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「問題解決は真心で」第1章
(内容の印刷は、栃木県さくら市赤札堂印刷さん、製本は那須烏山市和紙会館の福田夫佐さん)
今、私の研究に興味を持って下さっている方々に発送中です。
まず、本に添える手紙をお見せしましょう。
論文「問題解決は真心で」の第1章をお送りします。
コロナウィルスの感染の広がりで、自分の体が心配になったことや、いくつかのことがつながり、一念発起して、とりあえず、第1章だけを本にまとめることにしました。
この論文全体の完成を待っていたら、研究も、論文も完成しないで終わってしまう可能性が大きいと判断したからです。
その対策として、
1.研究と論文執筆の速度を上げる。
2.私が長生きをする。
3.論文を一部分ずつ本にしていく。
の3つの項目を考えて、これら全項目で頑張ることにしました。
その結果、研究の内容に新しい項目(健康や神様のことなど)を加えるとともに、第1章だけをまず本にすることにします。
それには、次のような気づきがきっかけになりました。即ち、難問の解決のためには、心だけでなく、体も同じくらい大事で、さらに、神様、仏様、偶然(だと思うこと)、縁、運、勘、思い、自然の流れ、心の通い合い、意識していなかったことや、訳の分からないことまで含め、諸々(もろもろ)のことにも頼らなくてはいけないと思うようになっています。
つまり、人間の全て(分かることも分からないことも、意識できることもできないことも)を投入しなければならないと考えています。そして、それを、全身全霊(心も体も)より広い意味の、「全身全魂」という言葉で表現しました。
因みに、今やっていること、具体的には、素直、正直で率直を心がけ、周りの人と心の通い合うお付き合いを増やすことが、これからの研究にとって正しい進み方であるという感触を得ています。
ご意見、ご感想等あれば、ぜひお聞かせ下さい。
これが論文「問題解決は真心で」第1章の表紙です。
この本は、栃木県那須烏山市の手漉き和紙屋さんの福田さんによる手作りです。
最初の書です。篆(てん)書で「心」と書きました。
この本の書は、全て、私が、ぶっつけ本番で、ただ1回ずつ勇気を出して書きました。(五体字類の書例を参考にして;この字は少し傾けました)
この論文のテーマは「心」です。
以下、本論文全文を示します。
論文「問題解決は真心で」
ー素直、正直で率直にー
問題解決研究所
岩田 誠一
第1章 はじめに
―人の心の問題―
まず、私の親友、佐藤まつ子さんの紹介から始めましょう。
以下は、私の楽天ホームページ「問題解決にはまんずやってみれ!」の2017年5月29日の日記で
す。ここで、まつ子さんの新しい本を紹介しています。
佐藤まつ子:みちのく「小さなえき」まつ子の部屋、由利高原鉄道株式会社、(2017)。
秋田県由利本荘市にある、第3セクター鉄道の矢島駅の売店「まつ子の部屋」の主、
佐藤まつ子さんが、この本を出しました。
長年書き続けたブログの内容を中心に、様々な出会いと交流、いろいろ感じたこと、早くに亡く
なったご主人のこと、立派に成長された二人の娘さんのこと、長い間一緒に住み、去年102歳で亡
くなられた、ご主人のお母様のことなどを書いています。
少し読んだだけで、この人の素直、正直で、親切、そして率直な人柄が伝わってきます。
彼女に会うために、全国から大勢の人達が訪れます。小さい子にも大人気です。地元の学校に通
う子供達も、このお店に寄り、楽しくおしゃべりをしたり、相談に乗ってもらったりしています。
誰でも明るく迎え、友達になり、困った人達を助けてくれます。
私は、15年ぐらい前、矢島に来て、町の中を歩いた後、駅に戻ったのですが、電車に乗り遅れて
しまいました。しかし、駅の売店のまつ子さんに会うことができ、お茶をご馳走になりながら、
次の電車まで、1時間以上もおしゃべりをしてしまったのです。
それ以来、秋田へ行くたびに、楽しいお付き合いが続いています。
さらに、まつ子さんが日頃行なっていることは、私が今、
問題解決の研究でやっていることのお手本でもある
のです。
即ち、私は、素直で正直なお付き合いの中で、互いに心が通い合い、率直にものが言い
合える仲間を自分の周りに作ろうとしているのです。
それには、まず、道で会う知らない人に挨拶するように心がけています。
いろいろなところで出会う人達とできる限りおしゃべりをするように心がけています。
そのとき、私自身が、素直で正直になり、率直にものを言うように心がけています。
また、嫌なことを言うときも喧嘩にならないように注意しています。
さらに、親切にしてもらったときには、自分も誰かに親切になるよう心がけています。
これは、「三直」運動(素直、正直で率直)と私が呼んでいるもので、そもそも、原発を止
めさせるために始めたことなのです。事故後いろいろ勉強し、原発を続けるのはよくないと確信
して、国策として原発を促進してきた人達に止めるよう働きかけ、反対運動にも協力したのです
が、彼等は聞く耳を持たないのです。私の周りだけでは90%以上の人が反対なのに、彼等は何
が何でも原発を続けたいのです。事故のほとぼりが冷めるのを待ち、再稼働させようとするとと
もに、海外へ輸出する努力を続けているのです。
国民の安心と安全を第一に、素直で正直に考えれば、原発は止めるべきという結論に達
するはずなのですが、彼等は国の経済力と軍事力を第一に考え、原爆も作れる国として、世
界大国の一つ(国連の常任理事国として)になりたいのです。そのためには、嘘、ごまかしと隠
ぺいも辞さないのです。そして、残念なことに、この考えを推し進めている安倍内閣の支持率が
まだかなり高いのです。多くの人が支持しているのです。*
この状況を変えるためには、国民一人一人の考え方をまず変えないといけないと悟ったのです。
一般の多くの人達が反対だと叫べば、国も原発を止めざるを得なくなるでしょう。ということ
で、まず私の周りから、同じ考えを持つ仲間を作り、その輪が広がっていけば、目的達成
ができるだろうと思ったのです。
但し、これは、私が一人で大人数からなる仲間を作るのではなく、私の仲間が、それぞれ、自分
の仲間私を作って、そのような仲間の輪が広がっていくことを期待しているのです。
気が遠くなるような話かもしれませんが、
まんずやってみれ! です。
まずやってみることです。私はとにかく始めました。
変化は小さいところか始まります。
このようなことを足かけ3年続けています。
因みに、この本はもう絶版になっていますが、埼玉県狭山市の図書館に一冊あります。また、私
も一冊持っています。 以上
本論文では、問題解決への、心の役割について検討しようとしています。ところが、私は、心が
何であるかをまだ説明できないのです。それなのに、かつて、問題解決の要因を、頭(理性)に
関係したものと感情(「心」と呼んでいましたが)に関係したものとに分けようとしたのです
(論文「私に問題解決の考え方」)。しかし、その後、それが難しいことを認めざるを得ません
でした。
辞書(新明解国語辞典第5版)によると、心とは、
「特に人間に顕著な精神作用を総合的にとらえた称。具体的には、対象に触発され、知覚・感
情・理性・意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現われ、その働きの有無が、人間と動物一
般、敬愛・畏怖の対象となる人と憎悪・けいべつすべき人間を区別するものと考えられる。」
とあります。(私には、人間と動物とを分けるところにちょっと抵抗を感じますが)
しかし、問題解決にとって、精神作用だけでなく、体の各部の働きも何らかの役割を持って
いるように感じられます(すべての部位の神経が互いにつながっている)。ですから、ここで
は、それらをも含めての精神作用と認識することにした「心」と考えることにしましょう。
今回は、いろいろな実際の問題の解決(実践)においての、私の心の持ち方を解析しよ
うとします。その結果から、「心」を少しでも理解するとともに、問題解決に役立ててい
くつもりです。
現段階(2020.01)では、論文の内容はまだ全部(ほとんど)決まっていないのです。執筆し、
考えながら、研究を進めます。
そのきっかけとなる行動を、前論文「私の問題解決の考え方」の内容を踏まえて、今始めています。
まず、前論文で取り上げた研究事例の中で、心残りになった二つの例について説明しながら、今
度何をやるかを示します。
一つは、「半導体製造技術開発のための研究プロジェクト」、それから、もう一つは、「原発を
止めさせるには」です。
これらの事例で、問題解決のために欠けているのは、
1.自分で考えて、判断、行動していない。
2.嘘、ごまかしや隠ぺいを辞さない。
3.人間の基本的な考え方(道徳心)が違う。
4.心の通い合いができない。
5.失敗から学ぶ勇気がない。
6.言うべきことをはっきり言えない(言わない)。
7.実践できない(しない)。
8.聞いたことや読んだこと(特にアメリカの言うこと)を鵜呑みしてしまう。
などです。
しかし、これらの内容には悪口が多いので、誰かを称える例も一つ加えましょう。上皇様につい
てのものです。
まず、最初の例です。
事例1 新しいことに挑む勇気がなかった!嘘もついた!
私のことではありません。
これは、かつて私がある会社(電機会社)の研究所にいた頃関わった、半導体用の新技術開発プ
ロジェクトで起きたことです。
私の研究グループも、その一部を担当して、その部分の研究成果は上記新技術の目玉の一つにな
るはずでした。始める前に、プロジェクトリーダーが何度も私のところへ来て、この技術が、目
標に考えている、世界に誇れる新製品のために、絶対に必要な技術なので、ぜひプロジェクトに
参加して欲しいと言ってきたのです。
私達はそれに応じ、数か月、一時徹夜までし、全員で大いに頑張って、研究所内の試作で、私達
担当の技術が使えそうなことを示すまでにしたのです。そして、このプロジェクトに参加してい
た工場も、本格的に試作をしてみようと言ってくれました。
ところが、いざ試作というときになって、プロジェクトリーダー(研究所)のA氏が工場の試作
を、私達に相談もなしに、辞退してしまったのでした。驚いた私が工場に確かめると、工場が試
作するという気持は変わっていないということです。そこで、私はリーダーに強く抗議したので
すが、辞退の決定を覆せませんでした。
結局、研究所(A氏)としては、新技術に挑戦して失敗することが怖かったこと、それか
ら、その背景には、アメリカでは当時の技術の改良や組み合わせで新製品を作ろうとして
いるという情報が入ってきたことがありました。
その結果、新製品を作る技術を確立はしたのですが(プロジェクトとして一応成功)、当初掲げ
ていた目玉技術の一つ(私達のグループの仕事)については、自分から逃げてしまったのです。
(アメリカがまだやっていないので時期尚早と判断したのです。でも、工場の試作で使える
ことが認められれば、世界に誇れる、アメリカを凌ぐ技術になったかもしれないのに。)
これでよかったのでしょうか。
私としては、会社(研究所)がこうしたいなら、とやかく言うことはないのですが、A氏は、私に
は、新製品にこの技術が絶対に必要だと言ったのです。それなのに、アメリカがそれを使わない
(まだ技術を持っていない)ということが分かったら、急に気を変えてしまったのです!
呆れるばかりです。こんな考え方では、新しい技術など作り出せません。
(しかし、プロジェクトを「成功させる」、という意味では、悪いやり方ではないかもしれない
のです。2000年代になり、経済界で言われ始めてきたやり方にpremortemというのがあるのです。
これは、postmortem(検死;死後検討)に対して作られた言葉で、プロジェクトなどを始めると
き、失敗する事態を予め想定して(premortem;「失敗」する前に)、進め方を検討するやり方な
のです。A氏の考え方はこれと同じです。)
さらに驚いたのは、このことに異を唱えたのは私だけだったようなのです。工場も、研究所が決
めたなら、そうすればいいという態度でした。どうして新しい技術を試そうとしないのか、と質
問する人もいなかったようです。というか、口に出さなかった、ということでしょうか。思っ
ていることを言わなかったということでしょうか。それとも、新しいことに手を出さない方がい
いと思ったのでしょうか。
失敗するリスクを減らせたA氏は、その後すぐに研究所の副所長になりました。そして、最終的に
は、重役にまでなったのでした。その後どうなったかは分かりませんが。
一方、かつて、この会社には、こういう人もいたのです。
このプロジェクトの20年以上前、この会社の二代目社長と会長であった倉田主税(ちから)氏が
会長を辞める頃、この国は貧しくて、研究費が著しく不足していたのです。そして、米軍から補
助を受けていたのです。国産技術が大事だと日頃思っていた倉田氏は、日本の研究者が米軍か
ら研究費をもらうことを快く思っていませんでした。
そこで、自分の、会長の退職金全額を基に、この国の若手研究者に奨励金を出す財団、国
産技術振興会、を設立したのでした。それ以来、毎年数十人の研究者が恩恵を受けています。
そして、奇しくも、設立からちょうど30年目に、私はこの財団の事務局長になったのでした。設
立のいきさつを知り、ちょっと感動した私は、会社にはその意思がなかったのに、この年の奨励
金贈呈式を「30周年」贈呈式として、それまでの30年を振り返るものにしてしまったのでした。
この式で、過去にこの財団に助けてもらった人達、社内外の、元会長を実際に知っていた人達と
会い、話を聞くことができて、倉田氏がどれだけ多くの人達から尊敬されていたかを知ることが
できました。そして、この30周年贈呈式をやって本当によかったと思ったのでした。
そして、改めて、上記の、元わが社の研究所とA氏の「新技術(国産)開発への挑戦忌避」
(嘘つきを含めて)には本当にがっかりしました。国産技術より、物真似技術を選択して
しまったのです。つまり自分で考えて作り上げる技術より、アメリカが使おうとしている技術を
優先してしまったのです。
さらに、この研究所の中に漂う「言うべきことはっきり言えない(言わない)」雰囲気は、
将来の日本のことを考えると、心配になりました。倉田氏が会長だった頃は、
技術者や一般の社員達が、社長や会長さんとかなり自由にお話することができた(言いたいことが言えた)
そうです。しかし、私の時代になると、社長室という関所があって、そこがよろしいと判断しな
いと会うことさえできないようになってしまいました。
情けない話です。
新製品開発という目標に対しては「達成」なのですが、製品化のときに国産新技術から逃げてし
まったということは、恥ずかしいことだと考えます。
でも、私達のグループの研究としては、成果を出せて、学会発表も行ない、海外から問い合わ
がいくつか来たくらいでした。これは不思議なことなのですが、国内からの問い合わせは一つも
来なかったのです。わが社以外の日本の研究者も、アメリカの技術の方が上だと考えていたので
しょうか。
その頃までは、このように、この国の半導体製造技術はアメリカに迫るもの(GDP;Gross
Domestic Product国内総生産が世界2位)になってきたのですが、しかし、その後、アジア勢の急
迫で、衰えていってしまったのでした。
私が怒って会社を辞めなかったのか、ですって?
実際に、私は、いつ会社とケンカしても辞められるように、会社からの借金は早く返していまし
た。でも、私は、上記の技術を実用化して、世界での元わが社の評価を上げたい、などとまで
は、会社のためを思っていませんでした。個人的には、私達が考えた技術には、当時の半導体
分野では考えてもいなかった、やり方が使われていて、研究としてやるべきことはできた
と思っています。そして、研究の内容には満足しています。
さらに、私のやっていたことは、上記の技術開発だけではなかったのです。実用化の仕事がなく
なっても、やることがまだ沢山あったのです。即ち、私は、これらの技術開発に必要な分析手法
の研究にも力を入れていたのでした。今回の技術開発でも、とても役に立ち、さらに、新しい分
析法の研究にも大きな進歩をもたらしたのでした。この技術開発を成功させるために苦労したこ
とが、新しい分析法を確立させたとも言えるのです。この分析関係の仕事は、本業(材料研
究)ではないのに、もしかしたら、私の全研究の目玉と言えるかもしれません。このプロジェクト
で、不可能と思われていた、難題に立ち向かったお陰と言えるかもしれません。こちらも、物真
似ではない、私の考えた分析法です。
このように、実用化に関わらなくてもよくなったお陰で、半導体素子特性に結果を反映させ
る、新しい分析法を考え出すことができたと同時に、不思議なことに、これまで私が行なっ
てきた研究のほとんど全部を一つの解説論文(残念ながら日本語の論文ではない)にまとめるこ
とができました。これは、アメリカのある学会(日本の学会ではない)からの依頼(数編の論
文をまとめた解説を)でこの論文を書き始めたとき、自分のいろいろな研究の多く(数編よ
りはるかに多くの)が互いにつながっていて、一つのお話になると気づいたのがきっか
けでした。(「不思議」としたのは、研究のかなりの部分は会社の命令で始めていたからです。
問題の種類や、関わる自然現象、材料や、研究の方法も多種多様でした。ですから、普通なら、
これらの成果を一つの話にまとめようとするのは難しいはずです。それにも拘(かかわ)らずま
とまったのは、研究のほとんどを進行させたのが私だったからかもしれません。それぞれの問題
で着眼したところが、私が自分で(私の心が?)気づいたところだったからかもしれません。)
もう一つ不思議なのは、ちょうどこのときに、この解説論文の依頼がきたのです。もし、私達の
技術の実用化を本格的に始めていたら、この解説論文は書けなかったでしょう。私の様々な研究
が一つのお話にまとめられると気づくこともなかったかもしれません。この縁に感謝です。ま
た、A氏にも感謝です。
この解説論文の執筆では、今説明したような事情で、書くことが増えてしまったため、完成に大
変な時間がかかり、論文を書きながら、一部新しい実験を行なうということにまでなってしまい
ました。(そして、その部分が私の研究の中でもっとも大事な部分にもなったのでした。
面白いことに、この研究の対象となる物理現象(帯電)は、当初私が発見したときには、分析の
邪魔をしていて、その補正で苦労したのですが、上記実験では、同じ現象を、新半導体素子の
電気特性を決める要因として理解するために調べたのでした。)
結局、完成に3年もかかり、その原稿はA4で300枚 以上になってしまいました。
そのお陰か、学会(日本の物理と応用物理学会を一緒にしたようなアメリカの学会)に提出して
から査読にも長時間を要しましたが、うれしいことに、編集長と査読者から、「役に立つ解説論
文である」と褒めてもらえました。さらに、ありがたいことに、外国人の私の論文を分かり易く
するために、副編集長(論文の内容とは違う分野の)が読んでくれ、文を直したり、書き方の助
言をしてくれたりしたのでした。
正直なところ、論文を書くなら、日本語にしたかったのですが、このような対応には、感謝、
感謝です。
その論文は、
S. Iwata and A. Ishizaka: “Electron spectroscopic analysis of the SiO2/Si system and
correlation with metal-oxide-semiconductor device characteristics”,
J. Appl. Phys. (Applied Physics Reviews), 79(9), 6653-6713(1996).
です。
この論文で気をよくした私は、その後の計画をさらにいろいろ考えたのでした。一方、研究所の
幹部達は、上記論文が出たことを知り、私の、研究所での仕事は一段落したと思い込んでしまっ
たらしく、私は本社(上記財団)へ転勤になってしまいました。ただ、私から頼んで、土曜日は
研究所で研究を続けてもいいと言ってもらえましたが。
さらに、定年になっても、財団の仕事は続けられるとのことです。(定年後のことも考えてくれ
たのです。)
財団の仕事では、いろいろな分野の研究者とのお付き合いができて、より広い目で「研究」を捉
えることができるようになってきました。特に、分野は違っても、問題を解決するという観
点からは、共通点があることに気づきました。
そして、この観点から、違った分野の研究者が交流する場を作りたいと考えるようになりまし
た。そのために、統計学の勉強をかなりするようになりました。基本的な考え方はどの
研究にも役に立つものだからです。
その時点では、財団は奨励金を出すだけで、受賞者間のつながりを作ろうなどという考えはな
かったのです。私は、このようなつながりを広げていくことが、日本の研究の進歩に役立つ
と思ったのでした。財団創始者倉田氏の意向にも沿うものだと考えたのです。
しかし、元わが社は、自社の宣伝になることをもっとも欲していたらしく、私が提案しても、無
反応でした。それどころか、既に、財団の名前から、「国産技術」という言葉をはずしてしまっ
ていて、さらに、財団名の中の倉田氏の名前の代わりに会社の名前を入れることを考えていたの
でした。
一方、私も、会社の言うことを聞かないこともあり、余計なことはやるので、定年後2年あまりで
体よくクビになってしまいました。
しかし、それからしばらく経って、元わが社から秋田の新しい大学の教授になった知人のOさんか
ら、彼の研究室で新しい研究を立ち上げるために手伝ってくれないかという依頼があったので
す。
ちょうど東京で一人暮らしの母のことが心配になった時期に、あまり遠くに離れるのが嫌で、一
度は断ったのですが、常駐でなくてもいいと言ってもらって、1年間のお手伝いを引き受けてしま
いました。
しかし、秋田へ行くと、ちょうど山菜の季節で、山菜に夢中になってしまいました。また、学校
の中で、いろいろな分野の先生と知り合いになりました。また、その町に住む人達とも友達にな
りました。研究室に関係のある会社の人達ともお付き合いができました。
一方、私の仕事として、新しい研究を始めるとき、新しい分析装置があったら、よい研究のため
に大きな貢献ができることを指摘し、私の知人でこの装置を作る会社にいる人にもその相談をし
ました。そうしたら、たまたま、中古の装置を安く手に入れられることが分かり、その装置を導
入することを決めてもらいました。卒業論文を書く学生さんの一人がその装置の使い方を覚えて
くれ、私は、彼の研究にその装置を利用する指導をしました。
また、秋田へ来て出会った多くの人達との交流することができました。いろいろな分野の研究者
や会社の人達、それからいろいろな職業の人達とも交流できました。その結果、それまでの、私
の研究のやり方(問題解決の考え方)が広く使えそうだという感触を得ました。
これらを総合的に検討した結果、以後の研究で、学内外の研究者(大学、研究所、問題をかかえ
る会社など)と広く協力して、手に入れた分析装置を最大限に利用した研究を進めていく体制を
作るよう提案しました。
まとめとして、私のやったことの報告会を年度末に行ない、秋田を去りました。この報告会に
は、この研究室と協力してもらえそうな研究者や会社の人達だけでなく、地元で知り合った一般
の人達も招待して、心の通った協力の重要性を訴えました。
(その前の秋田市での講演会(大学と企業との共同研究に関するもの)でも、このような研究の
やり方について説明しました。)
この1年間、思いの外やること(山菜採りや地元の人達との交流)が多く、1ヶ月に2,3日埼
玉に帰り、そのとき母の様子も見に行っていました。また、秋田からも電話で様子を聞いていま
した。母のところには、ヘルパーさんも来てくれていて、母の調子も落ち着いていたので、秋田
の仕事を無事終わらせることができました。
このような単身赴任は初めてのことでしたが、朝晩の食事を食べる場所もあり、地元の友達も大
勢でき、心の通い合うお付き合いができて、有意義な日々を送ることができました。また、
専門の違う多くの研究者との交流もでき、いろいろな職業の人達とも知り合いになれました。
特に、1年の間に、友達が増え、おしゃべりになったことと、言いたいことを前よりは
っきり言うようになったことが私にとっては大きな成果でした。因みに、秋田で私が山菜に
取りつかれてしまったことで、地元の人達の多くは、私が山菜の研究のために秋田へ来てい
た、と思っていたかもしれません。
ここにいる間に、違った種類の研究も同じ考え方で解決できると、ますます確信するように
なりました。特に、日常おしゃべりをする、一般の人達との会話から、問題解決に役立
つ意見を沢山もらうことができました。
そして、これらのことは、その後研究を始め、今も進めている、「問題解決の考え方」の研究
につながっていったのでした。
(岩田誠一:「私の問題解決の考え方」、楽天ホームページ「問題解決には、まんずやってみ
れ!」、(2015)。全文は、7冊に分け、手すき和紙に印刷して、それぞれ別の箱に保管してい
ます。また、紹介版を50部ほど作り、協力者の皆さんに送りました。この時点で、私の研究の
ほぼ全部をまとめた、日本語の総合解説論文を完成させることがやっとできました。そし
て、2015年10月1-5日の日記で、その概要を示す、論文の紹介版も全文見ることができ
ます。
その後の研究のまとめとして、新しい論文「問題解決は真心で」を書き始めています(本論
文)。)
中でも、秋田にいる間に、多くの人達と心の通い合えるお付き合いができるようになっ
たのは、大きな成果です。
上記のプロジェクト研究では、大事なところでの心の通い合いが不足していたように思えます。
心を許すというような付き合いではなかったのです。嘘もありました。基本的な考え方も
違っていました。(次の事例でも、同じようなことが起きています。)
次の事例は、
事例2 戦争に負けて何年も経たないのに、恐るべきことに手を出してしまった!
原発(原子力発電)を国策として始めてしまったことです。
原発推進の背景
信じられないことですが、この国が周りの国々をあんなにひどい目に遭わせ、自国民をも大変な苦難に陥れたのに、国はその責任を取らず、反省もせず、敗戦後数年しか経っていないのに、この国には、昔の日本に戻りたいという人間が少なからずいたのです。中曽根元首相もその一人でした。信じられません
が、今では、安倍首相も。
この国は、アジアから西洋人を追い出すなんて言いながら、自分達が代わりにアジアを支配して、甘い汁を吸おうとしたのです。しかし、敗戦後、あまり時間が経たないうちに、その反省もなく、自国の経済力と軍事力を増強して、再び世界大国の一員になろうと企んだのでした。
西洋の大国と同じように、原爆を持つ国になりたかったのです。国連の常任理事国の一つにもなりたかったのです。その準備として、原発の導入を進めたのです。
この国が、世界で唯一の原爆を落とされた国などと言いながらです。このような事情で、今でも、この国は核兵器禁止条約に参加しようとしないのです。
敗戦直後、国民の大部分は、この戦争で大変な苦しみを受けて、もう戦争は絶対に嫌だという気持になっていたのでした。(私の父の兄弟では、父の弟二人は戦死、もう一人の弟はシベリア抑留、父は病気での帰国でした。)
だからこそ、戦争は絶対にしないという平和憲法ができたのです。
戦争の「首謀者」達は罰せられて、その後、この国は物凄い速さで「平和」を取り戻し、復興が進んでいったのです。しかし、この国の政府の中(かなり上の方)に、マスコミの中に、企業の中に、学界の中に、昔の「栄光」を懐かしむ人達(罰せられた人達よりもっと悪も)がいたのです。私には信じられないことですが。
ちょうどその頃、世界でもっとも先に原爆を作るのに使ったウランを大量に抱え込んだアメリカは困っていたのです(使う相手がいない)。一方、他の国々(大国)はアメリカに負けまいと原爆を作り始めていました。日本もそれに加わりたかったのでした。でも、原爆を落とされたのに、自分も作りたいなんて国民には言えなかったのです。
そのとき、アメリカが原子力の平和利用を言い出したのでした。ウランを持ちたかった日本に、アメリカは、巧みに、平和利用に使うものだとして、原発を作らないかと勧めたのでした(ちょっと信じられませんが)。そして、日本はそれに飛びついてしまったのです(これはもっと信じられませんが)。中曽根元首相が中心になり、原発の導入を強引に素早く進めたのでした。
そして、この国は、平和利用だと宣伝して(原爆とは違う)、アメリカに全面的に助けてもらい、国策として、原発を導入することにしてしまいました。(無謀なことに、自分では、その技術は何も持たず、地震国だということも無視して。受けるものとしては間抜け、それを勧めたアメリカも相当無責任ですね。)
即ち、石油がもうすぐなくなる(嘘)という予想を根拠に、安くて、安全で、効率のいい発電手段(小さい割に沢山発電できる)として、原子力発電を国の主力発電源にすると国民に説明しました。そのとき、これはあくまで平和利用で、原爆とは全く違うと大々的に宣伝したのです。(お抱えの宣伝係、電通を使って)
そして、高額の補助金をちらつかせて、原発を受け入れるところ(福島、福井、新潟、鹿児島、愛媛など、地方の貧しい自治体)を募って、原発を建設し、電気を沢山発電し、企業にこの電気を使わせ、製品を沢山作らせて、輸出を増やし、国民にも沢山買わせ、電気を沢山使わせようとしたのです。より裕福な生活のために、便利な製品を利用させて、目覚ましい「経済発展」(見かけ上)を遂げたのでした。これらの資金として、国債もどんどんつぎ込んでいきました。私から見たら、分不相応な生活のためにです。
その結果、一時は、アメリカに迫る、世界第二位の経済大国(GDP:国内総生産では)になってしまったのです。(国債を増やしながら、借金することには、GDPを増やす効果もあるのです)
一方、原発をどんどん作り、運転していく中で、不具合もいろいろ出てきたのです。しかし、この国は、嘘、ごまかし、隠ぺいを駆使して、できる限り国民に分からないようにしました。電通のような宣伝会社を使い、テレビ、新聞などマスコミを動員して、原発は絶対に安全であると大々的に宣伝したのでした。(これらの当事者達は嘘をついても罰せられていません。)
このようなひどい成り行き(大事故を起こしてしまった)の原因の一つには、原発の建設と管理を行なっていたのが通産省であったということにあります。ダムのような治水工事を管轄していた国土交通省は、新しいダムなど作るときには、地域の住民に、その危険性について、思ったより正直に、何年に一度の台風には持つけれど、地震などの場合は分からないなどというように説明していたようです(元このような仕事をしていた、友達のTさんの話)。
しかし、原発を管轄する通産省は、とにかく、お国の経済のために、何が何でも原発を作り、運転させたいという考えしかなく、国民への説明が著しく不誠実でした。きちんとした確認もなしに、事実でない、アメリカの言うことの受け売りの説明をしたのでした。
その結果、どうなったか
しかし、2011年の東北大地震・津波で、未曾有の大事故を起こしてしまい、安全神話が完全にくずれてしまいました。
ところが、国も、事故を起こした東電(東京電力)も、事故は全て想定外の津波のせいにして、責任を取りませんでした。
このとき、この国は民主党政権になっていたのに、残念なことに、右往左往するばかりで、この国の姿勢を変えることができませんでした。事故直後、枝野官房長官(当時)は、事故の状況を正直に国民に知らせるようになるのかと思ったのに、事故の重大性を小さく見せるような発表を続けました。また、菅首相(当時)も、やる気があったならできたのに、原発を止めると言わなかったのです。思い切って閣議決定することもできたのにしなかったのです。折角の機会を逃してしまいました。その後の野田政権はもっと悪く、今の安倍政権の誕生を許し、その後の増長のきっかけを作ってしまったのでした。
そして、事故後もう8年以上経っているのに、廃炉の作業がうまく進まず、周りの地域の除染作業でも基準を満たす状態にならないのに、もう復興ができたような印象を与えようとしているのです。
また、東電の幹部3人が起訴されたのにかかわらず、無罪になっています。原発の運転停止の訴訟も敗訴することが多いのです。未だに、司法も原発の味方なのです。選挙をしても自民党が勝ちます。この国の政治もおかしくなっています。選挙の投票率も低いです。国のやることに疑問を持ったり、はっきり言ったりする人の数も思ったより少ないのです。また、政府(国)の中や企業の中でも、常識では信じられないような不正が蔓延しているのです。
そして、国債発行額は増え続けて、お金の無駄遣いはいつものことになってしまっています。
私は、あの原発事故直後から、原発について勉強しました。公表されている文献だけですが、調べると、原発の設計、建設、運転、事故対策、全ての過程で、国民の安心、安全より、原発を早く作り、使い続けなければいけない、ということが優先されていたことが分かりました(多少の犠牲は仕方ないこととして)。
そもそも、設計時から、もっとも恐い、地震、津波を軽く見ていたのです。設計者が千年あまり前の巨大地震と津波を心配し、対策を検討したいと言っても、彼の上司が、千年に一度の津波のことなど考えなくてもいいと言い、却下してしまったのです。会社(東電)の中でも、原発が危険だなどと言ってはいけなくなっていました。社員達の間でも安全だと言わされていたようです。
私が、原発事故を起こした地震・津波の大きさを認識したのは、事故後、東北本線に乗って、塩釜付近を通って行ったときでした。この近くに「末の松山」という、昔の和歌に出てくる名所(小さい山、岡と言った方がいいかもしれません)があり、そこと昔の大津波が、私の頭の中で結びついたのでした。
調べると、この地震・津波は、869年(貞観(じょうがん)11年)に起きたもので、末の松山は、海から2キロも離れていたのに、この山まで津波が来たのだそうです。百人一首の中の和歌
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは
(絶対に破られることはないと思っていた、愛の約束が破られてしまった、と嘆いている歌で、大津波の100年ぐらい後の、清少納言の父の清原元輔のものです。)
のように、あり得ないことを表現するのに、末の松山を波が超すことに例えていたのです。
この津波は、疑いない事実で、千年余り前に、実際に、大地震・津波が起きていたのです。地質調査でも確認されています。
千年に一度の大地震・津波は無視してよかったのでしょうか?
ここで、私も、上記の設計者のように心配になり、危険性を考えてみたのです。ある1年の間に大地震・大津波の起きる確率を千分の1(0.001)として、869年から事故が起きた2011年までに、この地震、津波が一度も起きない確率を計算しました。高校で習う確率で計算できます。
ある年に起きない確率は0.999になり、その期間、1142年間に一度も起きない確率は、0.999を1142回掛け合わせたもの、約0.32です。
つまり、上記の期間に大地震・津波が全く起きない確率が、初めの99.9%から、32%に下がってしまうのです。ということは、逆に、1142年の間に少なくとも1度起きる確率は、100-32で、68%にもなってしまうのです。
いつ起きるかは分かりませんが、長い期間になると、心配がとても大きくなるのです。でも、国は、地震・津波のことなど考えずに、アメリカの示した、信じられないくらいゼロに近い確率(これだって、全ての可能性を考えようとしない疑わしい値)の値を示して、原発の安全性を触れ回っていたのです。(信じる方も信じる方です。)
「確率」というのは、このように、計算する人がどこまでの危険性を考えに入れるかによって、いろいろと変わってしまうのです。確率というのは客観的なものではなく、主観的なものなのです。信念の度合い(知識あるいは認識の度合い)でしかないのです。言い方を変えれば、分からなさの度合いと考えてもいいのです。確率を考える人の予備知識により、その値がどんどん変わっていくものなのです。(上記の上司は千年前の大津波を無視していいと信じてしてしまったから、心配無用ということになってしまったのです。)
しかし、まだ原発を止める決心ができない(をしない)のがこの国です。
原発を再稼働しようとしています。安全性より、経済のことを考えているのです。経済といっても、今となっては、原発が安くないのはもう確かなのです。しかし、止める決意をしても、日本経済は大変な打撃を受けるのです。これまでお金をつぎ込んできたことが無駄になってしまうのです。さらに、止めるために大変なお金がかかるのです。また、止めても、止めなくても、放射性廃棄物の処理の目途も全く立っていないのです。
これは、麻薬とよく似ています。一回始めてしまうと、止められなくなるのです。イギリスはかつて麻薬で中国帝国を滅ぼしてしまったのです。その後、日本も満州で麻薬栽培を行ない、イギリスの真似を始めていたのです。
この国は、まだ、原発が主要電源だと言い張っています。再稼働させて、できる限り元を取ろうとしているのです。しかし、続けると、これから、事故の可能性はまだあり、放射性廃棄物は増え続けていくのです。どのように処理をし、保管するのかという手立てもないのです。そして、事故の収拾もつかない状態なのです。廃炉作業も困難で、事故以来増え続けている汚染水をどうするかも決められないのです。国は、大気や海や川に放散しようとしています(既にしている)。また、安全基準を変え、もう安全だとして、福島への住民の帰還を進めようとしています。
また、原発をゼロにするという場合にも困難が立ちはだかっています。まだ再生可能エネルギーの促進が十分でなく(国はまだ原発にしがみつきたくて邪魔をしています)、原発廃止に伴う廃炉や、放射性廃棄物の処理や保管のやり方も分からないのです。また、国も国民も、事故からほぼ9年経った今、事故の恐怖を忘れかけているのです。(事故直後、中曽根元首相が、原発は今すぐ再開できないが、少し待ち、ほとぼりが冷めたら、また再開すればいい、と言っていました。)
実際に、原発を止めさせる、1000万人原発反対署名運動も初めの2年くらいはかなり署名数が増えたものの、2019年末で890万ほどしか集まらないのです。(因みに、かつて、原水爆反対の署名運動のときは3000万の署名が1年余りの間に集まってしまいました。インターネットなどないのに。)
さらに、原発を推進する安倍政権はまだかなりの支持を国民から受けているのです。選挙でも、自民党が勝ってしまいます。
国は、原発の再稼働をまだ進めようとしているし、国債を沢山発行し、お金を沢山使って、景気をよく見せようとしたり、兵器を沢山買い込んだりして、水害対策など、国民の安全のためにはお金をあまり使おうとしないのです。国民も、より慎ましい生活で我慢する覚悟ができないようです。
一方、国は原発をどうするつもりなんだ?
廃炉の見通しも立っていないし、除染もできていないのに、原発周辺の住民達には帰ってもいいと言い始めています。
放射性物質は、空気へ水(海や川)へ放散され続けているのです。廃炉の作業員達も放射能被爆だけでなく、過酷な環境の中で働かされています。
既に、2013年に安倍首相は、オリンピック招致の演説で、状況は統御されている(under control)と世界に胸を張っているのです。福島の人達はオリンピックなどやる気分ではないでしょう。
除染がうまくいかないと、基準を緩くしたり、ごまかしたり、あらゆる手段を駆使しています。除染済み(まだ放射性物質あり)の汚染水も大量にタンクの中に保管されていますが、それを海に流そうと工作しています。また、甲状腺ガンへの原発の影響を認めようとしていません。
事故直後は国内がダメなら海外への原発の輸出をと、安倍首相が先頭に立って、それを試み、受け入れを表明した国も出てきたのですが、結局は、国外もダメになりました。
困ったこの国は、今、なんと効率のいい火力発電所を国内で作り始め、国外にも補助金を出して輸出しようとしています。これに飛びついた国もあるのですが、世界の、温暖化対策のための、低CO2化促進に対して逆な方向なので、世界から非難される始末です。
私は?
事故後、私は、原発や国のやり方について沢山勉強して、署名運動に協力したり、放射能の測定をしたり、周りの人達と話し合ったり、国や自治体の関連部署にメールを出したり、ホームページ、ツイッターやフェイスブックで原発廃止を訴えたりしてきました。
自分自身も使用エネルギーを節約し、より慎ましい生活をし、太陽光発電器を設置し、エコ住宅を作ったり、いろいろやっているのですが、原発を止めさせるということでは、ほとんど効果なしです。
これでは、いつになっても原発を止めさせることはできません。何が正しくて、正しくないかの考え方が、原発推進派と反対する私達では違うのです。推進派は、国民の安心と安全より、国の経済力と軍事力優先で、借金はどんどんし(踏み倒すつもり)、自分達のやりたいことをやるのに、嘘、ごまかしと隠ぺいを辞さないのです。
こんなことまでして世界大国の一員になりたいのです。国連の常任理事国を狙っていて、できることなら原爆も持ちたいのです(だから、核兵器禁止条約に参加しないのです)。
国(政府)の中でも、会社の中でも、常識が通用しない世界なのです(道徳心がなくなっている)。最近は、昔より、悪が発覚するようにはなっているかもしれませんが、なくなることはないでしょう。
もしかしたら、相当悪でないと偉くなれないかもしれません。政治家は何が何でも選挙の勝つこと、会社のお偉いさん達は、保身と昇進を第一に考えているようです。
悪い奴を除去するか、退場してもらう以外に手はないようです。改心させるということは不可能だと思います。政治家は選挙で落選させることです。または、悪事を暴き、法で裁いてもらえればいいのですが、法部門が悪人に加勢してしまうことがあるのです。この間の裁判で、事故を起こした東電の幹部3人が無罪になったのはその例です。この国は、三権分立もできていないのです。
先の戦争の前のこの国を変えるのには、戦争に負けたとき、憲法も変わり、国や企業、学校などの組織も変わり、人も入れ替わったりしたので、敗戦がいい機会だったのですが、その後数年経つ頃から、また少しずつ悪い雰囲気が漂い始めたのです。
これから、私に何ができるでしょうか。私一人ではだめで、良識のある人を増やしていかなければなりません。また、言うべきことをもっとはっきりと言えるようにしなければなりません。
そのために考えたのは以下のことです。
素直、正直で率直なお付き合いのできる仲間を作る。その結果として、仲間同士が互いに心が通い合うようにしたい。この仲間を増やして、国や会社などが悪いことをしていたら、はっきりと指摘し、止めさせるように行動を起こせるようにしたいのです。
(因みに、私は、安易に、素直で正直に考えれば、原発には反対であると考えていたのですが、ホームページの一読者から、自分の周りは皆素直で正直であるけれど、原発に賛成だ、というコメントをもらいました。それで気づいたのでした。国民一人一人の安心と安全を第一にするのではなく、国の経済力と軍事力を高めて世界大国の一員になりたいと考える人なら、素直で正直に原発推進を支持するのかもしれないと思ったのでした。)
私は今、国民の安心と安全を第一にしたいという立場で、一人ですが、この行動を始めています。
本章の末尾(今検討していることの項)でさらに説明します。
最後の事例として、少し気持のいい話でまとめましょう。
私の日記(楽天ホームページの)の一部に次のことを書きました。
事例3 国民に寄り添い、憲法にのっとり、象徴のつとめを果たす
と、昨日(2019.5.1)、新天皇が即位の礼で宣言されました。
テレビ朝日で式の実況を見ていて、そのとき、番組に出ていた識者の一人が、
「国民に寄り添う」などということは、実行が伴わないと言えることではない、と新天皇を褒めたたえていました。
確かに、新天皇は、皇太子のときから、雅子様とともに、原発事故をはじめとする各種災害が発生したとき、被災地を訪れ、住民の人達を励ましてこられました。
そして、これを始められたのは、上皇様夫妻で、沖縄を含む日本だけでなく、アジアの国々でも、戦争などの被災者の慰霊をしたり、現地の人達に会い、対話をされたりしてこられました。日本人、外国人を問わずにです。
私の記憶にもっとも鮮明に残るのが、2013年に水俣を訪問されたときのことです。
以下、産経新聞(地方・熊本)より抜粋
天皇、皇后両陛下は平成25年10月27日、水俣を訪れ、母体で水銀に侵された胎児性患者らと対面された。・・・その後、・・・
患者で水俣資料館語り部の会の緒方正実会長(61)は、資料館で両陛下に自身の体験を語った(講話)。
網元だった一家の生活が一変したこと、自身の病状を隠していたこと、患者認定を受けるまでの苦悩…。与えられた15分間に、さまざまな思いを込めた。
「水俣病は決して終わっていないことを知ってください」
話しながら緒方氏は、長年胸につかえていた思いが、取り除かれるように感じた。「幸せですらあった」という。
天皇陛下は、話し終えた緒方氏に感想を述べられた。(その中で、)
「真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものです」・・
「今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています」
(とおっしゃったのでした。)全部で約1分間という異例の長さだった。
以上
これは、予定外で、原稿なしのもので、この意味深い言葉に私は感動しました。
普通の人では言えないと思います。気持のいい率直さを感じました。国民、特に、水俣や福島の人達に寄り添ったお言葉であったからです。
(これを強く感じたのは、この上皇様の言葉は、すぐ前の9月に安倍首相がブエノスアイレスまでわざわざ行き、オリンピック招致のため行なった演説で、(原発の)状況は統御されている(situation is under control)、全く安全だ)と胸を張ったすぐ後であったからです。安倍首相の演説と上皇様のお言葉とが結びつきました。)
また、上記、緒方さんは今年(2019)の水俣慰霊式に組織委員長でもあり、(国が新天皇の即位式の日を5月1日にしてしまったことを受けて、)これまで毎年5月1日に行なわれてきた慰霊式を今年は10月に延期した人です。4月28日の西日本新聞で次のように言っています。
[次代へ]水俣、特別な「5.1」 陛下とのつながり胸に…慰霊式を延期「即位祝いたい」 語り部・緒方正実さん
・・・雅子様の祖父がかつて、水俣病の原因企業の社長を務めていたことから、皇太子ご夫妻と水俣には、浅からぬつながりが・・・緒方さんには、夢がある。新天皇にも水俣を訪問してもらえば、新縁もできる。「お二人が来られることには、また違った意味もあるとじゃなかでしょうか」
5月1日、心から祝うつもりだ。そして、天皇陛下が30年続けてきたように、新天皇にも国民と身近に触れ合う機会を大切にしてほしいと願う。「そのことで、公害や災害で傷ついた人たちが、どれだけ立ち上がることができるか。救われるか」
(因みに、新天皇、皇后様の水俣訪問は、残念ながら、まだ実現していません(2020年6月)。)
以上
話を「寄り添うこと」に戻すと、これは本当に大変なことらしいです。私には到底無理です。
有名な心理療法士の故河合隼雄さんによると、相談者に寄り添って1時間(実質は40分だそうですが)話を聴くと、プロの河合先生でも、もうぐったりだそうです。体調が悪いときはできないそうです。
上皇様ご夫妻は本当に国民に寄り添ってこられたと思います(外国の国民にも)。
私は、あるときから、それを感じるようになりました。また、これまでの上皇夫妻のお振舞を見ても(新聞、テレビなど)、私は、「上から目線」を感じたことは一度もありません。
いや、私には、ご夫妻にお辞儀をしていただいたことがあるのです。ご夫妻が出席される、ある財団の賞の贈呈式に出席したとき、式終了後、ご夫妻が退場されるとき、出席者全員が拍手でお送りしたのですが、そのとき、私は他のことを考えていて、他の人達が拍手を止めたのに、まだ拍手をしていたのです。丁度そのとき、ご夫妻が出口のところまで来られていて、そのすぐ上が私の席だったのです。
その私に、お二人が丁寧にお辞儀をして下さったのでした。びっくりした私は、急いでお辞儀をしたのですが、本当に驚きました。
かつて、私は、天皇様(当時)のお言葉を聞いて、原稿を読んでおられるだけだと思い、内容をあまり聞いていなかったのです。しかし、あるとき、やはり他の授賞式で、前年の受賞者が病気になったことを思いやられる言葉を聞いてまた驚いたのでした。実際は、お話になることをご自分で考えていらしたらしいのでした。それからは、お話を聴くようになりました。
去年のお誕生日のときのお言葉は本当に心の籠ったものでした。
「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました」
そして、自らが「天皇としての旅を終えようとしている」と表現した上で、美智子さまへのお気持ちを以下のように述べられた。
「私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」
(しかし、ご退位のときのお言葉は、自分のお言葉ではなく、国が用意した原稿を読んでおられたらしいです。さらに、このときの安倍首相はとんでもない間違いをしてしまったのです。天皇様への言葉の中で、「末永くお健やかであらせられることを願って已(や)みません。」と読むべきところを「願っていません」と読んでしまったのです。その後、謝罪することもなく。)
以上の事例を踏まえて、
今、私が検討していること
を説明します。
まず、前論文「私の問題解決の考え方」で取り上げた研究から、問題解決について学んだことは、人間にいくら知力があっても、心(気)の持ち方により、解決できるかどうかは大きく変わってしまうこと。
次に、単に解決のためにやっていること(目標達成に対しての)の良し悪しの判断だけでなく、
人間としての良し悪しの判断力(道徳心)を身に着けているかどうかも大事です。特に、国の政策につながるような問題では、国民の安全と安心を第一に考えます。国の経済力や軍事力を優先してはいけないと考えます。
さらに、問題解決はたった一人でやっているわけではなく、周りの人達との心の通い合いも極めて重要です。
以上のことを念頭に、今度の研究では、身の回りの日常の問題を解決しながら(実践)、できるだけ多くの人々とおしゃべりをし、互いに理解し合って、思いを語り合える仲間を増やしたいです。
そして、世の中の今までより難しい問題の解決にも立ち向かえるようにしたいです。地道にコツコツと進めていきます。
素直、正直で率直なお付き合い(心の通い合い)ができる仲間を作れるか。
そのために、日頃、次のような心がけをしています。
☆道で知らない人に会ったら、声をかける。
☆私自身がまず素直、正直で率直になる。
☆これらの人達とおしゃべりを沢山する。世間や自分の問題を話題にし、意見を聞く。相手の話もよく聴く。
但し、この仲間作りは、私が他の人に仲間になってくれと頼むのではなく、私が自分の心の中で仲間にしているだけです。また、なにか行動をさせようと働きかけるわけでもありません。
そして、こういう態度で、自分が毎日出会う、いろいろな問題の解決を進めていきます(実践と継続)。さらに、それらをこの論文で紹介していきます。
私が特に大事だと思うのは、
「率直になれるか」
ということです。人間なら、いろいろなことに疑問を持つと思います。よくないことに出会ったら、「よくない」と思うはずです。でも、この国では、そういうとき、言うべきことをはっきり言えない人が多いように感じます。
外国の大学の講義のときなど、質問が沢山出るようです。馬鹿な質問でも、先生は怒らないで答えてくれます(これはアメリカですが)。日本だと、馬鹿な質問かもしれないとか、先生の話の邪魔をしたくないとか、恥ずかしいとか、陰険な質問だと先生に嫌がられるかもしれないとか、いろいろ考えてしまうのかもしれません。
人間同士が互いに言いたいことが言えるようにしたいのです。
いろいろなことに敏感になれるか
そして、気づいた結果、心が動きやすくなるよう訓練しています。感動できるかどうかです。
問題解決のために大事なのは、まず気づくことです。五感だけでなく、勘も、磨きたいです。対象も、 科学技術に関してだけでなく、全てで、です。そして、心が動かされるか、です。
山菜採り、料理、古文書解読、音楽、美味しいもの、買い物、株取引、書道、文を書くこと、などなど、体験すること、身の回りで触れるもの全ての面で、感度を上げたいです。そして、各々の対象で、良い悪いが分かるように学び、いろいろなことに気づく能力を高めて、それぞれ過程を楽しめるようにしていきます。そのとき大事なのは、自分で実際にやってみることです。実践です。やっていることの良し悪しが分かるようにしたいです。いろいろなチェック機能の能力を高めることを狙っています。
一例として、山菜採りのことを考えてみましょう。この場合、まず、美味しい山菜を覚えること、それらを見つけられるようにする、処理や調理の仕方を覚える、など、やること、学ぶことや楽しむことが沢山あります。始めると友達もでき、交流の輪も広がっていきます。また、いろいろなことを自分でやってみると、学ぶことが多く、実際に、私の五感や勘も鋭くしてくれました。美味しそうな山菜を見つけて感動して、美味しい山菜を食べて感動するのです。どうしてこんなに美味しく調理ができたのだろうと感動することもあります。
このように、趣味や遊びのようなことでも、自分から行動し、そのことに熱中できると、問題解決能力(問題解決一般の)の向上につながります。
ですから、面白そうだと思ったら、なんでも挑戦するべきです。面白そうでなくても、面白くなってくることが多いです。
いや、日常生活での行動全て、でれでれやるのではなく、きちんとやるように心がけるべきです。自分が他人に迷惑をかけないように努力することは勿論、逆に、他人に迷惑をかけられたときも、怒って、上から目線で相手を非難するのではなく、冷静に、好意的に相手のよくないところを率直に指摘すると、意外と、相手が素直に謝ってくれたりするのです。また、相手にあまり期待しすぎないことも大事です。
ですから、毎日が、そのときそのときが、問題解決の勉強、いや、小さいかもしれませんが、問題解決そのものなのです。全て本番です。ですから、ぼうっとしていてはいけません。一時、一時を大事にすべきなのです。
「日々是好日」
です。やること全て本番だと考えています。練習はほとんどしません。私自身、後何年生きられるか分かりませんが、少しでも無駄をなくし、この論文を完成させたいと思っています。(上記の言葉は、明日死ぬかもしれない昔の武士に与えられた言葉)
このようなことを、これから、実例を示しながら、書いていきます。
まだ、目次さえできませんが。
ここまできて、大事なことを忘れていたことに気づきました。
老後の問題
ついこの間、地元の銀行の支店長さんに、遺産相続のことを少しでも早く考えておいた方がいい、と言われました。向こうは、商売で言ったのですが、人の問題より、自分の問題です。「日々是好日」というのも、自分のことです。いつ死ぬか分からないのです。
原発事故のことより、論文のことより、まず自分のことを考えておくべきでした。
実は、7年あまり前、長女が勧めてくれたので、長女の家のすぐ近く(栃木県さくら市氏家)に土地を買い、家を建てました。そばに家を建てれば、老後の面倒を見ると言ってくれたのです。そして、実際に、1年も経たないうちに家を建ててしまったのです。私にしては、とても早い対応でした。
ところが、その後、女房が、自分の仕事や友達付き合いのことで、古い家のある埼玉県狭山市から離れるのが嫌になり、もう7年も、私が狭山と家の氏家の間を往復して、女房は狭山に住み続けています。私は住所を栃木に移したので、結果として、両県に2人の独居老人ができてしまったことになります。
一方、娘の方も思うようにはならず、娘の夫が埼玉に転勤になってしまったのです。そして、戻れるかどうか分からないのです。さらに、去年は、孫が東北の大学へ入ってしまい、後2年経つと、もう一人の孫が受験で、どこへ行くか分からないのです。
娘は、氏家で書道教室をやっていて、氏家に住み続けたいのです。夫も氏家が好きです。しかし、夫や息子達の居場所によっては、将来、氏家に居続けられない可能性も考えるようになっています。
私自身は、今氏家が好きになっていて、できればここに住み続けたいです。既に、私だけ住所を氏家に移しています。これは家を建てるときに補助金をもらうためでしたが、ここにずっと住みたいです。但し、ここに住むにしても、建てた家に最後まで住むのではなく、氏家に養護施設を見つけ、女房と二人がそこに入り、その状態で、娘達の世話になろうと考えています。
しかし、娘達がここに住まなくなれば、私の考えを変えなければなりません。
このように、まだ不明な部分があり、私達の進む方向を決められないでいます。
さらに、私達夫婦ももう高齢ですので、相続のことも考えておきたいと思っています。私達の娘と夫達が相続のことで喧嘩をすることはないと思うのですが、そのときになり、問題が起きないようにするために、私達もできる限りよく考えておかなければなりません。
年齢の順と性別の違いから、女房より私の方が早く死ぬとして、女房がまず全額相続するようにしたいと考えています(その前に、子供達にできる限り迷惑をかけないように、私達が動くのが大変になったときの住処(施設)を決めておきたいです)。 そして、女房が死ぬときに、娘と夫達に不満が残らないように考えたいです。
相続に関連して、私は、長女の夫と養子縁組しています。彼は、娘と結婚するとき、娘の姓になってくれた(私が頼んだのではありませんが)のです。その後、相続とは別に、私が、彼に本当の息子になってもらいたいと頼んで、本当の息子になってもらったのです。
その結果、相続のときは、子供4人になります。娘3人と息子1人です。相続のときに、彼らの間の関係が悪くならないように、配慮したいと考えています。
私達が生きている間は、基本的には、彼等に金銭的な迷惑はかけないようにするつもりです。具体的には、二人が養護施設に入るための費用、そこで暮らすための費用、医療費、病院に入った場合はその費用(但し、個室に入らなくてもいい)などは、自分達で払うつもりです。
一方、娘達には、それぞれ自分達で頑張っていますので、生前贈与などはしないつもりです。しかし、病気などで必要があれば、助けます。
これから、まず私がやることは、自分の財産をきちんと把握することです。これまで、私は、書類等の整理はかなりいい加減にしてきました。手始めに、取引のある銀行、証券会社などを全部洗いだし、インターネットの取引があるときには、口座番号、パスワードなどが分かるようにします。(1回簡単なものをまとめたのですが、女房が紛失してしまったのです。)家の名義などの書類もまとめます。
その上で、私達が助けを借りないで暮らせなくなったときに入れる場所(養護施設など)を考え始めます。そして、上記の諸費用がどのくらいになるかを見積もっていこうと思います。最終的には、大丈夫だとは思いますが、ケンカにならないような遺産相続にしたいと考えています。
因みに、私の父が亡くなったときは、遺書はありませんでした。私の判断で、母が全額相続しました。母が亡くなったときも遺書はなく、一人息子である私が全額相続しました。どちらの場合も、税金を払わないで済みました。両親ともに、借金もなく、財産も多すぎなかったので、楽な相続でした(そのときどきは、何も分からないので、苦労はしましたが)。
これで、書こうと思うことは文にしました(と思います)が、目次はまだです。
因みに、前論文「私の問題解決の考え方」では、目次を書いてから、文を書き始めたのですが、その後、その通りには書けず、後からもう一つ目次を書きました。ただ、初めの目次も、参考のため、残してあります。
まとめると
この論文の主題は「心」です。
正直なところ、私は「心」がなんであるか理解していません。この論文は、一つには、心を理解することを狙っています。
「そのために、まず自分が、正直、素直で率直であることを心がけます。そして、道徳に従うことを心がけます。その上で、日常出会う様々な問題の解決に立ち向かいます。」
これが、概ね、「問題解決は真心で」の「真心」の意味であると考えています。
この姿勢で、私自身が実際の数々の問題の解決を経験する(実践)ことにより、
新しい問題を解決する、だけでなく、
私自身の問題解決能力を向上させたい
のです。
その結果として、自分の心の理解が深まっていくことを期待しています。
勿論、これらの過程で、前論文「私の問題解決の考え方」で得た知見、
☆まんずやってみれ! (少しでも早く問題解決に着手)
☆チェック機能
やったことが目標に対して良いか悪いかの判断する方法を探す。
良くないときは、その原因と対策を明らかにする。
を忘れない。しかし、・・・
コロナウィルスで新しい研究開始
しかし、ここまで書いた時点(2020年4月)でコロナウィルスの非常事態宣言が出てしまいました。そして、そのちょっと前、私は、原因不明のシャックリが止まらなくなり、ときどき息ができなくなる(数秒間ずつですが)ことが起きるようになってしまったのです。
私はもしかしたらコロナウィルスかと思ってしまい、お医者さんへ行っても、取り合ってもらえず、シャックリに効くかもしれない薬をもらっただけでした。しかし、シャックリも息苦しさも止まらないので、大きい病院を紹介してもらい、診てもらいました。
そこの先生とのおしゃべりの中で、昔、十二指腸潰瘍をやったことがあることや、ゲップが出やすい質(たち)なのに、今回出なくなったことを言ったら、先生が、胃酸が関係しているかもしれないので、胃酸を減らす薬を試してくれと言ったのでした。そして、治らなかったら精密検査をしたいとのことでした。
それから2日経ったら、なんと、シャックリも息苦しさも止まってしまったのです!
理由はよく分かりませんでしたが、もらった薬には、ピロリ菌の薬も混ざっていたので、念のため、全部飲みました。
全部で10日近く苦しい思いをして、さらに、前の年から膝も痛く、整骨院へ行っても治らなかったので、急に、自分の健康のことが心配になりました。今の状態では、コロナウィルスにも感染しやすいのではないかと思ってしまいました。
さらに、難しい問題の解決のためにも、自分の心のことだけでなく、自分の体のことも考えなくてはいけないことに気づいた(再認識した)のでした。
そういえば、会社にいるときは、ギックリ腰にかなり悩まされていて、研究の支障になることもありました。今でも、寝込むほどではありませんが、ときどき腰が痛くなります。また、腕、首、肩、背中、手首などが痛むこともあります。
ですから、このような痛みがなくなれば、研究を進める助けにもなると考えられます。
そう考えるようになったとき、たまたま、インターネットで膝痛やギックリ腰などを治せる方法の無料講座(二つ)を見る機会がありました。それらは、指圧(筋肉を緩める「緩消法」)と背骨調整法で、いろいろな痛みをとることができるというものでした。
指圧の講座を見ながら、自分の膝の周りを押したり、撫でたりしていたら、終わった後、膝の痛みが減ったように思えたのでした。
次の日にはまた痛くなっていたのですが、押したりさすったりを毎日やっていると、膝の痛みが減っているのです。(この膝痛は整骨院へ行っても、治るどころか、かえって悪化してしまい、困っていたところでした。)
これでやる気が出て、上記の方法を自分なりに改良して、膝痛がかなり治っています。さらに、この方法は、その他の場所の痛みにも効くのです。今では、この我流治療法を毎日行ない、少しずつ改良させています。
そして、今は、自分で、私の体の痛みを和らげることができるような気になりつつあります。大勢の人達が、膝や腰が痛くて、沢山の病院や整骨院や整体へ行っても治らないことが多いのに、おこがましい、と言われるかもしれませんが、整骨院で悪化してしまった、私の膝が明らかによくなっているのです。また、ときどき痛くなっていた腰も、梅雨時なのに、今のところ大丈夫なのです。
このようなことから、この方法の確立が、私の、最新で、今もっとも力を入れている研究になっています。自分の体を試験台にした、理屈ではなく、実践の研究です。
体のことも、治療法のことも、きちんと勉強していませんが、自分の体のいろいろなところを、触り、押し、撫で、叩いて、痛みに効くかどうか試しました。そうしながら、体を動かしたり、指だけでなく、手のひら、肘、膝、かかと、足先なども使ってみたりもしました。自分の体と仲良しになろうとしています。
このように、沢山の試行錯誤を繰り返して、私の治療法を確立しつつあります。
もし、これが成功すれば、私の研究成果の中でも大事なものになるかもしれません。私が健康であるのを助けてくれるでしょう。
但し、私は、この治療法が誰にでも効くようにするとは言っていません。今の私に効く治療法を開発しようとしているだけです。
さらに、健康のためには、体にいい、美味しいものが食べられるようにする研究も行なっています。即ち、山菜を含む、美味しく、栄養のある食材を探すこと、及び、それらを使い、美味しい料理を作る研究も行なっています。
これらは、今まで、趣味で行なってきたことですが、今回、自分の体のことを真剣に考えるようになったことで、趣味が、私の仕事(研究)の一部になりました。これも教えてもらうのではなく、家族や友達のために、実地で、美味しいものを作る、ことに力を入れ始めました。そのときの思いつきや勘で、いろいろなものを作っています。蕎麦掻、甘酒、骨付き鶏カレー、サラダ、デザート、漬物、など、いい加減ですが、結構美味しいものを作ることができるようになっています。
さらに、本章をまとめると
いずれにせよ、難しい問題の解決に、全身全霊(霊は心という意味で)を注ぎ込んでいけるようにするためには、まず、自分の心も体も、もっともよい状態にしておきたいものです。
心に関しては、
自らが素直、正直で率直になり、心の通い合う仲間同士のお付き合いができること。
体に関しては、
健康であること。そのために体の痛みを和らげられるようになることと、体にいいものを美味しく食べられるようにすることが大事だと考えます。
その上で、次章以降で紹介していくような、いろいろな研究を進行させていきます。
今の予想では、全部をまとめるまでに相当長い年月がかかりそうです。因みに、前論文「私の問題解決の考え方」は10年以上かかりました。
従って、今回は、自分の寿命のことも考えて、1章書くごとに本にしようと考えています。
次章のことはまだ決めていませんが、これから立ち向かう難問の解決のために必要な心と体の状態を作るためにやっている研究の紹介から始めたらどうか、と考えています。
それからどうするかは、未定ですが、私のやっていることは様々で、精神分裂症みたいですが、最終的には、一つのお話にまとまっていくと思います。
やっていることの例をあげると、
古文書解読、自然に親しみ、大事にすること、山菜採り、甘酒作り、蕎麦掻の研究、株取引、骨付き鶏カレー、サラダの研究、アコーディオン演奏の習得法、曲の伴奏のつけ方の研究、おしゃべり、分かりやすい文の研究、率直なものの言い方の研究、話をきちんと聞くクセをつける、機械になるべく頼らない生き方、モノを大事に使う、自分で実際にやってみる、体で覚える、思考過程の無意識化、老後について考えること、脳トレは本物の問題解決で。
などなどです。
これまで経験で分かっていることは、自分がやっている、関係がないと思われる、いろいろなことがつながっていく、ということです。
いろいろな出来事、付き合う人、やること、考えること、話などが、です。
また、たまたま起きるような出来事や出会いも予期しない影響を及ぼすことでしょう。でも、皆、研究全体のまとめには大切な部分になるのです。
最後にもう一つ追加
この時点で、上記のように、心と体をもっともよい状態にするだけでは不十分だと気づきました。そのきっかけは、上で使った「霊」という言葉です。心という意味だけでは、ちょっと足りないかなと感じたのです。
また、ちょっと前、宇都宮の羽黒山神社へ参拝したとき、朝霧の中の、神社の森で、これは「神の森」だと直感してしまったのです。心も体も洗われるような、いい気分になったのです。また、心と体だけより、もっと何かあるな、と感じたのです。そういう気分で撮った写真を章末に示します。(たまたま、撮影機能の向上した、新しい携帯(スマホ)に買い替えていたので、この写真が撮れました。)
そして、心と体だけでは、問題解決はできないと気づいたのです。
神様とか、霊とか、思いとか、生命の原動力とか、偶然とか、勘とか、縁とか、運とか、想定外のこととか、人間の知識や経験では説明できないようなことが、難問の解決を成功させたり、失敗させたりしているのです。
ですから、「全身全霊」というより、意味を広げて、「霊」を「魂」にして、
「全身全魂」
という四字熟語を作りました。人間の、体(肉体)以外全てを「魂」という言葉で表わしました。つまり、この中に、上記の、人間には分からないようなことも含めます。(キリスト教の教えの勉強から、この、「魂」という字を選びました。)これらのことを頭において、これから、いろいろな問題の解決を進めていきます。
最後に、「全身全魂」の四文字を、問題を、自分のものとし、自分の全てを注ぎ込む、という気持(心)を込めて、下手ですが、自分で書きました。練習なしの、ぶっつけ本番です。これも章末に示します。
なお、これで、やることは増えてしまいましたが、素直、正直で率直を心がけ、心の通い合いを目指す、という考え方は、適切なものであることに変わりないと感じています。
神様を感じた、たった一枚の写真です(新しいスマホで一枚だけ撮影)。
全身全霊では不足だと感じました。
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