学ぶ  神様は考えるのか?



「自分の研究(仕事)をどのように成功させたらいいのだろう。」
というようなことを「考える」とき、統計学が役に立つのです。
「考える」とは

経験や知識を基にして、未知の事柄を△解決(予測)しようとして、頭を働かせる。

Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

ということだそうです。私流に言えば、分からないことを分かるようにしようとすることになるでしょう。分からないことがどのくらい分からないかと思い巡らすことでもあるでしょう。

では、神様は考えるのでしょうか。神様が全知全能(何でも知っていて、何でもできる)ならば、分からないことはないのです。ということは、考えることもないのです。そうすると、全知かもしれませんが、全能ではないということになるのでしょうか(考えることがない)。これは人間の尺度で考えたらということになりますが。

「神様はサイコロを振らない。」
これはアインシュタインという有名な物理学者が言った言葉なのです。もう一人の有名な物理学者ボーアが、自然現象をつきつめていくと、我々がどんなに頑張ってもはっきりさせることのできない(不確定、決められない、従って、確率を使って表現しなければならない)部分がある、と言ったのです。そうしたら、アインシュタインが上の言葉を言ったのです。つまり、アインシュタインは、自然現象はきちんと決まるはずだ、私たちがそれを知らない、又は分からないだけであると。そして、彼自身は自然現象を分からないところなしに表せる方程式(理論)を探しつづけたのです。(私はいい加減なので、正確ではないかもしれませんが。)

統計学でも同じように、2つの考え方があるのです。
1.世の中には、分からないこと、制御できないことがあるのはどうしようもないことである。その確かさ、可能性などを確率として表そうというのである。それを使ってできる限りのことをしようというのである。
2.もう一つの考え方えは、世の中のいろいろな現象は、頑張れば、知ることも、制御できるが、今は、その知識がないだけである。確率を知識の度合いと捕らえるのである。だから、確率はその人の頑張り具合によって変えられるというのである。

コインを投げる実験で考えてみましょう。

一つのコインがあるとしましょう。円形で、平らで、全部同じ材料で出来ていて、均質(空洞などない)のものなら、表の出る確率は1/2であると言えるでしょう。それで、これをコインの性質として受け入れて、いろいろな検討をするのです。表を当てる賭けをするときなど、いくらなら賭けても損はないだろうか、など。これは1の考え方です。

ところが、もう一人の人はこう考えるかもしれません。この人は物理を習っていて、「待てよ。物体の運動というのは計算できるはずだ。最初、コインをどういう風に持って、どういう風に投げるか、そして、コインが落ちる床とか机の表面の形(でこぼこの具合など)を正確に与えてやれば、投げた瞬間に表が出るか裏が出るかわかるはずだ。確率が1/2だというのは、私が現段階で何も分からないからであって、今の計算ができれば、あるいは、私が練習して、表が沢山出るように出来れば、この確率は、コインが同じでも1/2ではなくなるのだ。」これが2の考え方なのです。

私は2の考え方が好きです。頑張れば、やりたいことの確率を上げられる、今は、その知識がないから確率が低いだけである、というように考えると気が楽になって楽しくもなるような気がします。

そのためには考えなければいけないのです。
人間には、疑いなく、分からないことだらけです。でも、頑張れば、分からない部分を減らせるのです。従って、考えることは最重要で、学校でも、子供が、
「自分で考えて、判断、行動できる」
ように教育している(?)のです。ところが、先生だって普通のおじさんやおばさんで、自分で考えて、判断、行動しろ、というのは無理だと言う先生もいるのです。

神様は考えなくてもいいですが、人間は考えなくてはならないのです。人間は「考える動物」と言うより、「考えなければならない動物」と言った方がいいでしょう。それから、考える動物は人間だけではないと思います。


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