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2019.06.07
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カテゴリ: 60歴史

この「学び活かす」ブログで、縄文時代について連続投稿したことがありました。

縄文時代から弥生時代、古墳時代、飛鳥・奈良時代へと続いていくわけですが、「縄文時代・縄文人」のことを調べると、縄文から弥生へ移る「時代のつなぎ」の時期のことが知りたくなってきます。これからの内容は 2019 4 24 日NHK 「英雄たちの選択 追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー」の番組をわたしが「書き起こし」したものですが、磯田さんが「昭和」「平成」「令和」のように縦の線で時代を分けることはできないといわれていましたが、まったく同感です。特に、文字も残されていない時代において、その歴史等を遺跡や埋蔵物などで推定をしていくわけですが、縄文時代と弥生時代のつなぎ部分というか、多くの渡来人、稲作などの伝播にともないどのような変貌をしてきたのかについて示唆していただいた番組だったと思っています。

<縄文時代・縄文人のブログ投稿>

2019/5/15 「縄文人の顔復元」そのルーツを探れ!☆彡

2019/5/16 「縄文時代」のすがたを調べてみたい!☆彡

2019/5/17 縄文時代の文献、映像をまとめてみた!☆彡

2019/5/18 「縄文人の生活」を見てみよう! NO.1 ☆彡

2019/5/19 「縄文人の生活」を見てみよう! NO. 2☆彡


「英雄たちの選択 追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー」>  2019 4 24

杉浦友紀アナウンサー、磯田道史(国際日本文化研究センター准教授)、考古学者松木武彦 ( 国立歴史民俗博物館教授 )、 脳科学者中野信子 ( 東日本国際大学特任教授 )



<縄文から弥生へ「原始ニッポンの通説が大きく変わる!>

縄文や弥生は言葉や文字の記録がほとんどない時代、その時代の人々の生活は遺跡から出てくる発掘物、遺物それから読み解くことが大切です。 ( 磯田氏 )

弥生時代を一方向的な発展の時代と考えてきたこれまでの考古学ってそろそろお蔵入り? ( 松木教授 ) ともいわれていました。

本日は青森県の博物館でみた縄文時代の土偶「座産土偶」が主人公です。

※縄文の代表する、遮光器土偶 ( 青森県亀ヶ岡遺跡出土;東京国立博物館蔵 )





<時代推移>

旧石器時代→縄文時代 ( 1万年 ) →弥生時代といわれる

縄文時代の1万年以上の部分が列島の歴史の基層、土台をつくっている。

元号であれば、「昭和」「平成」「令和」と縦に線を引くことはできるが、1本の線で区切れるものなのか。境目はいろいろなことがおこっているはず。縄文、弥生という時代の縦線について教科書も疑ってみようということだ。

大陸技術が西から東に伝播し原始日本をつくったといわれてきた。

青森県の「亀ヶ岡土偶」宇宙人と言われていた。古代には文字がないので、土器、釣り鐘 銅鐸などから考古学的探究をすすめている。

※弥生時代 2003 年、国立歴史民俗博物館 ( 歴博 ) の研究グループは、炭素同位体比を使った年代測定法を活用した一連の研究成果により、弥生時代の開始期を大幅に繰り上げるべきだとする説を提示した。これによると、早期のはじまりが約 600 年遡り紀元前 1000 年頃から、前期のはじまりが約 500 年遡り紀元前 800 年頃から、中期のはじまりが約 200 年遡り紀元前 400 年頃から、後期のはじまりが紀元 50 年頃からとなり、古墳時代への移行はほぼ従来通り 3 世紀中葉となる(wikipedia)

設楽博己 ( 考古学 ) 東京大学教授

北九州福岡市代 小さな土器の破片、妙な土器東北地方のものではないかと思ったが遺跡から出たものだった(福岡市雀居遺跡:ささい)。壺型土器の胴部だった。 ( cm × 5cm) 。漆で彩色。その文様が青森県亀ヶ岡遺跡出土)壺型土器の文様と類似の雲形文。文様一致、テクニック一も致 九州の人が見よう見まねで作ったたわけではない。三角の頂点を巧みにずらしているなど特徴が同じ。 2 つの土器の文様はほぼ一致した。何を物語るのか? 新しいものへの情報収集 ( 稲作 ) 自分たちの別の文化をみるため東北北部の人たち(縄文人)が土器を携え九州に来た といえる

また、赤と黒のうるしが塗られていた、雀居遺跡からも出土。黒うるしに赤ウルシで縁取り、東北で見つかっている。出土数が少ない貴重なものだ。 工芸品、九州の弥生人と東北の縄文人と交流があった ( 仮説 )

中野氏

2 つの疑問がある。

東北の人が稲作をどのように知ったのか

どのように長い距離を移動できたのか ( 造船技術 )

松木氏

2 万年以上も前にも移動がみられる。情報も移動するし、ヒトにのってくる ネットワークが想像以上に発達していた。

稲作これまで飲み込まれた人にもさまざまな選択、拒絶などのオプションがあり、少しづつ変わってきたといえる。→ 縄文から弥生への今日議論されている新しい時代転換のイメージ

磯田氏 

コメの味食べたら終わり→おいしいもの ( キャビアと一緒 高級食品 ) を求めて東北の縄文人が九州に来た。教科書では 弥生人からの目線で縄文人からみた歴史になっていない、

松木氏

弥生はイネと鉄といわれていた。 イネの伝播のあとに、500年くらい後に鉄が来た、西は弥生時代、東は縄文時代というのは教科書には書きにくい内容だ。

松浦アナウンサー

ある土偶に会いに行ってきた「八戸市是川縄文館です」。是川周辺の土偶、土器が600点展示、お目当ては特別の空間に展示してあった。体育座りしている、かわいい、国宝 合掌土偶 だ。生命力を感じる、座って胸の前で手を合わせている、しゃがむポーズ、太い眉毛、胸の表現、妊娠したときの正中線がある、女性の性器もあった→女性像だ。 祈りの土偶で「出産の姿勢」を示している、座って生むというのはあった、「座産」の土偶である。

日本古来の習俗の中に座って生むというのがあります。



寺前直人駒沢大教授

仮説だが、近畿地方の土偶に東北地方の土偶の影響があった。土偶のデザイン「型式学で」比較すると新しい歴史の切り口が見つかる。弥生時代を見る目を東から見てみよう、というのが最初のきっかけだった。各地の発掘の土偶の型式を調べた、地道な手作業で実測図製作をした。実寸大で描き、デザインの変遷をたどる。結果、近畿地方の土偶に東北地方の「縄文の土偶」の影響をみつけた。

「座産土偶」 だ。東北地方でデザインが変わってきた、足の部分が省略されてきた。岩手、宮城、青森→ 足のない土偶を大坂で突きとめた。

すると、 東北と近畿を結ぶ土偶 が赤野井浜遺跡(滋賀県)でみつかった。→ あることに気が付いた、足の上はがれているが、棒状のものが両手がひざの上にあるポーズだった。足の間に女性の性器→座産のポーズ、 東北 - 滋賀 - 大坂に東から西に伝わった物証 になった。座産は関西にも少なからず分布していた、安産の願いは変わらなかっただろう伝統のある儀式儀礼、信仰は安産の願いは小さな土製品に引き継がれたと考えている。


寺前氏がスタジオへ

是川の土偶は大きい、痩せている、栄養状態が良くない、厳しい状況で出産しようとしている姿が信仰の対象にもなった。

中野氏

メンタルのケアが必要→安産につながる

松木氏

型式学は考古学の基本。どうやって発展したか、文化は西から東へ伝わる西高東低だと思っている。 → 東から西に向けてどう退化していったのか 。今までの考古学者と発想が逆にみる新しい考古学者に期も待したい。

寺前氏

5%屈折土偶くらい少ない、姿勢をみただけでもポーズだけで目的が理解できる。

磯田氏

発展段階論 にとらわれていた、最先端の技術を持った人々の心の中に注入していく。祈りの形式が発展するのか?大事なことで、面白い視点だと思う。

縄文から弥生の移行期 西日本の遺跡殺傷痕のある人骨が見つかった。富と力の、激しい争いの時代でもあった。

大坂弥生文化博物館 副館長秋山氏

大坂八尾空港の近くの 「田井中遺跡」 500m 渡って調査。中央に弥生集落 ( 環濠集落 ) 、左右は縄文時代人の集落があった。 縄文人、弥生人が共生した隣り合わせで生活 、北九州等の凄惨な争いはなかったのか。

縄文の代表的な祭りの道具、石棒が4本発見されている、石棒153本北九州戦いの武器、近畿では石棒が尊重されていた→祭祀、精神面でも弥生系集落と縄文式集落が交流、共生していた。縄文時代人のところに弥生人が共生した。

神戸市大開遺跡、石棒が発見された。

北九州(争い)と近畿(共生)、狭いところに異なる集落が起こって争いが起こらなかったのは不思議である。

中野氏

心理学的にいえば 2 つのグループがあり、競争あおると戦争状態になり、納めることが難しい。

松木氏

稲作、水田をつくる、そのために森を切り開く→いろいろなところから人が来る、平野が少ない、たくさんの人が集まるり人口のプレッシャーが大きかった。近畿は稲作との共存が長く続いた。

寺前氏

近畿地方はアクセスが遠い、東からの影響を受けやすい地域。実力行使をすることはなく、もうワンクッションを挟むような方法でそれが祭りであったり、その中で石棒が選ばれた。

石棒は男性のシンボルを大きいものの存在、祭り、緩やかな競合があったかもしれない。

磯田氏

縄文の姿ほっとする、

中野氏

前頭葉を使うと疲れる。弥生は前頭葉を使う、合理性を重視しているが、縄文は忌避している。

松木氏

弥生時代は直線正円みたい幾何学的な図形だが、縄文はオーガニックのカタチだ。 縄文的な弛緩の時代から弥生的な緊張の時代へ  緊張に時代にも弛緩したい、緩みたいというのが随所に出ている。 転換期は ( 弛緩と緊張 ) がせめぎあっている時期だ

<縄文の影響>

設楽氏

縄文の影響 茨木 東奈良遺跡 から出土した小さな 銅鐸の文様 小松市の文様 楕円の文様→上下を区画し楕円を入れるのは 縄文の文様 だ。古来、銅鐸は祭祀の道具として、大陸からきたもの。 銅鐸への縄文の文様は縄文系の人たちが弥生のシンボル創成にも大いにかかわっていた 。一番古い銅鐸お内側がかなり擦り減っていた。鳴り響くかねとして長い期間使われていたことがわかる。銅鐸に見れる縄文の文様日本の曙にどうつながっていたのか。

寺前氏

銅鐸で調和を求めるそれが石棒等に結びつく。

弥生つるっとした土器が文様のあるものが復活してくる、

松木氏

弥生文化は何か、同じよう道具器、家、同じような暮らし、集団、弥生文化とはあるのか。考古学的な意味合いではなかったのでは。 日本列島一円を包み込むようなひとつの文化がなくなった時代が弥生時代ではなかったのでないだろうか。 これから考えていかなければいけないのでは。

中野氏・磯田氏

特定の宗教がない中で。祈りの文化が続いているのは不思議、どうしてか。

森林面積が多く、人口が多い国はない奇妙な森の文明を作った。大陸的の影響、離れるところが森の影響だ。

中野氏

原始日本、闘う人ということではなくて適応度もたかかった。そこに戦闘的な人々が入ると塗り替えられたが、揺れ戻しもあった。どのくらいの割合で生き残るのか今の日本人は、闘うことが好きというよりも心安らで、美しいことを考えるのが好き。縄文人の血が残っているのではないだろうか。、

松木氏

考古学も一方向に向けて進むのではなく 停滞、挫折、 様的考え方があり未来に向けてのて進歩がある 。新しい世代があらたらしい縄文を読み解いていってほしい。

磯田氏

心のあり様を読み解く、いい未来ができるんではないか。 これから自分とは違う人たちのこころのあり様を読み込む努力をするのが考古学、違う文化の方も来る、そこからから生きるヒントを見出すべきだろう


~あとがき~

自分は歴史学者でも考古学者でもないただの「歴史が好きなシルバー」ですので専門的な奥深いことは分かりませんが、①縄文時代はどちらかというと平和で穏やかな人たち、社会をイメージできます、②その反面、弥生時代は多種多様な人たちと海外から稲作をもたらし、そのことが貧富の差や権力者を生み出し、戦争が起こった、どちらかというと戦闘的、合理的な人たち、社会と理解していました。このことは間違ってはいないと思います。ただし、時代のつなぎというのは「はい明日から、縄文時代は終わって弥生ですよ」ということはありえないことと思います。最近元号が変わりましたが、平成から令和のようにスパッと時代がかわるということはありえません。稲作の伝播はやはり九州から東に伝播されてきたものと思われますが、縄文人と弥生人またそれぞれの文化は少しづつ混血やまじりあって今日につながっていると考えた方がごく自然です。それが、「座産の土偶」の歴史的、地理的な解明はやはり偉大な発見だと感じた次第です。今の日本人には縄文人のゲノムも残っていると聞いています。縄文人か弥生人がどちらが良いか悪いか、優秀かそうでないかの観点ではなく、融合がいまの日本人を形作っていると考えるのが、極めて自然と思いますが、いかがでしょうか。 以上








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最終更新日  2019.06.07 05:54:00
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浜松市博物館見学  
自遊人 さん
歴史探求、情報提供有難うございます。先日も案内しましたが、明日、7月1日浜松市市制記念日で8施設が無料で見学できます。博物館、浜松城、楽器博物館、浜松まつり会館、賀茂真淵記念館、文芸館、中村家住宅、気賀関所です。博物館に蜆塚遺跡、楽器博物館、浜松城は、お勧めです。 (2019.06.30 11:15:08)

貴重な情報ありがとうございます  
学び活かす(学活) さん
自遊人さんへ

いつも貴重な情報とコメントありがとうございます。浜松博物館、縄文時代の蜆塚遺跡は久しぶりに見に行きたいですね。 (2019.06.30 11:38:42)

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