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東京時代 運命的なぱん屋の立ち上げプロジェクトに参加。その時 同僚であり後輩であり弟のような存在だったシンヤが来店した。当時 パンの専門学校を出たばかりの18歳の 茶髪の少年。ぱん職人の道を志す 夢見る少年だった。見るもの全てが ファッション感覚 すげェ~ かっきィ~(かっこいいの意味)とか無謀なことばを連発して この世界の洗礼を浴びるには もってこいのキャラクターであきれるというよりも、あまりの無邪気さに父性本能が働いて何かと世話をしてしまったそんな思い出の青年だった。 たった3ヶ月の付き合いだった。別れの時は おそらく長くは続かないと思った。案の定その後 2ヶ月後には 店を辞める。風の噂に 新しい店でやっていると聞いた。やってきた年賀状の返信に 3年はがんばれ と書いた。それから4年の月日が流れ 姿を現した シンヤ銀座の超有名店に飛び込んで求職をし 面接を受けて採用された。約束どおり 3年半はじっくりと修行をし 彼は動いたのです。ひとまわり大きくなたカラダ あの時とかわらない無邪気な笑顔は残っているもののきびきびとした言葉遣いに身のこなし。ひと目見れば彼がこの道を自分なりにしっかりと歩いてきたことがすぐにわかった。若干23歳。大きくなった。そんな彼を 笑顔で迎えられたことは うれしいことでした。でも それより嬉しかったこと。 彼がまだぱん職人の道をあきらめることなくあのときの純粋な心のまま ひとまわり大きくなった姿を見せてくれたこと。それが無性にうれしかった。彼から もらった 勇気のエネルギーは計り知れません。若い力はまだ生きている。そういう力を認めてあげて ほめてあげて 伸ばしてあげて 育ててあげる。仕事の中で わたしができる 命のつなぎ方 そういうものはきっとあると思う。ありがとう シンヤ感謝しかありません。
2006年11月17日
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翌日 また同じパーキングに行きました。すると 今度は お~ ゲートのバーがちゃんと降りているではないか!入り口も出口も。やっぱり昨日は何かの故障か サービスデーかなにかだったんだろうな。ちょっと安心する自分がいた(笑)入り口で普通にチケットをもらって普通に駐車しました。さて、用事を済ませて車に乗り込み出口に向かう。ゲートのバーは降りている 何もかも普通 料金ボックスにチケットを入れて 財布を取り出すしかーし!料金表示に「0円」!その瞬間にグイ~ンとバーがあがる。。。周りは沈黙。「あっ そうですか。。。」出口の通路の先に青空がのぞいていました。バーは静かに道をあけてそこにたたずんでいる。「いきなさい」まるでそう言われているようでした(笑)「さんびゃくえんは しんぱいないから いきなさい」何でもお金がかかると思っていました。パン屋さんに行って クロワッサンとバゲットを買って 財布を出したら「いりません」と言われたのと同じです(笑)もし それが出来たら それは豊かだよな。。だから このパーキングとの 2日間の無言の対話は 私に大きな豊かさをくれたのでした無限の愛っていうのかな~ 慈悲深い こー そういうものをね 感じてしまったわけですコインパーキングさんに。相手がコインパーキングだっていうことに 降参です(笑) まとめとしてはおめでたい性格ですね♪神さま奇跡を ありがとうございました。 深い気づきに 感謝します。
2006年11月16日
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職業柄ほとんど表に出ないのですが昨日今日と珍しく用事で車で出かけました。2日とも同じ場所に行ったので 同じ駐車場に停めました。普通のビルの地下のパーキングが目に入り30分100円と良心的な値段なので ここしようと 薄暗い地下に入っていきました。すると不思議なことにゲートのバーが上にあがったままになっていました。入り口も出口も。???そのまま進入していくと 入り口でガチャリとチケットが発行されました。。。意味不明ですが まあいいかと 車を降りました。さて 用事が済んで戻ってきました。 ゲートは相変わらず開いたままです。ここで はたと邪心が浮かびます。これは もしかしたら このまま出て行ってもいいのかな?・・・しかーし! ありがとうの心を実践している自分がそういう事をしてはいかんでしょ!!たとえゲートが開いていようと 俺はちゃんと300円払うぞ!そう心に誓った時なんだか自分がちょっとおーきな人間になったような気がしたのでしたそしてきちんと車を降りて 開いているゲートの横の料金ボックスにチケットを挿入。財布を取りだしたところで 料金表示が点滅 赤い文字で「0円」って・・・まわりを見回しても 薄暗い 管理員もいる様子ではない・・・・・・・静かに車に戻り 開いたままのゲートをくぐって 外に出たのでした。何か機械の故障なのだろうか?それとも ビルのオーナーの何か深い(浅い)意図でもあるのだろうか。とりあえず商売人としては 受け入れがたい事実だ。脳が軽く混乱していた。お金が要らないお金持ちのなのかなーとか わけのわからないことを考えたりでも 確かに入り口には30分100円と書いてある。そんな不思議でお茶目な駐車場に私は 遭遇したのでした。いま思い返すと 0円という料金表示を見たとき 神さまがどこかで見ているような気持ちになっていました小ざかしい心の動きを見透かされたように 赤い表示の0円が何かを語りかけているようだったのです。しかし よくある提携駐車場か何かで いくら買うと30分は無料とかそういうのじゃないんですあー不思議 とりあえず ツイてましたありがとうございます。(2日目につづく)
2006年11月15日
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わたしたちは自分ひとりだけで生きていないということをどうしたら毎日感じながら生きていられるのでしょうか。世界レベルの整形外科のお医者さんから春日神社の宮司になられた葉室頼昭さんのお話の中に共生についてのおもしろい言葉がありました。「抗菌グッズがはやっているけれど あれは抗菌の薬を物に塗っているんですね。 そこでその菌を殺してしまうから 皮膚がかぶれてしまうんですね。 本当は皮膚にも菌が共存して、いい菌が他の悪い菌を防いでくれるんです。 そのいい菌を殺してしまったら、体の抵抗力がなくなって結局悪い菌にやられてしまう。 だから抗菌の靴下でかぶれたり、抗菌マスクでかぶれたりする。当たり前ですね。 共存という事を忘れてしまっているでしょう。 菌だって、われわれを守ってくれている菌がたくさんいてくれてるわけです。 だから、本当に全部消毒してしまったら、人間は死んでしまいます。」 一方でオーストラリアの原住民のアボリジニーのことばに 「不快なものを理解するかわりに排除しようとするなら人間は存在しえない。 蝿がきたら降伏するだけさ。あなたもそろそろしていい頃だ」というのがありました。このあまり因果関係を感じない2人の言葉に 共に生きているという実感をジワーっと感じることが出来ました。一見マイナスのように思っているものを 無くそう無くそうとしたり克服しようと必死になることは結局自分の首を絞めていることになるのかもしれません。この考えは自分の性格や 対人関係などにも応用できそうです。いつも生かし生かされていることを忘れないようにしたいです。ありがとうございます。
2006年11月14日
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空想ですが どうも我欲とか私利私欲とか執着とかそういうものがあると 最初はうまくいっても 最後はうまくいかないような気がする最後とは死ぬ間際の心の状態私利私欲のままで最後まで幸せに生き抜くというのはないようです。欲は夢や願望をかなえるために必要不可欠というのもあるけれど我欲から生まれた目標や願望は 宇宙のバランスを崩す原因になっているかもだからどこかで病気になったり怪我をしたりいわゆるトラブルが発生するうまくいかないわけだ スイスイいかない。(覚えておきたいのは 世の中にはすいすい行く人がいるということ)うまくいかないのは バランスが崩れているから 今の地球を 宇宙人が宇宙船から見ていたら 欲の波動が湧き上がっているのが見えるかもしれません。あきらかに地球はうまくいっていない いまだ人間同士が殺しあっているのだから。欲という言葉の反対はなんだろう無欲か無我か 無我の境地とかいって座禅をくんだり滝に打たれたり。無欲なの境地なんて とてもたどり着けそうありません。欲の反対っていうのは 足るを知る じゃないかしら。足るを知るというのは これだけあるから充分です。ありがたい。という心でしょ生まれてすぐの子どもに この子には幸せになってほしいと思う親心はもしかしたら既にエゴではないか 既に欲のかたまりにとり憑かれているかも。生まれてきてくれただけの 豊かさを知る。感じる。一時一秒忘れないでいたい。無欲になんかならなくていいから 足る知る。足るを知るというのは=ありがとうという言葉。ただ繰り返し繰り返す。これが 宇宙の声に聞こえます。空想ですが。夢や目標の種は 欲の植木鉢(心)にうえてはいけない足るを知った豊かな土(心)の上にまく。そうすればもっともっと素適な花が咲くかもしれません。一句できました!「ありがとう」生きる時にはわすれずに毎日一句ありがとうの歌なら一心さん ありがとうございます
2006年11月12日
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ありがとうには2つの使い方があるそうです。何かをしてもらって ありがとうもうひとつは何かをさせてもらって ありがとう店頭にいる時 いつも笑顔をあげる その代わりに ありがとうを頂きたいサービスしてあげる ありがとうを言ってあげる その代わりに 笑顔を頂きたいそう考えながら ありがとうを言っているのは どうも 勘違いのようだお客さんに対して 笑顔をさせていただいて ありがとうございます。ありがとうを言わせて頂いて ありがとうございます。これが商人のありがとうの本質かもしれません。基本的に 何かをしてあげようか と思った時は すかさず 何かをさせていただこうかなというフレーズに置き換えると より自然なありがとうが言えるような気がしました。ありがとうございます。感謝してます。
2006年11月11日
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人は死んで天国に行く時「あなたは人生をどれくらい楽しんできましたか?」と聞かれるらしい。これだけだそうです。人生でどれくらい頑張ったかとか努力しましたとかどれくらいの収入を稼いだとか 遺産をこれだけ残したとかどれくらいの人を楽しませたとか どれくらい人を幸せにしたとかそういうことではないそうです。どんなことをしても 自分が楽しんできたかが 問われるらしい。じゃー人殺しをしても本人が楽しんでいたらいいのかー!とか反論もあると思うけれど、そういうのは置いておくとしてもしこれが 本当だったとしたら自分はどう答えるのだろう答えは決まっています。というより答えはわかっています。そうです人生には解答があるのです!「最高に楽しんでまーす♪ありがとうございまーす♪」みなさんも迷わず 深く考えず ご一緒に!「最高に楽しんでまーす♪ありがとうございまーす♪」これが正解。これで安心。大安心。バカボンのパパも言っています。「これでいいのだ!」 ばか!
2006年11月10日
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突然 東京時代に兄のように慕っていた先輩から電話があった。今では主たる事業のほかにも飲食店を数店舗持つ事業家で東京にいい店舗があるからパン屋さんをやらないかと。それに対した私の返事は「ありがとうございます。でもどうも僕はそういうタイプではないみたいです」と出た。即座に出たところが結構ビックリだった。これは自分でもどういうわけかよくわかりませんでした。先輩には「前に出ようって気ないの~」とか言われた。言われるよなーとも内心思った。電話を切ったあと一時考えてわかったのはどうやら自分から前に出る気は ないな。そういう道を選択するような気がする。ということだった。実際は今の状況で東京にいけるわけがないのだから当たり前といえば当たり前ですがほとんどYESと言えない内容の電話が なぜ今このタイミングで かかってきたのかメッセージの意味をじっと考える自分がいた。現在の心境からすると 不確実なまだ来ない未来を求めて前には出ない。ただ今 目の前に来たものを受け入れる。実際に自分の目の前に出現したものを受け入れる。それに対して不平不満を言わず笑顔とありがとうで流されて行こう。そういう自分にとってはかなり過激な考え方を 「いっちょやってみなよ」と戸惑っている自分の背中を押しにきてくれた そんな電話だったかもしれない。無意識の中でつながりを感じた もしかしたら大きなメッセージだったのかもしれないと。まあそんな わけのわからない解釈はおいておきまして何年かぶりの電話だったけど 思い出してくれて声をかけてくれた 先輩の声が 今日一番の奇跡でした。嬉しかったんです。本当は。ありがとうございました
2006年11月09日
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当店はありがとう天使にいるお店として有名?ですが(爆)スタッフもありがたいことに「ありがとう」実践派です。これは ありがとう100万遍に登録する前からお店の心構えとして笑顔と天国言葉(うれしい たのしい ツイてる 感謝してます しあわせ ありがとう 許します)という言葉の実践を掲げてやってきていましたから 特別なことではありませんでした。そして、100万遍の前から いわゆる個人的奇跡の事例が具体的にでていました。そして本日はついに新人スタッフ(入社3ヶ月)が興奮気味に奇跡体験を話してくれました。それは、昨日の帰り道に起きました。いつもの国道に入るとき 何やらイヤな予感があったといいます。案の定 渋滞に巻き込まれ ありがとうを言いながら過ごしていたそうです。するといきなり後方でものすごい音がした。その後すぐ 自分の真横を車が軽く宙を浮きながら 迫ってくるのを スローモーションのように観ていたそうです。そしてその車は彼の前の車の脇腹にドカン!と激突して止まったそうです。何が起きたかわからないけれども、自分の前と後ろの車と右側の車が事故に巻き込まれたことはわかったそうです。そして次の瞬間彼は思わず「ありがとう」とつぶやいてしまった自分に驚いてしまったそうです。彼にとってありがとうをいう事は仕事上の命令に近かったわけで半分はいいことだと思っても半分はまだ半信半疑でいたことはわかっていました。「それでもいいからやってなよ。そのうち必ず現象で現れるから」と言っていました。この話を聞いて わたしは何故だか目が潤んでしまいました。やっぱりか。と事故の当事者は その後 罵声のかけあいになり 収拾がつかなくなっていたそうです。彼は声をかけて来る野次馬に「僕はだいじょうぶなんです~」といいながら静かに 現場をはなれたそうです。彼が事故から免れたのは ただの偶然だったのかな。事故の当事者の方々には不謹慎と怒られるかもしれませんが渋滞の中にいた人々の意識・想念はおそらく かなりイライラだったのでしょう。その中で彼一人 ありがとうの波動を出していたと考えたら上空から見ているあの人からは とってもキラキラして よく見えたんではないかと思われます。幸いにしてケガ人が出ていなかったようでこれも不幸中の幸いと考えたほうがいいようです。考えてみると この事件は 彼が入社して丁度100日ぐらいにして起きました。そろそろ結果がでるころだったと考えると いよいよ 不思議に思います。事の真実はさておきこの出来事をきっかけに 彼がありがとうの言霊の効果を 良い方向で理解しはじめることがとても嬉しいことでした。ありがとう言うスタッフには私も含めて いろんな奇跡が起こっています。それも後日お知らせしようと思います。ありがとうございます。
2006年11月07日
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昨日 お店に小学生3年生が2人でやってきました。片手にノートを持ち ちょっと緊張気味だがとっておきの笑顔で 社会科の授業で お店のことを聞きに来たという。店に入ってくる前から 2人でなにやら打ち合わせをしていた一度入ってきたけれど お客さんが入ってくると そそっと 外にでていくそして 誰もいなくなったことを確かめて だだっと入ってきてまずは お小遣いで ソーセージフランス130円一本(あとで聞くと彼女の好物だった)を注文 。それを受け取ったあとで 始めて取材の申し出。完璧だった(笑)これまでいくつかの取材の申し出を受けましたがここまで完璧な アプローチを受けたのは初めてだった。ひどいものだと 店に来てもいないのに パンを食べたわけでもないのに電話一本で いきなり どうですか?と来る。だだネタを探しているだけ。だから 彼女たちの笑顔、誠実さ、作戦、礼儀は際立って感じてしまいました。こうなると大人気ないことに「是非取材をしてください!」となってしまう。うかつにも上機嫌になってしまって 頼まれもしないのに 厨房の中まで入れて熱くパン作りを語ってしまった。完全に乗せられました♪彼女達を通してあらためて 無心の笑顔の大切さ 誠実であることの大切さ礼儀正しさの大切さ 事前の打ち合わせの大切さ(笑)を教えられました。ああいう子ども達をみていると 今の悪いニュースが 本当なのかと思う。純粋な瞳のきれいな 子ども達が 私のお店にはたくさんやってくる。翌日は彼女のお母さんがやってきてわざわざお礼を言っていただく。そういう 当たり前の人間関係は 私たちの周りにはまだまだたくさんあるはず。ただ気づいていないだけ。見ようとしていないだけ。そういう 美しい瞳を 美しい心を 拾い上げ 誉めてあげ 励ましてあげる。それが私たちの 日々の大事な仕事だと あらためて思いました。2人の小さい天使たちに感謝です。ありがとう。
2006年11月06日
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朝の出勤の時間も 帰宅の時間も月が出ています。帰りがけに東の空に見えた月が朝の出かけには西に移動しています。寝ている間に 地球が回る その間もお月さんはじっと 僕らを見てござるありがとうを言い始めて空を見上げる回数も増えたこんな時間が 命の神秘を教えてくれる間違いなくあなたは 僕を みてござる都会にいたって 宇宙の波動は しっかりと受け取れるどこに行く必要もありません。空を見上げさえすればありがとうの神さまは いつも そこにいるありがたいことです。
2006年11月05日
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ずいぶん前ですが 娘の通う小児科の待合室にかかっていた言葉で帰ってきて早速調べてみると 良寛さんの言葉として広まったそうなのですがどうもどこかのお寺の住職さんが書いたものらしいです。それが口コミで広がって いつの間にか良寛さんの言葉になっているようです。私が小児科で見つけたものは これよりもっと長い作品でその後いろいろ探しても どうしても出てこないのでこんど小児科の先生(とっても優しげなおばあちゃん先生)に聞いてこようと思っています。それぐらいすてきな言葉が並んでいました。自分の身の回りに起こっていることは全て今の自分にちょうどいいんだという教えこのことばを知った時からでしょうか不平不満愚痴泣き言っていた自分が 空しくなってしまいました。空しくなることが 良い方向へ向かった 珍しい体験でした。この言葉は毎日くりかえしていたい 力のある言葉です。す~ぐわすれるんです。これが。ありがとうございます。
2006年11月04日
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カリビア姉さんのお友達が東京からわざわざご来店くださいました。名古屋といっても中心地から西のはずれた住宅街なので遠方から来てくださるお客様には申し訳ない思いがあります。ただただ感謝です。今日のお客さまにも みんな笑顔 出し切ることができたでしょうか。普段通りに 気負いもなく 繰り返し 繰り返し 怠ることなく 笑顔を配るそれがわたしたちの 目指す ぱん屋です。この楽天日記の繋がるお客様は 精神的に繋がっているお客さまに思います。初めてお会いするのに いつもどこか 懐かしい印象を受けます。お客様であってお客様でないような。おかげさまです。新しい この出逢いに 感謝 感謝。ありがとうございました!
2006年11月03日
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山川 草木 悉皆(しっかい)成仏 昔の日本人は道端の草木も石ころも 全てに魂が宿り生きているから 大切にしなければならないと考えていました。 私も どこかでこういう話は 聞いて育ってきましたがどこまで 心に留めて 日々の生活を送ってきたのかは。。。振り返れば 目を覆いたくなるほど 物質だけを見ていました。それが ありがとうを 唱えはじめると 見るもの全てに 何かを感じはじめます。不思議です。 美しい言葉に ありがとうございます。
2006年11月02日
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「人事をつくして天命を待つ」この言葉の人事とは 人が頭で考えたこと 目標なり夢なりがまず最初にありこれに向かって精一杯出来ることをやって 後は天に任せるという意味ところが この世には「天命に任せて人事をつくす」という言葉もあるらしい。最初に全てを天の意に任せてしまう。そして今 目の前にある事だけを精一杯やるという意味おもしろいことに 順番が入れ替わっただけで 大きく意味が違ってきます。今私は 大きな分岐点に立っているようです。店を開店してから 3年半 新たに目標を上げて 人事を尽くして それなりに自己投資もしてきた。ところが どうしたことか、この一年の間に起きた出来事は すべて僕に天命に任せてみてはどうですかと 教えに来てくれているような事ばかり。これは あえて最初に人事を尽くすやり方を準備させた後に 神さまが それを手放しなさいと言っているようにも感じます。あとは 自分できめるだけ。 どうやって決めるかも もうわかっている。それは 自分の魂が わくわくするほうに決まっている。行きたがっているところに決まっている。答えはもう 出ているみたい♪ありがとうございます。
2006年11月01日
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秋の紅葉を見に行ってきました。行って来ましたというより 行かせていただいたですね。これから何かと忙しくなる冬シーズンに向けて恒例の自然エネルギー充電のためのオフの旅。家族で元気に楽しめる幸せは おそらくかなりありがたい幸せだと思います。感謝しかありません。目的地は南木曽 江戸と京都を結ぶ中山道沿いにある馬篭(まごめ)・妻籠(つまご)という宿場町 情緒あふれる木曽路の旅 今回はそこからさらに山にわけ入った温泉郷に一泊の予定。最高の紅葉が見れたのはもちろん これはまさに 神さまからのプレゼントだというような素適な出来事や光景の連続で 心にエネルギーがいっぱい充電されました。とりわけすごかったのは 山に沈んで行く夕日に遭遇したことです。それを家族露天風呂から 素っぱだかで!!拝むことができた幸せ宿の方もこんなにきれいな夕日はそんなに見れません!とおっしゃっているぐらい真っ赤にそまった太陽がゆっくりと山の稜線に沈んでいく光景は美しいものでした。この光景はまさに 神さまからのプレゼントなのかと思うと 思わず手を合わせていました。こういうことが奇跡だと気づきはじめると ありがとうという言葉を 止められなくなります。そんな損得勘定でいいのかと思いますが これがどうもいいようで、ありがとうの本当の意味がわかるとか どれくらいわかっているかとか そういうことを理解するまで 待っていたら 年とって死んでしまうので とにかく 口に出して言ってみる。言うと なぜだかわからないけれど いいことが雪崩のごとくおき始める。 だんだんその効果がわかってきて 知らないうちに 魂に感謝の心が宿っている。宿ってしまうと あとは自動装置が働いて 安心あんしん♪ ハッピーミラクル人生の出来上がりと そういう順番で どうも いいみたい。馬鹿が それだけで幸せになれるか と思った方 多分あなたは正常な方ですだから 安心あんしん♪とにかく 個人的趣味ですが ありがとうが やめられません。とまりません。
2006年10月31日
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感謝の心 ありがとうの心は 生かされていことを知ること。 どうやら ここからしか生まれてこないらしい。教育というものの原点は「ありがとう」という言葉であり心。神さまそうではありませんか?(だいじょうぶ マジですから)この時代に日本に生まれた私たち大人は 自分がまず生かされていることを思い出しそれを子ども達に伝えていく。それぞれの生活の中でそれぞれの表現で生かされていることのありがたさを 口に出して伝えていく。それぞれの仕事の中で伝えていく。なんにも難しいことはない。「ありがとう」を声に出す。ただそれだけ。テレビを見て 批判しているのではなく 下を向いて 黙っているのではなく さめた笑いで 投げ出しているのではなく 絶望して あきらめているのではなく 声に出してささやきはじめる勇気が必要じゃないか。気づいた人から順番に 一日一人でも多くの大人たちが ささやくことが求められている。どう考えたって国や学校のせいにしていたんでは間に合わないのだから。ありがとうの声がどんどん大きくなっていき その先に私たちの祖先が築いてくれた美しい日本が待っていることを想像しながら ありがとうの手をつなぎ 共に歩く。宗教では手はつなげなくても、ありがとうなら誰でもその手はつなげる。今すぐにだって 誰にだってできる。お金は一銭もかからない。才能もセンスもいらない。地位や職業も関係ない。男も女も関係ない。年齢もまったく問題でない。どこにいたってできる。それが「ありがとう」の凄さ。そしてその声は今たしかに静かに息づいていることを感じています。ありがとうの手と手で繋がった 世界の行方は 希望の星です。未来は明るいのです。そんななステキな夢をですね子どもと 歌っている時に思いツイてしまいました♪「手のひらに太陽を」しかしこの歌は最高ですね!と思ったらアンパンマンのやなせたかしさんの歌詞だったのですね やなせさんありがとう!「今日からうちのお店の主題歌にしまーす。」「店長!そんなんでいいんでしょうか。」「いいんだよ♪愛~んだよ♪」
2006年10月30日
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今学校でのいじめや自殺の問題が吹き出しています。それでも僕はツイているなー。だってこの歳になってやっと 自分の子どもに最初に何を教えたらいいのか わかったのだから。音楽の授業でぼくらはみんな生きている♪いきーているから歌うんだ♪ぼーくらはみんな生きている♪いきーているから笑うんだ♪こうやって習いましたが、あれ 間違いでした。ほんとうはぼーくらはみんな生かされている♪生かされているから歌うんだ♪ぼーくらはみんな生かされている♪生かされているから笑うんだ♪だったんです。字余りですが。。もちろん こうやって先生や親に教えてもらった経験はありません。でもそれはこの時代に ここに生まれた育った自分の宿命で 仕方のないことだと思います。ただ「生きている」っていう言葉では どうしたって自分で生きていると勘違いしてしまいます。これが自分を見失う不幸の始まりかもしれません。今 世間で起きている現象は 加害者も被害者も闇の中で どうしていいかわからなくなってしまった結果として起こってきているようにも見えます。自分の力で生きてやる 成功してやる 幸せになってみせるって考えてしまうと 結論としてろくなもんじゃないです。(笑)これは30年近く自分の力で生きてきたと勘違いしてきた未熟者の経験として実感です。(もちろん後悔とかはしてません。しっかり愛しています自分の人生は。)一番最初に「生かされている」って習ったら 子どものやわらかい脳にはあーそうなんだって新しい情報が素直にインプットされるものです。こども時代というのは何気ない言葉一つが大きな影響をあたえます。大人もそうですが。繰り返し口にしたり歌ったり書いたりすることには深い注意を払いたいものです。 (つづく)
2006年10月29日
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キープ 恩 スマイルなんどか仕事中に咲けびます。ありがとうも咲けびます。咲けば無くてもいいけれど咲けびます。笑顔の力はやっぱりすごいと思うから笑いの力は究極の力ではないんだろうかただ笑って 阿呆になって。 よびりんさんもあっほ~て言ってるし。笑ってるだけでいいいんですかって声が聞こえますがうちの場合は「いいんだよ~♪」って頂いています。ただそれだけで生きていける。おかげさまです。 ありがとうでいきます(笑)
2006年10月28日
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今日は東京の姉さんから紹介していただいた映画でなんとその名も『ありがとう』の紹介です。みなさん知ってましたか??ありがとうのタイトルの歌や本や映画が最近ものすごく目につきます。見えない何かが『ありがとう』の力をひっぱりだしてくれているように感じます♪以下カビリア姉さんが試写会で見てこられた感想のブログを引用させていただきます。 苦しくなったら顔あげて、 奥歯折れるまでかみしめて、 笑うんやで。 今から約10年半前の冬。 朝起きてテレビを点けた時の映像が、 今でも私の目と心に焼き付いています。 「高速道路が割れている!バスが割れた道路のギリギリに停まっている。 何?何処?映画?・・・」 ******************************この映画は阪神淡路大震災の被害者でありながら、 住み慣れた長田区という被害が大きく、全焼した街の復興に関わり、 夢を持ち続けて、最高齢の59歳11ヶ月でプロテストに受かった、 現・プロゴルファーの「古市忠夫」氏の実話に基づいた作品です。 カメラ屋の店主をしながら、地元消防団のボランティア活動をしていた古市氏は、 震災により、友も家も財産も失いながらも、家族を亡くした人達を慰め、 リーダーとなって、人々の心と街の復興に力を注いでいました。 数日後、駐車パーキングに預けていた車を引き取りに行くと、 トランクの中から、無傷のゴルフバックが出てきます。 『奇跡や!』と叫び、 家族の反対を押し切り、「プロゴルファーになる!」と決め、 お金のかからない独自の練習法で、毎日身体とフォームを鍛え、 ギリギリの年齢でプロテストを受ける・・・というストーリーです。 奥様とお嬢様、そして街の人々の信頼、愛情、理解、明るさが彼の心を動かします。 わしら、生かしてもろてんねん。 生かしてくれた人に感謝せな。 文句言うたらあかん。 切なくて苦しくて涙してしまう奥様に、かれはこう励まします。 震災のシーンは辛くて、悲しくて、涙が止まりませんでした。 でも、古市氏の言葉ひとつひとつが、心に浸みわたり、 感動の涙に変わりました。 今の時代だからこそ、 毎日、辛い、酷な事件が報道されている、今だからこそ、 沢山の人達に観てもらいたい・・・。 そう思いました。 『愛』『感謝』『信頼』『絆』・・・・・そして『ありがとう』。 全て、現代を生きる人達に必要な事だと思います。 是非、沢山の人達にロードショーを観て頂きたいです。 そして、周りの家族・友達・仕事仲間達に、伝えて頂けたら・・・と思います。 私もチケットを買って、もう一度観に行きます! 公式HP http://www.arigato-movie.jp/ 予告編 http://www.rfish.co.jp/released/arigatou_special/index.html 原作: 『還暦ルーキー 「60歳でプロゴルファー The new fifties」』 著者:平山譲 出版社:講談社 以上 カビリア姉さんの解説です。 この映画にパンフレット お店にも置いてあります。 見に行こうと思っています。 今日の日にありがとうございます♪感謝
2006年10月25日
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ありがとうの輪でご縁を頂いたせんのは。さんとそのご主人とお子さんがお店に来てくれました!いつもやさしい言葉をかけてくれるせんのは。さんに感謝です。天真爛漫なお子さんを見たとき ご両親がどうやって育てていられるか全てが伝わってきました。頭に天使の輪が見えましたご主人もありがとうの実践をしておられ 近々移動カフェを発進予定だそうです。家族でありがとうの実践をされれば効果は4倍にも5倍にもなりそうです。私たちにありがとうの一杯詰まった美味しいコーヒーを飲ませてくださいね!私たちもわくわくのありがとうパン焼き続けます。ご来店ありがとうございました。ご縁に感謝です♪
2006年10月24日
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自分には本当の姉が一人いるのですが東京で22歳でサラリーマンを始めたころに出逢って以来ねえさんねえさんと慕ってきた女性がもうひとりいます。今思えば、笑顔といえばこの姉さんしか思い浮かばないほどの笑顔のステキな女性でした。販売の仕事をしていたねえさんはその笑顔であっという間に初対面のひとを惹きつける不思議な魅力を持った人だったのです。さらに不思議なことにサラリーマンを辞めてパン修行の旅に出てからも何故か要所要所で必ず姉さんが登場してくれていたのです。名古屋に来てからも時々メールをやり取りしたり 出張の時にはお店にまで足を運んでくれたりなんだか失礼かもしれないけれど自分から関係を保とうなんて思ってもいないのに、必要な時にいつもそばにいてくれた人。だったんです。その姉さんがなんと100万遍の輪に参加してくれたことは私にとってやはり深いご縁を確信する出来事になりました。自分をありがとうと笑顔の道に導いてくれた人がありがとう100万遍に共鳴してくれて喜んで参加してくれたのです。こういう展開になろうとは思ってもみなかったから。その人がこれまで自分たち(妻と共通の心友なのです)を見守ってくれた人だということを今のになってやっと気づくことができました。ありがとう 姉さん。 感謝を込めて。私の姉さんのブログを紹介します。→ ☆ミクシィーはココ(今日はこの姉さんから推薦いただいた映画の紹介をしようと思ったのですが 長くなってしまいましたので後日紹介させていただきます。)
2006年10月23日
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ひょんなことから5歳になった娘に斉藤一人さんのお話の中で大好きな「幸せの道」という話をはなすことになった。誰かが神様に聞きます。「神さま、幸せの道というものはあるのですか?」神さま「幸せの道?そんなものを探したってありません。非常に残念です。」(笑)しかし 神さまはこう言います。「自分が今まで歩いてきた道を、しあわせだ。しあわせだ。と言って歩いて来た人の後ろに幸せの道が出来ているんです。」子どもには意図的に神さまという言葉を使うようにしているのがいいのか悪いのか神さまのお話をするととても興味を示します。ファンタジーの世界に住んでいる子どもには楽しい話に聞こえるのかもしれない。理解できるかしらと思いながら、このお話を演技を交えて話したところぽかんとしながら聞いていた。そしてしばらく考えたあと「わたしの幸せはね、この足の裏にあるんだよ。」と言って足を持ち上げ、「この足の中のほうにあるんだよ。」そうか~じゃ足の裏に「しあわせ」って書いておこうかと言って笑っていたら次の朝 足の裏に「ありがとう」とマジックで書いてありました。お母さんに頼んで書いてもらったらしい。幸せの道は自分前にはないらしい。未来に幸せは待っていないらしい。だから探したって見つかるわけがない。今この時を「しあわせだ」って言いながら歩いた人の後ろに幸せの道が出来ている。「つらい。苦しい。足りない。いやだ。」そういいながら歩いてきた人の後ろに「不幸の道」が出来ている。自分の後ろを振り返った時 お花畑の中に一本の道が続いているように今この時を「幸せだ」って言いながら歩いく決心をさせてくれた大好きなお話。子どもなりに頭の中で噛み砕いて種となって育ってくれたら嬉しいことです。今日の日にありがとうございます♪
2006年10月22日
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今日はお店に小さな天使たち(一才から小学5年生)120人がやってきました。今年で3年目ですっかり恒例になったこの天使たちは近くの英会話教室の子ども達。秋の収穫際を祝う米国のお祭り「ハロウィン」の催しで、教室の子ども達や近所の子ども達が参加して、それぞれ思い思いのアニメキャラクターや悪魔の衣装に変装して街の商店街に繰り出します。「トリック・オア・トリート?」(なにかくれないといたずらするぞ!)と言うとお店の人からお菓子やおもちゃをもらえるという楽しいパレード。日ごろはのんびりした住宅街のこのあたりも 子ども達のかわいらしい衣装のおかげでぱっ!と明るく賑やかになります。街行く人々も思わず微笑んでしまいます教室の先生もピエロやピーターパンの衣装に変装したり 付き添いのお母さんもお父さんもこの日は真っ赤な魔女に変装したりフランケンシュタインに化けたり楽しそう!この日のために準備してくださった教室の若い先生方 また協力してくださった街の商店街のみなさん。楽しく参加してくださったお父さんお母さんと子どもたちにありがとう!きっとこのパレードは街の人々の心をとっても明るくしてくれたと思います。私達ぱん屋さんのスタッフもこの日のためにたくさんのパンを用意して楽しいプレゼントにして喜びを配ることが出来て嬉しかったです。さらに嬉しいことに 翌日の新聞を開くとこのパレードのことが取り上げられていました。楽しいことはやっぱりみんなに知らせてあげようと神様が言っているようでした。天にわくわく感謝です♪ありがとうございます♪
2006年10月21日
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将来の夢や目標があると幸せないと不幸 特に若い頃から目標があることはいいこと夢や目標設定が成功(成幸)に不可欠小さい時からそういう観念が 頭の中にありました。そんなもの 無くても 人は幸せになれるそう言われた時 頭の中が ショートして 大きなクエスチョンマークができました。このクエスチョンマークの答えを 教えてくれたのがどうやら ありがとうの言霊 のようだと感じています。うまくいえないえませんがこれはありがとうが先か 夢や目標設定が先かの問題で答えは ありがとうが先だったんじゃないか その後に夢が来るそんな気がします。私たち大人は いつも夢だの目標だの 自己実現だの そんなことを 小さい子どもに言い過ぎたんじゃないか。その前にやはり ありがとうだったんじゃないか。それも ありがとうを口ずさむ という具体的な話を教えることが本質だったんじゃないか。今 夢や目標のない人は とりあえず ありがとう100万遍をやったらどうだろう。不思議なんですが その先に 夢や目標が現れる。自然と現れる。誰かが持ってきてくれる。心配はいらない。もしくはそれを必要としなくなる。生き方が待っている。そんな答えが ありがとうの先に待っているように感じます。この問い 実は ここ数ヶ月 問い続けていました。 ありがとう100万遍のおかげで 落ち着きそうです。実践した人がわかるようになっているらしい。おもしろすぎます。今日の日に ありがとうございます。
2006年10月20日
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ありがとうしかやっていません(爆)なんだかヘンになったかと思いますがヘンではなくて いろんなことが 起こり始めているような 気持ちになります いろんなことに 敏感になっていくような 気持ちになります お客様は みんな笑顔になります 注文もたくさん入ります きっと錯覚だと思いますスタッフはみんなニコニコして 顔晴ってやてくれる 気のせいだと思いますもしかしたら ありがとうだけやっていても 食べていけるかもしれないそんなわけない いや そうかもしれない そんなわけない いや そうかもしれない答えは あなた が知っているんですね。 今日も あなたに ありがとう。
2006年10月19日
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毎日 きっと 気づかない 奇跡の連続なんだろうなありがとうを口ずさむとちいさな ちいさな 奇跡に 目がとまります一杯の 晩酌も ひときわ おいしい!小さなありがとう探しは 自分の感性も 豊かにしてくれるみたい今日も まだまだ 見過ごしている 奇跡が どこかにあるんだろうなぁ気づいてほしいと 待っているかも 探してあげなくちゃなあれも これも あれも これも
2006年10月18日
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憑依なんていうとちょっと怖い気もしますがいい意味で いろんな意識や気など 目に見えないものが乗るり移るということって確かにあると思う。それだっって憑依と同じことだ。楽しい雰囲気の中にいるのが好きな人はそういう意識の集まっているところに惹きつけられる。元気の無い人でもそういう気の集まっているところにいるだけで元気になってしまう。元気が憑依したってことだ。だから憑依もやっぱり肯定的にとらえればいいことなんだ。ここ数日 私に乗り移っているのは お菓子の城で会ったありがとう100万遍の仲間の笑顔。彼らの笑顔を見たら 一発で憑依します(笑)。しばらくは気づきませんでしたが 今日気づきました。しっかり ついてました!(爆)笑顔を笑売道具にしている私ですが へんな話 笑顔が乗り移ってしまっている。お客さまの前で笑顔を配る時 脳裏にフラッシュバックのように彼らのまぶしい笑顔が浮かぶのです。勢いづいて なんだか笑顔力がワンランクあがったような気になってしまいます。ありがとうが乗り移り 笑顔のが乗り移る その憑依したものが お店のスタッフに乗り移って 脳天気なぱん屋は ただ今 ツイてるぱん屋になっております。この憑依はしばらく続くものと思われます。あーツイててよかったよかった ありがとう。乗り移っていただいたみんなに感謝しています。今日もありがとうございました!
2006年10月17日
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つかれるという言葉は憑かれる から来ているらしい(憑くとは霊とかが憑依するという意味)あー疲れた~っていうとその辺にいる 霊さんがそういう現象を持ってきてくれるそうです()ますます疲か(憑か)れるっていうことか!それがいやな人は「つかれた~」っていいそうになった時が勝負だそうです。「あ~今日も一日忙しく働いて つっつっ~ついてる~!」って言うと その辺の 霊さんがもっともっとツイてる現象を持って憑いて来てくれるそうです(!)同じ憑かれるなら ツイてるって言ったほうがよさそうですね♪今日も一日 ツイてる一日を!
2006年10月16日
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世の中で起きているに偶然はない全て必然という言葉をよく聞くけれど 本当かな~なんて思っていると偶然という字は 然るべくして人に遇う と書くという言葉に出会いましたこういうのに出会うと楽しくなってしまいます。っていうことは 偶然は必然ということじゃないですか。あな おもしろし今日ものすごい突然のひらめきで 初めて近くの岩盤浴に行ってしまいました。(サウナ嫌いの自分が岩盤浴に行くとは思ってもいなかった)暖かい天然の鉱石(天照石)に寝そべってじっくり汗をかく ついでにありがとうを3000回。リラックスするには最高のシチュエーションでした。効果は倍!?なんだか 心も体も ほっかほか。こんなことも 必然なのかな~って考えると何でも楽しいものです。
2006年10月15日
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今日は子ども通う保育園の運動会でした。とても素朴な運動会でした。 歌って 踊って 走って 投げて たったそれだけなんですが 子ども達が 一所懸命 の姿を見ることが親にとってどんなに 幸せなことなのか親になって 初めて知ったことでした。 こどもは 美しい けなげ という言葉が浮かびました けなげに 生きる そんな生き方があるんだよって彼らは教えてくれました。 年長さんは きちんと 赤と白に別れて 真剣勝負の リレー 赤組の中には 障害児もいました それでも ちゃんと 勝ち負けをつけていました負けた赤組のアンカーは 悔しくて 涙を流していました 悔しくて 泣いているんです もらい泣きしてしまいました。 きっと 負けた 赤組のこども達は 何かを 学んだと思います。いろんなことを お父さんも お母さんも お話できると思います。やさしさについて 思いやりについて あきらめないことについて それは素晴らしい 時間になるはず 今日の運動会を準備してくれた 先生方に ありがとう支えてくれた 父母の会のみなさん ありがとう そして ここに 来させてくれた スタッフのみんな ありがとう! 感謝しかありません。
2006年10月14日
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戦争とは、自分が善人で正しいと思い込んでいる人同士の戦いなのです。「自分がまちがっているかもしれない」と思ったら、戦いや争いにはならない。という言葉にふれました。今、世界で起こっていることを眺めてみてドキッとしました。いろんな意見があると思うけど 人間は完璧ではない ということはいつも忘れないようにしていたいと思いました。平和な一日にありがとう♪
2006年10月13日
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心に響くありがとうの言葉は いつも誰かを励ましますあなたからのお便りに わたしたちはいつも励まされその力がまたまた乗り移り 私達はありがとうがいっぱい詰まったパンを焼くありがとう ありがとう ありがとうありがとう 100万遍言ったならみんな 笑顔の花が咲く世界で一番美しいことばありがとう がこだまするそんなぱん屋であれますようにありがとうのエールを交換します感謝していますありがとうお客さまのありがとうの声に ありがとうで返すありがとうのエール交換今日はそんな楽しいアイデアが浮かびましたたくさんのありがとうが こだましたらきっと みんな うれしくなるよ天に わくわく♪に感謝です
2006年10月12日
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先月取材撮りした雑誌が今コンビニ・本屋さんで売られています(東海3県)。そして今日また取材の電話がありました。とてもいいお話でお受けいたしました。こんな小さなぱん屋にありがたいことにいくつも取材のお話を頂きます。普通では考えられないことだと思っています。たくさんのぱん屋さんがある中で、選んでいただけることに感謝です。ありがとうの言葉が空を舞い雑誌社さんのお目にとまり ご連絡いただきました。ありがとう ありがとう ありがとうもちろん感じが合わず お断りする場合がありますが すべては心の感じるままに。生きていけばいいみたい♪そこにありがとうの心があれば。今日もよびりんさんで学びました。キリギリスがアリに尋ねました。「生きていくコツを教えてください。」アリ曰く「アリのままでいいのです」(爆!!)あんりまぁ!!!!
2006年10月11日
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7日の土曜日 秋晴れ快晴 愛知県犬山市 お菓子の城ありがとうの花坂爺さん竹田和平さんが呼びかけるありがとう100万遍の輪のはじめての天使会議。全国から21人の方が集まりました。どきどき わくわく♪おそらく みなさん さまざまな道の途中で ありがとうの素晴らしさに気づき 実践してこられた方が そこにいらっしゃいました。さまざまな場所で様々な職業を持たれていて 誰が誰だかわからなくてもありがとうで繋がっていると考えるだけで 昔からの知り合いのような感じで打ち解けていく 不思議な感じでした。いつものように終始にこやかな和平さんを囲んで席につき、お話がはじまりました。今の世の中が 突如起こる凶悪事件や見えない国政などで不信不安が蔓延していることその原因の根源に徳の不在があること むかしむかしの大和心 感謝の霊気 ありがとうの言霊が 見えなくなっていることに 強い危惧の念を持たれていること この先20年 冬の時代がくること これは80年周期で回っているのでどうしようもないことでもこれは悪いことではなく 徳の時代がやってくる大きなチャンスであることありがとうの種をまき やがて来る春にたくさんの花を咲かす準備をすることが この時代に生きる私達 ありがとうの言葉の力を理解する仲間が やれること73歳の和平さんが 御自身の人生をこの徳の復活(貯徳)にかけられていること それを日本の100尊おひとりお一人にお誓いされ 美しく死ぬことを 決めておられること 100万遍の輪をはじめ5つの貯徳の輪を展開し 大きく育てていきたいと思っておられることそんな お話をしてくださいました。僕らは何ができるだろう。夢を持ちにくいこの時代に 見失って路頭に迷う 子ども達に 相次ぐ大人たちの不祥事に僕らになにができるだろう無いものを嘆くのではなく あるものに感謝した時目に見えないものが 見える 耳に聞こえないものが聞こえる そして自然に ありがとうが口から出てくるようになるまでありがとうを口ずさむ そんな生き方がかっこいい それが ありがとうの道なんだと 教えてくれた気がしました。73歳のニコニコ花坂爺は 私達に 無いといわれたジャパニーズドリームを 見せてくれようとしているんじゃないかなぁ 日本では無理だと言われていたジャパニーズドリーム粋で いなせで かっこいい 花坂爺が撒く 種の一粒に なって風に吹かれて飛んでみようなんだか 本当に 楽しいことが起こるかもお話の中で和平さんが何度か口にされた言葉『無理なく 無駄なく 美しく』この言葉のように ありがとう100万遍の輪が広がって きれいな花が咲くことをわくわくの気持ちで 鮮やかに想像することが出来た素晴らしい一日でした。 全ての出会いに感謝します ありがとう!和平さんの講演会が今週の土曜日(14日)にあります。一度 和平さんのお話を聞いてみるのもいいかもしれません。ニコニコ笑顔の花坂爺がきっとわくわくの種を撒いてくれるはずです♪
2006年10月09日
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「ハイはみごとなハイ 笑顔はみごとな笑顔 それが商人」という有名な詩がありますがハイ!という言葉は、商人だけでなく人生を豊かにするためにどうしてもマスターしたい言葉です。ハイ!っと言ってもいろんなハイ!があって大きなハイ!ちいさなハイ!長ーいハイ!みぎ上がりのハイ!とか尻すぼみのハイ↓とかあって、どんなハイ!がいいか今朝スタッフといろいろ研究してみました。それでコツを見つけたのです。簡単に言うと「部屋の壁にこだまさせるようにおなかから声を出してみる。」ハイ!よろしいでしょうか?そんな感じです。ちょっとお部屋の壁に響く感じです。こうすると、どうやらお客さんなら、お客さんの鼓膜を心地よーく響かせて普通一個のパンをお買いあげのところが、「やっぱりこれも!」っとなってすぐに売り上げが上がってしまうようです。だいたい20パーセントぐらい。不思議です。それで、今日うちの脳天気なスタッフたちは この例えでどうやらコツをつかんだらしく「あ~こんな感じっすか。」とか言って 朝から「ハイ!はい!ハイ!」っとハイ!の素振りをしていました。そのうち「いらっしゃいませー!」の素振り「ありがとうございましたー!」の素振りまで始めました。(*素振りとは―お客さんがいないのに仕事しながら声を張り上げている状態)今日は雨ですが脳はお天気なんですね~ちょっと怖かったですが、本人たちはコツをつかんだものだから言ってみたかったみたい。ちょうど新しいおもちゃをもらった子どもの状態ですね(笑) その姿を見る親は自然に嬉しいともあれ ハイ!という言葉。これもきっと運勢をよくする言葉に違いありません。「ありがとう」と共に実践していきたいものです。このあと今朝は厨房でよびりんさんの日記で朝礼締め。今日のお題は『エネルギーを温存するな!』久々にガオー!と叫んで そのまま開店でした ありがとうございました♪ 今日もおかげさまでみんな元気です。
2006年10月06日
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平成の花坂爺 竹田和平さんが持っているありがとうの花がたくさん詰まった玉手箱から21人のありがとうの天使が飛び出しましたこの天使達がこれからそれぞれの場所でありがとうの輪を広げていくのでしょう。わくわくします なんだかとても21世紀的♪以前日記に書いた ありがとう100万遍の輪も広がっているようです。本日届いた和平さんのメールです。「10月4日現在の ありがとう100万遍の輪の参加者は196名になりました。ありがとう100万遍の輪を育てましょう。美しい日本が待っています」美しい日本が待っています。いいですよね光栄にも10番目のありがとう天使役を頂いたじじぱんこれからも このブログで笑顔とありがとうをお伝えしていこうと思います。本業でもますます顔晴ります!和平さんが呼びかけている『ありがとう感動メール』の締め切りが今日に迫っています。<和平さんのHPより>『ありがとうを唱えて体験した すばらしい感動や 奇跡がメールや雑誌で 次々と報道されています美しいことばが 美しい世を生みますありがとうの流行は すばらしいと思いますありがとう100万遍の輪も 風をはらんでくるくる廻ります「私のありがとう感動」を300字程度で貯徳の輪に メールして下さい記名と 公表と フリー転記OKが条件です〆切は 10月5日です7日の天使会で選び HPと小冊子で発表します美しいことばありがとうを 益々元氣にして美しい世を生み出すこと 目標ですありがとうの感動に 感謝を捧げましょう私も奇跡の感動の数々を 感謝を込め書かせていただきます天とわくわく ありがとう』ありがとうの輪に参加している人いない人、この際 なんでもいいから300字でよかったことの体験談書いて和平さんに送ってみるといいかもしれません。書くだけで今日が一日 いつもと違った特別な日になります。なんかこう いいんだよな~書いた人だけわかるっていうか。 それはそれはすがすがしい気分になれます♪
2006年10月04日
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名古屋に生まれたので自然と中日ドラゴンズが好きです。ドラキチではないけれど、一応新聞のスポーツ欄は目を通す。勝てば嬉しく、負ければ悔しい。50何年間も日本一がないと聞けば、今年こそとも思います。 落合ドラゴンズになって特に 落合監督の言葉が好きで、いつしか試合のあった次の日の新聞で監督のコメントを探すのがクセになりました。 特に負けた時、サヨナラ負けとかした時なんか結構わくわくしながら探します。そんな時の落合監督の言葉はとても楽しいものだから。 単なる負け惜しみとか、しらけたポジティブ思考には聞こえないのが不思議。それどころか、想像もしない言葉から何故か軽いショックを受けたような感じでなんだかその通りに感じてしまう。大丈夫だと。まさにマジック。面白くて楽しい。今年もそうでしたが、選手に対する否定的な言葉や、試合に対するマイナスの発言を聞いたことが今のところ記憶にありません。監督のことに興味を持ち、今月は監督の選手時代のものも含めて書籍を6冊ほど読んでみましたが、やっぱり監督の言葉には選手時代から一定の共通項があるように思えました。否定的なことは言わない。出てきませんでした。まったく。 2日前の阪神戦での敗北。世間では大事な天王山。阪神は9連勝でついに2ゲーム差。両チームの選手も世間も明らかに流れは阪神。あせりは中日にあるはず。 いったいどんなコメントかと思い早速新聞で探しました。 盛り上がるタイガース関係者をよそに案の定、 「ゲーム差はまるっきり関係ない。別にこっちにとってはたいして意味のあるゲームではなかった」 これを聞いて一番、気持ちが軽くなったのは、ドラゴンズの選手達だったんじゃないかなと思います。落合監督の書籍でこんなものがありますが、副題が「言葉と信念の魔術」とあります。やはり、監督も言葉の重要性を知っているような気がします。優勝してもしなくても、監督の言葉には注目です。 がんばれ ドラゴンズ!
2006年10月01日
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弱小パン屋は常に人材不足かというとそうでもないのです。ツイてる係パン屋には開店当初から素晴らしいスタッフが集まりました。これも奇跡なのです。だって、ツイてるって言ってただけですから。ツイてるで有名な斎藤ひとりさんの100回聞きテープを聞いていると、「スタッフなんかそういう風に自然と集まるもんなんだよ」という言葉が出てきます。そういうもんかな~と思ってやっていると、なるほど確かにそうなのかもしれないという気がしてきます。これも不思議な話です。それと同時に、「今の自分にちょうどいい人がそばに現れる」という言葉もとても心に響いてきます。この言葉によって自然に今目の前の人を大切にしようという気持ちが芽生えます。今日、半年間の研修を続けてきた新人スタッフが最終日を迎えました。女性でパン屋さんの仕事は大変です。その方は自分のパン屋さんを開きたいと10年努めた会社を辞めてこられました。大手のパン屋さんでアルバイトしながら研修を続けてきました。うちは研修なので、基本的には無給での仕事になりますが、彼女は自分の意思でここまで続けてきました。このあたりは正観さんお宇宙貯金の話の方程式が当てはまりそうです。この間、自然にスタッフと共にありがとうと笑顔の素晴らしさを身に付けたこともあるのでしょうか、ちょうど人員の増強・交代の時期とかさなり、彼女を明日から新しいアルバイトスタッフとして迎え入れることになりました。私達にとっても彼女にとってもベストの道が用意されたとしか考えられません。天にワクワクありがとう。出会いに感謝しています。
2006年09月30日
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フランスにいた頃 夫婦で留学していた私達は時折 現地で出会った若い職人修行の若者を家に招いて即席日本食で元気づけたりしていました。幸運なことに料理好きの妻がうまく食事を工夫してくれ、フライパンでお米をたいて送ってもらった味噌で味噌汁を週に2回ほどは食べることができました。また、人を招くことが出来るほどのスペースもあったので、日本人だけでなくフランスの友人や異国の留学生を招いて食事をすることが出来たのは貴重で有意義な時間でした。先日、そんな思い出の方より電話があり 元気で日本の有名フランス料理店で働いている知らせを受けました。 そして、今回当店でパン作りの研修を受けさせてほしいとの申し出を受けました。料理だけでなく、パンも学ぼうという彼女の貪欲さに関心です。彼女は当時はまだまだ 日本での修行経験も少なく、単身フランスのレストランに飛び込んだはいいが 言葉の問題から日常の生活 食事のバランスの崩れ などで少しばかり元気がなかったところを、家に招いてカレーライスや味噌汁ご飯を食べさせて元気づけたものでした。当時フランスで出会った日本人の若い職人さんは 経験の有無を問わず本当にみんななにかを探して前に進もうとしていたことを思いだしました。僕らも含めて。みんな一所懸命でした。きっと、それぞれの魂がそこへ導いたんだろうなと思います。どうしても行きたいんだと。止められない衝動が導いた結果だったと。自分の夢を実現するために、未来のお客様に喜んでいただくために それはやっぱり美しい姿でした。今も無限大の若いエネルギーはこの日本に眠っているはず こんな私にもわかります。嬉しい電話をいただいて 懐かしさとともにありがとうの思いも ひとしお感じることができました。感謝だな~。覚えていてくれてありがとう。電話くれてありがとう。
2006年09月28日
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ひとはわからないけれど、今の僕にとって竹田和平さんが自分のお店に来るということは、奇跡ということになります。関係ありませんが和平さんは生きた福の神だそうです。でも不思議なことなんですが、奇跡は起きてしまうともう奇跡ではなく軌跡になります。自分の歩いてきた道の一つの足跡になるだけ。そして前を向いて、自分の道を歩く。いままでなら、よきこと悪いことに一喜一憂する自分がいましたが今は、ありがとうございますと起きた現象にただ感謝して受け入れるそれがどうしてだとか、相手がどうだとか、いちいち考えることなく ただ喜び感謝しありがとうと言ってみる今までは自分が人生を作っていくんだという気持ちが強かった今は運ばれたところを笑顔と感謝でしっかりと生きようとする気持ちが強くなりましたどちらがいいか どちらが間違いか わかりません ただ 個人的には前者の生き方は傷だらけになりがちでした。若い頃は前向きに考えてそれでよかったかとも思います最近後者の生き方をためしてみて感じることは、圧倒的に運がよくなったように感じることです 中年以降はこの生き方のほうが楽かもしれません 趣味の問題だとも感じていますが。和平さんに逢えたことも 後者の生き方に変えたから こそだと思います。もしかしたら 自分らしさって あれが違うこれも違うと探し回ることではなくて「ありがとう」ってつぶやいてみることから 内から自然に出てくるものなのかもしれません若い頃はおれ我おれ我とやっていたから(今も若いけれども20代までのこと) ありがとう なんて一番後回しでした 考えてみると今はこんな生き方もあるのかなというところです よきことも あしきことも 同じ 花 ありがとうから始めよう和平さんがブログで取り上げてくださいました。ありがとうございます 感謝しかありません
2006年09月26日
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ここ数日、落ち着かない日が続いていました。実はあの竹田和平さんより「そのうちパンを買いに行きます。よろしくね」というメッセージをメールで頂いていたからです。信じられないことでした。竹田和平さんのことをビジネスの世界で知らない人はいないぐらい著名な方です。アルマックの神田昌典氏もインタビューするほどの大人(たいじん)です。しかし竹田製菓の会長さんであり、お菓子の城の城主であり、日本一の個人投資家でもある和平さんには今もう一つの顔があります。それは、「ありがとう」の花を咲かせる平成の花坂爺さんとしての竹田和平さんです。それで、お店に来てくれた竹田さんは花坂爺さんの和平さんでした。店内に入ってこられた瞬間から、そのあたたかな笑顔に店の精霊たちがケラケラと笑い出したような雰囲気に包まれ、自然にスタッフの気持ちも高揚し、いつも以上の笑顔がほとばしりでました。それはまさにあの昔話の花坂爺さんが、枯れ木に花を咲かせるように私達に元気の花を振りまいてくれているような光景でした。ありがとう百万遍の輪に登録して、日記に書いたことをきっかけに、和平さんのお歳を超越したすさまじき(こんな街の小さなパン屋に本当に来てくれる!)行動力のおかげで和平さんとお会いする機会を得たわけですが、いったいこのような幸運はどこから来たのかと言えば、やはり「ありがとう」を毎日唱えた結果なのかもしれません。そして、光栄にも「ありがとう天使」という役目をおおせつかりました。自分に何ができるとも思いませんが、ただ今、目の前の人に笑顔とありがとうの気持ちを伝えることだけはできるじゃないか。という今の仕事のとりくみと、全く同じ気持ちでお手伝いさせていただければと思っています。ありがとう 花坂爺 来てくれて ありがとう 命の絆 つなぐため笑顔の花を 咲かせます ありがとうは本当に不思議な言葉です。一発で運が開けます。
2006年09月24日
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挨拶がうまくできない娘。とっても怖がりで、鉄棒の前周りができなくて練習するのもイヤで、でも悔しくて泣きべそそんな娘を、どうするってどうもしないよ。字は読めないけど、本を持って空想読みがとっても上手なきみ家の中でははちゃめちゃに元気な君プールでもぐれることが嬉しくてしかたがない君左手で、右から左へつたないひらがなを書いて、いいのいいのと言っているきみエプロンをして、ママと一緒に白菜を切っている君そんな君が大好きで、どうもしようがないじゃないか。いま君がここにいてくれてありがとう。自然にこうやって考えられるようになった自分。いい感じに力が抜けている感じ。正しく観る。おかげさまです。こどもにもやっぱりありがとうしかないじゃないか。ここから始まらなきゃ。全ては苦しいはずです。もうすぐ5歳だね。おめでとう。
2006年09月19日
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ありがとうを唱えること毎日3000回。実践はそんなに簡単ではない気がします。今回フランスで再開した友人、フランソワというマダムは一日に18キロ歩くといいます。たとえ雨の日でも。彼女がまだ現役だった頃、一日に最低10キロ以歩くという話は、フランスに滞在していた5年前から知っていました。(彼女はパン屋さんのマダムで店頭で一日中接客をしていました)既に引退して4年たった現在、歩く距離が増えていることを聞いてびっくりしました。彼女は今年63歳です。この美しさのわけがわかります。18キロ歩くのに、4時間以上かかるので彼女曰く「私は忙しいの!」だそうです(笑)この話を聞いて、自分の健康と幸せ。はたまた世の中のためになる「ありがとう」を唱えるのにたった40分という時間を確保することさえ『難しい』と思う自分をまだまだだなと感じました。それと同時に、このマダムのお話のおかげで、「そんなに難しくないんじゃないか」と思わせてくれたことに感謝します。そしてこの話を聞いた人が、同じように出来るかもと思ってくれたらもっと幸せです。今回この話を聞けたことだけでも、フランスに行ってよかったと思います。ありがとうございます
2006年09月11日
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竹田和平さんを知ったのは、ちょうど一年前くらいでしょうか、神田昌典さん出されているこのCDでした。地元では有名な お菓子の会社の社長だったことを知って驚きました。こんな立派な人が近くにいたんだと。「麦ふぁ~」なんかは子どもの頃よくお世話になりました。CDを聞いて、フ~ん。変わった人だなぁ~というぐらいでしばらく聞いていませんでした。でも、なぜか、この本だけは買いました。そしてますます、ヘンな人だなーと思い最後まで読めずに本棚にしまわれていました。でも、家族でお菓子の城に始めて遊びに行ったりもしました。それからしばらくは忘れていました。それが、どうもこの一ヶ月前あたりから、何故か(心当たりはあるのですが)「ありがとう」という言葉に引き寄せられると同時に、和平さんに吸い寄せられ、ホームページを見ることになりました。すると、新しく和平さんがブログを初められていました。さっそくお気に入りに入れました。同時に一心さんという方にも出会いました。和平さんから「ありがとう天使一番星」という称号をもらって「ありがとう」の輪を広めていらっしゃる方です。今このタイミングで和平さんがブログを使って「ありがとう100万遍の輪」という仲間を募っていることを知りました。うかっり自然な気持ちで登録してしまいました。「ありがとう100万遍の輪」とは、一年で100万遍もありがとうを唱えましょう。ということで、達成できた人は来春お菓子の城で竹田和平さんにお会いできるかもしれないという、とっても楽しい「輪」だそうです。100万遍といっても、来春までにはもう一年もありませんので計算すると1日3000回、40分は毎日言うことになります。最初はむ~~~~~~と思いましたが、仕事柄「ありがとう」を口にするので、仕事中のあいた時間などにも口にすればなんとかなるかと考えました。実際今うちのお店は結構ノリノリ状態が出てきてしまっています。若いスタッフも面白がってやっています。さながら脳天気店長とゆかいな仲間です。さらに100万遍のありがとうの輪に加わったおかげで、ここ数日とっても豊かなプレゼントを頂いてしまいました。ツイてる!一つは一心さんより竹田和平さんの「心の詩曲」というCDを。閉店してからお店ででっかい音で聞きました。不思議なことに胸がドキドキしてきました。明らかに心拍数が上がっていたと思います。不思議なCDです。もう一つは今日ですが、和平さんから「ゆほびか」という雑誌が送られてきました。和平さんが掲載されていて、「ありがとう」の言葉の特集でした。これをスタッフみんなで休憩時間にわいわい言いながら読みました。おかげで、今日は店じゅうに「ありがとう」がこだましておりました!どうやら心の導火線に火がついたようです♪和平さんという人に出会ってから約一年。ようやく準備ができたのでしょうか。今、この時に再び出会えた幸せにありがとう。感謝しかありません。『ありがとうの輪と輪と繋がってありがとうの花咲かそ』平成の花咲爺が呼びかけています。
2006年08月18日
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今日つよく感じたことばです。この本のあとがきに本田健さんが書かれているように、「何度も読みかえすたびに、別の箇所が心に響くような本だと思います」と書かれています。この本だけでなく、全ての本に感じます。自分の体調や心の具合によって感じることが違うんだということに気づいた時、本を読むことが数倍楽しくなりました。今回も5回目ぐらいで、感じたところです。おもしろいものです。○貧困の原因は欠乏ではない。それは恐れと物事を致策考えることにある。○人生は深刻に考えるには重大すぎる。○豊かさの精神がまた豊かさをひきつけつける○君は他人の現実を写した写真を持ってかえっているのだよ。○人の世話をしなさい。そうすれば人生が君の世話をしてくれるから○お金が私をみつけだすんだよ○気持ちよく払ってくれるお金しかいらない。感謝の気持ちをもってやり取りされるお金のことだよ。○正しくあるよりうまく調和させるほうが大切な時もある。○人は敬意を持ってあつかわれようと、不当にあつかわれようと、あつかわれたようにこうどうするものだよ。○自分の持っているものを使って、望むものを作りなさい。○ドミニクにどうやって成功するか指示するのはやめなさい。○必死に苦闘して得たものは、維持するために必死に苦闘しなければならない。○どんな状況にもさらにリラックス出来るレベルが常にある。それが何か自分に問いなさい。○意識を向けるものがさらに自分にやってくる。○われわれはよりよいもののために努力しながら、すでにもっているものに満足できる。 『空腹でいながら幸福でいられる』のだ。○勇気を出して情熱を感じることをするなら君が作り出しものに吹き込むエネルギーを感じるために人はお金を払ってくれるのだ。○年金ではなく情熱を追いなさい。○よい教師とは自分が必要な存在でなくなるようにすることだ。すばらしい言葉の力、言霊に出会えてありがとう♪ありがとう♪ありがとう♪
2006年08月11日
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先週、伊勢神宮に行ったと書きました。そこで赤福の本店にも寄ってお土産に赤福餅を買って帰ってきました。すると、奇遇なことに毎月定期購読している致知という雑誌の今月号を開くとなんと!赤福の社長の浜田益嗣さんが対談で出ていました♪こういう、偶然がとっても楽しい今日この頃です。知らなかったのですが、浜田社長は伊勢神宮の門前の「おかげ横丁」を作った張本人で、一時は年間20万人まで落ち込んだ参拝客を、毎年340万人もの人が訪れる賑わいに取り戻した方だそうです。先日のおかげ横丁の賑わいは、たまたまではなかったことがわかりました。確かに「おかげ横丁」にはいろんなアイデアがあふれており、一商売人としても学ぶところがたくさんありました。中でも、とても強く感じたことが一つありました。それは横丁を歩いているとやたら腰を掛けるスペースが多い。そしてその空間がとてもゆったりと取ってあるということでした。つじ辻に、共有の腰掛広場が設けられており、ついつい買い物しながら腰をかけてしまいます。出店で買った食べ物なんかもすぐに座って食べられるし、しばらくすると歩きつかれた体も回復してきてしまって、ひとつ余分にお店も回ってしまいます。そこで休憩していると、麦藁帽子をかぶったお兄ちゃんが自転車に乗ってアイスキャンディーを売りに来たりもします。一本80円でまたこれが良心的な値段なのです。(目を離した隙にうちの子供はゲットしていました)こんな演出も採算だけを考えていたら出来ないことだと思います。アイスキャンディーだけではなく、その他の食べ物も比較的安いと感じる値段設定も印象に残りました。しかもみんな結構美味しい!三杯酢のところてんは最高に美味しかった!しっかりしたコンセプトの元に街づくりがされていることがよくわかりました。こういうことも、浜田社長以下、たくさんの地元の人たちの協力と知恵で実現しているのだろうと実感することができました。まさにタイムリーな記事にめぐり合うことができました。感謝です♪以下記事から浜田社長のことばで感じたところ抜粋です。○最近の日本人は、旨いもの食ってセックスをして、簡単に儲ける方法を探して、限りなく動物に近づいてきましたけれども、果たして自分は、今際(いまわ)の際(きわ)に得心できるような時間の使い方をしているか。そのことを真剣に考える必要があると思うのです。○赤福の商いの全ての基本はお客様の満足です。お客様の満足を提供する企業は必ず繁栄する。それが赤福の思想だと思っています。○うちの姿勢をお客さまあが理解してくださったのだと思います。ぼた餅にそんな結構な要因なんてないですよ。○「商いというものは、断ってなんぼのもんや。断らない商いは続かん。よい味を出す維持するために必要な利益というものがあるんだから、妥協したらいかん。」(先代のことば)○商品力を測る物差しは2つだけ。一つは「知的成果物」としての側面。便利であるとか安いとか、使いやすいとか頭で判断できる尺度です。もう一つは「感覚満足商品」です。おいしいとか綺麗、楽しいとか数字では表せられない心の尺度です。素晴らしい言霊をありがとうございます。
2006年08月09日
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小林正観さん竹田和平さん斎藤一人さん村上和雄さん江本勝さん他たくさんの人が「ありがとう」という言葉の力を話しています。幸い私たちは商売をしていますので、お店にいらした方にいちいち「ありがとう」ございますを言っています。だいたい一人のお客様に対して4回は言います。一日100回は軽く越えます。多分400回~500回ぐらいは自然に言います。夕方には結構声がかすれている自分に気がつきます。ありがたいことにスタッフみんなが「ありがとう」のことばの大切さを理解してくれて一緒に実践してくれています。開店して以来、今が最高潮なような気がします。世の中には「ありがとうの道」というのがあるようで、どうやら僕はその道に呼ばれているような気がしてなりません。これからもっともっとこの道を歩いていくと思います。この3年間はその準備期間だったような気もしています。不思議なんですがわくわくしてくるのです。感謝の気持ちが湧いてくるのです。毎日実践してきた結果だけなので、なぜかはわかりませんが。上記の方々のお話の中でよく出てくるのが、炊いたご飯を瓶に詰めて、一つには毎日「ありがとう」と言い続ける。もう一方には「ばかやろう」と言い続けると、「ばかやろう」にカビが早く発生する。これを先日実験してみたところ。3回やって3回とも同じ結果になりました。うちはパン屋なのでパンの切れ端を、ビニール袋に入れてやってみました。実験の細かい条件とかは適当なので、たまたまかもしれませんが、実験中の経過がとても興味深いものでした。カビが生え始める時期というのはだいたい同じなのですが、翌日からのカビの進行度合いがものすごいスピードでひらいていきます。ばかやろうの食パンはカビがはえ初めて3日でこの状態です。写真ではわかりにくいかもしれませんが、粉を吹くほど前面カビで覆われます。やっぱり。という気持ちなのですが、これが3度やってほぼ同じ過程の変化を見せたことが、ちょっと。。。びびりました(笑)僕たちは、毎日いろんな思いや、言葉を発しながらパンを作っています。自分たちの言葉がこのパンやそこにいる人たちにどんな影響を与えているか、説明がもういらなくなってしまいました。この実験は是非ご家庭や職場でもやってみるといいかもしれません。ヘンなお説教より説得力があります。地元のタマゴボーロで有名な竹田和平さん の会社では、工場に一日中子どもの「ありがとう」という言葉がテープから流れているそうです。その本当の意味が今少しづつわかりかけてきたような気がしています。教え導いてくれた全ての人に。ありがとうございます。
2006年08月07日
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多分去年からずっと心に思っていたお伊勢参りが今日やっと実現しました。我が家からは車でちょうど2時間。楽しいドライブでした。娘は今、保育園のないお休みはお家遊びが大好きで、気分転換で外につれ出したい親とは思惑がことなります今回は、「○○ちゃん!あしたさー、黒蜜みたいなのがかかってる不思議うどん(伊勢うどん)とさー、のび~るあんこ餅(赤福)ってのがある伊勢神宮いかない?」というセリフが決め手となりました(笑)家族みんなでお伊勢さん参りができる幸せに感謝です。 当日は川曳(かわびき)が行われていて、たくさんの人で賑わっていました。初めて行ったお参りでこんな行事を見ることができてとってもラッキーでした。お昼に到着して外宮をお参りしてその後おかげ横丁のある内宮に車で移動。渋滞に巻き込まれ、有料駐車場に入ろうとした瞬間に、目の前で満車になったためあえなく渋滞続行。一時間かかって無料駐車場に止めたのですが、内宮で5時間ほど過ごすことになるとは思いもしなかったので、駐車料金を気にする必要もなくゆっくり過ごすことが出来たのは、結果オーライだったようです♪おかげ横丁をじっくり楽しんだあと、夕方から内宮参拝は人通りもまばらになってとても静かな気分で歩いていきました。暑かった一日で、本宮まではかなりの距離があり足取りは軽くはありませんでしたが、伊勢の山々に囲まれた参道はとても厳かで、樹齢何百年もの大木があちらこちらに立っているのには、まったく普通人間であるわたしもただならぬパワーを感じて疲れも半分ぐらいは和らいでいたような気がします。大木にたくさん触って、子どもにも「この木に触ると元気になるよ!」と言って幹に抱きついて遊んでいると。なんとこんどは写真のように頭をくっつけているではありませんか。自分で応用して考えたらしいですが、頭がよくなると思ったんだと思います。子どもは天使です。この年まで、伊勢神宮に行っていなかった自分が、この時期に家族で行くことができたことに感謝します。そして、手をあわせて言ってきました。「いつも、ありがとうございます」帰りに子ども向けのこの本を買いました。子どもより大人が楽しく読めてしまいます。家路に着くまで流れるように全てが順調、やりたいことはほとんど全て出来てしまった日帰りの旅は不思議で楽しい思い出になりました。
2006年07月30日
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うすうす感じていてはましたが、どうやらうちのお店はとてもおしゃれなパン屋さんのようです。入って来るお客様の顔を見ると、わ~~という表情になるし3年たった今でも、ケーキ屋さんかと思っていたとか、喫茶店だと思っていたとか言われる。看板を出していないし、正面にBoulangerieとは書いてあるがこれを「ブーランジェリー」と読む人がいるわけがないし、読めたとしてもそれがパン屋という意味だということがわかる人もそうはいまい。これで、ほんとうにいいのかと思うけれども、マーケティングやコンサル的にはいいわけがないとも思うけれども、、、。こういう事実が、そのまま今この店の営業成績に反映されているんだということは素直に認めます。つまり、看板をもっと見やすく入りやすい工夫を凝らしていれば当然お客さんの数も増えただろうし、街の人たちにうちのお店への誤解や無知の情報を与えることを防げたかもしれない。それだけでもサービスを怠っているぞと言われれば、はい、その通りですと言うことだ。「何屋だかよくわからん」そういうことなんですが、入って来てくれた人は、「パン屋さんだったのね~♪」とみな一様に肯定的な反応をしてくれる。それで、またちょっとおしゃれなパンが並んでいるし、結構きさくなお兄ちゃんが熱心に笑顔でお話してくれるものだから、その後は比較的リピートしてくれる人が多いし以外な隠れたパン屋を見つけたとお友達を連れて来てくれることも多い。これが結構ばかにならない効果を発揮している。半分はねらっていたとも言えなくもないが、半分は看板とかがなかなかうまく書けなかった時間がなかったというのが事実です。今後はよりわかりやすいお店作りを目指して、もっと街のひとに知ってもらうようにしていきたいと思っていますが、今まではこれでよかったんじゃないかとも思っています。
2006年07月01日
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