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2019.11.24
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カテゴリ: 82旅行

カーナビも 10 年経つと新しい道がどんどんできて、時代遅れになってしまいます。その都度最新版に置き換えればいいのでが、結構な料金もかかるのでそのままで使っています。 新東名が出来たときや、関東の圏央道などを走行した時には、道なき道をカーナビですすんでいたりして、ちょっと不安になりますね。

ところで、今までは山脈があり県外をまたぐのが無理だろうと勝手に推測していた道がトンネル等が出来て通れるようになっていることに気が付きました。

知人から今月、知人の旅行ブログからわかった岐阜県奥飛騨から長野県へ抜ける道です。奥飛騨から東には岐阜県と長野県に分けるように巨大な飛騨山脈が存在しています。まとめていて分かったのですが、どうも自分が知らなかっただけで結構前に開通していました。ご容赦ください。自分にとってはすごい発見だったのでまとめて投稿をさせていただきました。

( 出典: Wikipedia 、紹介はそのまま転載させていただきました )

<岐阜県奥飛騨から長野県への道路:安保峠道路>

安房峠道路( あぼう とうげどうろ)は、高規格幹線道路中部縦貫自動車道(国道 158 号)のうち、長野・岐阜県境の安房峠直下で短絡している自動車専用道路である。

大半の区間を安房トンネルと湯ノ平トンネルが占めている。中日本高速道路( NEXCO 中日本)が一般有料道路として管理している。


安房峠道路 平湯料金所( 2008 年撮影)

※高規格幹線道路中部縦貫自動車道 ( 国道 158 )
高速自動車国道を中心に一般国道の自動車専用道路と本州四国連絡道路を加えた全国的な自動車交通網を形成する自動車専用道路であり、自動車が高速かつ安全に走行できるような構造となっている道路のことである。

起点 : 岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯
終点 : 長野県松本市安曇中ノ湯
全長 : 5.6km
規格 : 1 種第 3
設計速度 : 80km/h
車線 : 暫定 2 車線
償還完了予定 : 2037 12 5

北アルプスを越えて岐阜県と長野県を結ぶ道路が少なく、国道 158 号現道の安房峠は大型車のすれ違いが困難なため、 安房峠道路の開通以前の現道は観光客の多い時期には通過に 5 時間以上(長い時には 8 時間)かかることもあったほか、冬季は積雪により通行できなかった。その安房峠越えをわずか 5 分に短縮させた。

( 安保峠・岐阜方面 )

現地調査から 33 年・着工から 18 年の歳月を費やして開通した。当初は 2005 年度末に開通する予定であったが、 1998 年長野オリンピックに間に合わせるべく急ピッチで工事が進められ、 1997 12 月に開通 。これにより、岐阜県飛騨地方と長野県の間が年間を通して行き来できるようになった。

日本道路公団の民営化の際、採算性の問題から国土交通省が地元自治体への無償譲渡を検討していたが、譲渡後の維持・管理コストの増大を理由に自治体が拒否したため、債務・道路資産はそのまま日本高速道路保有・債務返済機構に引き継がれ、中日本高速道路が管理することとなった。

中部縦貫自動車道は本区間の前後が事業化以前の状態(基本計画区間)であるため、当面は孤立した状態が続く。

(長野方面、穂高岳などが望める)

<安保峠の歴史>

日蓮が修行のためこの峠を越えたとき、自らの出身地である安房国より命名したと伝えられる。
現在の安房峠より南、鎌倉街道が安房山( 2219.4m 、乗鞍 23 峰)の南側、十石山( 2525m 、乗鞍 23 峰)より北側を通る峠を大峠、平井峠、平湯峠、信濃峠、飛騨側の呼称でザラ(ザレ)峠と呼んだ。また、服部英雄らはこの峠を古安房峠、安房古峠と仮称。
1559 年(永禄 2 年) 甲斐国の武田晴信の軍勢が安房峠越えを果たして、飛騨国に攻め込んだ。
1564 年(永禄 7 年) 再度、武田の軍勢が安房峠を経て飛騨国に攻め込んだという。その際の逸話が平湯温泉開湯の伝承となっている。
1600 年(慶長 5 年) 関ヶ原の戦いの際、東軍の武将である金森可長が安房峠を経て平湯村に進んだという。
1790 年(寛政 2 年) 平湯番所が公的には廃道となるが、地元の生活道路としては使われ続けたと考えられる。
1912 年(大正元年) 陸地測量部の「五万分の一図」には、現在の安房峠が記述される。
1915 年(大正 4 年) 大正池が誕生した頃、平湯と上高地を結ぶ観光道路として、現在の安房峠が利用されるようになる。
1924 年(大正 13 年) 上宝村の教師であった篠原無然が大雪の中を無理して峠越えを敢行したが、峠の頂上付近で遭難して凍死に及んだ。峠には「ああ偉なるかな飛騨の山 ああ美なるかな飛騨の渓 ああ清きかな飛騨の水」の無然自身が詠んだ歌の歌碑が建てられている。
1938 年(昭和 13 年) 中の湯~平湯間の道路で拡幅、舗装工事が行われ車両の通行が可能になる。
1997 年(平成 9 年) 安房峠道路開通



~あとがき~

凄い道を発見したと思ったら、安保峠は 1997 年に開通していました。奥飛騨から長野へ抜けて松本市や長野市を巡る旅ができるのですが、高山まで行っても白川郷、五箇山を巡り、金沢や、能登半島に行くことが多いですね。奥飛騨は「奥飛騨慕情」などの歌もあり、名前は知っていても、行ったことがありません。今度、奥飛騨から長野県に抜けて長野市の善光寺や川中島、小布施などの旅をしてみたいと思います。 以上







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最終更新日  2019.11.24 18:33:55
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