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ピアニスティック、すなわちピアノらしい表現の源となったのは、ダルシマー音楽の発展形であり芸術昇華したパンタレオンの音楽であった・・・と、文章で書くのはやさしいが、そもそもダルシマー音楽とはどんなものだったのか。実はこの楽器はいにしえより世界中に広まっており、その音楽がどのようなものであったのか一つの例を挙げて語るのは不可能だ。だが、それらはロマ、すなわちジプシーたちが各地を転々とする中で、ある場所からある場所へ伝えたりされていた。また、ジプシーが居留した場所でそれらの音楽が発展する例がヨーロッパ各地で見られる。その中にはスペインのフラメンコ、ハンガリーのフォークロアがあるが、特にダルシマー音楽はハンガリーにおいて発展した。ダルシマーとは写真のように台形のボディーに金属製の弦が張り巡らされた構造で、大きさは様々である。ジプシーに好んで用いられた理由はやはりその携帯性であろう。それはヴァイオリンが彼らに好まれたのと同様である。ハンガリーにおけるジプシー音楽は深い叙情性と超絶技巧が特徴と言えるだろう。それはクラシック音楽の中でハンガリーのロマ音楽をモチーフにした作品・・・チャルダッシュ、ハンガリー舞曲、ハンガリー狂詩曲・・などなど・枚挙に暇がないが、これらの作品群にも表れている。それでは、実際にハンガリーのジプシー音楽におけるダルシマー演奏がどのようなものであったか聞いてみたいと思う。これはかなり「ピアニスティック」な部類に入るが、見かけはシンプルなこの楽器からこんな表現が生まれてくるのは驚異的である。ダルシマー演奏(Hungarian Concerto)つづいてツィンバロンである。この楽器はさらに発展して、大きさも大きく機構も複雑になっている。ピアノのようにダンパーペダルがついている。近代ではハンガリー民族音楽でよく用いられている。ダルシマーよりも表現が豊かだ。ハンガリーのジプシー歌曲をCsics? N?meth J?noの演奏で。ツィンバロン演奏(Hungarian Gipsy Song)ダルシマーと言う楽器はヨーロッパから東アジアまで広く行き渡っていた。所によってサントゥールとか楊琴などと呼ばれている。この写真は中国の楊琴(ヤンキン)である。横に日本人形が置いてあるのは単に博物館の管理人が東洋文化をよく理解していないだけで、この楽器が和楽器でもあったということではない。しかし日本にも伝わっていた可能性は十分にあると思う。いずれにせよこの楽器が世界中の音楽文化の運び手となっていたのは事実である。ダルシマーと似ているが、弦をはじくことで音を出す「プサルテリウム」という楽器がある。系図上はダルシマーの前の段階の筏チターから派生したものであるが、プサルテリウムはまもなくチターへと発展していったのであまり広まらなかったようだ。僕が見たことあるのはブリュッセルとゲッティンゲンの楽器博物館の計2台のみで、あまりお目にかかれるしろものではない。ダルシマーがピアノの先祖とされるのに対し、プサルテリウムはチェンバロの先祖とされている。
2010.08.07
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メルゼブルクの牧師にかくまわれていたパンタレオン・ヘーベンシュトライトはやがて自由の身となり1698年、ヴァイセンフェルスの王宮で音楽家およびダンサーとしての職を得ることとなった。ヴァイセンフェルスはメルゼブルクから約30キロ南、ナウムブルクから北東約10キロのところにある。ちょうどハレとヴァイセンフェルスを結ぶ直線の真ん中にメルゼブルクがある。町の中央には小高い丘があり、その丘の上に王宮が建っている、いわば城下町だ。このころからパンタレオン・ヘーベンシュトライトはツィンバロン奏者としての頭角をあらわし始めた。ライプツィヒやドレスデンで活動し、1705年にはフランスで演奏旅行し、パリで御前演奏を行った。この時ルイ14世からこの楽器の名前を「パンタレオン」と呼ぶように命ぜられたという。それから、パンタレオン・ヘーベンシュトライトはフランスやドイツなど各地を演奏してまわり、当時の音楽家や楽器製造家に衝撃を与えた。だれもがあんな演奏をしたい・・・とは思うがツィンバロンを彼のように演奏するのは普通の人間には至難の業であった。そこで、チェンバロのような鍵盤楽器にハンマーをくっつければ、もっと容易にあのような素晴らしい演奏ができるのではないか。この要望が、やがてピアノ発明の「母」となったのだ。ところで、ヴァイセンフェルスはハインリッヒ・シュッツが少年期を過ごした町でもある。ハインリッヒ・シュッツと言えば宗教曲やバロック愛好家には知られている作曲家で、J.S.バッハよりちょうど100年前に生まれたバロック初期の作曲家だ。ちょうど王宮の丘の麓のマルクトに面したあたりにハインリッヒ・シュッツ博物館がある。僕がこの町に着いたときは既に午後4時で、博物館に入館するにはぎりぎりの時間だった。王宮の博物館とシュッツ博物館とどちらにしようか迷ったが、結局シュッツ博物館に入ることにした。入場料1ユーロと、とても安い。内部は2部に分かれていて、右側はシュッツの生い立ちなどの説明、左側は楽器の展示と作品の紹介であった。年表などが展示されている右側の展示室はとりあえずさっと見て、左側の楽器の展示されている部屋に入る。すると、係員がCDをかけてくれる。このCDはシュッツの作品の演奏と、展示されてあるどの楽器が使用されているかという解説であった。その解説にしたがって見物するという仕組みだ。僕自身もそうであるが、シュッツと言えば声楽曲、宗教曲というイメージが強いのではなかろうか。少なくとも僕はそれしか聴いたことがなかった。だが、ここで聞いてみると意外に器楽曲もけっこうあるものなのだ。バロック初期であるから、現在使われていない楽器も中にはある。中でも、左写真の右側に写っている「ツィンク」という楽器はめったにみることはない。見た目には縦笛にトランペットのマウスピースをつけたような、シンプルで原始的な趣きのある楽器だ。だが、演奏を聴いてみると何とも澄んだ、バロックトランペットをさらに鋭くしたような音がする。こんな原始的な楽器からこんな音がするなんて信じられない。僕が興味深そうに「ツィンク」を眺めていると、係員の人が寄って来て、「この楽器、持ってきましょうか」と言い、奥の倉庫からなんと「ツィンク」を取り出してきた。手に持ってみるととても軽い。一応楽器分類上金管楽器ということになるのだろうけど、木製の管に皮を巻きつけた構造だった。係員に「ちょっと吹いてみてください」と言うと、「私は吹けないので、あなたがどうぞ」と言う。それではからずも「ツィンク」にチャレンジすることになった。なんとかトランペットの要領で吹こうとするが、ただ「ブー」という情けない音がするのみだ。それに、どの穴を押さえても全く音程が変化しない。これはどういうことなのだろうか。横で係員が何かニヤニヤしているが、いったいどうやって音を出すのだろう、この楽器。一度生で演奏しているところを目撃したいものである。こうしてパンタレオン・ヘーベンシュトライトの足跡を追ってみたのだが、見事なほどに彼は足跡を残していない。ドイツには彼の名前にちなんだ道の名前さえ全くないのである。しかし、こうして見ると彼の働いた場所はバロック音楽の中心でおのずとその影響は多々受けたであろう。同時にダンス音楽のエキスパートでもあったことからそのような折衷が彼独特の音楽を生み出したと言えるのかもしれない。
2010.08.07
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パンタレオン・ヘーベンシュトライトの生誕の地につづいて、その後の足跡をたどってみようと思う。1691年1月にヴィッテンベルク大学に入学手続きしたと言う。その後、ライプツィヒでダンス教師と楽団でのヴァイオリン奏者の職を得ている。その間、ベルリンの作曲家ヤン・バプティステ・フォルミーアを訪れ、また作曲家ヨハン・クーナウのもとでレッスンを受けている。ライプツィヒについては、以前当ブログに書いたことがあるのでこちらをご覧いただければ幸いである。(ライプツィヒ・聖トーマス教会 →)ライプツィヒ1ライプツィヒ2ところが、パンタレオンは何らかの負債を負ったようで、追われる身となってしまった。そして、メルゼブルクの教会の牧師のもとにかくまわれることとなった。そのような事情から、しばらくメルゼブルクでの隠遁生活がつづくことになった。だが、結果的にこの逃亡生活が後のパンタレオンを生み出す土壌となったのだ。と言うのは、この期間に彼はダルシマー(ハックブレット)と向き合い、この楽器に日々改良を加え、独自の新しい楽器と音楽表現を作り出したからである。すなわち、メルゼブルクでの滞在期間こそがパンタレオン音楽を生み出すための貴重な期間なのである。というわけで、今回はこのメルゼブルクという町に注目してみたい。(← メルゼブルクのマルクト広場)メルゼブルクはライプツィヒの西、ヘンデルの故郷ハレの真南、ザーレ川沿いに位置する、中部ドイツで最も古い歴史を持つ町である。とりわけ”メルゼブルクの呪文書(Merseburger Zauberspruche)”という古文書の出所として知られている。古くは神話や迷信のさかんな町であったらしい。ちなみに「メルゼブルク」の町名はローマ神話に出てくる戦いの神「マース」に由来していると言われている。しかし中世以降はキリスト教化され、マルティン・ルターもたびたびここを訪れていた。特に大聖堂のオルガンは素晴らしいことで有名で、毎年9月にはここで"Merseburger Orgeltage"という催しが行われている。ちなみにフランツ・リストはここのオルガンに感化されて多くのオルガン曲を作曲した。(メルゼブルク大聖堂/ドーム →)10世紀のはじめ、メルゼブルクの伯爵の娘ハーテブルクが東フランク王国の国王ハインリヒ一世と政略結婚したことから、この町にも砦が建設された。当時、このあたりはハンガリーから度々攻撃を受けていたのである。実はハインリヒはしばらくしてマティルデという美女に一目ぼれし、前妻ハーテブルクのほうは離別してマティルデを娶ることになるのだが、依然としてメルゼブルクには塁が築かれていた。「リアデの戦い」でハンガリーを破った後、城は頑強にされ、内部はフレスコ画で豪華に装飾されたと言う。さて、パンタレオン・ヘーベンシュトライトであるが、ある資料によれば彼はメルゼブルク付近の村に隠れ住んでいた、とある。それがどこなのかは全くわからないが、メルゼブルクの教会の牧師の家と言うから町の中心からさほど離れてはいなかったであろう。いずれにせよピアノ誕生のきっかけとなったパンタレオンの音楽と楽器が、この文化と歴史の坩堝のような小さな街で育まれていったということはとても興味深い。
2010.07.25
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ピアノを誕生させるきっかけとなった、パンタレオン・ヘーベンシュトライト。やはり源流をたどるには、この人物像を追って行きたいと思う。とりあえず彼の足跡を直にたどってみよう。つまり、実際そこに足を運んでみようと思ったのである。まずは、生誕の地から訪れることにした。 実は、パンタレオンは1667年にアイスレーベンで生まれたという説と1668年にナウムブルク郊外のクラインヘリンゲンという村で生まれたという2つの説がある。おそらく彼の家族がいずれの町にも滞在していて、そのどこかのタイミングで出生となったのではないかと思う。 ちなみにアイスレーベンはマルティン・ルター生誕の地であり、ナウムブルクはニーチェが少年期を過ごした故郷である。ルターとニーチェという、何とも対照的な人物と故郷を共有しているものである。ちなみに上の写真はナウムブルクのドーム。ナウムブルクから車で約30分。手入れの悪いガタガタの山道を行くと、クラインヘリンゲンに到着。 行ってみると、「村」と呼ぶにもまだ小さい集落だった。それに小さな山上の村で、ほぼ陸の孤島と言ってもよさそうだ。村の周りは広い麦畑と放牧地で囲まれており、他の村との交流も当時の交通の便を考えるとそんなに頻繁にできるものではないだろう。 一番近い隣村はグロースヘリンゲン、つまりクライン(小)とグロース(大)で姉妹村のようになっているようだが、ここまででも約1,5km離れている。 当時の健脚な農家の人々であればさほどの距離ではなかったのかもしれないが、現代人には山道を1,5キロ歩くのは少々しんどい。 村の中央には小さなプロテスタント教会があった。 中世の都市の教会のような大きなものではなく、せいぜい民家を広げて礼拝ができるようにした程度だ。 今でも村民は100人にも満たないようなので、村人全員が教会に行っていたとしても十分な大きさではある。 パンタレオンがこの村で幼児洗礼を受けたと言うことは、おそらくこの教会で洗礼を受けたのだろう。 村の入り口のところに、ペンション兼レストラン兼博物館があった。これがこの村で唯一文化的な施設だった。 博物館に行けば、ひょっとしたらパンタレオンに関することも何かあるかもしれない・・・と思い、入場料2ユーロを支払い、中に入った。すると・・・ なんと言うか、埃っぽいというかかび臭いというか、全長100メートルほどのスペースに所狭しと農機具などが置かれていた。展示と呼ぶにはかなり雑な置かれ方だった。 いろいろな古い器具類などもあってそれなりに興味は湧かないでもないが、パンタレオンに関することは何もなかった。 要するに、この村の産業は農業と畜産業がすべてで、村人は皆それに関わっていたことになる。パンタレオンがここに住んでいたということは、少なくともその時期彼の家族が農業を営んでいたと言うことになる。 クラインヘリンゲンから40~50キロ北上したところにアイスレーベンがある。 この町にはLutherstadt、すなわちルターの町というタイトルがついている。それだけに町中ルター一色である。町の真ん中にはルターの銅像が町を見下ろすように立っている。特にパンタレオン・ヘーベンシュトライトにゆかりのあるものは見当たらなかったが、ルターの生誕、そして最後を遂げた町として歴史的には重要な町だ。ルターゆかりの地としてはアイゼナハ、ヴィッテンベルクがあるがこちらの2つの町は「地球の歩き方」にも載っている。しかしなぜかこのアイスレーベンは載っていない。だから、この際書いてしまおうというわけである。 1483年11月10日にこの家でマルティン・ルターは誕生した。この建物はルター生誕の家として、ユネスコ世界遺産に指定されている。ルターの一家は出生後1年足らずで引越したということで、ルターがこの家に住んでいたのはさほど長くはなかったようである。1689年に大規模な火災があり、そのときに焼けてしまい、今あるものはその後建て直されたものである。2005年から2007年にかけて改築が行われていたが2007年3月に再びオープンした。 ルターの生家のすぐ裏手にあるのがこの聖ペトリ‐パウリ教会である。後期ゴシック様式で建造された中規模のドーム型の会堂である。少々奥まったところにあるので、ちょっと見つけづらい。 ルターは誕生したその日にこの教会で洗礼を受けた。講壇上にはそれを記念する石文がある。 内装で特徴的なのは伝説でキリストの祖母、マリアの母と言われていたアンナの肖像である。 このアンナは中世においては聖人として尊ばれていた。 ルターは1546年2月18日に生涯を閉じた。この家はルター晩年の家として生家と同様にユネスコ世界遺産に指定されている。 ところが、ここは実際にルターが最後を遂げた場所ではないらしい。1726年、オイセビウス・フランケという歴史家によって誤ってルターの家ということにされてしまった。それを受けて1862年アイゼナハ市がここをルターの最後の家として登録してしまい、1894年にルターゆかりの場所としてこしらえてしまった。ここは現在ルター博物館となっている。本当のルターの晩年の家はマルクトに面したMarkt 56番地に位置する建物だそうである。その建物は現在では「ホテル グラーフ・マンスフェルト」として使用されている。右の写真の左端にようやく写っている。
2010.07.22
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以前から、チェンバロにデュナーミク、すなわち強弱の表現の可能性が欲しい、という要望はあった。それが18世紀初頭になってヨーロッパ各地で鍵盤の先にハンマーをつけるという似通った発想が生まれるようになった。イタリアではクリストフォリ、ドイツにおいてはシュレーター、フランスではマリウスがハンマーアクションを考案した。ブリタニカ百科事典第4版によれば、ピアノはイギリスのメーソンという詩人によって発明されたとあるらしい。彼らはお互い知己もなく連絡もなかった。そんな彼らがなぜまるで打ち合わせたかのようにハンマーアクションを考え出したのか。その起爆剤となったのは、パンタレオン・ヘーベンシュトライトだった。彼はドイツの舞踊教師であり音楽家であった。ある時期はテレマンの同僚でもあった。だが最も特筆すべきはツィンバロン演奏だった。それまでヨーロッパやアジアでよく用いられたダルシマー(ドイツ語でハックブレット)という楽器に独自の改良を加え、同時に独自の奏法を編み出して究極の音楽を作り上げた。彼は1700年頃から音楽家として頭角をあらわし、その超絶技巧と表情豊かで多彩な音色はたちまち人々を魅了した。1705年フランスに渡った時、彼の演奏を聞いたルイ14世は感銘を受け、この独自の楽器をパンタレオンと名づけたと言う。すばらしい演奏に出会うと、自分もそのように演奏できれば・・・と思うのは自然な感情であろう。ところが、パンタレオンの演奏技術は並外れて人間ばなれしており、普通の人間がマレットを使用してパンタレオンのように演奏するのは不可能であった。また、楽器自体がパンタレオンに合わせてカスタマイズされていたので、とても常人に使いこなせるものではなかった。それならば・・・チェンバロのような鍵盤楽器にマレット、すなわちハンマーをくっつけてしまえばもっと容易に演奏できるのではないか。このような発想はごく自然に生まれてきたものであろう。おそらく記録に残っているもの以外にも、各地で様々なハンマーアクションのアイディアがあったことは想像に難くない。しかし、ハンマーで弦を叩くという動作は案外複雑で、その仕組みを思いつくのは容易ではなかったはずである。そのためマリウスにしてもシュレーターにしても考案に時間がかかったのだろう。それで一応クリストフォリがピアノ発明者というのが定説になっている。パンタレオンの音楽がどのようなものであったのか。僕自身は残念ながらその作品というものを聴いたことがない。だがパンタレオンの楽器がもう少し発展した現在のツィンバロンの演奏を聴くと、それはまさに「ピアニスティック」である。もちろん、ツィンバロン音楽も後々ピアノの影響を受けてそのように変化している面はあるだろう。しかしやはりそこに何か源流への入り口を見出すのである。往々にして天才の仕事というのは独自性もさることながら、それまで存在していたものを華々しく開花させるという面もある。パンタレオンも何物かを開花させて「ピアニスティック」の基となるものを作ったと考えるのが妥当であろう。それが何だったのか、どこから来たのか。さらに源流へとたどってみようと思う。つづく
2010.07.19
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ピアノの歴史の「常識」では、ピアノは1709年、イタリアのクリストフォリによって発明されたということになっている。ところがドイツ、フランス、イギリス各国は「わが国こそピアノ発祥の地である」と主張していたのだ。そしてそれぞれ根拠となる事実もあるのだ。僕がOWS(ドイツのピアノ技術学校)の生徒だった頃、歴史の授業でクリストフォリの発明について習った時、先生はこう主張した。「これは単なるチェンバロの改造にすぎず、新しい楽器の発明というわけではない。」一応国際的なとりきめで1709年のクリストフォリをピアノの起源とされてしまっていることに対するささやかな抵抗のようで、何かほほえましいものすら感じる。しかし、彼の主張の裏には、ピアノは単なるチェンバロの改良品ではないという意識も感じる。チェンバロとピアノは音楽表現の方向が少々違っている。もっとも、「ピアノ」という名称はこのクリストフォリの楽器「ピアノ・フォルテつきチェンバロ」に由来している。たしかに、それ以前の音楽家はチェンバロの強弱が変えられないことに不満を持っており、ピアノがそのニーズに応えるものであったのは事実である。だが、チェンバロとピアノの機能面での違いに着目すると、単にチェンバロに強弱を加えたものではないように思える。チェンバロとピアノにはどのような違いがあるのか。まず、チェンバロにはオルガンのように音色を変化させるためのストップがついていた。あるストップを引くとカプラーによってオクターブ同時に発音できる仕組みだ。そのほか特殊な効果を持つものもある。これはピアノにはついていない。もしオクターブを弾きたければ奏者みずからがオクターブを同時に打鍵しなければならない。そしてピアノにはチェンバロにはないダンパーペダルがついている。チェンバロにはダンパーを一斉に開放するような機能はない。ピアノ誕生後の現代チェンバロにもダンパーペダルはついていない。このことはそれぞれに要求されているものが違うことを物語っている。そして、そのピアノに要求されているものがチェンバロにはなかった「ピアニスティック」なるものではないだろうか。それはさておき、さきほどドイツ、フランス、イギリスでもそれぞれピアノの発明と言われるものがあったことを述べた。それらはいずれも鍵盤の先にハンマーをくっつけて弦を叩くというものだが、驚くことにこれらはほぼ同時期に考案されている。当時はもちろんインターネットもないし、国を越えて情報が行きかうということは現代とは比べほどにならないほど困難であったと思われる。そのような時代に、ほぼ同じような発想で考案されたものがあちこちにあった・・・思えば不思議なことである。これは、世界的に少なくともヨーロッパにおいて、このような発想を促すような何かが流行していたと考えるのが自然ではないだろうか。いったい何が流行し、各地でピアノを考案させたのだろうか。つづく
2010.07.19
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もう長い間このブログも放置してしまい(パスワードも危うく忘れるところだった)、楽天ブログで友達設定していた方の多くはミクシィで関係を継続していたり、ブログも休眠してしまったりで、いずれにせよこちらはご無沙汰となってしまった。ところが、最近当ブログの休稿以降に新たな読者がおられると聞いた。そして、新ネタを希望する声も聞かれるようになった。とりあえず、何か書いてみよう。しかし何書いたらいいのだろう。やっぱりピアノのことだろうか。ピアノ。ピアノのことと言えば、ずいぶん前から不思議に思うことがあった。それは、ピアノらしさ、ピアノっぽさ、ピアニスティックなもの。これはいったいどこから来たのだろう。ということだ。編曲ものをレッスンで弾くと「それはピアニスティック過ぎる」と言われることがある。何となくイメージは沸くのだが、そもそもピアニスティックって何ぞや。作曲家がある作品の使用楽器としてピアノを選ぶ時、「ピアニスティック」であることは少なからず重要な要素となることは間違いないだろう。しかもこの「ピアニスティック」なるものは音楽史上、中世、バロックから徐々に積み重なって発展したもの・・・とは言いがたい。むしろピアノという楽器の登場とほぼ同時期に突然変異的に登場しているのだ。それでは、ピアノという楽器ができあがって、作曲家たちがそれを色々いじくってこの楽器の特徴をつかんでその魅力を引き出すために生み出されたものが「ピアニスティックな表現」なのだろうか。ピアノという楽器の歴史を見るとそう考えるのは少々無理がある。なぜならピアノの発展は音楽家たちの…時には無茶な・・・要求を健気に実現させようという努力の積み重ねによるものであるからだ。すなわち、初期のピアノ曲作家たちが目の前にある原始的なピアノに創作意欲を掻き立てられた(もちろんそれもあるだろうが)というより、もともと作曲家に表現したいものがあって、それを実現させるために古今さまざまな製作家が骨折り苦心して楽器を作り上げてきたというのが事実だろう。半ば「にわとりか卵か」的な話だが、ピアノがピアニスティックな表現を実現できるレベルに発展する以前からその表現があったとすれば・・・いったいそれは何処にあったのだろうか。と言うわけで、こんなことを今まで色々考えてきたので、少しずつ新しいネタとして書いてみようと思う。無論、これは持論の域を出るものではなく、せいぜい戯言である。ましてや学説などという格好の良いものではない。でも、「言論の自由」もあることなので、何か書いてみようと思う。とりあえず次は・・・いつになるかわからないが、多分つづきはあることだろう。
2010.07.18
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気がつけば、前回ここに日記を書いて2年以上がたつ。世の中色々変わっているけど…僕のまわりの環境はまったく変わっていない。同じ町で、同じ職場で、同じ仕事をしている。そんな中で最近よく思うのは、俗に「完成された楽器の王」と言われるピアノでも、いまだにストラディバリに匹敵する楽器が存在しないということである。その要因のひとつは、ピアノの打弦機構という仕組みのもつ宿命的な限界のためである。それはどういうことかと言えば、弦の振動とはそもそも、何かしらの衝撃、ピアノで言えばハンマーが弦を打つショックがきっかけとなる。ただ、その時点ではまだ「音」にはならない。その衝撃の波が弦の両端に走り、そこから帰ってきて両方の波がぶつかる。その時の波同士の干渉が弦の振動となるのである。そして、最初の衝撃から帰ってきてぶつかり合うまでの時間が長ければ長いほど振動数が低くなる。つまり、音程が低くなるということである。反対に、音程が高くなればなるほど、衝撃から干渉までの時間が短くなる。ここでピアノという楽器の短所が出てくる。ハンマーが弦を打つということは、ある程度接触している時間があるということだが、音程がある高さになると、波同士の干渉が起こる時点でまだハンマーが弦に接触した状態なのである。つまり、高音になると、ハンマー自身が弱音器として機能してしまうわけである。中・低音と同じように高音を作ると必然的に弱い音になる。だからといってハンマーを無理に硬くしたりすると、金属的な不快な音色になる。残念ながら現代の技術をもってしては根本的にはこの問題は解決していない。なので、各メーカーは色々な工夫をしている。たとえば、鳴らす弦のほかにもう一本共鳴用の弦を設置したり、金属フレームを工夫して高次倍音がよく鳴るようにする…などである。多くのメーカーのピアノでは高音になると、1本の弦の中に振動部分の他に共鳴部分を作っている。しかし、これらはすべて苦肉の策という領域を越えていない。整音の場合は、顧客の要望に応じて音を作り分けている。パワーを求める人には、若干音色が歪んでも音量を重視して作り、プロなど技量のある人にはやわらかめに作って、フォルティッシモは弾き手の技量にゆだねるという具合である。ヴァイオリンの場合はストラディバリ、グァルネリ・デル・ジェスと言った完璧な名器が存在する。もちろん、天才的な名人が存在したことも確かだが、擦弦楽器は演奏そのものは難しくても、上記のような、打弦楽器のもつ限界がない。「わが社はピアノのストラディバリ」と謳うメーカーは少なくない。僕は職業柄、名器と呼ばれる多くのピアノを試してきたが残念ながらストラディバリに匹敵するとは言いがたい。もし、そのような楽器が登場するとすれば…それはストラディバリやグァルネリより数倍才能を持つ楽器職人によらなければならないだろう。また、「完成された」と言われるピアノにおいてもまだそのような余地があるのは…楽器職人にとっては夢であり、ロマンでもある。
2008.10.09
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ニュース・ダイジェスト(在外邦人向けの情報紙)で話題になっていたベルリンの東ドイツ博物館(DDR Museum)を訪ねてみた。最近出来た新しい博物館だが、ご覧の通り大変なにぎわいよう。場所はいわゆる「博物館島」東の対岸にあり、車道より一段低い川べりにある。統一後のドイツの生活や習慣はしだいに西側に染まり、東の特色はやがて薄れていったと言ってよいのかも知れない。それで東ドイツでの暮らしのようすなどは今となってはなかなか目にする機会がない。この博物館は旧東ドイツの言わば庶民の生活を展示したもの。小物類が中心だが、やはり実物を目にすると東独の生活がリアルに伝わってくる。博物館に足を踏み入れると「トラバント」がお出迎え。その奥には東側の歩行者信号「アンペルマン」が雰囲気を醸し出している。展示スペースはバーやレストランくらいの広さで、お世辞にも広いとは言えない。だが小物が多いこともあって展示はボリュームのある内容となっている。展示物の多くは引き出しのついたショーケースに入れられている。引き出しには色々な小物類、書類などがテーマ別に入っていて、それらを直にふれてみることが出来る。小さい上に手に持つことが出来るので、盗難の恐れはないのかとも思うがDDRらしく(?)あちらこちらに監視カメラがしっかりと設置されている。なおこのショーケースは東ドイツまた東ヨーロッパによく見られるプレート工法(Plattenbau)の高層住宅を模っているようだ。プレート工法とは、量産した壁の部品を組み立てる工法である。70年代、東独政府の方針で高層住宅の建築ラッシュがはじまり、その時この工法が採用されたそうである。右写真のおもちゃはその工法の特色を表していて面白い。レゴやダイヤブロックの要領で好きな形にビルを作ることが出来る。このようなブロックであそんだ子供は建築のセンスが養われたのだろうか?この博物館で見逃してはならないのがこの「居間」である。この居間は当時の東独の生活風景を描写したものである。古いラジオやテレビ、本などがなかなかレトロなムードを漂わせている。ところがこれはただの居間ではなかった。少し離れたところに右写真のようなスペースがあるのだが、一見オーディオ装置のように見えるが、実はこのヘッドフォンから聞こえてくるのは居間での会話などの音声なのである。つまりここはスパイの盗聴部屋なのだった。博物館の解説によれば、当局は多くの民間人をスパイに起用して人々を監視していたと言う。民間人スパイ(IMS)は写真のような装置を使って隣人、友人、同僚を監視して逐一上官に報告していた。1989年には約17万3千人のIMSが登録され、そのうち約9万人が実際にスパイ活動を行っていたと言う。この博物館のスパイ部屋は奥まったところにあり、気がつかない人もいるかもしれない。ここで内緒話など決してせぬようご注意…そして、「ベルリンの壁」なんぞおみやげに…ところで、ベルリンの壁と言えばまともに現存するのはオスト駅前の「イースト・サイド・ギャラリー」だが、なんだか最近妙にアート化してしまった気がする。町の景観としてはよくなったのかもしれないが、なんだか味気ない気がする。やはり生々しい感じもどこか残してほしかった。博物館のその他の写真をYahooアルバムにて公開しています。どうぞご覧下さい。
2006.08.24
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ブラウンシュヴァイクから列車で40分、ハルツ山脈の麓にあるゼーゼン(Seesen)という町を訪ねてきた。山麓の小さな町だが、もともと缶詰工場や鉱石などで栄えた工業都市で、今も小さいながら賑わいを見せる。僕が勤めているグロトリアンというピアノ工場のルーツもここにある。ブラウンシュヴァイクで楽器製作の仕事をしていたハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(後のヘンリー・スタインウェイ)が1920年、独立してこのゼーゼンに工房を構えた。そして1835年にこの工房で初めてスクエアピアノを完成した。この時をグロトリアンのピアノ工場としての創業としている。その後シュタインヴェーク一家は順に渡米しスタインウェイ&サンズを設立、この工場は最終的にグロトリアン一家に譲られたというわけである。このエピソードはピアノメーカー事情に詳しい人にとっては聞き飽きて耳にタコのできるような話かもしれない。グロトリアン=シュタインヴェークの工場がヴォルフェンビュッテル、ブラウンシュヴァイクに移転してからはピアノ産業の痕跡は残されていない。だが、この町には「スタインウェイ」の名前が強く刻み込まれている。それは、ハインリヒの4男ウィリアム・スタインウェイ(旧名ヴィルヘルム・シュタインヴェーク)の功績によるものだ。彼は父がスクエアピアノを完成させた1835年にこのゼーゼンで生まれた。ウィリアムは他の兄弟のような技術者ではなく、ビジネスの分野で活躍した人物で1876年にスタインウェイ&サンズの社長になっている。1880年にハンブルクに工場を設立するとともに、彼の生まれ故郷であるゼーゼンの諸団体や学校、施設などに多額の寄付をした。そのことから1888年、ウィリアム・スタインウェイはゼーゼンの名誉市民となった。さらに1892~1898年、町の南部に「Steinwaypark」という公園を作った。このことで「Steinway」の名はゼーゼン市民にとって忘れられないものとなったのだ。さて、鉄道路線をはさんでSteinwayparkとは反対の方向に博物館がある。この博物館の建物はもともと1707年に建てられた狩猟用の公爵邸(Herzogliches Jagdschloss)だ。一応月曜以外の午後3時から午後5時までが開館時間となっているが入口の扉はずっと閉まりっぱなしになっている。ドアの横にベルがあり、見学者はそのボタンを押して見学希望の旨を伝えると中から扉を開けてくれる。中には係員が2人いて、非常に愛想がよかった。「全部見たいの?それとも何か特別見たいものある?」と聞くので、「何か楽器関係とか・・・」と言うと、「ああ、スタインウェイね…」と言って2階に案内された。2階の一角はスタインウェイの展示コーナーとなっていた。係員はその部屋だけ電気をつけてその場を去った。展示されている楽器や工具類は特別ここでなければ見れないといった類のものではなかった。しかし、スタインウェイとゼーゼンの関係、とりわけウィリアムに関する記述には大いに興味を引かれた。また自筆の手紙や寄付に関する証書類など興味のある人には価値のあるものが多い。ちなみにこの博物館は入館無料だ。「ゼーゼン(Seesen)」の名前の由来だが、博物館の資料によるとこの町には昔大きな湖(See)があり、そのことから「湖の家々(Seehausen)」を意味するSeehusenあるいはSehusaが後に訛って行ったのではないかということである。なお、その大きな湖は現在は大分干からびてしまい、博物館の裏手にわずかな沼地を残すのみとなった。ドイツの旧市街にありがちないわゆる「ローマ式」の街づくりではなく、木組みの家が何筋か並行して並んでいる小ぢんまりとした街づくりだ。18世紀の面影の残る町だが不思議と古めかしい印象はない。(左写真は市役所)
2006.08.16
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googleが今、シャーロック・ホームズのデザインになっている。なにか、それにまつわる物があるのだろうかと思って調べてみると5月22日がコナン・ドイルの誕生日だった。僕はどちらかと言えば活字中毒かもしれない。しかし、幼少の頃はマンガ以外の本を読むのがとても苦痛だった。文字ばかりの本が面白いはずがなかろう、と思っていたのだ。それがすっかり変わってしまったのは「シャーロック・ホームズ」との出会いだった。それは、面白いという次元を超えて文章に手を引かれるように物語の世界に引き込まれていく生まれてはじめての体験だったのだ。これまで、どんなマンガやテレビ番組でもこれほどのスリルは味わったことがなかった。それ以来、そのスリルと快感が忘れられず色々な本を読み漁るようになった。本がないと何か落ち着かないし物足りない気分になる。今になってみると果たしてそれは良かったのかどうか…なぜなら、ドイツでは日本語の本はとても高価なので…
2006.05.22
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今年はモーツァルト・イヤーだ。そして僕はドイツに来て6年になるが、あることにふと気がついた。「モーツァルトさん」という人に会ったことがない。日本の作曲家といえば、滝廉太郎や山田耕筰。滝さんや山田さんという人は日本でしばしば会う。武満さんや黛さんは珍しいにしても、それでもやはりいる。ドイチュ・テレコムの電話帳サイトで調べたところ、ブラウンシュヴァイクはおろか、ベルリン、ハンブルク、ケルン、デュッセルドルフ、フランクフルトなどの大都市にも人名としての「モーツァルトさん」はいなかった。NDRの家族名サイトによれば、ドイツでは3800万軒の電話帳登録があるがそのうちMozartさんはたったの13軒。モーツァルトという姓は14世紀にはすでにあったようだが、この名前の由来がなんともよろしくないのには驚いた。Mozはシュヴェービッシュ(南西ドイツの方言)の「motschen」という言葉から来ているそうである。(Artは種類とか方式などの意味)motschenの意味は「ぬかるみの中をうごめく」とか「きたない仕事をする」ということらしい。日本のポップスの世界では、グループ名がダサかったりするとかえって売れたり音楽が良かったりすることもあるがクラシック音楽の世界でも同じようなことがあるのだろうか・・・
2006.05.06
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僕が今使っているPCにははじめからワイヤレスキーボードとワイヤレスマウスが標準装備されていた。はじめこそ、この場所を選ばないマウスとキーボードはとても便利に思えた。それに、わずらわしいコード類がなく、デスク周りもスッキリする。ところが、長い間使っていると色々不具合があることに気がついた。ひとつはマウスの充電がしょっちゅう切れること。携帯電話のように、電池残量が表示されたりしないので、作業中予期せぬうちにイキナリ電池切れになったりする。そこで作業はストップせねばならず、また充電がじゅうぶんになるまで結構時間がかかる。これはかなりストレスであった。もうひとつは、キーボードのほうがたまにタイプ抜けがあること。時々ある文字をタイプしてもそれが本体に届くまで時間がかかることがある。もちろんそれはわずかな時間差であるが、タイプしている時というのは機械の具合などお構いなしにどんどん打ち込んでいくものだ。しかし、ある文を一気に打ち込んだときに、文字が抜けていることに気がつき、また打ち直すことがしばしばあった。これも非常に効率が悪い。さらに、今日はキーボードの電池が切れた。これは単4のアルカリ電池2本が入っていて、2年以上持ったのだから電池寿命という意味では優秀なのかもしれない。しかし、キーボードが急に使えなくなると困るのは言うまでもない。これで今までの不満が一気に爆発して、新しくワイヤー付のキーボードとマウスを買うことにした。マウスも今は光式が主流らしい。しかし、僕はやはりボールころころのほうが好きだ。それで、ワイヤー付キーボードところころマウスを買った。今、この日記は買ったばかりのキーボードで打ち込んでいる。とても快適だ。ついついたくさん打ち込みそうになるが、今日はこの辺で…
2006.04.22
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ブラウンシュヴァイクとノルトライン地方(デュッセルドルフ、ケルンなど)の間を何度か鉄道で往復すると、いやでも目に付く風景がある。それはちょうどニーダーザクセン州からノルトライン・ヴェストファレン州に入ったあたりで見える小さな山である。そしてこの山の上にひょこっと建っている仏舎利塔のようなオリエンタルな建物。このあたりには他に高い山もないので、遠くからでもよく見える。何度かここを通り過ぎるたびにあれはいったい何なのだろうと気になっていた。また、この町はPorta Westfalicaという何ともドイツ語らしからぬ不思議な名前を持っている。イタリア語かポルトガル語のような町の名前だが、れっきとしたドイツの町なのだ。そして、この建物の正体はカイザー・ヴィルヘルム記念碑(Kaiser-Wilhelm Denkmal)というものであった。今日は休みを利用してこのカイザー・ヴィルヘルム記念碑を訪れた。以前から気にはなっていたが、ハノーファーから電車で数十分という中途半端な遠さ(あるいは近さ)のためになかなか来ることはなかった。記念碑のあるところまではちょっとした登山であった。せいぜい100メートル少々の高さだと思うが、日頃運動不足の身には少々こたえた。しかし登ってみるとなかなかの眺め。天候があまりよくなかったのが残念だったが、かなり遠くまで見渡せる。この町の真中にはヴェーザー川(ブレーメンを通って北海に流れる川)が縦断しており、記念碑のある山によってちょうど「く」の字に曲げられている形になっている。川の対岸にも似たような山が対峙していて、東のニーダーザクセンと西のヴェストファレンを隔てる、まさに「門(porta)」のようだ。そして、その門をカイザー・ヴィルヘルム像がじっと見ている格好になっていた…
2006.04.14
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前回につづいて、今回は整音に使うピッカーについて。ピッカーがどういう工具なのかは以前紹介したので、こちら↓をご覧いただくとして、http://plaza.rakuten.co.jp/jppiano/diary/200509260001/今回は3種類のピッカーを購入した。まず、最初はこの小型のピッカー。僕の仲間内ではアウスグライヒ・ナーデル(Ausgleichnadel)と呼んでいる。仕上げ用のピッカーである。アップライトピアノの場合、仕上げはアクションをピアノに取り付けた状態で行うので、このような小型のものが必要になる。今までも小型ピッカーは持っていたが、ひとつはハンマー下側に入りにくく、もうひとつは板状のもので、下側には入り込めるが1本針のみで、多く針を入れたい時には手間がかかった。この小型ピッカーは写真のように柄と先の部分を急な角度で折り曲げることができる。これにより、ハンマー下側に難なく針入れをすることができるのだ。つづいて、普通の大きさのピッカーだが、普通は先端に針を3本差し込むようになっているが、これは5本挿しである。僕はノイズ除去のための頂点付近の浅針と、グランドピアノのシフト踏み込み時の音作りに使うつもりで購入した。しかし、ためしに硬いハンマーに深く針を入れるたが、意外に針を入れやすい。感覚的には普通の3本挿しのピッカーと針の入りやすさはあまり変わりない。だから普通の感覚で挿していくと、思っているより針が効いてしまう。次高音のノイズ除去で頂点付近の肩の凝りをやわらげるのに結構有効な気がした。これは、柄の形などは上の写真とほぼ同じものだが、針の並び方が二列になっている。もちろんできるだけ少ないストローク回数で多く針を入れるのが目的ではあるが、これも普通のピッカーと比べて針が入りにくいのでは、と思っていた。ところが、むしろ打点が平面状に並ぶことによりインパクトの瞬間ピッカーがぶれにくくなっている気がした。とても安定感がある。針もすっと奥まで入る。針の効き具合は5本挿しほど即効ではなく、やんわりしている。このように、試してみた感想を書いたがまだ使いだしたばかりで、確かなことは言えない。これから使っているうちにいろいろわかってくることもあると思う。でも、総じて良い買い物が出来たのではないかと思った。
2006.04.07
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毎年行われるフランクフルトのメッセ。毎回僕は3つの目的を持って行く。ひとつはもちろん楽器を見ること。2つ目はだれかに会いに行くこと。そして3つ目は工具類の買い物である。ピアノ工具はドイツでは基本的にMEYNE、RENNER、JAHNいずれかの会社で買う。通常は自分の勤める会社を通して注文して買うのだが、自分の右腕となる道具についてはやはり実際に手にとって確かめて買いたいものだ。MEYNEはブラウンシュヴァイクにあるので足を運んで買いに行けるが、品数も多いわけではないので、やはりRENNERやJAHNのものが欲しい。そこで、毎年春のメッセでRENNER、JAHNのブースに行ってめぼしい工具を探しに行くのだ。そして欲しいものが見つかったら売ってもらう。本来はメッセでは物は売らないことになっているが、小道具に関しては売ってくれることが多い。今回購入したのは張弦に使う道具と整音に使うピッカー3本。今日は、調弦(ピアノに弦を張ること)に使う道具の試用レポートをしてみたい。まず、右の写真。これは引き上げ工具、ドイツ語でリングへーバーと呼ばれるものである。これをどのように使うか多少説明が必要と思う。ピアノの弦はチューニングピンという金属の棒に巻きつける。通常巻きつける周回数によって3重、4重のリング(コイル)が出来るわけであるが、ただ巻きつけただけではだらしなく不ぞろいになる。そこで、巻きつけた弦のコイルをきれいに密着させるために、引き上げという作業が必要になる。これには弦の伸びている部分をフックで引っ掛けるか、テコでリングを持ち上げるなどの方法があり、場合により使い分けるがこれが結構やりにくい。このリングへーバーはリングをピンに垂直に引っ掛けて持ち上げるもの。使ってみると、なんとこの引き上げ作業がやりやすいことか。まったくといってよいほどストレスを感じない。もっとも、同僚の一人が言うには、中音のピンは密集している部分には道具が入らないので多少改造が必要とのことだが、僕は張弦に関してはベース弦の張替え(ジン線、ボン線)以外することはまずないので、現状のままでまったく問題ない。左はラチェット式のチューニングハンマー。調律の場合はチューニングピンを回転させるのはせいぜい10度から5度くらいの間だが、張弦の場合、何回転もさせるので、チューニングハンマーを何回も差し替えないといけない。これがラチェット式であれば、チューニングハンマーをピンから抜かずに何回転でもさせることができる。これは以前から売ってはいたが、個人的にそれほど作業が効率よくなるとは思えず、買おうとも思わなかった。しかし、実際買ってみて使ってみるとこれほど便利だとは…最低音になると側板が邪魔でピンをまわすのに結構ストレスだったが、これがとても快適になる。張るときだけでなく、弦を外すときも、常に左手でテンションをかけた状態でピンを緩めていけるので、これもまた使い勝手がよい。この2つの道具のおかげで、ベース弦の張替え作業が楽しくなった。これまではジン線やボン線が出ると「やれやれ」という気持ちになったが、週明けは「ジン線ないかな~♪」と、楽しみな気分だった。次回は整音工具のピッカーについてのレポート
2006.04.05
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毎年恒例のフランクフルト楽器フェア(Musikmesse)。ここには各メーカーが腕によりをかけてお披露目に逸品を送り込むわけだが、こういう場所には話題を呼ぶための“変り種”がつきものだ。たとえば、3年ほど前にはブリュートナーが鍵盤の左右を入れ替えた「サウスポーピアノ」を発表したし、昨年の横浜のフェアでは白鍵のみのピアノというのもあった。これらは商品として実用化しようというものではなく、単に話題を呼ぶための見世物と言える。そのような中で、案外「真面目な」動機を持った変り種が今年は存在した。それが上の写真のアップライトピアノである。一見、普通のアップライトピアノである。どこが変り種なのかと思われるかもしれない。実は左写真のアクションのように、アップライトピアノのアクションの下半身にグランドピアノのアクションを組み込んであるのだ。(白枠部分)と言っても調律師でなければ何のことやら、という感じだと思うので、右側のアクションの写真(上がグランド、下がアップライト)を見て比べていただくと、何となく、左写真のアクションがグランドとアップライトの合いの子であることがお分かりいただけると思う。構造としては、グランドの水平に横たわっているハンマーの柄に垂直方向のハンマーをL字型に付けた形になっている。これにより、本来上下するグランドハンマーの動きが前後運動になり、アップライトにも使用できるようになる。発想は単純であるが意外に思いつかないアイデアだ。このピアノはWendl&Lungというメーカーが、グランドの性能を持つアップライトを目指して開発したものだ。アクション以外にも、グランド特有のシフトペダル機構(左のペダルを踏み込むと鍵盤が右に動く仕組み)も採用されている。通常、グランドとアップライトの顕著な違いはタッチ感にあるが、決定的なのは連打性能(秒間何回同じ鍵盤を叩けるか)がほぼ倍違うことである。そのために上級者用の曲になるとアップライトでは弾けないこともある。さて、このピアノを僕と技術者のWさん、ピアニストのEさんとで検証してみた。Eさんの弾いてみた感想は、「グランドとアップライトの中間という感じ」とのことだった。Wさんの意見では、「この展示されているピアノは調整がまだ完全ではないので、完全な調整がされればもっといい状態に近づくのではないか」とのことだった。しかし、試作品ということもあって、この構造のままでは調整(整調)は不可能に近いほど困難に見えた。また展示用に響板がカバーされていたこともあるが、音のほうは決して良い物ではなかった。とは言え、単なる見世物ではなく、このアイデアの路線のまま本気で楽器として良い物を作ろうと心がけ、いくつかの課題をクリアすれば、「グランドとアップライトの中間」のピアノとして良い楽器が出来上がる可能性はあると思った。
2006.04.03
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今年もいよいよフランクフルト・ムジークメッセの季節がやってきた。去年、横浜で開催された楽器フェアよりも数段規模の大きいもので、おそらく楽器フェアとしては世界で最大規模であろうと思われる。http://musik.messefrankfurt.com/frankfurt/de/messebesuch.htmlそれで、この時期ドイツ周辺の楽器業界は忙しくなる。僕もそういうわけで3月は多忙な日々を送っていた。僕はこのフランクフルトメッセにはいろいろ思い出がある。最初にグロトリアンの社長と面接したのもここだし、途中、K社にいた頃もこのメッセの準備をしていた。面白いことに、メッセのサイトを探っていると、2年前のK社時代の写真がまだアップされていた。見てみたい・・・という好奇心旺盛な方は↓まで。http://musik.messefrankfurt.com/frankfurt/de/presse_1147.html?page=2&guid=mf_ddsp141_1505
2006.03.27
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今日、あるピアノ曲のCDがほしくなって、街中に出かけることにした。 僕が最初にブラウンシュヴァイクに来た頃は、クラシックのCDを置いている店がいくつもあった。特にSalzmannという本屋の3階は1フロア全域クラシックCD専門コーナーで品揃えも豊富だった。 それがクラシックCDを置く店が数年前から減る一方で、去年僕が再びこの町に戻ってきたときにはまともなクラシックの店は先述のSalzmannを残すのみとなった。ここはドイツの中でもクラシックに関しては満足のいく買い物のできる有数の店だった。 ところが今日Salzmannへ行くとCD売り場は閉鎖されていた。 案内板には、CD販売はGraffという書店へ譲渡したとある。 GraffはSalzmannから歩いて数分の大型総合書店である。 さっそくそこへ行ってみた。 そのGraffのCD売り場を見て、愕然とした。フロア片隅の狭い敷地に半分は廉価盤がずらりと並べられ、もう半分に申し訳程度の普通盤。たとえば、ベートーヴェンなどは交響曲とピアノ曲は分けて並べているのが普通だが、全部一緒に一列すっぽり。他の作曲家も同じ。 モーツァルトイヤーにちなんで、モーツァルトコーナーだけは特別に飾り付けられていた。 ・・・というような貧弱さであった。 これはクラシックCDが売れない、つまりドイツのクラシック音楽愛好家の激減を物語っていると思う。 ドイツは「楽聖」たち所縁の場所が多い国。 それゆえ、クラシック音楽のふるさとのひとつに数えてもいい。 しかしこのありさま。ドイツに眠る楽聖たちの嘆き声が聞こえてくるようだ・・・
2006.03.21
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僕の仕事部屋初公開・・・長い間、ピアノ業界は冬の時代であった。それが、最近はこの通り、仕事だらけだ・・・どうしたことか、最近景気が良い気がする。もちろん、いまだ不景気な話もたまに聞きはするが、明らかに数年前とは状況が変わっている。ピアノの世界も春が来るのかな・・・まだ雪の残る道を歩きながら、春の到来を待つ今日この頃・・・
2006.03.10
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ドイツにはじめて来た時、音楽雑誌を買ってそれでドイツ語を勉強しようと思ったものである。最初はドイツはクラシック音楽の盛んな国だから少なくとも日本と同じくらいの種類の音楽誌がそろっているだろうと思い込んでいた。しかし、ドイツで思いつくピアノの雑誌と言えば「PIANO NEWS」くらいだ。これも隔月の発行である。それではドイツではどんな雑誌が売れているのか。この図はFOCUS誌の記事にあったものだ。FOCUSとはDer Spiegel、Sternと並ぶドイツの代表的ニュース雑誌である。日本ではDer Spiegelが一番有名だが、3大ニュース誌の中では読者数は最も低く、このランキングでは第5位につけている。これらのニュース誌の間を縫って上位につけているのはテレビ雑誌である。テレビ雑誌というのは大体2週間分のテレビ欄と、放映する番組の見どころ、ドラマや映画のあらすじなどを載せているものである。日本の感覚ではこういった雑誌が発行部数の上位につけているのは不思議に思える。これは、日本のように新聞を毎朝取っている家庭があまりないことが背景にあると思う。僕は最近はテレビを手放してしまったが、やはりテレビを楽しもうと思えばこういったテレビ雑誌は不可欠になる。以前は古いテレビ雑誌が部屋の中にどんどんたまっていくことがしょっちゅうだった。
2006.03.06
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最近、風邪がやんだりぶり返したりで、くしゃみをすることが多い。くしゃみをすると、つい「誰か僕のうわさ話をしているのでは?」と思ってしまう。この「くしゃみ→うわさばなし」であるがいわれはどこにあるのだろうか。ネットで調べてみると、昔からくしゃみというのはその発生の偶発性から、神秘的なものと思われてきたそうである。それでくしゃみで占いをしたりしたのが、やがて「くしゃみ→うわさばなし」につながったのだろうということである。ところで、ピアノの演奏会に行ってよく疑問に思うことがある。聴衆は我慢していても演奏中についセキやくしゃみが出てしまうことがあるが、ピアニストが演奏中にくしゃみをするところを見たことがない。僕は職業上、ピアノ演奏中のさまざまなアクシデントを目撃したことがある。プロのピアニストの演奏が途中で止まってしまったこと、楽器のトラブルなど。しかし、ピアニストがくしゃみをするのは見たことがない。演奏中には特別な緊張感が働くのだろうか。緊張と言えば、緊張で自律神経失調症になっておなかが痛くなることもあるだろう。演奏中に腹痛に襲われることはないのだろうか。これについては、あるピアニストの体験談を聞いたことがある。そのピアニストは演奏会の日、とてつもない腹痛になったそうである。しかしその演奏会は室内楽だったので自分ひとりの都合でそうやすやすとキャンセルはできない。それで舞台に上がることにしたのだが、本番が始まると不思議に腹痛のことは忘れられたという。本番が終わると思い出したかのようにトイレに駆け込んだらしいが・・・演奏中の精神や体の状態というのはとても不思議なものだと思った。
2006.02.28
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ドイツでは薬のテレビCMの最後には必ず次のような決まり文句が来る。Zu Risiken und Nebenwirkungen lesen Sie die Packungsbeilage und fragen Sie Ihren Arzt oder Apotheker.カタカナで書くと、ツー リズィケン ウント ネーベンヴィルクンゲン レーゼン ズィー ディー パックングバイラーゲ ウント フラーゲン ズィー イーレン アルツト オーダー アポティカーとなる。驚いたことにこれをわずか3秒ほどで言い切ってしまうのだ。ドイツに来たばかりの頃の僕はこれを聞いて、なんと本物のドイツ語は早いのだろう、と思ったものである。それで、これを3秒で言えればドイツ語がうまくなるような気がして、一時練習に励んでいた頃もあった。ドイツには日本と同じように多くの早口ことばがある。ドイツ語ではZungenbrecher(ツンゲンブレッヒャー=舌をこわすもの)と言う。一番有名なのは、やはり↓だろう。Fischers Fritz fischt frische Fische, frische Fische fischt Fischers Fritz.フィッシャーズ フリッツ フィッシュト フリッシェ フィッシェ、フリッシェ フィッシェ フィッシュト フィッシャーズ フリッツ これは定番で、僕もゲーテインスティテュートで教わった。「魚屋フリッツが新鮮な魚を漁る、新鮮な魚を魚屋フリッツが漁る」という意味になる。次は僕が個人的に好きなZungenbrecher。Rotkraut bleibt Rotkraut und Brautkleid bleibt Brautkleid.ロートクラウト ブライプト ロートクラウト ウント ブラウトクライト ブライプト ブラウトクライト = 紫キャベツは紫キャベツのままであり花嫁衣裳は花嫁衣裳のままである。最後に、上級者向け?Der Dünne Diener trägt die dicke Dame durch den dicken Dreck.Da dankt die dicke Dame dem dünnen Diener, dass der dünne Diener die dicke Dame durch den dicken Dreck getragen hat.デア デュンネ ディーナー トレークト ディー ディッケ ダーメ ドゥルヒ デン ディッケン ドレック。ダー ダンクト ディー ディッケ ダーメ デム デュンネン ディーナー、 ダス デア デュンネ ディーナー ディー ディッケ ダーメ ドゥルヒ デン ディッケン ドレック ゲトラーゲン ハット。=やせた召使がひどいぬかるみの中を太った婦人を背負って運ぶ。そこで太った婦人はやせた召使がひどいぬかるみの中を太った婦人を背負って運んだことをやせた召使に感謝する。
2006.02.23
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先日、カフェインの入ったシャンプーをこのブログで紹介させていただいた。カフェインが脱毛に効果があるというものだ。ところで、今日は理髪店に行った。理髪店はハンブルクの日本人の店しているところか、地元のトルコ人の店に行く。トルコ人の店を気に入っているのは、ヴィム・ベンダースの「ベルリン天使の詩」という映画で「散髪なら、トルコ人の店がいい」という台詞を聞いて以来、素直にそうなのか、と思ってそうしている。もっとも、白人の髪は薄く、東洋人の太い髪にはトルコ人のほうが慣れていそうだ・・・という単純な発想もある。それに値段も安く、腕もたしか。今日、そのトルコ人の理容師は僕の髪をつかむと、「ほう、太い髪だね」と言った。言われてちょっと鏡をみるとなんとなく頭皮が見えにくくなっているような・・・。まさか、そんなに早く太い髪が生えてくるわけがない。しかし、最近伸びたこともあるが髪の毛のボタつき感がある。そういえば、「このシャンプーの使用者の殆どは『使用を開始して数日で頭髪が太く強くなって行くのを実感できた』と言っています。」と書いてあった。カフェイン、効果あり・・・?
2006.02.20
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今日はバレンタインデーとのことで、みなさんバレンタインデーについて書いておられる僕も少し。先日、ポントンさんの日記を読んで以来、「サラリーマン川柳」なるものにはまり込んでいた。これを読むと、サラリーマンの悲哀がにじみ出てきて面白さとともに悲しさもこみ上げてくる。しかし、サラリーマンも決して悪いことばかりではない。良いこともある。それは、この1年に1度のバレンタインデーにちゃんとチョコレートを持ち帰ることができることだ。僕は調律師として入社する前は自他ともに認めるもてない男だった。だからバレンタインデーは縁のない日と思っていた。ところが、会社に入って最初のバレンタインデーの朝、机の上に少なからぬ数のチョコレートが!!添えられているカードには女の子らしいメッセージが・・・じーんと来た。義理チョコってこんなに良い物だったなんて・・・。もてない男にとっては感動的な出来事だ。・・・一ヵ月後、「おい中島、ちょっと来い」と上司に呼び出された。なんのことかと思いきや、上司の分のホワイトデーのお返しを買ってきてくれ、とのことだった。「俺みたいな年寄りが選ぶよりお前みたいな若者(当時)が選ぶほうがええやろ」とか何とか言われてホワイトデー前日は上司の使い走りの日となった。ところで、日本ではバレンタインデーに女性がチョコレートを男性にプレゼントすることになっているが、ドイツでは男性が女性にプレゼントする日なのであった・・・。
2006.02.14
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かつてドイツに来て数ヶ月ほど経ったとき、会社で簡単なクリスマスパーティーを行ったことがある。その時出てきたのが焼いた豚肉にソースをかけたものにクヌーデルと紫キャベツだった。僕の目の前にいた同僚が、これはドイツでよく食べられているものだよ、と説明してくれた。それはいいのだが、「まあ、これはドイツの寿司だ」と付け加えた。彼も軽いご愛嬌のつもりで言ったと思うが、なんだか日本では毎日の食卓に寿司が出てくると思われているようでおかしかった。だが、それでは何が日本を代表する料理なのか、と考えるとこれも結構難しい。先週末、デュッセルドルフへ向かう列車で食堂車を利用した。テーブルの上には一枚の広告が敷かれてあった。それは一見するとサッカーのワールドカップに因んだものだったが、よく見ると「Kochen wie ein Weltmeister」という料理本の広告だった。この本は出場選手たちの好物料理のレシピを載せたもので4月末に発売になるという。そしてこの食堂車ではその本で紹介されているいくつかの料理を期間限定でメニューに加えるということだった。広告の右半分には6月18日ニュルンベルクでの日本対クロアチアの試合の情報と高原直泰選手の紹介文があり、その下に「日本の人気料理」として「豚の生姜焼」が出ていた。(正確にはSchweinefleisch mit Ingwer und Reis)残念ながらこれを見つけた時には別の料理を注文してしまっていたので、どんなものが出てくるか試すことはできなかった。豚の生姜焼と言えば洋食屋やレストランなどのランチメニューに入っていて、日本の代表料理とは言えないまでも、少なくとも僕にとって寿司に比べればはるかになじみがある。考えてみると純和風の料理って案外普段食べていないものだな、と思った。
2006.02.13
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昨日はハノーファーで用事があり、駅で僕の列車の着く時間に待ち合わせの約束をしていた。仕事が終わってブラウンシュヴァイクの駅に行くと、思ったより早く着いた。予定していた列車は1時51分発のICだったが、1時21分発のREにも乗れる。こちらに乗ればハノーファーには当然早く着く。しかもREのほうが2ユーロ安い。しかし僕は頭がかたくて、一度予定して決めてしまうと、後でそれを変更するのがとても面倒くさくなる。それで予定していた1時51分発のICを待つことにした。それが間違いの元だった。ハノーファーを通るICは10分か20分ほど長い時間ハノーファーに停車する。それはICEへ、もしくはICEからの乗り換え客が多いからそうしているのだが、最近ICは平気で遅れて行ってハノーファーの待ち時間を短縮して元を取ろうとする傾向がある。この日のICも25分遅れてやってきた。しかも1時21分発のREが出た後に「25 min später」の表示が出た。もう少し早く案内してくれればREに乗ったのに・・・。幸い、携帯に相手の番号が入っていたので連絡することができた。僕は最近でこそMP3を聴くために携帯を持っているが、1年前までは「携帯を携帯しない男」という悪名(?)が高かった。もし、1年前この状況を迎えていたら・・・と思うとぞっとしないでもない。
2006.02.11
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科学や文明の進歩とともに人類はまた多くの毒をも生み出したとも言えるが、実際に人間という生き物は猛毒を吐くことがあるという話を今朝思い出した。思い出したきっかけは今朝トラム(市電)に乗ろうとした時。今日は時間ぎりぎりに停留所に着いたが、いつも時間より少し遅めにくる電車が今日に限って早めに出てしまった。寒い早朝に次の電車を待つのはストレスだ。とても腹が立ちそうになったところで、昔ある牧師が語った「怒り」についての説教を思い出した。怒っている人は本当に毒を吐くと言うのだ。19世紀末、ある心理学者がさまざまな感情の状態の人の息を集めて実験した。その集めた息を冷やすとその感情によって異なった色の沈殿物ができると言う。その内、怒っている人の息からできた物質は栗色をしていて、それをネズミに注射すると数分で死んでしまうらしい。また、一人の人間が1時間怒り続けると80人の人間を殺すことが可能な毒物が発生するということだ。反対に長い間父親を恨み続けて憎んでいたある女性が、あることをきっかけに心の底から許すことができたという。それまでその女性は長い間皮膚の病気を患っていたのが、その日から数日後に完治してしまったという。この牧師の説教の全容は覚えていないが、このエピソードは印象に残っていて、それからも、怒りそうになる時、感情のブレーキになってくれている。
2006.02.09
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おととい、駅のドロゲリーマルクト(医師の処方を要しないドラッグストア)で写真のようなものを見つけた。カフェイン入りのシャンプー、である。確かにカフェインは血の巡りが良くなるので頭皮や毛根には良さそうだ。僕はドイツに来て間もないころからこのAlpecinのヘアトニックやシャンプーを愛用していたが、カフェイン入りというのはなんともインパクトがある。早速衝動買いしてしまった。こういった何らかの効果を感じさせるシャンプーというのはえてして必要以上に刺激を感じさせるものが多いが、このシャンプーはそういったスッキリ感とかクール感のような刺激はない。広告ではあるが、すでに日本のサイトでも紹介されていた。 それによればシャンプーにカフェインを入れる、という発想はフリードリッヒ・シラー大学の最近の研究の結果によるもので、カフェインは弱った毛根を正常化するのに大きく役立ち、特に遺伝性の男性型脱毛症によって細くなった毛髪を太くするのに役立つという。
2006.02.07
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僕のPOPメールの方に去年あたりから銀行を名乗るメールが頻繁に届くようになった。銀行名はDeutsche Bank, Volksbank, Citybank, Postbankなど、ドイツでは一般的な銀行名である。どの銀行名であっても、同じ文章で次のようになる。Sehr geehrte Kundin, sehr geehrter Kunde,Der technische Dienst der Bank fuhrt die planmassige Aktualisierung der Software durch Fur die Aktualisierung der Kundendatenbank ist es notig, Ihre Bankdaten erneunt zu bestatigen. Dafuer mussen Sie unseren Link (unten) besuchen, wo Ihnen eine spezielle Form zum Ausfullen angeboten wird.http://banking.inchikiginko.de(←架空のアドレス)Diese Anweisung wird an allen Bankkunden gesandt und ist zum Erfullen erforderlich.Wir bitten um Verstandnis und bedanken uns fur die Zusammenarbeit.内容をかいつまんで言うと、銀行のソフトウェアを更新するのに改めてあなたのデータを入力する必要があるので、URLをクリックして書き込み画面にデータを書き込んでほしい。というものだ。こう聞けばどう考えても怪しいし、フィッシング詐欺の報道もかなりされているのでだまされにくいとは思うが、メールも本物の銀行の背景画像を使用したりして信用してしまいそうになる。また、そろそろ春になり、新しく海外赴任や留学でヨーロッパにこられる方も多いだろう。言葉になれないうちにこういうメールに出くわし、「erforderlich」とか「mussen」など強い口調で言われてつい・・・なんてこともありうると思う。ドイツ語圏以外でもおそらく上記のような内容でメールが送られたりしていると思うので、ぜひご注意のほどを・・・(上記引用文はURL以外原文そのままタイプしています)
2006.02.04
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昨日も今日も非情な目覚ましの音に無理やり起こされた。だいたい僕は目を覚ましてから出かけるまで30分ほどかかる。その間にすることは、朝食、ネットで天気(気温)を見る、洗面関連と言う感じである。人によって朝に何をするかはかなり異なっているようだ。ふと思ったのは、朝起きてからすることはその人をあらわしているのではないか、ということだ。たとえば身だしなみをきちんとする人は、髪のセットや化粧といったところに膨大な時間をかける。社会的関心の高い人は必ず新聞に目を通す。こんな風に分析していくと、いろいろバリエーションができそうだ。朝食を欠かさない → 目先の忙しさに惑わされず大切なことを欠かさない寝起きが良い → 何事につけ行動や決断が早く、人生の暁を見ることができる朝起きたら神に祈る → 本当に信仰的な人軽く運動をする → 健康やスポーツへの関心が高い人楽器などの基礎練習 → 基本を大切にする人コーヒーやお茶を飲んでゆったりする時間を作る → ゆとりを大切にする・・・など、いろいろ出てくる。なお、僕は心理学者でも占い師でもなく、右側の分析はただ当てずっぽうで言っているだけである。不思議なのは、毎朝の習慣はみなそれぞれどれだけ忙しくても行っていることである。それだけ、朝の忙しい時間というのはその人の価値観が反映されてしまうのだろう。逆に言えば朝の時間の習慣を変えることで自分を変えることもできるのかもしれない・・・と思った。
2006.01.31
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今日は1月27日。250年前のこの日に作曲家W.A.モーツァルトが誕生した。Googleを今日利用した人はご存知のとおりGoogleのデザインがモーツァルト風(?)になっている。モーツァルトが活躍したウィーンでは今日から三日間、市をあげてモーツァルトの生誕を祝うそうだ。モーツァルト・イヤー2006 ホームページさて、音楽と旅の生涯を送ったと言われるモーツァルトだが、残念ながらわがブラウンシュヴァイク市に立ち寄ったという形跡は見られない。しかし毎年開催しているBraunschweig Classixという音楽祭では、今年は意識的にモーツァルトを多く取り上げるようである。今まで僕がいた町で最もモーツァルトに関係が深かった町はマンハイムだと思う。モーツァルトが通っていたと言う教会が友人のアパート近くにあり、よくそこを通っていたが注意して見ないと、モーツァルトの名の入った掛札がわからない。ちなみにモーツァルトがコンスタンツェと出会ったのもこのマンハイムであった。
2006.01.27
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先日、日記で仕事部屋が変わったことを書いた。この部屋のもうひとつの特徴は孤立度が高いことだ。防音性が高いとも言えるが、中に閉じこもっていると周りで何が起こっているかさっぱりわからない。昼休みのベルも聞こえないくらいだ。当然、周りの人も中で何が起こっているのかわからない。今週は特に仕事が多くて、残業が続いている。今ある仕事はできるだけ今日中に終わっておこうと思った。定時の終業時刻が半時間ほど過ぎたころ、マイスターが来て、「今日も遅くなるのか」と訊いた。その時、「もうすぐ終わります」と答えてしまった。今思えば遅くなる、と言っておけばよかったのだ。仕事が一段落して帰る仕度をして部屋から出ると、シーンとして電気が消えていた。まさかと思って出口のドアを開けようとすると、案の定、鍵が閉められていた。つまり閉じ込められたと言うわけだ。事務所には誰かいるだろうと思い、電話すると営業をしている友人がいた。「僕だけど、工場に閉じ込められちゃった」「ああ、わかった、今開けにいくよ」とりあえずほっとして友人が来るのを待った。・・・しかし、待っても待ってもなかなか来ない。ひょっとして忘れられたのでは・・・。そう思った矢先、天井のほうからシューという音とともに霧状のガスが出てきた。これはアクション映画などでよくある密室の毒ガス・・・ではなく、木材の湿度を保つために自動的に作動する加湿器である。それでもこういうときは一瞬ドキッとする。しばらくして出口のドアが開き、友人が迎えに来た。あれからすぐ顧客からの長電話につかまってしまったそうである。外に出ると大雪だった。不思議と、雪の日は暖かいものだと思った。道が滑りやすくなって、車はノロノロ運転をしていた。
2006.01.25
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真冬が寒いのは当たり前。しかし、今日はまた特別だった。今朝家を出たら外の気温はマイナス13度。マイナス10度以下の寒さは久しぶりだ。北海道では特に寒いことを「しばれる」というそうだが、今日はまさにしばれるという表現がふさわしい。明らかに寒さとは違う、別の感触である。顔など、露出している部分が痛い。どれだけ厚着していても、容赦なく冷気が体内に浸透してくる。太って皮下脂肪が増えただけ、マシだったのかもしれない。もしかしたらドイツ人が太るのは寒さに抵抗するための、自然の摂理なのかもしれない。神様がくれた防寒具・・・そう思うと最近出始めたこの腹にも愛着がわくというものだ。
2006.01.23
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まずはこちらのニュースから↓国際的な競売会社「ボナムス」は17日、元ビートルズの故ジョン・レノンさんが手書きした「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の歌詞の競売を始めた。落札予想額は「200万-250万ドル(約2億3000万-2億9000万円)」とみられる・・・http://www.oricon.co.jp/news/music/9494/紙にサラサラと歌詞を書いたものにすぎないが、さすがジョン・レノンのものとなると値段のつき方が凄い。ところで、最近は何かを書くとき、パソコンやワープロを使用する人が多いと思う。10数年前、芥川賞を受賞した作家の小川洋子さんが作品を書くのにワープロを使うと言っていたのを聞いて、いまどきの芥川賞作家はワープロを使うのか・・・と妙に感心した。昔の文豪の部屋にはボツになって丸められた作品のくずがそこらじゅうに散らばっている・・・というイメージがあったのだが、それも昔の話なのか。パソコンの普及とともに、楽譜も手書きしない人が増えたのかもしれない。実は僕もここ10年、楽譜はほとんどパソコンを使用している。細かいメモ書きなどは手書きのほうが融通が利いて楽だが、やはりパソコンの楽譜は見やすい。プロの作曲家の人はどうしているのかはわからないが、手書き楽譜の出番は減っているではないかと思える。しかし、昔の作家が手書きで残したものというのは、値段をつけるまでもなく、ロマンがあっていいものだ。ベートーヴェンやバッハの手書きの楽譜を見るだけでも、何か感動させるものがある。今、現在の作家、作曲家が後世に名を残すことになっても、このような手書きの遺産が少なくなりつつあるのはやはりさびしい気がする。
2006.01.19
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特別猫舌というわけでもないが・・・スープを作って飲んだら・・・舌が軽く火傷を負ったようになった。ドイツの習慣に逆らってスプーンを使わずに飲もうとしたのがいけなかったのか・・・。これから2,3日舌が痛くて食事が楽しめないのが辛い。
2006.01.18
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今年から仕事部屋が変わった。前はグランドピアノ1台入れるのがやっと、という部屋だったが、今度はコンサートグランド2台入れてもまだ余裕がある大きな部屋だ。何だか日本人の性格なのだろうか、うさぎ小屋のほうが落ち着く・・・。僕は猫と同じで環境が変わるのをあまり好まない。とは言え、仕事は数段しやすいので文句を言ってはいけない。今度の部屋は搬入口の隣なので、担当者が席をはずしてると、搬入に来た業者は僕のところにまずやってくる。まだどの業者がどの担当者に連絡すべきか把握してないので、何だか新入社員の気分・・・。落ち着かない。まあ、早く慣れるよう頑張ろう。また、この部屋は木材乾燥室(写真)とドア一枚でつながっている。とても暖かい部屋なので、体が冷えた時は少しここに入ってボーっとする。これは最近の小さな幸せのひとつ・・・。
2006.01.17
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恐縮ながら、また「TOKYO SUGOI」からネタを拝借・・・この本の巻末には10ページにわたる「Japanisch für Otakus」と題する日本語講座がついている。オタク向けとあるだけに、いくつかの例文は実際のマンガから採用されている。その中でひとつ気になるものがあったので紹介したいと思う。それがこの、「絶対別れないから!!」という例文である。まず最初に、「絶対」と言う言葉。僕は「絶対」に相当する言葉としては「unbedingt」や「absolut」を思い出す。和独辞典にもそう載っている。ところが、ここでは「絶対」のドイツ語として「ganz bestimmt」という言葉をあてている。言われてみるとたしかになんかその方がすっきりしてる気がする。なるほど…と思ったのがまず一点。次に「これはちゃうやろー」という点。「絶対別れないから」を、Weil ich mich ganz bestimmt nicht von dir trenne!と訳している。「Weil~」というのは理由を説明する文である。つまり「~なのは、私があなたと絶対別れないからである」という解釈になってしまう。こういう解釈で上のマンガの会話を想像すると、少女「どうしていつまでも私につきまとうの?」少年「絶対別れないから!!」という感じになってしまう。しかしこの絵の場合、少女の方が別れ話をしているのにそれを断固として断っている風景にしか見えない。しかし、考えてみると日本語で断言するときに使う「・・・から」も、暗に何か文章をほのめかしているようにも思える。そこにかえって「断言」としての効果が生じているのかもしれない。最後はマンガの本質的な部分(?)を思わせるもの。後半を引用してみたい。ここに見るとおり文そのものを読んだだけでは誰が誰から別れるのか分からない。しかし、絵を見ればそれがすぐに明らかになる。このように分かりやすくマンガを構築するのも苦心するところである。絵は言葉の本当の意味を同時に語っているのである。…つまりマンガとは、文章だけでなく絵を見て初めて意味を理解するものということなのだろう。いままでマンガを読んであまりそんなことを考えたことはなかった。マンガの読み方がよく分からないという方もおられる。おそらく文章と絵から話をまとめるのに慣れていないのだろう。そう考えるとマンガも慣れないと結構難しいものかもしれない。
2006.01.12
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去年は「電車男」の影響もあり、オタクが脚光を浴びた年でもあったと思う。そのオタク風がドイツにも吹いてきたのか、最近オタク向けの東京ガイドブックが発売された。その名も、「TOKYO SUGOI」と称し、サブタイトルには「Koneko präsentiert den ultimativen Travelguide für Otakus (Konekoが贈る究極のオタク向けトラベルガイド)」とある。Konekoと言うのはドイツのマンガ雑誌のひとつ。 オタク向け・・・と思いきや、内容を見ると、はじめは東京(江戸)の歴史、地理で始まり、巻末は10ページにもわたる日本語講座 (Japanisch für Otakus)で終わるあたり、なかなか硬派でアカデミックだ。というより、茶の湯や仏教、寿司の作り方まで載ってるあたり、オタク文化と日本文化がごちゃ混ぜになっているもよう。しかし、読んでみるとよく調べてあって読み応えがある。編集者が日本に渡って長い間取材したとあることもあってなかなか真剣に仕事してるのが伺える。最初の「Von Edo zu Tokio」と題する東京の歴史の初めの部分を引用してみる。 東京近辺に人々が住みだした歴史は古く628年、隅田川の漁師の網に観音像が掛かり浅草寺の建立のきっかけになった出来事までさかのぼる。 12世紀末、平一族に属する者の一人が隅田川河口付近に砦となる家を築いた。その家主はこの場所に河口を意味する「江戸」と名づけ、姓も江戸とし、自ら「エド シゲナガ」と名乗った。彼の死後、江戸家の領地はしだいに広がるが、やがて子息たちの間で分割される。その子息のひとりの名は「シブヤ」といい、その名は東京の一区名として現在に受け継がれている。 1457年、様々な氏族同士の争いの中、太田道灌がちょうど今の皇居のある場所に城を築いた。このことから太田道灌は実質的に江戸の町の創始者とされる。・・・という調子で4ページに渡って江戸、東京の歴史が戦後復興のあたりまでつづく。なかなかマニアックである。(江戸の語源については広辞苑では全く違う説を唱えており、このあたり定説ではないようである)オタク向け旅行ガイドとあるから、当然秋葉原も載っているわけだが、他に新宿、渋谷、お台場そして浅草や築地などが載っているところなどはやはりドイツ人向けという感じがする。そのほか「Shopping Guide für Otakus」やコミケ、アニメショップの案内など一応オタク向けの体裁は整っている。下はJapanisch für Otakusのはじめのほう。応用編はマンガの台詞を使っていて、結構高度な気がする。わずか10ページほどでここまで理解できるようになるのだろうか・・・
2006.01.10
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Wir bitten um Verständnis...これはドイツの鉄道の駅でよく聞かれるアナウンスのひとつ。どういう意味かと言えば、ご了承お願いします。とか、ご理解ください。とかいう意味になる。たいていは列車の延着の案内だ。長距離列車が10分から20分遅れてくるのはさほど珍しいことではない。自分の乗る電車が遅れていなくても、駅で電車を待っていればたいがいどこかの列車が遅れていていつもこのアナウンスが流れている。さて、今日乗った電車は30分遅れだった。30分も遅れればその日の予定が狂う人も多いと思う。車内では待ち合わせの相手に電話して事情を告げる人が多かった。30分しか遅れてないのに、「もう1時間も遅れちゃって、大変なの」などとオーバーに言うおばちゃんもいた。今日僕はこの延着によってさほど予定に影響は出なかったが、今までDB(ドイツ鉄道)によって奪われた時間は計り知れない。実はこれでも、ドイツの鉄道はヨーロッパの中では時間に正確な方なのだ。今日、ハンブルクの教会でケンブリッジから来られた牧師が「ドイツの鉄道は時間に正確ですね・・・」と言っていた。イギリスの鉄道・・・想像を絶する世界だ。
2006.01.08
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昨日、上司から「明日から1週間実習生(Praktikant)が君のところに来る」と告げられた。何でもはるばるイタリアから来るとのこと。昨日は風邪でバテ気味で、頭がぼうっとしていたので軽く受け流していた。だが、しばらくして、イタリア人ということはドイツ語ができないのではないか、ということが気になった。実習生が来る前は結構いろいろ考える。例えば、どんな技術者か、どうやって研修しようかとか、気が合うかとか・・・今回イタリア人ということは、何語を話したらいいのだろうか・・・と考えた。イタリア語はできないし、英語だってかなりきびしい。今日、その実習生が上司に連れられてやってきた。ひと目みて、いかにも経験のありそうな面構えをした50歳前後の男性だった。二十歳前後の若者を想像していた僕は一瞬たじろぐ思いだった。年の割りに幼顔の僕と彼が一緒に作業しているところを見れば、どう見ても僕のほうが教わる立場だろう。幸い、ドイツ語の話せる人だったので、普段の仕事について聞いてみた。何でもトリノの楽器店に長く勤めていて、コンサートサービスなどもするとのこと。面構えだけでなく、本当に経験があるのだ。技術者としての経験は長いが、一台整音をあまりしたことがないので工場に勉強にきたとのこと。その人のキャラから見て、若造だからとなめるということはなさそうだが、顔をみると貫禄負けしそうだ。このベテラン実習生は「教えさせ方」がとてもうまかった。あえて僕が何かをしようとしなくても、自然に彼の身につけたいものが吸い取られていくような・・・そんな感じだった。そんなことを考えると、やはり僕のほうが教わる点が多いだろう。
2006.01.06
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昨日は風邪薬が効く・効かないということで日記を書き、それについてたくさんのコメントをいただいた。それらを読みながら、かなり前に製薬会社に勤める友人から聞いたこんな話を思い出した。「風邪を治す薬というものは未だ存在しない。」僕はそれを聞いたとき狐につままれた気分だった。なぜなら世の中「風邪薬」と称する薬はたくさんあるではないか。彼によれば、それらの薬は根本的に風邪を治すものではなく症状を和らげる補助的なものらしい。風邪を治すのはあくまで体の自己治癒機能によるものらしい。この話を聞いたのは10年以上前なので記憶違いもあるかもしれないが、たしかそう言っていた気がする。そして、もし「風邪の特効薬」なるものが発明されたら、それこそノーベル賞ものらしい。このように、世の中ありそうでいて未だにないもの、発見されていないものなどが多くあると思う。中学の時、数学の先生が「楕円を書くコンパス」の話をしてくれた。現在にいたるまで楕円の書けるコンパスは存在しない。だからもしこれを発明すればその人はきっと大金持ちになるだろう・・・と。それ以来、僕は時々「楕円コンパス」がどうやったらできるか考えていたが、もちろん今に至るまでアイデアは浮かんでいない。世の中、こういう種類のものは思っているよりずっと多いのかもしれない。現代は科学の進歩した時代、というイメージがあるがまだまだ進歩の余地はありそうだ。
2006.01.04
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先日ある日本人が「ドイツでひいた風邪にはドイツの風邪薬のほうが効く」ということを話していた。以前は、日本から持ってきた薬のほうが日本人の体質に合わせてあるから良いと思っていたが、どうやら病気のほうに着目して考える必要がありそうだ。それがどれくらい医学的な根拠があるのか、そもそもそんな根拠自体あるのかわからないが、僕自身最近実感している。風邪薬ではないが、最近日本から持ってきた某有名頭痛薬がほとんど効かない。しかし、ドイツの頭痛薬を服用すると不思議に治る。実は昨日から、新年早々風邪をひいている。元旦は割合気温が高かったのが、昨日急に冷え込んだ。そのあたりが影響したのかもしれない。それでアポテーケ(薬局)で風邪薬を買ってきた。一日2カプセル、症状がひどい時は3カプセルと、何となくアバウトなアドヴァイスをもらった。今服用2日目で、どれくらい効いているのかわからないが、とりあえず熱もないし、だるくもない。ただ咳が止まらない。ただこの薬、かなり催眠効果があるようだ。昨日は服用後1時間で強力な睡魔がやってきた。それで夜7時に就寝。今日も朝眠くて、休憩時間に仮眠をとったが、休憩終わりのベルに気がつかないほどぐっすり寝てしまい、同僚に起こされるしまつだった。・・・これ、睡眠薬として売り出したほうがよかったのでは・・・。
2006.01.03
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ドイツは日本より仕事納めが早い分、始まるのも早い。元旦だけ休日で、その翌日は仕事である。とくに今年は元旦が日曜日だったこともあって、何だか損した気分だ。ドイツには振り替え休日がない。・・・というわけで今日は日本の皆さんより一足お先に仕事初めであった。気をつけてはいたのだが、連休中はつい、夜更かし気味になる。昨晩は早めに寝ようと心がけたもののなかなか寝付けなかった。本当は、日本に帰って翌日仕事、というのが良い。日本でぐうたらな正月を過ごすと、ちょうどこちらの早寝早起きになる。とりあえず正月明けだからのんびり仕事しようと思ったが、新年早々鬼のように仕事があった。今月はアメリカでNAMM-SHOW、3月にはフランクフルトのメッセと、その準備もあって春まではバタバタしそうだ。せわしない年の始めである。
2006.01.02
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只今、こちらの時間で午後6時。日本では年が明けて2時間、ドイツでは新年まであと6時間。まわりでは気の早い人たちがすでに爆竹や花火を鳴らしている。ロングバケーションというドラマで森本レオが言っていた「天に向かって伸びていく、高い一本の木のような音」っていう台詞がいいな、と思った。これ、新年の抱負にしようかな・・・
2005.12.31
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この写真はパズル好きのひとにはおなじみ、ナンバープレイスである。ルールは、縦の列、横の列、3×3の小さなマスに1から9までの数字を入れるという、シンプルなもの。(詳しい解き方はこちら。)最近ドイツではこのナンバープレイスが流行ってきている。ドイツでは「数独(SUDOKU)」と呼ばれている。いつからこのパズルがあったのかは調べていないのでわからないが、僕が最初に出会ったのはだいたい10年ほど前ではないかと思う。その頃パズル雑誌が好きで病み付きになっていたことがある。特にナンバープレイスが大好きだった。このパズルはクロスワードのように予備知識は必要としないが、ただ考え抜くことが要求される。どんな難問でも、じっくり根気良く考え抜けば必ず答えが見つかる。これがこのパズルの良いところだと思う。物事を容易にあきらめない粘り強さを鍛えてくれる気がする。つまり、どう考えても行き詰っているように思えるのに必ず突破口がどこかにあるのである。難しい問題は本当に難しく、電車の中で解くのにデュッセルドルフからハノーファーあたりまで時間がかかったものもある。ちなみに上写真の32番は上級者用、33番は入門者用とのことである。
2005.12.30
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ドイツは日本より一足お先に仕事納めとなる。正月明けも早い。1月2日から新年早々仕事が始まる。2005年は3日からスタートだった。この日は今の職場での僕の復帰後最初の出勤日だった。仕事の内容は今まで習ったことの応用ではあったが、本当に毎日が勉強だったと思う。充実して、楽しい、あっという間の1年だった。そんな1年の締めくくりは3台のアップライトピアノの第1整音。工場に行くと、明らかにいつもより人が少ない。連休の前後に有給休暇をつけて多めに休む。日本の企業でこういうことをすると非常識だとヒンシュクを買うが、ドイツは当たり前。また、出勤してもいつもより早く帰る人が多い。僕が仕事を一通り終えたときには工場にはほとんど誰もいなかった。上司のマイスターと工場長に暮れの挨拶(?)を告げると、「来年の干支は何?」と聞かれたが、答えられなかった。一応こういうことは知っておかないと・・・と思った。(来年は戌)
2005.12.23
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今日、工場に出勤すると、ひとりの同僚が僕のところに駆け寄ってきた。「何か、昨日、日本語のメールもらったんだけど訳してもらえない?」見ると、彼の手には何かをプリントアウトしたような一枚の紙があり、そこには何やら日本語の文章が書かれてあった。この同僚(B)は工場に勤めるかたわら、テディ・ベアを作るのが趣味だったが、それが昂じてやがてネットで売れるようになり、さらにアメリカのテディ・ベアのコンテストで入賞して以来、世界的なテディ・ベアアーティストになってしまった。日本でも高島屋が彼の講演を企画して招聘したほどである。そういった事情で同僚Bは日本の業者と取引関係があり、頻繁に連絡していたのだが、普段は英語なのに今回はなぜか日本語。それで僕のところに持ってきたのだ。よくよく読んでみると、それは同僚Bに直接宛てたメールではなかった。その担当社員と同僚Bとの間での支払方法で交渉の経過と合意について上司に報告するもので、同僚BにもCCとして送ったものだった。しかしどうしたことか英訳を忘れていたのだ。それにしても、日本語だからといって分かると言うものではないことがよくわかった。業務報告なので業界用語がちりばめられている。幸いカタカナが多く、そのとおり発音すると同僚Bには理解できたようだ。専門分野の訳というのは難しいと思う。それは僕らの業界(ピアノ技術)でもそうである。日本の調律専門学校のいくつかは海外研修旅行を企画しているが、僕もそれに立ち会ったことが数回ある。その都度、通訳の苦労を目の当たりにする。もちろんプロの通訳士がつくのだが、この業界特有の用語がたくさんあり、いくらドイツ語が堪能でも理解できないことも多々あるのである。英語ならさまざまな分野に通じた通訳士がいるが、ドイツ語となると限られる。実は日本のピアノ技術用語はさらに難しい。例えば、鍵盤の深さ調整を「あがき」と言い、鍵盤の高さ調整を「ならし」と言う。 さらにややこしいのはヤマハとカワイで時々用語が違うこと。そのひとつの例は「ハンマーもどり」で、この言葉の意味が双方で異なっている。そう考えるとこの業界は日本語同士でも通訳が必要なのでは、と思いたくもなる。
2005.12.20
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ビールはほとんど飲まないのにビール腹の成長が気になる今日この頃・・・運動もそうだが、食事も節制を心がけないとならない・・・と、別にダイエットを意識したわけではないが、最近お米より春雨が多くなった。春雨なんてドイツでは入手しにくいイメージがあるが、実は普通にスーパーで売られていて、そばやうどんよりはるかに入手しやすい。写真の一番右にあるのはそのドイツのスーパーで売られているもの。ドイツでは「Glasnudeln」すなわち「ガラスの麺」という、なかなか洒落た名前で呼ばれている。僕は野菜スープに入れることが多い。カロリーが低い割には満腹感がある。ちなみに日本の春雨は馬鈴薯のでんぷんを使用していて滑らかな食感だが、ドイツで売られているのは緑豆を主原料とした中国式のコシのあるタイプである。春雨が気になりだしたのは、雑誌でカップ春雨の記事を読んで以来。残念ながらこの記事を読んだのは先月の帰国より後のことなので、日本で買い漁って試食というわけにはいかなかった。それで自分で味を想像しながら自己流のスープ春雨を作っていた。それがまあ、悪くはなかったのでたびたび食べるようになってきた。しかし、本物の(?)カップ春雨も食べてみたい。そうしてると、デュッセルドルフで「はるさめヌードル」が売っているとの情報を得た。早速先週末デュッセルドルフのREWEというスーパーに買いに行った。色々な種類を買いたかったのだが、この日はピリ辛チゲ味と海鮮シーフード味のみだった。食べてみると、自己流スープ春雨より味が洗練されていたのは言うまでもないが、意外に食べ応えと満腹感があった。それでいてカップめんを食べた後に感じる「罪悪感(高カロリー食品を摂ってしまったという・・・)」がない。むろんそれはカップに大きく書かれているカロリー表示の影響もある。しかし腹持ちは良くないようで、数時間後に空腹感を覚えるようになった。
2005.12.19
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市電の停留所から工場までは歩いて15分ほどかかる。この間には東西を結ぶアウトバーンが一本通っていて、その周りには畑以外ほとんど何もないガランとした土地である。そのため、ここはいつも強い風が吹いている。夏は涼しくて良いが、今のこの季節は冷風が吹きつけるので大変だ。それで、できるだけ工場の反対側にあるバス停のほうを利用するのだが、この場合10分早く家を出ないといけない。今日は早く出ることができなかったのでバスは利用できなかった。しかもあいにくの雨だった。電車を降りると、雨とともに激しい強風が吹きつけてきた。今日の風はいつもの比ではなかった。傘をさそうとしたのだが、風で壊されそうになり、まったく役にたたない状況だった。上着のフードを頭にかぶり、強く、冷たく吹き付ける雨に耐えて歩いた。このとき思い出したのが宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だった。あまりこの詩について考えたことはなかったが、この時は雨や風に負けないって相当なことなのだと実感した。というか負けそう。宮沢賢治がこれを書いたのは病床の中らしいが、この年宮沢賢治は工場に技師として勤務していたそうである。そう思うと、工場勤務している僕には親近感が沸いてくる。ひょっとしたら宮沢賢治も今の僕と同じように雨と強風の中を工場へと向かって歩いていたことがあるのではないか。そしてそのことを思い出しながら病の床にいた賢治がこの詩を書いたのではないか・・・・・・本当のところはわからないけど、そんな想像をしていると強風と豪雨の中でも何だか楽しい気分になってきた。雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジヨウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ
2005.12.16
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