの時の濃密な(笑)父子の時間、そしてその後も私の音楽の練習(本番の演奏も)のほとんどに子どもを連れて行っていたことは、今につながっていると思います。さすがに私の音楽に付き合ってくれたのは小学校4年生くらいまででしたけど、今でも、子どもとは結構仲がいいですから。親子の断絶とかが我が家にはないのは、その時代のおかげだと思っています。というわけで、世の父親の皆さん、私は取れなかったけど、できることなら父親も育休、取った方がいいです。
2023.07.31
コメント(0)
集中治療室への悪質営業電話、「誰か死んでも構わない」と罵倒も…救急医が怒りの告発医療機関、とりわけ緊急治療を要するCCU(重症冠動脈疾患集中治療室)へのイタズラ電話に対し、憤りをつづった救急医の投稿がネット上で話題を呼んでいる。命に関わる現場への悪質な迷惑行為に対し、SNS上では批判の声が殺到。都内で救急診療を行う救命医エルメスさんに詳細を聞いた。「不動産業者へ あなたが昨日一回だけ当院へ電話してきた不審電話 医者の名前を語って個人情報を聞き出そうとした電話 CCUホットラインですよ あなたは医者ですか? コレはCCU 命につながる電話です」「何度も説明しました 私は医者だと名乗り続けました 折り返しの連絡先を聞いたら罵詈雑言 都内の救急医療はパンクしてます ホットラインが鳴り続けています」~「~かけ直すために折り返しの連絡先を教えてほしいと伝えましたが、『なんで口頭で言えないの? 急いでるんだけど、すごく困るんだよね。口頭で言ってくれる?』『だから、なんで口頭で言えないの? 急いでるんだよ。口頭で言えばすぐ済むだろ。ふざけるな』というどう喝の末に切られました。後日、その先生に確認したところ、電話はしていないとのことでした」緊急ホットラインへの不動産業者を名乗った電話は過去にも複数回あり、「心肺蘇生中の音が聞こえませんか? 電話やめてください」「命に関わる電話なので、二度と電話しないでください」と告げたところ「ふーん、それで?」「誰か死んだって構わないよ。それより節税のいい話があるんですよ」と食い下がられたこともあるという。---私は医者じゃないですけど、この手の、セールスだか嫌がらせだか脅迫だか分からないような「押し売り」系セールス電話には、かつて散々な迷惑を受けました。職場で、特定の同僚、上司に対して1日に3度も4度も電話をかけてきて、その度に「興味ありませんから」と断っているのです。おそらくその時点で相当の物言いがあっただろうと思うのですが、とうとう私がしびれを切らせて何度目かの電話の際に「もうこれ以上取り次げませんから」と言ったところ、逆切れして「市民に対してその言いは何だ」とか、意味不明のことをほざき始めたわけです。それに対して腹の中では毒づきつつも、口に出して罵倒を返すわけにもいかず※、黙って電話をガチャ切り(笑)したら、そのあと10回か20回か、嫌がらせ電話をかけ続けてきたことが強烈な記憶として残っています。※もっとも、その当時は私もうぶだったのでそんな対応でしたが、その次に異動した部署で散々鍛えられまして(爆)電話で「お客さん」相手に怒鳴り合いとか平気でするようになりましたけどね。そのときの記憶が強烈で他の例は記憶があいまいですが、その時以外にも当時は職場に複数の同僚や上司に対して頻繁にその種のセールス電話がかかってきていました。ほとんど不動産投資話だったように思います。断り切れなくて、職場まで営業が押しかけて来たこともありました。最後どうやって断ったか記憶がありませんが、押しかけて来たのはそこまで態度の悪い奴ではなかった記憶があります。もちろん契約は断りました。そして、自宅にもその種のセールス電話が来たことがあります。これがまたすこぶる態度のよろしくない輩で、相手にするのも面倒で途中でガチャ切りしたら、即座にリダイアルしてきて「なんだか途中で切れてしまったようなので」というので「切れたんじゃないですよ、興味がないから切ったんですよ」と応じたら「なんだ、その態度は」と来ました。なんだ、その態度は、というのはこっちの言いたいセリフでしたけど。しかし、職場じゃなくて自宅の電話ですからね、「お客様」に対する物言いに配慮する必要性はゼロですから、「倍返し」の勢いで怒鳴り返して電話を切ったら、やはりそのあと何度も電話をかけてきました。自宅なんで、もう電話に出なかったですけど、後から考えれば、出たうえで保留にでもしておくのが一番効果的な対応だったかもしれません。というような出来事は、職場で経験したのは前の前の部署にいた時なので15年くらい前だし、自宅も10年以上前だったと思います。それ以降は、私個人としてはその種の押し売りセールス電話を受けたことがなかったので、もうこの種のやり口は絶滅したものだと思っていました。ところがどっこい、まだそんなことをやっている会社があるんですね。この記事だけではなく、職場でもこの1~2年の間に、別の部署でその種の押し売りセールス電話の被害があったという注意喚起がありましたので、未だにあるんですね。それにしても「誰か死んだって構わないよ。それより節税のいい話があるんですよ」は最強すぎるセールストークというものです。誰が死んでも構わないならお前が死ね、と言いたくもなる。いや、こんなトンデモなセールストークで契約に応ずる人なんているのかな?と思います。しかし冷静に考えると、応じてしまう人はいるのでしょうね。わたしなんかはそれなりに「鍛え」られているから、怒鳴られようが恫喝されようが、屁でもない-わけではありませんが(そりゃもちろんそれなりに心理的圧迫感はあります)、少なくとも怒鳴られたから思考停止になるとか、ましてや契約に応じてしまうということはありません。だけど、世の中にはそういう相手に対する場数を踏んでいない人も多いわけで、ああいう態度を足られただけで恐怖心を抱いて契約に応じてしまう、という人もいるのでしょう。100人にガチャ切りされても1人そういう「カモ」を捕まえるだけでも商売が成り立つ、とすれば「カモ」にされた方がむしり取られる金額は相当のものでしょう。不動産投資なんて、当然かなりの高額でしょうからね。商売として本当に悪質であり、被害としてはオレオレ詐欺とあまり変わらないように思います。いや、ほんとうにこういう悪徳商法(十分にそう呼ぶに足るものと思います)は、オレオレ詐欺と同様に取り締まってほしいものです。
2023.07.20
コメント(3)
【ryuchellさん急逝】離婚とカミングアウトで「悪質な誹謗中傷」所属事務所が2月に回答していた対応方針7月12日、憧れだった芸能界で新たな道を進もうとしていた矢先、ryuchellさんが亡くなった。27歳という若さだった。沖縄県で生まれ育ったryuchellさんは、高校を卒業後にアパレル業を志して上京。バイト先の古着店で出会ったのが、のちの妻となるpecoだった。「pecoさんとは真剣に付き合っていたのですが、SNSで“ビジネスカップル”と叩かれ続けたことに傷ついていました。2016年に結婚しましたが、今度は“ビジネス婚”と言われ、アンチの声に対しては割り切って捉えることで精神的に落ち着いたそうです。2018年に愛息が生まれると、叩かれることも一時的に減りました」2021年にryuchellさんはデビュー後から夫婦で所属してきた事務所から独立。この頃からryuchellさんの姿が変貌していく。体重を10キロほど減量し、口紅をするなどの姿が頻繁にSNSにアップされるように。そして2022年8月に、ryuchell さんは自身のインスタグラムでpecoとの離婚を報告。pecoとは“夫”ではなく人生のパートナーとして、子どもとは“かけがえのない息子の親”として生きていくことを誓っていた。しかし、ryuchellさんへの誹謗中傷が止むことはなかった。「離婚前からryuchellさんには『ブス、死ね』といった酷い誹謗中傷のコメントが届いたこともありました。しかし、ご本人は離婚し、カミングアウトすることに対して覚悟していたようで、離婚後に届いた誹謗中傷について、SNS内での言葉を信用し過ぎないことが『自分の心を守るためには大事だよ』ともよく話していました」---peco 元夫ryuchellさん訃報に心境「まったく現実とは思えませんでした」タレントのryuchellさんが事務所で死亡しているところを発見されてから一夜明けた13日、昨年8月に離婚した元夫人でタレントのpecoが自身のSNSを更新。訃報を受けて心境を明かした。~りゅうちぇると出会い、結婚し、わたしたちの最愛の息子が生まれてきてくれて、そして去年、新しい家族のかたちで進んでいくことを皆様にお伝えさせていただいて。りゅうちぇると出会ってから今日まで、その時その時のかたちで、この先一生かけても足りないくらいのたくさんの愛をもらいました。~---元々、彼らには少なからず誹謗中傷があったようです。記事にある「ブス、死ね」はまだ離婚をする前のことですが、法的には離婚をして新しい家族のかたちを選んで以降、誹謗中傷は更に激化していたようです。それが自殺の原因のすべてかどうかは分かりませんが、原因の相当部分を占めていることは、火を見るより明らかです。ところが、この期に及んでなお、「誹謗中傷はいけないが批判まで封じるな」とか、「りゅうちぇるにも問題がある」というような、いかれたことを書き散らす連中がいっぱいいます。何というか、呆れますね。例えば私がここでやっているように、いや、もっと小さなレベルのことでも、何かの主張を展開すれば、それに対する反論、批判はある、これは当然のことです。それとて、「ブス、死ね」みたいなレベルの暴言、人格攻撃は論外ですが。しかし、「穏当」な批判であろうが、それはあくまでも議論の場において持ち出されるべきことです。「好きな魚料理は何ですか?」に対して「めざしがいいな」「いや、ぶりの照り焼きだよ」「俺はアジフライがいい」というのはおかしなことではありません。しかし、「今日は鮭のフライを食べました」に対して「鮭フライなんて不味い、なんで塩鮭を焼かなかったんだ」などと言われても「はあ?」というしかありません。今日の夕飯はなにを食べた、どこに出かけた、誰々の誕生日だ、結婚した、子どもが産まれた、離婚した・・・・・、そんな個人的な日常生活、個人の人生の選択を、それが法や社会規範に反するものでない限り、いちいち批判の対象にされたらたまったものではないし、そのようなことを平然と批判の対象にできる人の感性を私は疑います。結婚も離婚も個人の選択です。日本では、離婚が禁じられているわけでもなく、双方の合意があれば円満に離婚することができます。不貞行為や子どもに対する無責任な姿勢など、誰かを傷つける、社会規範に反する行為があっての離婚なら、批判も分かります。でも、そのような事実もない、双方合意の上での円満な離婚に、その家族に対して何の責任も負わない赤の他人が、何を批判できる権利があるのか、私には理解できません。ましてお二人の例では、りゅうちぇる氏の性自認が変わったため法的な婚姻関係を解消した、というだけで、その後も家族3人で生活しており、子どもに対して責任はきちんと果たしていたし、(元)妻も納得、同意していたことは、彼女のコメントから歴然としているわけです。要するに、自分の価値観の範囲内にある人生の選択以外は許容しない、赤の他人であってもそれをゆるさない、という実に心の狭い人たちが、狭い狭い価値観の外側にある人を攻撃したあげく、死に追いやって、それなりに幸せだった家族を絶望に陥れた、ということです。唾棄すべき連中という印象しかありません。
2023.07.14
コメント(2)
神戸の6歳児死亡 逮捕された叔父がきょうだいにも暴力か 支配的な立場で事件関与の可能性神戸市で6歳の男の子の遺体が見つかった事件で、祖母への暴行の疑いなどで逮捕された男の子の叔父が、きょうだいにも暴力を振るっていた可能性があることが分かりました。22日、神戸市西区の草むらで、近くに住む6歳男児の遺体がスーツケースの中から見つかりました。母親のとその弟容疑者らきょうだい4人は、6歳男児の祖母を監禁し、暴行を加えけがをさせた疑いで逮捕されています。その後の捜査関係者への取材で、弟容疑者が母親容疑者らきょうだいに、暴力を振るっていた可能性があることが分かりました。また、逮捕されたきょうだいのうちの1人が、祖母への暴行は「弟容疑者の指示でやった」と話していることが明らかになっています。---神戸6才男児遺棄、容疑者一家の「虐待の系譜」 “脱出した”一家の長男は「あの家族は見捨てた」~「自宅の庭には粘着テープを巻かれた冷蔵庫が放置されてガレージはゴミだらけ。カーテンはしわくちゃで、『ガスを通していなかった』という近隣住民の証言もあります。一家は全員無職で、祖母には身体障害があり、生活保護を受給していました。また、複数のきょうだいが知的障害者向けの療育手帳を持っていました」~「祖母が被害者だなんてね。だって彼女も子供たちを虐待していたんですよ。事件を知って、因果応報という言葉がよぎったくらい。4人は虐待という方法でしか、子供と接することができなかったんじゃないか。彼らにとってはそれが“普通の親子関係”だから……。巻き込まれ、亡くなった6歳児が本当にかわいそう」『このアホ!』『クズ!』と怒鳴る声や、子供が泣きわめく声が聞こえてきました。鉄パイプで殴られることもあったみたいで、生傷や青あざは絶えなかった。警察や児童相談所も何度か訪問に来ていたほどです」「服はボロボロで、何日も同じ服装でした。特に上の3人がひどかったですね。冬でも靴下を履いていないような状態で学校に通っていました。ご飯もまともに食べさせてもらえてなかったんじゃないかな。給食が余ったらランドセルに入れて持って帰っていたって」~---この件についてはBill McCrearyさんも記事を書いておられます。事件の起きた家庭がどういう状況か、だいたいの想像が付きます。子どもが幼いころは、母親が子どもを虐待し続け、それがやがて子どもは成長し、母親は年老いて(まだ50代なので年老いてというほどではないにしても、身体障害があったそうですから)体格的に立場が逆転すると、今度は子どもが親を虐待するようになる、そのような例は他にも数多く聞きます。引用記事によれば、既述のように親(祖母)は身体障害、4人兄弟のうち何人かが知的障害で療育手帳を持ち、ということは、持っていない兄弟も知的ボーダーである可能性は高く、生活保護を受けていた、ということです。引用記事は「祖母が生活保護を受けていた」とありますが、生活保護制度は本来、世帯単位の原則というものがあり、同じ世帯の中で一人だけが生活保護を受けるということは、特殊な例外(世帯分離)を除いてありません。これは、住民票ではなく居住の実態で判断されます。つまり、住民票だけ別世帯にしても、あるいは住民票が別の住所においてあったとしても、居住の実態が同じ世帯なら「同一世帯として扱う」ということになります。ただし、法的にはそうなっていますが、知人の福祉事務所関係者によれば、実際にはこの「居住の実態」の把握には困難が伴うことが多々あるとのことです。その世帯を毎日24時間監視できるわけではありませんから、最終的には本人たちの言い分や、訪問調査で分かる範囲でしか世帯認定ができない、ということになります。別報道によれば、主犯格の弟は、今年になってこの世帯に転がり込んできたようですから、他の兄弟はともかく、この弟が世帯員増の手続きが取られていたかどうかは定かではありません。そして、知人によれば、この例は多分各福祉事務所が抱える「困難ケース」の中でも、まずトップ5かトップ3に入る事例だろうということです。一人のケースワーカーが100世帯担当するとすれば、その中では圧倒的に一番の困難ケース、ということになります。でも、一つの福祉事務所全体の中では、おおむねこれに類する家庭環境(殺人にまでは至らないにしても)の受給者は、確実にいる、それもおそらく複数いるだろう、というのです。ごみ屋敷、虐待、子どもには、あるいは親にも軽度の知的障害があり、その子どもが成長すると、どこかで逮捕されたり、あるいは女の子ならいつの間にか相手も分からないままおなかが大きくなっている。端的に言えば生活の破綻している家庭ですが、唯一無二の酷い話ではなく、残念ながら「福祉事務所あるある」なのだそうです。これはもう、いかんともし難い話です。世の中には、どうあがいても「まとも」ではない人間が、きわめてわずかながら、確実にいるのです。それでも、この種の家庭を担当する生活保護ケースワーカー、保健所の保健師、児童相談所や子育て支援の関係者の中で、立場的にもっとも強いのは生活保護ケースワーカーと言われます。理由は簡単です。生活保護だけが受給者のお財布を握っているからです。保健所や児相は、お金という「武器」なしに、虐待家庭に「あれをしなさい」「これをしてはいけない」と言うだけ(虐待家庭の主観)なので、厳しい戦いを強いられるのです。今回のこの件の刑がどのようになるかは分かりませんが、別の犯罪が露呈でもしない限りは死刑や無期はありません。特に主導した弟以外は実刑になるかどうかも定かではありません。ということは、遅かれ早かれ社会に戻ってくるわけで、まだ30代前半の年齢を考えれば、その先も長い人生が続きます。そもそも、「祖母」は今回の件では被害者なので逮捕されていませんが、引用記事によれば十分問題のある人物のようです。今後も保護を受け続けるとすれば、福祉事務所も大変だなと思わざるを得ませんし、福祉事務所やその他の福祉関係者に限らず、本人も周囲も、多難な人生がまだまだ続くことになりそうです。
2023.06.30
コメント(2)
櫻井翔 ジャニーさん性加害問題について言及 涙浮かべ、言葉詰まらせ「臆測で傷つく人たちがいる」嵐の櫻井翔が5日放送の日本テレビ「news zero」に生出演し、ジャニーズ事務所の元所属タレントが創業者のジャニー喜多川前社長(2019年死去、享年87)から性被害を受けたと訴えた問題について言及した。性被害問題について「約4万人分の署名」が与野党に提出されたと触れたあと、櫻井は神妙な面持ちで「この件について、自分の言葉でお伝えできればと思います。今回の件ですが、私には2つの側面があると思います」と切り出した。「2つの側面」について「1つは今、問題の責任が問われている事務所に所属しているということ。そしてもう1つは大きな意味では自分は被害者側に見られうる立場に置かれているということ」と説明。続けて「私にとって、この2つの側面を踏まえますと、コメントをすることは難しいと考えていました。今もまだどの立場でどうお話できるのか難しいのですが、お伝えしたいことの1つは、臆測で傷つく人たちがいるということです」と心境を吐露した。~そして「最後にあらゆる性加害は絶対に許してはならないし、絶対に起こしてはならないと考えています」と厳しい表情で語った。故ジャニー喜多川前社長による性加害問題について同事務所は5月14日夜に藤島ジュリー景子社長が謝罪動画と文書を発表し、東山紀之が同21日、メインキャスターを務めるテレビ朝日「サンデーLIVE!!」内で、スーツ姿で眼鏡をかけた沈痛な表情で「心を痛めた全ての方々、本当に申し訳ありませんでした」などと謝罪した。(以下略)---この問題は、妙に大手メディアの報じ方が鈍いようですが、ここにきてようやく報じられ始めているようです。もっとも、ジャニーズ事務所という企業の知名度、芸能界への影響力と犯した犯罪の悪質さを考えると、依然として及び腰という印象は拭えません。我が家で購読している毎日新聞も、この件をさほど大きく報じている印象はありません。そして、引用記事の内容は、肝心かなめの被害者に対する言及がない点に、どうも非常に疑問を感じます。憶測で傷つく人がいるのは確かですが、憶測ではなく事実としての性被害で傷ついたひとがいるのはそれ以上に確かなことです。被害者の記者会見で、他の被害者について少なく見積もっても300人くらいと言ったことは、推測とはいえ、自身の経験と周囲の見聞に基づいており、まったく無根拠なあてずっぽうではありません。もちろん、具体的に「誰が」被害にあったのかは分からないし、本人が認めるのでない限り、そこを掘り返すべきとは思いませんが。それにしても、仕事上の地位と権力を盾にした、これほど悪質な性加害、それも、かなり以前から関係者の間では周知の事実だったにもかかわらず、加害者が亡くなるまで表沙汰にならずに来た、犯した罪を償わずに生涯を終えてしまったことには、暗澹たる思いを抱かざるを得ません。ある意味、あまりに古くから、あからさまに行われすぎていて、本人も関係者も感覚がマヒしていたのかもしれませんが、それを報じるべき側まだ感覚がマヒしていたのなら、それもどうかと思います。芸能界に強い影響を持つ事務所に遠慮した、と見られても仕方がないでしょう。あるいは、程度の差こそあれ、類似の問題はこの世界には他にも沢山ある、ということなのかもしれません。考えてみれば、ジャニーズ事務所の件は、男性同士という点で、世間一般的には特異な事例のはずです(芸能界全体では絶対女性の方が多いし需要もあると思いますが、男性しか所属しない芸能事務所って、他にあるのでしょうか?)。ということは、男女間の類似の犯罪は、この何倍、何十倍あっても不思議ではない、と考えざるを得ません。もちろんわかりませんが、ジャニーズだけではない、もっと恐ろしい問題、ではないことを願いますが、どうなのでしょうか。
2023.06.06
コメント(2)
「優先エレベーター」を若者ら占有 満員で5回乗れなかった車いすの難病女性「譲ってもらえませんか?」…返ってきたのは舌打ちと心ない言葉車いすユーザーの女性が、健常者で混み合う優先エレベーターを譲ってもらうようお願いしたところ、「優先ってなんやねん」「みんな待っとるんじゃ」と心ない言葉で拒否されました。国指定難病を患い、電動車いすに乗るaya(@ponpon04ponpon)さんは、JR大阪駅直結のファッションビル「ルクア大阪」で優先エレベーターを待っていました。体が不自由な人が優先利用するエレベーターは、車いすやベビーカーのマークが大きく描かれ、「お身体の不自由な方におゆずりください」と書かれていましたが、若い客はお構いなしで優先エレベーターに乗り込みます。ayaさんは混み合う優先エレベーターを5回見送った後、勇気を振り絞って「歩ける方はエスカレーターを利用して譲ってもらえませんか?」と申し出ましたが、返ってきたのは舌打ちと心ない言葉でした。~「舌打ちをされた方は20代の男性の方で、お一人で乗られていました。『優先ってなんやねん』と言われた方は20代くらいの男性の方で、カップルで乗られていました。『みんな待っとるんじゃ』と言われた方は40代〜50代くらいの方で家族で乗られていました」「以前、似たようなツイートをした時に、『車いすの人が何回もエレベーターを見逃し、待っていることなんてわからない。自分から声に出して言えばいいじゃないか』というリプライが届きました。だから今回初めて声に出してみましたが、このような結果になりました。正直、怖いが1番の気持ちです。勇気を出して声にしたら、嫌味を言われる世の中に恐怖を感じました」(以下略)---ものすごく残念な話ですが、これが現実だというのは、私の体験でもなんとなくわかります。私は難病になったことも病院の外で車いすに乗ったこともありませんが、以前左足首を骨折した際に、似たようなことは痛感したことがあります。骨折して手術後退院して3週間余りは往復タクシー通勤していましたが、そのあとは松葉杖で電車通勤していました。電車通勤再開数日後の通院で「折った足を地面につけて歩いてよい」と主治医から許可が出たので、だいぶ楽になりましたが、最初の何日かは片足立ちの状態での松葉杖でしたから、混雑する電車での通勤は非常に辛いものがありました。最初の2日間は往路はタクシーのまま、帰宅時だけ電車通勤(帰宅時なら、どれだけ時間がかかっても遅刻がないから)をしました。初日は幸先良いことに勤務先の駅から座れ、確か乗り換え後の列車も席を譲ってもらえたように記憶しています。しかし、翌日はそうはいかず、優先席の前に立っても誰も席を譲ってくれませんでした。乗り換えも大変で、通勤所要時間が健常時の2倍近くかかりヘトヘトになった記憶があります。両松葉杖に左足はシーネ(添え木)に包帯ぐるぐる巻きの、ものすごく分かりやすい見た目でしたけど。それ以降、脚をついて歩けるようになってからはだいぶ楽にはなりましたが、それでもその後1ヶ月近く片松葉づえを使いました。その間、優先席の前に立っていても、席を譲ってもらえる確率は五分五分以下で、途中からは席の前に立たなくなりました。というのは、席の前に立って譲ってもらえずに吊革につかまって立っているよりは、戸袋のところで肩をもたれさせている方がまだ楽だからです。また、そもそも混雑して席の近くまで近寄れない、ということもありました。片松葉杖になると、さすがに電車で座れないのがそこまで辛いとは感じなくなりましたけどね。更にさかのぼって18~9年前、うちの子が乳児だった頃、私はかなり頻繁に子どもをつれて外出していましたが、だっこ紐で子どもを抱っこして電車に乗っていても、席を譲ってもらったことはほとんどありません。当時はまだ私も30代半ばで、子どもをおんぶして高尾山に登ったり、練習で子どもをおんぶしたまま2時間笛を吹き続けるとか、平気で出来たので、それが辛いと思ったことはほとんどありませんけど、「譲ってくれないものだな」と思った記憶はあります。私自身の経験でもそうですが、職場や音楽関係の知人とこの話題になると、骨折経験者は皆異口同音に「電車であまり席を譲ってくれない」と言っていました。で、私は東京の人間ですが、引用記事は大阪の話ですから、東京と大阪でも大体同じ、つまりおそらくは日本中どこでも同じなのでしょう。まあ、わたしは「譲ってください」と口に出して言ったことはないので、口に出して頼んで舌打ちまでされるかどうかは分かりませんけど。自分自身は、席を譲るという行動がやや苦手なので、通勤時は最初から席に座らないか、座っていて譲った方が良さそうな人が近くに来たら、さも下車駅が来た風を装って席を立つかのどちらかですが、とにかく席は空けます。もっとも、私も髪に白いものも増え、遠からず席を譲られても不思議ではなくなるかもしれませんが。いや、まだ50代半ばだからさすがに早いか。私は日本がダメな国だとか、民度が低いなどと言う気はないですが、こういう部分は残念だなと思う限りです。余談ですが、今は出勤時は職場に始業の40分くらい前に着くように出勤していますが、これはこの骨折がきっかけです。そもそもタクシー通勤の際に渋滞が怖いので、それまでより30分早く出勤したのですが、電車通勤に戻っても、始業ギリギリだと電車が激混みで、松葉杖の体ではとうていそんな電車には乗れなかったので、早出を継続して、治った後も今に至っています。
2023.05.16
コメント(4)
日本の将来推計人口、50年間で3割減 1割は外国人に厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所は26日、2070年まで50年間の将来推計人口を公表した。20年に1億2615万人だった総人口(外国人含)は、56年に1億人を下回り、70年には8700万人で現在より3割減少する。前回推計(17年)より平均寿命の伸びと外国人の増加で減少ペースはわずかに鈍化した。だが、40年代以降は高齢化率が4割近くに高止まりし、超高齢化の進行に歯止めはかかっていない。中位推計では、推計の前提となる70年の合計特殊出生率を1.36と見込み、前回推計の1.44(65年)から下方修正した。同様に70年の平均寿命は男性85.89歳、女性を91.94歳とし、一定の伸びを想定した。外国人は国勢調査の前年までに入国超過数が急増したことを反映し、40年まで年間16.4万人増とした。70年には10人に1人が外国人となる計算だ。70年の出生率は、20年実績の1.33からは微増を見込む。ただ、日本人女性の生率は上がらず、微増は外国人女性の出産による影響という。出産世代の人口減少に伴い、日本人の出生は38年に70万人、48年に60万人を下回り、59年に50万人割れとなる。65歳以上の人口は43年に3953万人でピークとなるが、その後も高齢化率は緩やかに上昇し続ける。20年の28.6%が、70年には38.7%まで上昇。その一方で現役世代に当たる15~64歳は同期間に59.5%から52.1%まで減る。20年に現役世代2・1人で1人の高齢者を支えている構造は、38年に1.7人に1人、70年には1.3人と「肩車型」になる。同研究所は今後100年間の長期参考推計も公表。2120年の総人口は4973万人で、5000万人を割り込むとした。---2070年といえば、私は100歳を越えるので、まず生きてはいないでしょう。しかし、うちの子は60代なので、多分生きているでしょう。その時代の人口予測が8700万人ですか。日本の人口は2008年に1億2808万人だったのをピークに、15年続けて減少しています。引用記事では2020年に1億2615万人とありますが、最新データでは、2022年11月現在で1億2491万人なので、すでにピークから300万人以上減少しています。そして、引用記事の指摘を待つまでもなく、人口が再び増加に転じる可能性はありません。少子化対策を頑張れば、人口減のスピードを緩めることは可能ですが、人口増に転じることはとうてい不可能です。唯一可能性があるのは大幅な外国人移民の受け入れですが、いくつかの点から可能性は低く、かつ効果は限定的でしょう。可能性が低い理由はいくつかあります。排外主義的な連中が外国人の大量受け入れは拒もうとするでしょう。いや、排外主義的な連中だけではないかもしれません。私ですら、日本の人口の4割5割あるいはそれ以上が外国人(出身者)になることを、ものすごく好ましいかと言われれば、腹の底から「そのとおり」とは言えないのが正直なところです。それに、人口減少とともに日本がさらに貧しくなっていけば、外国人にとっても魅力に乏しい国となり、多くの移民が押し寄せる、ということはなくなるでしょう。更に、少子化は東アジアの中国、韓国、台湾に共通した問題で、特に中国は今年人口減に転じたことが報じられています。つまり、移民すら各国で「取り合い」になる可能性があるわけです。そこに本は勝てるでしょうか。効果が限定的であるのは、外国人の出生率が高いのは、移民第一世代だけだからです。体感的に考えて、子沢山の在日フィリピン人、ブラジル人などは見ても、その子どもの世代で子沢山という実例は見たことがありません。また、米国の例を見ても同じことが言えます。米国は1970年代以降ヒスパニック系が急増し、今ではスペイン語話者数がメキシコ、スペインに次いで世界第三位というスペイン語国でもあります。そのヒスパニック系の出生率は白人などに比べて大変高いと言われてきました。しかし、統計を見ると、1990年代には2.9前後もあったヒスパニック系の合計特殊出生率は2008年頃から急落し、2017年には2ぎりぎりです。それでも白人(非ヒスパニック系)より若干高いものの、もはや大差ではなくなっています。これらの点から考えても、外国人大量受け入れという手段が、少子化の完全な解決策になるとは言えません。ただ、それ以外に効果の大きい解決策があるかというと、なかなか難しいもがありますが。選択的夫婦別姓制の導入、非嫡出子差別の撤廃、保育園の増設などは、結婚や子育てへの障害の除去という意味で重要と思いますが、それだけで劇的に出生率が上がる、とは想定しがたいものがあります。少子化の流れは先進国から今では一部中進国にまで及んでいるので、全世界的な現象ではありますが、中でも日本の状況が特に深刻なのは、やはり長く続く経済不振による、若年層に不安定雇用が多いためでしょう。特に団塊ジュニア世代(わたしも、世代という意味では概ねその端くれに位置しますが)の就職時期に不況は特に厳しく、結婚も出産もできず、という人が大量に生じたことは大きかったでしょう。今となっては、経済不振だから人口が減る、人口が減るから経済も回復しない、と負のスパイラルに入っているような気もします。結局、多分人口減を根本的に止める手段はなく、ただかろうじてその減少幅を緩めつつ、人口減を前提に、それに適応した社会のあり方に変えていくことで破滅的な事態を回避するしかないのでしょうね。回避できるかどうかも分かりませんけど。
2023.04.27
コメント(6)
着物イベントの「左前」ポスターが物議 「死に装束」指摘も...制作元は修正否定「ファッションに決まりない」東京・銀座で開かれる予定の着物イベントのポスターについて、イラストの着物が左前になっていると、ネット上で疑問が相次いでいる。左を手前にして着る左前は、「死に装束」とされていることが理由だ。イベントの運営会社は、「着物は、もっと自由でいいと思っています。ポスターはイメージで、深い意味はありません」と取材に説明している。ポスターでは、花を背景に、黒髪の少女がピンクに近い色の着物を着ている上半身のイラストが描かれている。イベントは、「銀座今昔きもの大市」と題して、2023年5月12~14日に開かれる予定だ。公式ツイッターでは、4月17日にポスター画像を載せてイベントをPRした。ところが、この画像に対し、リプライ欄で突っ込みが相次いだ。「それ死装束じゃ......?」「左前は駄目でしょ」「これでよくGOサイン出したな」さらに、着物の中にシャツらしきものが見える、などと違和感を訴える声も次々に寄せられた。(以下略)---洋服だと、男物と女物で左右逆ですが、和服だと男だろうが女だろうが必ず右前で、左前はダメ、というのは、知らない人にとっては若干分かりにくい部分もありそうです。多分、男性より女性の方が間違える危険がありそうに思います。男性なら洋服でも和服でも重ね方は同じですが、女性は洋服と和服で逆になるからです。ともかく、こういうことは表現の自由とか、自由にコーディネイトしていいなんて言っても仕方のないことです。死に装束を生きている人間がするのは、驚いたり悲しんだり不快に思うことがいっぱいいるのですから。という、実に当たり前のことを、こういう話だとたいていの人が当たり前に理解し納得するものです。ところが、これが性的なイラストに対しての批判になると、途端に「表現の自由だ」「フェミナチだ」「リベラルの奴らがポリコレを押し付ける」などと叫び始める輩が現れるのです。不思議なことです。性的なイラストを公の場に掲示する表現の自由があるなら、左前の着物の女の子のイラストを掲示する表現の自由だってあるはずですよね。左前の着物のイラストが批判の対象になるのに、スカートの中が透けて見えるようなイラストは批判の対象にしてはいけないと、どうしてそんなふうに思えるんでしょうかね。どちらの場合も、自由な表現としてのイラストではなく、あくまでも商業的イベントの宣伝と手段としてのイラスト、つまり広告です。ならば、購買層に不快感を抱かせたら目的を果たしていない、失格ということになります。その意味で、どちらも失格だと思うのですがね。
2023.04.21
コメント(4)
産経新聞 120人希望退職を労組に提示「48歳以上対象」19年にも180人募集…止まらぬ不況"日本から新聞が消える"立法、行政、司法に次ぐ「第4の権力」と言われてきたマスメディアの衰退が止まらない。ネット動画を見る人々の増加で、テレビ業界は視聴時間や広告売り上げの減少に苦しんでいるが、とりわけ危機にあるのは新聞業界だ。部数減から優秀な人材が離れ、質の低下につながるという「負のスパイラル」に陥っている。リストラで窮地を脱しようとする新聞社が相次ぐ中、はたして10年後、20年後も生き残ることはできるのか。「ついに朝日も……」。4月5日、朝日新聞社は、愛知、岐阜、三重の3県で5月1日から夕刊を廃止すると発表した。同社は「朝刊だけの購読希望が増えている」ことを理由としている。ネットメディアの台頭で無料記事を好きな時間に読むことができる時代、その日の昼頃までのニュースを夕方になって読みたい人は少ないだろう。だが、3県での夕刊廃止は、読者ニーズに沿ったというよりも、苦境にある企業の “延命策” と見るべきだ。朝日新聞は1990年代に発行部数が800万部を超えていたが、2022年は400万部を下回った。この約30年間に半減した計算になる。~読売新聞は、直近の平均販売部数が約660万部だ。かつて1000万部の大台を超えていたことを考えれば、その勢いには陰りが見える。2010年に電子版を創刊し、デジタルファーストに転換した日本経済新聞は、電子版の有料購読数を含めれば約247万に達している。逆に産経新聞は2000年には200万部を超えていたが、直近は100万部を下回り、約20年間で大幅に減った。2019年に180人の希望退職を募ったが、更に社経営陣は労働組合に対して、48歳以上の社員を対象に120人の希望退職を募る案を提示したという。保守系の新聞としてファンもいるとはいえ、ネット時代におけるビジネスモデルの転換に失敗している感は否めない。日本新聞協会が発表している新聞の総発行部数によれば、20年ほど前は5000万部近くもあった。だが、2022年の一般紙は2869万部で、前年から200万部近くも減っている。インターネットやスマホの普及とともに、主要各社の売り上げは下降しており、このままのペースで悪化すれば、あと15年弱で日本から新聞が消える計算になる。小手先の人員削減策では対応できないレベルといえ、その前に倒産したり、買収されたりする新聞社が出てくるのは想像に難くない。(以下略)---ネトウヨ諸氏は朝日新聞が「反日」だから衰退していると信じているようですが、現実には、ネトウヨの機関紙たる産経は、朝日新聞と同様に部数は半減です。読売も、2/3以下に減っているので、これも大同小異と言えるでしょう。我が家は結婚した当初から、ずっと毎日新聞を購読していますが、子どもは新聞を読みません。子どもは、就職したら一人暮らしをすると言っているので、そのときにはおそらく新聞はとらないでしょう。デジタル化の進行による紙の新聞の衰退は否定しようがありません。引用記事の後段(引用外の部分)でニューヨーク・タイムズのCEOが「20年後も印刷されていたら驚くだろう」と2020年に発言しているという話は有名ですし、実際にそうなるでしょう。というわけで、紙の新聞が衰退していくことはやむを得ないのですが、問題は、電子版も含めた新聞社(あるいはネットメディアも含めた報道機関)が生き残れるがどうかです。「無料記事を好きなだけ読める」というのは、実際には持続可能な状況ではありません。なぜなら、その無料記事を掲載しているのは、たいていの場合は新聞やテレビ局など既存の報道機関だからです。新聞紙面の一部、報道番組の一部をネット上で広告付きで掲載することで、多少の収入にはなるでしょうが、それだけで採算が取れるレベルではないでしょう。ネット上だけにニュースを流すネットメディア(BuzzFeedとか、J-CASTニュースとか)もありますが、現状ではその取材能力、ネットワークは既存のメディアすべてを置き換えられるほどのものではありません。つまり、もし新聞社やテレビ局がつぶれたら、ネット上の無料記事の配信も大半が消滅してしまうということになります。ツイッターで世の中で起こっていることはみんな分かる、という意見もあるでしょうが、実際にはそうはいかないものです。そうなった場合、紙面を「編集する」という行為が消滅します。百人死んだり、内閣総理大臣が襲撃された事件は大きく報じ、小さな事件は小さく報じる、といった取捨選択は読み手にゆだねられます。読み手が自由に選択する、と言えば聞こえはいいですが、無数にある雑記事の中から重要と考える記事をもれなく探し出すのは案外難しいことです。また、「報じてほしい」ニュースは頼まれなくても提供されるでしょうが、「隠したい」ニュースは隠ぺいされるでしょう。それを系統的に調べて報じるのは、かなり困難でしょう。フェイクニュースをはじくことも難しいでしょう。外国の出来事を日本語に翻訳するのも、それなりに手がかかることです。これらのいずれも、短期的、単発的になら報道機関でなくてもできるでしょうが、長期的継続的にとなると、なかなか難しいものがあります。結局、無料で何でも提供できるものではない、ということに尽きます。というわけで、報道機関というものが社会にとって必要である理由はいくらでもあり、なくなってしまったら社会の健全性を保つのは困難と思うのですが、「必要である=存続できる」となるとは限らないのが難しいところです。その必要性を理解して何らかの形でお金を払う人や組織が一定数以上いなければ、どんなに必要でも存続はできないわけですから。新聞という報道機関の一形態に限定した話ではなく、報道機関全般に、ぜひ消滅するようなことがないようにと願うばかりです。
2023.04.17
コメント(0)
一連の強盗事件 これまでに1都7県で14件 30数人を逮捕 警察庁全国各地で相次いでいる一連の強盗事件について、警察庁は、これまでに1都7県で同一のグループとみられる強盗事件が14件発生し、去年10月以降に30数人を逮捕したと明らかにしました。また、これらと関係が疑われる事件も6府県で起きていて、警察庁は27日、各地の警察本部が出席する捜査会議を開くことにしています。警察庁によりますと、全国各地で相次いでいる一連の強盗事件のうち、東京、茨城、栃木、埼玉、千葉、神奈川、山口、広島の1都7県で同一のグループとみられる強盗事件が14件発生し、去年10月以降に30数人を逮捕したということです。また、これらの事件のほか、窃盗などを含めて関係が疑われる事件も6府県で起きているということです。(以下略)---狛江の件で死者が出たので、大々的に報じられるようになりましたが、これまでに14件(あるいはもっと)もの強盗が繰り返されてきたという事実には戦慄します。その実行犯が、「闇バイト」で集められてきた若者たち、というのがさらに暗澹とする話です。今までオレオレ詐欺(振り込め詐欺)に手を染めていたような犯罪グループが、今度は強盗に手法を変えた、ということなのでしょうか。振り込め詐欺だってとんでもない犯罪ですが、そこに肉体的な暴力を伴う強盗になると、さらに悪質度が増します。このような凶悪犯罪が、やがてオレオレ詐欺のように日本各地津々浦々で行われるようになったら、と思うと戦慄します。以前に書いたことがありますが、私は振り込め詐欺と思われる電話を受けたことがあります。それだってその時は充分にショッキングな話でしたが、それが強盗に襲われたとなったら、たとえ結果として金銭を奪われなかったとしても、心身に受ける打撃、恐怖はさらに大きいことは明白です。ただ、同時に犯行の手口を見ると、極めて杜撰です。レンタカーを借りて(偽造免許証でない限り、直ちに足がつきます)あちこちに指紋を残し、「中野の事件オレがやった」などと周囲に吹聴して回る、とうてい「プロの手口」ではなく(強盗のプロ、なんて存在もとんでもないものではありますが)、だから現場で逮捕されて犯人もいるし、その場は逃げても、すぐに身元が特定されて、短時間のうちに次々と捕まっています。要するに、完全に使い捨ての「トカゲのしっぽ」として雇われただけ、ということです。それにしても、日当100万円という話もありますが、素人がちょっと考えても、こんな犯罪に手を染めて、逮捕されずに逃げおおせるとはとうてい信じられません。強盗ともなると、罪の重さは振り込め詐欺よりはるかに重いものです。狛江の事件は、強盗殺人になるのか、強盗致死になるのかは分かりませんが、どちらだとしても法定刑は死刑と無期懲役しかありません。実際には、情状酌量の余地が認められて有期刑になる例はあるようですが、今回の件で、はたして情状酌量の余地があるのでしょうか。逆に、逆に運転手、見張り役、指示役など直接手を下していない者も共同正犯が成立する可能性があります。いずれにしても、100万円と、他人の命を奪って自分の人生も棒に振ることと、つり合いが取れるのでしょうか。そんな計算もできないから、そんな闇バイトに応募してしまうのでしょうけど。もっとも、今回の連中はただただ杜撰なだけの犯行手口でしたが、これに続く連中がおそらく現れ、それが果たしてこんなに杜撰かは分かりません。犯罪集団も手口を学習して、杜撰でなくなって来たりしたら、その時こそ本当に恐ろしいと思わざるを得ません。願わくば、そのような「学習」ができないように、主犯から全員を逮捕してほしいものですが、それもまたなかなか困難なのかもしれません。
2023.01.27
コメント(2)
飯能3人殺害、夫婦は庭で長女は玄関付近で発見…容疑者が屋外で殴打する映像も埼玉県飯能市美杉台の住宅で住人の夫婦と帰省中だった長女が殺害された事件で、夫婦が敷地南側の庭で倒れていた一方、長女は北側の玄関付近で発見されたことが28日、捜査関係者への取材で分かった。近くの防犯カメラには、容疑者とみられる男が、屋外で被害者を殴打している映像が残っており、県警は被害者3人の位置関係も踏まえ、犯行状況の特定を急いでいる。(以下略)---茅ケ崎男性刺殺 容疑者逮捕から1週間 工事関係者装って訪問 立ち退き命令に恨みか茅ケ崎市の会社員の男性が自宅敷地で刺殺され、神奈川県警が殺人の疑いで大阪府出身の住所不定、職業不詳の男を逮捕した。男が男性宅を訪れた際に、工事関係者を装っていたことが分かった。男はベージュ色の作業着、頭部に白いタオルを巻き、白マスク、眼鏡を着用し、インターホンで男性を呼び出した。県警や付近住民によると、事件の数日前に、現場近くで水道工事が行われていた。県警は男が事前に周辺を下見し、工事関係者を装うことを考えた可能性もあるとみて捜査している。関係者によると、男は、男性が所有する大阪市のマンションの家賃を滞納、男性側が大阪簡裁に提訴した。男は訴訟で反論したが、大阪簡裁は主張を退け、男の退去を命じる判決を言い渡したという。県警は、男が提訴されたことや退去を求められたことに対して一方的に恨みを募らせたことが犯行動機となった可能性もあるとみて調べている。---理不尽な、という以外に表現のしようのない事件が立て続けに起こってしまいました。茅ケ崎の事件は、被害者が家主を務めていたマンションの家賃を、別報道によると5年間も滞納を続けた挙句、裁判で強制退去となったことを逆恨みしての犯行だったようです。滞納したのは自分自身なのに、そのような逆恨みは理不尽としか言いようがありませんが、ともかくも動機の所在ははっきりしてはいます。しかし、反応の事件に至っては、犯人と被害者の接点すら定かではありません。以前から、犯人が被害者の車を再三傷つける行為を行っており、それで逮捕されたこともある(不起訴)というので、その時点でこの犯人には被害者に対する害意があったことは明らかですが、それが何故、何がきっかけでというのは、さっぱり分かりません。本人は「言いたくありません」と口を閉ざしているのだといいます。考えてみれば、京都アニメーションに対する放火や、大阪北新地の精神科に対する放火事件、池田小無差別殺人事件なども、犯人の殺意が何故そこに向かったのか不明、あるいは常人にはとうてい理解不能な殺人事件でした。更に言えば、ストーカー殺人などの類も、その大半が同様に一方的で理不尽な動機に基づくものです。もちろん、世の中の殺人事件に理不尽でないものなど、ない(またはごく少ない)かも知れませんが。飯能の事件は、1年も前から執拗に何度も被害者の車を傷付けた挙げ句の凶行です。そこまでの害意を長期間持続させるのは、よほどの恨みですが、これまでのところ被害者ろ加害者の間に、そのようなトラブルどころか、接点すら見つかっていないようです。結局、この犯人が被害者に対して一方的に、意味不明の敵意を募らせただけ、としか思えません。それにしても、このような理不尽な怨恨による犯罪って、どうやって防げるのだろうと考えると、どうも非常に難しいと思わざるをえません。世の中には、ごくわずかながら、この種の反社会的な人柄の持ち主がいます。それが幼少時から顕在化している人(池田小事件の犯人など)もいるけれど、若い頃、または人生が順風の間はそんなことはなかったのに、後年になって(あるいは人生が逆風になった途端に)そういう人格が顕わになる人もいます。京都アニメーションの事件の犯人や今回の飯能の事件の犯人がそうなのでしょう。北新地の精神科放火事件の犯人もそうかも知れません。それでも、これらの事件とも、最終的な凶行の前から異常な行動や犯罪を繰り返していたわけですが、だからと言って事前にこんな事態を予測して防ぐ、というのは絶望的に不可能です。個別具体的な凶行の手段に対する規制は出来ます。例えば京都アニメーションの事件以降自動車への給油以外のガソリン販売に規制ができたように。でも、人殺しの手法なんていくらでもあるわけです。ある手法に制約があったら別の手法、となったらどうにもなりません。まさか包丁やハンマーの購入を禁止は出来ないですから。また、腹の中に抱えている害意の存在で人を逮捕することは出来ませんし、特定の個人を常時監視する、または警護することに要するマンパワーを考えれば、そんなことを「危なそうな人」一般にやることなど不可能なことが分かります。なにしろ、警護が何人も付いていた元首相ですら、その警護の隙を衝いて殺害されることがあるくらいですから。飯能の事件では、犯人が過去に自動車を傷つけていた件で逮捕されていたものの、不起訴になっていたことが報じられています。しかし、そこで起訴されて有罪となっていたとしても、まさか単なる器物損壊で懲役何十年なんてありませんから、数年で出てくる…。下手をすれば、初犯なら執行猶予かも知れません。結局、いっそう犯意を募らせて、今のタイミングでなくとも、数年後に同じことをやるでしょう。通常は、犯罪を犯せば処罰されるという事実が抑止力になりますが、何故かあおれが抑止力にならない人がいます。自分が処罰されることを意に介さない、またはそもそも犯行の成就と同時に自殺するような犯人もいるわけで、そのような犯罪者には刑罰が抑止力にならないのが現実です。本当にひどいと思うし、何か有効な対策は、とも思うのですが、現実には、被害を受ける側には、逃げる以外の有効な対策が見つからないのが現実です。もちろん、逃げるというのは、ハンマーを振り回して追いかけてくる犯人から走って逃げるという意味ではなく、それ以前に害意を持つ人間の視界から消える、ということです。もっとも、それも飯能の事件なら当てはまりますが、犯人の悪意の存在に事前に気付いていなければ対応しようがありません。茅ヶ崎の事件などどうしようもありません。世の中に家賃を滞納する人など大勢おり、明け渡し訴訟をする度に害意をもたれる前提に立つわけにはいきません。まして、京アニや北新地の精神科の事件など、法人や開業医では、逃げようがありません。飯能の事件だって、借家ならともかくおそらく持ち家でしょうから、それを引き払って転居は、並大抵の労力ではないでしょう。結局、事後に厳罰に処す、ということはできても事前に凶行を抑止する、有効な対策はない、と言わざるをえません。何とも理不尽で釈然としないことではありますが。ただ、あえて言えば、社会の中で疎外感を感じている「人生がうまく行っていない人」(これらの犯人すべてに共通して言えるのは、人生がうまく行っていないことでしょう)の疎外感をなくすことが出来れば、もちろんそれで凶行を完全になくすことは出来ないですが、多少は減らすことが出来るかも知れません。それも、人生がうまく行かないからおかしくなった人はともかく、おかしな人だから人生がうまく行かないのはどうにもならないですが。私なんかも、そういう人に害意を抱かれる可能性が低いとは言えない業務を長く担当していましたからね。ある知人からも、それに類する話は何度か聞いていますし、あんまり他人事ではありません。
2022.12.29
コメント(2)
尾辻かな子氏の“抗議”で話題…二次元美少女広告の炎上を専門家が喝破「配慮が当然視されれば表現の自由は死ぬ」「2022年の日本、女性の性的なイラストが堂々と駅出口で広告になるのか……」11月26日、大阪駅に掲示された対戦型麻雀ゲーム『雀魂』と、テレビアニメ『咲-Saki-全国編』のコラボポスターを見て、非難の声を上げたのは、立憲民主党の前衆議院議員・尾辻かな子氏だ。バニーガール姿のキャラクターが描かれた広告に対し、「環境型ハラスメントの類型にも当たり得る」と主張する尾辻氏に、ネット上では賛否の声が殺到。大炎上している。「近年、企業や自治体、ゲーム会社の広告で、いわゆる二次元美少女が使われることが増えました。それに対し、尾辻氏のように『露出が多すぎる』『胸が大きい』『スカートが短い』『性的だ』と、非難する人たちが一部にいます。彼ら彼女らは、そうした “性的表現” が公共の場に出てくることは一種の性的加害であり、撤去すべきであるとして、繰り返し問題にするのです」(ネットライター)二次元美少女がやり玉に挙げられる要因を、ITジャーナリストの三上洋氏が語る。「今の10代から20代が自然に受け入れているアニメやゲームのキャラを『性的で不快だ』と感じる人がいます。ところが、こうした自分の心が傷つけられたと感じる人たちは『誰もが同じように感じるはずだ』と考えがちで、過激な抗議をすることが多いのです」だが、一部の人にとって不快だからといって、美少女広告はなくすべきものなのだろうか。創作表現の自由を守る活動で第一人者の山口貴士弁護士は、こう喝破する。「広告によっては不快に思う人がいるのは当然ですが、その方への配慮が当然視されるようになれば、表現の自由は死にます。どんな表現でも、誰かを不快にする可能性はあるからです。表現の自由は、そうしたたんなる嫌悪感や不快感よりも優越します。表現が公の場に掲示されるのは当然のことです」---どうもね、以前にもこの種の問題について書いたことがありますが、私は『露出が多すぎる』『胸が大きい』『スカートが短い』『性的』な女性の画像は大好きです。いや、画像より本物の方がもっと好きかもしれませんが(笑)でも、当然のことながらTPOというものはあってしかるべきです。今回問題となっているイラストは、もちろん法に触れるようなものではありません。見たい人がそれを見ることに、何ら問題はありません。でも、というところです。例えば、女性がビキニで、あるいは男性が海パンで、プールや海水浴場で泳ぐことに何ら問題はありません。日本では、いかなる法律にも、道徳にも反しません。しかし、その姿のままで駅を歩き、電車に乗ったらどうでしょうか?法律には、おそらく反しないでしょう。だから、逮捕されることはないでと思います。しかし、ほぼ確実に周囲の人から奇異の目で見られ、駅員、車掌に「やめてくれ」と言われるでしょう。警察も、逮捕はしないですが、説諭はするでしょう。法的には、隠すべきところを隠せば、わいせつ罪にはならないはずです。逆に、プールや海水浴場だって、全部素っ裸になればわいせつ罪になります。法の適用がプールと駅構内で異なるわけはありません。しかし、法的にはそうでも、社会的には、プールや海水浴場で公認される格好が駅構内や電車内で公認はされません。そういう恰好は、社会的には「非常識」と指弾されることになります。以上は生身の人間の服装の話ですが、二次元のイラストや写真でもそれは変わらないでしょう。裸の人の写真や動画(撮影が本人の意に反していなければ)、イラストだって、撮影したり描いたりそれを見るのは表現の自由です。でも、そういう写真やイラストを小学校や中学校に飾りますか?表現の自由とは、どんな場所、場面でどんな表現を開陳しても批判を受けない自由、というわけではありません。そんなことは言うまでもない話だと思うのですが。駅構内というのは、不特定多数の様々な人が行きかう場です。そこに展示する表現物が、「法にさえ反していなければ、どんなものを展示するのも自由だ、文句を言う奴はけしからん」というのは通らない、というしかありません。断っておきますが、あのようなイラストの存在自体が問題だ、というわけではありません。個人で、あるいは同好の士が集まる場で描いたり見たりしていれば、何ら問題ないことです。あくまでも、不特定多数の前に晒すものとしてはどうか、ということです。端的に言って、問題となったイラストの全部とは言いませんが、いくつかは、もし私自身がそのようなイラストを持って電車に乗るとしたら、他の乗客に見えないように、隠して持ちます。周囲の乗客が全員男だけだったら分かりませんが(笑)、女性がいたら確実にそうします。その程度の配慮は社会的に当たり前と私は思うんですけどね。
2022.12.22
コメント(4)
アルゼンチン、PKの激戦を制して36年ぶり3度目の優勝! FIFA ワールドカップ カタール 2022・決勝トーナメントの決勝戦が行われ、アルゼンチンがフランスをPKの激戦の末に下した。フランスの史上3カ国目となる2連覇を阻止したアルゼンチンは1986年のメキシコ大会以来となる36年ぶり3度目の優勝。今大会での代表引退を明言している35歳のFWリオネル・メッシは5度目の挑戦にして“W杯初制覇”。最高の形で自らの門出に花を添えた。なお得点王にはハットトリックを達成して通算8ゴールとしたエムバペが輝いた。(以下略)---マラドーナの「神の手」以来36年ぶりです。PK戦での決着が多かった今大会、決勝戦もそうなりました。アルゼンチンの初優勝は自国開催の大会でしたし、2度目の優勝は同じラテンアメリカのメキシコ大会の時でした。今回は初めて、アウェー、とまでは言いませんが特段の地の利がない中での優勝です。そういう意味では、今回がもっとも「地力」を問われる中での優勝だったように思われます。そして、今大会での得点王はエムバペに譲ったとはいえ、メッシすごーーーい。今大会はグループステージの段階でラテンアメリカ各国総崩れで、古豪のウルグアイ、7大会連続でベスト16入りしていたメキシコ(もっとも、7大会連続1回戦負けではありましたが)すらベスト16入りを逃し、ブラジルとアルゼンチンという強豪2か国しか残りませんでした。そのブラジルもベスト8、スペインもベスト16(モロッコ戦はどう考えてもすごいアウェー状態でしたが)止まりだったので、個人的にはその段階で興味半減、「あとはアルゼンチンが優勝するくらいしか興味が、と思っていたところだったのです。ともかくアルゼンチン優勝おめでとう、と言っておきます。
2022.12.19
コメント(0)
本日、当ブログのアクセス数が500万回に到達しました。2008年に開設して以来14年間かかりました。ご覧いただいている皆様には感謝申し上げます。ただし、10月初めまでは1日に1000~1500アクセスほどあり、その勢いのままなら10~11年後には1000万アクセス、という目標もあったのですが、10月上旬からアクセス数が急減し、現在は1日500アクセスほどしかありません。理由はよく分かりませんが、このアクセス数だと、1000万アクセス到達には30年近くかかる計算です。10年後ならともかく、30年後では私が生きているかどうかも定かではありません。というわけで、1000万アクセス到達は、多分実現しませんが、とりあえず600万アクセス目指して、いや別にアクセス数自体を目標にしているわけではありませんが、今後も可能な限りは書きたいことを書いていこうと思います。皆様、ありがとうございました。そして今後もよろしくお願いします。
2022.12.17
コメント(3)
日本、PK戦の末に敗退 3人が失敗…8強の壁4度目挑戦も越えられず クロアチアと1ー1死闘の延長戦カタールW杯 ▽決勝トーナメント1回戦 日本1(PK戦1ー3)1クロアチア日本は、史上初の8強を懸けて、決勝トーナメント第1戦でクロアチアと対戦。1ー1で今大会初の延長戦の末にPK戦に突入したが、3人が失敗しPK戦1ー3で敗退した。森保一監督は試合後のインタビューで「まずは選手たちは本当によく頑張ってくれた」と話し「16の壁は破れなかったですが、選手たちは新時代を見せてくれた」とたたえた。---負けてしまいましたね。4年に一度しかサッカーを見ない典型的な「にわか」なので、初戦ドイツ戦は勝てると思っておらず、見ていませんでした。そうしたら勝った。二戦目のコスタリカ戦は、後半から見ました。見ていなかった前半は0-0でしたが、見はじめたら失点して負けました。試合としても、下がったところでパス回ししてばかりでなかなか攻め込まず、「なんか面白くない」という印象を受けました。正直なところ、ラテンアメリカ大好き人間としては、日本を応援するかコスタリカを応援するかは少し迷いました。心情的には、やはりやや日本寄りだったかな、というのが正直なところです。なので、3戦目スペイン戦も見ませんでした。まあ、とうてい勝てるとは思わなかったのですが、見た試合は負ける、見なかった試合は勝つ、となればね。(いや、ウソです。あんな時間に起きられません)まさかスペインに勝って決勝トーナメントに進むとは思っていませんでしたが、見なかったら本当に「まさか」が起こってしまいました。じゃあ、当然決勝トーナメント一回戦も見ない!(笑)もちろん本当は、深夜2時まで起きていられないからですが。しかし、まあ幸運もここまでで、見なくても負けてしまいました。とは言え、前回準優勝国相手に実質引き分けは立派な成績です。ベスト8はなかなか遠いですが、世界の強豪国の中では日本はまだまだですから。むしろ、今回アジア枠からベスト16に3カ国が入ったことは驚きです。いずれも1回戦敗退とは言え、次回大会からはアジア枠が一挙に8カ国に増えるというので、あまり無残な戦いぶりにならなくてよかったです。今回アジア枠からの出場は主催国カタールを含めて6カ国なので、決勝トーナメント進出割合はちょうど半分。出場32カ国中16カ国が決勝トーナメントに進めるわけですから、ちょうど実力どおりの出場枠と言えます。日本の話はともかく、私が一番気になるのは、やはりラテンアメリカ諸国の戦いぶりです。非常に残念ながら、すでに残っているのはブラジルとアルゼンチンという二強だけになってしまいました。ウルグアイは得失点差の僅差で決勝トーナメント入りを逃し、エクアドルも敗退。コスタリカはご存じのとおりですし、過去7大会連続で決勝トーナメントに進んでいたメキシコが、得失点差で敗退したのは非常に残念です。メキシコは、前回も、決勝トーナメント進出はほぼ絶望だったところに、すでに敗退が決まっていた韓国がドイツに2点差で勝つという奇跡のおかげで、大逆転で決勝トーナメントに進めたのですが。というわけで、私の希望は、すでにメッシのアルゼンチンしがない、のです(あえて言えばスペインも多少は応援していますが)。幸いベスト8には進みましたが、ここでオランダと対戦です。優勝経験こそないけれど、2010年準優勝の強豪です。そこで負けたら、私のワールドカップは終わる。勝ったら、次は多分ブラジル(か、クロアチア)。うーーーーむ、厳しい相手が続きます。そこで勝って、やっと決勝か。どの国も強豪ばっかりだし。ワールドカップ優勝の道は、なかなかに遠いですね。
2022.12.06
コメント(0)
婚外子が増えたら出生率が改善されるなんてことはない 自民党の細野議員がこんなツイートをしていた。日経のアンケート結果が衝撃的。「結婚はした方が良いと思う」と答えた20代、30代の女性は僅か40%。男性も50%を切っている。出生率の高いフランス、スウェーデン、デンマークなどの欧州の先進国では婚外子が5割超。日本は2%。このままだと少子化の加速は確定的。欧州の婚外子割合が多いのはその通り。日本や韓国が少ないのも間違っていない。しかし、婚外子の割合が低いから出生率があがらないという因果はどこにもない。ましてや、記事の論調にあるように「婚外子割合を増やすような制度や仕組みがあれば出生率は改善される」などということは断じてない。なぜなら、ファクトとしてむしろ真逆だからだ。婚外子の割合が高ければ出生率が高いというためには、単年の双方の数字を並べたところで何の意味もない。長期的な双方の数字が時系列で互いにどういう相関にあるかを見ないとわからない。よって、各国の1990-2018年にかけての婚外子割合と合計特殊出生率の推移から相関係数を算出したものが以下である。一般に相関係数は、プラスで正の相関、マイナスで負の相関ということになる。プラスであれば、婚外子割合が増えれば増えるほど出生率も高くなる相関があると言ってもいいだろう(但し、単に相関に過ぎず、そこに因果まであるとはいえない)。フランス、イタリア、ドイツなどは、相関係数0.50以上なので、強い正の相関があるといえるが、逆に、記事で話題にしていたデンマークをはじめ、フィンランド・スウェーデン・ノルウェーなどの北欧諸国はそろって負の相関しかない。負の相関とは「婚外子割合が増えると出生率は下がる」という相関である。これだけでも、北欧出羽守論法がいかにデタラメかがわかると思う。---自民党に行った細野は唾棄すべき政治家だし、「婚外子を増やすことが少子化対策である」と言われても、「何だかな?」と首をかしげることは事実です。しかしながら、「婚外子を増やすこと」という結果ではなく、その原因、つまり「婚外子や婚外子を作ることへの差別をなくすこと」あるいは「結婚以外の形で子どもを作ることへの無用な垣根をなくすこと」は、少子化対策の一つとして無効なものではないと思われます。もちろん、それで出生率が急上昇する、などという甘いものではありませんが。逆の言いかたをすると、「結婚しない男女が一緒に暮らすなど不潔だ」「結婚以外の出生など認めない」「私生児などどんなに差別しても構わない」という価値観を現代社会に強要した場合、出生率には悪い影響しかないことは明らかです。引用記事は北欧諸国では婚外子割合が増えると出生率は下がる、あるいはフランスでは2010年頃までは婚外子割合が増えると出生率は上がっていたが、近年は婚外子割合が増えても出生率は下がっている、と主張しています。それ自体は事実でしょう。でも、ひょっとしたら婚外子の割合が増えていなかったら、出生率はもっと大きく低下していたかもしれないではないですか。というのは、全世界の平均値として、合計特殊出生率は過去数十年間下がり続けているからです。何もしなけりゃもっと下がっていただろう、という蓋然性は高いのです。その中で、フランスも北欧諸国も1 日本よりはかなり出生率が高い(フィンランドを除く)2 最近数年の短期的にはともかく、中期的には出生率は減っていないということが言えます。最近6~7年のスパンだけで見れば、フランスも北欧も出生率は下がっていますが、それでも日本よりはだいぶ高い。そして、1970年代からの40年以上を見通すと、ほぼ右肩下がりで出生率が減少一途である日本に対して、これらの国々は上がったり下がったりを繰り返し、トータルで見ればあまり下がっていません。つまり、これらの国々は日本に比べれば、少子化対策は上手く行っている、あるいは控えめに言ってもマシな状態にあると言えます。もちろん、それが「婚外子が増えたことが主因だ」などというつもりはありません。要因は色々ある。しかしその中の一つに、婚外子差別の撤廃など(その結果として家族の形が多様化し、婚外子が増えた)が含まれていることは、間違いなかろうと思います。それ以外の要因は、やはりこれから子どもを持つ若い世代の経済的安定性であったり、選択的夫婦別姓制など「結婚することによるデメリットを最小化することであったり、あるいは出生率の近い国からの外国人労働者の受け入れであったりするでしょう。はっきり言って、それら一つ一つの効果は小さかったり、一時的な効果しかなかったりします。「これをやれば出生率大幅増」なんて魔法のような策なんか、あるわけがありません。一つ一つは微々たる効果の、様々な策の積み重ねの上にしか、結果なんか出てこないのではないでしょうか。逆に言えば、何もやらない、何も変えないで出生率が上がることなどあり得ない、ということです。
2022.12.01
コメント(2)
高校生失明、沖縄県警が警官を書類送検 バイク制止させようとした一連の行為を暴行と認定沖縄市宮里の路上で今年1月、バイクで走行中の男子高校生と、沖縄署の男性警察官が接触し、男子高校生が右眼球破裂などの重傷を負い失明した事件で、県警捜査1課は2日、特別公務員暴行陵虐致傷容疑で警察官を那覇地検に書類送検したと発表した。県警は同日、那覇市泉崎の県警本部で、概要を説明した。県警によると、男性警察官は警棒を持った状態でバイクの高校生を停止させようと試み、右手に伸ばした警棒を持った状態で左手で高校生につかみかかった。この際、警棒が高校生の右目に衝突した。走行しているバイクを制止させようとした一連の行為を暴行と認定し、警察官の行為は、職務上、適正を欠く行為で高校生に負わせたけがは過失には当たらず、故意によるとの判断に至ったという。事件は1月27日夜、沖縄市内のコンビニエンスストア付近の路地で、バイクで走行中の高校生が警棒を手にして警戒中の警察官と接触した。高校生は右目を負傷し、その場を走り去った。その後、救急搬送された際に高校生は「いきなり警棒ですぐられた(殴られた)」などと話していた。一方、警察官は発生当初、県警の調べに、「一瞬のことでどこが当たったか分からない」とし、故意にけがを負わせる行為はしていないと主張していて、双方の主張に食い違いが生じていた。高校生側の弁護士は琉球新報の取材に「刑事手続きを進め責任の所在を明確化するよう希望する。しかるべき時期を見て、適正な補償を求めていくことになる」と話した。---1月27日に発生した事件です。そして、4月下旬には、この警官の警棒から少年のDNAが検出されたと報じられています。警官が警棒で少年にけがを負わせた事実は、この時点で確定しています。そこから立憲まで半年以上、ずいぶん時間がかかったものです。ただ、過失などではなく故意によるものと判断して特別公務員暴行陵虐致傷容疑としたことは、身内をかばって容疑を隠蔽したり矮小化を図らなかったということであり、その点は評価すべきであろうと思います。それにしても、事件の発生直後の時点でも記事を書きましたが、相変わらずこの警官を擁護して、少年を批判するネット世論が吹き荒れているようです。警察自身が、「高校生は暴走行為をしていた」「無免許」「ノーヘル」などの情報について、県警は事実誤認と否定。「誹謗中傷はあってはならない」と非難した。と言っているにも関わらず、いまだに「少年は暴走していた」などとデマをまき散らす輩がいることには唖然とします。思えば、ネット上で少年叩きをしていた連中の言っていたことはすべて間違っていました。上記の暴走、盗難車、ノーヘルもそうですし、事件当初は警棒で叩かれた事実自体を否定し、勝手に自損事故を起こして目を怪我しただけに違いない、という主張すらありました。もちろん、警棒から少年のDNAが検出された時点で、その言い分も否定されています。デマしか吐かない連中がまだ何かを言っているのか、と思うと辟易します。その連中が今言っているのは、深夜に外出したのが悪い、バイク(実際は原付二種スクーターのホンダPCXのようです)の免許を取ったのが悪い、運転したのが悪い、職務質問から逃げたのが悪い、等です。まったく聞き捨てならねえ、と思います。それらの行為が、道義的に非常に立派な、賞賛すべき行為だと言うつもりはありません。でも、特段批判するような、あるいは眉をひそめるような行為とは思いません。聖人君子ではないごくふつうの高校生として、まあまあ当たり前の行動としか言えません。ましてや、警棒で叩かれて同然(失明自体は不幸な偶然だとしても)であるはずがないでしょう。沖縄の青少年健全育成条例を盾に「深夜外出は条例違反だ」と言う人がいるわけです。実際は、それは本人ではなく親に対して、夜10時以降少年を外出させないように努めなければならない、という単なる努力規定に過ぎないわけです。私の住む東京の青少年健全育成条例は沖縄よりやや緩く、夜11時以降少年を外出させないように努めなければならない、という規定になっていますが、こんなものをきっちり守っている高校生が、果たしてどれだけいるでしょうか。私の子どもは遵法意識が強くて、18になって高校を卒業しても、二十歳まではお酒は飲まないと宣言しているような子どもですが、それでも高校生の頃、近所のコンビニに夜11時以降に買い物に行くことはありました。それが普通だろうと思います。ましてや、沖縄は本土より、明らかに社会全体が夜型ですから、条例にふれる時間に外出したことがない、なんて高校生は、おそらくかなり少数派であろうと思います。バイクに乗るのが悪い、なんて言い草はお話にもなりませんし、原付二種ライダーとなった私には、とりわけ我慢がなりません。二輪の免許が取れるのは16歳以上と法律で決まっています。それに基づいて、おそらく教習所で規定の教習を受けて卒検に合格し(試験場で一発試験の可能性も論理的にはあるけど)警察で免許の交付を受けています。その何が問題なのか。暴走族が害悪であることは確かですが、この少年が暴走族ではないことは確認済みだし、世の二輪ライダーのほとんどは暴走族とは縁もゆかりもないものです。また、少年は確認できる限り交通違反を取られていませんし、その他の犯罪行為にも問われていません。警官を相手にスクーターの側からぶつかっていったら、仮に衝突を回避したとしても公務執行妨害罪は確実ですから、公務執行妨害に問われていない時点で、そのような行為もなかったと判断できます。制止の声があったかなかったかは不明ですが、ヘルメットをしてスクーター運転中であれば、聞こえないのは不思議なことではありません。以前の記事に、この状況を指して沖縄に対するヘイトと書きましたが、警官が書類送検される状況になってもなお、それが変わらないのが現状です。加えて、おそらくですが二輪に対するいわれなき悪感情があるのかも知れません。バイク→不良、犯罪→暴走族、という短絡的な攻撃の図式がネット上にはしばしば見られるようです。とりわけ、二輪の中でも125cc以下の原付二種がその種の標的になりやすいようです。私自身は経験がありませんが、125ccを専門に取り上げるYouTubeチャンネルが、しばしばその種の悪意あるコメントの標的になることがあるようです。125ccは通勤に使われることが多く、車体の小柄さからすり抜けを行う場合が多々あり(私はほとんどやりません)それが4輪のドライバーに嫌われる、という事情はあるようですが、そのことと荒らし的な攻撃コメントは別次元の問題と思わざるを得ません。もっとも、被害者の少年が乗っていたのも125ccのホンダPCXですが、そのことを知って叩いている人が多数とは思えません。深夜の外出にしてもスクーター、警棒でいきなり人の顔面を叩いてよい、いかなる理由にもなりません。そのような暴挙を擁護しているような連中の言うことに、いかなる正当性もないと言うしかありません。
2022.11.04
コメント(0)
海外で悲惨な事故が2件続けて起こってしまいました。事故現場からの通報公開「圧死しそう」 通報11件も出動4回のみ=韓国警察韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で150人以上の死者が出た雑踏事故で、事故が起きる約4時間前から警察に危険を伝える計11件の通報が寄せられていたにも関わらず、警察が積極的に対応に乗り出さなかったことが明らかになった。警察は11件の通報を受けて現場に4回出動して人々を解散させたものの、6件に関しては「すでに出動した」との理由から何の対応も取らなかった。警察庁は1日、現場からの通報内容を公開した。最初の通報は10月29日午後6時34分にあった。「圧死しそう」「やっと抜け出したが、人が多すぎるので統制が必要」との要請だった。だが、警察が出動した時には人が減って事故が起きる危険性が低く、人々を解散させて対応を終えたという。2件目の通報は午後8時9分。事故現場に近い梨泰院駅3番出口付近で「人がとても多く、倒れてけがをした人が多い」との内容だった。出動した警察は人々を歩道に避難させて対応を終えた。午後8時33分と同53分にも「人が多すぎて統制できていない」「人がとても多くて圧死しそう。修羅場だ」との通報があったが出動しなかった。午後9時から10分までの間には4件の通報があった。事故の危険性を伝える緊迫した内容だったにも関わらず警察は積極的に動かなかった。事故発生24分前の午後9時51分に再び通報が入った。午後10時に差し迫った声で「人がとても多くて統制が必要」との通報があったが出動せず。事故4分前の午後10時11分に悲鳴とともに「圧死しそう」と通報があったが、この時も現場の統制に乗り出さなかった。警察は11件の通報について、担当した警察官らを対象に当時の状況や対応の経緯を調べる方針だ。監察の結果、職務放棄や虚偽公文書作成などの疑いが見つかった場合、捜査に切り替える可能性もある。---ハローウィンのイベントは主催者がいるわけではなく、ある種自然発生的に人が集まっているため、主催者と呼ぶべきものがおらず、対応が遅れた面が否めないでしょう。ただ、多くの人が集まるであろうことは事前にある程度の予測がついていたはずで、また引用記事によると事故発生の4時間前から通報があったのに積極的な対応に乗り出さなかったということです。この対応の遅れには、明らかに問題があったでしょう。別報道で、立ったまま圧死した人もいたとのことです。18平米の路地に約300人がいたとの報もあり、1平米あたり16.6人になります。日本の通勤電車の床面積が1両およそ57平米程度で、乗車率200%のラッシュアワーで乗客数は300人程度です。1平米当たりでは5.2人、300%の極限の超満員でも1平米当たり7.9人(現在では200%を越える混雑率はまれですが、1980年代には300%近い乗車率が記録されています)ですから、その2倍以上にもなります。こうなると、亡くなったり意識を失っても、周りの人に「支えられて」倒れることもできない状況はあり得そうです。そしてほとんど時を同じくしてインドでも事故が起きました。崩落の瞬間を捉えた衝撃映像 インド吊り橋崩落で9人逮捕インド西部グジャラート州で起きたマチュ川に架かる19世紀の吊り橋崩落事故を巡って、捜査当局は10月31日、橋の管理会社関係者9人を殺人罪および殺人未遂罪などの疑いで逮捕した。この事故ではこれまでに134人の死亡が確認されている。全長233メートルのつり橋は、19世紀の英国植民地時代に架けられたもので、7か月近い修復作業を経て、グジャラート州の正月に当たる10月26日に通行が再開されたばかりだった。通行再開に当たって、管理会社は監督官庁から橋の「適合証明書」を取得していなかったと報じられている。橋は数百人の重みで崩壊したと当局は見ている。監視ビデオには橋が激しく揺れ、通行人がケーブルや金属のフェンスにしがみつこうとして川に転落する様子が捉えられている。ケーブルが切断された橋は真ん中で割れて、歩道が垂れ下がった状態だった。少なくとも177人が川から救出された。崩落時に何人が吊り橋の上にいたかは不明だが、生存者の証言では、身動きが取れない程の人の数だったという。---保守会社の関係者が逮捕されたとのことですが、動画を一見して思うのは、そもそも何百人もが一度に渡ることを想定したような橋ではあるまい、ということです。崩落時に何人が橋の上にいたかは不明とのことですが、別報道によると400~500人とも言われますし、死者と救助された人の合計が300人以上なので、それ以上であったことはおそらく間違いなさそうです。仮に300人として1人の体重が50kgとすると、合計15トンになります。3トントラック(自重+積載量で4~7トン)が3台この橋の上に乗る、というのは、動画からはとうてい考えがたいでしょう。保守にも問題があったでしょうし、揺らしたことも問題でしょうが、根本的には「人が乗りすぎ」に原因があることは歴然です。ということは、やはりこれも群衆事故と言うことです。橋は26日に通行再会されたばかりということですが、事故は30日であり、4日も経ってからこんなに人が集まった経緯は分かりません。これも自然発生的な群衆であった可能性が想起されます。「こんなに大勢が橋に乗っては危ない、と現場を統制する人や機関はいなかったのでしょうね。このほか、少し前にインドネシアでもサッカー場で群衆の将棋倒し事故で100人以上が亡くなる事件がありました。この種の事件は、世界的には非常に多いと言わざるを得ないでしょう。人間は、一人一人は弱い存在ですが、集まれば力を発揮する、と同時に、一人一人には理性も分別もあるけれど(中にはない人もいるかも知れませんが、大多数はそんなことはない)、集団の中の一人になると、「赤信号みんなで渡れば怖くない」で、ある種無分別な行動が出来てしまう傾向があります。加えて、集団の中の一人になった場合、その集団の中に言る限り、全体像が分かりません。地球からアンドロメダ銀河の全体の形は見えるけれど、我々の属する天の川銀河の形は分からないのと同じです。誰も全体像が分からない中で、そのとき全体としてどのように行動するのが最適なのかも分かりません。前方では圧死者が出ていても、そのことに気がつかない後方では後ろから行列が押し続けている、そんな事態が起こるのは全体像が分からないからです。※※200年以上も昔、隅田川の永代橋落橋事故では、橋が人の重さに耐えられず崩落した後も、行列の後ろではそれが分からず、後ろからどんどん押していくため、ところてん式に押し出され続々と人が落ちていく、という事態が生じています。人の流れがきっちり決まっていて、平常から確実なものになっている(毎日の通勤電車など)のでなければ、常とは違う行事などで人が集まるなら、誘導は必須であろうと思います。そういう意味で、主催者のいない自然発生的な人の集まりにはリスクが伴うし、それが予め予見できた今回のような事例では、事前に人の流れを計算して誘導すべきであったろうと思います。
2022.11.02
コメント(4)
「日本アムウェイ」に6カ月の取引停止命令 社名や目的言わず勧誘消費者庁は14日、「日本アムウェイ合同会社」に対し、連鎖販売取引(マルチ商法)について社名や目的を言わずに勧誘したことなどが特定商取引法違反に当たるとして、6カ月の取引停止命令と、再発防止策を講じることなどを求める「指示処分」を出した。同社への行政処分は初めて。同庁によると、社名や目的を言わずに勧誘した▽目的を告げずに誘った相手を自宅や事務所に連れ込んで勧誘した▽相手の意向を無視して一方的に勧誘した▽契約締結前に書面を交付しなかった――という4種類の違反を確認したという。同社は、会員が勧誘により別の会員を増やすことで報酬を得るネットワークビジネスが主事業。同社のホームページによると、1979年5月の創業で資本金は50億円。2021年6月時点で373人の従業員を抱えている。日用品から健康食品など幅広いジャンルを取り扱い、21年の売上高は984億5700万円に上った。同庁によると、全国の消費生活センターに寄せられたアムウェイに関する苦情相談件数は、19年度317件▽20年度257件▽21年度270件▽22年度(9月15日時点)109件。(以下略)---日本アムウェイといえば、マルチ商法の総本山のようなものですが、その昔、そうとは知らず、アムウェイの会員の集まりみたいなところで頼まれて演奏してしまったことがあります。20世紀の話です。おそらく1996年か7年頃のことではなかったかと思います。詳細は覚えていないのですが、当時参加していたアルゼンチンの踊りの伴奏グループのメンバーの誰かの親戚の家の新年会ということで呼ばれたように思います。当時アムウェイという名を事前に知っていたわけではなく、行ってみたら十数人の人が集まっていて、自己紹介で次々と「アムウェイをやっています」「アムウェイやっていてよかったです」などという言葉が出てきて、つまりアムウェイ会員の新年会だったのです。結構、誰もが名を知るような超一流大企業に勤めている、という人が多かったように思います(もちろん、自己紹介ですからそれが事実という保証はありませんが)こちらも一人ではなく、グループ数人だったこともあって、演奏しただけで勧誘されたりはしなかったように思います(うろ覚え)。ただ、遠い記憶の中て、かなり保守的な考えを前面に出す人たちという印象があります(もちろん、サンプルはその場にいた十人前後だけですから、アムウェイ会員一般がどうかはまったく分かりません)。そして、「アムウェイって何だろう?」とも思いましたが、同時に何か危険な匂いを感じたように記憶しています。普通だったらそのまま忘れてしまっても不思議はないところでしたが、やはり気になって、後日調べたのでしょう。当時、まだパソコンを所持しておらず、調べるのに時間はかかったような記憶はあります。ともかくほどなく「日本アムウェイ」の正体を知り、「なるほど、危ない危ない」と思ったのでした。一歩間違えたら私も被害者、だったかもしれません。実は、職場にもアムウェイにはまっている人はいる、という話を聞いたことがあります。それにしても、世の多くのマルチ商法は、短期間のうちに摘発して消滅しますが、日本アムウェイはその当時から、少なくとも四半世紀存続しています。何故あんな典型的なマルチ商法が法の網をかぶせられずに存続できるのか、不思議に思っていましたが、とうとう法の網をかぶせられたのは、喜ぶべきことでしょう。
2022.10.14
コメント(5)
最近、当ブログの記事の執筆に長時間(といっても1時間半程度)をかけると、「公開する」を押した途端に記事が消える、という現象が起こっています。今朝も、1時間半かけて書いた記事が消えました。投稿ボタンを押す前にコピペしてその事態に備えておけばいいのですが、うっかり忘れました。立ち直れません。この1ヶ月で3回目くらいです。この現象が今後も続くようなら、もうブログの引っ越しを考えようかと思います。写真が大量にあるのでもったいないですけど、ちょっと限界かなと。もっとも、ブログ側ではなくパソコンあるいはブラウザ側の問題かも知れませんけどね。少し検討と検証が必要です。
2022.05.29
コメント(2)
田口容疑者と阿武町職員の会話記録を独自入手…返金を求める副町長への怒り「許せなかった」4,630万円を誤って送金した問題で阿武町は5月23日約4,300万円が戻ってきたことを明らかにした。こうした中、FNNは町と田口容疑者のやりとりを独自に入手した。阿武町は容疑者が使ったとするネットカジノの決済代行業者3社の口座にある資金約4,300万円について差し押さえに成功。5月20日に町の口座に戻されたことを明らかにした。4,630万円の全額回収に向け大きく前進したことに町の人からは安堵の言葉が聞かれた。誤送金された5月8日(引用者注:4月8日の間違いと思われる)から資金をネットカジノにつぎ込んでいたという田口容疑者。町は誤送金の発覚後、副町長が田口容疑者の職場を訪れるなど、何度も返金を求めた。しかし、田口容疑者はこれを拒否し続けてきた。FNNが独自入手した町の職員が田口容疑者と4月21日に話し合った際の会話記録ではこう話している。容疑者:(4月14日)副町長来ました急に。会社来て「今から銀行連れて行っていいですか」ってやっぱおかしいじゃないですかこのように町の職員に不満をぶつけ、返金に応じない心境を次のように語った。容疑者:(職場に来るとか)そういうのも余計僕からしたら火がつくもんなんですよ。もう許せなかったんですよ。「打撃を与えてやろう」と思った部分も正直ありました町の職員:逃げようとかそういのは?容疑者:ないですないです。どっかの離島とかでひっそり暮らせたかもしれないけど、そういう考えはなかったです---これは難しい問題です。もちろん、容疑者が言っていることがどこまで本当か、というところはあります。誤送金をした4月8日のうちに銀行からの連絡で振込ミスに気が付いた町職員が、この人物と接触して返金を依頼、銀行の窓口まで行ったところでゴネ初めて返金に応じなかったと報じられています。とすると、ここで言っている「火が付いた」という4月14日より前から、返金する気がなかったように思えます。ただ、ひょっとしたらその4月8日の時点でも、この人物の気に障るような何らかの言動が役場の職員にあったかもしれないし、あるいは4月14日以降絶対返さないという意思をさらに強めた、ということかもしれません。前述のとおり、言うまでもないことですが、感情がどうあろうが、カチンとこようが火がつこうが、返すべきお金を返さないことは悪いことです。そのことにこの人物に同情の余地はありません。ただ、世の中に一定の割合で、この種の悪い奴はいます。そして、その種の悪い奴がみんながみんな、本当に悪いことを始めたら、どこの役所だって業務に著しい支障をきたすことになります。しかも、本質的には誤振込という役所のどうしようもないミスから始まっていることです。知人の福祉事務所関係者が言っていたことがあります。生活保護受給者には、例えば毎月の収入申告とか、年に2回(場合に行ってはそれ以上)の訪問など、生活上の義務が様々あります。それは、感情がどうあろうとやらねばならない、法令上の義務です。でも、「お前ら義務なんだから従え」みたいな上から目線で高圧的に命令しても、反発を受けて、かえって仕事が面倒になるだけ、というのが現実です。それは、おそらく税金でも健康保険料でも同じことだろうと思います。たとえ正義が我にあっても、「正義は我にあり」というだけでは物事はなかなか前に進まないのが世の現実です。まして役所のミスから始まっていることですから、ひたすら低姿勢にお詫びを重ねて協力してもらうしかなかったなかったはずです。もちろん、前述のとおり、ちゃんと頭を下げたのに難癖をつけてきた可能性もあります。真摯にお詫びしても同じことをしたかもしれません。そこはあくまでも悪いことをしたやつの側の言い分だけなので、確実なことは言えません。ただ、感覚的には、何かの言いかたが気に障って、ボタンの掛け違いがこんな大騒動に発展してしまったのではないか、という気が、この言い分からは感じられます。もちろん、だからと言ってお金を返さなくてもよい、返さないことに何分かでも理がある、ということはまったくありませんが、「役所の仕事の進め方」としては、誤送金それ自体は言うまでもないことですが、振り返るべき点が多々あるのではないか、という気がしてなりません。
2022.05.25
コメント(6)
4630万円は「ネットカジノで全て使った」 誤給付の男性山口県阿武町が新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4630万円(463世帯分)を誤って1世帯に振り込んだ問題で、返還を拒否している男性(24)が「海外の複数のネットカジノで全て使った」と話していることが関係者への取材で分かった。男性の代理人弁護士は記者会見で、男性が現金を全て使ったと話していることを明らかにして「現実的な問題として返還が難しい状態にある。財産的価値のあるものも残っていない」と説明していた。町によると、男性の口座からは振り込んだ4月8日当日から2週間弱でほぼ全額が引き出されていた。町は5月12日、男性に全額返還を求め山口地裁萩支部に提訴している。---話の前提として、全世帯分の給付金を誤って1世帯に振り込んでしまった役所担当者とチェックした上司のミスは大きすぎた、ということは言えます。やってはならないミスでした。神ならぬ人間のやることですから、絶対ミスなく、とはいかないとはいえ、複数での確認を行えば防げた事案ではないでしょうか。逆に言えば、役所がこんなミスをしなければ、振込先の相手もこんなよこしまな考えを起こさず人の道を踏み外すことはなかったかもしれない、と考えると、結果として、そのミスが極度に高くつくことになってしまいました。最悪の状況で最悪の相手にミスをしてしまった、ということになります。役所のミスはミスとして、しかしこの振り込まれた人の対応も、最悪と言うしかありません。誤って振り込まれたお金をそのまま自分のものにする、言い換えれば他人がうっかり落としたお金をそのままネコババするのに等しい行為です。町役場は当然ながら早速提訴をおこなったとのこと。刑事上もおそらく有罪になるだろうし、民事上もまず間違いなく町役場が勝訴するでしょう。しかし、本人は、振り込まれたお金は全部海外のカジノサイトに注ぎ込んで、スってしまったと嘯いているようです。それが事実か、そう称してどこかに隠匿しているかは知る由もありませんが、いずれにしても、「金は使い果たしました」「ああそうですか」で済む話では、勿論ありません。給付金は全額国庫から支出されますが、給付金に使った以外のお金を国から補助金ではもらえませんから、この分は町役場が何とか補填するしかありません。現状は、おそらく給付金に予算の二倍を支出してしまったのに、歳入は予算の分しか入ってこない、ということになります。「歳出戻入」をしなければならないのに戻入するお金がない、という状況でしょう。町の予算から補填するとすれば町民世論、そしてそれを反映して町議会が収まらないのではないでしょうか。検索したところ、阿武町の一般会計予算は29億円あまりのようです。その中で4600万円は1.5%を超える額です。他へのしわ寄せも大きいでしょう。かといって、ミスをした職員やその上司(上は町長まで含めても)が補填できる額ではないでしょう。では、職員全員で補填するのか、調べたところ、この町役場の職員数は四十数名しかいません。単純に割り返して一人頭100万円を超えます。他の職員が納得するはずもないし、納得するしないに関わらず、物理的に払えない職員もいるでしょう。つまり、「詰み」です。というわけで役所としては、地の果てまで追いかけて、何年かかってもこの4620万円を請求し続けなければなりません。しかも、このまま行けば、この人物が背負う負債はこの4620万円だけではなくなります。すでに、町が起こした裁判では弁護し費用を上乗せした額を請求しているそうです。更に、例え不正によって得た金であろうと、自分のものとして使ってしまえばそこには所得税がかかってきます。この負債が、一生ついてきます。消滅時効というものがあって、一応10年となっていますが(裁判を起こした場合は確定判決から10年)、差押えを行えばその時点で時効はリセットされますから、事実上時効はないに等しい。町がこの人物の氏名を一時公開したとも報じられており、事実ならこれは早まったことをしたのではないかと思いますが、現実問題として氏名等が暴かれてネットにさらされるのも時間の問題ではあったでしょう。4620万円はもちろん大金ですが、それで一生安泰に暮らしていける金額ではありません。この人物の年齢が報じられるまで、私はてっきり60代以上、せいぜい50代くらいだと思っていました。そのくらいの年齢で多少の年金でも見込めれば、4620万円で一生安泰に暮らせる、と思っても不思議はないでしょう(そう世の中美味しくはできていない、というのは措いて)。ところが、24歳というのです。ふつうに考えれば、この先の人生が50年以上はあります。50年間を4620万円では暮らせません。しかも、これからずっと、名前を後ろ指刺され、口座を持てば差し押さえを受け、督促を受け続ける、一時の気の迷いと引き換えに、そんな一生を過ごしたいというのでしょうか。いや、そんな損得勘定のまともな計算もできず、その場の誘惑に負けたからこの状況に至っているのでしょうけど。福祉事務所関係の知人とこの件の話をしたら、住所不定者なんて、そんな人ばっかりだよと言っておりました。家賃すら本人に渡したら家賃に使わず他のことに使っちゃう生活保護受給者がいるから「住宅費代理納付」といって、家賃を受給者本人に渡さず家主に直接支払う制度があるそうです。ということは、この人物の末路も・・・・いや、そうは考えたくないですけど。もはやこの期に及んでは、仮にお金が沸いて全額返済できたとしても、元には戻らないでしょうけどね。それにしても馬鹿な選択をする人がいるものです。そのバカに道を開いてしまった行政のミスも含めて、極めて後味の悪い(まだ、後になっていない、というのは別にして)騒動です。
2022.05.18
コメント(6)
「神保町のランドマーク」三省堂本店、一時閉店の夜 レジには大行列東京・神保町のランドマークである「三省堂書店神保町本店」が8日、一時閉店した。この場所で営業を始めて141年。午後8時23分、最後の客が退店し、いったん幕を下ろした。ビルは解体され、6月からは仮店舗で営業する。多くの書店が集まる神保町で最も大きい同店は、141年間、同じ場所で営業し続けてきた。現在の社屋は4代目で、神田神保町1丁目1番地にあるランドマークとして知られてきた。三省堂書店はコロナ禍による打撃を受け、同社によると、三省堂全体で2割の客が減った。本店が入る築41年のビルは設備の老朽化も進み、建て替えとともに一時閉店を決めたという。この日、レジには本をまとめ買いする客たちが行列を作り、店員が「最後尾」のプラカードを掲げていた。店の前は、スマートフォンをかざして建物を写真におさめる人たちであふれた。閉店後、店の前で亀井崇雄社長が感謝のあいさつを述べると、店の前に集まった数百人の客から拍手が送られ、「141年間ありがとう!」という声も上がった。現在のビルは解体工事に入り、6月1日から少なくとも3年間、約300メートル離れた小川町の仮店舗で営業する。規模は現在の4分の1になる。~---ちょっと感無量なところがあります。昔は神保町によく行き、「三省堂」か「書泉グランデ」のどちらかには必ず足を運んでいました。遠い過去に、2~3年だけですが、神保町が乗換駅だったことがあって、その頃はほぼ毎日帰宅時に立ち寄っていたように思います。それ以外の時期も、そこそこの頻度で足を運んでいました。だから、子どもの頃から通算して優に数百回は行ったはずです。最近は全然行っていませんが、それでもこの1年間で少なくとも1回は行っています。神保町には書店街以外に登山用品店もいくつかあります。そして神保町とお茶の水(楽器屋街)はほとんどつながっているし、そこから秋葉原の電気店街も目と鼻の先です。だから、神保町で本屋を見てお茶の水で楽器屋をのぞいて、秋葉原でパソコンのパーツを見る(その逆コースもあり)なんてことを、毎週とは言わないまでも月2回程度はやっていた時代もありました。そもそも、おぼろげな記憶ですが、小学生の頃、両親に連れられて現在の建物の前のお店にも、行ったことはあります。新しいお店になったらとても広くなり、びっくりしたことは覚えています。あれから41年も経っちゃったのか!!!と。ただ、正直なところ築41年で建て替えというのは、ちょっと早すぎない?という気はします。木造建築じゃないんだから(木造でも、もっと保つと思いますが)あと何十年かは問題なく使えるでしょう。ということで、設備的な老朽化というよりも営業上の陳腐化ということなんだろうなと想像します。場所的に都心の一等地ですから、新しい建物は高層にして、書店は一部で多くのテナントを入れる、というようなことも考えているのかなと想像したり。新しい店舗がどのような規模になるかは、ホームページ上には全然出ていませんが。なんにしても、三省堂書店というお店がなくなってたしまうわけではないのですが、あの建物が亡くなってしまうというのはわびしいものです。
2022.05.10
コメント(0)
吉野家、「生娘をシャブ漬け戦略」発言の役員を解任。「著しく不適任な言動あった」牛丼チェーン「吉野家」の役員が、早稲田大学が主催する社会人向け講座で講師として登壇した際に「生娘をシャブ漬け戦略」などと発言した問題で、吉野家ホールディングスは発言者である常務取締役を解任した。解任の理由について、「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することの出来ない職務上著しく不適任な言動があったため」と説明している。発言があったのは、16日に開催された社会人向けの「デジタル時代のマーケティング総合講座」。早稲田大学社会人教育事業室が主催している。吉野家の常務取締役企画本部長が講師として登壇し、若い女性をターゲットとしたマーケティング手法を「生娘をシャブ漬け戦略」と表現したほか、「田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、絶対に(牛丼を)食べない」といった発言をしたという。これらの発言がその後、ネット上で拡散。吉野家は18日、公式サイトに謝罪文を掲載した。主催者である早稲田大学も、公式サイトに謝罪文を公開した。吉野家役員の発言について、「教育機関として到底容認できるものではありません。早稲田大学として受講生の皆様に心よりお詫びするとともに、当該講師に厳重に注意勧告を致します」とつづっていた。さらに、この吉野家役員への対応に関しては「講座担当から直ちに降りていただきます」と説明している。---何というか、今の時代にこんなことを言えば大問題になる、程度の思慮は働かなかったのでしょうか。もちろん、本人は冗談のつもりで言ったのだと思いますが、まったく冗談になっていません。食べ物というのは、非常にセンシティブなものです。汚い話で恐縮ですが、小便を入れた器に料理を盛りました、と言われたら、食べる気になりますか?それもお金を払って。特殊な極限状態の飢餓地獄は別にして、そんなことを言われたらちょっと食欲をなくす人が多々いるのは確実です。もちろん、それを実行するのは論外ですが、口で言うだけでもそうなります。牛丼をシャブつまり覚せい剤に例えるのも、それと同じです。かつて、「バイトテロ」なんてものが騒動になったことがあります。食品の上にアルバイト店員が寝っ転がって写真を撮る、ひどい話ですが、その商品に本当に衛生的に問題が生じるか(食べたら食中毒になるか)と言われたら、おそらく何も起こらない可能性の方がはるかに高いでしょう。でも、だからそのような行為に問題ない、ということにはなりません。食べ物の美味しい、おいしくないは、食べ物自体の材料や味付け、料理法の上手い下手などに左右されますが、それがすべてではありません。その場の環境や食べる本人の精神状態にも、大きく左右されます。(私が子どもの頃、両親は時々夫婦げんかをしていたのですが、その最中に食べる食事のまずさと言ったらありませんでした)その程度の話は、おそらく飲食に関係する人であれば常識的に理解できることと思います。自社の売る食品を(いや、他社だろうと何であろうと)覚せい剤に例えるのは、そういう意味で自爆に過ぎます。もちろん、それを「生娘を~」なんて、低劣なア ダルトビデオか何かのノリで言っているのも論外です。さすがにこの発言を問題ないと考える人は圧倒的に少数派のようですが、しかし実際にこの問題発言のあった講座では、聴衆から笑い声が上がった、というから驚きます。さすがに、全員がそうだったわけではないでしょうし、大問題だと思う人が少なからずいたから、このように流出して騒動になったわけです。この発言のヤバさが理解できない人も、少なからずいる、ということでしょう。なんというか、この役員自身もそうなのでしょうが、パワハラとかセクハラに関して、古い時代の体質を何も変えずにこれまで来てしまった人、何が問題なのかが理解できない人が一定数存在するから、いまだにこういう騒ぎが起こる、ということなのでしょう。私は男ですけど、子どもがいますからね。自分の子どもが(相棒もですが)もしこんな言葉を投げつけられたとしたら、心穏やかではいられません。牛丼はお店で食べることはないのですが、レトルトを家で食べることは時々あるだけにね。吉野家が、この件に関しては極めて迅速に問題の役員を解任したことは、まったく正しい対応であり、この騒動の被害を最小限に食い止めるべく努力したのだろうな、と思います。※この投稿、最初アップロードしようとしたら「わいせつまたは公序良俗に反する表現がある」とエラーになってしまいました。「これは生娘がいかんのだな」と思ったら、そうではなく、「ア ダルトビデオ」でした。(と、スペースキーを使って解決)
2022.04.23
コメント(2)
ポニーテール禁止なぜ? 質問に担任は答えた 「男子がうなじに興奮するから」 16歳女子生徒は思う 「校則つくった人の感覚おかしい」校則でポニーテールが禁止されているのはなぜだろう-。鹿児島市の高校に通う女子生徒は中学時代、担任の女性教員に尋ねた。「男子がうなじに興奮するから」との答え。「男子にも女子にも失礼。本当にそうなら最初にこの校則を定めた人の感覚がおかしい」と違和感を口にする。校則では男子だけ長髪も禁止されていた。「男女平等であるべきだし、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの人が暮らしにくい」。女子生徒は生徒会で校則見直しを提案した~が、実現しなかった。「先生に『ここは鹿児島だから』と言い訳されショックだった。校則が正しいとは限らず、生徒自らが考えるべきなのに」。今も納得できないでいる。県議会昨年の3月定例会一般質問。県民連合の柳誠子議員が「『下着の色は白』という校則には合理性がなく、必要性を説明できないのでは」と当局に迫った。東條広光教育長は「周囲を不快にさせない、社会的マナーを身に付けさせる観点から、肌着の色や模様が外に透けて見えないようにするため定めている。外に透けない色であれば白以外でも可とした事例もある」と答弁。柳議員は「下着の色を指定したり、色を聞いたりすること自体、社会一般ではセクハラでは」と食い下がったが、答弁は覆らなかった。市内の女子中学生2人から「髪形や肌着の校則はおかしい」との疑問が寄せられ、質問した柳議員。校則は集団生活を円滑にする道具として使われてきた経緯がある一方、本来は子どもの尊厳を守るためにあるべきだと強調する。「合理的な説明も必要。教育長や学校の管理職は男性が圧倒的に多く、女性の意見が反映されてこなかった面もあるのでは」とみる。---私自身は自由な校風で制服もない高校を出たので、この種の校則を経験したことはありません。ただ、この種のヘンテコな校則は、決して「ここは鹿児島だから」ではありません。東京都内にもある(少なくとも少し前まではあった)。おそらく日本中にあるはずです。「男子がうなじに興奮するから」という、これまたヘンテコな理由も、今から30年以上も前から聞いたことがあります。興奮すると言い出せば、制服やひだスカート、女子の顔に興奮する人もいっぱいいるんじゃないでしょうかね。男の子を興奮させないように、女子はヒジャブをまといなさい、とか言うんでしょうか。いや、そもそも女子という存在そのものに興奮する人は興奮するでしょうし。この記事では触れられていませんが、パーマ禁止で、天然パーマの生徒に「地毛証明」を要求する学校もあることが、ひところ問題になりました。というわけで、こんな言い分にもはや何の合理性もなく、ただ昔決めた意味不明の決まり事になにが何でも黙って従わせる、ということ自体が目的化しているとしか思えません。それも、圧倒的な男目線で。周囲を不快にさせない、社会的マナーを身につけさせる、それ自体は重要です。何でもあり、ではない、何がしかの決まりは必要です。ただ、下着の色や髪の長さや髪型までこと細かく指定しないとそれが実現できない、というものではありません。規則は必要最小限度のものであるべきであって、子どもの中学、高校生活を不自由で制約だらけのものにするべきではありません。でも、おそらく規則を定めた側はそうは考えていないのでしょう。できるだけ細かい規則を定めて生徒をがんじがらめにして、どんな理不尽な命令でも黙って従う、そういう人間を育てることが教育の目的だと思っているのでしょう。
2022.03.08
コメント(2)
(フォーラム)行かない大学に入学金大学入試に合格すると入学金の納付期限があり、例年、進学先以外に入学金を支払うケースが多く生じています。コロナ禍もあり負担できる家庭ばかりではなく、受験校数の格差も生じます。本格的な受験シーズンを前に、こうした現状について考えます。東日本の私立大に今春入学した女子学生は、受験期を重い気持ちで過ごした。父は公務員、母はパート従業員。国立大に通う3歳上の兄が一人暮らし。家計に余裕はなく、第1志望は地元の公立大だった。今年2月、まず私立の女子大に合格した。入学金納付期限は公立大の合格発表前。自宅で受験勉強をしていると、ふだん仲のいい両親が支払いをめぐってもめているのが聞こえてきて、気持ちが沈んだ。結局、両親は24万円の入学金を払ってくれたが、公立大は不合格だった。実は、第2志望はいま通う私立大だった。入学すれば女子大の入学金は「無駄」になる。「受験したい」と切り出せず、次第に家族と口をきけなくなった。「もう1回、頑張りたい」。母親に意を決して告げると理解してもらえ、受験できた。だが後になって、入学費用の工面のため兄の仕送りを一時期止めていたと聞いた。女子学生は「進学する大学だけに入学金を払う仕組みにしてほしい」と話す。例年、国立大の合格発表(前期)は3月上旬に設定される。一方、私立大の多くは2月に試験・合格発表があり、国立大の合格発表前に入学金の支払期限が設定されている。このため、国立大や試験の時期の遅い私立大を第1志望とする受験生は、第2志望以下の併願校に入学金を払い、第1志望校に合格すればもう一度入学金を払うことが多い。こうした現状に対し、首都圏の大学生らが「入学金納入時期延長を求める学生有志の会」を結成。インターネットを通じて約3.7万人の署名を集め、6月には文部科学省に、入学金の納付期限の延長を要請する通知を大学に出す▽私立大が入学しない学生から取る入学金なしに経営できないなら、国が大学への助成を増やす――ことなどを申し入れた。(以下略)---その署名のことは知りませんでした。知っていたら署名したのに。我が家がまさに今、この入学金の罠にはまりそうです。つまり、第3希望の大学の入学金納付期限は第2希望の合格発表の前日で、第2希望の入学金納付期限は第1期限の合格発表の前日なのです。現時点で第3希望は合格しています。全部合格するとおよそ50万円の入学金を、行かない大学に払うことになります。幸いにして我が家の家計は、50万円の入学金で逼迫はしないですし、親としては子どもに第1希望の大学に合格してほしいです。でも、最終的に行かない大学の入学金を払うのは、結構な額だけに、理不尽という思いはあります。元々、第3希望の入学金を第1希望の合格発表前に払わなければならないことは事前に把握していたので、約25万円前後の入学金支払いは覚悟していたのですが、最初に話し合った時より子どもの受験先が増えたことを考慮してませんでした。もちろん、その心配は第2希望、第1希望に合格しないと意味がないのですが、でもこれは何とかしてほしいものだと思います。ちなみに、三十数年前私自身の大学受験でも同じ問題はあったはずですが、私の場合は第3希望しか受からなかったので、結果として無駄な入学金は発生しませんでした。しかも、当時大学の学費は私大でも今よりずっと安かったですし(自分で学費を払っていないので、入学金の額は覚えていませんが、うろ覚えの初年度と2年生の学費の差額は、10万円台半ばくらいだったのではないかと)。私の行った大学は、当時でも私大の中では学費の安い部類ではありましたが、落ちた(もっと学費の高かった)大学も含めて考えても、現在よりはだいぶ学費は安かったように思います。当時、後世に言うバブル経済のただ中、その当時と今を比べて、給料も物価も、たいしてあがってはいないように思います。調べたところ、消費者物価指数は、2015年を100として、30年前のそれは約85、平均給与は1989年452万円対2018年433万円で、なんと下がってます。給料も物価も下がったり頭打ちなのに、大学の学費だけはどんどん値上がりしているんだから、そりゃあまじめに人生設計をして、子どもの将来を考える人ほど子どもを作らなくなるのも当たり前でしょう。まあ、子どもは受けた大学は全部行きたい大学だと言っていますけど(だから、一つでも受かれば浪人はしないと)、親としてはやっぱり第1希望、合格してほしいですからね。私自身は第3希望の大学でしたけど、私にとっては自分の一生にとってはかけがえのない重要な大学生活でした。何といっても、第1希望第2希望の大学に行っていたら、おそらくケーナとの出会いはなかったと思うので。そうするとフォルクローレとの出会いもラテンアメリカへの関心もなく、たぶん今の相棒と出会うこともなかっただろうと思います。仕事や自分の主義主張はそんなに変わらなかったでしょうが、フォルクローレと出会っていなかった自分を想像するのは、今となってはなかなか難しいです。
2022.02.15
コメント(2)
生き返るはず…埼玉・ふじみ野立てこもり男、死亡した母親の心臓マッサージ依頼 医師に断られ散弾銃を発砲埼玉県ふじみ野市の住宅で男が立てこもり、医師らが死傷した事件で、男が弔問に訪れた医師らに亡くなった母親の蘇生措置を頼み、断られると散弾銃を取り出して発砲していたことが30日分かった。捜査関係者によると、男の母親が事件前日午後に亡くなり、医師らが死亡を確認した。男は医師らを名指しで指定して「焼香に来てほしい」と言い、母親が利用していた在宅クリニックの医師ら関係者男女7人が自宅を訪れると、「生き返るはずだから心臓マッサージをしてほしい」「助かるはず」と頼んだ。死後1日以上が経過していたため、医師が丁寧に説明して断ると散弾銃を取り出して医師に発砲。(以下略)---たばこ注意した高校生に土下座させ、頭踏みつける 容疑の男を送検JR宇都宮線の車内で喫煙を注意した男子高校生が殴る蹴るの暴行を受けた事件で、県警は25日、容疑者を傷害容疑で送検した。容疑者は高校生を土下座させ、足で頭を踏みつけたりしていた。事件は日曜正午ごろ、東京方面に向かう車内で起きた。高校生は友人3人と遊びにいく途中だった。加熱式のたばこを吸って高校生に注意された宮本容疑者は顔を近づけて威嚇。高校生が「離れてください」と押すと、宮本容疑者は「手を出したな」と激高して顔を殴ってきたという。駆けつけた車掌や同級生らが止めに入ったが、暴行は止まらなかった。宮本容疑者は停車した自治医大駅で高校生を車内から引きずり出し、さらに暴行を加えた。暴行は車内と車外で10分以上続いた。高校生はほおを骨折した。(以下略)---「謝れや」「はい暴行罪」あごマスク電車寝そべり男性、車掌の注意に逆ギレ 一体何が?阪急に聞くあごマスクで阪急電鉄の電車の座席に寝転がっているのを注意した車掌に対し、乗客の若い男性が逆ギレする映像が動画アプリ「TikTok」に投稿され、ツイッターなどで拡散している。「とりあえず謝れや。叩いたよ」。男性は、足を組んで仰向けに寝そべりながら、注意しに来た車掌に対し、こう主張した。マスクは、あごにかけている。右腕を示して、「痛いよ」と言い、起き上がると、「電話するからね」とスマートフォンを右手に持って出した。男性は、座席に座り直すと、自分の右側の座席を指して、こう車掌に言い返す。「空いてるやん、ガラガラやん。何があかんねん」車掌が「ご理解いただけないんですか?」と強い口調で呼びかけると、男性は、うなずいて、同じ言い分を繰り返した。車掌がさらに「2席分、寝転んでいます」と説明すると、男性は、スマホを車掌に向けて写真を撮った。(以下略)---医師が殺された事件と、暴行で顔面骨折、そして単なる迷惑行為と、被害の程度は千差万別ながら、どう考えてもしぉかいのルールに従って他者と円滑な関係を築くことができなさそうなタイプの人間の暴走が、立て続けに報じられています。広い意味では、大阪・北新地の精神科放火事件も同じかもしれません。いずれの例も、信じがたい暴挙、愚行であり、腹立たしいことおびただしいものがあります。ただ、どんなに腹が立っても、常人とは異なる精神世界に生きているこれらの犯人(最後の例は、「犯人」とまで言える犯罪行為かどうかは微妙ですが)にその怒りが理解されることは、おそらくないのでしょう。医師に猟銃をぶっ放した男は、死刑はどうか分からないですが、無期か相当長期の懲役刑が予想され、年齢から考えても生きて刑務所から出てくる可能性は低そうですが、宇都宮線の暴行犯は若いし、刑もせいぜい数年でしょうから、すぐに社会に戻ってくることになります。最後の事例に至っては、犯罪とまでは言い難く逮捕されていないでしょうから、今日も明日も各所で迷惑行為を働いているかもしれません。そういえば、1年以上前にこんな迷惑行為もありました。ピーチ機内でマスク拒否、男逮捕 航空法違反などの疑い関西空港行きのピーチ・アビエーションの機内で昨年(2020年)9月、マスクの着用要請を拒んで客室乗務員らとトラブルになり、運航を妨害したなどとして、大阪府警は容疑者を威力業務妨害と傷害、航空法違反の疑いで逮捕し、発表した。逮捕時、「事実は違います」と容疑を否認したという。---この犯人も、その後どういう判決になったのか、あるいは不起訴にったのかは知りませんが、仮に実刑になったとしても5年も10年もとは考えられませんから、すぐに社会に舞い戻ってくるのでしょう。もっとも、これもトンデモな人物ではありますが、暴行で骨折させたり、まして殺人を犯す輩に比べれば、まだしも多少マシではあります。いずらにしても、こういう人間の存在は、周囲の人間を振り回して疲弊を強います。もちろん罪を犯せば刑務所にぶち込まれて、その間だけは社会から隔離されていますが、よほどの重罪でなければ、やがて舞い戻ってきて、同じことを繰り返すわけです。かといって、社会から排除したり、微罪でも終身刑で刑務所に放り込む、なんてことができるわけもありません。殺人のような凶悪犯罪を犯す輩はごく稀ですが、そこまでの凶悪犯罪は侵さないけれど、果てしない迷惑行為や異常行動で周囲を疲弊させる、「どうにもならない人」は、社会の中に一定数存在します。幸いなことに、私は私生活の中では、これまでのところ、こういう人間に不利まわっれた経験はほとんどありません。仕事では、ずいぶん振り回されましたが。こういう人にであってしまうか否か、ほとんど運ですが、世の中には否応なく一定の割合で、こういう種類の人間がいるというのは、いかんともしがたい現実、というしかないのだろうと思います。
2022.01.31
コメント(0)
防カメに被害者を追い込む姿 大阪25人死亡火災大阪・北新地のクリニックで25人が死亡した放火殺人事件で、警察が容疑者と特定した男が火を付けた後、被害者をクリニックの奥に追い込むような様子が防犯カメラに映っていたことが分かりました。この火事で警察は、現場のクリニックの患者を放火と殺人の疑いで捜査しています。クリニックの防犯カメラには、容疑者が持ってきた紙袋を蹴り倒し、ガソリンとみられる液体に火を付ける様子が映っていたということです。その後の捜査関係者への取材で、容疑者が逃げようとする被害者らをクリニックの奥へ追い込むような身ぶりをしながら、燃え盛る炎の中に進む姿が防犯カメラに映っていることが分かりました。警察は、容疑者が強い殺意を持ってより多くの人を巻き込もうとしたとみて映像の解析を進めています。---約2年前、京都アニメーションの放火事件が起きたとき、「模倣犯が出てこないことを祈るばかりです。」と書いたのですが、その模倣犯が出てしまいました。京都アニメーションの事件の犯人は、元々異常人格と言うしかないようなどうにもならない人物で、各所でトラブルを起こしまくってきており、強盗事件を引き起こした経歴もあって、仕事もろくにしていなかったと報じられています。今回の事件の容疑者は、腕の立つ板金職人であったものの、自分の子どもに対する殺人未遂で逮捕歴があり、カッとすると見境がなくなる人物であったと報じられています。手に職があって、かつては妻子があった点は京都アニメーション事件の犯人とは違いますが、人格の異常さは大差がないような気がします。それにしても、何が原因で誰に対してこれほどの殺意を抱いていたのかが分かりません。医療機関に恨みがあって医師や医院のスタッフを殺害しようとしたとするなら、ここまで妄執を募らせて他の患者まで殺そうとした理由が分かりませんし、医院のスタッフも患者も一人残らず殺そうとしたのなら、どういう理由でそういうことになるのかが、どうも私には理解できません。もっとも、犯人は現在意識不明の重体とのことですが、仮に回復して動機などを供述したとしても、常人が理解できるようなマトモな理由など湧いてくるとは思えません(殺人などという所業に「マトモな」理由などそもそもあるはずがない、というのは措いて)。京都アニメーションの事件だって、結局話にならないようなバカバカしい理由しか出てきていないようですし。京都アニメーション事件の方が死者の数は多いものの、現場での死亡率は今回の事件の方が高いようです。京都アニメーションでは事件時にビル内に70人がいたうち1人無傷、33名負傷、36名死亡でしたが、今回の事件は、全貌はまだ把握できていませんが、現場となったクリニック内にいて助かった人は極めて少ないようです。報道から把握できる限りでは、受付付近にいて放火と同時に非常階段から逃げ降りた親子連れの2人、心肺停止状態から蘇生した1人(犯人は除く。もう一人蘇生が報じられたものの、結局その後亡くなったようです)、それ以外に生存者はいないようです。この差は、建物の構造の差、今回の事件のビルが出入口(階段)が一か所しかなく、窓も他の面にはなく、出入り口で火を放たれると逃げ道がなかったことが最大の要因だろうと思います。今回の事件が起きたビルは消防法には違反していなかったと報じられています。どんなに念入りに防火対策を講じた建物でも、ガソリンをぶちまけられて火を放たれたらどうにもならないことも事実です。とはいえ、何かがあった時、逃げ場が一か所しかない建物で、その逃げ場が塞がれたら、ということへの恐怖感は感じざるを得ません。犯人は意識不明の状態だそうですが、回復して何を考えてこんな犯罪を行ったのか、自分の口で供述した上で刑に服してほしい、と思う半面、どうせ独善的で滅茶苦茶な犯行理由しか出てこないんだろうし、それだったら、と思ってしまう部分も皆無ではありません。いずれにしても、命を取り留めるかどうか、取り留めたとしても意識を回復して話ができる状態に回復するかどうかは分からない、というより回復できない可能性の方が高そうだ、というのが現状でしょう。でも、本当にこういう種類の事件が頻発すると(死者は出なかったものの、10月末の京王線放火事件なども類似の犯行)、明日は我が身じゃないけど、色々怖いなと思ってしまいます。性質的に、こういうタイプの人の攻撃対象になりやすい担当業務を長くやっていましたからね。
2021.12.22
コメント(2)
米山隆一氏が東大ならではの恋愛事情明かす 男は「カルガモ」「刷り込み効果は絶大」衆議院議員の米山隆一氏が8日、ツイッターを更新。東大女子について、私見をつづった。~米山氏は「『東大に行ったらお嫁に行けない』と言いますが本当ですか?」というQに対し「いいえ。そんなことはありません」と否定した上で「まずもって東大の女子学生は、世間一般ではどうかは存じ上げませんが、東大内ではモテます。人は半径30mで恋をする動物です。東大に少なくない、中高一貫男子校で過ごした学生の何割かは、東大で生まれて初めて、半径30m内で、普通に歩いて、普通に自分と話してくれる同年代の女性に出会います」と指摘。さらに「そしてその何割かは、カルガモの雛が初めて見る動くものをお母さんと思う様に、目の前の女子学生さんを『この人こそわがマドンナ』と思い恋に落ちます」と、自身が目にした東大女子のモテモテぶりを明かした。続けて「勿論そういう人がそれ程多い訳ではありませんが、男性8対女性2の人数比は偉大で、女子学生が授業に出れば、概ね3~5人の男子学生が、『〇〇さん元気?分からない所ない?ノート見せようか?』とカルガモの雛の様に後ろをついていく光景が、東大春の風物詩としてキャンパスのあちこちで展開されます」と、東大ならではの光景があることを明かした。~---米山議員、選挙区じゃないから票の入れようがないけど、同じ選挙区だったら多分支持するし、東大卒で医師で弁護士って、頭が滅茶苦茶良いのも明らかですが、天は二物を与えずというか、ハンサム、とはちょっと言いにくい容貌ではあります。私は東大には学力が少々(いや、かなり)足りない人間ですが、20年以上前の一時期東大には結構な頻度で足を運んでいたことがあります。と言っても、というのは、東大にはフォルクローレのサークルがありまして(東大民族音楽愛好会)、今はどうか分かりませんが、四半世紀前には部員が100人以上という、日本フォルクローレ界における一大勢力だったからです。(だから、通ったといっても、土日にサークル室の周囲でちょっと練習に参加させてもらっただけです)東大民族音楽愛好会の存在抜きに、日本のフォルクローレの発展はなかっただろうと思います。今その頃のつながりから、今でも何人かの東大OB、OGとは一緒に演奏しています。多分どこの大学、あるいはどんな趣味でも同じでしょうが、大学を卒業すると、かなり多くの人が音楽活動から足を洗ってしまいます。やめずに5年10年あるいはもっと長く続けている人は、ほんの一握りだと思いますが、その中でも東大OBは抜群に上手い人が多いです。やっぱり、頭が良い方が音楽の上達も早い、ということは言えそうです。上手いのもさることながら、どんな楽器でもあっという間に習得してしまうような人も多いですね。で、東大OGも何人も知っていますが(二十数年前はまだOGじゃなかったけど)、学内でモテたかどうかまではは私は知りません。でも、みなさんだいたい結婚したか、籍は入れなくてもパートナーと一緒になられている方が多いように思います。交流が絶えてしまって、今どうしているか知らない人もいますが。だから、「東大に行ったらお嫁に行けない」なんてことは絶対ない、ということだけは、私の知る範囲でも断言してよかろうと思います。それにしても、「カルガモの雛」には笑ってしまいました。やっぱり、あのくらいの年代までは男の子より女の子の方が精神年齢が上であることが多そうだし、「母鳥と雛」という感じになってしまうのでしょうか。
2021.12.08
コメント(2)
夫は「クレーマーで有名」、対応苦慮した市が監査対象から夫婦除外…住宅扶助詐欺 約2年8か月にわたり岩手県外のホテルに宿泊していた夫婦が、盛岡市から生活保護費の住宅扶助計約1440万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた事件で、市が県の監査対象となる支給対象者のリストから、夫婦を除外していたことがわかった。15日に盛岡地裁であった妻の公判で弁護側が指摘。市が取材に事実関係を認めた。公判などによると、夫、夫の父親と盛岡市内で暮らしていた妻は、2014年10月に家賃滞納で立ち退きを命じられた後、同市の扶助を受けながらホテルで生活。市は3人家族に対する扶助の上限額を月4万円と定めていたが、妻らが受給した額は月約45万円にのぼっていた。これについて、弁護側はこの日の公判で、市が「クレーマーとして有名」だった夫への対応に苦慮し、扶助の支給が恒久化していたと指摘。市は支給が法的根拠に乏しいと認識しながら15年度以降、県の監査で指摘されないよう支給対象者のリストから夫婦を除外したとした。(以下略)---盛岡市の対応がけしからん、ということになるのでしょうが、色々な修羅場の話を聞いている私としては、とても世間の声と一緒になって「盛岡市けしからん」と唱和する気にはなれません。通常、「家賃滞納で立ち退きを命じられた」生活保護受給者は、無料低額宿泊所(無低)あるいは厚生施設と呼ばれる住所不定者向けの宿泊施設に入ることになります。ただ、これは基本的に単身世帯を前提としている施設です。夫婦と妻の父親という3人世帯だそうで、その時点で生活保護の枠内で入れる施設は極めて限られます。東京23区であれば、特別区人事厚生事務組合が家族で入所できる宿泊所、宿所提供施設を運営していますが、そういった施設をどこの自治体でも持っているとは限りません。東京23区の場合でも、施設はあっても空き部屋は少ない、また入所期限が定められているのに、その期日までに次の行き先を決められず居座ってしまいトラブルになる例はそう珍しくはないと聞きます。盛岡市は小さな町ではないので、単身のホームレスを対象とする無料低額宿泊所くらいはあるかもしれないですが、家族向けの宿泊所はないのでしょう。クレーマーであること自体も大問題ですが、この状況に対応できる社会的資源がない、ということもまた、大きな問題です。一切クレームなど言わない従順にな人物だったとしても、この家族構成の受給者が突然「家賃滞納で来週追い出されます」と言い出したら、対応には相当苦慮するでしょう。あえて言えば、このクレーマーが男の単身者だったら、怒鳴り散らされても何でも「無料低額宿泊所(あるいは厚生施設とか、住所不定者向けの施設)に入りなさい、他に選択肢はない、嫌なら路上にいたら?」くらい言い切ったかもしれません。しかし、相手が女性や子どもや高齢者だと、なかなかそういう対応はしにくいものでしょう。そこに悪質クレーマーという属性まで加わるのですから、もうどうにもなりません。ある日突然、札付きの最悪クレーマーがやってきて、「アパートを追い出された、住む場所をなんとかしろ」と迫られて、緊急避難的にやむを得ず、数日間のつもりでホテルに宿泊させたら、そのまま居座ってしまった。通常こういう場合は、大至急次のアパートを探させるものだそうですが、本人が高望みしてアパートを組めない、あるいは滞納で強制退去になった経緯から不動産屋の審査が通らない、などによって、いつまでたっても転宅先のアパートが決められない、他の施設に移らせようと思っても、前述のとおり、そんな施設はないか、あるいは本人たちが居座って動こうとしない。多分、二進も三進もいかない状態がずっと続いたのでしょう。結局、このような状況では究極の選択を迫られることになります。つまり1.この対応のように不正には目をつぶって過大な住宅扶助を払い続ける(でも、結局は最後には露見する)2.どんなクレームを言われても、また、たとえこの夫婦とその親がホテルを追い出されて路上で野垂れ死んでも(盛岡の冬は寒そうですからね、路上生活では凍死の可能性が高いでしょう)、規定の住宅扶助以上は一切出さない。いや、もちろん3.きちんと説得して早々に規定の家賃額のアパートに転宅させるというのが正しい選択肢なのは言うまでもありませんが、説得しても聞く耳を持たないからこういう状況になっているわけです。ある意味、「無敵の人」の無敵たる所以は、自分自身の命さえ脅しの材料にできてしまう、ということです。失うものが何もない、自分の命すら惜しくない人と、守るものがいっぱいある人がこういう種類のチキンゲームをやったら、「無敵の人」にはかないません。ただ、人間は不老不死ではありません。どんなに優れた医療でも、あるいはどんなに優れた社会保障制度でも、全員の命を救えるわけではない。そう考えれば正しい制度の運用の結果人が死んだとしても、それは不可抗力としか言いようがありません。少々ドライな言い方ですが、そう割り切るしかないだろうと思います。従って、盛岡市の対応は間違っていたのは間違いありませんが、では自分がその立場にいたら間違わなかったかと言ったら、そんな自信なんか全然ない、というのが正直なところです。
2021.11.21
コメント(2)
眞子さまと小室圭さんの「結婚反対!」異例の行進デモが銀座で開催秋篠宮家の長女眞子氏と小室圭さんの結婚に反対する行進デモが10日、都内で行われた。主催したのは皇室系ユーチューバーの京氏で、小室さんの警備に多額の税金が使われていることや小室家にさまざまな疑惑が持ち上がっていることに「国民に誠意ある説明がなされるべき」とこれまで東京、神奈川、大阪、福岡などでも結婚反対の街頭デモを先月から開催していた。今回は抗議の声を上げてから初となる行進デモで、スタート地点の日比谷公園には100人近い賛同者が集まり、8割近くが女性だった。新型コロナ禍で、シュプレヒコールを上げることなく、「皇室を護りたい」「茶番会見やめろ」「小室母子の血税横領疑惑を調査せよ」などのプラカードを各々が掲げた。日曜の昼下がりで、多くの人でにぎわう銀座、有楽町の街中を練り歩いた。警察による厳重な警備態勢が敷かれ、混乱もなく終了した。---例えば、「皇室の結婚に公費を使うな」とか「マスコミは過剰報道するな」「祝意を強制するな」という趣旨なら分かります。しかし、結婚という個人の選択について、「結婚反対」というデモというのは、正直私の想像を絶します。私は元々天皇制を礼賛する気などまったくありません。また小室氏の結婚相手が、もし自分の子どもだったとしたら「ちょっと待て」と言います※。ただ、いくら反対したところで、決めるのは自分ではありません。未成年であれば結婚には親の同意が必須ですが(ただし、父母の片方の同意で足りる)、成人した子どもにそんな条件はありません。どうしても結婚すると言い張られて、それを阻止することなどできません。まさか子どもを座敷牢に入れるわけにはいきませんから。白旗を掲げる以外の選択肢はありません。自分の子どもでもそうなのですが、まして会ったこともない赤の他人同士の結婚です。そんなものに賛成も反対もあるわけがありません。「あんな相手と結婚して大丈夫かね」とは思うかもしれませんが、それまでのことです。それ以上は本人たちが決める問題であって、他人が口をはさむ問題ではないですから。それにしても、これほど日本中のネット世論が、小姑のように皇室の結婚相手のあら探しを全力で行うようなら、今後皇室の誰かと結婚しようと考える勇気ある人はほとんどいなくなるでしょう。本人はともかく、親のあら探しまでされて、これまでの人生に何の非もない、などと自信を持って言える人は、一般社会ではそう多くはないのではないでしょうか。しかも、これから先、一生あらを探され続ける(仮に非がなくても、痛くもない腹を探られ続ける、それも日本中から)ことに耐えられる人は、そうそういないでしょう。これまでだって、特に皇位継承権者の結婚相手探しはなかなか難渋してきたようですが、今後はそれがさらに困難になるでしょう。私は、別に積極的に天皇制を廃止せよと主張するものではありません(護憲派ですから)。でも、皇位継承権者が消滅して、結果として天皇制が消滅するなら、それはそれで、私にとっては全然問題ありません。どういうわけか、天皇制を礼賛する人ほど女系天皇に絶対反対を叫ぶ傾向があるようですが、それはそれでよろしいんじゃないでしょうか、と思うのみです。それで天皇家が断絶することになっても、困るのは私ではありませんから。※もっとも、ここまでの報道を見る限り、小室氏の親には間違いなく色々な問題がありますが、小室氏自身の性格や行動に問題があることは確認できません。能力面では、学業と英語力に関しては、おそらく相当優秀なのだろうと思います。無能者を、日本の皇室と縁もゆかりもない米国の弁護士事務所が雇う義理もないでしょうから。
2021.10.10
コメント(0)
ひろゆき氏VSゆたぼんパパ 「子供に罪はない」ネット上ではひろゆき氏に軍配か沖縄を拠点に活動する小学生YouTuberで、少年革命家を名乗るゆたぼんが小学校に続き、4月に入学した中学校も不登校を貫くことを宣言。この主張を厳しく批判した「ひろゆき」こと西村博之氏と、ゆたぼんの父で心理カウンセラーの中村幸也氏の間でレスバトルが繰り広げられる事態となっている。ゆたぼんは7日に自身のYouTubeチャンネルで、「いよいよ今年度から中学生になんねんな。でも俺は、中学校に行く気はありませーん!」と高らかに宣言。中学の「生徒心得」を読み上げ、「まゆ剃り、化粧の禁止。色付きや香料ありのリップ禁止。装飾品、香水等を身につけてはいけないってやってられるかー!」と反発し、「学校に行かせる義務じゃなくて、教育を受けさせる義務やからな!教育は学校に行くことだけじゃないから。おれみたいにホームスクーリングとかフリースクールでもええん」と主張した。この「不登校の自由」を痛烈に批判したのがひろゆき氏だった。10日に自身のツイッターで、「登校が嫌なら通信制の中学校で教育を受けることは可能。子供に教育を受けさせる義務を放棄してる親には罰則が必要だと思います。教育の機会を捨てるのを是とする考えを広めるのは社会的に良くないしアホの再生産になります。子供は被害者なので責めるべきではないです」とゆたぼんを擁護した上で親の責任に言及。「子供を学校に通わせないで、身の回りの出来事を学ぶことで生きる力を云々という頭の悪い親がいますが、身の回り生活からどうやって虚数の概念を学べるのか聞いてみたいです」とした上で、「『虚数なんて知る必要がない』と考える人は知識が足りないし、子供の成長に制限をかけてることに気づかないならアホでしょ」と綴った。(以下略)---2ちゃんねる創始者のひろゆきは、実は私の高校の後輩です。といっても、年数が離れているのでただの一度も会ったことがないし、何ら接点はありません。彼のやってきたこと、行ってきたことのほぼすべてに、私は感心しません。というか、不快感を抱いています。※余談ですが、津田大介氏も高校の後輩です。津田氏も残念ながら接点はありません。津田氏については、非常に尊敬しているので、接点がないことは非常に残念です。さて、そんなひろゆき氏ですが、こと、この件に関しては、言っていることは「そのとおり」と思います。というか、あれだけ世の社会規範に外れること(各種賠償金の踏み倒し等)を繰り返していても、こと学校教育に関しては案外常識的なことを言うんだね、と思います。それも、あの高校に通ったおかげかもしれないけど(笑)ゆぽたん自身は、教員に暴力を振るわれたことがきっかけで不登校になった、と言っているようです。その話にどの程度の信ぴょう性があるのかは判断がつきませんが、もしそれが事実なら、学校に行けなくなった経緯は分からないものではありません。だから、「ゆぽたん」個人の選択については、あえて批判はしません。確かに、学校にはいじめもあれば理不尽な校則もある、体罰のある学校もあるでしょう(余談ですが、ひろゆき氏の通った学校には理不尽な校則や体罰はありません。いじめもほとんどないと思います)。それに傷ついて学校に通えなくなってしまった子どもに、「何が何でも学校に通え」とは言いません。自殺するよりは不登校の方がまだマシですから。だけど、あくまでも消極的選択として「やむを得ない」のです。積極的に不登校が望ましい、ではありません。世の中には、不登校の末に大金持ちになった人も、大金持ちではないにしても社会の中でしっかりした立場を得る人も大勢います。私も具体的に何人も知っています。でも、それよりずっと多くの「不登校からずっと不安定雇用で低所得」「不登校からニート、引きこもり」の人たちがいることもまた事実です。確率から言えば、残念ながら後者の可能性の方がずっと高いでしょう。もちろん、乗り越えられないハードルではないし、乗り越えている人はいっぱいいます。普通に学校に通って社会に出ても、ハードルはいっぱいある。だから、不登校になったからと言って人生に絶望する必要はまったくありません。でも、常人よりはそのハードルが高いものであることは否定しようがありません。乗り越えるにはそれなりの努力と幸運、出会いが必要です。学校は、もちろん第一義的には勉強をする場です。でも、それが全てではありません。同じ年代の子どもたちが集まってする、社会生活の場でもあります。人間が食べていくというのは、社会生活の中で他人に何かを与えて対価をもらう、ということです。雇われるにしても自分で起業するにしても、他者(雇い主か顧客)との関係抜きに収入は得られません。他者との関わりという経験の積み重ねを抜きに仕事をするのは、条件として不利と言わざるをえません。「ゆぽたん」は人気ユーチューバーらしいので、今は充分生計が立っているのでしょう。もっとも、5年後10年後にも生計が成り立っているかどうかは分かりません。というか、成り立っていない可能性の方が高そうです。そのとき、新たな道に転身しようとするとき、小学校すら出ていない、という社会経験の乏しさは、やはり大きなマイナスです。それでも、彼あるいは親かもしれませんが、ユーチューブで注目を集めるに際してはそれなりの才覚があった上で、努力と試行錯誤を積み重ねているはずです。方向性の良し悪しは別にして、その努力はおそらく常人の及ぶものではないはずです。そのことに加えて幸運な偶然があって初めて今の状態があるはずです。仮にユーチューバーとしては生きていけなくなったとしても、その努力を次の方向性を目指すときにも発揮できれば、多分何かの道は開けるんじゃないか?という気はします。というわけで、「ゆたぽん」自身を批判する気はないのですが(もっとも、動画自体は未見ですが、引用されている発言を見ると、いわゆる炎上しやすいスタイルだなあ、という点には危惧を抱きます。それも再生数を上げる手段の一つなのでしょうが)、そのあとに道は続いていません。世の中のユーチューバー、あるいはそれを目指している人の中で、将来の保証以前に、たった1か月だけでも、人のうらやむような収入を得られる人はほとんどいないでしょう。彼と同じ状況に置かれて同じ方向性を目指しても、成功できる人(一時的な成功であっても)はいない、ということです。前述のとおり、不登校が絶対にダメではないのですが、それはかなりの茨の道であり、やはり学校は行かないよりは行った方がずっと良い、ということに尽きます。世の中には無数の選択肢があるべきだし、実際にあるから、「ゆたぽん」のような選択は否定しません。でも、誰もが選べる選択肢ではありません。
2021.04.21
コメント(2)
岩手県の旅第3回(一応最終回)ですミッフィカフェで昼食後、駅に歩いていく途中で高台への階段がありました。幸い、次の列車まで時間はまだ十分ありましたので、登ってみました。薬師公園というようです。標高50mくらいでしょうか、上は見晴らし台になっていて、釜石の市街地が一望できます。おそらく、3.11の時は多くの人がここに逃げたのではないでしょうか。ひょっとすると、ここから撮影した動画がYouTubeに上がったりしているかもしれませんし、見ているかもしれません。ただ、津波で街並みが変わっているし、高台はここだけではないでしょうから、特定はできませんが。日本製鉄の製鉄所。見下ろすと、標高が高いようには見えませんが、3.11の際ここには津波がほとんど入らなかったそうです。釜石から三陸鉄道で鵜住居に戻ります。レトロな車両が待っていました。鵜住居駅からは、鳥などの撮影をしながら歩いて宿に戻ります。途中釜石鵜住居復興スタジアムの前を通ります。元は小学校のあった場所で、震災後、学校がより高台に移転した後に作られたそうです。大槌湾の鵜住居川河口に作られた水門。高さどのくらいでしょうか。10m以上はありそうです。15mくらいかな。あのときは、ここも全部津波で水没したのでしょうね。3.11の釜石市での死者行方不明者は1000人余りですが、そのうちの600人以上がこの鵜住居地区で亡くなっているということです。2日目の夕食。ブリのカマが美味しかったです。ホタテではなく、何貝と言っていたかな、忘れてしまいましたが、ホタテの近縁種であることは確かです。美味しかったのですが、先に書いたように、うちの子は魚は大好きなのに貝は苦手。ホタテは貝柱の部分だけなら多少は食べられるのですが、丸ごとは無理で、全部残してしまいました(涙)。私は自分の分でお腹いっぱいで、子どもの残した分までは食べられず。そして、ホヤ、これは癖が強いので、大人でもダメな人は少なくありませんが、案の定子どもは食べられませんでした。私も、正直なところ好きかと言われると、やや微妙なところではありますが。その代わり、子どもはブリのカマは完食です。私よりきれいに食べました。そして3日目。初日二日目は晴天でしたが、3日目はどんよりと曇り。でも朝方は時々祖差しが差すこともありました。これは水門の上から前日と大体同じあたりを撮影したものです。(前日の写真は水門の下から)水門の上は橋になっているので渡れます。今は平穏な街ですが、写っている建物のうち、平地にあるものはすべて震災後に建設されたものです。元の土地に2mの盛り土で高さを上げた上に建設したそうです。宿の前の海。遊歩道は整備されていますが、砂浜は立ち入り禁止なのです。宿の先にも漁港があります。根浜漁港というようです。漁港から湾の対岸を撮影。大槌町の市街地のようです。また河口の水門まで行ったら、沖合にフェリーが見えました。「さんふらわあ」のようです。だとすると、苫小牧から大洗に向かう便でしょう。釜石に出て、帰路につきます。帰りは快速はまゆり号。往路の各駅停車はキハ100の単行列車でしたが、復路の快速はキハ110の3両編成。同系列の車両で塗装も同じですが、中は各駅停車はボックスシート、快速はリクライニングシートでずっと快適でした。指定席もありましたが、自由席に乗車。指定席の方がグレードはいいのかな?自由席も充分な快適さでしたけど。で、新花巻から新幹線に乗り換えて東京に帰りました。旅行記は以上となりますが、撮影した鳥の写真は後日別途記事にします。
2021.04.02
コメント(2)
1回間が空きましたが、平泉と釜石の旅、第2回です。宿での初日の夕食です。牡蛎が美味しかったです。余談ですが、うちの子は、魚が大好きで、しかも食べ方が私より上手い。ところが、貝類は苦手で、牡蛎は1個の半分しか食べませんでした。なので残りは私が頂きました。デザートの写真は省略。2日目の朝です。残念ながら、砂浜は立ち入り禁止になっていました。なので堤防の上から撮影です。大槌湾に日が登ります。朝散歩で鳥撮影に加えて・・・・・もちろんこれです。宿の至近距離でありながら、宿や他の建物に音が届かない場所を発見したので、早朝から存分に吹きました。宿から見れば山向こう、湾の奥や対岸の集落は数百メートルか1kmくらい先、なので、まず聞こえないだろうと。今回の旅行、行先も宿も、決めたのも相棒なのですが、実は宿泊した「宝来館」の名前は私も知っていました。それは、この動画から。「高台」と言っているのですが、現地に行ってみると、宿は本当に海の目の前です。高さも、明確には分かりませんが、海抜10mあるかどうか、という程度です。それでも、女将さんによれば、少なくとも2011年3月10日までの過去400年くらいは、津波が到達したことはなかったのだそうです。つまり、あの津波は、過去400年の歴史上最大の規模だった、ということになります。この避難表示も地震の後に建てられたものでしょう。ということは、海岸と宿の間の松林も、津波で全部塩水を被った、ということです。陸前高田の奇跡の一本松は有名ですが、結局は枯死しました。こちらは松林全体が生きています。もっとも、松林全体が宿と同じくらいの高さがあるので、海水を被ったにしても、その深さも時間も陸前高田の松林ほどではなかったのでしょう。三陸鉄道鵜住居駅。ここから三陸鉄道に乗車。高校生までは鉄道も趣味だったのですが、最近は知識の更新が止まっていて、三陸鉄道といえば北リアス線と南リアス線の南北に分断された二つの路線からなる鉄道、と思っていました。一昨年、山田線の宮古-釜石間が震災被害からの復旧と同時に三陸鉄道に移管されていたんですね。この鵜住居駅は、旧JR山田線の駅になります。で、行先は恋し浜駅。ここは旧南リアス線の駅になります。ホタテの貝殻を使った願掛けが見どころなのだそうです。でも、それだけ??ちなみに、ここに行きたいと言い出したのも相棒。時々、謎過ぎる旅先の選定をしてくれるのです(笑)。でも、海が見えるので行ってみました。ホタテの願掛けは謎でしたが、漁港まで行ったら景色は良かったです。小石浜漁港は越喜来湾にありますが、鵜住居のある大槌湾からは5つ離れた湾になります。直線距離で20kmあまりの間に湾が5つ、さすがリアス式海岸です。駅付近から海を見下ろします。ちなみに、ここは大船渡市になるようです。釜石まで戻って、ここで昼食。うちの子、ミッフィが大好きでした。昔、職場の同僚に頂いたものなんですけど、今も残っています。ただし、ここに行きたいと言い出したのは子どもではなく相棒ですが。宿の食事は魚介類メインなので、ここでは洋食。そして食後は・・・・・さすがミッフィカフェです。次回に続きます。
2021.03.31
コメント(0)
こんな時期ですが、緊急事態宣言も解除されたので、家族旅行で東北に行ってきました。行先は相棒が釜石と決めて、そこに私が無理やり平泉を押し込みました(笑)東京を早朝に出発して、新幹線で一ノ関まで。在来線に乗り換えて2駅で平泉駅に到着です。実は、高校生の時、亡父と弟と3人で平泉には来たことがあるので、それ以来三十数年ぶりの訪問です。駅から中尊寺に向かって数分歩いたところで、特別史跡に遭遇しましたが、人影は我々以外まったくありませんでした。白山社だそうです。平泉駅から中尊寺の入口まで徒歩30分弱、そこから急騰を登ったところに本殿があります。途中で天望のある見晴らし台がありました。ところが、ここは全山杉並木なのですね。私も相棒も杉は大丈夫なのですが、どうも子どもが花粉症らしい、ということが今回発覚しました(笑)この辺りに着いた頃には「目がかゆい、くしゃみが出る」と騒ぎ出し、見物どころではなかった様子です。弁慶堂の案内弁慶堂本堂の入口本堂。中は撮影禁止でしたが、外から見えました。金色堂。ここは入場料が800円かかります。もちろん入場したのですが、子どもはノックアウト状態で見学どころではなく、外で待っていました(笑)ここも内部は撮影禁止です。本堂のように外からは見えないので中は見物しただけです。前述のとおり高校生の頃に一回来ているのですが、まったく記憶にありませんでした。金色堂は意外と小さかった、しかし確かに全体が金箔で光り輝いていました。もっとも、金箔は建設当時のものではないのでしょうけど。経蔵。金色堂の隣です。補修中のようでした。観音堂薬師堂。これは真新しいもののようですね。周囲が工事中で立ち入り禁止になっていました。下山して杉の中でなくなったら、子どもの不調も急激に回復。中尊寺入口で昼食、そのあと時間があれば毛越寺も行きたかったのですが、時間切れで省略。ひとりだったら毛越寺まで行ったのですが、家族旅行だと、歩行速度その他なかなか思うようにはいきません。平泉駅まで戻って、東北本線で花巻へ、釜石線に乗り換えて釜石へ。釜石に到着。平泉から花巻までは40分ほどですが、花巻から釜石まではなんと2時間(往路に乗った各駅停車の場合。帰りは快速だったので1時間半ほど)もかかるのです。三陸は遠い。線路はさらに先に続きますが、これはJRではなく三陸鉄道になります。宿は三陸鉄道で2駅先になりますが、この日は釜石駅まで送迎していただきました。本日の宿(というか、連泊したのですが)はこちらです。正面は松林。大槌湾の真正面にあります。以下次回に続きます。
2021.03.29
コメント(0)
アニメーター大塚康生さん死去、ルパン三世の作画監督「ルパン三世」「未来少年コナン」「じゃりン子チエ」などで作画監督を務めた名アニメーター、大塚康生さんが15日朝、心筋梗塞で死去した。89歳だった。1931年、島根県生まれ。厚生省麻薬取締官事務所勤務からアニメーターに転じ、東映動画(現・東映アニメーション)で、日本初のカラー長編アニメ「白蛇伝」や、「わんぱく王子の大蛇退治」、「長靴をはいた猫」などを手がけ、痛快で生き生きとしたアクションを得意とした。後輩として東映に入ってきた高畑勲(35年生)、宮崎駿(41年生)両監督の才能を見いだし、引き上げた師匠的存在だった。東映を退社後も「ルパン三世」(シリーズ第1作)で2人と組み、宮崎監督の初監督作「未来少年コナン」や長編初監督作「ルパン三世 カリオストロの城」で作画監督を務めた。高畑監督作品では東映時代の「太陽の王子ホルスの大冒険」のほか、映画「じゃりン子チエ」でも作画監督を務めた。ルパンの愛車として知られるフィアット500は、番組制作時に乗っていた愛車。ジープマニアとしても有名で、プラモデルの監修などに携わった。インタビュー集に「作画汗まみれ」、「大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽」がある。少年時代に描いた機関車や進駐軍の車両の克明なスケッチを集めた「大塚康生画集 『ルパン三世』と車と機関車と」を昨年出した。---ご高齢だったので、遠からずこの日が来るとは思っていましたが、ついに、です。アニメ界以外では宮崎駿、高畑勲の両巨頭ほどの知名度はなく、新聞報道も、朝日新聞のこの記事は紙面上どの程度の扱いだったのかは知りませんが、我が家で購読している毎日新聞では昨日の朝刊3面死亡記事でしかありませんでした。(写真は載っていましたが)しかし、アニメに多少なりとも興味がある人にとっては、私のようにたいした知識がない者でも、大塚康生の名は両名に匹敵する重さがあります。宮崎アニメのどの作品も私は大好きですが、その中で一番好きなものを1作だけ挙げろと言われたら、私は「未来少年コナン」(NHKが放送した初のセルアニメでもある)を挙げます。その未来少年コナン、そしてその次の作品である劇場作品「ルパン三世カリオストロの城」で続けて作画監督を務めたのが、大塚康生さんです。もっとも、2作挙げるなら、次の1作は「風の谷のナウシカ」(大塚さんは関わっていない。作画監督は小松原一男さん)になりますが。宮崎アニメの映像表現的な面での大きな魅力は、「飛翔感」と「コミカルな動き」であると私は思っています。このうち、「飛翔感」については、頂点にあるのは風の谷のナウシカだと思っています。一方「コミカルな動き」の頂点は「コナン」「カリ城」の両作で、「ナウシカ」以降は、コミカルな動きは次第に目立たなくなっていきます(まったくなくなるわけではないけれど)。つまり、初期の宮崎作品の大きな魅力であるコミカルな動きを支えていたのは大塚康生の作画、ということになります。もっとも、「コナン」では、ヒロイン「ラナ」の絵は、第一話の最初のシーンで大塚の描いた顔を宮崎が気に入らず(「ブスラナ」という宮崎の発言があまりに有名)それ以降ラナの作画は宮崎が独占して大塚には描かせなかったそうですが。そう言われてみると、「コナン」の中で、コナン、ジムシー、ダイス船長などはコミカルな動きをよく見せますが、ラナはそれほどでもなかった気がします。通常、アニメにおける演出というのは作品そのものの絵を描くことが仕事ではないのですが、宮崎は自身がアニメーターの出身、しかも、絵のプロであるアニメーターの中でも図抜けた画力(絵の上手さも図抜けていたらしいですが、超人的に描くのが早かった)、さらにこの時期の凄まじい仕事量をこなす気力、体力が宮崎にあったから可能だった離れ業でしょう。もう一つ、大塚康生の携わった作品で印象が強いのは、高畑勲監督の「じゃりン子チエ」(劇場版)です。大塚は、小田部洋一と共同で作画監督をつとめましたが、これも強烈な印象がある作品です。1981年の作品ですが、私が見たのはそれから数年後、高校生になってからでした。ビデオやテレビ放送ではなく劇場で見ました。長らくその時一回しか見たことがなかったのですが、結構強烈な印象が残っています。やや余談ですが、数年前、じゃりン子チエが全編がYouTubeにアップされていたことがあって(今はもう消されています)、三十数年ぶりに見たのですが、別の意味で強烈な印象に残りました。これって、舞台はどう見ても釜ヶ崎(西成)じゃないですか。そして、どこからどう見ても、テツによるチエのネグレクト物語。妻(チエの母)ヨシ江は別居中、その環境の下と考えれば信じられないくらいチエはいい子でしっかり者ですが、逆にテツの方は、こりゃもう典型的に、あまりに典型的にこの手の人たちの行動パターン、思考パターンそのもの。いやあ、高校生の頃は、そんなことまったく思いもしなかったけど、今となっては笑いもひきつる、ヤバい作品です。が、そういう視点から見ても、この作品はリアリティ抜群で、思わずぎょっとします。だから、やっぱりすごい作品です。大塚さんの話に戻ると、世の中には兵器、武器の出てくるアニメはたくさんありますが、その実物を扱った経験のあるアニメーターなんて、まずいないでしょう。その希有な例が大塚さん。引用記事にあるように、前職は厚生省麻薬取締事務所(取締官ではなく補助員だったそうですが)勤務時代に分解整備などを行っていたのが、後の「ルパン三世」で峰不二子が使用する拳銃ブローニングM1910。それをはじめとして、蒸気機関車やジープなど、メカ大好きでメカを描かせれば右にでるものがない、とも言われたそうです。しかし、それを聞きつけた「宇宙戦艦ヤマト」の西崎プロデューサーが引き抜きにかかると、即座に断っています。メカの動く仕組みを突き詰めるタイプだから、「船が空を飛ぶ仕組みが分からない」とも言われますが、それだけが理由かどうかは分かりません。西崎の経歴をたどると虫プロに行き着きます。当時東映動画動画にいたアニメ関係者は、基本的には虫プロ、つまり手塚治虫のアニメをかなり酷評しています。大塚さんも同様です。虫プロが手塚治虫の「アニメやりたい」という、いわば趣味で、採算度外視の低価格で作品を請け負うようになったこと(赤字は手塚が漫画で稼いだつぎ込んで補填した)が、彼らのいた東映動画のアニメづくりにも多大な悪影響を及ぼしたからです。「東映の良心が十万馬力で破壊された気分」「『アトム』で手塚さんはパンドラの箱を開けちゃった。手塚さんがやらなくても誰かが開けたでしょうけど。ちゃちな動きで話にならないと思った『アトム』に世間は拍手喝采。東映の良心が十万馬力で破壊された気分でしたね」ーーーだから、虫プロ関係者のことを、あまりよくは思っていなかったのかもしれません。また、盟友である宮崎・高畑のコンビが、ヤマトの裏番組であった「アルプスの少女ハイジ」を手がけていたことも(大塚さんは「ハイジ」には参加していないですが、手伝いくらいはしたことがあるかもしれません)、あるいは関係していたかもしれません。何にしても、偉大な方であったことは間違いありません。ご冥福をお祈りします。
2021.03.18
コメント(8)
『科学を振りかざす』という言葉に違和感を持つ理由を言語化してみた→様々な意見が集まる「科学は凡人の味方」「科学を振りかざす」という表現にすごい違和感があるのは、おれの中に「ほかの方法論に比べれば、科学ほど誰もが共通の認識を持てるものはない」という価値観があるからだろうな。「算数を振りかざす」と言われているように聞こえるのだ。「22が7で割り切れない不安に寄り添え」と言われても困る。それに、財力やら家柄やら教養やら才能やらとちがい、「科学的な考えかた」というのは、誰でも身につけることができる。コスパ最高の考えかただ。貧乏人の味方、凡人の味方だ。本来、科学的な考えかたは義務教育で万人に与えられているべきものだが、どうも現状はそうなっていないのが嘆かわしい。(以下toggeterまとめ)---ここに書かれていること自体はまったく正しい、正論であると私も思います。科学(というか科学技術)が現代文明の基礎であり、必要不可欠なものである、ということに異論のある人はいないでしょう。例えば医学は非常に重要なものだし、ワクチンの危険性を必要以上に煽るような考えには私も賛同しません。新型コロナのワクチンも、どうせ順番が回ってくるのはだいぶ先なので、その頃には効果の程も副反応も見極めがついているでしょうから、忌避する考えはありません。ただ、ここに書かれていること自体は正しいと思うのですが、一方で新型コロナウイルスや放射能の危険性を恐れる人に向かって、「コロナ脳」だの「放射脳」だのと言う言葉で攻撃するような輩の「振りかざす」科学は、眉に唾つけて聞いたほうが良いとも思っています。最大の理由は、ネット「科学こそすべての正義でござい」と振りかざしているような人が、本当に科学のプロ、あるいは科学について深い理解があるとは限らない、ということです。一知半解な「下手の横好き」な人がネット上で気に入らない相手を叩くためだけに科学を振りかざしている例が、結構あるのではないでしょうか。第二に、科学(理論)と現実の技術はイコールではないことです。例えば、数学において、1+1=2ですが、同じ性能のエンジン単発の飛行機より双発機の方が2倍のスピードが出たり2倍の荷物が搭載できるとは限りません。その程度ならまだ予測はたやすいでしょうが「複雑系」であればあるほど理論と現実の乖離は激しくなります。例えば天気予報、地震予知といったものがそうですし、医学も複雑系の最たるものであり、理論と現実には相当の乖離があります。また、その過程を再現できず、検算(検証)が極めて困難です。第三に、科学を「振りかざす」人ほど、世の中は科学だけでは動いていない事実を軽視しています。科学技術は現代文明の基礎と書きましたが、人間社会の基礎は必ずしも科学ではありません。例えば、美味しい食べ物と不味い食べ物を科学的に判定することは、非常に困難です。でも、美味しい不味いの差は、人間の人生において大きな問題です。糞尿を入れた食器をよく洗浄消毒してから食事に使っても、科学的には何の問題もないはずですが、それを見てしまったら、たいていの人は食欲をなくすでしょう。それを「非科学的だ」と笑うことができるでしょうか。人間は「感情の動物」です。感情によって行動が左右されることは多々あります。あまりに酷いと「感情的」で他人を振り回すことになりますが、かといって感情に一切左右されない人もいません。社会の様々な動きは、人の心理や感情に左右されることは決して少なくありません。もちろん、それにも許容限度があるのは言うまでもありませんが、科学より感情をすべてにおいて完全に優先させることなど、不可能です。それは、人間に神になれと言うのと同じことです。「ワクチン怖い」に対して「非科学的だ、迷信だ、怪しからん」と非難しても、「ああ、そのとおりだ、ワクチンが怖いと思うのはやめよう」とは、人は考えないものです。人間の感情を無視した「正論」をいくら振りかざしても、人はついてこないのです。それは、ついてこない人が悪いのではなく、感情を無視した「正論」が正論だと思っている人間が悪いのです。まあこれは、左派リベラル派の正論についてもいえることかもしれませんが。なーんてことを、このTogetterまとめを見て思ってしまいました。
2021.02.27
コメント(5)
※この記事は、おそらくガンダムファンから見ればごく初歩的、表面的な解説と論考(それもファーストガンダムだけ)であることを予めお断りしておきます。先日、ついつい出来心で(笑)こんなものを買ってしまいました。2年近く前に、「機動戦士ガンダム」について、ちょっとだけ記事を書いたことがあります。ただ、そのときは通り一遍のことを途中まで書いただけで終わってしまいました。前回の記事を書いた際は、安彦良和の「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」(マンガ版)」を読んで、忘れていたガンダム世界に、ひさしぶりに接したあとではありましたが、ファーストガンダムのアニメはかなり遠い記憶になっていた状態でした。その後、最近に、ファーストガンダムの劇場版3部作と、テレビシリーズの何本か(さすがに全43話は見ていません。最初の方の10話くらいと、その後つまみ食いで数話だけ)、それに安彦良和の「ジ・オリジン」のアニメ版を見て、「ああ、こんな内容だったっけ」(ジ・オリジンは、ストーリーを結構改変している)と、だいぶ思い出してきました。以前にも書きましたが、私にとっては、ガンダムとは「ファーストガンダム」だけです※。いや、それをリメイク(および前日譚)のジ・オリジンも含みますが、続編に当たるZガンダム他の作品群はほとんど見たことがありません。見たことがない以上は、作品の良し悪しについては何も言えません。ファンも多いだけに、「きっとすばらしい作品なんだろうと思う」としか言えません。※この記事は下書きのまましばらく放置してあったのですが、その間にファーストガンダム以外の作品として「機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争」を見てしまいました。これがまた素晴らしい作品でしたが、これはファーストガンダムの同じ世界、同じ時期に展開される別の登場人物による物語であり、続編ではありません。今回の記事では取り上げません。(素晴らしい作品なので、そのうちに取り上げるかも)ファーストガンダムがそんなに好きだったのに何故続編は見ないのか、それは後で書くことして、ではファーストガンダムの魅力とは何か、という話から。いや、その前に、多分当ブログの読者にはガンダムをよく知っている人はそんなに多くはなさそうなので、そもそもどういう物語かを簡単に説明しましょう。ガンダムの世界は、人類が増えすぎた人口を、宇宙に建設した「スペースコロニー」に移住させ、世界の人口の過半数が宇宙に暮らすようになって半世紀以上が過ぎた、「宇宙世紀0079」という時代の地球近辺が舞台です。月の裏側にある、地球からもっとも離れた宇宙都市「サイド3」が、「ジオン公国」を名乗り、「地球連邦」に対して独立戦争を挑んできます。緒戦は、秘密兵器である「モビルスーツ」(人型の機動兵器)を擁するジオン軍が圧倒し、巨大なスペースコロニー※を地球に落とす作戦で地球は人類史上最悪の犠牲者を出します。しかし、大勝したジオンも国力に劣るためあとが続かず、戦線は膠着状態となって8ヶ月が過ぎた、という場面から物語が始まります。※スペースコロニーは、ガンダムのオリジナルではなく、米国プリンストン大教授のジェラルド・オニールが提唱したもので、当時としては実現性があると考えられていました。今となっては、色々な意味で実現困難であることは明らかですが。遅ればせながら、劣勢の地球連邦軍は極秘裏にジオンのそれを遙かに上回る超高性能のモビルスーツ「ガンダム」を、スペースコロニー「サイド7」で開発し、それを登載するために地球から最新鋭戦艦「ホワイトベース」が派遣されます。しかし、追跡してきたジオンのエースパイロット「シャア・アズナブル」配下のモビルスーツ「ザク」に奇襲攻撃され、乗組員もパイロットもほとんど全滅。後に残ったのは、一握りの生き残りの乗組員(大半が負傷)と、「サイド7」の住人達だけ。それも、戦時下なので青壮年の男はほとんどおらず、女性と老人子どもばかりです。そんな住民の一人、15歳の少年アムロ・レイは、ミサイルに吹っ飛ばされた軍人が手にしていた「ガンダム」の操縦マニュアルを偶然拾い、それを見て、パイロットのいないガンダムに搭乗、攻撃する「ザク」2機を相手に勝利をおさめます。しかし、この戦いでスペースコロニーは激しく損傷し、また外側にはジオンのシャア・アズナブルの手勢が待ち構えている中、「ホワイトベース」は、一握りの負傷した軍人と、多少は武器や宇宙船が扱えそうな10代後半の少年少女たち、それに大勢の老人子どもの避難民を乗せてサイド7を脱出し、地球に逃げようとします。このあと、ホワイトベースは何とか地球に降り立つものの、ジオンの占領地である北米東部に降下してしまい、次々と襲ってくる敵から逃れつつ、地球周遊の旅、もとい逃避行で北米西海岸→日本(?)→中央アジア→オデッサ(ここで大作戦に参加)→ベルファスト→大西洋を越えてアマゾン流域にある地球連邦軍総本部の「ジャブロー」でホワイトベースの大修理、不正規兵だった主人公アムロ以下の少年兵たちが正規の軍人に任命されて、再び宇宙に飛び立ってジオンの敗北まで戦い続ける、という内容です。主人公アムロをはじめとする地球連邦(味方)側の主要な登場人物は、物語の冒頭では、ほとんどが軍人ではない少年少女たちです。それが否応なく戦争に巻き込まれ、生き延びるため、仕方なく武器を取った。戦う理由は、死にたくない、生き残りたいから。物語の前半から中盤にかけては、主人公アムロもその仲間たちも度々仲違いし、ガンダムへの搭乗を拒否したり、逆に「ガンダム」を持ち逃げして脱走すら企てます。(他の乗組員も逃亡を図ったことがある)マニュアルだけを頼りに、生まれて初めて「ガンダム」に乗ったアムロは、冒頭ではあまりに下手くそな操縦で、無駄弾を撃ちまくって、あっという間に弾薬を使い果たしてしまう。ジオンのザクに攻撃を受け、コクピットで、恐怖におののきます。ただし、物語の後半になるにしたがって、ホワイトベースの乗組員たちは次第に一致団結し、またアムロは人間的に成長するとともに、天才的なパイロットの才能を発揮するようになりますが。物語上「味方」は地球連邦であり、「敵」はジオン公国なのですが、地球連邦が善でジオン公国が悪かというと、そうではありません。地球連邦にも様々な悪があり、ジオン公国にも「地球連邦の圧政からの独立」という正義がある。どちらの勢力にも正義も悪も同居しており、また本作の準主役であるシャア・アズナブルは、敵方ながらあまりに格好良い描き方で、あまり格好良くない主人公であるアムロより人気があるくらいです。敵も味方も、故障と弾丸切れ、エネルギー切れと背中合わせで戦っており、補給が途絶えるとすぐに動けなくなります。補給部隊に魅力的なキャラクターを配して、補給の重要性を何度も強調します。これらの描写のすべてが、当時としては型破りであり、従来の「巨大ロボットアニメ」(仮面ライダーやウルトラマンなど実写の特撮作品も含めて)では見られなかったものです。従来の巨大ロボット(近年では「スーパーロボット」などと呼ばれる)は、よく言えば「勧善懲悪」で、理想に燃えた熱血ヒーローの主人公と、その仲間たちが一致団結して、悪の権化たる侵略者と戦う。殺し合いが怖いと思うこともなく、主役であるロボットは、補給なんてことを考える必要もなく、弾切れとか(敵に破壊される場合を除いて)故障は絶対に起こさない。また、敵側は毎週1回ずつ(笑)必ず新兵器を繰り出してくる、まあはっきり言って「子どもだまし」と言ってもよいようなものでした。しかし、長い目で見れば、「宇宙戦艦ヤマト」の大ヒット以来、それまでは小学生くらいまでが対象と考えられていたアニメが、中高生、あるいは20代以上ですらもターゲットになり始めてきた、という状況で、そのような子どもだましロボットアニメでは、いつまでも支持をつなぎ留められない、という業界的な判断はあったのだろうと思います。とは言っても、ロボットアニメとは、スポンサーである玩具メーカーがおもちゃを売るための広告塔であり、確実に売り上げが見込める従来路線を変えるのは、そう簡単なことではなかったと思います。それを、スポンサーの要求は全部取り入れたうえでやってしまった富野由悠季(当時は本名の富野喜幸でクレジットされている)は、やはりある種「突き抜けた人」であったのだと思います。実際には、ガンダムと言えども「子どもだまし」の部分は多々あります。細かいところを挙げればキリなくありますが、そもそも根本的に、人型ロボットなんてものが兵器として実用に耐えるはずがないのは言うまでもありません。人型にする理由、メリットがまったくなく、デメリットはたくさんあるからです。ただ、あえて言えば、「人型ロボット兵器(モビルスーツ)」という一つの嘘にリアリティを持たせるために、その他のあらゆる部分でリアリティにこだわった、のかもしれません。戦争は格好良いものではない、それは殺し合いであり、とても怖いものなんだ、ということも含めて、です。ガンダムを「反戦アニメだ」とは思いませんが、少なくとも戦争は恐ろしい、悲惨で不条理なもの、個人の自由を圧殺するものであるというメッセージが込められていることは確かです。恐ろしい戦争(殺し合い)に否応なく巻き込まれた主人公アムロ他の「ホワイトベース」乗組員たちの心の葛藤を想像すれば、それが使命感に燃える「熱血ヒーロー」よりも、「もう怖いのは嫌なんだよ」と言ってガンダムへの搭乗を拒否したり「サイド7を出てから、ぐっすり眠ったことなんかないのに、いざ寝ようとすると眠れない」と苛立ちをあらわにする人物像(戦闘ストレス症候群)の方が、明らかにリアリティがあります。もちろん、この作品はかなり重層的な構造になっており、連邦が単純に善、ジオンが単純に悪ではない、というのと同様に、戦争に対する見方も、単純に「戦争は怖い」だけではありません。モビルスーツが画面を縦横に駆け巡っている時点で、「格好いい」という側面もまた、ゼロではありません。というか、その側面を見せてスポンサーである玩具メーカーの利益に貢献しつつ、戦争の悲惨さも訴える、アムロの矛盾と葛藤は、そのまま富野監督の矛盾と葛藤かもしれません。葛藤と言えば、本作のヒロイン※であるセイラ・マスは葛藤の権化みたいな人物です。何しろ、実は父親は「ジオン公国」独立の指導者で、その父が後継者に謀殺されたために偽名で地球連邦に逃亡してきた、しかも生き別れの兄は、敵方ヒーローのシャア・アズナブルなのです。そのうえ、最初は通信士という役回りですが、物語中盤でパイロットになることを強いられ、最後には兄と戦場で対峙する事態に追い込まれます。おそらく、本作の登場人物で一番人気はセイラさんだと思います。ビジュアル的にも美人に描かれていますが、それだけではなく、本作品の中でも最大の葛藤に耐えている人物であることが人気の理由でしょう。※本作のヒロインは誰か、人によって意見は分かれるでしょう。ミライ・ヤシマ、フラウ・ボウ、セイラ・マス、そして敵方ジオン軍のパイロットであるララア・スン、この4人いずれも「ヒロイン」と呼んでおかしくはありませんが、私の独断と偏見と好みにより、ここはセイラさんがヒロインだ、ということにしておきます。こんな描写を、何でわざわざロボットアニメで、と言っても仕方がありません。富野監督に与えられた表現の場はロボットアニメしかなかったんだから。作りたいものではなく、作れるもの、作ることが許されたものの中で、様々な制約の枠内で自分のやりたい色を出す、別の言い方をすれば、手足を縛られた状態でやりたいことをやった力には、敬服するばかりです。さて、こんなに熱く語れるくらい、ファーストガンダムは大好きなのに、続編は見ないのはなぜか。理由はいくつかあります。続編である「Zガンダム」は、本放送当時最初の3話か4話まで見たのですが、そこで見なくなりました。ストーリーがさっぱり分からなかったからです。ファーストガンダムは、重層的な設定、人物像ですが、ストーリー自体は、そこまで複雑ではありません。味方(連邦)は善、敵(ジオン)は悪ではないけれど、少なくとも誰が味方で誰が敵かはよく分かります。ところが、Zガンダムになると、ストーリーが複雑で、誰が敵で誰が味方なのか、当時の私にはよくわからなかった。そして、その頃、私は宮崎アニメに夢中で(今も宮崎アニメは大好きですが)、宮崎・高畑作品以外のアニメに対する興味がかなり低下していた時期でもあったので、アニメ雑誌で周辺情報を調べてストーリーを追いかけてまで見続けたい、とは思わなかったのです。それから何十年も経って、今ではZガンダム、その続編ガンダムZZや逆襲のシャアの設定やストーリーは、おおよそのところは知っています。が、相変わらず、あまり続編を見たいとは思いません。見ればきっと面白いんだろうとは思うのですが、見る気力が沸かない。富野作品には、主要登場人物の大半、あるいは全員が無残な死を迎える、かなり悲惨な結末の作品が数多くあります。ガンダムの前の前の作品である「無敵超人ザンボット3」、ガンダムの次の作品である「伝説巨神イデオン」、更にその次の次に当たる「聖戦士ダンバイン」などはそんな作品で、そのため、「皆殺しの富野」なんてことも言われます。そんな中で、ファースト・ガンダムは、主要登場人物はだいたい生き残る。しかし、ではハッピーエンドと言えるかというと、そうとも言えません。凄惨な戦いの末、敵も味方も壊滅的な犠牲を出し、主役メカ「ガンダム」も、主人公たちにとっての「家」にも等しかった戦艦「ホワイトベース」も破壊され、身も心も消耗しつくした末に、かろうじて中心メンバーの命だけは助かった、という結末です。そもそも、冒頭に書いたように、人類史上最悪の犠牲者を出したという設定の大戦争です。巨大な悲劇の中の、小さな小さなハッピーエンド、といった終わり方なのです。ならばせめて、戦争が終わった後くらい、かろうじて生き残ったホワイトベースの乗組員たちはそれ以上は命の危険にさらされない、平穏な人生であってほしいと、どうも私はそう感情移入してしまうのです。それなのに、7年後に始まるZガンダムや、更にそのあとの続編では、またまた血みどろの戦いが続き、あの悲惨な戦いをかろうじて生き延びたファーストガンダムの登場人物の何人か(というか、大半が)、続編の中で戦死したり、自分が死ぬよりもっとつらい運命に晒されたりする、そういう続編だということを知ってしまっています。ファーストガンダムには出てこない人物ですが、Zガンダムの主人公カミーユが、最終回、最後に精神疾患を発症して終わる(アニメ史上において、主人公が精神疾患になって戦闘不能になりました、という結末は、空前にして絶後ではないかと。しかし、これもまた、実際の戦場では稀な話ではありません)。それを見るのは、あまりに気が滅入ることが容易に想像できるのです。そして、もう一つは、セイラさんが続編にはほとんど(端役としてしか)出てこない、というのも理由の一つかな(笑)。余談ですが、「ガンダム」でリアリティがないと思う大きな部分は、「モビルスーツ」以外にもう一つありました。それは登場人物の年齢設定。アムロとフラウ・ボウの15歳は、まあ良いとして、ブライト艦長19歳とか、ミライ・ヤシマ18歳、セイラ・マス17歳、敵方シャア・アズナブル少佐(のち大佐!)19歳とか、ジオン公国の独裁者ザビ一族のキシリア・ザビ24歳とか、絶対にあり得んだろうと思います。セイラさん女子高生の年齢ですよ。というか、うちの娘と同い年の設定だ(爆)うちの娘も17歳当時の私よりは精神年齢は高いけど、それでもあんな言動は17歳ではできっこないのは、本物の17歳を見てりゃ分かる。医学生にして兄思い、「おだてのセイラさん」、にして戦闘機パイロット、その素性は17歳って、いくら何でもそりゃ無理にもほどがある。ブライトとシャアの19歳もそうです。19歳で少佐って、ジオン軍の昇任制度はどうなってるの(爆)
2021.02.21
コメント(2)
来年の出生数80万人割れか、コロナで産み控え…民間試算2021年の出生数について、複数の民間調査研究機関が80万人を割り込むとの試算を公表した。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う将来不安などから、産み控えの動きが広がっているためだ。政府内でも80万人割れの可能性を指摘する声が出ており、コロナ禍で少子化が加速する懸念が強まっている。試算通りとなった場合、出生数が19年に90万人を下回って約86万5000人になってから、わずか2年で80万人を割り込むことになる。日本の出生数のピークは第1次ベビーブームの頃で、1949年の約270万人に比べると3分の1以下の水準だ。厚生労働省によると、全国の自治体が今年1~10月に妊婦らから受理した妊娠届の件数は前年同期より5.1%減少した。第一生命経済研究所は妊娠届の減少が続く場合、2021年の出生数が77万6000人まで落ち込むとの試算をまとめた。同様の試算を実施した日本総合研究所の推計では、79万2000人となる。---妊娠届をいつのタイミングで出すかは人によるので(中には出さずに出産、あるいは出産直前にい出す人もいますが、望まない妊娠とか、精神的あるいは知的に問題を抱えているなどの困った事例である場合が多いです)、妊娠届の増減から来年の出生数が完全に予測できるわけではありません。今年はコロナの問題から、役所への必要な届け出も遅れ気味の傾向があることは割り引いて考えるべきでしょう。しかし、それを割り引いてもなお、妊娠届の減少は来年上半期についてのある程度の指標ににはなるでしょう。そして、下半期に入れば(つまり今年10月以降の妊娠届分)出生が急回復すると考える材料は何もありません。各調査機関の推計する来年の出生数は、細部はともかく大まかな傾向としては「おそらくそうなるだろう」としか言いようがありません。昔々、ニューヨーク大停電が起きてから10か月後に出生数が急増した、という故事があることから、コロナ禍で出生数が増えるんじゃないか、みたいな予想を立てる人もいましたが、現実はそんなことになるわけがない、ということです。細部はともかくとして、大筋としてはこのコロナ禍が日本の少子化を更に推し進めることになるのは間違いありません。そして、それを食い止めるための有効な手段はなかなかありません。そんなさなかに・・・・・。自民、選択的夫婦別姓削除し了承 男女参画計画、18日にも閣議決定自民党は15日、内閣第1部会と女性活躍推進特別委員会の合同会議を党本部で開き、政府の第5次男女共同参画基本計画案を了承した。当初案に入っていた「選択的夫婦別氏(姓)」の文言は削除され、「夫婦の氏に関する具体的な制度の在り方に関し、さらなる検討を進める」との表現で決着した。与党の党内手続きを経て、政府は18日にも閣議決定する。(以下略)---第5次男女共同参画基本計画案の当初案が選択的夫婦別姓制の導入に前向きであることに自民党内極右派が猛反発し、事実上選択的夫婦別姓制は棚上げです。今年初め、衆院本会議での代表質問中、国民民主党玉木代表が選択的夫婦別姓制の導入を求めたのに対して、杉田水脈が「だったら結婚しなくていい」とヤジを飛ばして騒動になったことがあります。これが自民党極右派の本音なんでしょうね。自分たちの理想とする価値観を他者にも強要した挙句、従いたくなければ結婚するな、と。それによって結婚数が減少→少子化がさらに進行、という事態については、関心の外なのでしょうね。もちろん、選択的夫婦別姓制の導入が少子化に及ぼす影響は微々たるものでしょう。しかし、少子化を止める簡単で効果的な策なんて、どこにもありません(あれば、とっくに行われている)。であれば、一つ一つの効果は小さくても、それらを積み重ねていくしかありません。早稲田大学が60歳未満の成人を対象に行った世論調査によると、「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦は同姓でも別姓でも構わない」が35.9%で「自分は夫婦別姓が選べるとよい。同」も34.7%、「自分は夫婦同姓がよい。他の夫婦も同姓であるべきだ」(つまり選択的夫婦別姓制に反対)は、14.4%とのことです。これから新たに結婚する可能性が極めて低い60代以上を除いた調査では、選択的夫婦別姓制への賛成が7割以上で、かつ自分の夫婦別姓にしたい人が約35%もいます。更に、別姓を選べず、結婚を諦めたり事実婚にしたりした経験を尋ねたところ、全体では1.3%、20代男性は2.4%、とあります。日本では事実婚への敷居は極めて高く、特に子どもを作っても事実婚を続けることには様々な不利益があるので、この人たちの大半は事実婚ではなく結婚をあきらめる選択をしたのでしょう。1.3%、いや、これから子どもを作る人の割合が高い20代に限れば2%以上(20代女性の割合は分かりませんが)です。年間出生数を80万人とすれば、1万数千人相当、もちろん微々たるものではあります。だけど、法律を変えるだけで済む、余計な出費がほとんどかからない選択的夫婦別姓制の導入だけで1万数千人の出生増が見込めるのです。これほどの直接的効果が見込める少子化対策が他にあるのかと私は言いたい。自民党極右派、ネトウヨ層は、伝統墨守で国滅ぶ、それでよし、というわけです。このままいけばそうなるでしょうね。コロナ禍は、その流れを多少促進する効果はあるでしょうが、本質的にはコロナ禍がなくても、さほど異なる結果とはならないでしょう。私もきっと65歳じゃもう年金はもらえないんだろうなあ。
2020.12.26
コメント(2)
眞子さまに婚姻の自由ない? 伊吹氏の見解、憲法学者は否定「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」自民党の伊吹文明元衆院議長が、小室圭さんに“異例の苦言”を呈したことが物議を醸している。秋篠宮さまは誕生日に際しての会見で、眞子さまと小室さんの結婚について「認める」と発言された。その理由について秋篠宮さまは「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」と、眞子さまのご結婚についても、憲法に明記された婚姻の自由を尊重すべきとのお考えを語られていた。しかし伊吹氏は「国民の要件を定めている法律からすると、皇族方は、人間であられて、そして、大和民族・日本民族の1人であられて、さらに、日本国と日本国民の統合の象徴というお立場であるが、法律的には日本国民ではあられない」と説明。さらに「眞子さまと小室圭さんの結婚等について、結婚は両性の合意であるとか、幸福の追求は基本的な権利であるとかいうことをマスコミがいろいろ書いているが、法的にはちょっと違う」と指摘したという。~『憲法と天皇制』(岩波書店)などの著作がある横田耕一・九州大学名誉教授は~「たしかに、憲法学会には皇族に憲法は適用されないという考え方もあります。ただし、その考え方に基づく場合も、皇族の人権が制約を受けるとすれば、その根拠は皇室典範のなかにないといけません。たとえば男性しか天皇になれないという制約は、憲法に違反するかどうかは別として、皇室典範に記された法的根拠のある制約です。しかし、皇族の結婚を制約する根拠は皇室典範の中にありません。仮に皇族には憲法が適用されないという立場から考えても、法的に眞子さまが制約を受けるということはありません」---眞子さんの結婚問題というのが、結構騒動になっているようです。正直言って、それ自体については私は興味も関心もありません。個人的には、自分の子どもが小室さん(のような人物)と結婚したいと言ったら、多分止めると思います。先のことは分かりませんが、現時点で経済的に自立した生活が送れる能力があるのかどうか、疑わしいところが多々ありそうですから。多分、5年後か10年後、不幸な結果になっている可能性は高いんじゃないか、という気がします。でも、説得しても何してもどうしても結婚すると言われちゃったら、もうどうしようもないじゃないですか。おそらく秋篠宮も、相当説得したんだろうと思いますよ。それでも翻意しないんだから、しょうがないじゃない。なるようになるしかない。まさか、座敷牢に入れて結婚を禁止するんですか?そんなことはできないに決まっているのです。結婚したら、相手が覚醒して真人間になるかもしれないし、そうではなく夢から覚めて離婚、ということになったとしても(そっちの可能性の方が高いとは思いますが)、まだ若いんだからいくらでもやり直しがきく。一度結婚に失敗したら人生終わり、ではありませんから。やってみて、失敗してみるのも人生というもの。というわけで、私は別にこの二人の結婚を特別に祝福する気はないのですが、そこまで結婚したくて、しかも親も(渋々、ではあるけれど)それを認めると言っているんだから、それを第三者が良いの悪いのと言っても始まらないだろう、と思うのです。結婚に際して、あんな奴との結婚のために巨額の持参金(一時金)が国費から出されるのは許せない、ですか?それは、私も半分だけ同意します。「あんな奴」ではなくとも誰との結婚であれ、皇族の結婚のために億の単位のお金を使うのはどうかと思うからです。相手を見て、こんな人なら持参金を認めるがこんな人なら認めない、というのはおかしな言い分です。法律というのは、相手の人柄によって適用したりしなかったりするものではないからです。相手が小室氏だろうが黒田氏だろうが、対応は同じでなければなりません。小室氏だからではなく、相手がいかなる人格高潔で能力の高い人物であろうが、皇族の結婚に際して世間一般の常識からかけ離れた持参金を、皇族の私費ではなく国庫から支出するのはおかしい、ということに尽きます。ありていに言って、二人の結婚について、私もあまり好意的ではありません。不幸な結果に終わるだろう、という予感は、ネットで騒いでいる人たちと、多分あまり変わらないでしょう。が、所詮は会ったこともない他人同士の話です。どうしてもそうしたいというなら、好きにすりゃいいじゃないとしか言いようがない。それを自分や自分の家族のことのように、大声で賛成したり反対するような話ではありません。ところが、ネット上では二人の結婚問題に怒り狂っている意見があふれかえっているのです。いやいや、なんでそこまで他人同士の結婚に賛成の反対のと言えるのか。いったいどこまでおせっかいな人たちだよ、と思ってしまうのです。この辺りは、何回か取り上げた選択的夫婦別姓制への反対派に対する感想と軌を一にします。「選択的」夫婦別姓であって、別姓を希望しない人たちに別姓を強いる制度じゃないのに、なんでそれを妨害する、どうして別姓を希望する夫婦に対してそこまでおせっかいになれるのか、と思うのですが、それと同じことです。きっと、こういう人たちは、逆に自分たちの意に沿う結婚だったら、逆に「国民を挙げて祝福すべきだ」(祝福しない奴は反日だ)などと言い出すんだろうなあ。というわけで、二人の結婚問題については、私はさして興味もないのですが、それに対するネット民の反応の方に、強い興味を抱いてしまうのです。これも、ネット上だけの動きという気はしますけどね。ネット以外で、この「問題」についてそんなに強い関心を抱いている人なんて、見たことがないですから。なお、引用記事の伊吹の言い分に関してですが、「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがある」という話と、皇族が「日本国民かどうか」はあまり関係がない、と私は思います。そもそも皇室に憲法が適用されない、というのも、果たしてどうでしょうか。憲法第11条に「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」とありますが、国民でなければ基本的人権を剥奪してよいわけではありません。第18条に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。」とありますが、日本国民でなければ奴隷にしてもよい、というわけでもありません。第30条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」とありますが、日本国民でなければ税金を払わなくてもよいわけでもありません。(ただし、皇族は「法律の定めるところにより」税金は免除されています)つまり、「日本国民でないから、憲法に定められた権利を与えなくてよい(あるいは義務を課さなくてよい)」ということにはならない、ということです。そのうえで、引用記事が指摘するように、皇室典範という法的根拠なしに皇族の結婚を制限する権限など誰にもない、としか言いようがないでしょう。
2020.12.06
コメント(2)
1か月くらい前になりますが、オレオレ詐欺(系統)の電話がかかってきたことがあります。人生で初めての詐欺体験。地元の××警察生活安全課を名乗る女性。警察で元銀行員の2名を詐欺で逮捕したところ、実際のわたしの住所を挙げて、その住所で登録されているカードを所持しているのを発見した、と。(あとで冷静に考えると、カードに住所なんて書いていないから、ここすでに変なのですが)「誰の名義になっていますか」「それは捜査上申し上げられないのですが、ご家族の下のお名前をお伝えいただければ、それに該当するかどうかはお答えできます」あやうく、家族の名前が出そうになったけど、そこで、散々仕事で警察とやり取りした経験から鉄則その1「警察(公的機関全般)を名乗った電話にも、絶対その場で答えるな、折り返せ」を思い出しました。「ちょっと待ってください、折り返しますから電話番号を教えてください」(我が家の固定電話にはナンバーディスプレイを入れていません)その瞬間、というか「折り返しますから」を言ったあたりで唐突に電話が切れたのです。ああ、詐欺だったかとその時気が付きました。仕事では警察とやりとりすることがある部署にいましたが、そんな私でも、自宅で警察から電話が来たことはほとんどないので、警察を名乗られると電話しながら冷静な判断がどうしてもできなくなります。あとから冷静に考えれば、怪しいところ、ツッコミどころ満載の話にもかかわらず、やりとりしている間は、呪縛にかかったように、「詐欺じゃないか」「怪しいぞ」とは思いませんでした。そういう詐欺電話は男がかけてくる、という思い込みもあったかもしれません。ともかく相手のペースにはまってしまい、そんなことを考える余裕がなかった、というのが正直なところです。「折り返しますから」と言ったのも、「怪しい」と思ったからではなく、ただ単に、「絶対その場では答えない、折り返す」が職業的に身についていただけなのです。切れた瞬間に初めて、「あっ」と、呪縛が解け全部気がつきました。危ない危ない。ただ、ちょっと不安なのは「押収した」と称するカードが実際に私の持っている金融機関(2か所)と一致したのです。手元にカードの現物はあって、盗まれていないことは確認したし、自宅近隣にはその二つの金融機関(郵便局と大手都市銀)しかないので、あてずっぽに言っても当たるレベルではありますが、まさか個人情報を握られてやしないかと、気にならないことはありません。ものすごく後味の悪い出来事でした。もっとも、この話の流れからいったいどうやって金を払わせる話につなげるのかは、私には分かりませんが(そこも、振り込め詐欺を疑わなかった理由の一つかもしれません)相手はその道のプロ(?)ですから、話巧みにそういう方向につながるのでしょう。なお、その後警察に電話したら、我が家近辺で相当集中的に類似の詐欺電話をかけまくったらしく、かなりの数の相談電話がかかってきていると言っていました。その中で実際に被害に遭った人がいるかどうかは分かりませんが、ともかくそれなりに知識と判断力がある、と思っている人間でも、相手の仕掛ける心理的陥穽にはまってしまうと、「詐欺」と見抜けなくなるのだな、ということを身を持って体験しました。怖いものです。そしてもう一つ、我が家の固定電話にナンバーディスプレイを入れていないことも、引っかかりそうになった一因かな?ナンバーディスプレイ入れるべきかな、とも思ったのですが、さらに調べると、最近は発信番号を偽装して電話をしてくる詐欺犯もいるとのことです。それを知ると、ナンバーディスプレイを入れるべきかどうか考えてしまいます。下手に発信者番号がXXXX-0110などと表示されたら、「その場で答えず折り返す」という鉄則をないがしろにしそうです。
2020.12.03
コメント(3)
全402件 (402件中 1-50件目)