不妊治療日記


           <不妊発覚>

体調不良から、初めての婦人科検診。
そこは、総合病院。 数時間の待ち時間の後、内診、問診計15分足らずで、医師は こう言い切った。
「不妊症て、知ってます? それですね~。じゃ、注射、1本打ってもらおうか。次の予約、入れてってね。」

なにぃ~~~???!!!
何で、軽く言ってるの? 不妊て、あの不妊??

訳がわからぬまま、ただ筋肉注射を打たれ、その場を後にしたものの・・・納得いかん! いくわけない!! いってたまるか!!!

そんなこんなで、出だしは最悪。
その後 ダラダラと1年5ヶ月もの間、通院したものの 担当医の変更も3回もあった。(しかも 予告なし。)

だんだん、私の無知と不信感が募り、いい加減 この私も自分で情報収集や 不妊についての勉強を始めるようになる。

そう、よ~く 考えると、大した検査も受けてない。
治療方針すら、話し合いがもたれていない。

こちらは 患者とはいえ、選択の自由があってもいいのでは?!
そう一念発起し、評判の良い、個人医で不妊に力を入れているA医院に転院する。
普通、ここでデーターなんか貰うところだが、有力なデーターなんか、あるわきゃない!  だ~って、検査すら、受けてないんだも~ん。
仕方なく、通院中の服用していた薬の自作のデーターと、基礎体温表が 頼みの綱。

そうして、私とA医院とのお付き合いが始まる。
色々な説明を受け、こちらの質問を受け付けてくれる、適切なアドバイス。検査の重要性、私個人に必要か否かの選択肢・・・
どれも 当然といえば 当然なんだけど、私にはとっても新鮮!!
そう! 私の求めていたのは、これなのよ~~~

で、やりましたさ!!
必要と思われる 検査っちゅう 検査を!!
その結果、なんと!
「無排卵だけれど、何とか妊娠可能まで、もっていけるかもしれないね。
頑張ってみようか。」

・・・一生、忘れません。 あの 言葉は。。。 






            *  *  *



         不妊治療日記 <1度目の妊娠>

A医院に通院し始め、2年後 ぷ~パパとゴールイン
ぷ~パパは 最初からの治療生活を見て知っている為、不妊のことも、モチロン承知の上。
結婚当初、2つの仕事を掛け持ちしていた私、家事に治療にと、毎日駆けずり回っておりました。。。

その翌年。
休日に終日スキー三昧をしてきた翌日に、また 来るものがこないよと、
注射を受けに医院へ。

いつもは すぐ呼ばれて そのまま会社へ行けるのに・・・
なかなか 呼ばれない。 しかも、検査までオーダーされる。
?ハテ? 仲良しの看護婦さんが ニコニコ笑顔で去っていく・・・
診察室では 院長先生までもが 笑顔で迎える・・・
もしや! 祝!御懐妊♪

小さな 胎嚢と呼ばれる 赤ちゃんが入っている袋がフワフワ浮いている。
うわぁ~~~
頭ン中、「うわぁ~~~」 しかでてこない。


でも。
何故か5日おきの受診予約が取られ、5日おき、5日おき。。。
結局、それ以上、赤ちゃんの姿は 見れませんでした。。。


納得出来なかった 私は、ギリギリまで引っ張ってもらい、
妊娠発覚から、1月後まで、待ってもらいました。。。


私たちの あかちゃんは、天国にいってしまったのです

あっという間の、 出来事でした。。。






              *  *  *

          不妊治療日記 <2度目の妊娠>



一度は 手にしかけた 赤ちゃんを手離してからは。。。

自分も含めて 「1度出来たんだから!」
プレッシャーが 私を 襲う。。。

”出来ない自分”   ”出来る自分”
どちらが 本当の わたし???

殆どが、赤ちゃん自身の 生命力だったのだよ  と
先生は 優しく おっしゃった。
でも、 どうしても、理由が知りたい!!!

あの子は 無事 天国へ 行けた?
また 私たちのところへ やってくる??


そうして  自問自答の日々が過ぎ・・・
結局 長く 長く話し合った私たちは、治療のステップアップを 選択した。

ぷ~パパは、とても治療には協力的で、初めの受診を後押ししてくれたのもパパでした。 不妊に力を入れてるよと、A医院を見つけてくれたのもパパ。
不妊治療は、女性と思われがちですが、原因は殆ど50%だと聞きます。
パートナーが不可欠な以上、検査も二人がやっぱり 好ましい。
ぷ~パパは、「検査だよ」と 声をかけ、ある程度の説明を 私がすると、
すんなり受け入れてくれる人。

そして、あの日も、二人で検査を受けに行くと・・・
またしても! 妊娠発覚!!!
でも、すぐに流産しかかり、即 入院。
怖くて 怖くて ベットから動けない。
と、同時に猛烈な つわりが始まり 水分もとれないぃ~~~
そんなこんなで ヘロヘロになっていたら、なあぁ~んと!双子ちゃん!!
お腹の中で、ピコピコ。ピコピコ。。
二卵性双生児。。 グルグル。お互い 蹴りっこ。
普通 5ヶ月くらいから目立ち始めるお腹が、すっかり臨月?!状態。


ずっと、標準よりジャンボサイズ! の太鼓判だったのに。
6ヶ月で 二人の成長に差が開き始めた。
「心臓が 弱いのかもしれない」
不吉な 予感。
的中。 次の検診時には、一人、もう動かなかった。
そのまま 入院。
もう一人の 出産までそのまま維持したいと言われる。。。
せめて、一人だけでも助けて!!  毎日、祈ることしか出来ない。。。
そんな 願いもむなしく、2週間後の朝、私のお腹は 動かなくなった。
またしても、 私たちを置いて、いってしまった。
それも、やっぱり 双子だからなのかな?
お兄ちゃんは、弟も 連れてっちゃったよぅ

結局、自然分娩で生まれた 5分違いの双子たち。
痛くて、苦しくて・・・
元気な姿を見るためなら、どんなにでも頑張れるのに!
私は 何を目標に、がんばればいいのっ!!
病室に 駆けつけた母に、泣きながら陣痛の合間に 怒鳴ってしまった。
もう、自分のことしか 考えられなくなっていた、身勝手な自分・・・
ぷ~パパや、駆けつけた両親たちが 悲しんで、苦しんでないわけないのにね。 ひどいことを してしまったと 今も思う。

「もしもの 優先順位は母親を 優先します。」

この言葉は、一人目が心臓が弱い子に生まれる可能性があると告げられた時、医師に告げられた 言葉だ。
ぷ~パパは、 二も無く即答してしまった。
私の中では、3人とも大事な我が子。
たとえどんな状態でも、自分を優先するなんて・・・


今も この言葉は時々 頭をよぎる。

みなさんは どう 思いますか?






              *  *  *


            不妊治療日記 <3度目の妊娠>



それからの わたしは。。。

仕事も辞め、不妊治療だけの生活。
どこにも 出かけず。  誰にも 会わず。
いわゆる、”引きこもり”状態。。。

毎日 ぷ~パパを会社に送り出し、数時間後に帰宅したパパが見る 私の姿は、定位置のソファに腰掛けたまま、朝とまるっきり変わっていないという状況・・・

思い返すだけで、ホントに 何もせずどうやって時間を潰していたのか、不思議でしょうがない???  不気味、の 一言である。


それでも、辛い治療を 止める勇気も無い私は、ただ ただ前に進んでいく・・・
そうして、年齢的にも 1度区切りをつけようと思い、最後の治療に取り組んだ。
もう、この頃には基礎体温にも 一喜一憂もせず、淡々としていて
自分で 検査薬を使うこともしなくなっていた。(今も、引き出しに眠っている・・・)
長年お世話になっていて、私のことをとても理解している医院長が 
たまたま不在の日に、検査日が指定された。

この頃には 私は医院では有名人(?)で、すっかりスタッフに顔を知られていた為、検査も受けても 必ず医院長が戻ってきてから支持を仰ぐ、そういう いわゆる”ハイリスク患者”と なっていたのだ。

だから、結果を聞くことも何の感情も無く 待っていた。
そうしたら・・・ 私の、とっても分厚く、表紙もボロボロ、一目で自分のだとわかるカルテに 赤字でプラスと書かれていたのが 目に飛び込んできた!!!


そうして。。。
8ヶ月に入ってから 逆子に回転して、瞬間 私を怖がらせたり。
予定日より 一月も前から前駆陣痛を毎日繰り返し、早産かとヒヤヒヤさせたり。
日付が変わった瞬間に、「予定日になっちゃったよ~」と 声をかけたら・・・
あら! ホントに2時間足らずで 生まれましたとさ。
すっごく デッカクて(笑)  ぷ~パパ そっくり!

こうして、我が家は3人(プラス1匹)になりましたとさ。

不妊治療は やっても、やらなくても、夫婦二人がそれぞれお互いを尊重しあい、二人で楽しく生活していければ それで良いと思う。
絶対的に 不妊治療について情報が乏しく、不妊も一つの個性だとは絶対に認められていない わが国。 
実態を 知らない人ほど ”言葉の暴力”というのを知らない。

始めても、今度は止める決心もつかなくなると思うと、なかなか踏み込めない人も たくさん居るとも思います。


子供の居る生活、居ない生活。
どちらも経験してみて、私は やっぱり夫婦単位での結論を お勧めします。
今、悩んでいる方が、これを読んでいたら・・・
どうか、周囲の言葉に 傷つくことが無いように・・・
早く、自分の結論が より良い結果をうみだしてくれますように・・・

私の 座右の銘??  「当たって 砕けろ!」
これが、少しは、役にたちますか???






               *  *  *



              不妊治療を終えて・・・



     ~ 不妊治療を終えて・・・~

   私の9年間の 不妊治療は ぷ~の出産、そして 私の闘病と共に終りを告げました。

   後にも 先にも、あんなに物事に執着したことも、人生を考えたことも それまでの私には無かった。

   ここでは、あえて 治療の内容・結果は 記しませんでした。
   検査は 千差万別だから・・・


   子供の居ない生活も 居る生活も 私の人生だけれど、
    治療中の真っ只中の 私には 多くのものが 見えていませんでした。
   体を 壊すまで、 心を 壊すまで・・・
   多くの人に 支えられてきていたことにも 気づきませんでした。


   いつまで続くのか 終りの無い不安 
   年齢的な リミット
   保険の利かない 高級車が買えそうなくらいの 治療費

   もろもろの不安が いつもいつも 私を支配していた。


   今、私の体は 不妊から開放されたけど、今度は別の病気との闘いです。



   これから、何があるかわからないけれど、
   いつも支えてくれた人たちに この場を借りて、お礼を・・・ 


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