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>4月24日の日記、「やりたいことをやる」、でやりたいことをやって生きていくのは楽と>仰っていますが、個人的に、やりたいことだけをやって楽をしていたら仕事のクオリティー>に欠けて実のある結果や、成功、また崇高なことはできないと思うのですが、そのあたりは>どう思われるでしょうか?まず簡潔な結論から:仕事にクオリティ-のある結果をだす為に苦労は必要ありません。成功に苦労は必要ありません。崇高なことをする事。。との事ですが。。これはまた最後にみてみましょうか。私個人の生活からです。先ず仕事から観てみましょうか。クオリティー/実のある結果。武術では私が知っている事を習いたいと思う生徒が沢山いて、コチラでも有数の武術家達にすでに認められているだけの実力を披露しています。それ以上にこれから先、更に上り詰めるだけの道と指導も、そして機会も色々な面で与えられていて、受け入れています。指圧では宣伝すらしていないのにクライエント数がこの数ヶ月で三倍に跳ね上がりました。それは私の治良が常に良い結果を出し、ハイクオリティーだと口コミで広がっているからです。で、これらの事をするのに私は苦労をしたか。。答えはNO.私は常に楽をしています。成功?何を成功とするかは人によって違います。↑でも書きましたが素晴らしい師に出会い、指導してもらい、なおかつ多くの人を健康面で助けている。私にしてみればそれだけでも成功していると自らを称える事が出来ます。一番解りやすい経済面でみてみましょう。。私は一軒家を所有し、2エーカー弱程の土地を持っています。経済状況が悪いと言われる現在アメリカにおいて有り余るほどのお金があり、生活にも遊びにも困りません。億万長者ではありませんが(笑)必要なものは全て手に入る生活をしています。そりゃ持ってないモノも多いし、上を見りゃきりがありませんけどね。。。しかし世界基準で言ったら私の生活は世界人口のトップ一割に入っていますよ。これを私は成功と捉えます。もちろん、この基準で貴方は成功とは思わないかも知れない。例えそうだとしても、私はトコトン恵まれていると思いますがどうでしょう?私は仕事にしても苦労せず、楽に好きな事を行って生活しています。その上で、事実まったく生活に困らず、経済的にもかなり余裕があるのですがね。苦労をする必要がどこにあるのでしょうか?(笑)崇高な事をする?「崇高」とはなんでしょう。辞書を引くと「気高い」、「尊い」との事。。。「気高い」は(身分や地位が高くて)どことなく近づきにくい。何となく近寄りがたい。「尊い」は(地位・身分などがきわめて高い)という事ですが。。。さて、身分や地位が高い事をするというのは何でしょうね。私にとっては身分や地位などまったく意味を成さないモノですからそういう意味では「崇高な事」をしようとする意味がまったくありません。貴方のいう「崇高な事」というのがもし仮に人を助けるような事、世界を良い方向に変えるような事。。という意味であったとしましょう(完全に私の偏見ですが(笑))。。。なら私は私である事でそれをすでに行っています。私が私として、私自身を生きている、私が存在する事で、世界はすでにこれ以上も無い程の恵みを受け取っている。そう私は断言します。具体的にいえば私の指圧を受けに来る事で「自ら」を見つめなおす機会を得ている人が多い。それだけでも私はこの世に貢献していると思いますけどね。。精神的に追い詰められた人が自らを見つけ出し、自らの生活を取り戻す。武術を習いに来た生徒の一人が私に言いました。「貴方に出会えて私の世界の見方が変わりました。以前は毎日が惨めでしたが今とても幸せな生活をしています」私の存在がこのたった一人の生徒に幸せを感じさせたなら、それはそれで素晴らしいとおもいます。他の人はあるいはこれらを「崇高な事」と呼ぶかもしれません。私にしてみればただ_楽_に生きているだけですけどね私が、妻と愛に満ち充実した毎日を送っている事は貴方がどういう基準で判断するかわかりませんが。。私にとってはこれ以上も無い幸せであると感じています。逆に貴方に聞きましょう。何故貴方は苦労しなければクオリティーの高い仕事は出来ないと思うのですか?何故貴方は苦労しなければ成功しないとおもうのですか?何故貴方は苦労しなければ崇高な事は出来ないと思うのですか?
Jun 30, 2009
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無我の境地
Jun 26, 2009
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我が道を行く
Jun 24, 2009
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Mark I2007年6月に作ったもの。「頑丈!!」がキーワード。でも重い~~~。一日中これで歩き回るのは無理!なので。。。。。Mark II昨日ある事をキッカケに作り直しました。これだと軽いので何時間でも穿いていられます。これで居合の練習(立ち業/組太刀)をするのが更に楽になりました。実は大東流の師がMarkIを見た時「欲しい!(笑)」と言ったのがキッカケ。その時に軽量化したのが↑のMkII。師の高下駄は初めはマホガニーでMarkIと同じ。。という事だったのですが、MkIでも重過ぎるモノをマホガニーで作っちゃったら使えないだろう。。という事で。。。少し考えた後フランクが取り出してきたのが。。超!!!美しいパープルハートの一枚板!!実は2006年4月に紹介した。。。↑コレ!フランク曰く。。今まで切る機会が無かったからずっと取って置いたけど、コレなら丁度良い! 特別な人の為のものなんだから世界で一足しか無い特別な高下駄を作っちゃおう!。。。と出来たのが。。。Mark III↑コレ。歯の部分はMkI/IIと同じブラジリアンチェリー。停め用の薄い楔にはチューリップウッドという豪華?なモノになりました。MkI/II同様、接着剤や釘/螺子は一切使ってません。明後日師に渡す予定です。
Jun 22, 2009
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親父用の近況報告です(笑)。面接後、他の方が選考されましたので(ようやく連絡が来ました(笑))ワシントンDC行きはキャンセル。よって今まで留められていた事象がガンガン動きました。経済状況とかアメリカ経済は悪化している。。と親父は心配していましたが。。マスメディアの過剰演出に踊らされすぎ(失笑)確かにある範囲では失業率は上がりましたが、実際の所ヨーロッパ方面からのビジネスが強くなり、この地域での経済状況はかなり良いのです。(ナノテクノロジーの研究所、またそれに付随するビジネス、スーパーハイクラスの超伝導絶縁体を作る唯一のビジネスがありますので)また、メディアに踊らされている人もコチラでは多く、ストレスを貯めているクライエントさんが多くなり、私のビジネスもここ二ヶ月で収入が三倍に跳ね上がりました。宣伝はしてませんが治良の結果は必ず出しているので口コミでドンドンクライエントさんが増えています。同時に金利も3ポイント弱(!!)落ちており、住宅ローンをリファイナンス(ローン借り換え)し、全体的な合計金額が云十万ドル単位で変わりました。月々の返済額も同時に唖然とするほど低くなり、妻のピアノのローンが今年の秋には終わるので生活は更に楽になります。まぁ、経済状況が悪化!!とかまわりが騒いでも「何とかなるさ~!」と心配など_全くせず_に生活していたので無駄に消費できる収入が高くなる以上は実生活にあまり変化はありませんが(笑)。面白いモノでワシントンDC行きが無くなったのと同時に妻が私立施設からの助成金を授与しまして(これもまぁ転がり込んできたキッカケを追求した結果なのですが)、この夏一ヶ月間彼女のピアノの先生の家に泊まりこんで集中講義を受ける事が可能になりました。以前はこの人から一日習っただけで彼女のピアノの演奏がワールドクラスのプロレベルにまで引き上げられたのでこの一ヶ月が彼女を何処まで進化させるか愉しみなのです。もちろんワシントンDC行きが決まっていたら出来なかった事ですから現実というのは良く出来ていると私は思います。来年はショパンの誕生年?二百年を記念する年だそうで、彼女はアメリカの全州でショパンのコンサートを開く事を計画中。スポンサーもそろい始めていて、これも着々と準備が整っております。私自身の生活物凄い武術家さんから全てを託される事となり、日々修練を繰り返しているのは以前報告したとおり。指圧師としての治良はある意味では奇跡とも言えるような結果が続出しており、自らが十代の頃夢観た生活をそのまま生きている事以外は全く変化はありません。日々心からの感謝と満足感、幸せに満たされておりこれ以上も無いほどの充実した生活をしております。実際、世界に私ほど幸運に恵まれている人間は居ないでしょう(笑)。。。そう心から正直に言える生活をしております。
Jun 20, 2009
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「枠に縛られる」という表現を見ますが誰もどんな状況も環境も自らを「縛ったり」、「枠に嵌めたり」、「位置づけたり」は出来ません。他人の意見や期待に対しそれに「応えよう」とする事を「重荷」と感じ或いは「応えられない」事の非難を「枠」と感じるのであればそれは他人や環境が原因ではない。状況や環境、他人の言動/期待に「縛られる」事を許している/選んでいるのは常に自ら。自らのみ。それ故に幻の束縛から逸脱する事を選ぶのも常に、そして完全に自らなのです。そして外界への「全ての反応」が自らが選んでいる事を知ると、他人の意見や状況/環境などに振り回される事はありません。なぜなら常に自ら選んでいるからです。「自ら由し」とするそれが自由なんですよ。
Jun 19, 2009
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冒険を始めた頃はこんな感じのMiba君でしたが。。。。天界から天使を誘拐して自宅に連れ込むくらい成長(?)しました。しかし誘拐は出来ても誘惑は出来ないらしくソッポむかれてます(笑)。(羽はポーションで、髪型は床屋で変えました)冒険している間にお金も溜まり、ワンルームですが、部屋を借りる事も可能になりました。そしてやっと家具を入れる事に。。。後ろのほうにキッチンがあります。このイメージだと奥にベッドルーム。左の大きな扉はギルドにテレポートするドア。お風呂とかトイレ。。なんてモノは無いのであり合わせのモノで自作するしかありません。。バスルーム。。結構上手く出来たと思います。ベッドルーム。。。職は悪質なバード(吟遊詩人)なのでちゃんと楽器もあります。違うアングルで。。暖炉。くつろいじゃいましょう。。色々と組み合わせて作ったキッチンは実は一番のお気に入りなのです。。。。という事でゲーム三昧の日々は続くのでした(笑)。
Jun 14, 2009
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むかぁ~しむかし、霊視(死後死語?(笑))というものに憧れていた頃、それがどのように「観える」のか。。と不思議に思ってました。先日クライエントさんに触れながら身体が言う事に耳を傾けていて、ただ聴いている自らに気付きました。私の身体は指圧を続けているのですが、そこには意図というモノが殆どありません。そして手がクライエントさんの身体に触れている間、私は多くのモノを「観ている」。これはもうかなり前から行っていた事なのですが、改めて気付いてみると面白い感覚です。映画を観ているように鮮明では無い。。ただ抽象的なイメージが浮かぶだけなんですがそれに伴い「知る」機会を与えられているんですね。体験する度にありがたいと思います。で。。改めて↑の文章を読み直して「聴く」と「観る」を使い分けている。。自らに再度気付きました。「聴く/観る」面白い。これは昨夜ふと与えられた「知る」機会にも通じるのですが、私が「観る」という事はそれ自体が宇宙におけるヒーリング(まぁ言葉としてヒーリングですが、進化でも解脱でも悟りでもなんでもいいです)なのだという事。私は何かを「する」必用がない。ただオブザーバーとして存在し、「観る」だけ。「観る」という意図的では無い行為。観よう!とするのでは無く、ただ「観る」。それだけで宇宙が必要としている事象が起こる。これなんですよ。「宇宙が必要としている事象」宇宙/神にはオブザーバーが必要なんです。面白いですね。たぶん「聴く」という事も「観る」と同じなんでしょうけど、私には何が必要とされているのかを「知る」機会なのではないだろうか。。と思うのです。ちょっとした差であり、認識的なモノでしかありませんが、私の認識/意識はそう分ける事で理性を保っているようです(笑)。聴く/観るは表裏一体。陰陽の関係にも似ているかもしれません。話は飛びます(笑)。霊視というものが何か知りたくて、それに関わる力!が欲しいと思ったのが子供の頃の話。↑でも書きましたが憧れです。人に無い力というのはとても魅力的ですから。私が武術に入ったのもやはりそれが関係しているからでしょう。しかし武術にしても不思議世界にしても面白いもんで、それを求めていて、「自らのモノとしたい!」、「私の力だ!」と表現したい!と思っている間は本当に微々たるモノしか得られない。そしてそれが微々たるモノ故に固執し、そのホンノ少しであるモノを守ろうと躍起になり、やがてそれ自体をさらに減少させ、歪ませ、消してしまう。合気でも居合でも「やろう!」としている間は出来ませんし。頂点2010さんの所でもコメントしたのですが、私が欲していた力というのは「それと認識するモノ」、「それを必要とする、欲する意識」を手放した時に得る事が出来るモノ。いや「得る」という認識が消えた時にそこにあるモノというほうが正しい。着けていて、使っている眼鏡を一生懸命探すくらい滑稽な事です(*実話(笑))。。。。最終的には手放さなければならないけど。。でも求める事から始めないとやはりそこにはたどり着けない。。。う~ん。。トコトン面白い世界です。理論じゃ説明できないし、順序だてることも出来ない。このあたり「知る」/「観る」/「聴く」がすべて繋がっているように感じます。
Jun 8, 2009
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。。。直す所は沢山ありますが、遊びとしちゃ上出来でしょ(笑)。刃筋も去年に比べて格段と良くなってるし。後敵逆刀後敵抜打
Jun 6, 2009
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六月になっても未だに夜や朝方にはヒーターが必用でして。。いや、毎日という訳ではありませんが、暖かい日が続いた後、突然訪れる寒波は身に凍みるモノ。季節の変わり目には体調を崩しやすいと言いますが、あぁなるほど。。と改めて納得している示申です。普段からの体調管理がしっかりしてるからこういう時も大丈夫。ありがたい事です。で、本題。指圧師として多くの方と触れ合い、色々な方の生き方を「観る」機会が多いのですが、殆どの人は「未来」を「予測」し「備える」事で安全性を保とうとする生活をしています。こっちで言うと「コンティンジェンシープラン」というモノでして。。訳すと::偶発事件や不測の事態に対処するための計画。::(goo辞書)「備えあれば憂い無し」との言葉の通り、非常時に対応出来るように計画を持つ事は大切。。。。なのですが、「常では無い」状態というのはなかなか予測できるものではありません。↑の翻訳でも「不測の事態」という言葉が出てきますが、よく考えてみると「予測できない状態に対応する為の計画」というのは矛盾だらけではないでしょうか?(笑)「何が起こるか解らない」これは多くの人に共通する恐れであり、その恐れを緩和する為に頭の中で想像出来る事態とその対処方を作るのですが、これが曲者。「不測の状態」というのはその言葉通り「予測出来ない状態」な訳で「予測出来ない」事を「予測」しようと、多くの人はそれこそ何百/何千通りものパターンを頭の中で作り上げその対処方を考えようとします。しかし対処方を考える為には自らがその状態を「想像の中で生きなければ」なりません。つまり自ら創り上げた(想像/創造)した自らが恐れる状態を思考レベル(現実よりも数千倍速い世界です)で疑似体験を繰り返す。自ら創り上げた地獄を自ら望んで体験している。しかも想像された事は実際に起こる事は殆ど無い。という皮肉な状態だったりする訳です。これは武術の世界でも同じ。初心者は相手を先読みして予測/想像出来る攻撃に「対処」しようとします。この攻撃が来たらこの業を使う、あの攻撃が来たらあの業を使う。。。武術を少しでもやった人ならば↑の方法は全く無意味である事を身をもって知っているでしょう。相手の動きは予測出来ません。相手がどのような攻撃をするかは全く解らないのです。その為に色々な状況を想定した仮想組み合いが存在する訳ですが、問題はそのカタチに囚われてしまう事。そのカタチに当てはまらない状況になるとさっぱり業が出なくなる。カタチに囚われなくても、「先読み」したり、「相手の動きから読もう」とするのは「人生においての不測の状態に対応出来るように計画」するのと同じで、最終的には自ら創り上げた敵に翻弄されているだけ。剣術の世界においてそれは自らに負けた事、「死」を意味します。仮想の組み合い/太刀合いも、形の反復も、武術の練習というのは予測や先読みせずに、一瞬の出会いの状況、その瞬間に完全に合った動きを考える事無く行う為の物。それを可能にするのは業/技ではなく、鍛錬を生き抜いた事で生まれる「余裕ある静かな心の状態」なのです。「備えあれば憂い無し」これは物質的や計画的なモノでは無く、どれだけ普段の生活の中で余裕を持つ事が出来るか。。を説いているように私には感じられます。普段から健康に気を使い、身心の調子を整えておく。無理をせずに心も身体も余裕をもって生活しているのであれば、身の回りで起こる殆どの事象など、その都度、楽に対応出来るものです。さて、貴方はどんな「備え方」をしているのでしょうか?
Jun 1, 2009
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