肝臓日記 1~5

 1 病気が 発覚!!


2002年 5月のこと。
生後7ヶ月の息子との生活にも慣れたある日、
ふと、体調の変化に気づく。
「あれ?生理が異常に長いぞ~ 食欲も無い。体も重い・・・」
でも、単なる育児疲れだろうと、半月ほどそのまま放置してしまう。

その内、本格的に動けなくなり、掛かりつけの産婦人科へ。。。
長年お世話になっている院長に会った途端、
「採血!」と言われ、すぐさま検査結果を持って、総合病院へと廻される。
転院してみると、既に入院準備がされ、個室まで確保される始末。 
訳のわからぬまま、母乳育児のぷ~への授乳を止められ、
お腹が空いたと泣き叫ぶぷ~を病室に残し、
それでもまだ 検査が終われば帰宅できると思っていた私は、
検査室を次々と走り回りながら受けていたのでした・・・

ところが、結果は全身黄疸。  
肝機能の数値も1800以上に跳ね上がり、
「普通、動けないよ」と 言われるほどに重症だったのです・・・

ちっとも状況が飲み込めないまま、入院1日目が過ぎました。。。
息子は実家の祖父母へと預けられ、
夫は、自宅を一人で守り、
祖父母宅の息子の世話、私の病院、仕事と、
目の回るような生活へと 
家族全員を巻き込む闘病生活の始まりでもありました。

翌日から、病名の追求の検査が本格的に始まり、
肝臓の状況が厳しく、難しいけれど肝臓の組織を採って検査する
「肝生検」しかないとのことで、もしもの時の同意書なるものを書き、
麻酔を打たれる。  
・・がっ!効かない!!

そう、私は、麻酔が効かない体質なのだ~

医師にも伝えたのだが・・・
局部麻酔なので、会話しながらであった。
結局、採りきれず2度体験する羽目になる。。。うぅ~。。。
結果待ちまで1週間。 検査以外、治療らしいことが出来ない。 
今思うと、この時が一番辛かった!

その内、日に日に体力が落ちていくのが自分でもわかり、
4日目頃には箸を持ち上げることも辛く、起きている事も出来なくなる。

5日目。
目を開けて呼吸していることにも辛くなり、殆ど引きずられているかのように眠りにばかり落ちていた。
日に何度も看護士に起こされる(確認してたのかも?)ことが、何より辛い。 
そっとしておいて~という心境・・・

6日目。
自分でも、もうだめだと観念していた。
自然に、そう思った。
担当医が、「もう限界だ」と言い、検査結果を待たずして、
治療を開始した。 予定より、1日早い 投薬開始だった。
直ぐに夫が呼ばれ、治療計画なるものの説明があった。
治療法は、現段階では1種類しか無い事、
投薬も選択肢が無い事・・・ 無い無いだらけで始まった、私の闘病。
難病というだけあって、治療の終りも、無い。

正直、治療が開始され、ホッとはしたけれど、
最悪は「癌」2番手に「自己免疫」と言われていただけに、
「もう、治りませんよ」 と 宣告されたに等しい。。。
現実の物とは思えぬまま、戦闘開始!

              *  *  *


2 治療は始まったけれど…



治療は 始まったけれど、入院前2週間と入院してから1週間の計3週間、殆ど食べ物を口にしていなく、「食べろ」攻撃が始まる・・・
辛うじて 水分だけは何とか取れていたのだが、それもここ数日は怪しくなり、ついに点滴のお世話となってしまう。。。
血管細くて看護士泣かせ 
だんだん 腕も痣の無いとこが無い位になってくる。

それでも、気持ちの上では「助かる?」と 希望が見えてきていたので、ずっとよかった。

その後の検査で、数年前からあったポリープと、腎臓結石が新たに見つかり、とりあえずは このままに。
担当医曰く 「命に 別状ないから。」
ムム。。。確かに。
この頃になると、重要度の高いものの 治療しかできない状況になっていたので・・・ 
殆ど、合言葉のように、「命に 別状ないから。」と
担当医との 会話に出てきていた。

少しづつ 食欲の回復と共に、やってきました!!!
副作用の オンパレード!
もう、これでもかってなくらいの、医師の説明通りに 
次から次へと~。。。 もう、やんなるくらい。。。

朝、起きると顔がパンパン! 鏡を見なくても、視界に頬の膨らみが見えるんですよ?!  信じられる??
足も 腕も浮腫み放題~ こりゃ、女捨てろって事だわさ。

それでなくとも、産後の授乳期で、ダイエットもままならず
通常の体系とは程遠い状態だったのに~~~

食事も、最初のおかゆから 普通のご飯になっていたけれど、何か違うぞ?? あれ??
そう! 肝臓食なるものが存在していた~
全く、肝臓病に無知な私。。。(肝臓がどんな働きか、どこにあるのかすら 知らなかったんだもん!)
毎日、低たんぱく質の食事。 量も少な~い。
食事が 味わえる頃には、副作用で 食欲増進していたのです。 寝ても覚めても「お腹空いたぁ~」って状態。
後にも先にも、あれほど 食べ物に執着してた事はありません(笑)

治療とは、漏れなく付いてくる いらぬ副作用~






               *  *  *


3 恐るべし! 黄疸!!

治療が始まり、副作用も慣れ(?) さぁ、お次は なんだ?
全身の、黄疸、黄疸、黄疸!!!

歩行許可が出て、少しづつ 病棟をうろうろ出来るようになり、思い切って、売店まで 足を運んでみる。
ん~~~???  すれ違う人の視線が イタイ・・・
はて? なんぞや??  何故に、目をそらす???

そう~  この時、私はみかん色を通り越し、曇ったオレンジ色?になっていたのだぁ~  
全身というからには、目の白目の部分も もちろんオレンジ。(黄疸とは、大抵が目の色からくるのです。)
そりゃ、 怖いわな。。。

でも、オレンジ人間だって、呼吸して、動けりゃ 何だっていいのさ♪

私は、病棟から見る高い視線からの 町並みでは無い景色に
ルンルン気分♪

でも。
突然、「帰りたい。」

入院してから、毎日「帰る」と騒ぎ、看護士の要注意人物となっていた 私。
その内、騒ぐ気力も モチロン無くなってはいたのだけれど・・・
生後7ヶ月の 息子を置いての入院なんて、離れるなんて、考えられなかった。。。

抑えていた気持ちが、外来の玄関を行きかう人並みを見てしまったら、溢れ出してきた。
「私は、ここから出ることが 出来るんだろうか???」

ちょっと 散歩のつもりが、重くのしかかって来て、最悪の気分で病棟へと帰る羽目に・・・

この頃の 私は、黄疸を示す”ビリルビン”という 数値が18まで 上昇していた。
通常、平常値は1  目の白目が変色する頃を4~5として、排尿・便に変色の頃8~9(かな?)
一時期 ダイエット食品で騒がれた、「劇症肝炎」までは20以上からが 非常に危険地帯。。。

いかに、瀬戸際だったかが数字で示され、理解した。
辛くも 劇症肝炎を免れた事は、心から担当医の迅速な判断に感謝したい。







                *  *  *



4 軟禁状態な入院生活


黄疸が 消えるまでに4週間。
ピッタリ 初見通りだった。

体が 元の肌色に戻ったとき、全身湿疹だらけ、体は浮腫み、顔はまんまる。。。
でも、慣れてくれば、 こんなもんかなと思える自分がオソロシイ。


体も うんと楽になってくる。
でも、気持ちの アップ・ダウンに ついていけなくなる・・・
これも、副作用の一つだと言う。


最初は、自分がこんな病気になってしまったこと、一生付き合う覚悟を決めなくてはいけない 自分に ただ、受け入れるのが辛かった。
自分に いつか寿命が来るだろう事は わかりきっているけれど、こんな形で 先が見えるかもしれないなんて・・・

どうしたらいいの。
頭が グルグル。。。


ただ ただ 
「たすけて」
誰かに 言いたくて、仕方が無かった。
でも・・・  言われた方だって、苦しむだけよね。

冷静な私と パニック状態の私が いつでも突然襲ってくる。
寝ても 覚めても そんな状態が続き、
毎朝 薬を服用したら 1日何もしない生活が 辛くなるばかり。


こんな状態から 抜け出さないと・・・
気持ちばかりが あせる。

そこで、ぷ~の妊娠中に作りかけの キルトを持ってきてもらい、一心不乱に作り始める。
プレイマットのつもりだったのだが、入院中に 息子はドンドン成長していき、寝返りしか 打てなかった筈が コロコロと転がっているし、歯も生えてきたし・・・
こりゃ、プレイマットなんか、お呼びじゃない!
ベットカバーに 変更 変更・・・
ドンドン 大きくなっていく~

出来上がったら、「退院できるぞ!」  と、一人で願掛け。


でもまずは、外出許可が出るまで 頑張ってみよう。
週末、外泊する人が多く、寂しく病室に取り残される時には、羨ましながら、そう 目標をたてた。


やがて、待望の許可がおりる!!
でも、実家に帰ること、子育てはほどほどに、というキツーイお達しのもと、許可証 ゲット!!!

そうして、私の 社会生活復帰計画(?)は着々と進んだのでありましたとさ・・・





                 *  *  *



5 自分の体を知ること…


今回の入院で、私が 肝臓病だったということが、家族も含めて 初めてわかった事だが、その前にも 自分なりに 自分の体を知る機会が 私には 多々あった。

婦人科検診も その一つで、長年の不妊治療で(別記 「不妊治療日記」 参照)私は あらゆる検査を受けていた為、別口での 年1回程度の人間ドックでは 簡単な検査だけで済ませていた。

それでも、検査には限りがある。
自己免疫は、素因性というからには、やはり気になって、発症後、直ちに兄弟への 精密検査を勧めた。

自分の 今の体に、自信が持てなくなってはいるものの、私は どうやら 特異体質気味(?)らしいことが、気のせいではなく、ホントらしいと確信に変わり、それだけでも、自分の体なんだ!! 誰よりも知っとかなきゃ!
と 思えるようになっただけ マシかも??

私は 全くお酒は飲まないし(て、いうか、体質的に合わないと思う・・・)、喫煙もしない。

たいてい、「肝臓病」 なんて いうと、
「飲みすぎたんじゃーないの??」
な~んて 言われちゃいますが、 かえって、飲酒する方のほうが、肝機能下げる原因ハッキリ出来て 早いと思う。
(まぁ、自己免疫の場合は、そんなん、完全な原因ではないから 意味ないけど。)
そのせいか? 私は 麻酔がメチャメチャ 効きにくい・・・
過去 数回の手術経験があるが、1度として、すんなり効いたためしがない・・・  もう、最悪。
全身麻酔なら、知らんうちに イタイの通りこせるったってー 局部麻酔の時なんざー 恐怖!恐怖!!恐怖!!!
何たって、効かなくて焦る 医師が視界に入りますからねぇ~~~

そんでもって、今度は麻酔が抜けにくい・・・
予定してた 時間は大幅に遅れること、当たり前。
今回は、さすがの 夫も状態知っているから、なかなか覚めなくても 動じていませんでしたが・・・

個室に入っていた私は、2人部屋へ移される事になってたらしいんだけど、 予定の時間が過ぎても まだ覚醒してなくって、さすがに移動するのは あきらめたらしいけど・・・
意識が 朦朧としながらも、 移動しようとしてる 婦長に”おい おいっ!!” って、突っ込みたくなりましたわ!!

それと、もうひとつ・・・
異常に 痛みに強い(鈍い との声も・・・)らしい。。。
これはね、もう~ ひじょ~に 危険です!!
なんせ、 倒れるまで、本人が自覚できないんだもん。。。
でも、さすがに ニブチンな私でも 最近は「疲れる」とはどういうことか、理解できましたです、ハイ。
入院するまでは、てっきり育児疲れだとばっかり思っていましたからねぇ~~~  気をつけませう~~~

皆さんも、自分の体、知ってますか???




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