全199件 (199件中 1-50件目)
蒸し暑い・・・。一体ここの空調は何度の設定になっているのか。今でさえこんなに暑いのだから、7月8月はいかばかりかと憂鬱になる。4月に更新して以来の更新である。5月には奈良に行った時のことなども書きたかったのだが、いつのまにか月が変わってしまった。が、書いておきたいので書くことにする。奈良へは「国宝鑑真和上展」を見に行ったのだった。小学生の頃に訪れた唐招提寺で、国宝の鑑真和上座像は公開していないという話を聞いて以来、死ぬまでに絶対に見たい彫刻となっていた為である。高校生になって井上靖の「天平の甍」を読んだり、仏教の授業で和上の日本の仏教に残した功績などを学ぶにつれ、見たいという欲求は益々膨れ上がっていった。私の住んでいるところから奈良へは同じ近畿圏と雖もかなり離れている。いつもの私ならばこの距離を考えただけで挫けそうなものだが、今回ばかりは積年の望みがかなうとあって、自分でも考えられない様な行動力を発揮することとなった。他の地域で開催された時はどうだったのか知らないが、奈良国立博物館は雨のせいもあってか、ゴールデンウィーク真っ最中の割にはマシな混雑ぶりであった。のっけから国宝の四天王像が国宝っぽくなく無防備に(本当はそんなことないのだろうが)展示されていて、友人と「頭のおかしい人が走ってきて突然抱きついてもしゃーないよな」などと云いながら、我々もかなり近づいてつらつらと観察させて頂いた。とても堀辰雄の様に抒情的に表現出来ないのがもどかしいが、大陸の影響を受けた丸みのある姿は怖い顔ですら優美である。面白かったのはその梵天立像の台座裏に描かれた工人の落書きである。男根、女陰、人物、動物などが描かれている。神聖であるべき像を穢すかのごとく描かれた下品な落書きは、やってはいけないことをあえてやりたいという、今も昔も変わらない普遍的な事実を表している様で、古代の人と現代人が同じ人であることを現実的に認識させてくれる。これらの像の衣服は乾漆で作られている。乾漆というのは当時とても高価であった漆をふんだんに使う技法であり、よほどの権力や財力のある人物にしか作ることの出来ない像であったらしい。名もない工人が己の作品に署名の如く残した落書きは、ちょっとした意趣返しの様なものなのかも知れない、などと想像してみる。工人は、何も知らずに男根や女陰を戴いた梵天を受け取った注文主、ありがたそうに手を合わせる人々を見て多少の溜飲を下げたのではないだろうか。鑑真和上座像のある部屋の入り口まで来た時、生きている、尊敬する人物に初めてお目にかかるのと同じような動悸を感じた。ここにいらっしゃる、そう思うと緊張さえする様である。なんだかすぐにお会いするのが勿体無い様な気分になりながら一歩を踏みいれた。像はガラスケースに納められていた。--- なんと美しい人なんだろう。それが最初の印象であった。薄暗い照明の中、力みの無い姿勢で端然と佇まれている姿は、すべての物事が鑑真和上の中ですっきりと腑に落ちている感じがして非の打ち所がない。今思い出しても涙が出そうになる程美しく、私は像の前で思わず手を合わせずにはいられなかった。例えば、ローマにあるミケランジェロのモーセ像は、モーセを表現しながらも、実際そこに表れているのはミケランジェロ自身の姿であると私は思う。対して、この坐像の中には和上の為人が具現化されている。弟子が生きているうちに作られたから、という理由だけではなく、この像が、和上の人柄や功績を偲びその姿をこの世に永続的に留めておきたいという人々の、強い思いの結実であるが故であろう。どんな書物を読むよりも、この像にお会いする方が余程、和上を知る手がかりになるのではないだろうかと強く感じた。博物館を出ると折からの雨はいよいよ強くなり、奈良公園の鹿達も、木陰にうずくまりじっと雨に耐えている様であった。併し、差した傘をものともせず襲いかかる雨粒も、私の満ち足りた気分に水を差すことは出来なかった様である。雨に打たれながらも私は、奈良漬と母の好きな煎餅を買って意気揚々と帰路についたのだった。***※先日「鑑真和上が盲いたのは晩年であり、渡来した時は見えていた。」という説が報道された。確かに「渡日途中に盲目となった」ということが小説などに描かれ、我々もそれを鑑真を語る上で欠かせないエピソードの様に認識してきた。が、いつ盲目になったか、ということは実際のところたいした問題では無い。日本へ渡ることを決断した54歳と云う年齢は現代の54歳とはまるで意味が違う。いつ死んでもおかしくない様な老人が、日本へ正しい戒律を伝えたいという利他の一念でもって、幾多の艱難辛苦を乗り越え10年もの歳月をかけて渡日したのである。しかも彼は玄宗皇帝が才能を惜しんで出国を禁じた程の高僧なのだ。中国にいれば安泰の人生を捨てて、未開の日本へ渡るなど、なまじの人間に出来ることでは無い。先日バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したピアニストの場合も同じである。盲目である、ということはその人を構成する一部分でしか無く、(髪が長いとか背が高いと同じ)彼の演奏が素晴らしいことと、盲目であることは関係が無い。本来は「盲目のピアニスト辻井伸行さん」ではなく、「ピアニストの辻井伸行さん」と紹介するべきだと私は思う。
2009.06.17
コメント(4)
私の好きなものがまたひとつ、この世界から消えていく。私の好きなものは大抵消えていってしまう。まぁ、永遠に続くものなんて存在しないんだから、どんなものでも遅かれ早かれ消滅の運命をたどることは自明なんだけれど。こう大袈裟に書くと「一体何が消えたんだ?!」という感じだが、実際のところ大抵それはほんの小さいものばかりである。最近の例でいくと、ティファールの電気ケトルの初代モデルが代表例で、多くの人にとってはいくらも代わりのある、どっちでもいいようなそんなものが殆どだ。併し、今回のこれはかなりショックだった。先週の24日、自分を慰労する為訪れた今出川の欧州料理店。あえて「欧州料理」と云うのは、シェフがフランス、スイス、ドイツ、オランダで修業した方で明確に何処の国の料理とは限定されていないからである。良い材料を丁寧な仕事で調理し、適正な価格で美味しく食べさせてくれる。いかにも欧州、と云った感じの質実剛健な料理は私の好みにぴったりで、本当にかけがえのないお店なのだった。注文を済ませて暫くすると、突然シェフがこう云った。「実は8月くらいでお店閉めるんですよ」不意を突かれて「え、そうなんですか」と間の抜けた返事をすると、シェフは「レストランは儲からないんですよ。うちみたいなやり方してると特にね。12年やったしもうそろそろええか、と思って。料理を食べにきていない客に料理を出すのもアホらしいしね。」と続けた。美味しいものを一生懸命手をかけて作っても、甲斐の無い客が多くなったらしい。京都は人口の割に料飲店が多い。数が多すぎて次々と潰れていっているのが今の現状である。はやっている店を持つシェフの後輩などは、「客が金に見える」と言い切って憚らないと云うが、育ちが良くガツガツしていないシェフは、そんな風に割り切った商売は出来ないししたくもないのだろう。シェフの話によると、彼はこれから「ソーセージ屋さん」を京都市内で開店するそうだ。京都には現在神戸のデリカテッセンの様な店は無い上、観光客も多いので商売になるのではないか、とのことだった。そしてそれに向けて着々と準備を進めていらっしゃると云う。来月にはオランダへ行って知り合いからソーセージの機械を譲り受けるのだとか。これからの計画を話すシェフは楽しそうである。元々欧州でソーセージの修業をされた方だけにソーセージ作りが好きなのだろう。過剰に儲からなくても好きなことをして生きていけるのは幸せだろうなーと思う。私のお気に入りが無くなることはとても寂しく残念であるが、無責任に「せっかくの腕が勿体無い」なんて云うことは出来ない。物事には引き際ってものがあるし、それを逸するとどうしようも無くなるということは、今の私が身をもって理解しているところだからだ。何はともあれ、シェフの新たな事業の成功を心より願っております。
2009.04.28
コメント(5)
ここ暫く、期末の決算で連日残業だった。そこへ体調不良も重なり心身ともに限界。仕事で失敗はする、PCは壊れる、と、とにかくロクなことが無い日々が続いた。4月に入って以降、明らかに運気が下がってる気がする。それもほぼ自分のせいで・・・。なんか、ほんまに、家に引きこもりたい気分である。近頃自分のことで手いっぱいで、周囲のアホにまで気がまわらない。神経も鈍麻してしまい書きたいことすら浮かばない。日々確実に馬鹿になっている気がするそんな状態の私でも、これは・・・!と思った事件。先日、帰宅ラッシュでぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだところ、私を奥に押しこんで乗ってきたおっさんが、狭い空間の中でムリヤリ広げて読みだした本のタイトルが「なぜ生きる」そんなこと考える前に、周りの状況についてもっと考えるべきやと思った。
2009.04.27
コメント(2)
大丸からこんなメルマガが来た。 「大丸★めざすはゲストの華。ブライダルゲストスタイル」新郎新婦を祝福しつつ、さりげなく存在感をアピールしたいのが女心。(2009/03/03) あさましい・・・。大丸、よくこんなキャッチコピーで出してくるなぁと心底驚いた。恐らく鈍感な人間が多いことに救われているのだろうと思う。あんまりびっくりしたので友人に転送したら、 「大丸、私もそうおもったわ、大多数の意見でまかりとおるんやわて。男は中2病やけど(*1)、女は松田聖子を正直やと憧れるやん?自己中の馬鹿を正当化し「女子的な可愛さ」と押しつけてきてお姫様きどりな…なんやろね あれは。大丸の例はそんな人らやな。」 とのこと。 納得。 *1:KinKi Kidsの堂本剛が「剛紫」と云うソロ名義でシングルとアルバム「美 我 空 - ビ ガ ク ~my beautiful sky」をリリースする件について、中2病をこじらせると大変なことになるもんだ、とそれまでのメールで話していた。中2病の最終形は長淵剛とか中田英寿。男の陥りやすい道。
2009.03.06
コメント(2)
家族で琵琶湖近くのホテルでランチ。車で湖岸を走っていると、沢山の水鳥が浮かんでいるのが見えた。駐車スペースに車を停め、しばし観察。空の色と比良比叡の山々と琵琶湖とが見事に調和し完璧なグラデーションを作っている。海の青の様に鮮やかでは無いが美しいブルーグレイの湖面。点々と浮かぶ水鳥たちが絵画の様な冬の景色の中に生き物の息吹を感じさせる。天気が良いせいか沢山の人が立派なカメラを構えて鳥達を撮影していた。そんな中、貧弱な携帯カメラで撮影したのが上の写真。せっかくの鳥達がただの点々にしか見えないのが残念である。右端の白いのは小白鳥、他のは真鴨、鳰(カイツブリ)、都鳥(ユリカモメ)等々。小白鳥は昼寝中で、観察している内にプカプカと流され岸から離れて行った。
2009.02.07
コメント(2)
![]()
身重の妹がいる。予定日は昨日2月1日だった。併し今のところ赤子が出てくる兆候は無く、妹は広がる骨の痛みに眠れぬ夜を過ごしているらしい。何れ出てくると理解はしているのだが、先日本屋で「3年身籠る」というタイトルの本を見てしまい、なんとなく、そんなこともある様な気がしたりしている。(実際は胎盤が持たない為無理)無事生まれてくれば晴れて私は伯母さんになるわけだが、伯母さんはさて何をしたら良いものか、さっぱり解りかねる。とりあえず赤子用の石鹸を作ってみたり、お祝いに上質のおくるみやスタイ(よだれかけを近頃はそう表現するらしい)を用意してみたり、外国の美しい絵本を買ってみたり、伯母さんてこんなもんかな、と考えながらそれらしい行動をとってみている。云わば伯母さんの真似事である。実際のところ、私は子供が好きでは無いので(動植物の方が好き)、出てくる赤子にどんな感情を持つものか我が事ながら非常に興味深い。母は初めての出産に向かう妹が心配でならない様だ。そしてなんだかんだ言っても孫が出来るということは内心楽しみらしく、色々と用意して準備を整えている。父は案外どーでもよさそうである。毎日の様にやってくる妹を見ると「あいつは嵩高い(腹が大きい為)」とぼやくこともある程だ。この両親が実際に赤子を前にしてどう変化するのかも見ものだと思っている。当の妹は人を1人この世にひり出すと云うのに全く暢気なものだ。自分の様に恵まれた(たぶん)人生を送る者でも、生きて死ぬのは大変な労苦を伴うものだが、生む側はそこまで深く考えていない様なのが見ていて不思議である。人が生まれてくるきっかけなどというものは、その後の人生の重さからは考えられない程安直なものなのだなぁ、と、しみじみ感じている。 胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか 夢野久作「ドグラ・マグラ」巻頭歌ドグラ・マグラ(上)ドグラ・マグラ(下)
2009.02.02
コメント(2)
◆「勇気をもらいました」優勝した力士を見てもオリンピック選手を見ても、頑張る身体障害者を見ても、元気な年寄りを見ても、とりあえず感想は「勇気をもらいました」。陳腐すぎる。そもそも勇気って他人からもらうものなのか。◆「甘い」(グルメ番組などの)素直に「美味しい」では許されないのかやたら甘いを連発する。併しもはや使い古されあえて「甘い」と表現することに何の意味も感じられない。◆「うざい」使う人間が皆、無条件で馬鹿に見える。ここ数年関西でも「うざい」を使う輩が散見される様になり「うざい」。
2009.01.28
コメント(2)
![]()
テレビを見ていて新社会党の女性議員の発言にビックリ!「神戸の街がテロリストに襲われたらどうする」という質問に、「何故そんなに襲われることばっかり考えるんですか?」「襲われないようにしたらいいんです!」と真面目に答えていた。怖すぎる・・・。彼女には国防の意識が皆無なのである。こちらが紳士的に出てさえいれば攻撃されるような事態に陥ることは無い、と本気で信じている様である。馬鹿じゃないの。(嗤)話し合いで何もかも解決できると信じているのだとしたら、それは歴史を知らなさすぎる。政治家が国防を考えなければ誰が国を守ると云うのだろうか?常に最悪の事態を想定して有事に備える意識を持つということは、べつに国防に限らず我々の普段の生活にも云えることだ。「政治は理想を語ることだ」と彼女は言うが、私は政治家の理想の道連れで死んでいくのはゴメンだ。政治というのは結果がよければ手段は正当化されるものである。逆に、どんなに高潔な理想を掲げても、結果が悪ければそれはやはり最低の政治と云わざるを得ない。国防
2008.11.30
コメント(2)
彦根市で「ゆるキャラまつりin彦根~キグるミさみっと2008」という祭が開かれるらしい。全国から所謂「ゆるキャラ」が集まるとのこと。「せんとくん」とか。でも、私の勝手な解釈によると、「ゆるキャラ」って恐らく当初は地方公共団体とか硬そうなとこが、本気でデザインして真剣に作った挙句、残念!どっかユルかった、という素人の一生懸命が裏目に出た、みたいなもんやったと思うのだ。で、それを「ユルいなぁ」と生温かく見守るのが、本来の楽しみ方ではなかったのだろうか。(知らんけど)そんな、一同に集めて「どやっ!」と作った本人らが見せるもんではないし、「これがゆるキャラでございます」と出されたものを見に行く様なもんでも無いと思う。だって、ゆるキャラ自体は別に面白いことも何ともないし、作った人らがユルいことに気づいてないことがおかしいだけなんだから。彦根市には「天然は己の天然に気付いたときに終わる」と云う名言を贈りたい。こんな祭、ほんまに「とんまつり」やと思う。
2008.10.20
コメント(2)

ひと気があまりなく使われていない部屋が沢山あり、そんな部屋の扉の一つを開けると、象牙で出来たインドの象の置物や優雅な時代の名残の家具などが、いつのまにか忘れ去られ、使われていた時代そのままに時間を止めている。私が子供の頃から理想の家としているのは、そんな、バーネットの「秘密の花園」やロビンソンの「思い出のマーニー」に出てくる様な、陰気で古びた大きな屋敷である。私の育った家は築100年以上は経とうかという古色蒼然とした日本家屋だった。母屋と、別に離れが2つあり蔵が4つある。古いのは一緒だけれど子供にとっては怖いばかりで、ロマンチックさなどは微塵もない家であった。そんな家の畳の上で諸外国の物語を読みながら、自分とはまるで環境の違う、遠い異国の風景や生活を空想する。遠い英国のお屋敷。フランスのお城。いつかは実際に見てみたいものだ・・・、と田舎娘の夢は枯野ではなく、遠くヨーロッパの空を駆け巡ったものである。往時の記憶が尾を引いているのか、今だにロマンチックで廃墟めいた、枯れた感じのするモノが大好きである。ヨーロッパの古い庭園やお城、修道院などは本当に好きでたまらない。そんな私が一昨日手に入れた本。京都のとある洋書屋で、定価の半額かつ2割引というお安さだった。併し今までに見たどんなインテリアの本よりも私の好みに合致している。ま、どこがお城だ、秘密の花園だ、と言われればそれまでなのだが、私が幼年より抱いてきた好きなお家のイメージにまさにぴったりだったのだから仕方ない。あるのは過去の人々の気配だけで、生々しい生活は枯れてしまって存在しない空間。貝殻や珊瑚、鳥の剥製、古い肖像画など、生命は過去の記憶でしかない形骸化したオブジェが飾られる。 The New French Decor : Living with Timeless ObjectsLalande, Michele Trillard, Gilles (PHT) Nash, Liz (TRN)Harry N Abrams Inc (2007/12 出版) Hardcover:ハードカバー版ISBN: 9780810994591DDC分類: 747.0944Source: ENG秘密の花園(上)秘密の花園(下)思い出のマーニー(上)新版思い出のマーニー(下)新版
2008.09.29
コメント(3)

全国的にあるのかどうか知らないが、私の住んでいる地域には「飛び出し坊や」が異常に多い。「飛び出し坊や」とは交差点の角に設置されている、子供や老人の姿を模った立て看板のことだ。通行する車やバイク等に、横道から飛び出してくる可能性のある、子供や老人に対する注意を喚起するものである。この辺りのお馴染み、スタンダードバージョンはこれ。↓伯父の家の近所で今日発見したのがこれ。↓怖っ!!!しかも裏面がこれ!↓気持ち悪っ!!!伯父の家の近辺にはこの他にも沢山の難解で奇抜な飛び出し坊やが設置されている。飛び出し坊やが多すぎて逆に危険を感じる程である。(目を奪われるから)皆さんにも是非一度見て頂きたいです。
2008.08.10
コメント(5)
招かれて某百貨店主催の宝飾展へ行った。ホテルでの開催で食事が供されたのだが、その内容は「美肌のためのメニュー」だった。テーブルには肌によい素材をふんだんに使用した、美しい仏蘭西料理が並べられる。併しそれを食べているのは、70を越した様な婆さんばかりだった。
2008.08.03
コメント(2)

そんなに天気は良くないのだが、早く目が覚めたので犬を洗う。綺麗になったので外で撮影。ついでにローズマリー。夏は植物に勢いがあって嬉しい。
2008.08.02
コメント(2)
![]()
「これからもこの授業ではこういった無駄話を延々と続けていきます、続ける場が無くなったら街頭に立ってでもやります」多細胞生物の減数分裂が主題の授業の最後、先生はこうおっしゃった。生物が長い歴史の中で今こうやってここに存在することほど物凄いことは無い。(命の大切さとかそういうちんけな話ではなく)それを知っても何の役にも立たないが、自分はそれを伝えていくのだと。辻説法をしてでも伝えたいことがあるというその情熱に心酔。見えない自然新装版
2008.07.31
コメント(2)
いつの頃からかJRの車内放送の、「扉が閉まります。ご注意ください。」が「扉を閉めます」に変わった。「扉が閉まります」では扉が能動的に閉まる様でヘンだ、と云うことらしい。「閉める」という動作を行う運転手を主体に考えるのであれば、列車が到着、発車する際のアナウンスも、「列車が到着します」(列車主体)ではなく「列車を到着させます」(運転手もしくは鉄道会社主体)に、「列車が発車します」(列車主体)は、「列車を発車させます」(運転手もしくは鉄道会社主体)になる筈である。実際のところ私はどっちもでかまわない(別に放送が無くても困らない)のだが、「見たいところしか見ない」様な、中途半端で適当で大雑把な感じが不快。「扉が閉まる」を否定してしまうと、「お湯が沸く」とか「写真が載る」なんて言葉が成立しなくなる。これらの言葉では、お湯を沸かす人がいて沸騰することも、写真を載せる人がいて掲載されていることも自明なのである。扉だって同じこと。「閉める人がいるから閉まる」のだ。あえて「閉めます」にする必然性はまるで無い。鉄道会社の人ももっと柔軟に考えてみればいいのにと、放送を聞くたびに思うのである。
2008.06.05
コメント(2)
「運気アップに持っているもの・置いてあるもの」(みんなの画像投稿)これを持ってるとなんだか大丈夫な気がする…なんていうグッズ、あなたにもありませんか? パワーストーン、お守り、リングなど、あなたの運気アップグッズもぜひ投稿してね。」シティリビングからの呼びかけである。 こんな呼びかけがあるってことは、恐らく験担ぎグッズ的なものを持ち歩いている人は多いのだろう。私の知り合いにもパワーストーンの腕輪をしている人が3人いる。「今日はベッドの悪い側から降りたんですよ」これは子供の頃に読んだメアリー・ポピンズの言葉だ。云われたマイケルと云う子供は、「僕のベッドは壁際だ」と反論するが、メアリー・ポピンズは、「壁際でも側は側です」と切り捨てる。私はついていない時、よくこの言葉を思い出す。通勤電車で座れなかった時などに、「今朝はベッドの悪い側から降りてしもたんやな」と思うのだ。(私のベッドも片側からしか降りれない)尤も、そう思ったことすら会社に着く頃にはすっかり忘れているので、つまるところ運気なんてその程度にしか気にしていないということなのだろう。石にはまっている友達は水晶のクラスターなどをネットで買っては「満月の光にあてて浄化」したり「塩に漬けこんで浄化」したりしている。沢山の人の手を経てくる石には余分な気だかなんだかが付いているからだそうだ。それでどんな効果が期待できるのかさっぱりわからないのだがとりあえず、彼女の新築マンションの部屋は猫のおしっこ臭い。それは浄化しなくてOK?
2008.05.29
コメント(2)
日曜日は長年のお付き合いである「相棒」(劇場版)を見に行った。事件解決後の感動シーン(私は別に感動しないけど)は蛇足だ、とか、西田敏行の見せ場(スクリーンいっぱいの暑苦しい泣き顔)は不快だ、とか、右京の謎解きが結局あんまり役立ってないのはどーよとか、諸々思うところはある。あるのだが、結局のところ、1550円(格安チケット)払って私が見たかったのは、予告にあった「右京さーん!」と寺脇康文が叫ぶシーンと、沢山の水谷豊と少しの岸辺一徳だったのでそこそこ満足なのだ。私なりの萌えポイントもそれなりにあったしね。他の人にはどーだか知らないけど。***さて、今回私が書きたいのは相棒のことでは無い。映画の前にはこれでもかとばかりに予告編が流されるが、つまらなそうな映画の中でもとりわけ異彩を放っていた「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」について語りたい。画面にはS・スピルバーグとJ・ルーカスが揃って登場。へたくそな日本語で「ニホンノミナサマ、オマタセシマシタ!」ときたもんである。それだけでもかなりイラッとさせられる演出だ。ヘタな日本語で媚を売るアメリカ人(しかもスピルバーグ)にもイラッとくるし、待ってもいないのに無理矢理待っている人たちに組み込まれてしまうのも、なんともイヤな感じである。自分たちがともに仕事をするのは19年ぶりで、その間自分たちはこのインディのことをずーっと気にしていた、とかなんとか、聞いている方が恥ずかしくなってしまう様な談話の後、「ニホンノミナサマ」の為の特別予告編が始まる。主演は云わずと知れたハリソン・フォード65歳。彼扮する研究者が古代の都市の宝物を探すという物語である。(たぶん)恐らく、話の中身はどーでもいいんだろうと思う。とりあえず激しいアクション(鞭をひっかけてトラックに乗り移るとか)と大きな爆発、スピート感のある画面、予告はそれだけに終始した。いや実際はもうちょと何かあったのかも知れないが、残念ながら私の頭にはそれしか残っていない。ハリウッドって相変わらずこういう映画を巨額のお金を投資して作ってるんやなぁ、となんだかしょっぱい気持ちになった。まるで、バブルのころのメイクを引きずっている、40代のおばさんに会った時の様な気分とでも云うのか。今となっては誰も注意出来ないんだろうなぁ・・・。だってスピルバーグだし。(嗤)因みに一緒に見た友達は、J・ルーカスの、「顎鬚の下にまだ顎的な肉が続いている」ことを気にしていた。
2008.05.28
コメント(2)
昨日は朝の通勤電車も帰りの電車も、車内広告は全て資●堂「コラーゲンアップデート」の竹内結子の広告だった。どこを向いても結子結子結子。見たくないと思っても必ず結子が視界に入って来ると云うあくどさ。「コラーゲンアップデート」なんか死んでも買うもんかと心に誓う。最近、JRの車内放送がうるさくてたまらない。以前は「次は○○、次は○○です。」くらいだったのに、今では、「次は○○です。右側のドアが開きます。ドアから手を話してお待ち下さい。次は○○です。お忘れ物の無い様にお降り下さい。猶、ホームと列車の間が広く開いております。足元に気をつけてお降り下さい。」(雨の場合は「足元が滑りやすくなっております」になる。)とアホにモノを云うが如く、微に入り細に渡って世話を焼いて下さる。ごく最近始まってびっくりしたのはコレ。「列車のドアはエレベーターの様に挟まっても開きません。駆け込み乗車は大変危険ですのでおやめ下さい。」確かにそのへんのことを解っていないアホもいるのかも知れないが、そこに照準を合わせていちいち放送を入れるのは如何なものかと思う。私レベルのごく並程度の頭を持つ乗客は間違いなくイラッとすること請け合い。よしんば放送が無かったとしても、並の想像力があればこの程度のことは見当がつくし、怪我や忘れ物をしたとしても己の不注意とあきらめもつく。それが大人の思考ってもんじゃないのか?それとも、この程度のことにも対応出来ない程、日本人の思考停止は深刻だと云うことなのか?毎度毎度同じことを経文の様に繰り返されていると、逆に誰も注意も払わなくなり、結果的には云っても云わなくても同じになる。実際、乗車時に流れる「お降りになる方を優先しドアの片側を広く開けてお待ち下さい」と云う駅のアナウンスは電車が止まる度に流されるが誰も注意を払わず、ドアの両側へ別れて我先に乗ろうとしている。「優先座席の周辺では携帯電話の電源をお切り頂きます様」も完全に無視だ。優先座席付近でメールを打っている若者なんか掃いて捨てる程見かける。もしこれらの放送になんらかの意味があるとすれば、何か事故があった時にJRが「注意を喚起する放送をしていました」と言訳出来ると云う一点に限られている。そして実際のところ、実効性のまるで無いただの騒音になり果てていることをJRは百も承知に違いない。この調子だとそのうち座り方や立ちかたまでもレクチャーしてくれそうである。そして私にはそれを「聞かない」と云う選択の余地はないのである。拷問である。
2008.05.22
コメント(4)
朝一で犬のウンコを踏んだ。我が家の敷地内のこと、勿論うちの犬のクソである。他家の犬の糞で無かったことだけが幸い。今日はきっとついてないよなぁと思いながら駅へ行くと、やっぱり!電車が7分も遅れている。クソの呪い恐るべし、と思いながら10分程遅れて出社する。同僚にそのことを話すと、「ウンがついて良くなるかもよ」と、なんのひねりもない返事が返ってきた。よけい不運な気持ちになる。不運といえば、日曜日に琵琶湖で切断された足を発見した釣り人が、昨日またその頭部を発見したのだとか。気の毒に。作った石鹸を差し上げた同僚がさっき、お返しに手作りのティッシュケース(携帯用)をくれた。その気持ちが嬉しくて、クソの呪いも払拭出来た様な気分である。この調子で一日無事に終わりますように。合掌
2008.05.21
コメント(2)
昼休みに本屋へ行ったら舞妓さんが居た。勿論観光客の仮装舞妓じゃなく本物の舞妓さんである。彼女はすっぴんで浴衣をまとい、絶対に泣ける癒されるCD付ブックとか、美容本とか、タレント本なんかの置いてあるところに、何かつまらなげな本を持って棚を眺めていた。私は彼女の後ろを通ったのだが通り過ぎる瞬間、その白絹の様な頬とすっと上げられた髪の美しい項に思わず目が吸い寄せられた。どんなに露出過多でも洋服を着た小娘には、一度もそんな風に目を奪われた経験が無いことを考えると、あの風体には少女の持つ独特の色気をむき出しにする何かがある様な気がしたり。***坂口安吾は舞妓をして「これくらい馬鹿らしい存在はめったにない」と堕落論の中で述べている。愛玩用の色気があるかといえばそんなものはなく、ただこましゃくれているだけ。子供を条件にしていながら、子供の美徳がゼロ。羞恥もない。と、まあ散々の書きようなのだが、彼女らが祇園のダンスホールではお座敷でのつまらなさに反して異彩を放ち、輝きだすことには驚いている。そして、着物と日本髪が他のどんな風俗をも圧倒するのを見て、日本人は日本の保存の仕方を間違っているということに気づく。***とまぁ、そんなとりとめもないことをつらつら思い出しながら、お昼休みに舞妓と出会うなんていかにも京都よなぁ、などとあまりのベタさに苦笑いしつつ、生暖かい空気の中帰路を急いだ昼下がりである。
2008.05.20
コメント(5)
4月の人事異動で新たな部署にきて一ヵ月半。まだこれといった仕事も無く、忙しい部署の中でただ一人暇にしている。仕事が無いなんて楽でラッキー!なんて思える程図太くも無神経でも無い私は、日々の居心地の悪さからとうとう、自律神経失調症を患ってしまった。4月に入ってからこっちやたら躰が痒く、いたるところを腫れあがる程掻き毟る日々が続き、これはなんぼなんでもおかしいで、と病院へ行ったところ、「自律神経失調症の皮膚版やね」との診断。交感神経と副交感神経がうまく連動せず血液の成分が漏れているんだそうで、それが炎症を起こし皮膚に掻痒感をもたらすのだとか。「気楽にええ加減に仕事してください」と云われたが、その仕事すらロクに無い様な状態なので、むしろ普通に仕事に追われている方がよほど気楽ですと返しておいた。躰はそんな調子にも関わらず、体重だけは順調に増え、現在では一番痩せていた頃より軽く5Kgは肥えている。食べる量は変わっていないのに体重はどんどん増える。(そして垂れる)ひょっとしたら、空気や水でも肥えるのではないかと疑ってしまうくらいである。肥える理屈は至極明快で、一日に必要とするカロリー以上の食べ物を摂取しているからに相違ない。余剰分は腹に足にと蓄えられ、近頃では二の腕あたりもヤバい感じである。私の場合、実際は今の半量の食糧でも充分生きてゆけるのだと思う。と云うか、貯金(脂肪)がいっぱいあるので、10日くらいは何も食べなくても平気で生きていけそうである。恐らく私などは今すぐ何か食べなければ死ぬ、なんてことはまずない。別に直ちに食べなくても死なないのだから、パソコンのバッテリーの様に、残量が90%になるまで充電が始まらない様になっていても良いくらいである。きっと長い人類の歴史の中では食べられない時期がかなりあって、その時代の名残でやたらと体じゅうに栄養を蓄える様に出来ているのだろう。余分な機能だぜ!(怒)などと体の機能に対して恨み節を吐いたところでスリムになるわけでもないので、これはもう己の意志の力でもってして、痩せるしか無いんである。とりあえず今晩の晩飯は抜きと云うことで。
2008.05.14
コメント(4)

久しぶりに犬と散歩。春の花々に出会うLilac「風が樹々から花びらを散らし、群がる星のように咲きみだれた重たげなライラックの花が、けだるい空気の中でゆらゆらと動いていた。きりぎりすが一匹塀のそばで鳴きはじめ、青い一筋の糸のように細長いとんぼが、茶褐色の薄紗のような羽をひろげて飛んでいった。」 (オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの画像」)Viola山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉Dentdelion「その町の方へ、近づくと、桃である。根に軽く築いた草堤の蔭から、黒い髪が、額が、鼻が、口が、おお、赤い帯が、おなじように、揃って、二人出て、前刻の姉妹が、黙って……襟肩で、少しばかり、極りが悪いか、むずむずしながら、姉が二本、妹が一本、鼓草の花を、すいと出した。 「まあ、姉ちゃん。」 「どうも、ありがとう。」私も今はかぶっていた帽を取って、その二本の方を慾張った。とはいえ、何となく胸に響いた。響いたのは、形容でも何でもない。川音がタタと鼓草を打って花に日の光が動いたのである。濃く香しい、その幾重の花葩の裡に、幼児の姿は、二つながら吸われて消えた。」 (泉鏡花「若菜のうち」)おまけ薔薇石鹸 (ちょっと虫食い)見る/\、黒髪に散る雪が、輝く膚を露呈はして、再び、あの淡紅色の紗綾形の、品よく和やかに、情ありげな背負揚げが解け、襟が開け緋が亂れて、石鹸(シヤボン)の香を聞いてさへ、身に沁みた雪を欺ざむく肩を、胸を、腕を ‥‥‥ 青大將の黒い齒が、黒い唾が、黒い舌が。 (泉鏡花「薄紅梅」)
2008.04.22
コメント(4)
4月はお誕生日月なので「お誕生日だから」と云いわけしつつ、色んな買い物をした。バッグ(通勤用)スピリタス(ウォッカ)(ハーブ抽出用)ミルサー(欲しかった)マトファーのシリコン製型(石鹸用)HEKISUIさんのスタンプ(たくさん)アール・ヌーヴォー文様事典(古書)試薬瓶(きれいだから)・・・などなど多くはインターネットでの買い物だったので、毎週の様に配送されてくるのが待ち遠しくて楽しくてしかたなかった。お金は自分のお財布から出て行くのにね。私は普段贅沢者ではない。でも心を鷲掴みにされる様なモノに出会うと、金に糸目をつけないところがある。あまり我慢もしない。云いかえれば、それでもやっていける程度にしか心を鷲掴まれる様な出会いも無いと云うことだ。ところがあろうことか2月、3月は立て続けにそんなモノに出会ってしまい、既に1年分の収入分を殆ど使い切ってしまった様な有様である。だから、4月の買い物は誠に痛い。痛いのだが、ひとつひとつの金額がしれているのでつい買ってしまう。好きなものに囲まれると云うことは、お金が減るのを凌駕して余りある幸福感を与えてくれる。お金と云うものは使ったときにその真価を発揮するものであるから、使い方を間違うと幸福感どころか不幸のどん底に落ちてしまうこともあるだろう。そう考えると、まだ幸福感の範疇に納まっている私の色んな買い物は、べつに間違いではないよなぁと云いわけしつつ、買い物を続ける日々である。
2008.04.21
コメント(4)
昨年から髪を石鹸で洗う試みを続けている。勿論自分の作った石鹸で、である。子供の頃からずっと特に手入れをしなくても綺麗な髪を保ってきたのだが、寄る年波には勝てず、近頃髪が乾燥してパシパシするのがとても気になっていた。高価なシャンプーを使えばマシになるかとAVEDAなんかにも手を出したがあまり変化がない。どうしたもんかと悩んでいた時美容師さんの「安物の洗髪剤を使うくらいなら石鹸で洗った方がマシ」の言葉を思い出した。市販されている石鹸は鹸化率が高いので乾燥するかも知れないけど、自分で作った石鹸なら余剰分のオイルが髪に残る筈だし界面活性剤なども入っていない。よしんば駄目であったとしてもそう酷いことにはならないだろう・・・。そう考え、思い切って石鹸で洗髪してみることにした。石鹸シャンプーにはコツが必要だという記述が本にもネット上にも散見される。実際、以前市販の石鹸シャンプー(液体)を使った時は、泡立ちが悪いうえに乾いた髪はもったりと重たくベタベタになった。調べたところ、そうならない為のコツは3つくらいに絞られる様だ。・予洗いをする・よく泡立てる・よくすすぐ理屈は色々ある様だが、あまり気にせず良いと云われた様にやることにする。リンスはクエン酸。私のレシピは以下の通り。・水道水 500ml・クエン酸 60g・ハーブ 大匙2・グリセリン 大匙1・エッセンシャルオイル 15滴ハーブは沸騰したお湯に投入して濾しておき、クエン酸等を投入する。すると、たとえばラヴェンダーとローズマリーの場合は綺麗なピンク色になり、ローズはオレンジがかったバラ色になる。ハーブを入れることで何らかの効果が期待出来るのかどうかよく判らないが、色の変化と綺麗な見た目が嬉しいので入れることにしている。この前、ここにガスール(モロッコのクレイ)を小さじ1杯入れたら鼠色になってしまいがっかりした。ガスール入りは改善の余地ありである。これで乾燥する場合は、トレハロースとエッセンシャルオイルとホホバオイルを適当に入れた精製水をスプレーすると多少は違う感じがする。上記の要領で髪を洗い、クエン酸でリンスすること約1年。抜け毛が減り、髪がしっかりしてきた。もともと毛染めもパーマも無い髪で痛みが少なかったこともあるが、艶も増し以前の様に人から褒められることも増えてきた。皆さん私が髪の毛に「お金をかけている」と思われているらしく、「石鹸で洗ってクエン酸でリンスするだけですよ」と云うと一様に驚かれるのが面白い。私は自然派化粧品やオーガニック食品の信奉者では無いのだが、髪の毛に関しては色々なものをつけて栄養を補うよりも、いかに余分なこと(たとえば毛染めとかパーマとか)をしないで、シンプルなケアをするかがポイントなんではないかと、経験的に感じている次第である。
2008.04.11
コメント(3)
首から上が台に乗せられている。首はショートカットの若い女である。箸で左の頬をつくと目が開いた。左目は白く変色して内側へ寄ってとまっている。彼女は口をひらき「食べても大丈夫」だといった。恐ろしくなって箸を抜くと「死ぬのが怖くなってきた」と云う。物凄く怖くなり、走って逃げた。
2008.04.07
コメント(2)
辻村寿三郎氏の人形展に伴いサイン会が開催されると云うので、土曜日の朝、ひとり高島屋へ出かけた。先に本屋へ寄って到着したのが11時前。氏は既に会場におられ「みんな来てくれてありがとね~」と、屈託のない楽しげな調子で来場者に声をかけられていた。着物は濃い紫の無地で、襦袢は薄い赤よりの紫。私が以前石鹸を包むのに使った重ねの色目にそっくりで、その好みの類似に嬉しくなる。手には指の無い黒い手袋、その上から大きなパネライの時計。日本の美の文化を知り尽くした人でないと出来ない折衷技だと思う。雨月物語の白峯をテーマにした展示では崇徳天皇や西行、平清盛、建礼門院徳子、白河法皇のことなどを、氏の考えた彼らの心情や生い立ち等を交えてお話しして下さった。氏は人形を作る際下絵を書かないと云う。絵は奇麗に出来すぎる為、人形はそれを越えられないのだそうだ。その代り自分がその人形に表現したいこと、物語や精神性の様な言葉を墨で和紙に書きつけてゆく。それが1体につき何枚にもなるので、「そのうち本にしようかと思ってるのね」などとおっしゃっていた。「皆さんに楽しんで頂く為に一生懸命作ってます」「昔の戦争へ行くときの着物は死装束なのよ。だから重たくてもいっぱい飾るのよ。」「不倫だの恋だのというのは、現代だけのものじゃないのよ、昔からいっぱいあるのよ。」「(平家物語では)誰が悪いわけでもないの。誰も悪いわけでは無いんです。」***昼過ぎて、何か食べに行こうと高島屋を出る。天気が良いせいかとても人が多く四条界隈に居る気にならない。散歩がてら寺町二条にある「Le Bouchon」へ向かう。三条通り辺りまでの寺町通りは雑多な店が多く、往時の面影など殆ど残っていない猥雑な通りなのだが、北の方へ向かうと静かで落ち着いたなかなか良い感じの通りになるのである。スマート珈琲店や鳩居堂など、観光客でにぎわう店を横目に、古本屋をひやかしながら本能寺に会釈をし、市役所の脇を抜ける。ランチタイムも書き入れ時を過ぎたのかお店は空いていて、私の好きな窓際の特等席に案内された。鶏肉のソテーのハーブバター入りをメインにグリーンサラダとデザートがついて1200円。カフェオレをつけても1600円のリーズナブルなランチである。もちろん味も申し分なし。この店にはBGMが無い。好きでもない音楽を無理やり聞かされる苦痛を味わわなくて済む。いつも、日本語、英語、フランス語・・・色んな言葉が、フランスのブラッスリーの様な心地良い騒がしさを作り出していることも、私がこの店を好きな理由のひとつである。盛り付けのそっけなさもいかにもヨーロッパ風でとても好ましい。明るい日差しに照らされた通りに目をやる。のんびりとした休日の午後、服を着たパグ2匹を連れた女性が犬に引かれる様にせわしげに歩いている。向いの建物で働く掛接ぎ屋のおばさん、地図を眺める観光客、空に円を描く鳶の姿、食べかけの皿、温かい光。光の中で輪郭が滲み、全てが印象派の絵の中の出来事の様になる。こんな時間の続きに死があればいいのに、などと考える。***店を出て近くの三月書房に向かう。「フィシオロゴス」を特価本の中に見つけたので購入。博品社と云う会社から出版された壮丁の美しい書物である。稲垣足穂の本も特価本になっていたのだが、かなり傷んでいた為亭主に新しいのを出してほしいと頼んだところ、「明日か明後日くらいに倉庫から出しておく」と云う答え。「明日か明後日」ってそんな適当な返事がこの日本で通用するのは、恐らくあの店くらいなんじゃないだろうか。しかも私の名前も電話も何も聞かずにである。まぁ、だから慌てて行く必要もあるまい、と気楽に考えている私も日本人失格の様な気がしないでもない。***好きなことで一日を過ごせると、とても幸せな気分になる。理想的な一日。こんな日を一日でも多く過ごしていきたいものである。
2008.03.13
コメント(4)
「あの人絶対Mやんなぁ~!!!」と地下鉄の中、某平○女学院の学生が大声で話していた。それも、立ったまま靴を脱いで足をぶらぶらさせながらである。全く、下品極まりない。にしおかすみこやHGのせいで猥褻感が薄れたのか、テレビや日常にやたらSだのMだのとびかってイヤな感じである。お天道様の下、大手を振って歩ける様なものは本来(?)のSMでは無い気がする。安っぽくなってしまってなんだか魅力も半減である。***クイズ番組を見ていると、人間と云うものは興味が無いことは記憶に残らないものなのだなぁとしみじみ思う。私は殆ど好きなことしか勉強しなかったが、それもあながち間違いでは無かったのかも知れない。あ、でもそれは中学生以降の話で、小学生にはある程度詰め込むことも大事だと思っている。沢山の選択肢を与えられなければ、本当に自分が何を好きか、何をやりたいかと云うことは見えてこないと思うから。小学生時代にきちんと土台を作っておかないと、その上には何も建てられない。***さてこちらは石鹸のラッピング。母に頼まれて彼女の友人にお分けした分。私の石鹸は機能性重視なので、石鹸自体のデザインは楽しくない。それで、と云うわけではないのだがラッピングにはひと手間かけている。差し上げた時にビックリされたり喜ばれたりと云うのも嬉しい。
2008.02.16
コメント(2)

「神様の仕事には時々問題がある」(友人M・Hの言葉)Mandragora?Basilius Besler”L'Herbier”より
2007.12.16
コメント(2)
妹はヴィトン好きである。妹の職場の人たちもヴィトン好きである。と云うか、多くの日本人はヴィトンが大好きである。少し前に出たモノグラムの新作バッグは、京都の高島屋で270人待ちだったし、通勤する間にも少なくとも片道5個くらいは私の視界に入ってくるのだから間違いないと思う。財布に至っては男子高校生のポケットから覗いているくらいなので、(値打ちも糞も無い感じ)相当に根が深いんではないだろうか。仕事中に妹から「またかばん買いました」というメールが来た。また、と云われたらすぐにヴィトンだと解るくらい、彼女はヴィトンのバッグを所持している。それでも新しいのが出たら欲しくなる様で、高島屋にたった1点入荷した新作を買ったらしい。ヴィトンと高島屋の思う壺である。昨年私がパリへ行った時は大変だった。妹の会社の同僚2人に財布を頼まれ、妹と母の鞄も頼まれた。日本で買うより3割くらい安い上、皆さん一人旅の大変さをご存じない為容赦が無いのである。2月の凍える様な空気の中、シャンゼリゼの本店とモンテーニュ大通りの店へ、「なんで私が・・・」とつぶやきながら大きな買い物バッグを引きずり歩いたことを思い出す。だいたい、パリのヴィトンの店員はとても高飛車でつっけんどんで愛想が悪いので、買い物するのも結構な苦痛なのだ。日本人がイヤなら「日本人お断り」と書いておいて欲しいと思うくらいである。さてヴィトンだが、朝電車に乗っていると、服はシマムラ、でも鞄はヴィトン、みたいなおばちゃんをよく見かける。田舎ゆえ「服装に合わせる」と云う感覚がどうやら希薄な様である。ヴィトンなんだからなんでもOKとでも思っているのかも知れないが、服が鞄の10分の1くらいの価格ではどう見てもつりあわない。一箇所だけが突出していると他の部分のみすぼらしさが強調されてなんだか所帯臭く見える。「毎月のへそくりを溜めて漸く念願のヴィトンを買いました」みたいに見えるのだ。それは若い女の子でも同じことで、ブランドに甘えたおしゃれはおしゃれに見えないのである。かく云う私も昨年の旅行中、なんとなく「安いんだから買わなきゃ損」という関西人的感覚で、バッグを一つ記念買いしてしまった。フランス人が持っていると妙におしゃれに見えたと云うこともある。ところが私は普段ヴィトンの似合う様な服装などしないしおしゃれ上級生でもない。鞄の存在感にに負けない自信もない。結局はやりモノに手を出す気恥ずかしさも手伝ってなかなか出番に恵まれず、私の初ヴィトンは保存袋に包まれたままクローゼットの肥やしと成り果てている。
2007.11.22
コメント(2)
ニュース23を見るともなく見ていたら、「非人道的兵器クラスター爆弾」と云う言葉が聞こえてきた。非人道的兵器があるなら、人道的兵器もあるんだろうね。不発弾で後々までだらだらと殺人を続けるのが非人道的で、一発で大量の人間を殲滅する爆弾は人道的と云うことなのか。EUはクラスター爆弾はダメで原爆はオッケー。どちらも殺人の道具であり、後々まで人を苦しめる兵器だということに違いは無いと思うのだが。私にはよく理解できない倫理観であることよ。ニュースを流す側もその根本的な言葉のおかしさに違和感を感じないんだろうか。憲法改正や靖国神社の参拝には神経過敏な程過剰反応する癖に。私は平和教の信者でも人道主義者でも無いので、何も道徳観からこんなことを云っているわけではない。非人道的兵器なる詭弁により、その他の兵器がそうでなく見えてしまうのがイヤなだけなんである。ごまかされてるみたいで気持ち悪い。世の中に良い兵器も悪い兵器も無く、どの兵器も兵器は兵器で同じ殺人の道具なのだ。要はそれを使う人間の側の問題で、規制したり無くしたりしたら解決すると云う様な安直な話では無いのである。
2007.11.14
コメント(2)

秋になると何か新しいことを始めたくなる様で、昨年は「石鹸」今年は「消しゴムはんこ」を始めた。私は工程の多いことが嫌いである。(裁縫とか料理とか)集中力がせいぜい2時間くらいしかもたないので、長くても3時間程で完結しないことには手をつけられないのだ。石鹸はタネを型に入れるまでで丁度3時間くらいだし、消しゴムハンコも3時間あれば1個完成出来る。まさに私にうってつけの遊びなんである。しかも料理なんかとは違って作った後も楽しみが長続きすると云うお得感もある。石鹸は昨年の9月から始めて30本を越える数を作成した。勿論そんなに沢山家族だけで消費できるわけが無いので(因幡の白兎になってしまいます)人に差し上げたりしていたのだが、(薬事法的にはあまり宜しく無いらしい)これが結構好評を博していて嬉しい限りである。そんな私のお遊び2つがコラボレートしたのがこれ↓作ったハンコを押した紙で石鹸を包装したところ。(右上の燕以外)図案はアール・ヌーヴォーやロマネスクの本から拝借。
2007.11.07
コメント(6)
「早起きは三文の得」が本当かどうかは知らないが、寝坊が三文以上の損を招くことはどうやら間違い無い様である。数日前の朝、いつもの様に走って駅へ向い、コンコースで前をトロトロ歩いている薄汚い高校生をイライラと追い抜こうとしたところ、彼らの影になって見えなかった人の足に引っかかった。走っていた勢いがあるものだからそのまま吹っ飛ぶ様に転倒。膝を強打し、恥ずかしさとショックと傷みで呆然としていると、後ろから来たおばさんが飛んでいった鞄を拾ってくれるのが見えた。「大丈夫?遅れんようにはよ電車乗りや」と云う彼女の声に会社のことを思い出し、痛む足を引きずりながら、好奇の目の中いつもの電車に乗った私は立派な社会人だと思った。今、両膝とも腐りかけのジャガイモの様な色に変色中。健康診断は低脂血症で再検査、耳はアレルギーで炎症を起し、肩は寝違いで回らず、足は腐った芋状態。ロクなことのない物思いの秋、皆様は如何お過ごしでしょうか。
2007.11.06
コメント(2)
今朝、NHKのニュースを聞いていたら、2番目に朝青龍のモンゴル帰国、5番目くらいにドイツのメルケル首相の来日が報じられていた。どう考えても順番が逆だと思った。***さて、これも今朝のテレビでバドミントンの会長だかなんだかが広報の鏡だと、新聞記事の紹介をしていた。お笑い芸人氏と熱愛発覚、みたいになった選手の自宅に報道陣が押しかけるのを防ぐ為、質問に答えさせたとか云う話題。それを広報の鏡と云う前に、芸能人の恋愛ごとき下らない話題で、大挙して他人の家に押しかける馬鹿馬鹿しい無神経さを反省したらどうだろう?と、提案してみたい。
2007.08.29
コメント(1)
先日帰宅する電車の中で、夏休み中の女子高生2人が女性週刊誌の吊広告を見ながら喋っていた。「こんなん、ホンマどーでもええと思わん?」「思う~。”城島茂、一人ぼっちのケチケチ夏休み”やて!ホンマどーでもええわ!」そんな風に書かれた上に「どーでもええ!」と切捨てられた城島君が大変気の毒やと思った。
2007.08.28
コメント(2)
仕事で某コンビニの本部へ電話したらけんもほろろな対応をされた。物凄く感じが悪かったので、私は一生ファ○リーマートで買い物するまいと心に誓った。。たとえ喉が渇いて死にそうでも、次のコンビニまで我慢してやる。そして知り合いにはファ○リーマートの感じ悪さを言いふらしてやる。ブログにも書いてやる・・・と決めたので書きました。誰でもが客になりえるんだから、対応には充分気をつけたいものですね。
2007.08.08
コメント(2)
とあるイベントで、エスティーローダーのメイクアップアーティスト、ティミー西村氏にメイクをしてもらった。促されて鏡の前に座ると、彼はその色素の薄い綺麗な目で私の顔をじっと見つめ、「・・・完成度が高いですね。綺麗です。」とのたまいニッコリと微笑んだ。多くの美女をメイクしてきたプロにそう云われたら悪い気はしない。お世辞半分としても正直嬉しくて、思わず化粧品を大量購入した私。女相手の商売は褒めてナンボなんやなぁとしみじみ感じたり。
2007.08.05
コメント(2)
終わりの見えないことが耐え難いのは今も昔も同じで、プロメテウスの責苦の本当の辛さは、その傷みよりも終わりが見えないところにあったのではないかと思う。朝、会社へ出勤し、同僚や上司に気を遣いながら終業まで働き、夕方家へ帰って翌朝また出社し・・・これを10年以上続けているせいか最近、いったいいつ終わるれるんだろう?と云う思いに苛まれる。定年とか死とか退職とか、何れ終わる日々と解っていても、そんな先まで開放されないのかと思うと暗澹とした気分になる。あー陰気くさい!***唐突だが、立命館大学大学院の教授、E先生が好きだ。彼の講義を受けているとその内容は勿論のこと、本人がこの研究をとても好きで講義するのを楽しんでいることが、聞いている私にもひしひしと伝わって来て嬉しくなる。彼の力強く熱い口調は、難解な文献や哲学や学説をとても魅力的なものに感じさせ、「ヨシ、勉強しよう!」と云う気にさせるのだ。あんな風に人を楽しみに巻き込める人になれたら最高だろうなぁと思う。私の最近の幸せは、この先生と出会えたことだろうか。
2007.06.27
コメント(2)
帰ってきて驚いた。松岡農相の自殺。全くなんという無責任さであろうか。彼には国民の前に真実を明らかにすべき諸問題があった筈だ。その責務も果たさず職務すら放棄し自ら命を絶つとは身勝手にも程がある。又、追い詰められて言い訳のしようもなくなり死を選ぶなど最低の死に様である。そんな人間を大臣に戴いていた日本国民はいい面の皮だ。国民の代表である政治家が、これほど命の大切さ云々を世間が騒いでいる時に、自殺などという愚行で命を粗末にするなど考えなしにも程がある。だいたい己の精神的辛さに負けるくらいなら政治家になどなるべきではない。凡そ生半可な気持ちで政治家になどなったものだから死ぬ様な破目にも陥るのである。政治家は個人である前に国民の代表である政治家なのだ。己が、のた打ち回り血を吐く様な辛い状況に陥っても、自殺などと云う個人的選択は許されないのである。今が平時だから「ご冥福を」で済んでいるが、これが戦時下だったらどうだったか考えてみるがいい。全く恐ろしい話である。
2007.05.28
コメント(3)
優秀で努力家で前向き。妻を大事にし、昔の恋人にも親切。父親には何故か憎まれているが社員には慕われている。そして金持ちで男前。こんな男が主人公として面白いわけがない。小説では父親が主役らしいがさもありなんである。
2007.02.21
コメント(1)

「間の悪いツッコミと車内での大騒ぎは困りもの。」関西人は道徳の尺度もお笑い。
2007.02.15
コメント(1)
土曜日、友人と久々にロフトへ行ったら、1階から5階まで右も左も全て、ピンクや赤のハートの洪水だった。 なんだかイラッとした。
2007.02.15
コメント(1)
テレビ「朝ズバッ」を見ていて気になる「性癖」と云う言葉の使い方。まるで「性」に繋がる変態的な癖のことだけを云う様に使われているが、そもそも「性癖」とは性質の偏りのことある。先程は児童ポルノで捕まった教諭のことを報道する画面に、大きく「性癖」の文字が踊っていたし、昨日はみのもんたが性犯罪のニュースで「これは性癖ですからねぇ!」と云っていた。今も「性癖を満足させる為に教師になったんじゃないの?」なんて発言していたが、それを云うなら「性欲」やろ!と思ったのは私だけではあるまい。癖は満足云々を云うものではないからだ。確かに小児性愛も性癖だろうが、こんな風に使われると普通に使いにくくなる。盗癖だって性癖、潔癖症だって誇大妄想だって全て性癖なんである。みのもんたはその辺を解って使っているのだろうか?
2007.02.10
コメント(1)
擁護するわけでは無いのだが、柳沢発言に対する世間の反応に違和感を感じるので書きたいと思う。 彼は「女性は機械である」と云ったわけではない。「人を生むことの出来る機能を備えた人間の数は決まっている」と云うことを「生む機械の数は決まっている」と表現したのである。何も野党の議員やマスコミが云う様に「女は生む機械だ」と、ブロイラー扱いしたわけではないのだ。同じ失言でも大きく印象が変わるのでそこは歪曲せず、正確に報道して欲しいものである。発言には慎重が上にも慎重を期すべき政治家が、揚げ足をとる恰好の材料を与える様な失言をしてしまったことは、政治家として大失敗である。(発言中に何度も「機械に例えてごめんなさいね」などと謝っていることからも、あまり良い例えでないことは本人も気付いていると思われる)実際少子化が進めば現在の公的年金制度が崩壊することは目に見えているし、生みたいと思う女性を支援する制度も必要なのだと思う。併し、本質的には正しいことを述べていても、この一言で全てが台無しになってしまってはどうしようもない。 機械に例えられて不愉快だ、と云う女性は多いのだろうが、そもそも仏教では人間は「糞袋」だと教えられるのである。糞袋が機械ごときで驚くこともあるまいと私などは考えてしまう。私には、鬼の首でもとった様な嬉々とした表情で、揚げ足とりに血道をあげる野党女性議員こそ、野党の機械に見えて仕方ない。柳沢大臣には是非安部首相の指針にある「再チャレンジ出来る社会の実現」の模範になっていただきたいものである。 ***「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず、共にこれ凡夫ならくのみ」 (十七条憲法)
2007.02.07
コメント(1)
今年もはやあと数日を残すところとなり。年々1年が短くなっていく気が致します。四十にはまだだいぶ間があると云うのに肩が回りにくくなり目の焦点は甘くなる。病人で無くとも年齢と共にだんだん躰は壊れていきます。日々壊れていく肉体を意識するたび、人間はこうやって死に近づいていくのだなぁとしみじみ実感しております。***死と云えば近頃は前世流行りの様で。イタリア語の生徒仲間のあるおじさんには精霊が見える。先週は防空頭巾をかぶった精霊に遭遇したそうだ。それはどんな風に見えるのか聞いてみたところ、普通の現実の人間と同じ様に見えると云う。では何故それが精霊だと解るのかと聞いたら、2人しかいない職場だから他にもう一人いたらそれは精霊なのだと大真面目に語っていた。するとその話を受けて先生(イタリア人・女)が、「私の前世は江戸時代の日本人だった」と云いだした。以前、タイで左手に尺八(武器がわりだと云っていた)を持って歩いていたとき、自分の足が大きな草鞋をはいた男の足に変わっているのを見たらしい。前世が見えた瞬間だと云う。・・・。私は幽霊も精霊も前世も信じてはいないが、人間の知識で何もかもが説明できるとはハナから考えていないので、この世に人知の及ばぬ何かがあるとしても不思議では無いと思っているし神仏も信じている。どの宗教の神様であっても一応は尊重したい方である。八百万の神で育った日本人だからその辺は寛容なのだ。ただ、前世に関して云えば、誰も縄文人ではないし、飢餓で死んだ難民でもないし、刑死した人でもなければ、キ○ガイでもない、というのはおかしくないか。命と云うものは生命の起源より連綿と受け継がれてきたものなのだから、本当に前世があるとするならそんな都合のいい話ばかりでは無い筈なのである。誰もがヨーロッパの貴族だったり坊さんだったり武士だったりする筈が無い。細菌だった人も犬神人だった人もあってしかるべきだ。江原ナントカ云うスピリチュアルカウンセラー(なんやそれ?)が人気らしいが、彼の言を聞く度、前世とはまさに云うたもん勝ちの世界だなーとつくづく思うのである。
2006.12.22
コメント(5)
怒ってばっかりで可愛げの無い女だよ、と思われているかも知れないが、こんな私も先週の土曜日はなんとテディベアのイベントを見に行っていた。友達が出展していたからである。梅田のクリスタルホールで行われたイベントはかなりの盛況ぶりで、人気のある作家さんの作品を買う為に早くから並んで待っている人もいた様だ。私はなんせ初めてで好きな作家も何も無いので、とりあえず開始の15時丁度くらいに到着するように行くことにした。久々の梅田で少々迷いつつ会場に入ると、さほど広くない会場に沢山のブースと沢山の人々が溢れていた。可愛らしく(時にはリアルに)作られたベアやウサギ、ネコ、犬などが工夫を凝らしてディスプレイされ、なかなか見ごたえのあるイベントである。オーソドックスなテディベアもあれば、個性的な作品もあるのだが、それぞれに作り手の癖や特徴が滲み出ていて面白い。基本的にオーソドックスなベアが好きな私も沢山の作品に接する内に、アレンジされたぬいぐるみの面白さにすっかり魅了されてしまった。気付くと他には無い様な独特の面白さを持った作品に引き込まれ、そんなのばかりをチェックしていた。最終的に私の気に入った作品は4人の作家さんの作品である。共通項はみな「おしゃれで美人」人形やぬいぐるみと云うものは作り手に似る様で、やはり美人の作る作品は崩した作風であっても整っている。(ような気がする)中でもUbicoと云うブランド名で出していらっしゃる方の作品(ウサギ)は、ホントに可愛くて離れがたくとうとう自宅まで連れて帰って来てしまった。Ubicoの作家さんはアーモンド形の大きな眼が印象的なとても綺麗で可愛いらしい人である。背もすらっと高くておしゃれさんだ。その上とても気さくで朗らかで感じがいい。作品にもそんな本人の人柄のよさがと可愛らしさがそのまま滲み出ているのか、この作品なら私は一生愛せる(大袈裟)、と太鼓判を押せるくらい素敵なんである。いくら作品が可愛らしくても作家が感じ悪ければ買わないのだが、この人は本当に魅力的すぎました。実はお金を降ろすのを忘れて数百円足りなかったのだが、気に入ってくださったのなら、とオマケしてくださった。ありがたい話である。で、そのウサギちゃん、今は私のベッドの上に座っている。なんだか会場で出会った時よりもいっそう可愛くなっている気がして、見るたびに幸せを感じている今日この頃である。
2006.10.23
コメント(1)
島田伸介氏も云っていたが、歳をとると一個のことに深く腹が立つらしい。今日、伊勢丹で吉村作治先生の公演があった。話を聞いてみたかった私は、12時から整理券を配るというので11時45分頃に会場へ行った。するとそこには既に80名以上の人が並んでおり、80名以外の人は立ち見になるという。先から来て並んでいた人がいるのだからそれは仕方ない。併しここからが問題である。公演は2時からだ。伊勢丹としては立ち見の場所を保障することは出来ない。立ち見の場所を確保したい人はそのままそこで2時間立ったまま待てというのである。公演時間の1時間を入れたら約3時間立っていろと云うことだ。12時になり係りの人は整理券を配り始めた。整理券を受け取った人は2時の公演開始までに戻ってくればよく、そこで待つ必要も無い為三々五々散っていった。我々立ち見の人間は、席も無くその場にじっと立っていなければならない。老人もいるのに酷い話だ、誰も座っていないのだから、時間まで会場の座席を開放すればいいのに、などとだんだんムカついてきた。大体、ポスターやチラシに書かれた様にちゃんと12時に来て並んでいるのに、2時間もじっと立ったまま待たせるなんておかしいではないか。状況をみて、立ち見用の整理券を用意するなりやりようがあるはずである。伊勢丹も立ち見の多さに配慮したのか店内にある椅子をいくつか並べて座席を増やし始めた。私は運よくそれに座れたのだがやはり納得がいかない。これは一言もの申してやらねば気がすまん、と思い係員を捕まえて意見してやった。私:2時間も立ったままその場で待てというのはおかしいのではないか。 大体の場所が決まっているのなら整理券など出せるはずである。 老人もいるのに公演時間を含めて3時間も立たせておくとは、一体どう考えているのか。係:伊勢丹としては安全上の問題があり、整理券は出せない。 エスカレーターの前なのでどういう状況で場所の確保が不可能になるか分からないからである。 揉め事が起こったときの対処も出来ないのでご自分で場所を確保して頂くしかない。 事前に立ち見の場所の個人での確保については説明している。 席を増やすなどして努力もしている。(要約)私:併しその説明で私は納得出来なかった。 あなたの説明が不十分である証拠である。 だいたい立って待たせておくことで安全の問題は解決できるのか。係:係員がいますから。私:係員で安全上の問題が解決出来るということなら、 整理券を出してあとから人を入れることに何の問題があるのか。 その時に安全対策をしっかり行えばいいのである。 その場で延々と待たせることの意味がわからない。 ご自分が3時間立っていろと云われたらどう思うか考えてみて欲しい。 なぜ臨機応変に対応できないのか。係:6時から待っていらっしゃる方もいる。私:そんなことを問題にしているのではない。 では、昨日の状況はどうだったのだ。(質問を変えてみる)係:昨日も同じ様に立ち見の方がでた。 これまでの公演等ではなかったことなので想定できていなかった。私:同じ状況になることは自明であるのに、 何故昨日の状況を踏まえて対応策を講じなかったのか。係:お客様の意見は貴重なご意見として今後の参考とさせていただきます。 (答えになっていない)私:そんなマニュアルどおりの答えは結構です。(中略) 私は後から追加された座席を与えられたのだが、 整理券を発行してもらうことは出来ないのか。 一人なので席をはずすこともできない。係:私物で場所取りをしてください。 (回りくどく要領をえない説明が続く)私:要するに、先の80名以外は立ち見扱いなので、 いつ席を撤去されるか分からないということですね。 ではそのように説明するべきです。係:わかりました。(説明を始める)答えは馬鹿馬鹿しいほど回りくどく、これだけのやりとりに15分程を要した。要するに今回は今回決めた通りの対応しかしない、と云うことなのである。洞察力ゼロの彼らの頭には臨機応変と云う言葉は存在しないらしい。なんだかとてもげんなりしてしまって、公演を聴いたあと、展示を見ることもなく帰路についた。そして今後一切伊勢丹なんかで買い物するもんか!と思った。全く、大丸とは大違いである。(私の経験ではクレームに対する対応は早い)伊勢丹にもガッカリだが、周りの人たちにもビックリした。よくまああんな無茶を言われて文句も云わず、黙って3時間も立っていられるものだ。本当に何もおかしいと思わなかったのだろうか。だとしたら物凄く鈍感である。また、疑問を感じた上で黙っていたとしたならそれも愚行である。ま、確かに戦うことはしんどいものだ。戦ったからと云って誰も褒めてくれないし、今回の様に徒労に終わることもある。併し、表現しないことは伝わらないのである。不快であることも、疑問に思ったことも相手に伝える努力をしなければ、絶対に解らせることは出来ないのである。「察する」なんて高等技術は期待しないほうがいい。世の中は意外と鈍感なのだ。
2006.10.22
コメント(0)
「この子可愛いらしいなぁ!」と云う父の声でTV画面に目を向けると、桜塚やっくんだった。
2006.10.19
コメント(2)
古舘伊知郎が嫌いだ。なんでもかんでも感情的に批判すればいいと云うものではない。あんたの愚痴をテレビでもっともらしく垂れ流すのは辞めてくれ。私は、基本的にニュースと云うものは、事実だけを客観的に報道してくれればそれでいいと考えてる。それらの事件や問題に対するあらゆる判断は「私」がするからだ。キャスターの偏った意見は不要である。
2006.10.16
コメント(2)
金曜日の朝の話。その日はいつにも増して時間が無く、化粧もそこそこに髪の毛生乾きで家を飛び出すと、いつもの電車に駆け込んだ。席を確保し漸う息をついていると、生乾きのまま走ったせいで乱れ絡まり、ぼさぼさになってしまった髪が気になって仕方なくなってきた。幸いここが始発、隣に人も居ない。格好悪いがぼさぼさの髪をさらす方が気持ち悪い、背に腹はかえられん、と徐にブラシを取り出しそっと髪をくしけずった。行儀が悪いことは百も承知である。併しどうにも我慢できなかったのだ。すると突然、後から乗ってきたオバハンが、物凄い形相で猛然と私の隣へやって来て座りこうのたまった。「ちょっと!人前で髪の毛とかすの辞めてもらえません!!!フケとかが散って気持ち悪いでしょ!!!」確かに、人前で髪をとかすのはどうかと思う。私だって他人がやっていたら「行儀の悪い!」と思ったことであろう。併しである。自分で悪いと解っていても、他人から、しかも、コイツにだけは云われたくない、と云う相手から云われるとカチンとくるものである。そして私はこのオバハンにだけは云われたくなかった。だから云ってやった。「すみませんけど、股を開いて座るの辞めてもらえます?前から見たら中身が丸見えなんですよね。気を付けて下さい。」私は前々からこのオバハンの足癖の悪さには辟易していた。股を開いて座るのでいつも中のズロースだかガードルだか解らないシロモノが丸見え。不快と云うことではフケに劣らぬ不愉快さなのである。オバハンは思わぬ私の反撃にビックリしたのか憮然とした面持ちで「すみません・・・」とつぶやきその後は足を組んで座っていた。大人気ない自分に嫌気を感じた朝の通勤電車である。
2006.09.11
コメント(4)
なんだかまた無性に石鹸が作りたくなってきた。また、と云うのは以前に一度作ったことがあるからだ。私は昔から石鹸がとても好きである。手を洗うのも躰を洗うのも顔を洗うのも石鹸がいい。アトピー肌だと云うこともあるが、洗顔フォームやボディソープは、わざとらしい潤いと安っぽい匂いが残って気持ち悪い。数年前、NHKの「おしゃれ工房」で、前田京子さんと云う人物が手作り石鹸を紹介していたことがある。水酸化ナトリウムと油脂から石鹸を作ることが出来るのは知っていたが、材料さえ揃えば家でも作れることを知りどうしても試してみたくなった。早速前田さんの著書を買い、温度計やら瓶やら発泡スチロールやら必要な器具を用意し、オリーブオイルと水酸化ナトリウムでシンプルなオリーブ石鹸を作ってみた。熟成させること1ヶ月、乳白色のオリーブ石鹸が出来上がった。香料を入れなかったせいか原料のままの油っぽい匂いがする。恐る恐る使ってみる。(自分で作ったのでいまいち信用できない)泡立ちは悪いものの普通の合成石鹸とはまるで違う、ツルリとした感じの洗いあがりでなかなかに宜しい。併しとても柔らかく溶けやすい為、すぐに全体が醜悪になってしまうことがどうにも気に入らなかった。鼻汁に包まれた様な見かけになる、と云うと解りやすいだろうか。とにかく前田さんの著書にある様な「おしゃれな感じ」とは程遠くガックリしてしまったのだ。だいたいこんなにズルズルになるのでは彼女の様に、「毎日気分で石鹸を変える」なんてことはとても出来そうにない。結局好きな石鹸を買う方が性にあっていると云う結論に達し、私の手作り石鹸ライフはあっけなく終了したのであった。あれから数年が経ち、ネットでも沢山の手作り石鹸のサイトが見られる様になった。どうやら私の石鹸が溶けやすかったのは、パーム油などの石鹸を硬くする油を入れなかったせいらしい。ならばそれらを入れてしっかりした美しい石鹸を作ってみたい。ハーブやエッセンシャルオイルやスパイスを入れた香りの良い石鹸を作ってみたい。近頃色んな石鹸サイトを見るにつけ、そんな思いが沸々と湧いてくるのである。
2006.08.30
コメント(2)
全199件 (199件中 1-50件目)