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トークも目線もほどほどに磨きがかかってかなり自信を持ち始めた頃、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまった。いや違う、引き起こしてしまった・・・自分に自信が付いてきたもんだから、かなりの勢いで飛び込み営業をしてたが、手ごわくて追い返されてしまうお客さんが無くなることはなかった。ただ、こっちも最高のトークと最高の笑顔で懸命に趣旨を説明しているにも関わらず、邪険にされてしまうと「ムッ」としてしまうこともあった。ある日、いつもどおりに気合を入れて飛び込んだ。だが、全く取り合ってもらえなかった。そのときすごくムカついて顔に出てしまったのだろう。おっさんがいきなりツカツカと歩いてきて、俺のむなぐらを掴んで怒鳴り散らしてきた。客「こらぁ、何、人の会社に勝手に入ってきてナメた顔してるんじゃ」俺「いえ、別に」客「その態度が気に食わんっちゅうとるんじゃぁ」と言って俺のむなぐらを掴む俺「やめてください」といってにらみながら手を払いのける客「なんじゃい、ワレェ~」と言って、またむなぐらをつかむ俺、カチンときて「やめてください」と手を払いのけながら、「ちょっと表出て話しましょか」と言う客「なんやとぉ~、こらぁ、表出て話しましょうやとぉ、俺がこの暑い中、なんで長袖着てると思ってんのじゃぁ」と言いながら袖まくりすると見事なモンモンが・・・俺、絶句「・・・」客「表出たろうやないけ、コラァ」と歩き出す俺、黙ってその後をついていく「・・・」表に出てからも散々怒鳴り散らされ、名刺を巻き上げられた。俺とじゃ話にならないと思ったのか、しばらくして解放された。俺はすぐに公衆電話に走った。事の状況を会社に報告するためだ。公衆電話を見つけ会社に電話をかけたのが3分後くらいだろうか、電話口に出た先輩が「何やったの、すんごいクレームの電話がかかってきて、社長と話してるで」って・・・「あちゃ~、遅かったか、ええわ、帰ってから誤ろう!」頭を切り替えて、また飛び込み営業を開始した。
2004.12.29
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あと、営業をやっていて「あっ、これだぁ~」って思ったのがやっぱり目線だ。「営業をやるにあたって大切なことは?」って聞かれたら、間違いなく「目線」を上げると思う。もちろん、話すこととか知識とかも大切だけど。。前回も書いたように、飛び込んでからの「トーク」にはかなりこだわった。自分が話していてしっくりこない喋りを、お客さんが聞いて納得できるわけない。第一声にもこだわったし、カバンをどのセリフをしゃべりながらどういうタイミングで置くかってことにもこだわったし、ファイルの持ち方から出し方まで、すべてこだわった。一連の行動パターンが身に付いてきたにも関わらず、お客さんの反応を見ると、どうもイマイチというときがあった。何に対してイマイチだったかというと、やはり『不信感』だった。いくらうまくしゃべれるようになっても、いくらスマートに立居振舞うことが出来ても、どうしても不信感が取れないお客さんがいた。あるときに「なんでだろう・・・」って深く深く考えた。突き詰めていくと、また自分の『自信』にたどり着いた。『あぁ、やっぱ自信かぁ』って。自信が持ててるときはウマくいって、自信が持ててないときはウマくいかない・・・。ウマくいかないお客さんは減りつつはあったけど、まだなんか煮え切らないところがあった。じゃぁ、俺が飛び込んで、自信が持てないお客さんってどんなお客さんなんだろう?って分析してみた。(1)ちょっと怖そうなおじさん(2)無表情な人(3)無反応な人こういう人たちを前にするとアセる自分がいた。ひとつずつ克服するしかないので、自分なりの方法を見つけていった。まず、「ちょっと怖そうなおじさん」は、こんな風に考えてみた。「もし、このおじさんと街ですれ違いざま、肩がぶつかって文句を言われたら、俺はビビるか?」答えは「ビビらない!」だった。なら、飛び込み営業でもビビる必要なんてないじゃんって思えた。すごく単純。。。(2)と(3)の無表情、無反応な人の攻略法は今日のテーマの「目線」が大事だ。飛び込んだ瞬間に相手は必ずこちらを見る。その瞬間に相手の目をロックオンする。最初の数秒間は絶対に目をそらさない。相手の目を見ながら、微笑顔で話しかける。自分に自信が持てない人は、相手の目を見つめることってなかなかできない。逆に自分に自信のある人は、とにかく目に力がある。見詰め合ったときに、どちらの自信が上回るかっていう勝負どころみたいなのがあって、そこをまず勝ち取らないといけない。その勝負どころがわかれば、どんなお客さんでも不信感を取り除くことができる。「目線」をマスターしてから俺は飛び込み営業では無敵になった。
2004.12.28
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「実績がなくとも自信があるように振舞う」ことを研究し始めた。俺も若かったから「自信=強気」ってイメージがまず浮かんできた。考えていても客の反応はわからないので、早速、試してみることにした。俺「こんにちは~、OA機器の販売店をしてます○○ですけど、社長さんいらっしゃいますか?」客「セールスはいいよ、うち間に合ってるから・・・」(ここで強気に)俺「いいよって何がですか?」客「・・・」俺「今日はご挨拶回りにきたんですよ」客「でも、いいよ」俺「いえいえ、挨拶だけなんで」客「ごめん、社長もいないし、忙しいから、ごめんね」俺「わかりました、また顔出します」終了・・・来る日も来る日も、言い回しを研究した。「このフレーズだと、お客さんがイラついてしまうから、もうちょっと短くしなきゃな」とか、「ここは自分で何を言ってるのかわかんなくなるから、もっと簡単な言い回しにしよう」とか、考えては試してみて、で、また訂正してって感じで、繰り返し練り上げていった。まさに「プラン、ドゥ、チェック」サイクルだった。寝ても覚めても営業トークのことしか考えないって日が半年は続いた。あと、オヤジ言葉の研究も取り入れた。オヤジ言葉って何かというと、まさしくオヤジが使う言葉なんだけど、俺は20代前半の若造だったから、見た目も中身もやっぱ軽いというか経験が浅い。そんな俺をちょっとキャリアのある人が見ると、やっぱり見透かされているような気がしたから、そこをなんとかしたかった。まずは形からだと思ったが、さすがにオヤジのヘアスタイルやオヤジのスーツを着るのは抵抗があったから、言葉遣いを変えようと思ったのがきっかけだ。電車の移動中はオヤジの会話を聞き取るために、徹底してオヤジ二人組みの近くにいたし、ふとしたときにオヤジやオババに話しかけたりして、年配の人たちがどんな話し方をするのか、どんな話題が好きなのかをコツコツ研究し、自分でも使いこなせるように努力していった。オヤジ言葉を使うときに、抵抗が全くなかったかというとウソになるけど、いざやってみると、思いのほか反応が良かった。何度か繰り返しやってるうちに、そこそこ身にも付いてきて、「しっかりしてるねぇ~」って言ってもらえるようにもなってきた。この方法は以外にも反応良かったし、自分自身もやっていて楽しかった。もうひとつ、「自信」には絶対に外せないことがある。そう、それは「目線」!「目線」については明日書くことにしよう。
2004.12.27
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今日も路上に行ってきた。いろんな人との出会いが、すごく楽しい。みんなで幸せな気持ちになれることがいちばん幸せ。
2004.12.26
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今日は路上の日だ!いい天気だし最高!感謝、感謝!
2004.12.25
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飛び込み営業の最大の敵は、やはり不信感だ。ターゲットは20人以下の会社である零細企業だが、スーツを着た営業マンがいきなりドアをノックして入ってくるんだから、その風貌を見ただけで「あっ、セールスマンが来た。警戒しなけりゃ、何か売り込まれてしまう・・・」って条件反射的に思う人がほとんどなのだ。最初は覚えたセリフをただ淡々と読んでいただけだったが、これじゃどうもうまくいかない。しかも、ノックしてドアを開けた瞬間に、露骨に嫌な顔をされてしまうので、何も悪いことをしていないのに、罪悪感すら感じてしまう。罪悪感を感じてしまうと、気が引けてしまい笑顔が出せない。すると、ますますお客さんの目が不審者を見るような目になって、アプローチトークは支離滅裂、嫌な汗をかいて客先を2~3分で引き上げるということになってしまう。何十件か何百件か、繰り返していくとだんだん断られるのも慣れてくる。更に飛び込みを続けていくと、あるひとつの違和感に気が付いた。それは、俺は「いつもの俺じゃない」ってことだ。いつもの俺は人見知りをせず、初対面の人とでもすぐに溶け込むことができるし、相手もイヤイヤじゃなく、楽しそうに話してくれる。なのに飛び込み営業では、「なぜこんなに不信感をもたれてしまうんだろう?」って疑問が浮かんできた。それと、もうひとつ、普段の俺は人と話すときに物怖じしないのに、飛び込みをしているときはなぜかビビッてしまっていた。なぜなんだろう?それを検証すべく、営業中にプライベートモードに切り替えてトライしてみた。「そうだっ、道を尋ねよう!」と思いつき、手当たり次第飛び込んで、駅までの道を尋ねてみた。するとどうだろう、全然ビビらない。ビビると言うよりむしろ横柄になれた。相手が怖そうなオッサンであっても、強気で道を尋ねることができる。なのになぜ、飛び込み営業はビビッてしまうのか・・・なんとなくわかったような気がした。いくつかの視点から自分なりにこんな風に解釈ができた。まずは、会社の看板を背負っているので思い切ったことが出来ないと無意識に感じている。あと、道を尋ねたとき、もしその人が親切じゃなくても、聞いた側が気に病む必要がない。たとえば、「自分の聞き方が悪かったから、あの人の機嫌がわるくなったのかな・・・」とならずに、「無愛想な人だなぁ」くらいにしか思わない。この2点から導きだした答えは『自信』だった。「じゃぁ、自信を持とう。いや、持てないかもしれない。なぜなら実績がないから。だとしたら、自信を持ってるように振舞おう。そうすりゃ実績なんてもんはあろうがなかろうが関係ない。よしっ、自信のある人はどんな風に振舞うのかを研究しよう!」こうして、「自信のある人の振る舞い研究」が始まったのだ。
2004.12.24
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その後、順調に売上を伸ばしていった。やはり、話を聞いてもらうためには俺自身に興味を持ってもらわなければならない。興味をもってもらうためのコツを掴んだので話しておきたい。
2004.12.23
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大阪の南森町という街を飛込みすることになった。1丁目1番1号からシラミツブシに飛び込んでいく。一人では不慣れなところもあったが、徐々に自分のペースみたいなものは掴めて来た。「こんにちは~、電話機の無料メンテナンスをしてます。主装置っていう箱があると思うんですけど、どこですか~?」こんなアプローチだったと思う。飛び込み営業は、プラス思考の営業マンとマイナス思考の営業マンで、成績に雲泥の差が付く。例えば、1日に7~80件飛び込むとしても、こちらの話に耳を傾けてくれる人は普通の営業レベルなら1割程度だ。残りの9割はほぼ邪険に扱われる。ひどいところなんかは名刺を破ったり、突き飛ばしたりもあったくらいだ。そんな経験をしたあと「どう考え、どう行動に出るか」がターニングポイントになる。例えば、伸びないヤツだとこうだ。「あぁ、かなりキツク断られちゃったなぁ。どうせこのビルも同じなんだろうな~、もうちょっと感じの良さそうなビルを探してみよう・・・」ってことになる。こうなってしまうと歩くことが仕事になってしまいかねない。できる営業マンだとこう考えるだろう。「あぁ、かなりきつく断られちゃったなぁ。まぁ、あれくらいプッシュしたんだから当然か。今度訪問するときは、何も売り込まないで関係の修復に努めよう。よし、次は順番からするとこのビルかぁ、次はいいお客さんだろうな!」ってな感じになる。同じお客さん先に飛び込んで、同じようにきつく断られたとしても、その本人の受け止め方次第で、次の一歩が全然違ってくる。世間では営業職に対する印象みたいなものがあるけれど、「厳しいよ、なかなか話なんて聞いてもらえないからね」と言う人と、「楽しいよ、いいお客さんに出会えた時の喜びは格別だからね」と言う人の両方が存在するはずだ。他人のアドバイスがいかにその人の主観によるものかってことがはじめてわかった。俺は幸い、超が付くほどのプラス思考だ。地域密着で営業活動をしていると「どうせ会社なんて入ってないんだろうな」って思う微妙なビルもある。でも、逆にそういうビルの方が受注率は高くなるんだよね。そう、理由は誰も飛び込んでいないから。OA機器の買い替えを勧められた機会がなかったわけだから、使用中のOA機器が新しいという可能性は低い。それともうひとつは、その会社は営業マンとの接触が少ないから、門前払いなどしないで、話を聞いてくれる可能性が非常に高い。OAの営業マンが飛び込みやすい会社って、少し古いビルで事務所が狭そうなところだ。華やかな会社だと、「どうせ、最新の機器を入れてるだろうな」って思って、ちょっと気が引けてしまう。ナンパと一緒だ。美人には「どうせ、彼氏がいるんだろうな」って思って、なかなか声を掛ける人はいない。そんなこんなで、とにかく俺は1件1件をシラミツブシに営業していった。そして1ヶ月が終わったときに、15件くらいの契約が取れていた。15件っていったら、会社で2位の成績だった。入社4ヶ月目にしていきなり期待の大新人になってしまった。
2004.12.22
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次長の同行で飛び込み営業をすることになった。ワクワクドキドキしながら朝を迎えた。入社してまだ2週間目だが、人間観察を得意とする俺は、10人ほどいる営業部の人たちの性格や特徴などをある程度は掴んでいた。当時、24歳の取締役営業部長、俺が教わることになった23歳の次長、31歳の課長、23歳の係長、23歳の主任、25歳の主任、殴って辞めてやろうと思わせた21歳の主任、その他一般社員数名、こんな構成だった。ちなみに社長は29歳だった。それと、経理に社長の奥さん、事務員2人、管理業務に男3人だったかな。ベンチャー企業って言葉が出始めた頃だったのだろうか、もともと大手に勤めていた社長と部長が独立して創った会社だった。社長も部長も営業上がりだったから、立ち上げを失敗することはありえなかった。俺が教わることになった次長もかなりのやり手営業マンだった。営業会社だからか、部長のゲキがとにかく激しかった。部長も23歳のくせして、どう見ても40代にしか見えないくらいの貫禄で、しかもヤクザ風。『オーダー取ってこんかい、わりゃ~、あほんだらぁ」ってのが日常茶飯事で、主任の人とかは結果を持って帰ることが出来なったら、かなりの勢いで血祭りにあげられていた。俺は、「厳しい世界だな」と思ったけど、自分がそんな風に言われることはイメージしなかった。実際、次長と回り始めて初日、何件か飛び込みの方法を見せてもらった。いざ、自分がやることになったら緊張してうまくしゃべれない。っていうか、話すことすらわからない。まぁ、教わっていないんだから当然かと思ってたら、次長が「何やってんじゃ、こらぁ、ちゃんとしゃべらんかい!」ってな感じで言ってくる。俺は「はぁ?教えてもらった後で、言われるならわかるけど、教えてもらってもいないのに、そのキレ方はおかしいでしょ」って思った。だから、次長にかなりのガンをたれていた。言い返しても仕方ないから、いつもガンたれながら、それでも、言われてることを吸収しようと思って、「はい」っとだけ言っていた。そうして、次長のキレアドバイスを少しずつ吸収していった。営業から会社に戻ると、また理不尽なことでキレられた。「こらぁ、お前、トークの練習せんかいっ!」翌日の準備なんかをしてようもんなら、ところかまわずキレられる。ここで、また俺も内心キレる。「会社に戻ったら、まずトークの練習をしてから、翌日の準備をするように」って先に教えとけや!俺の地元はそれなりに悪かったから、スゴまれたり、キレられたりするのは全然平気だったが、理不尽ってのがムカついた。だから、こんな風に言ってやった。「次長、明日から毎日、トーク練習お願いします!」って。俺の場合、毎日って言ったらほんまに毎日や。しかも、会社に戻るやいなや、次長にタバコも吸う暇を与えずに「トーク練習お願いします!」って。ここでもし次長が「ちょっと、待てや、タバコぐらい・・・」なんて言おうもんなら、俺の勝ちでしょ。そんな感じで徹底的に3ヶ月間くらい、毎日続けてロープレをやった。でも、俺もトークがヘタクソだったから、クロージングまでいけずに途中で止められてしまう。そうすると、それがまたムカつくから、意地になって「今度こそ料金の提示をクリアするぞ」とか、「クロージングまでいってやる」って闘志が湧いてきた。同行営業の3ヶ月目は、月に7~8件のオーダーを取れるまでになったので、いよいよ翌月から一人で回ることになった。そこで、トンでもないことが起きてしまった。
2004.12.21
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さぁ、いよいよ就職することになった。学歴もない俺に何が出来るんだろう。ずっとバイクや車が好きだったから、そっちの方に進んでいくんだろうなって、漠然としたものはあったけど、でも、具体的にはイメージできていなかった。アルバイトの経験で、レストラン業界と三流のホテル業界はイヤだった。なぜなら、安月給でハードワークだから。ネクタイへの憧れなんかもあったので、とりあえず「デューダ」を買いに行った。うちのおかんがパートに行ってた頃、教材のテレアポをしていたんだけど、こんなことを言ってたのを思い出した。「やっぱ、男は営業やでぇ~」って。この言葉に先導されるように、無意識に「営業」のページをめくり、2社ほど目ぼしいところを見つけた。布団の販売会社とOA機器の販売会社だった。どっちにしようか迷ったんが、街で友達に会ったときのことをイメージした。「おぉ、久しぶり、今なにやってんの?」って会話になったとき、「布団売ってるんや」って言うより「OA機器売ってるんや」って言った方がカッコイイって思って、OA機器の方にすることにした。まぁ、無事、採用も決まって俺の営業マンとしての生活が始まった。入社して2日間の研修を受け、同い年の先輩に同行することになった。同行初日は何件かの飛込み営業と見込み訪問をして終わったが、問題は次の日からだった。俺は早く営業のノウハウを覚えたかったが、俺が同行させられたヤツは会社を出ると街をふらふら、ゲーセン行ったり、カラオケ行ったり・・・。俺も仕方なしに1週間は我慢して付き合ってたんだけど、さすがに耐え切れなくなってきて、「明日も同じことをするんだったら、こいつ、殴って辞めよう」って決めた。すると、その日の夜に営業次長に呼び出されて、「明日から、俺がお前を鍛え上げる!」ということになってしまった。俺としては辞める寸前まで気持ちは萎えてたんだけど、営業次長直々に教われるってことで、モチベーションは最高潮に達することができ、俺の営業マンとしての奮闘がはじまった。
2004.12.20
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さぁ、念願の東京だ!働き口は、以前のバイト先の料理長から紹介してもらっていたから安心だ。新幹線で東京駅に着いて、そのまま山手線に乗り換えて新宿に向かう。(東京駅から新宿までだと、中央線のほうが断然早いことを2ヵ月後に知った)目的地は新宿NSビル。新宿駅に着いて西口改札を出た。少し歩くとロータリーが見えた。「おっ、今日も快晴かぁ、さわやかだな」なんて思いながら、NSビルを探した。が、いくら歩いても地上に出れない・・・さっき空が見えていたから、ここが地上のはずなのに、一向に晴れ渡る大空が見えない。まるで地下のようだ・・・しかも人だらけ。「あぁ~~~、成人にもなってるのに、いきなり迷子だぁ」と交番に駆け込んだ。実は、歩き回っていたところは、空が見えていたけど地下だった。そりゃ、出れないはずだ。なんとかNSビルに到着し、バイト先である「シャロン」というレストランを捜した。NSビルの最上階(30階)にあるレストラン街だ。「おっ、ここだ!ステーキハウスもやってるのか、おっしゃれ~」と思いながら、中に入った。すると、「いらっしゃいませ、お一人様ですか」とウェイトレスの女の子が尋ねてきた。「今日から、アルバイトでお世話になる者です。マネージャーには以前電話で伝えておいたんですが・・・」すると奥からマネージャーが女の子に呼ばれて出てきて、「ん、誰?あっ、あ~、なんや、ほんまに来たんか」って、お~い、そりゃ来るわ! そんなスタートだった。仕事はランチタイムがめっちゃ忙しかった。ビジネス街だから、OLやサラリーマンが限られた時間に昼食を済ませなければならないからだ。以前勤めていたレストランでもゴルフ客の昼食は、決められた時間内で食事を済ませなければいけない。忙しさは変わりはなかった。いや、むしろ以前の方が忙しかったかもしれない。だから、新しいレストランでは新人ではあったけれど、かなりの仕事量はこなすことが出来た。料理の乗ったお皿を左手で4枚、右手で2枚持って運ぶ技術もかなり役立った。他のバイト連中は、お皿の持ち方は身に着けておらず、左手に2枚、右手に1枚を持って運ぶのが精一杯のようだった。俺はバイト連中を集めて、お皿の持ち方を教えた。お陰で一日で人気モンになってしまった。1週間に6日働いて、休みの日は「るるぶ東京」を片手に観光する日が続いた。上野の西郷さん、渋谷のハチ公、お決まりのコースを一人で散策した。ちょうど新都心都庁ビルがたったところだったので、展望台は長蛇の列だった。1ヶ月もすると都会にも慣れてきて、アルバイトの女の子に告白されるまでになった。田舎モンの俺が東京の女の子に告白されるってことが、すごく嬉しかった。でも、地元に残してきた彼女のことしか考えられなかったから、事情を話して断った。地元の彼女には毎日電話をしていた。かなり電話代が高くつくので、わざわざ上野まで偽造のテレカを10枚1000円で買いに行っていた。今思えば懐かしい。(笑)バイト仲間とは飲みに行ったり、ドライブに行ったりして順調だったが、地元に残してきた彼女に異変が起こり始めた。今までは、電話をするとすごく嬉しそうにしてくれてたんだけど、あまり喜んでくれなくなった。むしろ、話したくないような感じ・・・だから、あまり電話をしなくなった。すると、しばらくして1枚の手紙が届いた。そこにはこう書かれていた。「あなたと付き合う前に好きだった人がいました。でも、その人はホストになりました。私は彼がホストという仕事をしていることが嫌でした。だから、もう会わないことにしました。そんなときにあなたと出会い、私のことを本気で好きになってくれているという気持ちを感じ、付き合うことにしました。でも、最近、ホストだった彼が体調を壊して、地元に戻ってきているという話を聞きました。私と彼が以前、たわいもない会話をしていたときに、私がスープラ(車名)に乗りたいって言ったことがあったんです。彼はスープラを買うために、ホストという仕事でお金を貯めていたということを別の人から聞きました。今、身体を壊している彼のことが心配でなりません。」俺は、その手紙を読んで思った。「あぁ、俺が東京になんか行かなくて、彼女の傍にいてればこんなことにはならなかったのに・・・」俺は、一大決心をして、彼女に電話した。「お前がほんまに彼のことが好きなら、お前が心から好きな人とうまくいくことが、俺にとっての幸せや。だから、気にするな、気になるんやったら会いにいけ!応援するよ。」俺の本気の恋はこうして幕を閉じたのだ。待つ人がいるから帰る日を決めていた。でも、待ち人はいなくなった。東京での3ヶ月、ほんまに楽しかった。彼女にはフラれてしまったけど、3ヶ月とは思えないくらい凝縮した生活だった。3ヶ月とは思えないくらいみんなと仲良くなれた。一生の友達と思えるヤツも出来た。みんな、みんな、ありがとう。田舎モンの俺を受け入れ、優しくしてくれて、本当にありがとう!さぁ、長いプライベートの前置きだったが、いよいよ俺は就職することになる。
2004.12.17
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東京行きを決める1ヶ月ほど前に付き合いだした彼女がいた。俺は21歳で彼女は19歳の大学生だ。彼女がアルバイトの新人として入ってきたのだが、あまりにもタイプだったんで俺が一目ぼれをしてしまった。俺は結構モテる方だったので、自信満々でアプローチした。「今度、メシ食いに行こうや」 すると彼女は「なんでわたしがあんたとご飯食べに行かんなあかんの?」って・・・ 俺は「えぇ~~、なんやこの女!」って正直思った。でも、そっからアプローチの日々が始まった!!俺は朝7時からバイトに入っていて、夕方5時とか6時くらいまで働いていた。彼女は大学が終わってからのバイトだったので、4時くらいにいつも来ていた。ちょうど入れ替わり間際の1時間が俺にとって至福の1時間だった。でも、全然オチる気配はなかった・・・(TT)初めて食事に誘った日から、2ヶ月か3ヶ月くらい経って、職場のみんなで忘年会をすることになった。60人くらいだったと思うが、俺も彼女も参加した。みんなそれなりに酔っ払って、そろそろお開きにってことになったんだけど、終電がなくなったんで、彼女と友達が女二人でラブホテルに泊まるって言い出した。忘年会の会場からラブホまで距離があったので、「俺が送ってってやるよ」って強引に車に乗せて、送っていくことにした。少しでも彼女と話したかった。なぜなら、その頃には、かなり本気になってしまっていたから。。10分ほど車で走るとラブホに着いた。そのとき、彼女の友達はかなり酔っ払っていて、人の手を借りなければまっすぐ歩けないくらいだった。彼女はふらふらになった友達を半分抱きかかえながら部屋まで行き、俺も彼女たちの荷物を持って部屋の入り口まで行くことになった。部屋について、彼女が友達をベッドに寝かせている間、俺はドアの外で待っていた。するとドアが開いて、彼女が「ありがとう、送ってくれてごめんね、じゃぁ、また!」って言ってきたんで、すかさず「電話番号教えてくれ!」って言ってみた。彼女がバイト先に入ってきてから何ヶ月も経つのに、電話番号すら聞いてなかった。すると彼女は「えぇ~、なんで」って言ってる。俺は、「何でって、ええやんけ電話番号くらい教えてくれたって!」こんなやり取りを何度か繰り返していたら、酔っ払って寝ていたはずの彼女の友達が、「いいやん、電話番号くらい教えたりいや」って言ってくれた。そうして俺はやっと彼女の電話番号をゲットすることができた。初めての電話は緊張した。この頃は携帯電話が普及してなかったから、自宅の電話番号だったんだけど、誰が出るかわかんないからね。でも、礼儀作法はわきまえていたから、たとえ親父さんが出たとしても嫌われない自信はあった。高校の時とかは、付き合ってた彼女より、彼女のお母さんの方が俺のこと気に入ってくれるくらいだったから。(笑)何度か電話で話すうちに、彼女も俺に心許してくれるようになり、ようやく付き合いだすようになった。付き合いだしてから彼女に聞いたんだけど、実は彼女も俺に一目惚れだったんだって。「じゃぁ、なんでそんなに俺を邪険にしてたんだ!」って聞くと、「だって、遊び人に見えてんもん」だってさ。それからは、楽しい日々が続いた。俺、バイト休んだことなかったんだけど、バイト仮病でサボって彼女とドライブしたことも1回だけあった。映画に行ったり、夜景を見に行ったり。そして、初めての温泉旅行!なんとっ、感動的なことに彼女にとって俺が初めての男だった。俺はずっと、彼女と一緒にいたかった。本気で結婚を考えた。そんな幸せな日々とほぼ同時進行で、もう一人の俺が仕事に刺激を求めて東京行きを決めていた。彼女には「3ヶ月だけ行かせてくれ、3ヶ月経ったら帰ってきて就職するから」って想いを伝えた。彼女は「うん、じゃぁ、待ってる」って言ってくれた。よぉ~し、これで心置きなく「花の都、大東京」を堪能できるぞ!この頃の俺は絶頂期、このあと奈落の底に落ちることを知る由もなかった・・・
2004.12.16
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俺の家は、おやじが公務員だったにも関わらず、ギャンブルや酒など、好き放題していて、家にもあまりお金を入れていなかったので貧乏だった。でも、おかんが愛情を持って育ててくれたので、苦労を感じずに生きてこれた。子供の頃は、大自然児で、釣りに行ったり、クワガタを採りに行ったり、あっちこっち自転車で走り回っていた。夕陽と雲を見るのが好きな少年だった。中学生になって多少のワルサも覚えたが、大きく道に外れるような事はなかった。ただ、中学校自体が荒れている有名な学校だったので、周りにいるヤツらはめちゃくちゃなヤツが多かった。学校の廊下を先輩が原チャリで走っていたり、1時間に1回は1箱分くらいの爆竹が鳴っていて、生活指導の先生と生徒が追いかけっこをしていた。トイレに入ると便所の囲い(大の方)が壊されていて、便器だけが前後に見えている・・・そんな学校だった。(笑)高校は野球で有名な男子校に進学した。スポーツ推薦で入ってくるやつが多かったので、アホなヤツらが揃っていた。俺はバイクに夢中になった。アルバイトをして買ったバイクが「HONDA CB250RS」って単気筒のバイクだった。当時は「CB250ハリケーン」とか「NSR」なんかが流行っていたから、俺のCBは少し違ってたけど、自分なりに改造して、そこそこカッコよく仕上がっていたので気に入って乗っていた。高校3年間も終わりに近づく頃、周りにいるヤツらは進路を決めだした。進学するヤツ、就職するヤツ、スポーツでプロに進むヤツもいた。でも俺は何もなかった。自分が何になりたいのか、何をしたいのかが思いつかなかった。担任や親父が大学への進学を勧めてきたので、とりあえず受験してみた。高校での成績は悪くはなかったけど、受験勉強をしてなかったので全滅となった。そして、流されるままに、1年間の浪人生活を過ごすことになった。浪人の1年間も、バイクに夢中だった。毎日同じ峠を何度も何度も走っていた。マンホールの位置や道路のギャップなど、その峠のことは何でも知り尽くした。当然、そんな状態だったから、1年後も大学受験は全滅というかたちで幕を閉じた。受験代も安くはなかったので、親父に小言を言われた。俺の気持ちとしては、「親父が俺に大学行けっていうから受けただけで、俺は別に行きたくなかったんだ」と反発した。「お金のことを言われるくらいなら、自分で稼いでやる」って気持ちになった。それで、リゾートホテルのレストランでフリーターをすることにした。そこはゴルフコースがあるリゾートホテルだったので、朝早くからモーニングの販売を行い、11時くらいにはハーフタイムのランチが始まる。怒涛のラッシュタイムをこなし、それが終わると3時くらいからコンペが始まる。夜は宿泊客のディナーが待っている。そんなサイクルだった。2年で、かなりのベテランになっていた。新人アルバイトの指導から商品発注まで、それなりに責任感を持って仕事に取り組んでいた。だが、徐々に環境にも飽きてきて刺激が欲しくなった。海外に行きたいって気持ちもあったけど、ビビッてしまったこともあり、地元を出たことのなかった俺は、付き合っていた彼女を説得し、東京を目指すことにした。
2004.12.15
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今日までのいきさつを簡単に話しておこう。俺が21歳で入社した会社は、当時20名くらいの小さな会社だった。フリーターから就職ということもあり、小さな会社で自分の力を発揮した方が、居心地のいい環境を早く作れそうな気がした。そんな理由で選んだ会社だった。20代は「とにかく経験だ!」と考えていた俺は、「楽な道」と「しんどい道」があったら、常に「しんどい道」を選ぼうと心に決めていた。それなりにしんどいことを経験しておけば、多少のことは大したことのないように感じる。例えば、うちのおかんは、親が離婚して片親しかいない同級生を見ると、「えらいわねぇ○○ちゃん」と言っていた。正直、俺には何がえらいのかイマイチ理解が出来なかった。俺なりの解釈だが、「苦労してるであろう環境なら、誰でも偉いと言われる世の中なのか・・・」と思った時期もあった。そんな矛盾も感じつつ、でも、「やっぱ経験が人間の幅や深さを作り上げていくんだ」と思っていたので、とにかくいろんなことにチャレンジしようと心に決めた。会社に入ってからは、「苦労したい」と思っている俺と、「楽したい」と思っている同期や先輩とは、成績に開きがでてきた。お陰で俺は、半年で「主任」になり、そのまた半年後には「係長」になっていた。スピード出世だ。そして、入社当時20人だった会社も順調に伸びていき、入社3年目には東京支店を出すまでに成長していた。ここで「支店長代理」として俺が任命された。当時23歳である。東京に行ってからも、毎日、日付が変わるまで仕事をしていた。自分で営業成績を上げながら、新入社員の教育も担当していた。自分の営業成績は良かったが、新人は95%以上の確率で辞めていった。今思えば、接し方とか発言がとてもじゃないけど、上司としてのものではなかったから当然の結果だと言える。新人の定着が悪かったから、本社から助っ人が来る羽目になった。当時の取締役部長と課長だ。それからは3人で仕組みや教育プログラムをつくりながら、順調に東京支店の成績を伸ばしていった。何もかもが順調にすすんでいたように思えたが、水面下ではとんでもないことが起きていた。それは本社の危機だった。携帯電話の普及に伴い事業を全国展開し、従業員数は200名を超えていたが、その携帯電話事業が赤字に急転落し、東京支店が閉鎖の危機に追いやられた。当時の東京支店は唯一の黒字支店とまで言われるくらい、順調に売上を伸ばしていたのに、本社が赤字ならどうしようもない。そこで、当時の取締役支店長兼部長、副部長の俺、営業課長の3人で話し合った結果、新たな会社を興す運びとなったのだ。その後、独立前の会社は1年後に倒産してしまった。設立から9年目のことだった。俺たちはというと、自分たちの会社を創っていくのが本当に楽しかった。役員3人は全員が営業畑で育ってきたので、売上にはまったく困らない。ただ、相変わらず新人の定着率は悪かった。でも、新人が育たなければ、会社は大きくならない。いろんなことを試しながら、ゆっくりとだが、人が徐々に残るようになってきた。役員3人が営業畑ということもあり、途中で元銀行員の人を専務取締役に迎え、経理は任せることになった。年齢も俺たちより10歳ほど上ということもあり、経験から発言される意見は会社にとってもすごく貴重だった。会社は順調に成長しているように思えた。仕事の話と同時に、俺のプライベートの話もしておかなければならない。以前の会社に入社したときに、目をつけた女の子がいた。彼女は事務をしていて、仕事が終わってからよくみんなで飲みに行った。話もノリもすごく俺に合っていた。俺が東京転勤になるのを引き金に付き合うことになった。「いきさつ」と一言で言うのは簡単だが、書くとやはり長くなる。この続きは明日にしよう。
2004.12.14
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こんにちは、俺は34歳、あるOA機器販売会社の役員をしている。21歳でこの業界に入ってから、常に仕事を第一優先に考えて走ってきた。その甲斐あって、それなりの立場で仕事ができるようになった。このブログで、俺の未来を書き綴っていこうと思っている。テーマは「成功」だ。成功に至るまでの障害や協力者などをリアルに表現していくことを約束する。これから起こる出来事は誰にもわからないが、正直俺はワクワクしている。なぜなら、あることが実証できるからだ。「鮮明に思い描いたことが、現実となる」どうせなら、シンクロニシティや思考の現実化という不思議な現象を読者にも実感してもらいたい。だから俺の思考の移り変わりも出来るだけ細かく描写していこうと考えている。当然、ハッピーエンドだし、常にハッピーな気持ちで大成功することは間違いなしだけどね。楽しい世界をご堪能あれ!
2004.12.13
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