番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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やるほど“赤字”とは



ふと、思う。
ドキュメンタリー番組の構成なぞ、仕事にしてていいもんだろうかと。

ぼくはフリーになるまで10年間、月給貰う会社員だった。数ヶ所、転々としたけれど。
会社は利益をあげるところ。利益が社員に還元される。
当然、儲けはなによりも大切だ。

学校を卒業して最初に入った会社では、

「給料の3倍、稼げ!」

そう、何度も何度も言われた。

最初の会社は調査会社で、ぼくはマーケティング・リサーチ(市場調査)部門に配属された。
直接営業に携わるわけではないので、売り上げと利益のバランスなどはよくわからなかったが、
自分の担当する調査はいくらで請け負ったかを知ることはできたので、
イヤでも“売り上げ”を意識させられた。

たとえばA社から800万で某製品の好感度調査を請け負ったとする。
その仕事は、調査報告書としてA社に納品されることで完了。
平たく言えば、「調査報告書1冊が800万」ということなのだ。

素人に毛が生えた程度のぼくが調査票を作り、調査を実施し、
アウトプットを見ながら書いたコメントやグラフを製本機で閉じた数100ページの報告書。
A社はそれを800万という大金で買うのである。

恐ろしい世界だと思ったし、それなりに緊張もすれば、やりがいもあった。

まだパソコンどころか、ワープロの“ワ”の字もなかったころ。コメントもグラフもすべて手書き。
方眼紙に折れ線グラフを書くためにバイトと共に徹夜したりは日常茶飯事。
そうして体を張って作った報告書をクライアントが買う。

なるほど、資本主義だと思ったし、経済活動の中に組み込まれていることも実感した。
社会の歯車になったとナナメに見ることもできた。

ところが、いまのぼくの仕事は、やればやるほど“赤字”なのだ、局の経営上は。

いま、数本の番組が並行して進んでいるが、どの番組も黒字は望めないドキュメンタリー系。
黒字どころか、スポンサーがつかない可能性の方が大。
社外スタッフのぼくはもとより、社員が動き、カメラや編集機が稼働するだけで“赤”なのだ。

じゃぁ、なぜそんな儲けのない番組を作るのか。
それは、たとえ見る人々の数が少なくても、伝えなければならない「モノやコト」があるから。
それが、マーケットサイズを無視して存在が許されているテレビという組織の果たさなければならない役割であり、義務だから。

テレビが存在しえる原点はここにある。これしかないのだ。

テレビ局とて営利企業だから儲けは大切だ。
その指標として視聴率を追っかけるのも当然のこと。

しかし、一方で、日常の何気ない出来事にかいま見える人間という存在の不可思議さや、
現実に流され消え去ろうとしている事柄、
いまだから重く振り返ることができる歴史上の出来事など、
“数字”を気にしていては伝えられない内容を番組にして視聴者に提示することも、
テレビに課された大切な仕事だ。

ぼくは、自分がその役割の一端を担っていると考えるから、
あれやこれやと資料を探したり、パソコンに向かって台本を考えたりできる。

自分が動いても、なんら経済的なプラス効果は生まれない。
いや、動けば動くほどテレビ局という企業には“赤字”がふくらんでいく。
そんなことばかり考えていたら、身動きがとれなくなる。

しかし、ときどき思うんだなぁ。
利益を生み出さない仕事ってアリなのか?

やっていることがその存在理由以上に、経営上プラスにならないと判断されると、
ぼくのようなフリーランスはあっさり切られるし。


もうかなり前のこと。某局の幹部がこう言い放ったことがある。

「視聴率の取れないドキュメンタリーは作る必要がない」

聞きながら思った。
テレビ局がなんたるかをもっと勉強してこいってんだ!

視聴率だけ欲しいなら、東京キー局が作った、おもしろ楽しい番組だけ中継すればいい。
それこそ、金食い虫の制作部なんて必要ない。廃部してしまえ。
テレビ塔会社になって電波の中継だけしていれば、人件費もかからない。
その塔の中で、儲けを思い浮かべつつふんぞり返っていればいいじゃないか。

それでもローカル局が“テレビ塔会社”へと変身できないのは、
ローカル局は、地元エリアへ情報を伝達すると同時に、
地元の情報を吸いあげ、活用することを期待されているからだし、それが義務だから。

給料を貰うための“権利”じゃない、存在するための“義務”なのだ。

視聴率をとれない→必要ない!

こう言った幹部は、この“義務”をどのくらい考えてそう言ったのだろうか。


“デジタル化完了のあかつきには、東京キー局はローカル局を見捨てる”

こうした噂もまことしやかに流れている。

衛星からデジタル波を降らせれば、ローカル局の力を借りずとも全国放送は技術的に可能だから。
地元に系列局がなければキー局の人気番組を見ることができないという不備もなくなる。
視聴者は万々歳。

ローカル局は“いらなくなる”のだ。

ホントか?

ホントかもしれん。

いらなくなったローカル局の人間は、なにを自らの“売り”にするのだろう?

他の業界の経験がなく、最初からテレビ局に入り、そのまま制作畑で働く人には実感しづらいとは思う。
「給料の3倍、稼げ!」という言葉は。

しかし、メーカーや商社をはじめ、他の業界・業種はそれで動いている。

そう思うと、やればやるほど“赤字”。経済的に寄与していない自分の仕事。
これがのうのうと存在していいものなのかどうなのか・・・・・・??

また冒頭のボヤキに戻り、メビウスの輪と化すのだった。




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