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番組構成師 [ izumatsu ] の部屋
「石の証言〜平和の塔の真実〜」
制作:UMKテレビ宮崎 放送:1999年5月29日
宮崎市平和台公園。休日には家族連れで賑わうこの公園に「平和の塔」と呼ばれる石造りの塔がそびえています。その正面には、大きく『八紘一宇』という文字が。
日本のアジア侵略を正当化するために使われた言葉、『八紘一宇』。その言葉が彫られた塔がなぜ「平和の塔」と呼ばれているのでしょう?
塔の足元、土止めとして使われている石には「多田部隊萬里長城」と刻まれています。中国が世界に誇る建造物、万里の長城。その名前が記された石が、なぜここにあるのでしょう?
そんな疑問から、番組はスタートします。
◆番組概略
「平和の塔」は元々「八紘一宇の塔」と呼ばれていました。その土台は、数多くの石で組み上げられています。1700個以上にものぼる、大きさも石質もバラ バラの石、ひとつひとつには寄贈した団体の名前が刻まれています。そのほとんどが、朝鮮半島や中国に進出していた日本軍や日本人居留民団の名称です。
1937(S12)年7月7日、中国、北京市の南西に位置する廬溝橋で、日本軍と中国軍との戦闘が始まります。日中戦争の幕開けです。
この「廬溝橋事件」と同じ日、ひとりの男が新しい宮崎県知事に任命されました。相川勝六(あいかわ・かつろく)。「八紘一宇の塔」の生みの親です。
当時は、昭和15年が初代神武天皇が即位してから二六〇〇年目にあたるとされ、国をあげての祝賀行事が進んでいました。
相川は、神武天皇が日本国を建てた出発点となったここ「日向の国」こそ日本の祖国だと主張します。
神武天皇が日本を肇国(ちょうこく)される時の大きなご精神。
今日の東亜の天地に拡充され、世界に向かっている。
この精神を日向の地で現す、何か具体的なものを作りたい。
昭和13年の宮崎県議会で相川はこう力説しました。
相川の言う、神武天皇の精神を具体化したもの。それが「八紘一宇の塔」なのです。
遠く日向灘を望む高台で「八紘一宇の塔」の建設が始まります。その土地は背の低い竹で一面が覆われていました。それを切り崩し、整地したのは、子供たちを中心とする「祖国振興隊」でした。
「祖国振興隊」の発足は昭和12年12月。県民の勤労奉仕精神を高めるために、相川が全国に先がけて作った画期的な組織でした。子供たちはツルハシとスコップで土を掘り、モッコで運びます。車輪のついたリヤカーが、当時の新兵器でした。
「八紘一宇の塔」は一種奇妙な形をしています。その形を決めたのは、相川勝六自身です。建設当時、県会議員として相川の構想を聞いていたI氏は、こう語ります。
「御幣ですね。神官さんが持っている御幣、あの御幣で世界を祓い浄めよう考え方から出発してるんです。相川さんが『風呂の中で、夕べ、オレが思いついた』と言われたことを憶えてますわ」
その特異な姿とともに「八紘一宇の塔」の性格を特徴づけているのが土台に使われている石です。朝鮮半島、台湾、中国などの占領地から送られた石で築かれているのです。
相川はこう言っています。
材料の一部として、東亜はもとより、世界の各地、
御稜威(天皇の威光)の及ぶ所より石を集める。
昭和14年7月15日、相川は陸軍大臣板垣征四郎に宛てて『献石依頼文書』を送り、陸軍の協力をあおぎます。その依頼は即刻受理され、中国全土に展開する陸軍部隊へ次のような通達が出されました。
個数は軍、または師団ごとに各々二個を標準とし、
うち一個は軍または師団司令部所在地付近のもの。
一個はなるべく第一線付近のものとなす。
第一線においては、なるべく皇威の及べる極限点付近のもの。
各部隊の動きは敏速でした。陸軍が通達した昭和14年7月29日からわずかに20日後、最初の石が中国山西省に駐屯する部隊から石が送られます。その後、中国各地から次々と石が送られてくるようになりました。
石を送ることを命じられた部隊は、まるで手柄を争うかのように、特徴のある石を送りつけます。1700個以上にのぼる石の中で異彩を放つのは、麒麟の浮き彫りがある石。その石には送り主の名称が刻まれています。「南京日本居留民会」。
昭和12年12月10日、日本陸軍は中国国民政府の首都・南京を総攻撃。わずか三日後の13日には敵軍を完全に制圧、南京を占領します。その時の戦いで、数多くの文化財が破壊されました。
南京博物館の王興平館長は、「八紘一宇の塔」に使われている麒麟のレリーフは、明の時代に建てられた建築物の一部だと考えています。今に残る明時代の故宮跡。ここに残る獅子のレリーフに用いられた技法が「八紘一宇の塔」の麒麟と極めてよく似ているのです。
王さんは麒麟のレリーフが彫られた石についてこう語ります。
「この石は非常に珍しく、貴重な文化財であると言えます。とても貴重です。もしこの石が南京に返還されれば、我が国の国宝になると思います」
中国の貴重な文化財、国宝級の芸術品を土台に、「八紘一宇の塔」は立っているのです。
中国から運ばれた石の数は、わかっているだけで228個。そのうち出どころがはっきり特定されているのは、唐草模様が彫られた石だけです。
「中支志賀中山部隊」と刻まれているこの石は、元上海市政府庁舎、現在の上海体育学院の門から切り取られました。
この建物には、同じ作りの門が東西南北、四ヵ所にあります。この四つの門のうち、東門が日本軍の攻撃によって破壊されました。ですから、昔のままの花崗岩で出来ている他の三つの門と違い、東門だけはコンクリートで復元されています。
日本軍の攻撃で上海が陥落したのは昭和12年8月。その2年後、元上海政府庁舎東門の石が陸軍部隊により、日本・宮崎へと運ばれたのです。
遠く、中国奥地からも石が送られています。
内モンゴル自治区清水河。ここには日本陸軍が駐屯した建物が今でも残っています。この街から荒野を進むことおよそ80キロ。そこに明代に築かれた城跡があります。この地では、激しい戦いがくり広げられました。
一個は第一線の、なるべく皇威のおよべる極限点付近のもの。
陸軍が通達したこの指示に従い、兵士たちは中国軍との激しい戦闘の中、石を奪い、日本へ送ったのです。それは部隊の名前を高め、その勇猛さを知らしめるためでもありました。
中国人の心の拠り所からも石が運ばれました。
昭和15年11月22日付の大阪毎日新聞は、中国・泰山の山頂から石が送られてきたという記事を掲載しています。
泰山は秦の始皇帝をはじめ、漢の武帝など、歴代の皇帝が天を奉る儀式を行った神聖な場所です。
また、泰山は豊作の神でもあり、子宝の神でもあります。休みの日となると一日に10万人以上の人たちが7000段ある階段をのぼって頂上を目指します。今でも、中国の人々が泰山に寄せる思いは変わりません。
その山頂を石の採取場所に選んだことに、中国全土を征服しようとする日本陸軍の野望が現れています。
中国での戦闘が長期化していくにつれ、「八紘一宇」という言葉は日本という国が進むべき姿勢を表す言葉として使われはじめます。昭和15年7月26日、閣議により決定された「基本国策要綱」では、その基本方針として「八紘一宇」の言葉が用いられています。
皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基ヅキ、
世界平和ノ確率ヲ招来スルコトヲ以テ根本トシ・・・・・・
「八紘を一宇とする」即ち「日本の元に世界を統一する」ことが、日本という国の_ り方の根本に据えられたのです。
昭和15年11月25日、「八紘一宇」が国の方針に定められてから四ヶ月後、「八紘一宇の塔」は完成し、盛大な式典が開かれました。四隅に戦いや農業を司る神の像が立つ塔には、秩父宮直筆の「八紘一宇」の文字が彫り込まれていました。
「やっぱり私たちも神がかってたんですかね、なんか崇高な気持ちがしましたね、あん時」
「宮崎県の誇りであった。その意気込みにつきたと思いますね」
塔の建築にあたった人たちの言葉です。
昭和16年12月8日、日本は真珠湾を攻撃。太平洋戦争の始まりです。この日の朝、首相・東条英機はラジオでこう演説しています。
建国二六〇〇年、我らはいまだかつて戦いに敗れたことを知りません。
八紘を宇と為す皇謨(こうぼ/天皇の治世の道)の下に
英米といえども何らおそるるに足らないのであります」
「八紘一宇」の言葉と共に、日本は破局への道を一直線に進んでいきました。
敗戦から5ヵ月経った昭和21年1月、「八紘一宇の塔」が変貌します。「八紘一宇」の文字と、四体の像のうちの戦いの神「武人像」が一夜のうちに消えたのです。
進駐軍の命令とも、戦争責任の追及を逃れるために県当局が取り外したとも言われていますが、いまだに真相は不明のままです。
戦後、日本は奇跡的な経済復興を見せます。朝鮮戦争の特需で景気を回復し、昭和26年9月のサンフランシスコ講和条約で日本は主権を復活します。
さらに昭和30年代、神武景気と呼ばれる好景気にわき、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した昭和31年には国際連合に加盟。敗戦からわずか10年あまりで日本は国際舞台に復帰したのです。
高度経済成長の波に乗っている間に、「八紘一宇の塔」はいつしか「平和の塔」と呼び名を変えていました。
昭和32年、宮崎県は「八紘一宇の塔」が立つ「八紘台」の名称を「平和台公園」と変更することを決定。「平和の塔」は観光コースに組み込まれ、戦争の色は消されていきました。
昭和30年代半ば、新婚旅行のメッカとなった宮崎県。観光業界を中心に「平和の塔」を元の姿に戻そうという声が起き始めます。それが実際のものとなったのは、昭和37年のこと。取り外されていた「武人像」が元の姿に戻ったのです。
この復元運動の中心となったのは、観光立県・宮崎の生みの親であり、当時は県の観光協会会長だった岩切章太郎宮崎交通社長でした。
取り外されてから7年。念願の「武人像」復元はなりました。しかし、「八紘一宇」の文字が塔に戻るには、もう少し時を待たねばなりませんでした。
昭和39年9月。「平和の塔」は全世界の注目を集めます。アジアで初めて開かれる東京オリンピック、その聖火リレーの起点に選ばれたのです。
昭和15年、全世界に居住する同胞たちから寄せられた、
約2000個の座席の上にそびえ立つ「平和の塔」・・・・
アナウンサーの言葉に導かれるように、聖火リレーはスタート。「八紘一宇」の文字が消され、ノッペラボーとなった「平和の塔」は、セレモニーを演出しました。
オリンピックの興奮さめやらぬ昭和39年12月26日、宮崎観光協会を代表して岩切章太郎は「八紘一宇」の文字復元申請書を黒木博宮崎県知事へ提出しました。
役所の御用納め直前に提出された申請書は、年が改まったばかりの昭和40年1月12日、許可されます。この、異例とも入れる素早い対応に、黒木知事はこう語っています。
「復元許可は私としては当然だった。塔はあくまでも芸術品であり、一部が欠けていては不完全だし、文字が入って初めて本来の姿に戻るのだから」
1月12日に許可された「八紘一宇」の文字復元。しかし、工事は許可の前に始まっていました。それだけではありません。「八紘一宇」の文字は、石版四枚に既に刻まれ、1月早々には完成していたのです。
県の対応に反発し、「八紘一宇」の文字復元に反対したグループもありました。しかし、その主張は入れられませんでした。県の言い分は、こうでした。
「八紘一宇」という言葉は悪くない。
悪いのは誤って解釈した人たちだ。
本当は、世界平和を願う、という意味を持つ言葉なのだから。
「八紘一宇」復元の先頭に立った岩切章太郎は、その言葉の意味をオリンピックの精神になぞらえて、こう書いています。
スポーツを通じて世界はひとつ、というのがオリンピックのスローガン。
世界の凡てを一家のように睦まじくというのが八紘一宇の文字の本義。
二千六百年の昔、神武天皇はこの美しい理想を八紘一宇という言葉で
表現された。
岩切が神武天皇の言葉とした「八紘一宇」。一般に『日本書紀』からの引用とされています。しかし、該当する箇所には「掩八紘而為宇(あめしたをおおいていえにせむ)」という神武天皇の言葉が記されています。
実は、『日本書紀』に「八紘一宇」という文字はないのです。
日本建国の精神とされ、国としての進む道・国是として閣議決定もされた「八紘一宇」という言葉。これは宗教家の田中智学が『日本書紀』の記述を元に、明治時代末期に作り出した造語です。
初代・神武天皇の言葉を一民間人が作り替えた「八紘一宇」。この言葉を国是とすることには、国会の場でも疑問の声があがりました。昭和16年3月には「八紘一宇に関する問題」と題された秘密会まで開かれているのです。
「八紘一宇」という言葉の生みの親・田中智学は大正14年3月、陸軍主催の講習会で「八紘一宇」の意味をこう述べています。
万邦をひとつの家にする、八紘一宇。
即ち、世界統一だ。
岩切章太郎が言うような、世界が一家のように睦まじく暮らす。そんな美しい理想は、この言葉には初めから込められてないのです。
昭和天皇が「八紘一宇」を避けたという事実が、天皇に長く仕えた入江相政侍従長の日記に記されています。それは昭和54年10月、宮崎で開催された国体の時のこと。
当初、県当局は「八紘一宇の塔」の上に天皇に立ってもらい、塔の回りを一周してもらう計画をたてていました。
しかし、天皇は塔には立ちませんでした。
その時の天皇の気持ちを、入江侍従長はこう書いています。
宮崎の八紘一宇の塔の前にお立ちになって、
市民の奉迎にお応えになることにつき、
割り切れぬお気持ちがおありのことが分かり・・・・
結局、上へお上がりにならず、・・・・塔の回りを一回りもやめる、
ご安心なるように話す。きっとお喜びだったろう。
国民が高度経済成長に浮かれていた当時、この塔の持つ性格、「八紘一宇」の文字が使われた意味を最も理解していたのは、天皇その人だったのです。
中国、朝鮮半島、台湾など、日本が占領し、侵略した場所から集められた石で築かれた「八紘一宇の塔」。
しかし、その誕生のいきさつも、文字の使われた意味も知らない、知ろうとしない日本人。かつて侵略された体験を持つ人々には理解しがたいことです。
「どうして『平和の塔』と呼べるんですか。日本軍が他の国から奪った石で建てたものでしょ。この塔を『平和の塔』と呼ぶべきではない。『侵略戦争の塔』と呼ぶべきです」
(李金虎上海体育学院副教授)
「塔をそのままにしておくことは教育的な意義があると思います。日本の若い世代に、過去の日本の歴史に不名誉な部分があることを警告してくれるでしょう。最も重要なことは、塔のそばに、はっきりと説明した碑を建てることだと思います」
(于延俊中国人民抗日戦争記念館副館長)
「平和の塔」の中には「巌室」と呼ばれる空間があり、8枚のレリーフが保存されています。それは天孫降臨から神武天皇即位、明治天皇による東京遷都など、皇紀二六〇〇年にちなんだもの。
8枚のレリーフのうちの一枚に「民族協和の図」と題されたものがあります。
女神を中心に手をつなぐ三人の子供たち。大和民族や漢民族など、アジアの民族を表しています。
女神は右手を高く掲げ、平和の象徴である鏡で子供たちを照らしています。
しかし、その女神の背後に描かれているのは、飛行する爆撃機と突撃する兵士たち。
軍事力によって強制的に融和された民族たちの、つかの間の平安。
このレリーフは、「八紘一宇」という文字に込められた精神を端的に表しているのです。
中学生の頃、祖国振興隊の一員として「八紘一宇の塔」の建設にかり出された経験を持つある人は、あいまいな「平和の塔」の存在について、思いをこんな風に語っています。
「やっぱり、はっきりした方がいいんじゃないと? 古戦場とかね、モニュメントとか。
あんまりどっちつかずのことを・・知っとって知らんぷりする、ということはやっぱり卑怯やろうな」
◆制作の思い出
宮崎市の「平和の塔」については、以前から妙な呼び方だと思っていたので、この番組の話をいただいた時は「やった!」と思いました。
ディレクターのS氏と一緒に石のひとつひとつを見に行き、どの石の由来を追うか、考えました。朝鮮半島や台湾からやってきている石もたくさんあったのですが、映像的に特徴がないものが大半でしたので、結局中国の石四つを代表として取り上げることにしました。
塔そのものの歴史や土台となった石ひとつひとつについては、宮崎の市民団体が詳しく調査され、資料集も出されていたので、とても助かりました。
大抵の場合、編集用の構成を作る前に、まずインタビューすべてを書き起こすのですが、この番組では取材対象者が多かったので、ぼくやS氏、そして局のアルバイトの皆さんにも手伝っていただきました。
結局書き起こしは、A4の用紙にして全部で400ページくらいあったでしょうか。
それを何度も読み、インタビューを抜粋するのが大変でした。
撮影と編集を担当したT氏は、粘りに粘って素晴らしい映像を撮影し、巧みに編集してくれました。S氏の取材での根性と、T氏の夜を徹した編集作業で、番組に深みが増したことは間違いありません。
◆後日談
日本民間放送連盟の最優秀賞(教養部門)をいただいたのですが、そのことをぼくに最初にご連絡くださったのは制作局長でした。それからプロデューサーのM氏。
ディレクターのS氏は、とうてい賞にはひっかからないだろうと実家に帰っていてなかなかつかまらず、電話がかかってきたのはかなり遅い時間でした。
本当に驚いた様子がちょっとおかしかったことを憶えています。
後日、局主催の祝賀パーティがあり、ぼくもご招待を受けました。
宮崎市内のホテルの広い宴会場には、局および関係会社の社員の皆さんがほとんど揃い、系列のキー局3局はじめ、たくさんの来賓の方たちがつめかけていて、その盛大さにビックリしました。
1時間くらいで閉会の言葉となり、集まった人数にしてはずいぶん短いなぁと思ったのですが、ここで会場をあとにしたのは来賓の方々などお客さんたち。それからは無礼講ということで、社員の皆さんとドンチャン騒ぎました。
粋なはからいをするんだなぁと嬉しくなりました。
今では局長も、プロデューサーのM氏も、ディレクターのS氏も、制作を離れてしまいました。移動を重ねつつ、昇進していくのは会社勤めの常とは言え、きちっとした番組を作る力量を持つスタッフが現場を去ることはやっぱり惜しいと思います。
(2003年10月記)
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