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今回の「戦国めぐり(自称)」のドライブ旅行は10月22日(木)~24日(土)の2泊3日で行ってきました。最初の訪問地は「安土城跡」でした。早朝 5:00 に自宅を出発し、近くの「東名磐田 IC( 静岡県 ) 」から高速にのり、東名、名神と乗り継いで間違って手前の「彦根 IC 」で下りてしまい、少し余分な時間を使ってしまいましたが、一般道を通り目的地の安土城跡には 8:30 に到着しました。途中、養老 PA で朝食をとって 30 分くらい休みましたので実質3時間程度のドライブでした。
安土城のシンボル的な「大手道」の麓に大きな駐車場はありそこに停めましたが朝が早かったこと、天気が雨予想でもあったのでわたしの車だけでした。実際気になっていたのは「天気」で、雨が降る中ではまっすぐの「大手道」やさらに上ったところの天主まで、あの階段を上るのはかなりの困難がありそうでした。何とか雨も幸いにも降らずに目的を果たすことができました。到着してまず目を見張ったのは裾野から見ることのできる壮大な石垣です。特に、まっすぐ上に向かう「大手道」は壮観です。この安土城は絶対に訪問されることをお勧めします。「期待を超える感動」があります。ただ、足腰、ひざの弱い方はちょっと無理かもしれません。
(撮影:筆者、大手道)
<安土城とは>
ちょっと歴史を振り返ると、安土城の築城主はあの「織田信長」です。石材を使った城づくりの初めは信長の「小牧城」といわれています。素人なりに信長の築城を考えてみると、①山城である、②石材を使った、③山の頂上が好み、など特徴があるようです。次に居城にした岐阜城は信長の築城ではないものの、あの金華山の頂上にみえる城はさすが壮観です。その後の城が安土城で築城が 1576 年ですが当時の面影を肌で感じさせます。まさに当時の原風景を彷彿させます。遺構としては天守台、曲輪、石垣、堀などがあり、国の特別史跡になっています。
もう少し調べると、「安土城は 1576 年織田信長が築城。大型の天守を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は城郭が琵琶湖に接していた。地下 1 階地上 6 石階建てで、天主の高さが約 32 メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。 1582 年明智光秀の謀反の後、何らかの原因で焼失、その後廃城となった。」たった、 6 年で廃城となったのはもったいなく、現在の姿はまさしく「夏草や兵どもの夢の跡」でした。

(撮影:筆者、天主跡)
「大手道」を上ると、すぐに「豊臣秀吉館跡」「前田利家館跡」と名だたる武将の館が伝えられています。遺構の説明には「伝○○○」と「伝」の字がついています。その意味では、歴史的に確定されてものではないものの、建物が建っていた当時の CG などをみるとその威容さが感じられます。天主台まで上り、そこからの風景はまさにパノラマでした。帰りは別の道を抜けて戻りました。ふくらはぎの痛さはあり、呼吸もしんどいときがありましたが心地よい満足感がありました。
「大手道」や天主に向けて歩いていると、当時の相当たる武将や賓客、懇意だったポルトガルの「ルイス・フロイス」一行もこの道を上りながらの会話や一行の喧騒などが感じられそうでした。あの、秀吉や家康、利家もそばにいそうですし、光秀もこの時期にはすでに家臣団のひとりにいたはずですが、その痕跡を安土城跡に見ることはできませんでした、「本能寺の変」で信長が死去し、その後すぐに原因不明の火災で焼失したようですが、だれが、なぜ、またはどうして火災が発生したのかなど、歴史探訪の興味がどんどん深堀されていくようです。

(撮影:筆者、天主跡から望む)
<ルイス・フロイス「日本史」> (
出典 Wikipedia)
ポルトガル人イエズス会宣教師であるルイス・フロイスは著書『日本史』に、天主に関して次のように記しています。天主復元のために参考にされる史料でもあるようです。
『
中心には、彼らがテンシュと呼ぶ一種の塔があり、私たちの塔より気品があり壮大な建築である。
この塔は七重からなり、内外共に建築の妙技を尽くして造営された。事実、内部にあっては、四方に色彩豊かに描かれた肖像たちが壁全面を覆い尽くしている。外部は、これらの階層ごとに色が分かれている。あるものはこの日本で用いられている黒い漆塗りの窓が配された白壁であり、これが絶妙な美しさを持っている。ある階層は紅く、またある階層は青く、最上階は全て金色である。このテンシュは、その他の邸宅と同様に我らの知る限りの最も華美な瓦で覆われている。それらは、青に見え、前列の瓦には丸い頭が付いている。屋根にはとても気品のある技巧を凝らした形の雄大な怪人面が付けられている』
(出典:筆者、天主の信長台座「信長の館」)
<安土城プロフィール>
城郭構造 :山城
天守構造 :望楼型地上
6
階地下
1
階(
1579
年・非現存)
築城主 :織田信長
築城年 :
1576
年(天正
4
年)
主な改修者 :羽柴秀吉
主な城主 :織田氏、明智氏
廃城年 : 1585
年(天正 13
年)
遺構 :天守台、曲輪、石垣、堀
指定文化財 :国特別史跡
再建造物 :一部の石垣・大手道石階段・門跡
~あとがき~
今回の旅の目玉は「安土城」と「関ヶ原」でした。関ケ原のことはまたこの後にまとめますが、念願だった「安土城」がなぜここに築城されたのかと思っていました。安土城築城は「浅井長政」を滅ぼし、秀吉に長浜城を築城させ浅井家の領国であった北近江を支配させる一方で、天下布武を進める上でここに城を築いたようです。資料など振り返ると、当時の琵琶湖の湖水が現在とは異なり、城のすぐ近くまであったことで、海上物流の拠点でもあり、信長が「武力」と「経済」を共に考えられる戦国大名の優れたひとりでもあったことが感じられます。
新型コロナ感染にはwifeとかなりの神経を払って行ってきました。とにかく、マスク、手洗い,蜜とならいないように注意しました。どこの観光地、宿泊施設もかなりの人がみられました。家に「こもる」ことから「万全な注意をして打ってでる」ことで実施しましたが、これで感染したら周りの方々からいろいろといわれてしまいますので、感染していませんようにと祈ります。以上
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