ちょっと本を作っています

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第一章 身も心も捧げた女は飽きられる

第一章 身も心も捧げた女は飽きられる




若いうちは、可愛い女でいいんだけれど

若いうちはいいんです。本当に若いうちはね。

男性にとって分かりやすい女の子って、安心して付き合えるんですよね。

だって男の子自身が、若いうちは、女の子のことを本当の意味で理解していないから、自分の想像どおりに反応する女の子に出会うと、舞い上がってしまうのです。

彼女こそ運命の赤い糸に結ばれた女性だ。かけがえのない女性に出会えたって。


「キミでなきゃダメなんだ」

このセリフ、そのときは本当なのです。本心です。

いいのです、最初はそれで。

でもいずれは、何か違和感を覚えるようになってきます。

理由は単純です。一たす一がいつまで立っても二のままなのですから。


子供が大人に成長するように、人はいくつになっても成長しつづけていきます。

たとえ五十歳、六十歳になっても、精神年齢だけは成長をつづけるものなのです。

ところで、男性にとって、

「あれっ、オレの人生こんなものだったのかな」

と思う日は、意外と足早にやってきます。もちろん女性もそうですね。

世の男性にとっては、働き始めて数年どころか、数カ月もしないうちに、自分の歩み始めたレールのゆくえが、おぼろげながら見えてくるものなのです。

またそれを見きわめられないようだと、会社や社会という組織の中で、適合することができなくなってしまいます。

「マンネリなんだよね。最近すべてが」

「何か面白いことないかなー」

時間に追われ、バリバリ働いていても、なぜか空虚さが忍びよってきます。


そうすると家庭です。あるいは付き合っている女の子です。

変化を求めるというか、自分にない何かを、あるいは可能性を期待し始めます。

でも、身も心も捧げていたあなたは、分かりやすい女性です。

自分の求めたことには素直に反応してくれますが、ただそれだけのことに過ぎません。

可愛い女は、ただのアクセサリーの役割りと、便利な家政婦の役割りを果たしてくれるだけの存在になってしまいます。



思いは同じです。不満だって

もし結婚していたとすれば、最初の一、二年は、それでも楽しいでしょう。

二人だけの生活そのものが、目新しいのですから。

さらに子供が生まれて二、三年も、それなりのバラ色の人生が、つづいているかも知れません。

子はかすがいといいますが、幼児期の子供は一生分の親孝行を、かわいい仕草と、みるみる成長することで、果たしてくれるものです。


さあ、そのあとです。

ご主人の仕事も安定してきたとします。

それでも人間の欲というものは、これでいいなんてものはありません。

もし周りのご家庭より、若干収入が良かったとしても、やはり、もっともっとと願望だけはふくらみます。

使えるお金って、これでいいなんて限度はありません。

あればあったで、あの指輪も欲しい、このドレスも買いたいと、ますますふくれあがっていくものです。

かえって貧乏なほうが、あきらめも早いのが現実です。


「うちの人って、この程度だったのかしら。私がこんなに一生懸命、内助の功を果たしているのに」

実は、あなたが思っている以上に、ご主人は感じています。

疲れ果てて家に帰っても、何か面白くないって。

「オレはこんなに働いているのに、何だあいつは。家でゴロゴロしているだけじゃないか」

思われていますよ。あなただって。

成長していないのです。お互いの関係が。

一たす一が、子供が生まれたことでプラスアルファがついた程度なのです。

二人が一緒になったことによる、新たな可能性が見えてこないのです。

お互いの心の自立、そしてお互いの自分の人生への挑戦が、ないがしろにされてきたのではないでしょうか。


私は、女性が仕事をつづけることに大賛成です。

お金のためではありません。自分を成長させるためにです。そして自分の世界を広げるためにです。

別に女性に限ったことではありませんが、グチとウワサ話に明け暮れる女性を見かけることが多いのは否めません。

あとはせいぜい子供の自慢話です。

本当に、それでいいのでしょうか。



あなたの住む世界、狭くなっていませんか

公園で子供たちを遊ばせながら、母親同士が井戸端会議を開催しています。

そういえば、公園デビューなんて言葉が流行ったこともありました。

「それでね。聞いてよ、うちの人ったら……」

「そうよね、うちのお爺ちゃんもね……」

会話を楽しんでいるようですが、まさに会話を楽しんでいるだけ。

お互いの会話がまったく噛みあっていない光景をよく目にします。

「そうね」「そうだわね」

と、お互いに相槌は打っているものの、ほとんど相手の話を理解していません。

自分の胸のうちに支えているものを、吐きだしているだけのことが多いのです。

それも、自分の言葉のリズムに酔いながら。

自分でも気がつかないうちに、住む世界が狭くなっていませんか。

話題が少ないというか、属する世界の狭さが、人生を窮屈なものにしています。


ウツ病の女性がどんどん増えているそうです。

もちろん働いていても、人間関係などのストレスからウツ病になります。

ウツ病って言葉を使いだしたのは、それほど昔のことではありません。

ノイローゼだとか自律神経失調症だとか、私は専門ではありませんが、いろいろと言葉が変わってきたように思います。

核家族化だとか、ニワトリの飼育小屋みたいに細かく区切られたマンションだとか、画一化されてきた食生活だとか、慢性化したともいえる不況だとか。

気持ちを追いつめてしまう要素が、さまざまなところに転がっています。


さらに自分の世界を狭くしてしまって、変化に乏しい生活をしていれば、誰だって、おかしくならないほうが不思議なぐらいです。

急に思い立って友人に会いに行ったり、コンサートへ出かけても、かえって疲れがでて、ウツ状態がぶり返すだけではないでしょうか。

日ごろから継続的に、自分の世界を広げる努力と、未知の世界へ一歩踏みだす気持ちが必要です。

やはりいまの時代の中では、ウツ病って言葉が適切なのかも知れません。



ブランド商品という月並み商品

そういえば、いつも不思議に思うことがあります。いわゆるブランド商品のことです。

街中を歩いていたり、電車に乗っていると、ありとあらゆる女性がブランド商品を身につけたり、手に持ったりしています。

それも、一目でどこどこ商品と分かるブランド商品です。

老いも若きもと言い切ることさえできます。

私はあれを見ると、中学生や高校生がセーラー服だったころの、制服を連想してしまうのです。

自分の個性に合わせると、これしかないと思って身につけているのならいいのですが、ブランド商品ならどこへ行っても、「まあ無難だ」と思っておられるように見えてしまいます。

一昔前、結婚式でもお葬式でも、中学生や高校生は学生服で出席したものでした。

あれと同じに思えるのです。それも安くはないのでしょう。

そんなもの身につけるぐらいだったら、安くてもいいから、自分の個性を演出できる洋服やバックを身につけたほうが、よっぽど素敵なんですけどね。


この本の巻末に、私が出会ったイイ女列伝を載せています。

その人たちの共通点は何かと考えると、これが実に何もないのです。イイ女には、共通点がない。

不思議ですね。月並みで、あまり記憶にも残らない女性ほど、共通点がいっぱいあります。

個性ってのは、結局は他人との相違点があるってことです。

悪い意味での相違点は困りますが、清潔で身奇麗でありさえすれば、その人なりのファッションや装身具って、周りを楽しくさせるものです。

そうそう、神田うのさん。彼女や梅宮アンナさんは、月並みなブランド商品だから合うのです。

彼女たちの顔をよく見ると、けっこうキツイ目鼻立ちですよね。

いかにもブランド商品ですって一般性を持ち込んでいるから、何とかバランスが取れています。

叶姉妹も似たり寄ったりです。

スタイルがいいでしょうって? そのように思っているのは、女性がほとんどです。

女性って飾り物ですか? たまに見るのならいいですが、毎日彼女たちといたら、暑苦しいだけです。

それほど男性もバカではありません。



スタイルがいいだけじゃねー

そう、それからエステやダイエット。凄いですね、いまや一大産業です。

私も一応は男性ですから、悪いことだなんて思ってはいません。

キュートでスタイルのいい女性を見かけると、やっぱり振り返ってしまいます。

でもそのような女性でも、話題も何もないような女性では、願い下げです。

お付き合いを始めて一週間も立たないうちに、こちらから連絡をしょうなんて思わなくなる女性が多いのです。

友だちに頼まれて、合コンに女性を集めてくれなんて言われたときだけは、すぐに連絡はしていますけどね。

自分でお付き合いする気はどうも……。

やはり何か刺激を与えてくれる女性。新しい世界を垣間見させてくれる女性のところならば、相手が年上だろうと、美人じゃなくても、どんなに太っていても、いそいそと出かけていきます。


これって、相手が男性の場合でも同じじゃないでしょうか。

そりゃ友だちに紹介するときは、むかし流行った三高の男性のほうがいいでしょう。

あるいは結婚するにも、三高のほうがいいに決まっています。

でも二人だけになったとき、話題の何もない男性なんて、花ビンに生けた造花程度の役割りしか果たせませんよ。

それも、すぐに色あせてしまいます。


それにね。意外と意外で男性って、ふくよかな女性のほうが好きなんですよ。

そりや三段腹は見たくはないですけどね。

少なくともスマート、キュートの基準が、女性とは三割近く、違っているのではないでしょうか。

とくに少々年齢を経てくれば、たとえ妊娠線が浮きでていようと、三段腹だろうと、女の勲章と思えばどうってことありません。

文句をいう男性には、「そーんな、おんなに、だーれーがした」と、藤圭子の歌でも歌ってやればいいのです。


肋骨の浮きでた女性なんて見たくもないですよ。

これって、私の嗜好だけでもないのです。多くの男性に聞いてみて、同じ答えが返ってきました。

武士は食わねど高楊枝じゃないですが、少々太めのほうが、

「私、余裕をもって生きています」程度のアピールにはなりますよ。

アクセサリーとしては、スマートで遠くからも見栄えのいい女性。

真剣に付き合うなら、ふくよかで包容力のありそうな女性です。

だって生活を共にするなら、ギスギスした女性よりも、おだやかでホッと安心のできる女性のほうがいいに決まっています。

家に帰ってまで、外見を気にすることもないですからね。


そういえば、ちょっと気になるのですが、以前はふくよかな女性は、おっとり型の温和な人が多かったように思います。

逆に、痩せ型の女性には、神経質な人が多かった印象があるのです。

最近は違うのですよね。感受性が強すぎて、神経を病んで肥満体質になる人が多いようです。

これも現代病の一種なのでしょうか。

だとすると、ダイエットの前にリラクゼーションのほうが大切なように思います。



あなたが世界の中心なのです

いい女の条件ですか? どうすればイイ女になれるかって。

これから私の書くことは、私にとってのイイ女です。

別にあなたの恋人でもありませんから、私の好む女性が、すべての男性が求めている女性とは限りません。

それに私は、無責任男の典型ですからね。

でも、参考にはなるでしょう。ありとあらゆるものを吸収しなければ、飛び抜けたイイ女にはなれないです。


まずは家庭的な女性が一番です。

なんだ、話が違うだろうって思うでしょうが、でもこれが大切なことなのです。イイ女の基本中の基本です。

土台がしっかりしないと、白亜の宮殿は建てられません。 

平塚らいてふの「原始、女性は太陽だった」って言葉を知っていますか。

まさに女性は人類が生まれたときから、この世の中心だったのです。

卑弥呼だって一つの国の中心にいたのですよね。


いくら核家族化が進んだといっても、多くの人たちが結婚をして、小さいながらも自分の家庭を築きあげています。

キャリアウーマンの独身女性も増えてはいますが、たとえ一人暮らしの独身とはいえ、そこにあるのは自分の家庭にも似た空間です。

男性のほうは、残念ながら出稼ぎ稼業です。

結婚していて、帰る我が家はあるものの、そこは主要な生活の場とはいえません。

まして独身の一人暮らしなんて、ひどいものですよ。

まさにネグラです。寝るためだけの部屋。カップヌードルの化石が、あちこちに点在しています。

女性を連れ込もうなんて下心をもっている男性の部屋は、知りませんけどね。

狩人とたとえたほうがいいかも知れません。

一日中森林の中を徘徊して、捕れた獲物を巣へもち帰る習性があります。

哀れなものですよ、働き蜂なのですから。

女性はすべからく女王蜂です。中心なのです。自分たちの種の存続と、人生と、人間関係にとって。

生活臭漂うってのはゆきすぎですが、まるっきり生活の臭いを感じさせない女性って、無味乾燥なドライフラワーにすぎません。



あなた、魔法の杖を持っているんですよ

ギュッと抱きしめたい女性って、あるいはその懐に飛び込みたいような女性って、やはり家庭的な雰囲気を漂わせているのです。

これはバリバリのキャリアウーマンであっても同じです。

何か自分の守るべきエリアを巖として持っている。そこには女王としての、彼女の世界しか存在しない。

これが一番の女性らしさだと思います。

男性には、望んでも手に入らないもの。母親のような存在ともいえますが、ちょっと違います。

侵すべからざる生活習慣と城を持つ存在といえるでしょうか。ちょっと分かりずらいですかね。

戦の前のひとときの安らぎが漂っているような。そして故郷のような。

忘れようと思っても忘れられない原風景のような世界です。

男性にとって、自分では手に入れることができなくて、女性と伴侶になることによってしか手に入らないもの。

だから何としても守り抜きたいと夢中になるのです。


そのような、女性にしか作れない自分の世界を、どのように築きあげるかは、いまさら説明の必要がないでしょう。

生まれつき、あなたは備えているのです。

部屋の掃除やインテリアや、料理やベランダの草花たちも、あなたの魔法の杖で、一瞬にして整ったり、甦ったりしているではありませんか。

でも、もっともっと自分の好き嫌いや好みを、鮮明に打ちだしてもいいのかもしれません。

それがあなたの個性なのですから。

問題は、より自分らしく演出することを、常日ごろから考えつづけることです。よりあなたらしく。


みなさん忘れているのです。小さかったあの日、あなたはいろいろなことを想像したでしょう。

白馬に乗った王子様が迎えにきてくれる夢や、温かい家庭を築きあげる自分を。

思い出してください。あなたの夢は正夢なのです。

主人公のあなたが忘れていて、誰がその夢を実現するのですか。

いまからでも遅くないなんていいません。いまだからこそ実現可能なのです。

もう十分すぎるぐらい見てきたでしょう。夢見るだけだけでは、何も進まないことを。

あなたしか魔法の杖を持っていないのです。

あなたが魔法の杖を一振りすることを、みんなが待っているのです。



夢見る女性はミステリアス

想像の世界を広げてみませんか。

そうなのです。つぎのイイ女の条件は、夢見る女性です。

白馬に乗った王子様を夢見てもいいかも知れません。

自分を幸せにしてくれる足長おじさんを待ちつづけても。それこそ、幾つになってもです。


先ほど書いた家庭的な女性って、どこか現実的ですよね。

それこそ戦争が起きようが天変地異が起ころうが、どこにでもどっかりと自分の根を生やしている存在です。

その対極にあるのが、夢見る少女です。

少女と書きましたが、七十歳になっても八十歳になっても、夢を見つづけている女性って、男性にとって可愛いのです。

ここでの可愛いって表現は、イイ女の可愛さです。

流れゆく雲を見ながらの一言のつぶやき。インテリア売り場でのお気に入りを見つけたときの感嘆の声。子猫たちを見るまなざし。

その一つひとつから、その女性の精神世界の広がりが感じられます。

それも、違うのです。男性の本来もっている感覚と。

その置かれた環境の中に根を生やして、自分の世界にしてしまう能力と、空想を広げる習性。

男性にとって、これが女性のもつ一番ミステリアスで、魅力的な部分です。


意外と違うのですよ。男性が夢見ることと、女性が夢見ることって。

同じようにディズニーの映画を観たとします。たとえば、あなたは彼氏と、白雪姫やピーターパンを観ました。

そこであなたに伺いたいのです。

映画を観ているあいだ、あなたは誰の立場で観ていましたか? 

白雪姫本人でしょう。ウェンディーでしょう。王子様じゃないですよね。

ピーターパンとも違ったでしょう。

そうなのです。根本的に視点が違うのです。


これまたちょっと分かりずらいかもしれませんが、女性はさまざまな可能性を夢見ることで幸せになる。

男性はヒーローに成りきることによって自己陶酔に陥る。そのように私には思えるのです。

男性があなたに求めているものは、自分と同じ感性ではありません。

もちろんお互いが、相手のことを理解する努力は必要ですが、同じであることを求めているとはいえません。

お互いの違いを理解することで、新たな心のシンフォニーを奏でたいと期待しているのではないでしょうか。

だから神様は、男と女の体型さえも、異なったものに創りあげたのです。

体型以上に感性には、大きな違いがあるのです。



男性と女性は、根本的に違うのです

私がこのことに気づいたのは、実は官能小説を手がけたときです。

女性の官能小説作家さんもけっこういます。

でも、女性の作家さんたちが持ち込んできた作品、まず最初は、使いものになりません。

ところが男性の作家さんが最初に持ち込んできた作品、これがいいのです。

男性の作家さんたちの最初に手がける官能小説は、満を持したというか、力作が目立ちます。

最初の作品がいいのは当然です。次々と書いているうちにマンネリ化しますからね。


このようなことを何度か経験しているうちに、ようやく気づきました。

私が男性の視点で読んでいることにです。

本を買う官能小説読者のほとんどが男性ですから、営業的にはこれでいいのですが、少なくとも女性向きではありません。

女性の官能小説作家さんたちは、やむをえず、じょじょに男性向けに書き改めて、ようやく採用されたにすぎません。

性に対するイメージだけでも、こんなにも違うのです。

女性の好む官能小説は、オムニバス方式が多いようです。

さまざまなシチュエーションを想像して、いろいろな自分を想像するのでしょう。

男性の好む官能小説は、主人公が決まっている場合が多いのです。

男性は性格づけの決まった主人公に成りきります。

官能小説の話ではないですが、高倉健さんの映画を観た男性が、肩をいからせて映画館を後にするのもよく分かります。


あまり例えは良くなかったかもしれませんが、当然のごとく女性は女性です。

女性の本来持っている感性が、自分自身を磨きあげるのではないでしょうか。

より自分らしくなるためには、見映えだけでは足りません。

限りなく想像空間を広げつづけていくことが、あなたの表情や仕草を豊かなものにしていきます。


それも、大してムリすることもないのです。

出発点での視点が男性と違うのですから、いまのままいろいろと想像するだけで、男性にとってのあなたのミステリアスな魅力が増してゆきます。

やはりそのためには、本の世界でしょう。

出版屋の私がいったのでは我田引水といわれてしまいそうですが、小説などが広げてくれる未知の世界は、あなたを豊潤な夢の大地へと誘います。


映画などもいいことはいいのですが、映像はイメージが鮮明すぎるきらいがあります。

最近では3Dだとか、バーチャルリアリティーなどといって、コンピューターグラフィックスが想像の世界を、よりリアルな形へと映像化しました。

いままでは、それぞれが自分なりに想像していたものが、同じ映像イメージを共有することになってしまったのです。

でも、これはこれで、新たな想像の世界を予感させてくれるのですから、いいことでもあります。

でも、本の世界はもっと素晴らしい。

文章の行間に、あなたの想像する余白が、たっぷりと残されているのですから。



女性は信頼性を求め、男性は根拠を求める

ものはついでですから、男性と女性の感性の違いについて、思ったままをもう一つご紹介します。

最近まで、健康食品などを扱った、いわゆる健康書をいくつか手掛けてきました。

当然、どのようにすれば売れるかと必死になって考えます。

このようなとき私は、対象読者の購買傾向に注目します。

あくまで私の感じたままなので、違っているかもしれません。

もちろん科学的裏付けがあるものでもありません。


結論を先に言うと、女性は、どのような人が書いた本なのかに、まず注目します。

信頼できる人なのかどうか、著者の品定めです。そのあとは結論だけを求めます。

極端な話、ものごとの説明は飛ばし読みして、結論を見つけて納得します。

一方、男性はというと、説明の根拠をまず読み取ろうとします。

これまた極端な話、根拠として示された数値や調査方法が間違っていても、しかつめらしい根拠が列記してあると、意外とすんなりと納得してしまうのです。

この違いは、最初にお断りしたように、あくまでも私の受けた印象です。

でもこれらの違いをイメージしながら、女性に読ませたい本は、著者の人柄や人間性に力点を置いて作ると、思いどおりに女性が飛びついてきます。

男性向けの健康書も、前記のように結論に至る根拠について力点を置いて本にすると、またまた売上げが伸びるのです。


以上のようなことが、何に基づくのかは分かりません。

また一人ひとりの個性によって、女性だからといって、ここに書いたような傾向を示さない人も少なくありません。

男性についても同じことがいえます。

あくまで、マスで見た場合の一般的な傾向でしかありません。

でもこのような微妙な違いが、日常的な男性と女性のものごとの見方、考え方にも影響していると思うのは、考えすぎでしょうか。



もっと自分を演出してみたらいかがですか

つぎには、違いの演出できるイイ女になってみてはいかがでしょう。

自分のホームベースとしての生活空間の構築と、自分の精神世界の、深くて広大な広がりを求めつつ、つぎにやらなければいけないことは、自分の存在感の演出です。

自然の中を飛び回っていた原始時代や、人口の少なかった過去の時代と違って、いまでは、人間関係を抜きに、人生は語れません。

周りに良く思われたいという感情は、人間社会においては、不可欠な要素です。

お互いがそのように思うからこそ、人間関係が成り立ち、共に暮らすことができます。

ただその人間関係の中で、あなたがどのような存在なのかが問題です。


いてもいなくてもいいような、空気のような存在をお望みですか。ただのいい人だけでいいのでしょうか。

つぎつぎと演じられる人間ドラマの中の、通行人や買い物客といった、その他大勢の端役で満足ですか。

そんなはずはないですよね。

ヒロインそのものが、あなたの演じる役柄に、ふさわしいと思いますよね。

そうなのです。ヒロインとしての存在を求めて当然なのです。

もともと、あなたの人生劇場の主人公は、あなた自身なのですから。

ただしこれだけは、思っているだけでは実現しません。


私のお知り合いの、美人の誉れ高い某女優さんだって、すごいのですよ。

自分を売り込むために、必死の努力をしています。

主役の座だって、もちろんプロダクションやマネージャーの、昼夜分かたずの努力もありますが、それ以上に、結果は本人の努力です。

でもこの努力って、エステに通いつめるだとか、化粧に何時間もかけることではありません。

この女優さんは、美を競うことの空しさを、嫌というほど感じていました。

だってそうでしょう。芸能界には、綺麗なだけの人ならいくらでもいます。

さらに毎日毎日、新鮮で、生き生きした新人が、うんざりするほど押し寄せてくるのです。

「私こそ、つぎのスターだ」ってね。

個性の感じられない人は、芸能界だって、私たち一人ひとりの人生模様の中でだって、装飾品にすぎません。

大切なのは、その人らしさです。違いの演出できる女性って、それだけで存在感があります。

やはり、可愛いだけでは、ヒロインになることができません。



意外と見ていないんですよ、男性って

警察の捜査一課っていう殺人事件などを扱う部署で、私の友人が働いていました。

「目撃者が男性の場合、ほとんどの人が、服装も、髪型も、背の高ささえ思いだせないんだよ」

「でもこれが、女性の目撃者の場合は違うんだよ。なんでそんなところまで観察していたのかって、呆気にとられるぐらい、覚えてくれていることがあるんだよね」

そんなものなのですよ。世の中の男性って。

やはり女性は、異性の人の観察だけじゃなくて、同性の人の化粧法やファッションなど、よく見ているものなのですね。


「ああ、私も今度はあんなお洋服にしよう」

「よしよし、今日は私のほうが勝ったー」

なんて思っているのではないでしょうか。


いつも五分程度でバタバタとすませているお化粧の時間を、今日は気合を入れて、三十分の時間をかけたとします。

果たしてどの程度の違いがあるのでしょう。

その日のお化粧に自信をもてたら、それは気持ちもシャキっとして、表情が明るくなるかも知れません。

それはそれでいいことです。元気一発オロナミンCぐらいの効果はあるでしょう。

でも、お相手は分かってくれているのでしょうか。


「ねえ、このお洋服いいでしょう」

「ちょっと髪型を変えてみたんだけど、どうコレ」

あなたが聞いて初めて、ちらりと見て、

「ああー、似合っているよ。いいんじゃない」

せいぜいそんなものじゃありませんか? あなたの恋人やご主人は。


「今日のキミは素敵だね」

「いやー、見違えたよ。綺麗だよ」

こんなセリフを聞いたときは、注意したほうがいいですよ。

もし相手が恋人ならば、今晩あたり危ないっ。

相手がご主人なら、たぶん小遣いを増やしてくれって言いだしますよ。ホント。



個性って創るものなのです >

ここで言いたいことは、単に外見的に飾り立てることだけでは、ほとんど個性の演出には役立たないということです。

繰り返しますが、意外と見てくれていないのですよ、男性って。

このことを知っておくってことが、大事なことなのです。


最初に出会ったときに、あなたの値踏み、評価の参考にする程度なのです。

二度目に会ったときには、『よしよし、オレの目も間違っていなかったな』程度の再確認です。

その次に会ったときですか? あなたと二人だけなら別に気にもしていません。

たまたま友人などが一緒のときは、『どうだ。オレの彼女、イイ女だろ』って自慢したいですから、ちょっとは気にするかもしれませんけどね。

まー、そんなものですよ、男性って。

もちろん化粧もファッションも大切な要素です。あなたのトータルイメージを作り、個性を演出するうえではね。

でも、何か勘違いしているのじゃないだろうかと思う女性が多いのです。


『このドレスには、このバックが合うよね』

『えーっと、そうするとハイヒールはこちらのほうがいいし……』

『ネックレスは真珠が合うよね』

『だったら今日の口紅はこれにしよう』

これ、正解は正解なのです。中身のあなたさえいなければ完璧です。

ファッションのトータルコーディネイトの方法をよくご存知ですね。

中身がマネキン人形だったら、もっといいかも知れません。


なぜこれほど、ファッションが一人歩きしている女性を見かけるのでしょうか。

もっともっと、自分らしさを演出したらいかがなものでしょうか。周りの人たちに印象づけるように。

「でも私には、これといった特徴もないし……」

そりゃそうですよ。誰だって、目は二つに鼻一つ、耳が二つに口一つですからね。

際立った特徴なんて、頭にソリを入れるか、おでこに『○○命』なんて刺青をするしかないですよ。

個性って、演出するものなのです。自分で創ってしまうものなのです。



第二章


身も心も捧げた女は飽きられる


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