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2019.06.12
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カテゴリ: 60歴史

ある時代の文化人の生存年や活躍の期間など、どちらが先かそうでないかがよくわからないことがあります。そこで、時間があるときに、少しずつ調べてまとめています。今回は、平安時代の文化人とその作品、江戸時代の徳川将軍治世と関連させた著名人の方々について投稿したいと思います。

<平安時代 ~ 文化人とその作品~>

  905 年  古今和歌集 ( 勅撰和歌集の始め )  紀貫之

竹取物語、伊勢物語

  935 年  土佐日記 紀貫之 

  966 年  蜻蛉日記 藤原道綱の母

  993 年  枕草子 清少納言

1003 年    和泉式部日記 和泉式部

1010 年    源氏物語 紫式部

1053 年    更科日記 菅原孝標の女

1106 年    今昔物語集

1205 年    新古今和歌集 藤原定家・家隆



<江戸時代の著名人>

初代 徳川 家康( 1543 1616

2 代  徳川 秀忠( 1579 1632

3 徳川 家光( 1604 1651

4 代  徳川 家綱( 1641 1680 ) 

5 代  徳川 綱吉( 1646 1709

文人・松尾芭蕉 1644 1694 俳句伊賀

6 徳川 家宣( 1662 1712

7 代  徳川 家継( 1709 1716

8 徳川 吉宗( 1684 1751

奉行・大岡忠相 :1677 1752

9 徳川 家重( 1712 1761

火付盗賊改役・長谷川平蔵 :1745 1795

10 徳川 家治( 1737 1786

文人・与謝蕪村 1716 1784 俳人画家

文人・池大雅  1723 1776 画家

※火付盗賊改役・長谷川平蔵 :1745 1795

11 徳川 家斉( 1773 1841

文人・小林一茶 1763 1828 俳人

奉行・大目付・遠山金四郎 :1793 1855

12 代  徳川 家慶( 1793 1853

※奉行・大目付・遠山金四郎 :1793 1855

13 代  徳川 家定( 1824 1858

14 徳川 家茂( 1846 1866

15 代  徳川 慶喜( 1837 1913

<江戸時代に活躍した「奉行・取り締まり方」3人を調べてみました>

〈大岡忠相〉

大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第 4 代当主で、 9 代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。

1677-1752

徳川吉宗治世

〈長谷川平蔵〉

長谷川 宣以は、江戸時代中期の旗本。火付盗賊改方の長である火付盗賊改役を務めた。幼名は銕三郎、あるいは銕次郎。家督相続後は父・長谷川宣雄と同じく平蔵を通称とした。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。

※長谷川平蔵(はせがわへいぞう)は、江戸時代の旗本であった 3 代親子の通称。

長谷川宣雄 - 火付盗賊改方、京都町奉行など。

長谷川宣以 - 宣雄の子、火付盗賊改方、鬼平犯科帳のモデル

長谷川宣義 - 宣以の子、先手弓頭。

寛政の改革 松平定信

〈遠山金四郎〉

遠山 景元は、江戸時代の旗本で、天保年間に江戸北町奉行、大目付、後に南町奉行を務めた人物である。テレビドラマ『遠山の金さん』及び『江戸を斬る』の主人公のモデルとして知られる。幼名は通之進、通称は実父と同じ金四郎。官位は従五位下左衛門少尉。

1793-1855

天保の改革 水野忠邦

~あとがき~

歴史をみたり、読んだりすると人物や史実の「前後」関係が調べないとわからないことが多いですね。そもそも、これをメモし始めたのは、清少納言と紫式部がなにかとライバル関係みたいに比べられることが多いのですが、実際には清少納言が「枕草子」を世に出してから、紫式部が「源氏物語」を書いた時期まで 17 年も経っています。源氏物語は藤原道長の支援の下で 54 帖からなる『源氏物語』長編物語 ( 小説 ) を完成させたものですが、 1001 年頃から書きはじめたと言われていますのでので、清少納言との直接的な関係はなかったと思われます。紫式部は清少納言のことをいろいろと言っていた文献が残っていますね。わたしはどちらかというと、利発で活発な清少納言の方が身近に感じますが。  以上






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最終更新日  2019.06.12 03:07:19
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